教授のおすすめ!セレクトショップ

教授のおすすめ!セレクトショップ

PR

×

Profile

釈迦楽

釈迦楽

Keyword Search

▼キーワード検索

Shopping List

お買いものレビューがまだ書かれていません。
October 1, 2026
XML
カテゴリ: 教授の読書日記
小野泰博さんが書かれた『谷口雅治とその時代』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。

 そもそも、ですが、谷口雅治というのは、宗教団体「生長の家」の創始者ね。つまり、新興宗教の教祖みたいな感じですが、たとえば同じ新興宗教団体の大本教の教祖、出口なおと出口王仁三郎なんかと比べると、谷口雅治について書かれた本というのは圧倒的に少ない。だから、この本(実は著者死去により未完)は貴重です。

 だけど、谷口雅治についての本が少ないというのは、ある意味、当たり前なところがあって、つまりね、谷口雅治は出口なおみたいな神がかりの人じゃないのよ。ごく普通の人。もちろん傑出した人ではあるのだけど、その傑出ぶりは勉強家のそれであって、異能の人という感じはしない。

 じゃあ、なぜこの人に私が興味を持つかというと、この人、ニューソート系の思想家だから。要するに、自己啓発思想家なのよ。自己啓発思想系の勉強家・・・それは私と同じではないかっ! っていうね。

 で、実際にこの本を読んでみて思うのは、この時代にして谷口さんはニューソートの考え方を完璧に捉えているな、ということ。そして、そのニューソート思想が、少なくとも昭和初期くらいの日本には必要だったんだな、ということ。

 しかし、そこまで行く前には、準備段階というものがある。

 まずね、谷口は生涯、文の人であることを貫くのだけど、その芽は少年時代に培われる。明治二十年代には博文館の『日本の少年』だとか、石井民司の『少国民』だとか、その他『少年世界』『少女世界』『中学世界』『文章世界』など、少年向けの投稿雑誌がジャンジャン出る。当然谷口もそういう雑誌に投稿し、それが掲載されれば嬉しいわけで、そうやって彼の文章力が磨かれていくと。

 当時は田山花袋なんかの自然主義が盛んな頃で、またそのバックグラウンドとしてショーペンハウエルの厭世哲学が日本でも盛んに読まれていた。

 で、谷口は大正元年に早稲田の英文科に進学。そこで気鋭の学者・片上伸(のぶる)の教えを受け、自然主義を脱して耽美主義を奉じるようになっていくと。ポーだとか、イエイツ、カーライル、オスカー・ワイルド、そしてウィリアム・ジェームズ、そういう連中が谷口のアイドルになっていくわけ。



 それはさておき、谷口がウィリアム・ジェームズの影響を受けた、というのは、非常に面白い。ジェームズが「ショーペンハウエルの厭世哲学は、要するに彼の胃病が原因だ」と言った説などに大きく頷いた、というのだけど、それは要するに、人生の明るい面を見れば明るい人生観が開かれるし、暗い面ばかり見ていれば悲観的人生観に持っていかれる、という考え方に反応したということであって、これはその後の谷口の思想のベースだからね。

 あと、サイド・ストーリーとして、この時期の日本ではトルストイの『復活』が、松井須磨子などに演じられて日本でも大評判になり、その後、白樺派の登場にも影響する。

 トルストイは貴族なんだけど、その特権を捨てて財産を放棄し、一農民として生きようとした。まあ、『復活』なんてのもその路線の人道主義なんだけど、白樺派の武者小路実篤とか有島武郎とか、同じような境遇にあって、トルストイの考え方に持っていかれたんだねえ・・・。新しき村、とかね。

 文学が、社会にこれだけ影響を及ぼした時代があったというのは、今から思うと、なんかウソみたい。

 しかし、この話の要諦は、この時代の日本に「今の社会のシステムはおかしい(=不正だ)」という考え方が底流としてあった、ということなんでしょうな。

 さて、早稲田の英文科で優秀な成績を収めていた谷口ですが、すごく文学的な動機からある女と関係ができてしまい、その影響で大学を中退する羽目に。そしてとある紡績工場で女工監督みたいな職につく。で、そこで女工哀史を目の当たりにすると。もっとも谷口はすぐ辞めちゃったのですけど、この頃、もう一つ、女性関係の悩みが生じることになる。ある女から移された性病を、別な若いおぼこな女の子に移してしまったんじゃないかという恐れに慄くんですな。それでその罪の意識にさいなまれた末、自分が念力を送れば、その子の性病は治るのではないかとか、黴菌が病気を伝播するという考え方自体を否定する、というようなところまで行ってしまう。

