仕事のこと 0
母の備忘録 0
全31件 (31件中 1-31件目)
1
昨日アップのジュネーブ着で、旅は終わりです。 全行程の走行経過とその地図です。私は、完走後の2001年12月に日本に帰任しました。ぎりぎりのタイミングで何とかスイス横断を達成できました。第1日:2000年8年17日 アンデルマット~ウルリッヘン 42km第2日:2000年8月18日 アンデルマット~イランツ 63km第3日:2000年8月19日 イランツ~ティーフェンカステル 45km第4日:2000年9月9日 ティーフェンカステル~ツェルネッツ 68km第5日:2000年9月16日 ツェルネッツ~マルティナ 63km第6日:2001年5月13日 マイリンゲン~シュピーツ 55km第7日:2001年8月18日 グレッチェ~マイリンゲン 63km第8日:2001年8月26日 シュピーツ~レンク 47km第9日:2001年9月9日 ツヴァイジンメン~エルグ 57km第10日:2001年10月13日 エルグ~ジュネーブ 98km合計 601km その後、2013年、私の早期退職を機に、前の会社の自転車好きの仲間と、「スイスを走ろう!」と盛り上がったのですが、私が早々と再就職し、おまけに癌を患ったため立ち消えになってしまいました。 今回、透析を当面回避できる粒子線治療を選択し、今の会社も退職するので、治療がうまくいけば実現できるかもしれません。それを励みに治療をがんばりたいと思います。そして実現したら、またここにアップしたいと思います。 約1ヵ月にわたってお読みいただきありがとうございました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/25
コメント(0)
【第10日(2001年10月13日)エグル~ジュネーブ】距離98km 最大標高差 0m この区間も旧ホーム・ページで「工事中」になっていて記録がありません。おまけに写真もありません。いつか誤って消してしまったようです。 確か第9日の最終地エグルまで、車でチャリを運んだと思います。そこから、レマン湖北岸をジュネーブに向かいました。湖岸に沿って進むので、アップダウンはほとんどありません。今までで一番フラットです。でも最長の約100km。 途中には、皆さんよくご存知のモントルーとかローザンヌといった町があります。モントルーの南には、レマン湖に浮かぶようにして立つ古城、シノン城があります。途中のブベーという町にはネスレの本社があり、その横を通りました。また、対岸のフランス側には、飲料水で有名な、エビアン・レ・バンがあります。レマン湖北岸は気候が温暖なためか、ワイン畑が広がっていました。モントルーの湖岸の賑わう散歩道で、ハンバーガーか何かそんな昼食をとったかすかな記憶があります。 さすがに、100kmの長丁場で、季節も10月になっていたので、ジュネーブに着く頃には暗くなっていました。本当は、もう少し足を伸ばして、国境まで行きたかったのですが、無理をせず、ジュネーブ駅で最終地としました。 これで、スイスを一つなぎで横断したことになります。自転車を列車の最後尾に乗せ、私は客車に座って、レマン湖対岸の町の明りを見て、旅の余韻にひたっていました。ドイツに赴任した当初、こんな冒険ができるとは予想だにしていませんでしたが、それが、こうやって実現できました。ドイツに7年間も赴任させてもらったこと、色々ガタはきていますが、健康な体であったこと、最低限土日は休みをとれる環境であったこと、そしていっしょに走ってくれた自転車、色んなことに感謝です。このスイスの10日間は、私の一生の宝物です。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/24
コメント(0)
第9日(2001年9月9日・ツヴァイジメン~エグル)の3 前にも書いたように、ツヴァイジンメンからエグル間は、開設していたホームページでは「工事中」となっていて、文章が残っていませんし、記憶があいまいです。 レマン湖方向に山を登る途中の町の様子の写真です。一つは古城の写真。どこのなんという名前かは記録がなくよく分かりません。もう一つの写真は、これもどの町か忘れましたが、何かお祭のようで、若い娘さんたちが、昔の衣裳を着て馬に乗っていました。珍しい光景に出くわしました。自転車や歩きの旅のいいところの一つは、何か発見したら、すぐ止まって、じっくり見たり、写真をとったりすることができることです。 あと憶えていることは、エグルへのダウンヒルが長距離で、ヘアピンも多く、スリルに富んだダウンヒルで、時間も遅くなっていたことから、一気に駆けおりたことです。とても爽快だったことを憶えています。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/23
