ホテル羅賀荘のスタッフブログ♪
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当館から歩いて5分程の所に、津波の恐ろしさを現在に伝える“あるもの”があります。重さが約20トンもあるその名前は、「津波石」明治三陸津波が海底の岩を海抜24メートル、海から360メートルのところまで持ち上げたものです。近くで見ると想像以上に大きく、こんなものまで流してしまう津波の恐ろしさを、改めて感じました。ちなみに今では、幾重にも防波堤が建設され、津波対策が取られておりますのでご安心を。^^;以下は、その当時の様子を伝えている「上飯坂哲」著の「大海嘯記録」の内容です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――1896年(明治29年)明治三陸地震津波は、大変珍しく、厄介な地震津波でした。地震による被害はほとんど無かったにもかかわらず、津波史上最悪の死者2万2000人以上という大惨事となりました。このとき沿岸での震度は3程度で、地震による被害どころか、ほとんどの人はまったく地震に気が付きませんでした。地震に気がついた人も、まさか津波がやってくると思った人はほとんどなかったようです。地震よりも、沖のほうから雷鳴とどろくような大きな音が鳴り響き人々を驚かせました。~省略~三陸地震津波の当日は旧暦の端午節句にあたり、しかも日清戦争帰還兵の歓迎花火大会で人が集まっていたところもありました。たいした地震でもなかったので、お酒が入って気も緩んでいたことでしょう。地震の揺れに気づいた人もありました。自宅で祝い酒を飲んでいていつもとは異なる縦揺れを感じた巡査部長が、あたりの様子を見たがとくに変ったことがなかったので、再びお酒をのんでうとうとしたところ、急に10メートルから30メートル前後の津波が突然むくむくと盛り上がり、壁のような波が屋根のうえに押し寄せたといわれています。地震を感じた人は非常に少なかったのですが、海の方から砲撃か雷鳴のような轟音がとどろいたという人は多くいました。しかし、ほとんどの人が、津波だという叫び声や、ただならぬ物音に驚いたのと津波の怒濤をかぶるのが同時だったと証言しています。「大海嘯記録」南閉伊郡海嘯記事より 上飯坂 哲 自費出版―――――――――――――――――――――――――――――――― ■□■━━━━━━━━━━━━━━━━HOTEL RAGASO◆メルマガの会員登録はこちらから♪◆Twitterをやってます!当館のつぶやきをのぞき見る・・・。。◆楽天懸賞広場に出品中!とりあえず応募してみる♪潮騒の宿「ホテル羅賀荘」〒028-8403 岩手県下閉伊郡田野畑村羅賀60-1TEL 0194(33)2611 FAX 0194(33)2223URL:http://www.ragaso.jpE-mail:info@ragaso.jp営業部企画課 中野哲也お問合せはお気軽にこちらからどうぞ♪当館の最新情報はWEBで!サイトへGO!!!HOTEL RAGASO━━━━━━━━━━━━━━━━■□■
2010.10.11
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