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こんばんは。 非日常から、日常へと戻りつつあります。 周りの景色は若干変わりましたけどね。 もう一度お墓を見てきましたが、未だ手付かずです。 画像は、入り口部分です。 これを乗り越えて行くしかない状態です。 生きている人優先で、いつ元に戻るかは不明です。 震災以来、サッカーは休部になっています。 今日、監督から再開に向けての話があり、新6年の役員のみ集まりました。 が、時期尚早とのことで、市側から却下されてしまったそうです。 何故、市が? 小学校は避難所になっているし、第二グランドとして使っている所は仮設住宅の建設が決まり、市のサッカー場は避難所の隣だから駄目、放射能もあるから駄目だそうです。 ふたばカップ、ふたばウェルカムカップは無理だと分かっていたけれど、他の大会も何もできなそうです。 しばらくサッカーできない、運動禁止中の真ん中にはラッキーかもたけど・・・ 子供たちは楽しみを奪われ可哀想です。 1日も早く再開できることを祈ります。
2011.03.29
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こんにちは。本日、予定通りおちびの開窓を行いました。過剰歯だったことの影響で、前歯が埋伏歯になっているんです。担任の先生すら、地震の日まで、前歯が1本足りないことに気づいていなかったと言う・・・^^;麻酔をうつと「い~だ~い~TT」。三カ所にうたれました。開窓は、オペレーザーという機械で歯茎の肉を焼くものなんですね。レーザーと言うことで、みんなメガネ着用です。私の分は無いので、目をそらしてました。見ちゃ駄目って言うんですもの。骨を削る準備もされていましたが、運良く歯茎のすぐ下から、前歯が顔を出しました!一つの行程が省けるだけで、後の痛みも変わります。良かった~!!すぐに器具を付けないと、窓が塞がってしまうそうです。麻酔が効いているうちに、ポチっとつけて、ワイヤーを通して完了です。窓の歯磨きは、明後日以降、様子をみて行います。先生曰く、「痛いからいいよ、磨かなくても」そういうもんですか。現在、完全に麻酔が切れ、「痛い~」と騒いでおります。骨削ったらもっと痛かったんだけどね。耐えてくれ。歯科医院の被害状況、玄関の壁紙が一部剥がれていました。駐車場には長さ3m程の亀裂、建物と駐車場の間に5cm近い溝ができていました。どこも多かれ少なかれ、被害がありますね。毎日、誰に会っても福島第一原発の話題で一杯です。市内でも乳児の摂取制限を越える値が出た日があるため、水を取り置き、ヨウ素の値が下がるのを待って使っています。ちなみに今日使っている水は、24日の水です。ペットボトル(ポリタンク)の口切り一杯に水を入れ、空気をできるだけ抜いて口を閉めておけば、しばらくは保存できるらしいです。ヨウ素の半減期は8日、120ベクレルなら、1日に1割程度減るとすれば、2~4日置いておけば安全な水になるんだそうです。まぁ、ちょっとでも含まれていれば不安だって気持ちも分かりますが。んなこと言っていらませんから!いつまで続くかわからないし。ミネラルウォーターなんて売ってないし。子供にジュースを頼まれたら、コーラしか売ってませんでした。いえ、それはいいんですが。避難要請、広がらないといいですが・・・どうなんでしょう?いわき市全部・・・となったら・・・考えてしまいます。1日も早い終息を願わずにはいられません。臨界事故だけはやめてよね。
2011.03.28