 これ、どーでもいいようなエピソードですが、実は後の谷口が、クリスチャン・サイエンスに惹かれていく原体験みたいなものだから、ある意味、重要かなと。

 それもそうなんだけど、明治末年から大正時代にかけて、日本では心霊術がめちゃくちゃ流行ったそうで、こっくりさんなんてのもこの時代の産物。ちなみにこっくりさんの原型はPlanchette というもので、これは霊媒によって使われる交霊術の道具。

 で、この辺りから谷口も心霊療法に本格的に惹かれていく。特に太霊道、健全哲学、渡辺式心霊療法、耳根円通法に熱中したそうで。また大正六年に国民文庫から出た『国訳大蔵経』が日本中で大評判となり、1万八千部が売れ、谷口も速攻で読んだとのこと。ここで「三界は唯心の所現であり、心外に別に存在なし」なんて思想にかぶれていく。これもニューソートっぽい!

 で、谷口は、松江を中心に耳根円通法を唱導した木原鬼仏の主催する講習会の会員になっていた縁で、当時松江で流行していた大本教の雑誌『彗星』を知ることになるんですが、この『彗星』という雑誌に「世の立替説」が述べられていて、谷口はこの思想に惹かれていくと。

 立替説というのは、大正十一年か十二年に、何か大きな世界的転換が起こって、それを生き伸びた人たちが新世界を建設するという、世界の破滅⇒新世界の建設を予言するものだったんですな。しかもそのターニングポイントを大正十一年もしくわ十二年と明確に示したところが、ノストラダムス的な予言として大きな影響力を持つことになったわけ。



 同時に、明治の末から大正時代には古屋鉄石、井上円了、福来友吉らを中心とする「変態心理学」が大きな話題になっていたと。この変態というのは、あの変態ではなく、異常という意味。つまり、憑依現象などの研究。そうなってくると、大本教の「お筆先」みたいに、教祖が神がかって何かを予言する、みたいなのが真剣に論じられるようになるということだから、時代そのものがそういうものに興味を持っていたと。岡田式静座法とか、太霊道などの流行も、こうした背景があってこそ。

 大正7年~8年頃の宗教熱について、臨済禅の山田無文が「第一次大戦後の当時の東京は、社会運動も盛んであったが、精神運動もなかなか活発であった。神田辺りの夜を歩けば、どこかで救世軍が太鼓をたたき、仏教救世軍がラッパを吹いていた。富士見町の教会には、上村正久先生がもっぱら学生の人気を集めておられ、内村鑑三先生の下には、熱狂的な青年信徒がはせ参じた。中央仏教会館へ行けば、毎晩欠かさずだれかの説教が聞かれた。宗教花やかなりし時代ともいえよう」(『手をあわせる』春秋社)と書いているそうですが、そんな時代だったんですなあ・・・。

 さて、谷口は大正9年11月22日、28歳の時に輝子と結婚。式には出口王仁三郎も出席し、大本教の教団内で行われた結婚の第1号だったとのこと。

 ところが結婚後3カ月くらいから輝子は狭心症の発作に見舞われることが多くなる。勉強家の谷口は医学書などをむさぼり読み、むしろ器質的欠陥は直し難しと悟って暗澹たる気持ちになると同時に、今や世の中が立替になるかもしれないという危機的状況下でノンビリ結婚なんかしたので神罰が下ったのだと本気で悩んだりもしたとのこと。

 ところが竹中繁二郎博士の医学書の中に、「たいていの人は心臓に多少なりとも欠陥があるもので、しかしそれでも大抵の人が普通に日常生活を送れるのは、人間の生命に代償作用があって、それが器質的な欠陥を補うからだ」というような趣旨のことが書いてあって、これを読んだ谷口はそれこそが「神癒の力」であると確信する。ここから、生長の家が主張する「本来人間無病」という考え方に行き着くと。だから谷口は、生長の家の概念は、観世音菩薩が輝子を通じて教えてくれたのだ、と後に述べることになると。