コメント(0)
【第9日(2001年9月9日・ツヴァイジメン~エグル)の2】 第9日の2と言っても、第9日の1に載せられなかった本文です。ルート地図も掲載します。 以前開設していたホームページでも「工事中」だった部分です。もう10年以上も前のことで、細かいことは覚えていませんので簡単に。 この日は、この前道を間違えて南下してしまったツヴァイジンメンからのスタートです。第8日で道を間違えた現場にも行ってみました。ツヴァイジンメンの駅の近くに2つロータリーがあり、本来曲がらないといけないロータリーの手前のもう一つのロータリーで曲がってしまったようです。 レマン湖に向かって走ります。こちら側からは、それほど急な坂道ではありませんが、だらだらと結構きつい坂道が続いていたような記憶があります。 一昨日の日記に載せた写真のように、のどかなアルプスの風景が続きます。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/22
コメント(0)
第9日(2001年9月9日・ツヴァイジメン~エグル)の1距離57km 最大標高差1040m この部分、私の旧ホーム・ページでも「工事中」で文章がなく写真のみです。とりあえず写真のみ。後日、あるいは後刻、文章と地図をアップします。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/21
コメント(0)
【第8日(2001年8月26日・シュピーツ~レンク)の2】◆ツヴァイジンメンで遅い昼食 第9号ルート、ゼーン・ルートを西に向かい、ツヴァイジンメンに到着。メイン道路から脇道に入り、駅前で太陽を浴びながら、遅い昼食。うーん、やっぱ運動したあとの、ビール片手の腹ごしらえはこたえられないですねぇ。写真はそのレストランからの眺め。手前の時計台は駅舎です。 ◆ザーネンに向かう。ところが。。。 最終目的地ジュネーブに行くために、まず今日は、ザーネンを目指します。ツヴァイ・ジンメンを出て、ザーネンに向かう道に出て、一路西進です。ところが、途中にある標識の地名が、地図でなかなか見つかりません。おかしいなぁと思いながらも、正しい道を進んでいると信じて疑いませんでした。 道は平坦ですが、写真のように標高の高い険しい山がどんどん近づいてきます。登山服姿の人がたくさん集まっている駅に着いて駅名を見たら、「レンク」という駅名。掲載した地図にも書いてあるように、西に向かうところを南に向かっていました。しまったぁーーーー。ツヴァイ・ジンメンの別れ道で間違ったようです。 止む無く、レンクから電車に乗って車の置いてあるシュピーツに戻って、ドイツに帰りました。かなりのショックでしたが、これもご愛嬌。あと2日で完走したいので、1日の走行距離を長くしないといけません。何とかなるでしょう。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/20
コメント(0)
【第8日(2001年8月26日)シュピーツ~レンク】距離47km 最大標高差440m トゥーン湖畔の町シュピーツから西に向かって出発です。シュピーツは前回は夕方到着で黄昏時でしたが、今回は朝だったので、また違った表情を見せていました(写真)。 西に向かって、ツヴァイジンメンを経由ザーネンかシャトー・デーまで行って、残り2日で横断完遂を企てました。緩い登りですが、きわめて快調。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/19
コメント(0)
【第7日(2001年8月18日・グレッチェ~マイリンゲン)の2】 ◆緊急事態発生 バスがようやく、グリムゼル峠に着いた。第1日めに通ったグレッチェで降りる予定だ。グレッチェからマイリンゲンまで自転車で戻ると、分断されていた踏破済みルートが繋がるという具合だ。 このグリムゼル峠で10分間の休憩。しばらくしたら、お腹をこわしたのか、トイレに行きたくなった。うーん、目的地まで我慢できそうにない。そうだ、ここで降りてしまって、トイレ行って、後はダウンヒルでグレッチェまでなので、バスと変わらないスピードで、グレッチェまで行けるぞ。と、いいアイデアが浮かんで、運転手に頼んで自転車を下ろしてもらった。(写真は途中の山々)◆ グレッチェ~グリムゼル峠~マイリンゲン この部分は、別のブログで「工事中」のままとなっていました。もう10年以上も前のことなので、残念ながら詳しくは覚えていませんが、2日前の地図でグレッチェからグリムゼル峠に向かう道は、「つづら折れ」になっていることが分かると思いますが、かなりきつかったのではないかと想像がつきます。グリムゼル峠から、マイリンゲンは快適な下り。止まって写真をとると、連続ダウンヒルの醍醐味が薄れるので、一気に駆け下りた記憶があります。 写真は、1日目にチャレンジした、フルカ峠方向のパノラマです。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/18