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こんばんは。 昨夜は余震が多く、まるで11日のように、数分おきに繰り返しありました。 最悪の場合を考え、パソコンをテーブルの下に移動しちゃいましたよ。 さてさて、おちびと散歩をしてみました。 あっちにもこっちにも、大谷石が崩れて転がっています。 中に鉄骨を入れられませんものね。 友人の実家では、「300万も掛けて造ったのに~!」と泣いていたとか。 サッカーの監督の奥様は、「あ、地震だ、端っこに停めなくちゃ」と車を停めたところに大谷石か降り注ぎ、フロントガラスは割れ、サイドミラーは折れ、屋根や助手席側はボコボコになってしまいました。 ご本人には怪我もなく、幸いだったと思います。 車は痛いですけどね・・・ 危ないので、地震の際には大谷石のない場所に停まる事をおすすめします。 また、鉄骨の入っていないブロック塀も倒れたし、鉄骨が入っていても倒れたところもあります。 くれぐれも気をつけてくださいね。 震災後、恐怖とショックで家に居られなかったおちび。 小学校で1週間の避難生活をおくったのも、実は家にいるとおちびが怯えてしまったからなんです。 寝室と机部屋以外、ガラスが飛び散ってたってのもありますけどね。 寝室は・・・怖くて未だに使っていません。 正確には、二階は使っていません。 茶の間で寝てます。 片付けはしましたが、転倒防止をしないと怖いです。 タンスに潰されるのは嫌ですから。 食器棚も片付けました。 割れた食器やコップは、震災ゴミとして、無料で引き取ってもらえました。 なんのかんので80キロ分以上出してしまいました。 どこにそんなに詰め込まれていたやら・・・ 実は半分は、10年以上使ったことのない食器だったりします^^; 姑は使途を考えずに次々と買う人でしたから。 お気に入りがすっかり無くなってしまったのはショックですが、今まで日の目を見なかった、日立市に住んでいた時に使っていた食器を引っ張り出してきました。 二階にしまっていたので、ほとんど割れずにすみました。 そんなには無いですが、コップがあったのはラッキーです。 いろんな食器がゴケさんになってしまいましたが、家族で使う分にはどうでもいいことです。 こうして少しずつ、物を減らしていくのです。 県では義援金を受け付けていますが・・・出せませんよ。 屋根の修理費、お墓の修理費、一体、いくら掛かるやら・・・TT TVはいいの、長男しか見てなかったから。 地震保険で少しまかなえるかと思ったら、100万以上の損害でなければ出ないそうで・・・ 殆どの家は対象外じゃん。 (瓦の修理費、ピンキリだけど100万はかからんのよ) げた箱も足が折れたから買い換えなきゃだし。 お寺さん、そんな訳で1軒10万の寄付(強制)なんて無理よ~! (と、誰もが言ってるよ)
2011.03.27
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こんにちは。 震災から2週間が過ぎました。 激動の2週間。 初めて自衛隊から配給が配られました。 画像は長男が頂いた物です。(米はおちびが貰いました) 先ほど私も行きましたが、野菜や米ではなく、ツナ缶やカップめん、麦チョコ、佃煮を貰いました。 真ん中は、ツナ缶が無かったそうで、アルフォートを貰ってきました。 長男、「何で俺だけお菓子貰えないんだよTT」と拗ねたので、麦チョコをあげました。 ちなみにおちびは、チョコ一袋、カップめん、白アンパン、米、佃煮でした。 時間により、違うんですね。 ここより困っている地域は他に沢山あるので、まさか来るとは思っていなかったと言うのが本音です。 いわき市の方が大変ですが、そちらには行かれているのでしょうか? スーパーにはある程度の物が売られていますが、先ほど行ったら、缶詰めや佃煮、ジュース類は何もなく、野菜だけがズラッと並んでいる状態です。 野菜を買う人は少なく、特に葉物野菜は敬遠されているようでした。(それでもレタス買ってきた私) 風評被害が広がらないことを願います。
2011.03.25
