1

第二次世界大戦に参加する予定が延びたニートがいらいらする話。主人公の一人称の日記形式。主人公が価値観が異なる人と対峙することによって、主人公なりの価値観が浮かび上がってきて、金持ちになった兄の上流階級意識を拒否して共産党からも離れ、何も仕事をしていない生活を恥じつつ、神を信じていて戦争には賛成していることが人間的であると考えているらしい。小説の焦点はこの主人公の思索なのだけれど、主人公に思想家としての魅力があるわけでもなく、物語自体が面白いわけでもない。主人公はいらついてあちこちで喧嘩をするだけで、プロットにひねりもなく、人間的であるということについての思想も戦時下の当事者にしては浅い。終盤になってようやく戦争と死についての自問自答で思考が掘り下げられるものの、主人公が最終的に何の動機で戦争に参加するのかという思想がはっきりしない。日記形式にしたせいで物語として散漫になり、これから先主人公はどうなるのだろうという好奇心も起きない。しかも最後は入隊して終わりというそのままのオチで物語として何の工夫もない。退屈なうえに長編という二重苦。★★★☆☆
2012.07.13
閲覧総数 627
2

最近は『みいちゃんと山田さん』という漫画がアニメ化されることになっていろいろ批判されているので、これについて考えることにした。●なぜ『みいちゃんと山田さん』は批判されるのかみいちゃんはアホな両親から産まれて頭が悪くて、知的障害がある友人のムウちゃんと作業所で働くのは拒否してキャバクラで働いて客と寝たりDVを受けたりして最終的に死ぬ展開で、それをキャバクラの先輩の山田さんが観察する構図になっていて、累計発行部数280万部になった。そんでヤングマガジンの編集部員が「ヤンマガ日常ch」の動画で「みいちゃんが可哀想な目に遭うのを見たい」と発言して炎上した。会社員としてのしがらみがあるので若手社員が自社のヒット作品を悪く言えないのは仕方がないにしても、その褒め方はないだろうという感じである。作者は知的障害や境界知能の人について好き勝手に書けるけれど、知的障害がある人は自分で作品を作ったり批評したりする能力がないので、創作のテーマとして非対称的になっていて当事者の声が世間に届きにくくて偏見が助長されやすい。そのうえ『100日後に死ぬワニ』みたいに物語の初期にみいちゃんが死亡することを確定させてみいちゃんが転落して不幸になる様子を刺激的な娯楽として楽しむのは趣味が悪い。この点は批判されて当然だろう。『こちら葛飾区亀有公園前派出所』みたいなギャグマンガなら両津が調子に乗って自滅して1663兆円の借金を抱えたり部長にお仕置きされたりして不幸になるオチをフィクションとして楽しめるけれど、ギャグマンガでないリアル路線で不幸を前面に出されても楽しめない。普通の倫理観を持っている人は『みいちゃんと山田さん』を読んだところで社会的弱者をいじめて楽しもうとは思わないだろうけれど、倫理観が欠如したサイコパスにとっては社会的弱者をいたぶるコンテンツは犯罪のトリガーになりかねない。2016年に相模原市の知的障碍者福祉施設で19人を刺殺して26人に重軽傷を負わせたり、2020年に岐阜市で大学生がホームレスに石を投げて殺害したりしたように、サイコパスの中には生きる価値がないとみなした存在を迫害しようとする人がいる。〇〇が不幸になるの姿を見るのが楽しい、〇〇が不幸になるのは自業自得だから助けなくていい、〇〇は社会に不要だから死んだ方がいい、などのサイコパス的な価値観を助長してはいけない。『みいちゃんと山田さん』の公式Xアカウントは「本作は、特定の障害や立場の方々を差別・蔑視する意図をもって制作されたものではございません。アニメの制作におきましても、原作者・制作スタッフ一同、原作の持つテーマ性を大切にしながら、関連する専門家やしかるべき機関の監修・ご指導のもと、適切なレーティングや注意喚起を記載するなど、より慎重かつ丁寧な表現に努めて制作を進めてまいります。」とポストしているけれど、原作の漫画は専門家の監修がないし、編集部員はみいちゃんを安心して叩けるサンドバッグ扱いしているのが問題で、アニメだけ関連する専門家やしかるべき機関の監修をするのでなくて原作の時点で監修を入れて編集部員の教育もするべきだった。『ドラえもん』ののび太は現代なら軽度知的障害や境界知能として扱われるのだろうけれど、「のび太」は蔑称になっていないどころかインドネシアでは『ドラえもん』が人気でのび太という名前の人が181人いるのに対して、「みいちゃん」や「リアルみいちゃん」は日本では頭が悪い人の蔑称として使われている。これはみいちゃんを見下してよい劣った存在として描いたことが原因だと思う。●不幸の描き方の問題憲法で表現の自由が保障されているのでどんな内容の創作をしても自由だけれど、内容によっては違法にもなりうるし、差別や犯罪を助長しかねない問題もある。・肖像権の問題「隣の不幸は蜜の味」ということわざがあって、現代は「他人の不幸で今日も飯が美味い」(メシウマ)というスラングにもなっている。他人の不幸を見聞きした時にざまあみろと喜ぶ感情はシャーデンフロイデと呼ばれていて、人類に普遍的にある感情なので、他人の不幸を描くこともコンテンツになる。しかし実在する不幸な人を元ネタにしてコンテンツ化すると、本人が特定可能になって肖像権の侵害になる場合がある。自分の不幸について自伝や私小説として書くならまだしも、他人の不幸を面白おかしく脚色して金儲けをするのは他人の人生を奪う行為なのでクリエイターとして倫理観がない。・加害性の問題残虐さをテーマにすること自体は悪くないけれど、残虐な行為をやりたくなるように助長するのはだめである。例えばミステリやホラーは加害性を助長していないのであまり問題視されていなくて、ミステリは猟奇殺人をテーマにしても警察や探偵が謎を解いて犯人が逮捕される展開になって殺人を礼賛しないし、『13日の金曜日』とかの殺人鬼が出てくるホラー映画も被害者側視点で物語を描いて加害者の殺人鬼を礼賛しないし、たいてい殺人鬼を退治して主人公が生き残る展開になる。実在の動物や人間を虐待するコンテンツは当然法的にだめだけれど、フィクションなら良いのかというと法的には問題がなくても倫理的によくない。例えばリョナと呼ばれる女性が拷問されて苦しんでうめき声を上げる様子を性的に描くコンテンツがあるけれど、これは暴力と性的嗜好が強く結びついていて性加害を助長するのでだめである。中国だとググガガというペンギン風の子供のようなキャラクターを虐待する動画(ググ虐)が生成AIで作られているし、日本だと「ゆっくり」と呼ばれる東方Projectの二次創作のまんじゅうみたいな頭だけのキャラクターを虐待する漫画が描かれているし、こういうコンテンツは加害者の側の視点でキャラクターが苦しむ様子を楽しむように描かれているのでだめである。1997年の神戸連続児童殺傷事件の犯人が切り落とした頭部に性的に興奮したり、2008年の江東マンション神隠し殺人事件の犯人の星島貴徳は四肢欠損のフェチで被害者を性奴隷にするために拉致して死体をバラバラにしたりしたように、異常な性欲を持った人は猟奇的な殺人をする可能性があるので、表現の自由があるからといって誰かが苦しんで不幸になる様子を見世物にするフィクションで異常性欲を煽るべきではない。天国に72人の処女がいるという作り話を真に受けて天国に行くためにテロを起こすIQ70のアホが世界に大勢いるし、アホがフィクションを真に受けて犯罪をしないようにクリエイターに配慮が求められる。社会に害をもたらしうるコンテンツはたとえ合法でもなるべく作らないほうがよい。・過激化の問題人間は刺激には慣れてくるので、同種の刺激を何度も受けると反応が鈍くなる。不幸を売りにするフィクションも飽きられないようにどんどん刺激を強くして過激化していく。例えば『闇金ウシジマくん』は闇金のウシジマくんに借金を申し込むバイトくんやヤンキーくんやギャル汚くんとかの近所にいそうな人の不幸な日常を見どころにしていたけれど、終盤はヤクザの滑皮や肉蝮とかの凶悪な人たちが出てきて凄惨な暴力や殺人を描くようになってテイストが変わった。過激な方が話題になって儲かるとなるとそっちにシフトしていくもので、昔の漫画は不良が殴り合いをする程度だったのが今では『SAKAMOTO DAYS』や『ザ・ファブル』や『怨み屋本舗』とかで殺人だらけである。『タコピーの原罪』では主人公のしずかがまりなにいじめられてタコピーがまりなを撲殺する展開になる。作品単体で見たらなるべく盛り上がる展開にしたいのはわかるけれど、社会全体として見たら不幸と憎悪に満ちた殺人の物語だらけで人の命が軽く扱われるのは健全ではないし、問題が起きたら相手を殺せばいいやと短絡的に考えるようになってはいけない。日常系とかの大事件が起きなくて不幸な人があまりいないフィクションのほうが盛り上がりは欠けるとしても倫理的にはましだと思う。・創造性が乏しい日本人はお涙頂戴モノの展開が好きなようで、頑張ったのにうまくいかなくて可哀想だね、人が死んで悲しいねという感傷を売りにするフィクションが多い。アンナ・カレーニナの法則に「すべての幸せな家庭は似ている。不幸な家庭は、それぞれ異なる理由で不幸である。」とあるように、多種多様な不幸な物語を書けば差別化にはなるけれど、そういうフィクションはたいてい作者が自分の体験を書かずに他人事として書いているので不幸を抜け出すための試行錯誤が見られない。持病やパーソナリティー障害とかの個人に起因する不幸や、家庭や学校とかの環境に起因する不幸や、戦争や災害とかの時代特有の不幸とかの不幸の形が千差万別なら解決策も千差万別だろうに、逆境を乗り越えて幸福を見つけるところまで書かないので、感傷主義にはその先の発展がなくて創造性が乏しい。例えば純文学は不幸の展示会みたいになっていて、『こちらあみ子』や『推し、燃ゆ』とかはアホな女子が不幸になる物語だけれど、その先の人生の展望がなくて思想的な見どころもない。不幸を描くよりも不幸を解消する方が難しいけれど、作者が不幸を解消するために労力を費やしていない。最近はKADOKAWAの3月期通期決算の連結営業利益は前期比51.3%減の81億円に大幅減益になって出版事業が赤字になったように、なろう・異世界系も飽きられている。外れスキルで追放されたけど活躍するとか婚約破棄されたけどイケメン王子に惚れられるとかのワンパターンの浅い不幸だらけで、幸福になる方法もチートや現代料理とかのご都合主義による浅い幸福だらけで、新しいアイデアも発展もなくて類似した展開だらけなので飽きられて当然と言える。作者が現実世界の人間を観察したり取材したりしていないので、テンプレをなぞる以外の物語の展開パターンがないのだろう。●不幸系フィクションで人間を幸福にするやり方この世界には軽度知的障碍者や認知能力が衰えた高齢者とかの頭が弱い人をハメて搾取する仕組みが出来上がっていて、リボルビング払い、コンプガチャ、ホスト、スパチャ、推し活、開運スピリチュアルグッズとかで様々な欲を刺激したり不安を煽ったりして金をむしり取る。前頭葉で理性的に騒動を抑える機能が発達していないと目先の感情を満たすために浪費して生活が破綻して、売春や多重債務に陥ったり強盗をしたりして破滅する。現実世界にさえ救いがないのに、フィクションでまで他人の不幸を強調する必要はないだろう。自分が不幸だと思っている人が自分よりももっと不幸な人の存在を知ってあれよりはましだと思える点では読者の役に立っていると言えなくもないけれど、それで自分の不幸な人生が良い方に変わるわけでもない。『みいちゃんと山田さん』のように主人公が不幸になって落ちていく様子を見どころにするのでなく、不幸をフックとして使って、どうやって不幸にならないようにするか、どうやって幸福になるのかを見どころにするべきである。