 谷口が西田天香に惹かれるのは、根っからの求道的精神によるもので、自分の理想に殉じて行動してしまう理想主義者に甘いところからのこと。

 しかし、谷口が本当に自らの進むべき道を発見したのは、ニューソートと出会ってから。

 谷口がニューソートに出会ったのは、大正13年2月、神戸の生田神社にお参りしたついでに立ち寄った古書店・永田文進堂でフェンウィック・ホルムスの著書で、谷口は翌年、これを『如何にせば運命を支配し得るか』と題して訳出している。この序文で谷口は、今まで自分はヒルティやエピクテトスの幸福論を重んじていたけれども、これは消極的幸福論に過ぎない。対するにホルムスの示すクリスチャン・サイエンスは仏教的基督思想であり、積極的幸福論であって、一切が心の所現であると説明しているところに特長があるとして、そこに価値を見いだした。

 クリスチャン・サイエンスは、クインビー→エディ夫人→エマ・カーティス・ホプキンス→アーネスト・ホルムス(兄)→フェンウィック・ホルムス(弟)とつないでいくのだが、1899年に「ニューソート会議」が開催され、1914年には「国際ニューソート連合」が結成されるなど、思想的組織化が図られていく。そしてその源流をたどれば、エマソンの超絶思想、そしてその原点となるユニテリアン思想に通じるのだが、谷口は「神は一人、人間は神の一部を持つ」というユニテリアン思想こそ、自身の「光明思想」の先駆と見るわけ。(ユニテリアン思想のさらに源流はスピノザの思想) なお、クレイ・マコーレーによってアメリカから日本に入ったユニテリアンは、後に労働運動・社会運動の原点となっていく。

 ニューソートが谷口にすんなり受け入れられるのは、ニューソートが悪の概念を巧みに説明してしまうから。

 谷口に限らず、当時の日本人思想家にとって、なぜ悪は存在するのか、という問題が躓きの石になってきた。つまり、もし神がこの世を作ったのなら、なぜ神はこの世に苦痛を存在させたのかと。

 これに対してニューソートは、悪とか苦痛とかは神が作ったのではなく、人間の不健全な思考がそれを作ったのだと回答する。人間は本来、神と同様、完全なものなのだと。その上で、肉体は思考によって霊が形象化したものだから、もし苦痛が発生したなら、それは不健全な思考のゆえだと。だから、それは人間によって作られたものだと。

 ニューソートは全面的な人間肯定的オプティミズムだからね。

 だから、ホルムスはフランスのエミール・クーエのクエイムズを肯定するわけよ。

 それはともかく谷口はホルムスの思想に出会ったことで、その思考が完全にニューソート化していくんですな。そこにおいて神はもはや創造者というより、創造のエネルギー源であって、そのエネルギーを活用していかなる形を作るかは人間の抱く「念」による、という考え方を取っていく。

 ちなみに大正時代における日本の哲学の潮流はベルグソンに始まりそれに終始するとのこと。つまり「生の哲学」。そして共生ユートピア志向。

 この頃、谷口は決定的な宗教体験をする。「物質はない!」という声を聴いたという。曰く「無より一切を生ず。一切現象は念の所現にして本来無。本来無なるが故に、無より一切生ず。有より一切生ずと迷うが故に、有に執して苦しむのだ。有に執せざれば自由自在だ。(中略)現象界は念のレンズによって転現せる化城に過ぎない。彼処転現すると見ゆれども彼処に無し。此処に転現すると見ゆれども此処に無し。知れ、一切現象無し。汝の肉体も無し」。かくして彼は「私はついに神を見出し、本当の自分を見出したのであった。三界は唯心の所現である。(中略)すべての存在が物質ではない。何か後光のような耀光を発するエーテルの波のような存在に見えるのだった。私は朝湯が殊にスキであったが、秋の遅い太陽は、わたしが朝湯からあがっての帰り途、向こうの樹間からさしのぼることが多かった」と。
 ちなみに朝湯云々というのは、当時谷口は毎朝5時に起き、「勇湯」という銭湯で朝風呂に入って身心を清めてから元住吉神社に参拝するのが日課だったことを指す。この規律ある日々の習慣が、こうした宗教体験の基礎にあるのだが、後の生長の家で独自の神想観坐法とか呼吸法の重視につながっていったらしい。