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こんばんは。 コメントへの返信はこちらからさせて頂きます。 支援物資の件、ありがとうございます。 津波が押し寄せ、休店していたカインズが営業再開しました。 お陰様で、トイレットペーパーやキッチンペーパー、歯ブラシ、ゴミ袋、ラップ等、無くなりそうだった物資が手に入りました。 スーパーも品数は少なく、牛乳は無し、午後に行けば棚は空(自分では見てないけど^^;)。 それでも何とか食べていけます。 水の放射能汚染、できるだけ室内退避、雨にあたらないこと、など、本当にここに居ていいのか、不安なこともありますが。 避難命令がでないことを祈りつつ、頑張るしかないです。 なので、物資は大丈夫です。 皆様の暖かい心を頂いただけで十分です。 どうもありがとうございました。 今日はまたガソリン給油のために並びました。 私の車もやっと安心して走れるだけのガソリンを入れられました。 ランプ付いてて、ヒヤヒヤだったんです。(ガス欠、3度経験の私^^;) 旦那を駅に送った足でどれだけ並んでいるか確認に行きましたが、朝6時で100台以上並んでいました!! 私にはそんな気力も根性もないですよ。 12時過ぎに並べば、30分で入れられるのに・・・(私がそうだったのよ) 並んでいて、何故か小型旅客機らしきものがクルクルと旋回していくのが気になりました。 昨日も見たし。 まさか、津波被害を受けた場所を見に来てる? そう見えるような飛び方なんです。 あの飛行機は何なのでしょう? 画像は、スタンドから帰る道なのですが。 行きは気付きませんでした。 帰りに見たら、あらまあ、崖崩れしてました。 フェンスがなければ、道を塞いでいたでしょう。 分かりづらいでしょうが、パンパンに詰まっているんですよ。 他にも数カ所あったので、地震で崩れたのでしょう。 これ以上、大きな余震が起こらないことを願います。
2011.03.24
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こんばんは。 咲いているのに、じっくり見る余裕がなかったので撮ってみました。 放射能を含んだ雨にあたっていますが、ここに住む以上、しかたないと思っています。 うーん、今後の配布は気にされる方出てくるんだろうな~。 震災後、水やりができなかったため、鉢物、ポット物はことごとく☆になってしまいましたTT 水鉢からちょっとずつ水やりした雪割草は何とか無事ですが、大文字草と梅花オウレンは残念ながら、葉が茶色くカリカリになってしまいました。 置き場所も違うし、大事な方に重きをおいたので仕方ありません。 ポット物は今から蒔き直しします。 球根は早めの休眠と考えれば大丈夫でしょう。 物より人が大事ですから。 本日午後、待ちに待った水が出ました! 一昨日の給水の時、「どこで漏水しているか分からないから、あと2~3日はかかる」と言われたので、24日以降と思っていました。 1日早まってラッキーです。 ってか、17日には「21日には」と言われたので、2日遅かったとも言いますね。 けど、まだ電気やガスも復旧していない所もあるんですから、出ただけありがたいです。 雨の中、作業してくれた工事関係者さん、どうもありがとう。 そして、ガソリンも満タンに入れられました! 私のじゃなく、旦那のムーヴにですが。 朝早くに友達から「某スタンドにタンクローリー来たから、確実に入れられるよ!」と電話をもらい、2時間並んで入れました。 これで長男の薬を買いに行ける! おちびも歯医者に行ける!(いよいよ開窓します) 旦那は、会社が用意したバスを利用することにしました。 運良く最寄り駅から出るので、そこまで送っていくだけでいいから楽です。 旦那は大変ですが、残業無しなので帰りは今までより2時間くらい早いです。 どうせ給料変わらないからいいのです。 常磐線がガタガタなので、直行バスはありがたいです。 いつになったら復旧できるのでしょう? 南からなので、こちらまで直すには数ヶ月(年単位かも?)かかるでしょうか? ガソリンを入れに行く途中、津波被害を受けた場所を通ります。 TVで観るより凄まじいです。 津波をかぶった車は、一カ所にまとめられ、瓦礫とかした家電や家具はまた別の所に山のように集められていました。 長男の友達の家にはトラック二台が突っ込んでいたそうです。(それを満面の笑みで語っていたとか) 物心ついた頃には海のそばに住んでいましたが、まだ夢の中の出来事のようです。 いい加減、食器棚を片付けなくてはなりません。 気に入っていたコップは全部割れました。 ホタルの器も割れました。 子供たちが遠足で作ってきたコップも全部割れました。 要らない食器ばかり残りました・・・ すっきりしたと思うほかありません。 物については、割り切るのも大丈夫ですね。
2011.03.23
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こんばんは。 今日は朝から雨のため、学校のお手伝いは休ませてもらいました。 きっと先生だけで切り盛りしていたことでしょう。 校長先生は「義理を感じて手伝わなくてもいいんだよ」と言いますが、性格上、手伝わずにはいられません。 義理も感じているのは確かですが、音楽室にいる津波に襲われながらも助かったおばあちゃんや、やっとの思いで給水場所にたどり着くおじいちゃんが気になって仕方ありません。 先生たちの負担が増えることも気になってしまいます。 学校避難所を閉鎖し、公民館と合併できれば先生たちの負担はぐっと減るでしょう。 けれど、先生たちは津波で家を失って避難してきた方々に、「学校が始まるからここを出て」とは言えません。 市からは雇用促進住宅への入居斡旋もありますが、みなさん住み慣れた土地を離れるのは嫌だど言っているようです。 どちらの気持ちも分かりますが、気持ちを切り替え、雇用促進住宅へ入居し、これからの復興を考えた方が良いと思うのは、我が家が無事だったから言えること・・・なのでしょうか? 難しいですね。 明日から子供たちが午前中だけ登校なので、後ろからついていって、学校の様子をみてこようと思います。 ついていくのは、通学路には瓦礫があるので危ないからです。 雨だったら、放射線を気にして休む子もいるでしょう。 (友人からはそういうメールがありました) 見えない恐怖、子供たちのことを考えると不安です。 いつ避難命令がでてもいいよう、前回避難した荷物はそのままになっています。 画像が横向きですが。 津波の後、海にはこういう物も漂っていたようです。 地元漁港の方が拾い上げ、差し入れてくれました。 2日前に暖めて配ったのですが、道に空き缶が捨てられていて悲しくなりました。 津波に襲われた家々から流出したものであることは明らかですが、申し訳ないと思いつつ、嗜好品である飲み物が何もないため、ありがたく頂いてしまいました。 家が有ることに感謝し、一日も早い復興を祈ります。
2011.03.21
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こんばんは。 今日も朝から炊き出ししてきました。 夜はまたうどんだったりします^^; 余ったら持ち帰ろうと、お鍋持参だったのに余りませんでした。 明日は雨の予報なので、お休みしようかと思います。 放射能のために雨にあたらないよう、言われていますから。 さて、先日、市の計らいで避難所にいる人だけ、某温泉に連れていってもらいました。 今日からは一般にも無料開放ですが、残念ながら、ガソリンがなくて行くことができませんTT 旦那は火曜日にどうしても出勤しなくてはならないのですが、やはりガソリンがなく、隣町在住の同僚から農機具用に備蓄してあるガソリンを分けてもらい、一緒に出勤するそうです。 何故、同僚の車ではないのか? 同僚はエスティマなので、旦那の車のが燃費が良いからだそうです。 水曜日以降はしりません。 同僚もガソリン空っぽだそうですから。 そうそう、お風呂。 やっぱり入りたいとの声を聞き、作りましたよ。 おちびならここまでつかれるのね。 窮屈そうなので、この後タライに変更しました。 ファンヒーターつけても寒かったですが、さっぱりしました。 早く本当のお風呂に入りたいです。 水道はまだ時間がかかるようです。 市内で最後でしょう。 浴室暖房をつけてみてビックリ! 地震で壊れたらしく(給油パイプの破損らしい)、使えませんTT トホホです。 いつになるか分からないけれど、原発が落ち着いたら修理依頼しましょ。 今日は米が買えました\(^o^)/ 並んだのかな? 旦那が買ってきてくれました。 10日ぶりに炊き立てご飯が食べられます。 米研ぎに水使うのはもったいないですが、仕方ありません。 トイレに使いましょう。 水は貴重なので、究極の節水をしています。 それはまた後ほど。 今一番欲しいもの。 ガソリン!!
2011.03.19
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こんばんは。 震災から1週間が過ぎました。 可哀想なおちび、また今年も誕生日を忘れられてしまいました。 本人も忘れていたし。 まぁ、バタバタしていてそれどころではなかったけどね^^; ごめんね、おちび。 復興したらケーキ買ったげるからね。 本日、避難勧告解除になりました。 なんの避難勧告が出ていたんでしょうか? 昨夜の炊き出しはうどん、今朝もうどん(校長先生、味噌汁って言ってたのに自らうどん投入)、昼は味噌煮込みうどん。 どんだけうどんが続くのか? 夜はキノコ汁。 3食で終わりました。 お年寄りにはうどんが大人気。 良かったです。 明日の朝は何でしょう? ちなみに、家庭科室で作ってます。 楽しみにしてくれているおばあちゃん、おじいちゃんがいるので、ご近所さんたちや先生たちと、頑張ってます。 だから・・・早く水道、復旧して~
2011.03.18
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こんばんは。 震災からあっと言う間に一週間。 皆様からご心配の声、エール、物資の提供のお申し出などを頂き、大変ありがたく思っております。 物資については残念ながら、欲しくても輸送経路の断絶に近い状態で、受付停止中なのだそうです。 お気持ちだけ頂きました。 どうもありがとうございました。 画像は飛び出したマンホールです。 近道が使えなくなりました。 で、ついに帰宅しました\(^o^)/ 夜8時頃に。 予定では炊き出し終わってすぐ帰るはずが、せっかくの炊き出しをぶちまけてくれた89○風母ちゃんとのトラブルで、事情聴取を受けて遅くなってしまいました(>_<) どうやら有名な方だそうで、先生方もマークしていたそうです。 校長先生には「最後の日に嫌な思いさせちゃってごめんね」と言われ、かえって申し訳ないです。 あ、私、一部始終を見ていた第三者ですから。 子供たちの顔を覚えられたら何をされるか分からないので、校長室に避難しちゃってました。 89○は怖いです(ご主人、普通じゃない)。 みんな、「学校に火付けられなきゃいいけど」と心配しています。 校長先生曰く、「明日はケロッとしてまたくるからね」だそうです。 嫌だなぁ(;_;) さてさて、放射能。 どうなんでしょうね? JCOの臨界事故の時よりは穏やかに聞いていられますが・・・(情報の錯綜があったの) 放射線量が時折、かなり高くなるのが気になります。 屋内待機とは言われていますが、んなもん、無理です。 明日も歩きます。 ガソリンないもん。 米もないし。 まぁ、学校でおこぼれ貰うからいいけど。 炊き出しってありがたいんでしょうね。 おばあさんがこっそり和菓子をくださいました。 物のない今、とてもありがたかったです。 明日も頑張ろう! そうそう、今日になって、初めて「救援物資」が届きました! 学校では一人1つできっちり配りましたが、公民館では際限なく一人でしこたま持っていく人が多く、あっと言う間に消えたそうです。 そこで貰えなかった人が押し寄せ、「あっちではいくらでもくれたのに!」と怒る人も多く見られました。 あっちとこっちでは違いますから。 こんな時だからこそ、分けあいたいですね。 余った分は、鍵のかかる某教室に隠してきました。 明日配ります。 で、先生方との会話の中、救援の手が延びていないのは、私たちの地区だと判明しました。 そうだったのね~!って感じです。 知らなきゃ知らないで、どってことなかったわ。 なきゃないなりに、どうにかなっちゃいます! 宮城や南相馬の方がはるかに大変だし!! 復旧にどれだけ掛かるんでしょうね。 頑張りましょう!! PS.津波被害にあった友人が多いので、撤回されたとしても石原都知事の「津波で我欲を洗い流せ」発言は許せません。 さっさと辞めてください! いっそのこと、ご自身で同じ体験をしてください。 絶対、「さっさと支援しろ!」と怒るでしょうね。
