今を大切に笑って生きる事。

今を大切に笑って生きる事。

Sep 9, 2006
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カテゴリ: 子宮ガン

昨年のこの日、ついに手術の日がやってきました。

全摘( 広汎子宮全摘術 )・温存( 子宮頚部摘出術
2つの選択肢、そして卵巣を温存・摘出にも悩んできた私ですが、
結局、私の選んだ道は全摘(骨盤リンパ節郭清・卵巣温存)

円錐切除 から約1ヶ月。
長い長い道のりでした

朝、看護師さんが検温。
その後、浣腸をしにやって来る・・・
(コレがまた辛かった号泣

「しばらくガマンして下さい。」
ってそんなの 無理 です

出し切れたのかどうかは定かではありませんが
どうにか出すモノ出して(汚い話でゴメンナサイ)
まだ、未だにコレから手術を受けるコトが夢ではないか
ナドと思いながら、ベッドの上でボーッとしていました。

やがて、彼が来てくれ、少し安心

両親はマダ来ず
(ちょっと!娘がコレから大掛かりな手術受けるって言うのに
何してんの

看護師さんが何度か、ご両親は?と来られる。

どうやら、注射をするらしいです。
(この注射で、意識がモウロウとしてソコから記憶ナシ)

でも、とりあえず両親が来るまで待って下さるとのコト。

し・か・し。

いつまで待っても、来ない両親

もう手術の時間が迫っていました。
シビレを切らしたであろう看護師さんが、彼に退室を申し出る。

一人ポツンと残された私のオシリに筋肉注射
(オシリに注射って、けっこうイタイのね号泣

でも、私はこの注射のオカゲで、
硬膜外麻酔の痛み(背中から麻酔の管を刺すそうですが
コレがまたたまらない痛みだそうです)を経験せずに済みました。

刺された時には、もう私の意識はありませんでしたから。

ソコへ、やっと両親到着。
「何しとんよ~怒ってる」と怒ったのと、
彼のハカライで、彼の親友の奥さんから頂いた電話も受けたのは
(その奥さんとは、私も仲良くさせて頂いているので)
覚えていますが、後は全く記憶ナシ

その電話は「今日手術じゃろ?頑張って」というモノでした。
とても嬉しかった。

「頑張って」という言葉は、時に残酷な言葉かもしれない。
同じような病気をされた方の中には、「頑張って」という言葉が
辛かった方もいらっしゃるそうですが、
私は、本当に嬉しかった。

どうやら、彼が「アイツが喜ぶと思うから」と
電話してもらうように頼んでくれていたそうです。

その彼の心遣いも、涙が出るホド嬉しかった。
(て言うか、出たケド。)

コレも後で聞いた話ですが、祖母が和歌山へわざわざ
婦人病の神様のトコロへ行ってくれ、買って来てくれた
お守りがあります。
ソレを、手術室へ持って行く!とゴネタらしい私
(そんなん記憶ナイもん。知らん大笑い

当然のゴトク、却下され手術室へ向かったそうな・・・。

手術の時間は、確か8時間弱?(だったハズ)

気付いた時には、全てが終っていました。

手術後、リカバリー室というトコロで一晩過ごします。

麻酔から覚め、たまらなく心細くて、
傷が痛くて、泣きながら「彼に会いたい」とまたゴネル

麻酔は、以前の 甲状腺の手術 と同じ気管へ管を入れての
全身麻酔+硬膜外麻酔(下半身の麻酔になります)

気管へ管を入れていた為、声が思うように出ない。
痰もカラム

ようやく来てくれた彼と両親の顔も、ボヤけて見えない。

でも、ちゃんと覚えている。
(甲状腺の時は、記憶マバラ・・・。)

私の左側に3人立っていて、枕モトに母・その隣が父・
そして彼が居た。

手を差し出すと、母も彼も強く握ってくれた。
(アレ?父ちゃんは・・・

もう終ったんだ・・・。
もう子供、産めないんだ・・・。

声にならない声で、彼に「猫ちゃん、飼ってね。」
と言うと、彼は「分かった。」と優しい声で答えてくれたコトも
覚えてる。(彼は甲状腺同様、私が覚えてないだろうと油断したハズ

ちゃんと覚えてるゾ~~~大笑い

その晩、硬膜外麻酔が効いているのか、足が(特に右足)
動かせない(感覚が全くナイ。)
でも、動かしていないと床ズレになってしまいそうでコワイ

体温もかなり下がっているのか、タマラナク寒い

湯たんぽを沢山つめてもらいました。

全身麻酔の方は、完全に醒めてしまったのか、
眠れない。ウトウトしたと思ったらフト目が覚める。
(多分、チョコチョコと見回りにも来られるから余計・・・

病室に戻りたい・・・
意識はもうシッカリしているので、リカバリー室が
苦痛だったコトを覚えています。

手術の結果は、手術の説明を聞きに言ってくれた、両親と彼の話では
リンパが腫れていて、腹水が溜まっていたそう

何ソレ・・・。

リンパが腫れてるって、リンパ節転移?

でも、そういうワケでもなさそう。

輸血もせずに済んだそうです。
(じゃぁ、あの 辛かった貯血 は何だったの~~~号泣

安藤先生が、自信満々の顔で大丈夫だと言って下さっていたそう。

あの安藤先生が、大丈夫と言って下さるのなら、
もう私は大丈夫

この日のコトは、簡単に フリーページ にも書いています。
その後のコトや、後遺症については、
また当時の日記ナドをモトに追い追い書いていきます

昨日の日記へ、コメント沢山ありがとうございました。
ぽっ

まだまだ道のりは長いケド、
こうして、また来年も、再来年も笑って過ごせたらいいな。
と思っています







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最終更新日  Sep 10, 2006 12:21:21 AM
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