 で、その後昭和5年1月1日、谷口37歳の時に、個人雑誌『生長の家』が創刊されると。

 その前に、35歳の時、西田天香の一燈園の雑誌『光』に「一つの提唱」という一文を寄せ、雑誌の購読という形もいいけれども、志を同じくする者同士がひとところに集まり、会合を持つことも重要で、その両方が補完的に働くのがよい、という趣旨のことを書いているのだが、『生長の家』も雑誌として谷口の思想を伝えると同時に、その購読者同志の集いを企画し、そこで谷口も実際に顔を出して思想のすり合わせをするということを重視していた。これが、「生長の家」の発展の鍵だった。

 なお、生長の家の役割として谷口が掲げていたのは、

1.心の法則を研究し、その法則を実際生活に応用して、人生の幸福を支配するために実際運動を行うこと。

2.その実証としてメタフィジカル・ヒーリングを修得し、広く隣人の病苦を救済すること。

3.そのテキストとしてはさしあたり、ホルムスの『如何にせば運命を支配し得るか』を用いる

 ということ。これはもう、完全にクリスチャン・サイエンス。

 また生長の家では、フロイト流の精神分析についての記事が創刊号からあったが、大正末期から昭和初期にかけて、フロイトの精神分析や性科学が日本でも話題になって、関連本が多く出ていた。その流れをいち早く導入していたのだから、谷口も相当な目利きだったと言っていい。

 また第8号では「神の内在」という考え方を披歴している。曰く「わたしの考えでは我々が神を知ることが出来るのは我々各々の内に神と同じものがあるからであります。(中略)薔薇の花を見て美しいと云うことが我々にわかるのは、我々自身の心のうちに『美しさ』があって薔薇の花と云う鏡に映し出して見てはじめてこれを美しいと感じるのであります。(中略)若し我々が神を見ることが出来、或は神を感ずることが出来ますならば、その人のうちに神がやどっているからであります。(中略)我々がこのように現実世界の状態や現実世界の人間の不完全不円満にあきたらないで円満な世界や人格をもとめようとするのは、不完全な現実世界とはピッタリ調和することの出来ない完全円満な或るものを我々の内にもっているからであります。我々が完全円満な或るものを内部に有っていなければ完全円満な人格や状態を予想することが出来ないのであります。この我々の内にある完全円満な或るもの、これが即ち神であります」と。

 さて、この本は谷口が自身の宗教観を完成させ、生長の家をスタートした三十代半ばの辺りの記述で、著者死亡のため、未完に終わります。何しろ谷口は90歳台まで生きた人だから、後半生のことも書きたかったでしょうし、我々読者もそれに期待してしまいますが、それは叶わずと。

 しかし、谷口がどうやって宗教家になっていったのか、彼の生長の家の本体を成す考え方とは何か、そこにニューソートがどうかかわってくるのか、ということがおおよそ分かったので、ワタクシとしては大満足。

 それにしても、大正ー昭和初期の時代って、人々は哲学的に悩んだんだなあということがよく分かる。今時の人は、そんなことに悩まないもんね。で、そういう悩みに答えたのが、結局、様々な新興宗教であって、それは時代の要請だったんですな。

 そういう諸々のことが色々分かって、いい勉強になりました。この本、教授のおすすめ!と言っておきましょう。もっとも、そういうことに、興味ないなら話は別だけどね。


これこれ!
 ↓
​
谷口雅春とその時代 (法蔵館文庫) [ 小野 泰博 ] ​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  October 1, 2026 07:09:28 PM
コメントを書く
[教授の読書日記] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

Calendar

Favorite Blog

やっと秋晴れ New! AZURE702さん

残暑が続くが ゆりんいたりあさん

YAMAKOのアサ… YAMAKO(NAOKO)さん
まるとるっちのマル… まるとるっちさん
Professor Rokku の… Rokkuさん

Comments

釈迦楽@ Re[1]:スペイン優勝、そして早くもW杯ロス(07/20) ゆりんいたりあさんへ  いやあ、メッシ…
ゆりんいたりあ @ Re:スペイン優勝、そして早くもW杯ロス(07/20) 釈迦楽さん、 ご無沙汰しております。 お…
釈迦楽@ Re[1]:S師範と稽古(06/11) はちみつ先生へ    こちらこそ、有意義…
はちみつ@ Re:S師範と稽古(06/11) 先日の稽古、大変勉強になりました。 あり…
釈迦楽 @ Re[3]:柔術のコツが少し分かってきた気が・・・(04/23) はちみつ先生へ  引っ越し、思っていた…

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: