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昨年12月末に大阪に帰ってきて、丸4ヶ月が経ちました。「仕事の方は、どうですか?」と聞かれることは多いですが、「両親との関係の方は、どう?」と聞かれることは、まずありません。当たり前といっちゃ、当たり前ですが、何を隠そう私が大阪に帰ってきた最大の理由は、「両親と向き合うこと」それ以外は、何もないのです。確かに様々な要素が重なって、帰ってきたというのは事実なんですが、「今現在、最もしなくて後悔することは?」と聞かれたら、自分の中でふと出てきた答えが、「両親と向き合うこと」それも「仲良く過ごしている」「親孝行できている」という一般的な尺度の問題ではなくて、人間として、そう生身の人間として、自立した一人一人の人間同士として、親と子という立場がありながらも世界で唯一のたった一人の人間同士として、徹底的に向き合うのです。どうして、そんなことを思ったのかというと、「もし、このまま、東京で、仕事もますます成功し、家族も持ち、幸せに暮らせたとしても、80才まで生ききる中で、必ず、親の死というものに対面する。そのとき、亡き親について、私は、本当の親というものを、どれだけ知っていただろうか?わかったつもりになっていなかっただろうか?成人し、自立したので、向き合うことを避けていなかっただろうか?」そんな疑問が湧いてきたため、「徹底的に向き合うこと」は大事だし、これから私自身がよりステップアップした人生を過ごしていくために大きな意味を持つだろうと、何となくながら、感じられたからであるのです。もちろん、仕事も大事ですが、家族はもっと大事。この向き合う作業は、私の人生にとって、唯一の豊かさをつむぎだし、よりパワフルに生きるきっかけをくれていると、おぼろげながら、感じています。★人気ブログランキング下記人気ブログランキングクリックもぜひ、ご協力をよろしくお願いします。[人気ブログランキング]
Apr 22, 2006
先月、浄土真宗の本山に行って、お寺の方から聞いた話でもう一つ、「ほほぅ~。」と思わされる話がありました。「人は拠り所を持って生きている。」というお話。「人は、生きていく中で、何かよりどころを持ちながら生きています。人によって様々ですが、お金や財産、モノ、子供、親などなど。ただ、拠り所とすればするほど、争いも起こり、失うこともあり、失ったら、また別のものを拠り所にする。。」「ただ、真宗では、世俗の何かを拠り所とし、転々として、生きるのではなく、唯一、失うことのない絶対不変の拠り所があると教えてくれています。」それは。。。阿弥陀様の教えを賜ること正確にいうと、念仏をとなえ、ただただ、阿弥陀様からの教えを請い続けることを人生の拠り所とし、人生の安寧と幸福を得るということ。こう書くと、真宗の念仏をとなえ、浄土に救われるという一般的な考えの背景をうかがい知ることができます。よく真宗でとなえる「南無阿弥陀仏/なむあみだぶつ」とは、「無限の命と光明をかねそなえた仏様、あなたを信じ、頼りにします。」という意味だそうです。これらを、コーチング的にいうと、「ただただ、人生では、自分の内なる声、天からの声なき声から、耳を澄まし、学び、教えを請い続けることによって、人生の成長と幸福を実現しなさい。」ということなのかもしれない。そういうことをただただ信じきる!どんな宗教も生きる知恵も、言わんとしていることは、同じことなのかもしれない。さてさて、皆さんは、今、何を拠り所として生きていますか?★人気ブログランキング下記人気ブログランキングクリックもぜひ、ご協力をよろしくお願いします。[人気ブログランキング]
Apr 1, 2006
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