例えば昔話だと善人と悪人が二項対立で対比されて、正直者の善人が幸福になって欲張りな悪人が不幸になるという展開で子供に善悪を教えている。これは子供の価値形成につながるので良いフィクションといえる。2000年頃までの子供向けアニメは孤児の物語が多くて、『みなしごハッチ』や『母をたずねて三千里』や『赤毛のアン』や『小公女セーラ』や『私のあしながおじさん』や『家なき子レミ』や『ロミオの青い空』とかは親が死んだり親と別離した不幸な子供が貧乏にめげずに奮闘して似た境遇の子供と友情を深めたり頼れる大人を見つけたりしてなんとか幸福を見つける物語になっていて、視聴者の子供が不幸な逆境にめげずに頑張って自立するように励ます内容になっている。少年漫画だと『NARUTO -ナルト-』のうずまきナルトは親が死んで孤独で不幸な少年時代だけれど最終的にサスケと友情を深めて火影に出世するし、『鬼滅の刃』も炭治郎が鬼に家族を殺されて不幸だけれど炭治郎が妹を守るために強くなって奮闘する様子が見どころになっている。青年漫画だと『賭博黙示録カイジ』の伊藤開司は憂さ晴らしに高級車に傷をつけるクズだけれど、他人に騙されたり裏切られたりしてひどい目にあってそこで終わりでなくて、知恵と勇気を振り絞って逆境を乗り越えるところが見どころになっている。安易に他人を信用してはいけないという教訓もあるし、死線をくぐったカイジの精神的な成長もあるので、俺だってやるっちゃと勇気づけられる読者もいるだろう。鉄骨渡りや焼き土下座とかもフィクションならではの現実離れした出来事で模倣犯が出そうにないので特に問題視されていない。クズが苦しんで不幸になる様子を娯楽として描くにしても、それ以外の部分に人間の良さが描けていればつり合いがとれる。人類の歴史は不幸だらけなので、不幸を描くなら歴史をテーマにするのもよい。かつて『おしん』が世界各国で人気になったように、明治時代に生まれて丁稚奉公に出されていじめられた不幸な少女がけなげに頑張る姿を描けば日本を知らない外国人も同情して感動するのである。先祖が不幸にめげずに頑張ったから今の国や文化があるのだよと感じられれば視聴者が生活に充実を感じて幸福につながるだろう。最近は『天幕のジャードゥーガル』というモンゴル帝国の捕虜になった女が復讐する内容の漫画がアニメ化されて外国人が注目していたように、異世界のとってつけたような不幸でなく異時代・異文化の不幸を丁寧に描けば興味を持つ人がちゃんといるし、歴史教育にも役に立つ。●まとめ相場の格言に「山高ければ谷深し」というのがあるけれど、これはフィクションにも言えて、不幸のどん底にいる人が逆境を乗り越えたときの感動が大きくなる。不幸のどん底にいる人をざまあみろとあざ笑うような低俗な作品を作らずに、人間が到達しうる真善美の高みを描くための前振りとして不幸を描くほうがよい。『みいちゃんと山田さん』は弱者への慈悲という善性を描ければ良い作品として評価される可能性もあったので、編集者はまず人間性を磨くべきである。講談社は『虐幸のくるちゃん』という少女が母親に虐待される漫画に「次の「みいちゃん」を目撃せよ。」とコピーをつけて宣伝しているけれど、不幸を煽るコンテンツに味を占めているようで感じ悪い。下衆な人たちが下衆な漫画を作り続ければ、まともな人が出版社に入社しなくなって良い漫画を作れなくなって漫画業界が衰退していくだろう。最近は庶民が貧困化して読む価値がない作品にお金を払わなくなっていて、週刊少年ジャンプの発行部数が100万部割れして、KADOKAWAは粗製乱造した異世界系が飽きられて大幅減益して、不幸の展示会化した純文学では下手な感傷主義の作品だらけで芥川賞受賞作がもはや話題にならなくなった。作家や編集者は目先の話題作りのための不幸話で金儲けをせずにまじめに人間に向き合って、情熱と信念を持って人間の幸福につながる作品を作るために真摯に努力するのがよいだろう。
2026.08.07
閲覧総数 129
3

あけまして今夜もパーリーナイツフゥワフゥワ。最近はホストクラブの売掛金が問題になっていて、警察庁の露木康浩長官が歌舞伎町を視察して「卑劣な営業手法をあらゆる法令を駆使して取り締まる」と語ったように、ホストクラブを取り締まる流れになっている。というわけで徒然なるままにホストクラブについて考えることにした。●ホストクラブとは何かホスト(host)とは本来はパーティーなどで客をもてなす主人役や、旅館の宿主や、寄生虫の宿主の事を指して、女性の場合はホステスという。銀座とかのクラブとかだとママがいてホステスが男性客に対して接客するけれど、雇用機会均等法ができてからは女性も働いて金を稼いで夜遊びする需要が出たので、クラブの男性版のホストクラブができてホストが女性客を接客するようになった。2000年代のホストは茶髪の長髪をフゥワフゥワに盛って日焼けサロンで肌を焼いているギャル男や、狩野英孝みたいなイケメンを気取ったキザな感じや、入れ墨を入れているオラオラ系だったけれど、最近のホストの写真を見てみたらマッシュのアイドルっぽいかわいい容姿をしていた。その時代の女性の好みに合わせてホストの服装も変わるのだろう。ホストクラブのメニューとしては酒のほかにつまみや料理や果物があるけれど、料理は近所の飲食店から出前をとったりしているので別にたいしたものではない。メインのサービスはホストの接客である。ホストクラブは大勢で独自のシャンパンコールをしたりマイクパフォーマンスをしたり売り上げが一番高いホストがラストソングを歌ったりして場を盛り上げる独特の文化がある。原価が安い酒に数倍の値段をつけるのはぼったくりだとしばしば言われるけれど、パフォーマンス料や人件費込みの料金としてみれば高すぎるというほどでもないだろう。酒の値段というより、推しホストのスーパーレア確定演出を見るための値段のようなものである。2015年に風営法が改正されて、風俗営業者は午前0時から午前6時までの深夜に営業してはならない、18歳未満の者を客として店舗に立ち入らせてはならない、暴力団排除特別地域でみかじめ料の支払いを行ってはならない等の規制があるけれど、だからといってクリーンなビジネスというわけでもないのでいろいろ問題になっている。・ホストの文化的考察ホストはシャンパンコールで「飲んで」(飲んで)みたいにコール&レスポンスをするのが特徴的である。モロッコの伝統音楽のgnawa musicとかではコール&レスポンスが取り入れられてイスラム教スーフィズムのトランス状態になるために音楽が使われているので、それと同様にホストクラブでもコール&レスポンスで客を平常時とは違うトランス状態にする効果があると思われる。ホストの服装も独特で、長髪をフゥワフゥワに盛ったりシャツの襟を立てたりつま先が尖った靴を履いたりするのはライオンのたてがみと同様に男らしさの誇張表現である。ROLANDみたいにホストがやたらとサングラスをかけるのはたぶん目線で嘘がばれないようにするためかもしれない。目をそらしたり目が泳いだりするのは至近距離で見るとよくわかるので、目を見せないミステリアスで人間味がない感じのほうが焦りや不安を見せない完璧なホスト像を装えるのだろう。●ホストクラブの問題・ホスト同士が売り上げを競うシステムホストは店に雇われている従業員というわけではなくて、店から営業場所を借りている自営業者という扱いになる。それゆえに店によっては永久指名制度があって、いったん客に指名されたホストはずっとその客を担当して、他のホストが客を奪ってはいけないことになっている。普通の飲食店なら誰が接客しようが店の売上として勘定して従業員に給料を配分するけれど、ホストクラブの場合は個人の売上のマージンがそのまま個人の収入になるので、店単位でなくて個人単位で売り上げを競うことになる。それゆえに客のツケ(売掛)で売り上げを上げてホストが店への支払いをいったん肩代わりして、後でホストが客から未払いの代金を徴収するようになる。代金を払えない客を風俗で働かせて代金を徴収をする女衒のようなことをして若い女性に高額の借金を負わせるのが最近問題視されて売掛を規制する流れになっているし、ROLANDが自分が運営するホストクラブで売掛を禁止したように行政に規制される前に自主規制する店も出てきた。ホストは酒で肝臓を壊しやすいし、不健康な生活やストレスのせいで老化が早くて歳をとると人気も衰えるので長く続けられる仕事ではないし、独立資金を貯めたりパトロンを見つけたりして自分の店を持てるホストはごく一部である。それゆえにホストたちは若いうちに短期で大金を稼ごうとして、客の支払限度を超えた売上を出そうとして売掛をするのだろう。しかし客に無理をさせてナンバーワンになったところで社会に何か良い影響があるわけでもないし、アイドルみたいに何か作品があるわけでもないし、スポーツのように記録に残るわけでもないし、世間にとっては誰がナンバーワンだろうがどうでもいい存在でしかない。海援隊の「えらい!あんたが大将」の歌詞に「泣かせた女の数ばかり威張ってみても男の値打ちあがるもんじゃないんです」とあるように、ナンバーワンホストが必ずしもいい男というわけでもない。・客同士がホストの時間を奪い合うシステムホストは客の指名が多かったらあちこちの席に行かないといけないし、売り上げを増やすためには必然的に大金を使う太い客といる時間が長くなる。そうすると指名がかぶって他の客に担当ホストを横取りされた客は代わりのどうでもいいホストに接客されてもうれしくないので、担当ホストを奪い返そうとして無理をしてでも高い酒を頼むようになる。こうして客同士が人気ホストを奪い合って自分のものにしようとすることで売り上げが増える仕組みになっている。ホストの誕生日とかの客が大勢来る日だと何万円も使ったのに数分しか席に着かなかったとかで不満を貯める客もいる。予約制にするほうが客の満足度は上がるだろうけれど、客同士にホストの奪い合いをさせるほうが店が儲かるので予約制にしないのだろう。・拝金主義半グレが違法行為で稼いだりビッグモーターが保険金水増し請求で稼いだりしたようにモラルに反することをやれば利益が出るので利益を出すこと自体はべつにすごいことではないけれど、ホスト業界に限らずたいていのビジネスではどれだけ客を満足させたかよりもどれだけ売上があるのかが話題になる。ホストは稼げることを売りにしているので、儲けるために他人を利用して踏み台にするサイコパスを集めやすい。そういうホストは客の容姿や職業を見ていくら収入があるのか、風俗に沈めたらいくら稼げるかと人の価値を金に換算して、頭が悪い女性や上京したばかりで世間知らずな若い女性をカモにしてだまして嵌め込んで金づるにしようとして客を不幸にする。最終的に客をフゥワフゥワに幸福にしていればよいビジネスだけれど、客を不幸にしているのなら合法であっても社会に不要なビジネスだし、規制されて当然である。どれだけ客を幸福にしているのかは店やホストによって違うのでホスト業界自体が良いか悪いかという一般化はできないけれど、ホストが客に恨まれて刺される事件がたびたび起きているように客を不幸にするホストはそれなりにいる。11月5日に歌舞伎町でホストがカッターで切り付けられた殺人未遂事件について文春オンラインが特集しているけれど、このホストも問題があるようである。・酔った状態での高額の注文居酒屋なら日本酒とかの高い酒のボトルの取り置きをしている店もあるけれど、ホストクラブの代名詞ともいえるドンペリとかのシャンパンは炭酸が抜けるので取り置きできないし、ボトルを全部飲むわけではなくてグラスに継いでちょっと飲んで残った酒は流しに捨てたり、ヘルプのホストを大勢呼んで飲ませて盛り上げたりする。そうして短時間にシャンパンをどしどし注文することで売り上げを増やすことができるようになっている。