コメント(0)
【第7日(2001年8月18日):グリムゼル峠~グレッチェ~マイリンゲン】 距離63km、最大標高差1570m 夏になり、残しておいたグリムゼル峠越えに挑戦。地図を見ていただいたら分かりますが、第1日と前回の第6日分が繋がることになります。 朝普通にに起きたら、あまりにも天気がいいので、急に思い立って出発。前回第6日の出発点マイリンゲンに着いたら、もうお昼。駅前でスパゲッティーを頬張って、バス待ち。乗ったバスは、後ろにも、自転車は載せることはできたけれども、スキーバスと同じように、客席の下にもトランクがあり、そこに載せてくれた。バスはあえぎあえぎ登っていく。崖が切り立っており、谷底がはるか下の方に見える。スリル満点。(写真は、途中見える山々)(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/17
コメント(0)
【第6日(2001年5月13日・マリリンゲン~シュピーツ)の4】◆シュピーツの町 今走っているのは、第9番ルートのゼーン(湖)・ルートです。その名のとおり、多くの湖を結んだルートです。インターラーケンをあとにして、今度はトゥーン湖の南岸を西に走ります。写真は目的地シュピーツの町です。あとで気がついたのですが、途中で間違って自動車専用道に入ってしまい、冷や汗ものでした。◆自転車はこうやって運びます シュピーツ駅から列車に乗り、インターラーケンで乗り換えて、車の停めてあるマイリンゲンまで戻りました。列車の中では、このように自転車をフックに引っ掛けて運びます。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/16
コメント(0)
【第6日(2001年5月13日・マイリンゲン~シュピーツ)の3】◆ブリエンツ湖 同じくブリエンツ湖の眺めです。東方向の眺望です。 湖岸ですので、アップダウンがそれほどなく、今日は楽チンです。 ◆インターラーケン インターラーケンは湖の間という意味です。ブリエンツ湖とトゥーン湖の間のリゾートの町です。とても華やいだ雰囲気の町で、ユングフラウ観光のベースにもなっています。 写真はヴィクトリア・ユングフラウという高級ホテルです。スイスに来ると、ここの日本食レストランでラーメンを食べます。この日も、そこで昼食をとったなぁ、確か。 それからインターラーケン・ヴェスト(西)駅近くのアイスクリーム屋さんでアイスを買って食べたのは妙に覚えています。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/15
コメント(0)
【第6日(2001年5月13日・マイリンゲン~シュピーツ)の2】 ◆スイスの滝 日本の滝は、山奥までいかないと、なかなか高い落差の滝を見ることはできない。だけどスイスは違う。氷河が削った底の平らな谷があり、崖が90度に切り立っている。その上がまた平らになっており、雪解け水が。ものすごい落差で落ちてくる。それが、谷底の平地から手にとるように見えるから迫力満点である。 ◆ブリエンツ。ブリエンツァー湖のパノラマ 山々に囲まれ、東西に分かれた2つの湖のうちの一つ、ブリエンツ湖のパノラマです。写真を繋ぎ合わせたパノラマ写真です。 サイクリングマップでは、対岸を走るようになっていたのですが、山の陰で、かつ田舎道できつそうだったので、のんびりと日を浴びながら走れる北岸を選択しました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ
2015/03/14
コメント(0)
【第6日(2001年5月13日):マイリンゲン~シュピーツ 距離55km、最大標高差61mの1】 年が改まっているのに、気がつかれたかどうか? もう日本に帰っているはず。ところがである、前回の2000年9月の第5日のあと、急に仕事が忙しくなり、帰任も延びてしまった。サイクリングどころではなくなり、仕事が一段落した翌年5月に、やっと再開可能となった。 帰任が延びたことで、夏場の峠越えが可能となったので、平坦な道を選ばずに、あえて峠越えコースに変更した。でも、5月はまだ峠越えは危険なので(まだ雪が降ったりする可能性がある)、夏においておいて、途中のマイリンゲンからブリエンツ湖岸、トゥーン湖岸を走る平坦なコースを選んだ。 マイリンゲンからブリエンツに向かうサイクリングロードは、写真のように、本当に気持ちのいい、サイクリング専用道です。いつも、こんな平和な道ならいいのになぁ。(続きます) よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/13