2011.03.17
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こんばんは。 学校敷地内に亀裂がありました。(写真の場所以外にも) 二宮金次郎くんももげて転がってます。 本日午前、電気が復旧しました。 夜でも明るいって、良いですね。 が、ここで思わぬ本性が露わになる方が・・・ 校長先生から「9時消灯」と言われ、いざ電気を消したら、「何かあったら逃げられないから、廊下と階段とワークスぺースの端の電気は消すな!」と。 んな煌々と点けてどうすんじゃい! と、階段以外を消し、廊下側のカーテンを少し開ければ、「せっかく暖めたのに寒くなっちまう!!」と大激怒。 カーテンを閉め、私と奥様が「じゃあ蝋燭つけます!今までもそうだったんだから良いでしょう!」と言いましたが、「蝋燭なんざ数時間で消えっちまうんだ!!」とプチギレ状態。 あのね、結婚式のキャンドルサービスの蝋燭って、そんな短時間じゃ消えませんから! 今までも使ってたのに何をおっしゃるやら。 しらんぷりして押し切っちゃいました。 そしたら奥様に「窓のカーテン開けろ!そうすりゃ少しは明るいだろう!」と、2カ所開けさせ、しばらく小言を言っていましたが、すぐに高鼾です。 (今、結構大きめで長い余震がありましたが、いびきかいて爆睡してますよ) 窓のカーテン開けるなら、廊下のカーテンでいいじゃん・・・ーー; その方が明るいじゃん。 お姑さんも激しい方だけど、旦那さんもだったのね。 奥様大変だわ。 と、小3のおちびまで申しておりました。 電気のない数日を体験して、ありがたみを感じました。 電力不足と言われているんだから、少しでも節電したいと思っています。 ここに避難している奥様たちはみんな同じ考えです。 が、男の人は違うんですね。 まさに、喉元過ぎれば熱さを忘れるようです。 子供でも学習してるんですけどね。 校長先生も、「そういう方がいるんじゃないかと思ってましたよ~」と、ため息。 問題ある方も多いので、先生たちも大変です。 校内禁煙と、何度も注意してるのに図工室で煙草を吸うおっさん、教室を荒らす中高生、校庭角に吸い殻捨てる人、体育館裏や校庭角や倉庫前やトイレ脇で、うん○を放置する人、etc。 掃除して回って、めまいを覚えました。 もう1つの避難所では、善意で差し入れられたイカ飯を「こんな消化の悪いもん食えねえ!」と言ったおやじがいるとか。 こっちに持ってきてくれれば、みんな喜んで食べるのに! 一袋いくらすると思ってるんだ! 試合にぶつかって、朝市行けないからもう何ヶ月も食べてないのに~!! 炊き出し準備中に先生たちがぼやきました。 「車の中にいる人は、配る時だけ来て、何にも手伝ってはくれない。ただ貰えるのが当たり前みたい」と嘆いていました。 私はお世話になっている身なので、できることは何でも手伝うし、勝手に校庭や校舎内の掃除もしちゃいます。 教室も片付けたいけど、いたずらされたために施錠されていて何もできません。 校長先生に鍵を借りようとしたら、「どうせ18日(実質21日)まで休みだからいいよ。れんげさんはボランティアでいろいろ手伝ってくれてるんだから、それだけで充分」と言われました。 え?私、ボランティアなの?? ただの手伝いであり、そんなつもりはないのですが・・・ けど、考えてしまいます。 本来、炊き出しや避難所の管理って、学校の先生の仕事じゃないですよね。 避難してきた人たちで協力してやるものですよね。(それも違う?) いくら学校とはいえ、先生だって家の片付けがあるのにそっちのけで、何日も泊まりこんで可哀想になってしまいます。 