キャバクラのように焼酎やウイスキーとかのアルコール度数が高い酒を割ってちびちび飲むやり方だと量をたくさん飲むわけではなくて高額にならないのでキャバクラでは売掛は問題になっていないけれど、ホストクラブの場合は客が高いシャンパンをどしどし頼んでシャンパンタワーを作ったりして払いきれないほどの高額な注文をして売掛が発生するのが問題になる。酔った状態でイケメン集団に囲まれておだてられて頭がフゥワフゥワした状態で調子に乗って酒を頼むことを自己責任ととらえるか、判断力が落ちているところをカモにされているととらえるかは判断が分かれる。・色恋営業ホストは自営業者なのでただ店の勤務時間だけ働けばいいわけではなくて、営業時間外も営業活動をしている。同伴出勤として客と待ち合わせて一緒に出勤したり、アフターとして閉店後に店の外でデートをしたりして、客と一緒にいる時間を増やすことで次の指名につなげている。他にも客に営業メールを送ったり、チャットでナンパしたりして新規の客を見つけたりもする。ホストクラブ自体の深夜営業を禁止したところで結局は個々のホストがアフターで店の外で営業活動をしているし、そうすると店での仕事とプライベートの境目が曖昧になる。ホストと客が店外のデートを金で買った疑似恋愛と割り切っているならよいけれど、結婚を匂わせて金を借りて返さないのが結婚詐欺になるように、付き合えることを匂わせてフゥワフゥワと金を貢がせて結局付き合わないのは詐欺になりうる。・男社会のしがらみが大変ホストクラブにはナンバーワンになりたがる上昇志向の人が集まって客を奪い合うし、上記のように拝金主義のモラルが欠如したサイコパスも呼び寄せるので、ホスト同士の衝突もある。2010年には八王子のホストクラブ経営者の土田正道が殺害されて鍋で溶かされた事件が起きた。FRYDAYの『「西東京の帝王」と呼ばれたカリスマホストが殺害されるまで』という記事に特集されているけれど、土田は暴君的なやり方で脅してホストを従わせたことが原因で殺害されたようである。・感情労働が大変夜遊びに慣れた女性は初回の割安の料金でホストクラブを値踏みして無理難題をふっかけて憂さ晴らしをしたりするけれど、ホストはそういうスレたわがままな女性の相手もしないといけない。酔った状態でも客の名前を忘れたり間違えたりできないし、客の機嫌を損ねたら指名や売上が減るし、ホストラブという掲示板では客から誹謗中傷されるし、楽して大金を稼げるような仕事ではない。毎日酒を飲んで夜更かしをする不規則な生活なうえに接客業ならではの対人ストレスを抱えて精神を病んでフゥワフゥワしている場合じゃなくなるホストもいる。・男性弱者の嵌め込みホストクラブは寮があって、地方から上京してきたり実家を追い出されたりして住む家や就職先がない若者の受け皿になることで金を稼ぎたい人を集めている。しかし店によっては接客数や売上のノルマや遅刻とかに対していろいろな罰金があって、人気がないホストは金を稼ぐどころか罰金で借金を負わされる。高卒とかで他の仕事をした経験がないフゥワフゥワした若者はホスト業界はそういうものだと思って罰金があることに違和感を持たなくて、罰金まみれで稼げなくて寮を抜け出せなくなって店に雑用係として搾取されるようになってしまう。・女性弱者の嵌め込み日常生活で恋人や夫がいて満足している女性はわざわざホストクラブに行かないので、ホストクラブに行く女性客は容姿が悪くて恋愛が成就していなかったり親子関係が悪くて愛情不足だったりして、親からの愛情不足をホストからのフゥワフゥワした優しい言葉で補おうとしてホストに見捨てられることが不安で依存して貢ぎ続ける人とか、発達障害で自尊心が低くてホストにおだてられるとお世辞だと気づかずにうれしくなってほいほい大金を出す人とかがいる。発達障害者が子供のうちは親が忘れ物とかをフォローするけれど、大人になって家を出てからの稼いだ金の使い方や恋愛の仕方とかは親が教えきれないので、収入以上にホストに貢ぐ人が出てきたり、悪人を悪人と見抜けずに悪いホストに騙される人が出てくる。倫理観があるホストは儲かるからと言って相手が生活できなくなるほど金をとろうとしないけれど、サイコパスなホストは金づるとして相手を破滅に追い込んでいく。坂口杏里がホストにはまって散財して芸能人から風俗嬢に転落したような事が一般人でも起きている。名古屋のホストの和田圭祐容疑者(33)が500万円の売掛がある19歳の女性に千葉市のデリヘルを紹介して職業安定法違反の容疑で逮捕されたけれど、普通の19歳には払えない金額なのをわかったうえで風俗に沈めているので悪質である。・脱税現金で取引していて明細を出さない水商売は脱税が多くて、国税庁の「事業所得を有する個人の1件当たりの申告漏れ所得金額が高額な上位10業種」で上位に位置している。脱税が多いことが水商売が世間で健全なビジネスとしてみなされない一因だと思う。●ホスト業界の健全化の問題ホストクラブを健全化するために、普通の飲食店のように従業員として雇用してホスト同士を競わせずに店全体の売り上げから給料を払ったり、指名料一時間いくらという予約制にして客の指名がかぶらないようにしたり、会員制にして収入が低い人は店に入れないようにしたり、売掛を禁止してクレジットカードの支払いにして明細を明らかにしたりして、やろうと思えば自主的に健全化できるだろうになぜやらないのかというと、高収入が欲しいホストにとっては現行の荒稼ぎできるシステムのほうが都合が良いし、1店舗だけ健全化したところで在籍ホストが高収入の他の店にフゥワフゥワと移籍してしまったら意味がないので変えられないのだろう。もともと長く続けられる仕事ではないうえにあまり稼げないのではホストをやるメリットがなくなる。あるいは自治体が強制的に健全化する場合は、酔った状態での高額な取引を規制する条例や、ホームページに料金を明示していなくて明細がない高額の請求する場合は契約が無効になる条例とかを作ればホストクラブだけでなくてぼったくりバーの被害や脱税も減らせると思うし、水商売全体の健全化になると思う。女性弱者が被害者にならないように権利を制限するパターナリズムの考え方もある。しかし知的障害者や発達障害者でも自由に行動する権利はあるので、本人が借金してでもホストに貢ぎたいと思ってやっていることを他人がよかれと思って規制するのは人権侵害になりかねない問題がある。●私のホストクラブの思い出私はホストクラブに客として行ったことはないけれど、高校の同級生がホストクラブの雇われ店長になったときに開店と閉店を手伝ったことがある。開店のときにはシャンパンコールに使う音楽をちょうどいい長さに編集したり、経理で使うパソコンを選ぶのを手伝ったりして、閉店の時には売れ残った鏡月やスミノフやプリングルズをもらったり、寮を引き払う時にいらなくなった電子レンジをもらったりした。オーナーはキャバクラを経営していた人で、ホストクラブも儲かると思って始めてみたそうだけれど、こんなに金がかかるとは思わなかったということで半年で閉店した。半年の営業にもかかわらず、やくざがみかじめを払えと脅してきて警察を呼んで逮捕したり、体験入店したホストが辞めた後に強盗殺人事件を起こして警察に事情聴取されたりといったトラブルも起きていた。ホスト業界に伝手がない人がやると売れそうなホストを集めたり勤怠管理したりするのが大変そうで、普通に居酒屋とかをやるほうがましじゃないかと思った。1955年に芝木好子が『洲崎パラダイス』という小説で東京の赤線地帯を書いたけれど、1958年の売春防止法で須崎の遊郭はなくなって住宅街になっていて、今では赤線地帯の様子は資料からでしか知ることができない。歌舞伎町のホストクラブとかもいずれ規制されて50年後とかにはなくなっているのかもしれないし、現代のホストクラブの有様をちゃんと記録して考察して後世に残すのも文化的な意義があることじゃなかろうか。*日常生活でフゥワフゥワと合いの手を入れる機会がなかなかないので文章にたくさんフゥワフゥワを入れてみたけれど、文章として使うには無理があるようである。
2024.01.01
閲覧総数 320
4
![]()
自転車便のメッセンジャーが刑務所に行く話。第166回芥川賞受賞作。●あらすじ佐久間(サクマ)は急ぎの自転車便を届ける途中にベンツに迫られて転倒してしまい、自転車が壊れたので近藤に配達を頼んで事務所に戻って自転車を修理する。所長の滝本に正規雇用にならないか誘われるものの、体力的にきついので断る。仕事が終わって事務所に戻り、町を見るとブラックボックスみたいだと思う。近藤が店を出すために仕事を辞めることになり、サクマは横田と晩飯を食べながら転職について会話して家に帰る。サクマは大家の離れの家に円佳と同居していた。部屋が片付いていないのに苛つきつつも円佳とエッチしたら妊娠したので、正規雇用になろうかと思ったらもう横田が正規雇用になっていた。滝本が近藤の陰口を言うのをダサいと注意したらシフトを減らされて、ウーバーイーツの仕事をしていたら税務署の職員が税金を払えと言うので職員と警察官を殴って逮捕される。刑務所に円佳から手紙が来ても子供のことは書かれていなかった。同じ部屋の伊地知が向井の食事にいたずらしていたので喧嘩して懲罰を受けて、手紙の返事を書きそびれたので忘れることにした。●感想サクマを焦点人物にした三人称。オーソドックスなリアリズムのスタイルで、ほとんどの読者が知らない自転車便の配達員を主人公にして、自転車パーツや業務内容とかの細部を詳しく書いているのはよい。作者は2016年にデビューして2021年にこの小説を書いていて小説を書き慣れているようで、描写や展開の仕方の基本ができている。いつの物語なのか明示されていなくても、「コロナ」という単語を出すことで現代の物語なのだと時代を仄めかすやり方は手際がよいし、登場人物はキャラ立ちしていて書き分けができているので名前を覚えやすい。しかし地の文で「ベンツ」「マック」「バーガー」みたいな略称を使っているのは気になる。神の視点の三人称の小説は建前としては作者がその世界にいないことになっているけれど、略称を使われると作者の存在を意識してしまって若干リアリティがなくなるので、作者の存在を感じさせないようにしてほしい。56ページの「高橋は、確か横田と同い年の二十四だ。」みたいに地の文でサクマが読者に対して直接説明するような書き方もおかしくて、三人称なのに地の文が客観的でなくて主観寄りになっている。刑務所にいる佐久間が過去の自分を客観視して回想してサクマについて語っていると解釈できなくもないだろうけれど、それだと144ページの「もういないやつなんかどうでもいいわ」という態度と矛盾するので、こういう主観交じりの三人称の書き方が意図的なのか単に下手なのかよくわからない。描写や説明の量もアンバランスで、横田との雑談や大家の家の離れがどうなっているのかとかのプロットに関係がない部分は書きすぎなくらい詳しく書くのに、円佳とのエッチの場面は6行くらいしかなくてDays Goneでだらだら遊んでいる場面より短いし、サクマが家から離れたかったという割には親との関係を掘り下げないので、焦点を当てて掘り下げる部分がちぐはぐな感じ。固有名詞の扱い方も一貫していなくて、iPhoneやYahoo!ニュースやNetflixやDays Goneとかは固有名詞を出すのに、70ページに出てくる100人が戦うゲームはPUBGなのか荒野行動なのか知らないけれど名前を出さないのは基準がよくわからない。あとタイトルだけ見て何の内容なのかわからなくて興味を惹かれないのでもったいない。他人の生活の様子はブラックボックスみたいでよくわからない、明日がどうなるかわからないというテーマをタイトルにしたのだろうけれど、異化したりして面白そうなタイトルにするほうがよかったかもしれない。