コメント(0)
【第5日(2000年9月16日ツェルネッツ~マルティナの2】 ◆鉄道がなく、チャリで後戻り 途中のシュクールからマルティナまでの18kmは鉄道がない。鉄道はシュクールで終点だ。バスが僅かにある。そう、スイスではバスにも自転車が載せられるのだ。後ろの車体外に、何台か引っ掛けられるようになっている。冬はもちろんスキー置きに早変わり。 でも、ちょうどいい時間がなくて、やむなく18kmをチャリで戻った。これが、結構きつかった。緩い登りで、向かい風。しかも、もと来た道を引き返す。これは肉体的にも、精神的にもこたえる。 写真は途中の古城跡。 ◆シュクールの町 後戻りしてシュクールの町(写真)、駅が町の最上部にあり、そこまでの登りが最後にこたえた。電車を待つ間、遅い昼食をとった。 シュクール駅から列車に乗って、ツェルネッツへ戻った。これでスイスの約半分を横断。 冬はすぐそこ。10月くらいまでしか、峠越えは無理だが、どうしても越えなければならない、フルカ峠、オーバーアルプ峠、アルブラ峠は踏破した。あとは平坦な道を選ぶことも可能。このままいけば、日本に帰任する2001年3月までには、何とか踏破できそうだ。 (続きます) にほんブログ村
2015/03/12
コメント(0)
【第5日(2000年9月16日)の1】第5日:ツェルネッツ~マルティナ マルティナ~シュクール 距離63km、最大標高差438m◆ツェルネッツからスタート 第4日の翌週土曜。この日のうちに、スイス最東端を目指す。車でスキーや会議で有名なダボスを通って、ツェルネッツへ。 こう何度もスイスに来ると、何かもう、自分の庭のような感じになってきた。 谷を下るだけなので、比較的、楽なコース。川の流れも穏やか。ただ、やはり、スイスでは9月になると肌寒い。天気もうす曇。◆最東端の町マルティナへ到着 ついにスイス最東端のオーストリア国境の町、マルティナに到着。写真にボーダーコントロールのゲートが見える。スイスはEU非加盟なので、いまだにボーダーコントロールがあり、パスポートチェック、免許証チェックがある。 2003年1月から欧州は統一通貨ユーロを導入したが、いまだにスイスはスイスフラン。物価の高い国である。反面、治安はすこぶるいい。でもチューリッヒなど大都会は要注意だけどね。でも、ローマやパリより格段に安全なのは間違いなし。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/11
コメント(0)
【第4日(2000年9月9日・ティーフェンカステル~ツェルネッツ)の4】◆ラプント~ツェルネッツ ラプントからしばらくは、写真のような田園風景の田舎道をのんびりと走る。しかし、途中から、サイクリング地図の指示通り、点線(未舗装)の道に入ったのがよくなかった。ゆったりとした谷間の道なので、未舗装でもきつくないと思ったのがよくなかった。日本の谷と違って、スイスの谷は、谷底が結構フラットになっていて、そこを、川がまた深くえぐっている、したがって、川沿いの田舎道は結構アップダウンが激しいのだ。ガタガタ道なので、サドルの後ろについていた、工具袋の取り付け紐が緩んで落ちてしまった。それに気が付いたのはツェルネッツの駅に着いてからだった。 ツェルネッツの駅からは、直通では、ティーフェンカステルには戻れない。途中サンモリッツまで10kmのところにあるBeverという駅で乗り換えて、ティーフェンカステルへ。列車での移動もだいぶ旅慣れてきた。 当然、ドイツのアパートに帰ったたら、バタンキュー。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/10
コメント(0)
【第4日(2000年9月9日・ティーフェンカステル~ツェルネッツ)の3】◆アルブラ峠 最初のフルカ峠同様、きつかった。フルカ峠は4度以上の登りは14kmだったが、こちらは21km。ティーフェンカステルからは1461mの登りだ。少し走っては休憩し、また走っては休憩の繰り返しだ。 すごいなぁ、と思うのは、こういうきびしい峠でも、家族でサイクリングに来ていたり、結構、老夫婦が楽しんでいたりする。自転車がレジャー、スポーツとして定着しているなぁと本当に感心させられる。 峠は2312m。フルカ峠の2431mより、やや低い。でも、登る距離が長かったので、やはり感動の峠越えであった。峠付近は標高が高く、草木がなく、荒涼とした雰囲気を漂わしていた。◆アルブラ峠~ラプントへ 峠から、一気にラプントまでダウンヒル。登りは汗をかくので、ヤッケを脱ぎ、下りは、運動量は少なく、風をまともに受け、汗で体が冷えるのを防ぐため、峠でヤッケをつけるのがコツだ。9km、標高差625mのダウンヒルだった。登りは時間がかかるが、下りはあっという間。でも、このダウンヒルの爽快感が私をサイクリングに駆り立てる。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/09