校長先生、今月いっぱいで定年なのに・・・ もう1つの避難所はみんなで協力して運営(ていうの?)しているらしい話を聞きます。 先生たちの負担を減らすためにも、そろそろここを出て、通いで手伝おうかと思っています。 音楽室の中には、津波で家を失った方もいますが、もう1つの避難所に統合させてもらえればと言う声も上がっています。 ただ、事情が事情なだけに、学校の避難所は閉めますとは言いづらいようです。 そして、こんな時にやはり出てます。 火事場泥棒。(震災だけど) 中学校の先生は、交通整理をしている間に、車を盗まれました! 隣町では、津波被害を受けた家が荒らされているそうです。 何を考えているのやら。 さて、福島原発。 大変です。 どうしましょ?(実は他人事) ガソリンないから移動の仕様がないですけど。 この辺りは通常の110倍で、とりあえずはレントゲンより弱いらしいですけど。 みなさん、マスクで予防って言ってますが。 たかだか紙1枚。 完全に通過しますわよ。 雨にあたらないよう通達があったので、それだけ守ります。 あ、そうそう。 市内で支援の手が届かない場所、分かりません。 もしやと思った山間地区。(かなり山奥) 友人にメールすると、「東北電力なので、当日からTV観られたし、井戸水だから心配ないし、ガスもOK。食にも事欠かないよ」と返信がありました。 各避難所には、市役所職員が常時2名泊まり込んでいるし、市で24時間ご飯を炊きっぱなしで、おにぎりを作って配っています。 唯一考えられるのは、避難所に行かず、自宅に居る場合です。 連絡事項は消防団や役所の車が回ったり、避難所に張り出されますが、車の放送を聞き逃すと炊き出しや配給、給水車のくる時間が分からず、結果、何も手にできなくなってしまします。 どうしても、個より団にいってしまうんでしょうね。 やはり、大きな災害の時は避難所に行くのが最良でしょう。 孤立することないですから。
2011.03.15
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皆さまご心配お掛けしております。 最初は呆然、今は全て吹っ切れ、ついでに家財(ガラクタ)を半分に減らそうと話し合っています。 なんかね~、夢のような気分なんですよね~ 子供たちも、もう2度とないであろう避難生活を楽しんでいるようです。 ただ、お風呂と着替えが・・・辛いです。 電気も水もないんですもの。 ガソリンもなくて、全て徒歩で、健康的ですよ。 携帯も、12日の午後から圏外になってしまい、今日の夜になってやっと繋がるようになりました。 停電の影響なのかな? 今日は校長先生に呼び止められ、炊き出しの手伝いをしてました。 初炊き出しです。 今朝まではおにぎりとさつまあげや佃煮だけだったので、久しぶりの野菜を食べられました。 なんでも、某旅館からの差し入れだったそうです。 営業出来ないので、腐らせるくらいなら役立ててと言われたとか。 ありがたくいただきましたよ、アンコウのどぶ汁。 手がアンコウ臭いです。 明日の朝は闇鍋風味噌汁です。 電気が復旧したら帰ろうかとも思いますが、このまま学校にいて手伝いしてる方が気が紛れるなって思います。 我が家じゃいですが・・・ 横向き画像でごめんなさい。 津波の直撃をうけ、一階部分が消失しています。 防波堤の高さが結構あるので、6mくらいの津波だったのかな?と思われます。 昨日、フジテレビが来ていたので、もしかしたらTVで流れたかも? 友人の家も何件が被害にあいました。 この後ろの家々も壊滅的で、潰れていたり、車がつっこんでいたりします。 近くで桟橋の立て替え工事をしていましたが、機材や車、家財が散乱していました。 こうなっても、まだここに住もうと言う方もいるらしく・・・ 怖いです。 また、国の重要文化財に指定されていた「六角堂」も、津波で跡形もなく消えてしまいました。 