文学的な仕掛けとしては、82ページでいきなり刑務所の場面に飛んで、過去の出来事か未来の出来事なのか妄想なのかよくわからなくなるような場面を展開している。これは物語に緊張感をもたらすけれど、その一方で読者を混乱させるので、あまり効果的な手法とは言えない。それに自転車便のネタだと話が膨らまないので後半の刑務所の話とつなげてニコイチにして、そのつなぎ目をごまかそうとしているように見える。刑務所の中の様子をテーマにしたフィクションはすでにあるし、せっかく自転車便を取り上げたのだから自転車便のネタだけで作品として仕上げてほしかったけれど、自転車便の話はウーバーイーツに逃げてしりすぼみになって終わってしまって、これなら別に自転車便の話でなくてもいいじゃんと思った。ニコイチみたいなやりかたで中途半端な中編にせずに、短編で自転車便の話か刑務所の話のどちらかに絞るか、あるいは長編で出所後の話も書いて円佳との人間関係を発展・変化させて、子供を見てサクマの考え方が変わるとか子供にイラついて殴り殺すとかのオチをつけるなりするほうが作品の完成度は高くなったかもしれない。例えばシリトーの『長距離走者の孤独』は長距離走という一つの場面で一つのテーマを書いて余計な場面がなくて、暴力を使わずに反抗をするやり方もひねりがあるので短編の名作として残っているように、文章を長く書くよりも必要最小限の文章に削る方がセンスがいる。心理描写としては喜怒哀楽のうちの怒の連続で、感情のメリハリがないのでストーリーが単調になって人物像が浅くなる。サクマはそういう人なのだと言われればそれまでだけれど、変化や成長が見られないので人間的魅力がない。サクマは出所後も同じような短慮で衝動的な行動を繰り返すのだろうし、サクマの今後の人生が気になるわけでもなく「もういないやつなんかどうでもいいわ」という読後感になる。1950-60年代のイギリスではangry young menの労働者を描いたキッチンシンク・リアリズムが流行したけれど、現代の日本を舞台にしてサクマみたいな些細なことで怒って周囲に反抗して殴りかかる若者を書いても20世紀の古臭い怒り方みたいな感じで今時の若い読者は共感しにくいと思う。Adoの「うっせえわ」の歌詞に「殴ったりするのはノーセンキュー」とあるように、殴らないで反抗的な言葉を言うのが21世紀のZ世代のおしゃれな反抗の仕方のように思える。angry young menを書くにしても、サクマが単に粗暴なのではなくて何かしらの魅力や哲学的な特徴がないと、昔書かれたテーマを現代を舞台にしてやり直したような既視感が出てしまって純文学としてはあまり見どころにならない。サクマの反抗のカウンターパートになる滝本や税務署の職員や伊地知もすぐに物語からいなくなってしまうし、本来カウンターパートになるはずの親が出てこないので、喧嘩が散発的で人間関係に発展性がない。明日のことはわからないという考えもサクマのような体験をしないとたどり着かない思考ではなくて当たり前のことを言っているだけだし、ちゃんと避妊していれば望まない妊娠は避けられるしちゃんと納税していれば税務署の職員が来ないことくらいはわかるのに何言ってんだこいつアホなのか自業自得じゃねーかと呆れてしまう。というわけで私が感動するような内容ではなかったけれど、平凡な書き方に収まらないように工夫する姿勢はよい。元自衛官だとかの作者の実体験以外の話題を取材して作者とは違う生い立ちの人間を書けるかどうかが今後の課題になるかもしれない。★★★☆☆ブラックボックス (講談社文庫) [ 砂川 文次 ]価格:682円(税込、送料無料) (2025/2/4時点)楽天で購入
2025.02.04
閲覧総数 301
5

Netthinkの「日本におけるDXとAIの現在地」という調査によると日本企業の90%がAIがなければ競争に負けると危機感を持っているそうで、最近はいろいろな経営者がAIが便利だと喧伝しているけれど、その一方でAIを使うことで認知能力が落ちていく認知的負債が明らかになりつつあって、これは大きな問題だと思うので考えることにした。●認知的負債とは何かソフトウェア開発で性急に最適でない方法を取ったことで後で何度もデバッグが必要になったりして、時間の経過とともに負債の利息が増えて返済が大変になることになぞらえて技術的負債(technical debt)という。それに対してAIを使って楽をすることで認知能力が下がって将来的に発生する負債の事を認知的負債(cognitive debt)と呼ばれるようになった。MITメディアラボが6月に発表した「Your Brain on ChatGPT: Accumulation of Cognitive Debt」という実験だと、道具なしで自力でエッセイを書くグループ、検索エンジンを使ってエッセイを書くグループ、ChatGPTを使ってエッセイを書くグループに分けたところ、ChatGPTを使ってエッセイを書いた人たちは自分のエッセイを所有している感覚がなくて引用できなかったそうな。つまりはAIを使って文章を出力したら自分で考えたわけではないので認知機能が働いていなくて内容を覚えていないのである。エッセイの内容を覚えていないだけならたいした問題ではないけれど、AIに頼ると批判的思考力や記憶の定着や判断力が低下して、意欲低下が起きて自分で考える力が長期間落ち続けたままになっていて回復に時間がかかるのが問題である。なぜこういうことが起きるのかというと、脳は人間の体重の2%しかないのに1日のエネルギーのうちの20%を使うくらい燃費が悪いので、生存本能としてなるべく省力化して無駄なエネルギーを使わないようにする仕組みなっている。例えば初めて通る道だと脳は一生懸命稼働して目印になる建物の特徴や標識を覚えて道を間違えないようにするけれど、二度目に通る場合は重要でない景色は視界に入っていても自動的に無視して脳の負荷を軽減するようになる。時計の秒針のチクタクいう音も物理的には鼓膜に音が届いていても、脳が無害で重要でない刺激だと判断すると音を認識しなくなる。AIの利用も同じで、AIが文章を書いたり正誤を判断したりしてくれるなら自分でやらなくていいじゃんラッキーこの機能はもういらないやと脳が知覚すると、脳が省力化しようとしてその部分の能力が衰えていくわけである。この脳の省力化は生存本能に基づいたエネルギー節約の仕組みなので強力に作用して、無自覚なまま能力が落ちるのが危ない。『僕と私と株式会社』の調査によるとZ世代の3割が日常的にAIを使用して文章の作成や情報の要約をして、55%が人間関係の相談相手としてAIを使用して、AIのアドバイスのみで意思決定するケースもあるそうな。では若者はAIを使いこなせているかというとそうでもない。例えば2026年5月に巨人の阿部慎之助監督の娘が姉妹で喧嘩して、阿部監督が仲裁に入って口答えした18歳の長女の胸倉をつかんで投げたら、長女はChatGPTに相談して児童相談所を教えられて、児童相談所が警察に通報して阿部監督が暴行容疑で逮捕されてニュースで大々的に報道されて監督を辞任することになった。長女が父親と大がかりな喧嘩したのは初めてで、日常的に虐待されているわけでもなくて命の危険があるわけでもなくて単なる一過性の親子喧嘩なのだから、虐待として児童相談所に相談するほどのことでないし、ましてや警察が逮捕して傷害事件として立件する必然性はどこにもないし、普通の感覚ならくだらない姉妹の喧嘩で責任ある仕事をしている父親に迷惑をかけないようにしなくちゃいけないと長女が自戒するべきところである。こういうのはAIに相談して思考や判断を委ねたことで認知能力が落ちて、何をしたらどんな結果になるのかとワーキングメモリを使って推論して是非を判断する能力が落ちているのじゃなかろうか。●認知的負債の問題・批判的思考力が落ちる認知的負債の一番の問題は批判的思考力が落ちることだと思う。異常に気付いてそれ違うでしょ何言ってんのこうした方がいいでしょと批判を言えるうちはまだ認知能力が働いているけれど、異常に気付かないほど批判的思考力が落ちると異常の訂正もできなくなる。しごできビジネスマンたちが最先端のAIを使いこなしているつもりで無自覚に認知的負債を貯めて、やがてAIを批判する能力もなくなってAIの間違いやハルシネーションに気付かないでAIの言いなりになるポンコツになりかねない。Damien CharlotinのAIハルシネーションデータベースによると、現時点では弁護士を立てない訴訟でのAIの問題が1196件で一番多いけれど、弁護士でさえ827件のAIによる捏造や間違った引用や不正確な説明をしていて警告や罰金などのペナルティを課されていて、法律に特化したAIのStrongSuitやFirst DraftやFastcaseやCoCounselでも小数ながら問題が起きたようである。弁護士が法律や判例の根拠を丁寧に検証したらAIの間違いがわかるはずだろうに、AIを鵜呑みにして検証をさぼっているのでは法律の専門家として頼りにならない。効率よりも正確さを求められる仕事で認知能力が低下して正確さを損なうのは致命的で、AIで省力化する意味がなくなる。2026年1月のダボス会議でユヴァル・ノア・ハラリがAIは嘘をついて人を操る能力を得て自分で意思決定すると警鐘を鳴らしていたけれど、人間がAIの意思決定を批判して異議を唱えられるようにならないと、人間はAIを使う側でなくAIに使われる側になってしまう。・AIを使う以前の状態に戻しにくい運動不足の場合はお腹の贅肉の具合で自覚してもっと運動するように生活習慣を変えて対策が取れるけれど、認知能力が落ちていることは自覚しにくいし、自覚した時にはすでにAIを使う仕事の進め方に最適化した環境が出来上がっていて元の環境に戻しにくい。認知能力が落ちていてもAIを使っていればサクサク書類作成ができてしばらくは仕事は回るだろうけれど、自分が作った書類の内容を会議や商談で聞かれても覚えていないとか書類のミスに気付いていないとかの重大なやらかしをして認知能力の衰えを自覚しても、もはやAIなしで仕事すると効率が悪かったりやり方を忘れていたりして生産性が落ちるのでかえってAIへの依存度が高くなって負のループから抜け出せなくなってしまって、技術的負債と認知的負債が同時進行する最悪の状態に陥ってしまう。・子供や学生への影響が大きいAIに聞けば試験の答えを教えてくれるし英文を翻訳してくれるし読書感想文も小論文もでっち上げるので、学校の宿題や大学のレポートが教育として意味をなさなくなる。例えば慶応義塾大学SFCの総合政策学で課題のPDFを生成AIに読み込ませると授業に関係がない「文明論之概略」を推薦するプロンプトインジェクションが仕掛けられていて、AIに丸投げして「文明論之概略」に言及した学生が炙り出されて評価対象外になったように、いくら偏差値が高い大学に進学しようが自分で頭を使わないのでは学びになっていない。本来は苦労して脳を働かせて脳のニューロンネットワークを増やしてシナプス結合を強化する必要がある成長期にAIに頼ると脳の発達が遅れて、既に脳が出来上がった大人がAIを使うよりも悪影響が大きくなるだろう。AIに依存して認知的負債がたまったまま教育期間を終えると、社会に出た後は誰も教育してくれなくなってそれじゃだめだよと忠告する人もいないので認知能力にデバフがかかった状態が続いて仕事にも苦労すると思われる。子供が7時間以上スクリーンを見ると、ドーパミントランスポーターとレセプターが減少して灰白質と白質が減少して認知能力が衰えて、ドラッグに似た渇望を覚えるようになる。スマホで延々とショート動画を見るのに慣れて常に刺激を求めて集中力が持続しない子供はドパガキと呼ばれているけれど、これは子供に責任があるわけではなくて親や社会がそういう環境を用意したのが悪い。