コメント(0)
【第4日(2000年9月9日・ティーフェンカステル~ツエルネッツ)の2】◆ペダルの無い自転車の一団 フィリスールの村から登っていると、前から、高校生くらいだろうか、自転車に乗った一団が降りてくる。よく見ると、ペダルもチェーンもない。無しでも、下りなので、動いているのだが。。。。どうやって、登ったのだろう。これは後で分かることになる。写真右は、プレダの村からの眺め◆ペダル無し自転車の謎が解けた 途中のプレダの村で、レストランのテラスにのんびりと腰をおろして、またまた青く輝く山々を肴にビールを飲みながらの昼食。運動した後のビールは、また格別。ここで、先ほどの謎が解けた。レストランの近くに小さな駅があり、そこに列車が到着。中から、先ほどのペダル、チェーン無しチャリを担いだ一団が降りてきた。そうか、列車で登って、下り坂を降りていくんだ。列車はスキーのリフトみたいなものなのだ。所変われば、スポーツも変わるますね。写真左は、これから登る、アルブラ峠での私。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/08
コメント(0)
【第4日(2000年9月9日)の1】第4日 ティーフェンカステル~ツェルネッツ 距離68km、最大標高差1461m◆第4日スタート 月が改まって、9月。仕事が始まると、土日しか無理。泊りがけで日曜日も走ると、老体の身、翌週にこたえるので、やはり土曜日日帰りとせざるを得ない。体調も天候も良い土曜日となると、やはりチャンスは少なくなってくる。 9月9日、朝5時ごろドイツの家を出て、9時頃、ティーフェンカステル着。ここから、東へ東へ繋いでいく。フィリスールから登りがきつくなる。 写真は途中のベルギュン村の公共井戸。アルプスの山あいの村の一こま。風情がある。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/07
コメント(0)
【第3日(2000年8月19日)イランツ~ティーフェンカステルの3】スイス・グランドキャニオン~トゥーシス~ティーフェンカステル 今走っているコースは、スイスの整備したサイクリングコース(1~9まである)のうちの第2番ライン・ルートである。ライン川の源流に沿って走っている。(ちなみに、1日めは、第1番ローヌ・ルート) 途中に、スイス・グランドキャニオンと呼ばれる切り立った渓谷を通った。絶景かな、絶景かなである。朝、車を停めた近くのボナドゥーツの町のレストランの中庭で、日光浴をしながらお昼ご飯。今日も天気よく、気持ちいーーーい。 ここから、第6番グラウビュンデン・ルートに入り、南下。左側の崖の上に、多くの古城が見える。トゥーシスから再び登り。トンネルを何度もくぐる。 途中には写真のような断崖絶壁も。 ティーフェンカステル駅に到着。もう少し足を伸ばせそうだったが、疲れきって、帰りに事故ルといけないので、ここで打ち止め。列車で朝車を停めたライヘンナウへ戻った。シュツットガルトに到着したのは、夜の11時頃だった。 2泊3日の第1弾が無事終了した。 この調子でいけば、日本に帰任する予定の2001年3月には、スイス横断ができそうだ。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/06
コメント(0)
【第3日(2000年8月19日)イランツ~ティーフェンカステルの2】 第2日の最終地点イーランツで列車を降りて、走り始める。 ライン河の南側を東に走る。昨日の地図にあるヴァレンダスの村には、昔からの木の井戸がある。雰囲気のある街である。 この井戸で一休みしていると、自転車の前輪、後輪に重そうに荷物をつけて、のろのろと走ってくる若者がある。よく見ると大学生くらいの日本人。向こうも気がついて、自転車を停めた。聞くと、自転車で世界中を回っているとのこと。 私の記憶が不確かだが、インドとか結構危険な国々も回ってきたらしい。今日は、オーストラリアから来たという。テントを積んで、チャリっていた頃の私を思い出した。こんなところで、日本人のサイクリストに会うとは思わなかった。お互いの安全と健闘を祈って分かれた。 写真は、このヴァレンダスの村の井戸と、道中にあった典型的なスイスの田舎風景。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/05
コメント(0)
