サクラコ175

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2007年12月16日
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<平成19年12月9日、サクラコ天使になって55日目>

前の週に50日祭を終え、忌明けとなった我が家。

忌明けに伴い、黒いリボンがはずされたサクラコの遺影は相変わらず笑っている。
納骨を延期したため、祭壇はそのまま、御霊をお祀りしていない御神徒壇は閉じられたまま。
ばあちゃんが庭に咲いた花を飾ったり、ありがたいことにお花を送ってくださる方がいて、祭壇は華やかだ。


無宗教だった我が家は、サクラコの葬儀に際し、神式を選択した。
なぜなら、サクラコが唯一、神々と関わったのは、宮崎八幡宮へのお宮参りであり、我が家が初詣に行くところでもあるからだ。

神道を選んだものの、神道に対する知識は皆無だ。
私は、神道のことが知りたくて、特に霊祭に関する知識や納骨に関して書かれたものはないかと先月末から仕事の帰りに本屋に立ち寄り、神道関係の本を読みあさっていた。


ただ、読みあさるうちに、少しだけわかったことがある。

○神道に「教義」はない。
○唯一神ではなく八百万の神が日々の生活、自然の中で我々に恵みを与えてくださっている。
○死者に対して「穢れ」の概念がない。
○八百万の神は結構、寛大だ。


12月9日の夜、サクラコの納骨に関し、私の中にぱぁっとある考えが広まった。
すぐに妻に私の考えを話した。
それは、
○サクラコの納骨は、今後、20年間、我が家の誰かが亡くなるまで行わない。
○20年間で誰も亡くならなかった場合は独りでも納骨する。
というものだった。


子どもはいずれ親の手を離れ、独り立ちする。
だから、サクラコが二十歳になる年までは「子ども」として、家に置くが、二十歳を機に独り立ちをさせようという考え方だ。

この結論に達した時、「この結論しかない」と思えた。

神道がこういう考え方を認めるのかどうかはわからない。
神道の本を読みあさった結果、ひらめいたものであるから、導かれたものかもしれない。


妻には
「八百万の神は寛大だし、『それもありかなぁ』と認めてくれるんじゃないだろうか。もし、神道が認めないのであれば、オレが開祖となって、あくまで我が家はこのやり方で行く」
と言った。

妻は賛成してくれた。
妻が内心どう思ったかはわからないが、私には妻の顔があかるくなったように感じた。

別に新興宗教を起こすつもりはさらさらないが、大げさに「いざとなったら開祖」と決意してみると、自由に発想できるものだ。

その日から、サクラコに関する我が家の教えは「心のままに」になった。





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最終更新日  2007年12月17日 21時42分10秒
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