観光名所が1つなくなってしまいました・・・ しまねこさんから、「支援の手が届かず」とのコメントを頂きましたが、どこをとって支援なのか、線引きができません。 当日の深夜に初のおにぎりが配られ、翌朝と夜にもおにぎりが配られ、まぁ、朝晩は食うに困らぬ状態でした。 今も朝晩はおにぎりが配られています。 私たちが避難しているワークスぺースにいる方々は、自分も被災者なのに、学校に詰めっきりの先生や市役所職員さんたちに感謝していますし、宮城県や福島県北部の方が被害が大きく、こちらに手が回らないのは仕方がないと考えています。 諦めとは違います。 たとえ被災者であっても、みんなで協力すれば何とかなると考えています。 だって、被害の程度の違いはあれど、状況はみんな同じなんですもの。 と言うわけで、自宅にあった食料を小さい子優先で分けあってます。 一昨日はたまたま地震前に買ってあったイチゴを年少さんにあげたら、目をキラキラさせていました。 嬉しそうな顔を見るのも、楽しいですよ。 トイレ用の水くみ(プールの水)を手伝ったり、子供たちにも良い勉強の場になってると思います。 まぁ、声かけると消える中学生もいますけど。 とりあえず、みんな元気です!
2011.03.14
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皆さま、情報ありがとうございます。 家の中はメチャクチャで、夜中だったら長男は棚の下敷き、私とおちびはタンスの上にのっていた諸々の荷物(かなり重いもの)の下敷きになっていたと思います。 小学校への避難経路もメチャクチャで、家の壁が崩落していたり、屋根瓦が落ちていたり、塀が崩れていたり、道路に亀裂が入っていたり、マンホールが1m近く持ち上がっていたりしています。 津波も大変な被害で、親類宅も巻き込まれました。 行方不明者もでていますし、亡くなった方もいます。 友達は、「津波に追いかけられながら逃げてきた!」と興奮していました。 今まで体験したことのない揺れで、最初はTVが倒れないように押さえていましたが、二階から聞こえる物が落ちる音にビビり、外に飛び出しました。 前庭に出たものの、お向かいの塀は倒れ、隣の瓦は落ち、立っていられずに道路にしゃがみ込んでしましました。 やはり飛び出してきた近所のおばさんと手を握りながら、余震の恐怖を味わいました。 小学校では、恐怖で泣き出す子が多く、避難してきた母たちでなだめ、お迎えのきた子から帰宅していきました。 中学校では、津波が坂下まできたらしく、18時過ぎまで迎えがあっても帰れない状態でした。 ちなみに現在、校舎二階のワークスぺースに、3家族+おじさんの14人で避難しています。 何故に体育館ではないのか・・・ それは、天井がズレ、ライトが落ちていて校舎より危ないからです。 では、何故避難民が少ないか・・・ 音楽室、保健室、理科室、昇降口、及び、校庭の自家用車の中に分散しているからです。 多分、今夜一晩であろうけれど、情報もなく(県外と県南部のことしか言ってくれない)、電気もなく、ヒヤヒヤです。 学校の耐震性を信じるしかないです。 阪神大震災や新潟地震を人事のように「大変だねぇ」と言っていましたが、まさか我が身にふりかかるとは。 子供たち、トラウマにならなければよいけど・・・ 災害で毛布配られたりしますが・・・ありません。 ありったけの毛布と寝袋を持って避難してきたけど、寒いです。 みんな、こんな思いしてたのね。 地震って怖い。 改めて痛感しました。
2011.03.11
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停電につき、情報無し。 震度もなにもわからず。 誰か教えて。
2011.03.11
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