【第3日(2000年8月19日)の1】第3日:イランツ~ティーフェンカステル 距離45km、最大標高差253m アンデルマットから車に自転車を積んで、昨日引き返したイーランツを通り過ぎて、ライヘナウ・タミンスという町まで行き、そこに車を置いて、電車でイーランツまで戻りました。 電車には、救命胴衣とヘルメットをつけた学生がたくさん乗ってきました。この沿線には、スイス・グランドキャニオンという断崖絶壁の綺麗な渓谷があるので、ラフティングをするようです。 今度は、イーランツからボナドゥウに自転車で戻ります。そこから、行けるところまで行って、電車でボナドゥウまで戻り、車でドイツに帰る予定です。今まで、順調に来ています。今日も、天気良好です。 地図の緑の線は、第3日のルートです。(続きます。)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/04
コメント(0)
【第2日(2000年8月18日)アンデルマット~イランツの6】◆ディサンティスからイランツ 案内板に従って、メインの道からはずれた田舎道を走った。舗装してないところが多く、非常に疲れた。サイクリング用の地図を見たら、点線で書いてあって、これは未舗装部分を示していることがわかった。以降は、点線の場合は走らないことにした。 イランツから列車に乗り、アンデルマットに戻って、2泊目。同じホテルに泊まった。写真はアンデルマットの駅と私の自転車。駅には、改札口はない、プラットホームから自転車に乗ったまま駅を出ることができる。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/03
コメント(0)
【第2日(2000年8月18日)アンデルマット~イランツ】◆サイクリング案内板 スイスはやはり山国。サイクリング専用道は少ない。一般道か農業用道路を走ることが多い。それでも、サイクリングコースが9つあり、このように、いたるところに案内板が立っている。しかし、この案内板に従っていくと、とんでもない、厳しい道だったりすることがあるこことが判った。交通量は多いが、やはりメインの道を走った方が、無難である。看板の中の"VELO"とは自転車のことである。よろしければぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/02
コメント(0)
【スイスサイクリング 第2日(2000年8月18日)アンデルマット~イランツの4】◆オーバーアルプ峠 標高2044mの峠。近くに澄み切った小さな湖をたたえる。やはり標高が高く、気温は夏でも低い。ウインドブレーカーが必要である。そうそう、これが私です。若い!!!! (すいません。今回、顔は非公開にさせていただきました。)◆ディセンティスまでダウンヒル オーバーアルプ峠からディセンティスまで、23km、900mをダウンヒル。道端に無人の自家製チーズ売り場がところどころにある。途中の町ゼンドゥルンのレストランで腹ごしらえ。道路に面したテラスで青く聳える(そびえる)アルプスの山々を眺めながらビールを片手にランチ。もう、たまらんですなぁ。写真は、ディセンティスの修道院。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/03/01
コメント(0)
【第2日(2000年8月18日)アンデルマット~イランツの3 】 写真は、オーバーアルプ峠に向かう途中で見つけたキリストの像。結構背の高い像で、切り立ったアルプスの山々を後ろにして、よりいっそう崇高さをかもし出しているように思えた。この辺、道は平らに見えたが、実は、緩い登りが延々と続いているので、そう見えなかっただけ。こういうのは体力を消耗するものである。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/02/28
コメント(0)
【第2日(2000年8月18日) アンデルマット~イランツ その2】 オーバーアルプ峠に向かう道は電車の線路と並行している。時々、電車もあえぎあえぎ登っていくのとすれ違う。勾配が急なので、ループ式トンネルも使われている。登っている途中、日本の妻から携帯に電話があった。「日本は暑いのに、避暑できていいわね!!」と嫌味を言われてしまった。この景色を家族にも見せてあげたい。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/02/27
コメント(0)