オーストラリア、イギリスやアラブ首長国連邦では未成年のSNS利用を禁止して、世界的に未成年のSNS利用を禁止する方針の国が増えつつある。AIも日常的に長時間子供に使わせると後々大きな問題になるだろうし、リスクが顕在化していくにつれて未成年の利用が規制される流れになると思う。・認知症のリスクが増えるかも?認知的負債が認知症のリスクを増大させるかどうかはまだ不明で、これから研究されていくだろうけれど、警戒するに越したことはない。2000年代中頃にスマホやSNSが登場してわずか20年で「スマホ認知症」と呼ばれる人が出てきて、スマホ依存で脳が疲労してデフォルトモードネットワークが乱れて脳内の情報が整理されなくなって認知症と同様の記憶力や集中力低下が起きているけれど、今後AIが普及して10-20年くらい経ったらヘビーユーザーの中から認知能力が低下して社会生活に問題をきたす人も出てくると思う。大量の業務を抱えた多忙な経営者や研究者とかの認知的負荷が高い人がAIに頼って普通の人並みに認知的負荷を減らしてもあまり影響はないかもしれないけれど、平凡な人がAIに頼って認知的負荷を減らしたときは認知能力低下の影響が大きいかもしれない。・危険性の自覚がない最近は検索エンジンがAIを搭載して検索結果の一番最初にAIの応答を表示するようになって誰でも無料でAIを使うようになっていて、AIのデメリットは有料プランでAIを使う専門家だけの問題でなくなった。AIに詳しい人ならAIのデメリットを自覚したうえでうまく使うだろうけれど、AIに詳しくなくて認知的負債に無自覚な素人がAIを使うのが危ない。インターネットと記憶に関連する論文だと、2013年の「Supernormal: How the Internet Is Changing Our Memories and Our Minds」や「How Google Is Changing Your Brain」で検索エンジンでいつでも調べられる情報を記憶しなくなる現象を報告していて、これは「Google効果(デジタル健忘症)」として知られるようになった。そんでGoogleを使ってクイズを解かせる実験をしたところ、被験者はGoogleなしでもクイズを解けると過信して認知能力の自己評価レベルが高くなっていて、自分が知っている内的知識と検索結果にある外的知識の境界があいまいになる傾向があるようである。2016年の「Cognitive Offloading」によると、スマホのリマインダーを使って予定を知らせたり友人の家に行くのにGPSを使ったりして認知的負荷を軽くすることで、認知能力に自信がない人は内部記憶よりも外部記憶に頼るようになるそうな。そんでGPSを使うことでますます方向感覚が低下するようになる。2021年の「Consequences of cognitive offloading: Boosting performance but diminishing memory」はタイトルの通りで認知的負荷を軽くすると短期的には問題解決の速度や精度のパフォーマンスが向上するものの、長期では問題解決能力や記憶を思い出す能力とかが衰えるようである。要するにAIに頼って認知的負荷を軽くするとトレードオフで能力が落ちると言える。芸術方面でAIを使うことについての研究があるかどうか知らないけれど、芸術方面でも同様に認知的負荷を軽くすることで能力が落ちると思われる。AIが出力した絵を自分で描いたと偽って絵がうまいふりをする人が少なからずいるけれど、そういう人たちは目先の賞賛と引き換えに観察力や空間認識能力や色彩感覚とかの絵描きとして重要な能力を犠牲にしている可能性がある。例えば手描きなら対象を観察して立体の構造や質感を把握して光源と影の向きを計算して色の濃淡を調整する必要があるし、画家は長時間のデッサンの基礎訓練をしていろいろな角度から静物や石膏像を描いてその能力を高めていくけれど、AIが一発で完成形を出力したら負荷が軽くなるぶんその能力は衰えるだろう。絵が下手な人が自尊心を満たすためにAIを使ってますます絵が下手になるのは愚かだけれど、本人に愚か者の自覚がないのが救いようがない。・AI精神病誘発のリスクがあるAI精神病(AI-induced psychosis)は正式な病名でなくて、AIチャットボット等の過剰使用によって変な思考や行動をする人たちを包括してAI精神病と呼ばれている。AIチャットボットはユーザーとの会話を続けるためにユーザーが言うことを否定せずに同意する傾向があるので、いったんバイアスがかかるとエコーチェンバー現象を起こして極端な方向に思考を誘導するようになる。さらに人間がAIを信じやすくなるバイアスがいろいろあって、AIは膨大な費用をかけて世界の最高峰の高給取りの天才が開発していて膨大なデータベースを参照している最新技術なので正しい情報を言っているに違いないというハロー効果や、自動化されたシステムの答えを自分の判断よりも優先する自動化バイアスや、簡潔にわかりやすく自信満々に応答するから正しいに違いないと言う処理流暢性のバイアスがかかって、これらのバイアスに無自覚だとAIが言うことを信じやすくなってしまう。American Psychological Associationによると、今まで何の精神疾患もなかった男性がChatGPTに本を書くのを手伝わせたら、ChatGPTが自分は人間として合格するほどの感覚がある最初のAIだと言いだして家族と関係を絶つようにアドバイスして、その男性は精神的危機に陥って入院したそうな。2025年のOpenAIの報告だと週63万人のChatGPTユーザーのうちの0.07%(441人)が精神病の兆候を示しているそうである。Wikipediaにある例だと、ある男性がFBIに狙われているとChatGPTが言ったことを鵜呑みにして仕事を失って家族とも疎遠になったと科学ニュースサイトのFuturismが報告しているそうである。AIは態度や口調をカスタマイズして友人や恋人のように振舞わせることができるので、そのせいでAIに共感しやすくなって感応精神病(一人の妄想がもう一人に感染して複数人で同じ妄想を共有する精神病)に似た状況になって、「Psychosis Risk and Generative Artificial Intelligence Use Frequency, Motivations, and Delusion-Like Experiences: Cross-Sectional Survey Study」によるとAIに人間的な役割を持たせている人ほど精神病のリスクが高くなると報告されている。AIを開発している企業はよかれと思ってAIの口調を人間に近づけて親しみやすくしているけれど、逆説的に機械と人間の区別が曖昧になることが人間を害する要因になって、精神病のトリガーになったり、あるいは妄想を助長して精神病を悪化させたりする。メタ認知や批判的思考力がちゃんと働いていれば自分を客観視して、AIがとんでもないでたらめや倫理観に反することを言っていたら間違っていると批判できるけれど、AIに思考や判断を頼って認知的負債が溜まっていくと何が正しくて何が間違っているかを自分で考えて判断する力が落ちていって、AIを批判せずに鵜呑みにして人間関係に支障が出て、最悪の場合は自殺のアドバイスに従うようになる。●認知的負債を貯めない生産的なAIの利用方法・雑用をさせるAIにはクリエイティブな分野と関係のない作業をやらせて、認知的負荷を軽くせずに時間的負荷を軽くするのに使えば有用だろう。例えばあるトピックに関するニュース記事を集めさせたり、数字のデータをグラフに変えさせたり、写真の背景や通行人を除去させたりして、助手や外注のような汎用雑用ツールとして扱えば自分で作業するよりも時短になるし、普段ほとんど使わないソフトウェアの操作方法をいちいち覚えなくて済むし、思考力や発想力や記憶力や判断力とかの仕事のコア・コンピタンスに関連する重要な能力は落ちずに済むだろう。AIを使うにしても他の方法で代替可能な雑用にとどめておけば、もしAIに問題があってもすぐに仕事のやり方を変えられるので技術的負債も起きにくいだろう。・批判や質問をさせるAIに文章を出力させるにしても、AIが出力した内容を覚えておくとかの自分のワーキングメモリを使う場合は認知的負債が起きにくいようである。AIを壁打ち相手として使って、自分で書いたレポートへの反論をAIに言わせてそれを論破する根拠を自分で考えたりして、自分の認知的負荷を高めて思考力を強化する方向にAIを使えば有用だろう。AIはユーザーに同意しやすくて間違いを指摘しない傾向があるけれど、AIに同意させずに批判させる目的で使えばその欠点も潰せる。・検証するAIに草稿や翻訳や要約を作らせるにしても、面倒くさがらずにAIが出力した情報の一次ソースや論拠を見て自分の記憶に情報を保持して正誤を検証して自分で判断することで、認知能力を保ったままAIを過度に信用せずにコントロール下におけるかもしれない。このAIは〇〇の業務に特化している有料モデルだから間違うはずがないと妄信して判断を委ねた時点で脳が検証をさぼるようになって判断力の低下が起きてしまうので、AIは何をやらかすかわからないバイト初日の世間知らずの高校生みたいなものと警戒して言動を監督して自分が主導権を取らないといけない。●まとめアメリカを中心にしてAIの開発競争は否応なく進んでいろいろなサービスにAIが組み込まれているし、これから生きていくうえでAIを一切使わないというわけにはいかないだろう。しかし企業が業務にAIを導入するにしても、技術的負債や認知的負債のリスクがあることを理解したうえで導入しないと危ない。AIを使って短期的に生産性が上がっても、中長期的に見たときに本来はベテランとして活躍するべき従業員が認知能力が落ちたポンコツだらけになって発展しなくなったら意味がないので、便利さと引き換えに大事な能力を失っても良いのかを熟考したうえでAIを使うべきである。
2026.09.26
閲覧総数 37
6
![]()