【第2日(2000年8月18日) アンデルマット~イランツ(63km、標高差1346m) その1】 第1目の夜、ホテルから出て、一人で夕食をとりに町に出かけた。少し暗くなりかけだが、空はまだほんのりと青く、ヨーデルの歌声がどこからともなく聞こえ、ほどよく騒がしく、何ともいえない、山の町の雰囲気がうれしい。スイス名物のオムレツのようなもの(名前忘れてしまった)を、ビール片手に味わった。こんな楽しみ方ができるのも、もう7年もヨーロッパにいるからだなぁとしみじみ思った。最初は、右側通行も怖かったのに。 あけて第2日。今日も天気が良さそうだ。東に向かう。すぐ急な登りで、眼下にアンデルマットの町が、ゆっくりと小さくなっていく。添付は、第2日のコース(西から東へ)と、アンデルマットの町の写真。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/02/26
コメント(0)
【第1日(2000年8月17日)アンデルマット~ウルリッヘン その3】◆ローヌ氷河 峠を少し降りたところにあるローヌ氷河に立ち寄る。氷の表面は白いが、裂け目から覗く氷は、本当にきれいなスカイブルーだ。いあやアイスブルーだ。どれくらい厚みがあるのだろうか。自然の驚異を感じる。先の方は、溶けた氷が轟音を発して、滝となって落ちていっている。◆フルカ峠~ウルリッヘン フルカ峠からオーバーヴァルドまでは、17km、標高差1063mの豪快なダウンヒル。疲れも、どこかに吹っ飛んでいく。振り返ると、写真のように今降り来た道が山肌にへばりついている。オーバーヴァルドからウルリッヘンまでは、谷沿いのゆるやかなルート。ウルリッヘンの駅で列車にチャリを載せ、アンデルマットに戻った。 欧州では、たいていの列車に自転車を載せることができる。スイスでは、最前か最後尾に自転車を載せる貨車がついている。僅かの料金で、分解することなく載せることができる。フックに前輪を引っ掛ける。車掌が上げ下ろしを手伝ってくれる。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/02/25
コメント(0)
【第1日(2000年8月17日)アンデルマット~ウルリッヘン その2】 フルカ峠に向かいます。◆アンデルマット~フルカ峠 レアルプまでの8kmは緩やか登り、ここから平均斜度6.9度のキツイ登りが13km続いた。途中から、小雨と向かい風で、ついに、もう少しで峠というところで、降りての押しが入ってしまった。 途中、牛たちが気持ちよさそうに草を食んでいる。まるで、あえぎあえぎ登っていく私を笑っているように。 ようやくフルカ峠に到着(写真左)。万年雪が残っている。◆フルカ峠からのダウンヒル 峠からは、一気のダウンヒル。道が九十九(つづら)折れに続いている。胸が高鳴る。(写真右) よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/02/24
コメント(0)
ドイツ駐在時に実行した「スイス自転車横断記」です。【スイスを自転車で横断することを思い立つ】 仕事の関係でドイツの南部に1995年5月から2001年末まで約7年間住んでいました。最初の5年は家族といっしょでした。子供の学校の関係で、家族が2000年7月に帰日し、単身赴任に。これをきっかけに、前から暖めていたチャリンコでのスイス横断にチャレンジすることに。 日本にいた時も、独身時代に一人または友人と、南/東/北北海道、渡島半島一周、東北北部、能登半島一周、琵琶湖一周、紀伊半島半周、四国半周など楽しんでいましたが、久しぶりの長距離サイクリングとなりました。中年サラリーマンとなると長期の休みを取るわけにもいかず、夏休みやウィークエンドを利用して、つなぎつなぎでの横断です。 2000年夏から2001年夏にかけてのチャリ記です。【第1日(2000年8月17日)アンデルマット~ウルリッヘン その1】 距離42km、最大標高差1085m 地図の青い線は第1日目のルートです。 まずは、夏休みを利用して2泊3日のサイクリングを計画。愛車アウディA6にチャリンコを背負い、朝早く家を出発。アウトバーンを飛ばしてスイス国境まで約1.5時間。スイスはEUに加盟していないので、パスポートコントロールがある。チューリッヒの町を突っ切って、アルピニストの基地アンデルマットへ。ツーリスト・オフィスで宿を予約。駅前のレストランに入ってパスタで腹ごしらえして、正午近くにいざ出発。 以前、日本に住む母と妹を、こちらでの旅行に招待したとき、マッタ―ホルンに連れていったのですが、そのとき車で通ったコースで、いつかこんなところを自転車で走れたたらいいなぁ、と思っていました。それが、ついに実現するときがきました。よろしければぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/02/23
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1