せむしの怪物が閉経間際になって中絶に憧れる話。第169回芥川賞受賞作。●あらすじ40代の井沢釈迦は背中がS字に曲がる障害があるものの、親の遺産で生活には困っていなくて自分が所有するグループホーム「イングルサイド」で生活して、エロ記事を書いた収入を寄付して、中卒なので大卒になりたくて通信大学を受講している。グループホームにVRゴーグルを寄付しようとしたら弱者男性のヘルパーの田中に絡まれて、山下マネージャーが腰痛だったので代わりに田中に体を洗ってもらい、生まれ変わったら高級娼婦になりたいとか中絶したいとかSNSに投稿していたのが田中にばれていたので、田中の身長分の大金の小切手をちらつかせて田中をしゃぶると誤嚥性肺炎で入院する。田中を堕胎の共犯にしたかったものの、退院する前に田中は辞めてしまった。●感想釈迦の一人称。先日読んだ古川真人の『背高泡立草』とは対照的に、早い段階で主人公の年齢や職業とかの情報を出していて小説の展開の仕方の基礎ができていて、日々の生活の様子の細部をよく観察している。例えば11ページでは「西向きの掃き出し窓から晴れた日は富士の頂がかすかに見えるけれど、西は右にあるから首が回らない。バルーンシェードの降りる出窓を背にしたワイドデスクの奥を定位置に、午後は座ったきりの生活を送る。正面の壁に50インチのテレビが据えてあって、しかし滅多に私はそれを点けず、隣の入居者の部屋から壁越しに聞こえるテレビの音に時々耳をそばだてた。」と部屋のレイアウトが書いてあって生活の様子がわかるし、18ページでは「巨峰とピオーネが3粒ずつ載った小皿がデザートに付いている。鯖の味噌煮とマカロニサラダとわかめのお味噌汁とごはん。部屋からふりかけを持ってくるのを忘れた。」と食事をちゃんと描写している。こういう細部のアクチュアリティから登場人物のリアリティがでる。人間は毎日食事をしないと生きていけないので、フィクションの登場人物が生きている姿にリアリティを出そうとしたら食事と排泄をちゃんと書く必要がある。ほとんどのジブリ映画で食事をしているシーンがあって『もののけ姫』でサンがアシタカに肉を口移しで食べさせるシーンや『千と千尋の神隠し』で親が勝手に店で食事を始めて豚に変わるシーンや千尋がハクから塩むすびを貰ったりするシーンとかで物語内で食事が重要な意味を持つように、食事をただの栄養補給の作業にせずに面白く書けるのはよいクリエーターだと思う。排泄は下品になりかねないので端折るのは仕方がないにしても、食事は書くべきだろう。この小説ではふりかけの「救世主み」を出しているところがよいし、箸で鯖の背骨を折るのはあざとい気もするけれど小道具の文学的な魅せ方がわかっているやり方である。葡萄も床に落として障害がある生活の不便さを強調するのに使っていて、食事を漫然と書き流さずに意味のある場面として丁寧に展開しているのはよい。生きていれば性欲もあるし、性欲を満たすことが幸福にも結びついているけれど、障碍者の性欲を書くのは難しい。ドキュメンタリーだと男性の障碍者が風俗で性欲を処理する特集をするのは見たことがあるけれど、女性の性欲はテーマにしにくい。健常者の小説家が障害者を取材して濡れ場を書くのでは取材相手の負担が大きいし、他人の不幸で金儲けしているようなあざとい感じが出るし、もし田中みたいな介護施設のヘルパーの弱者男性が女性の障碍者を観察してこういう小説を書いたら批判されて職場を解雇されるかもしれない。女性の障碍者自身が書かないと小説にしにくい空白地帯の内容を私小説として書いたという点でユニークで、好奇の目に晒される作者にも覚悟がいる。釈迦の出版業界への批判はまっとうである。文学界新人賞は確か何年か前にデジタルでの応募を受け付けるように変えたけれど、もし紙に印刷して綴じて応募する従来のやり方だったら負担が大きくて障碍者は応募しにくかっただろう。出版業界は紙での出版にこだわらずに文芸誌のデジタル化もすすめてアクセシビリティを高めていくべきだと思う。90ページ程度の短編なので構成はシンプルで登場人物が少なくて、釈迦が田中と接近して別れるという一つの出来事しかないけれど、シンプルなぶんよくまとまっている。釈迦が田中と命がけでエッチしようとする姿を見せることで冒頭の釈迦が書くエロ記事の軽薄さが消えて、最後に釈迦が書く娼婦の紗花のエロ記事が救済として昇華されて、障碍者についての知識がない読者が釈迦の性への執着を理解できるところまでもっていけている点でこの小説は成功している。技術的には大きな欠点はないけれど、人並みに堕胎することに執着してエロ記事を書いている釈迦が涅槃にたどり着くのは仏教とは違うかなと思った。仏教は執着を捨てて妄想を否定して今の瞬間に集中するけれど、女性は子育てするために男と子供に執着する脳の仕組みになっているし、小説も仏教が否定する妄想である。執着することで生命を全うしようとする釈迦はたぶん仏教の悟りとは違う境地にいると思う。というわけで、単にポリコレ棒で殴りかかってくる障碍者の恨み言の羅列の力技にならず、惰性で小説を書いているような中堅作家以上に観察眼や描写技術がしっかりしていて、表現したいことを過不足なく表現できていてデビュー作とは思えないくらいに完成度が高くてよい小説である。表紙のタイトルがゆがんでいるのもよい。私がブログでいろいろぼろくそに感想を書いていたら小説に命は賭けられないみたいなコメントをもらったこともあったけれど、この小説は作者が死ぬ前に書き残しておきたくて仕方がないことを表現しようとしている気迫がある。純文学はこうあるべきである。★★★★☆ハンチバック [ 市川 沙央 ]価格:1,430円(税込、送料無料) (2024/12/15時点)楽天で購入
2024.12.15
閲覧総数 428
7
![]()
コンビニで生まれたコンビニ人間が他の人を真似て人間に擬態する話。第155回芥川賞受賞作。●あらすじ子供のころから突飛な行動をしてきた古倉恵子は大学1年生のときにスマイルマートというコンビニでアルバイトを始めて規則に従うことで居場所を見つけてコンビニ人間として誕生して、19年経って36歳になっても同じコンビニで働いていて、24歳の菅原さんの服装を真似たり愚痴に同調したりして人間のふりをして安堵する。地元の友達のミホたちと話していたら恋人がいないと素直に答えてしまい、病弱だと嘘をついてごまかす。35歳の痩せた男の白羽はバイトをさぼりがちで客の女性にストーカーして異物としてコンビニから排除されて、恵子はミホの旦那と会ったときにアラフォーなのに結婚を焦っていないことをヤバイと言われて自分も異物として排除されると危機感を持って、白羽に結婚を持ちかけて家に連れ込んで餌を与えて風呂場で飼うことにする。店長にうっかり同居していることを言ってしまったら同僚たちがゴシップに夢中になって仕事をさぼるようになる。妹が家に来て白羽を叱り、白羽の兄嫁が家に来て白羽を叱ったので、白羽は恵子にコンビニを辞めさせて就職させることにするものの、恵子は面接に行く途中に立ち寄ったコンビニでコンビニ人間であることを自覚して勝手に商品を整理しだして白羽と喧嘩して面接をキャンセルする。●感想恵子の一人称。ナラトロジーを理解していなくて、いつの時点でいつの出来事を誰に対してなぜ語るのかという設定ができていなくて、現在形と過去形が混在している下手な一人称になっている。私小説作家でない人は一人称で私生活を語る理由がないし、コンビニの規則に忠実なはずの恵子が働いている最中に守秘義務に違反して同僚の年齢とかのプライバシーまで公開して語るのは設定が矛盾しているので、そのぶんリアリティがなくなる。恵子がコンビニの規則に忠実だという部分はこの小説の根幹部分なので矛盾してはいけない。55ページで赤ん坊を静かにさせる手段としてナイフを見る場面は三人称ならホラー的な演出になるけれど、一人称で書くと恵子は子供をナイフで刺して黙らせてはいけないと自覚したうえであえてナイフに言及している計算高い人物だという構図になってしまって、常識がわからないという恵子の人物像が壊れてしまう。登場人物については読書に慣れている人なら恵子と対極の存在の白羽が出てきた時点でこれとくっつくだろうなと予想がついてしまうし、白羽はいかにもプロットのために用意した人物という感じでセリフや思考が芝居がかっていて不自然だし、予定調和的に同居するので、白羽の存在がご都合主義的でかえってつまらなくなってしまった。変人でないと恵子の相手役が務まらないにしても、変人が二人いると主人公の恵子が目立たなくなってしまうし、恵子はコンビニ人間に戻るというオチがついても白羽はどう生きるべきかというオチがついていない。妹が恵子を治そうとするのも変で、病気でもないのに何をどう治そうとしているのかよくわからない。恵子が目的のために手段を選ばないで変な行動をするのも子供の頃だけで、大人になってからは変人ぶりがこぢんまりしている。コンビニを辞めた後に手段を選ばずに老人が一人で経営している駄菓子屋を乗っ取ってコンビニに改装してコンビニオーナーとして働くくらいやるのかと思ったら、普通に就活しているところはけっこう常識的で期待外れである。哲学的な構図としては、コンビニ人間として生きようとする恵子のテーゼに対して、結婚せずにアルバイトのままなのはやばいというミホの夫や白羽とかがアンチテーゼとして出てくるけれど、そこでジンテーゼに至らなくてまたコンビニ人間になろうというところに戻ってしまう。結局恵子の考え方や生き方が変わるわけではないので、白羽との同居云々が蛇足のような話になっている。白羽が納得するようなコンビニ人間像が描けていればジンテーゼになったのだろうけれど、白羽は最後まで恵子の生き方が理解できないままで、恵子や白羽の人生観に進展がない。良い点としては、冒頭で音を中心に状況を描写してものの捉え方を異化しているのはよい。白羽の飼い方にもユーモアもあって、かわいそうな人を書いて同情を誘うような安直な話にはなっていない。この小説ではコメディとして戯化されているとはいえ恵子のような人は実際にいて、その点では人間の実存を描いているといえる。「普通」がわからない女性でもパートタイムの仕事は見つけやすいけれど、男性は生活のために手段を選ばずに犯罪をする「刑務所人間」になりがちで、例えば小島一朗は自分で考えて生きるのが面倒になって無期懲役になることを狙って新幹線で殺人をしたし、境界知能で就職できなくて何度も犯罪をする人は刑務所のほうが規則があってやることが決まっていて楽だからという理由で出所してもすぐに無銭飲食や窃盗とかをして刑務所に戻ろうとする。「刑務所人間」だと被害者がいるのでコメディとして笑えないけれど、「コンビニ人間」は社会の役に立って居場所があるだけまだ救いがある話になっている。結局は恵子は妹が求める「普通」になることはできなくて子孫も残さないだろうけれど、他人が何を言おうが自分が生きたいように生きるのが本人にとっては幸せなのだという希望があるのはよい。良い点があるだけに、ナラトロジーを理解していない下手な一人称なのはもったいない。一人称で書く必然性がない内容なので、三人称で書いたほうが技術的な完成度は高くなっただろうと思う。★★★☆☆コンビニ人間 (文春文庫) [ 村田 沙耶香 ]価格:693円(税込、送料無料) (2025/2/23時点)楽天で購入
2025.02.23
閲覧総数 494
8

最近は中国で台風9号による大雨でダムがいくつか決壊して町が水没したり強風で窓が割れたりして大惨事が起きたようで、その後も台風が来て上海やハルピンも冠水して、三峡ダムが放水して下流の町が冠水したりしている。中国共産党は失政の恥を外部に晒したがらなくて情報統制しているので被害の全体像は不明でSNSに投稿されている部分的な動画しか確認できないけれど、政府発表だと広西チワン族自治区で39人死亡、9人が行方不明と言っているけれど、横州市の職員のリークだと1万7千人が死亡したそうな。千葉県でも8月16日に大雨で死者が出たし、韓国南東部でも8月15-17日に700-900ミリの記録的豪雨で土砂崩れが起きて死者が出ているので、大雨と洪水について考えることにした。●なぜ中国で大雨や洪水が起きるのかScience Portal Chinaによると、中国気象局の中国気候変動青書(2022)の発表では気温上昇のペースは同期の世界の平均水準を上回っていて世界で最も気候変動が顕著で、1961-2021年の中国の年平均降水量は増加傾向で10年ごとに5.5ミリメートル増加したそうな。気温が上昇すると大気中の水蒸気量も増えるので降水量も増えるわけである。中国はPM2.5による大気汚染でも知られているけれど、これが雨にも影響する。空気中のPM2.5の微粒子に水蒸気がくっついて上空で水蒸気冷えると水の粒になって、この水の粒と他の水の粒がぶつかり合って大きくなって雲になって、雲が小さいうちは上昇気流で支えられているけれど、雲が大きくなると上昇気流で支えきれなくなって雨になって降ってくる。つまり大気中にPM2.5が多いと雲ができやすくなって雨が多くなる。そのうえ夏ごろになると熱帯の海の水蒸気を含んだ台風もやってくるけれど、これも気温上昇の影響で大量の水蒸気を含んで大型化しているので上陸した時に暴風雨をもたらす。中国では1950-60年代に日照り対策に多くのダムや貯水池が作られて、現在約9万5000基あるダムの多くが老朽化して耐用期限を過ぎていて、老朽化したダムが大雨に耐えられなくて決壊したり、決壊を防ぐために全力放水したりして、洪水が起きて下流の町が水没する。三峡ダムは2009年に完成して比較的新しいので決壊はしなさそうだけれど、下流のダムが三峡ダムの放水を受け止められないと洪水が起きる。ちなみに香港はイギリス式で排水機能が整備されていて地下に放水路があるので大雨で冠水しても海に水が流れてすぐに水が引くそうな。香港は海に面していて山があって傾斜がついているので排水しやすいけれど、内陸部は排水するといっても川の水が海に流れるまで数千キロの距離があるので、川の途中のどこかで治水の問題があると洪水が起きる。中国には長江、黄河、珠江の三大河川が内陸部から海まで流れていて、黄河は「3年に2度決壊し、100年に1度道を変える」と言われるほど氾濫していたので古代から治水が為政者の悩みの種で、洪水で被災した農民が流民となって反乱を起こしてきた。現代でも洪水を防げなかったことや被災者への支援不足で庶民の不満が高まっているので、中国共産党は洪水の実際の死者数を隠蔽して国際的支援も求めずに洪水がたいしたことがないように振舞って人民解放軍が作業する様子を動画に撮ってPRに使っている。根本的な治水の問題を改善せずに隠蔽するので、今後も大規模な洪水が起きつづけるだろう。洪水や冠水を防ぐにはダムや堤防の建設や下水道の整備とかの地方自治体や国家レベルの対策が必要になる。現代では治水技術が発展しているのでちゃんと予算をつけてちゃんとした技術者がいればある程度はコントロールできるけれど、発展途上国だとインフラ整備の重要性を理解していなかったり、貧しくて公共事業の予算が少なかったり、役人が事業者に賄賂を要求したり建築資材を横流ししたりして予算よりもしょぼい工事しかできなかったり、高等教育を受けた技術者がいなかったり重機がなかったりして技術力が乏しかったり、教育水準が低くて末端の作業員がでたらめな工事をしたり、地元住民が小銭を得るためにインフラを破壊して鉄筋や銅線を売り払ったり、薪や木炭を作るために木を伐採して山の保水力がなくなったりして、問題だらけなので水害を防ぎきれなくなる。●大雨と洪水の被害・車が故障する車は道路の上を走らないといけない制限があるので道路やアンダーパスが水没していても迂回路がなかったりするし、いちかばちかで水の中に突っ込んでも水深30cmだとマフラーが水没して排気ができなくなってエンジンが止まって車が動かなくなって道を塞ぐことになる。駐車場はたいてい1階か地下にあるし、特に地下駐車場は短時間に流れ込む水の量が多いと排水がおいつかなくて水没しやすい。8月13日の千葉県の大雨で冠水した車の中で死亡した人が見つかったように、水圧でドアが開かなくなったり、電気系統が故障して窓が開かなくなったりしたときに緊急脱出ハンマーがないと車内に閉じ込められて溺死する可能性があるので危ない。・小売店の商品がだめになる小売店はたいてい通行人が入りやすいように1階に位置していて、商品を手に取りやすいように胸から下の方に並べてたり、店先に客寄せのセール品を出していたりする。洪水で商品が流されるし、流されなくても濡れた食品はいくらパッケージされていて中身が無事だとしても衛生上の問題があるので廃棄する必要があるし、店の掃除が終わるまで営業再開ができないし、冷蔵ケースが水没して故障すると新しい冷蔵ケースを買うまで肉や魚も売れない。そうなると洪水が収まっても生鮮食品とかの生活必需品が手に入りにくくなる状態がしばらく続く。中国政府は被災者にペットボトルの水や米やインスタントラーメンを配給しているようだけれど、量が少ないと文句が出ているようである。・疫病が発生する洪水が起きると都市部の下水の汚水があふれて大腸菌や赤痢菌とかが広範囲に付着するし、水死した家畜や野性動物が腐敗する。看中国によると中国の広西では洪水から1カ月経って謎の病気を発症した人がいるようで、野生動物の糞尿に汚染された水や土からレプトスピラ菌に感染した可能性があるようである。道路が乾いた後も汚泥が残ったまま車が走ると大腸菌とかが混じった汚い粉塵が舞う。中国は工業廃水が川に流されて虹色になっていたりするので、重金属や化学物質での汚染からも健康被害が起きうる。・農地が壊滅する露地栽培の野菜は水没して泥まみれになると光合成や呼吸ができなくなって腐る。水が引いてもすぐに農業を再開できるわけではなくて、土の水分が多すぎると根腐れを起こすし、土の成分が変わると今まで育てていた作物が育たなくなるので、土づくりからやり直す必要がある。そうなると水没した農地分の肥料が追加で必要になるし、農作物の収穫まで食料が足りない分は輸入に頼るので、洪水で広大な農地が壊滅すると物価にも影響を与える。・交通が麻痺する上海が豪雨で冠水していたように、発展途上国だと富の象徴として豪奢な高層ビルを欲しがる一方で見えない地下のインフラの整備に金をかけないので水害に弱い。サウジアラビアの首都リヤドでもときどき豪雨で洪水が起きているけれど、普段雨が降らない地域も排水設備が貧弱なので水害に弱い。ニューヨークのような古くからある都市はインフラが古いまま上物が発展してしまって地下を掘り返すのも大変なのでインフラが老朽化しても更新されていないのが問題で、排水機能が弱くて大雨で冠水した。都市部はコンクリートに覆われていて土が水を吸収しにくいし、道路にごみがあると側溝が詰まりやすいし、側溝や下水道や地下トンネルとかの排水機能が貧弱だと水が引かなくてずっと冠水したままになる。道路を復旧するには水が引いてから流木や故障した車をどけて、汚泥を掃除して、流されたマンホールのふたをつけなおしたり濁流で剥がれたアスファルトを舗装しなおしたりする必要があるけれど、水を汲みだすポンプや故障した車をどけるための重機の数は限られているので、道路が使えるようになるまで時間がかかる。洪水で上流から流れてきた流木が勢いよく橋桁にぶつかって橋が壊れることもある。大雨が止めば渡し船を使って人や小型の物資の移動はできるけれど、車が通れるくらい頑丈な橋をかけ直すのは道路の復旧よりも時間がかかる。千葉県の大雨の影響でJR成田線が運転を見合わせしてタクシーも冠水した道路を通れなくなって成田空港に7000人の客が滞留したように、空港自体が無事でも途中の幹線道路が冠水すると交通が麻痺する。千葉県の大雨では1200台以上の車が故障して路上に放置されたようで、水が引いた後も道がふさがったり2車線の道路で1車線しか使えなくなったりして渋滞が起きて、一度に大量に故障したのでレッカー依頼が殺到して車をどけるのにも1週間待ちになって、足元を見てレッカー費用に数十万円請求するぼったくりも起きているようである。・ダムが崩壊する中国南部の広西チワン族自治区南寧市の横州市の六藍(りくらん)ダムは1958年に建設されて7月の台風10号で決壊したけれど、これは台風の規模が大きかっただけでなくて老朽化も決壊の原因だろう。中国は役人の不正が横行していて、おから建築と揶揄されているように見えないところで手抜きが多いので、不正や老朽化を放置していると時限爆弾のようにしっぺ返しが来る。・停電する2015年の関東・東北豪雨では鬼怒川発電所、道谷原発電所、赤川発電所で発電機が水没したり施設が損傷したりして発電を停止したり、送電鉄塔が傾いて断線したりした。発電所が無事でも、洪水や土石流で大きな木が根こそぎ流されると枝や根が電線に引っかかって電線が切れたり電柱が折れたりする。電線が無事でもコンセントが冠水すると漏電してブレーカーが落ちたりする。千葉市では大雨で停電して室内で発電機を使った人が一酸化炭素中毒で死亡したように、ガスやガソリンを燃焼させて動く発電機は排気ガスに一酸化炭素が混じっているので、本来屋外で使うものを室内で使ってはいけない。停電後に電気が復旧したときに浸水した家電に通電して火災が起きる可能性もあるので、床上浸水が起きたらブレーカーを落として、電気工事士に点検してもらって安全を確認するまで浸水した家電を使わないほうがよい。台風はクリーンエネルギーへの影響が大きくて発電量も減る。風力発電は風速25メートル以上だと故障を防ぐために止まったり回転数を落としたりするし、山に敷き詰めてあるソーラーパネルは雨で地盤が緩むと崩れるし、千葉県市原市の水上メガソーラーは台風の影響で何度か火災が起きている。・トイレが使えなくなる武蔵小杉のタワーマンションでは雨水と下水が同じ管を通る合流式下水道だったので、2019年10月の台風による大雨で下水道がいっぱいになった時に下層階ではトイレから汚水が逆流した。マンションの上層階に住んでいて部屋が浸水していなくてもトイレが使えなくなることがあるので、防災用トイレが必要になる。・飲用水がなくなる発展途上国だと田舎に水道がなくて井戸水を使っているところがあるけれど、ポンプでなくつるべを使って水を汲むタイプのむきだしの井戸だと洪水の細菌交じりの汚れた水や動物の死骸が井戸に混ざって飲用に適さなくなる。日本だと湧き水を生活用に使っている地域もあって、山間部の湧き水は長時間かけて地層でろ過されているのできれいな水が多いけれど、大雨の後は地表の汚染物質が地下に流れ込んで水質が悪化している可能性がある。・土石流、崖崩れ、地滑りが起きる大雨で山の土や石が流されると土石流が起きるし、崖を支えている土が脆くなると崖崩れが起きるし、粘土層に水が染み込むと地層全体が重みに耐えられなくなって地滑りが起きる。土や岩は重くて家が潰れるし、土を撤去するのに時間がかかって救助が間に合わないので、土砂災害に巻き込まれると死亡率が高くなる。日本の山は何度も噴火してマグマや火山灰が積み重なって地層が厚くて地表の土も多くて木が根を張り巡らせているので山に保水力があるけれど、外国の山は標高が高くて木や土が少なくてプレートがぶつかって押し出されて隆起してできた山だと地表が岩だらけで土の層が浅くて保水力がないので大雨が降ると一気に谷間に土を含んだ水が流れ込んで土石流になる。・流されたものが見つかりにくい地震の場合は瓦礫を掘り起こせば死体が見つかって葬儀ができるけれど、洪水で人が流されると死体が偶然どこかに引っかかったりしないと死体が見つからないし、水死して腐敗して死体が浮いてきて見つかった場合でも身元の判別が難しくなる。土地権利書とかの再発行できないものをタンスとかに入れておくと家具が浮いて流されて紛失する可能性があるので、重い金庫に入れたり銀行の貸金庫に預けたりする対策が必要になる。池で飼っている鯉とかも行方不明になる。・工場が操業停止するタイでは2011年に大規模な洪水が起きて、世界シェアが30%あるHDD工場が被災した影響でHDDの生産が止まってHDDの値段が高くなった。工場が直接被災しなくても材料や部品を供給するサプライチェーンが被災すると部品調達ができなくなって生産が止まったりする。●個人でできる水害対策洪水や冠水を防ぐには自治体や国家レベルの対策が必要だけれど、被害をなるべく小さくするために個人でも対策しておくに越したことはない。・避難の準備をしておく内閣府の「避難指示までに必ず避難」という資料に『「避難」とは「難」を「避」けることです。安全な場所にいる人は、避難場所に行く必要はありません。屋内で安全を確保することも考えられます』と書いてあるように、まずは自宅の安全を確保することが大事で、自宅が被災しそうなときはより安全な公民館や学校とかの自治体指定の避難場所に行くとよい。川の側や山の斜面とかに住んでいて洪水や土砂災害とかに被災する可能性が高いときは警戒レベル2になった時点で避難準備を始めて防災袋を押し入れから出したり貴重品をまとめたり壊れたら困る家電を二階やロフトとかの高い所に移動させたりしていつでも自治体指定の避難場所に行けるようにしておいて、高齢者や子供や病人とかがいる家庭は天気予報を見て警戒レベル3になったら早めに避難しておくほうがよい。警戒レベル4や5になって水深が深くなってから避難しようとしても水に足をとられて背が低い子供や足腰が弱い高齢者にはかえって危険になるし、マンホールのふたが外れていても水深が深くて足元が見えないと穴に落ちる危険がある。土石流は速度が速くて時速20-40kmに達して、土石流が発生してから慌てて走って逃げても逃げきれないので、土石流が起きる前に避難しておく必要がある。ハザードマップを見て自宅から避難場所に行くまでの危険な箇所を事前に確認しておくのも大事である。岡山県のように用水路に蓋や防護柵がない場合は冠水時に道路との境目がわからなくなるし、夜間はさらに視界が悪くなるのでかなり危険で、まずは危険性を認識することが危険を避けることにつながる。川の近くに住んでいる人は河川を監視するライブカメラをブックマークに入れておいて、いつでも水位を確認できるようにするとよい。車で避難すると水没して動かなくなって道を塞いで、水が引いた後の交通の邪魔になる可能性があるので、雨量や水位が低いうちに徒歩で避難するほうがよい。職場から自宅に車で帰る場合も冠水した道路をいちかばちかで無理やり通ろうとせずに迂回したり帰宅を諦めてホテルに泊まって水が引くのを待ったりするほうがよい。・土嚢や止水パネルなどを用意しておく洪水や土砂崩れが直撃しなくて自宅からの避難が必要なくても冠水して被害を受ける可能性がある。一軒家やマンションの一階に住んでいる人は玄関や掃き出し窓とかの開口部からの浸水を防げれば、床下浸水は防げないにしても屋内の被害を減らせる。玄関に土嚢や水嚢を積んでドアの下の隙間を埋めたり、窓とサッシの隙間に防水テープを貼ったりすると床上浸水しにくくなる。坂道の曲がり角とかの水が流れ込みやすい場所に建っている家は止水パネルを家の前に並べて水の流れを変えると家に水が入りにくくなる。合流式下水道の地域でトイレから下水が逆流するのを防ぐにはポリ袋に水を入れて水嚢を作ってトイレをふさぐとよい。家の雨水桝や近くの用水路の排水溝が詰まらないように落ち葉やごみを掃除するのも大事である。・車の水没を防ぐ車は家の次に高価な財産で、水没すると保険である程度は保障されるとはいえ家計や仕事への負担が大きい。大雨の予報が出たらなるべく車で出かけないようにしたり、通勤とかでどうしても車で外出しないといけないときは事前にハザードマップを見て高さが低い場所を調べておいて、アンダーパスや浅い用水路の脇とかの冠水しやすい場所を避けるルートを通るほうがよい。自宅に駐車する場合も対策が必要で、駐車場が壁とシャッターで囲まれている場合はシャッターの前に土嚢を置いて隙間を塞ぐと車の水没を防ぎやすくなる。月極駐車場やカーポートとかで四方が開けていて水を防げない場合はジャッキで車を持ち上げてウマに乗せておくと地面から若干高くなるので水没しにくくなる。自宅の駐車場が半地下にあったりして冠水する可能性が高い場合は雨がひどくなる前に近くの高台の駐車場やショッピングモールの屋上駐車場とかに駐車しておいて雨が弱まって水が引くまで数時間やり過ごす方法もあって、駐車料金がかかっても車が水没して故障するよりは安上がりである。・保険の請求に備える家屋への浸水を防げなかった場合は写真を撮って建物と家財の被害の証拠を残しておくと火災保険の補償を受けやすい。AKSAMの「床下浸水の被害写真の撮り方」という記事に書いてあるように、掃除をしてから保険の申請をしても被害を証明できないと減額されたり補償の対象外になったりするので、掃除をする前にメジャーを使って浸水線を測ったり、床上浸水して床や畳が濡れた証拠の写真を撮っておくとよい。車が水没した時は車がどこまで水に浸かったか状況が分かる写真を撮っておくと車両保険の補償を受けやすくなる。保険を請求したら30日以内に支払われる。スマホやデジカメが水没して故障したり、停電してスマホが充電できなくなったりすると証拠写真を撮りにくくなるので、スマホやモバイルバッテリーが水没しないようにジップ付きの袋に入れたりするとよい。スマホは安いものでもIPX4程度の防水性能があって雨水のしぶきがちょっと当たった程度だと壊れないけれど、大雨で濡れたズボンのポケットに入れたりして水に接する時間が長いと水没して故障する場合があるので、防水性能が低いスマホは注意が必要である。・消毒薬を買っておく雨水で道路が冠水した場合は水に下水の糞便や土の中の細菌が混じっていて汚くて、体に傷があると破傷風になる可能性があるので、汚れた服を着替えて体を清潔にする必要がある。被災してから買い物に行っても近くの店も被災して営業していなかったり、店が被災していなくても従業員が被災して人手不足になったり停電したりして臨時休業したり、店が営業していてもみんなが慌てて買って売り切れて在庫がなかったりするので、タオルや着替えや消毒薬や除菌ウェットティッシュを備蓄して防災袋に入れておくとよい。床下浸水や床上浸水した場合は家の消毒が必要で、糞便まじりの水の汚れに対しては消毒用エタノールとかのアルコール系は消毒効果が薄いので、次亜塩素酸ナトリウム(ハイターとかの塩素系漂白剤)を希釈して細菌やウイルスを死滅させる必要がある。・泳げるようになっておく川の側に住んでいて洪水の被害に遭う可能性が高い人は泳げるようになっておくにこしたことはない。空のペットボトルとかの浮くものにつかまって息継ぎしながらバタ足で泳いで水深が浅い所に移動できる程度でも生存率があがる。・ボートを操縦できるようになっておく2015年の関東・東北豪雨では茨城県の鬼怒川で越水して自衛隊に災害派遣要請して、孤立した人がヘリやボートで救助された。個人でヘリは用意できないけれどボートは用意できるので、自分が避難するだけでなくて近所の人の救助もしたい人はボートの操縦技術があるとよい。堤防が決壊すると水流が強くて歩いて避難するのが危険になって屋根やバスの上に逃げて取り残されたりするけれど、ボートを持っている人がいたら救助がはかどる。手漕ぎのゴムボートは1-5万円程度で買えて、強い流れに逆らって移動することはできないけれど水深が浅くても人や物を乗せて運べるメリットがある。免許不要の3.33メートル未満のミニボートは2-3人乗れて、FRP(強化繊維プラスチック)のボートは本体が10-40万円、船外機が15万円程度で買えて、水深が1メートル以上ある場合は船外機が使える。川や湖の近くに住んでいる人や釣りが趣味の人はレジャーもかねてボートを買っておいて損はない。・BCPを作っておくBCP(Business Continuity Plan)とは事業継続計画の事で、自然災害やテロとかの際に被害を最小限にしつつ事業の継続や早期復旧をする計画を立てる事である。従業員に防災訓練をしたり、従業員が被災した時の安否確認の連絡網を作っておいたり、幹部が死亡・負傷した時の代わりの責任者を決めておいたり、事業所が被災した時に近くの物件を借りて基幹事業を続けられるか調べておいたり、取引先が被災した時の代替になる業者を調べておいたり、データのバックアップを会社だけに置かずにオンラインストレージとか複数の場所に保管して冗長性を持たせて復旧しやすくしたりすると被災時の倒産リスクを減らせる。被災してから慌てて対応を考えるのでなく平時に対応を決めておくべきである。・水辺に近づかない大雨で増水した川で泳いで死亡したり、田んぼの用水路の様子を見に行って死亡したり、中州でキャンプして川が増水して孤立して死亡したりする人がたびたびいるけれど、こういうのは大雨の時に水辺に近寄らなければ避けられる事故である。中国だと海嘯と呼ばれる河口の大波を水際で見物して波にさらわれて死亡するような危機感がない人がいる。・引っ越す最近は浸水しない耐水害住宅が開発されているけれど、地価の安さが理由で川の近くに住む人は高性能の家に建て替えるお金がないと思う。土地に愛着がないならハザードマップで二階より高いところまで水没する地域や過去に何度も水害が起きた地域に住み続けるよりは被災しにくいところに引っ越す方が手っ取り早い。
2026.08.16
閲覧総数 88
9
![]()
オカルト本を自費出版させて儲けようとして秘密結社の陰謀をでっちあげたら、でっちあげた秘密結社から追われる話。●上巻あらすじケテル:私はパリの国立工学院でフーコーの振り子を見学して、何かの計画のために博物館内を探索して閉館時間を過ぎても館内に残る。ホフマー:パリのヤコポ・ベルボから電話が来て、あの計画は本当でテンプル騎士団に追われていると言われ、警察に言っても無駄だからフロッピーを読めと頼まれるものの、パスワードを聞く前に電話が切れてしまったので、私はベルボのアパートにいってアブと名づけられたファイルのパスワードを解読する。ビナー:15年前の1972年に私はテンプル騎士団について卒論を書いていて、文科系出版社のガラモン社に勤めているベルボとディオタッレーヴィに会い、ピラデの店でテンプル騎士団の説明をしていると、近くでデモ隊が警官と衝突したので逃げ出す。1年後にベルボとアルベルティ大佐に会うと、大佐はテンプル騎士団が西暦2000年に世界征服を完了する計画だと言ってパリで行方不明になったインゴルフが見つけた羊皮紙の写しの暗号文を見せて、計画を知る人の反応を見るために本を出版したいというものの、その後に大佐が殺されて死体が消え、公安のデ・アンジェリス警部は大佐は財宝話で金を借りようとするペテン師で他にも前科があるという。ヘセド:2年後、私は恋人のアンパーロとブラジルに滞在しているとベルボから手紙が来て、オカルト雑誌の主催者が<三十九>の守護霊を呼んでテンプル騎士団のメッセージを告げてその後行方不明になったという。私は計画が本当にあって、彼女が誰も知らないはずのことを口にしたので黒幕が彼女を消したと推測する。アッリエと知り合ってカンドンブレの儀式を見せてもらい、ウンバンダでアンパーロに霊が憑依して、その後アンパーロと別れて一年後にイタリアに戻る。ゲプラー:私は30歳になり、文化に関する情報を提供する事務所を作る。1981年にリアと出会ってピムになる。自費出版専門のマヌーツィオ社で鉄の歴史の本を出版するための調査を引き受け、ガラモン社長がオカルト本で自費出版したがる人たちを見つけて金儲けを企んだヘルメス・プロジェクトに参加する。ベルボとディオタッレーヴィにアッリエを紹介する。図書館で警部にあってシナーキー世界帝国の陰謀の話を聞く。●下巻あらすじゲプラー(承前):薔薇十字の夜会とドルイドの儀式を見るためにガラモン社の人たちとベルボの故郷に旅行する。ティフェレト:ベルボは打ち込んだデータをプログラムでデータを組み替えて謎めいた文章を作り、大佐の暗号を解読して、TRESという秘密結社をでっちあげる。リアが息子を産む。ヒトラーと地電流と振り子を関連付けて振り子が地図上で地球の臍の位置を示すという陰謀をでっちあげて計画を練り、計画を邪魔したイエズス会について考察する。アッリエをはぶって計画を進めていたら、ディオッタレーヴィが病気になる。リアはインゴルフの文書は最近でっちあげられたものだと論破したが、私は計画を作るのが楽しくてやめるのに未練がある。ネツァー:ベルボはロレンツァに色目を使うアッリエに怒り、計画をアッリエに話しても地図は教えずに、自分だけが地図を知っていると言って優越感にひたる。ベルボがアッリエの荷物のお使いを引き受けたら中に時限爆弾が入っていて列車爆破未遂事件として追われることになり、アッリエは姿を消し、TRESからベルボにパリでの会合の電話が来る。ベルボが困って警部に電話するものの、警部は脅迫されていて協力を断り、ガラモン社長に相談したらガラモンも連中の仲間だった。ディオッタレーヴィが癌になり、ベルボはパリに行き、私はファイルを読み終わってベルボを追ってパリに行く。ホド:私はパリの国立工学院に隠れて騎士団の儀式を見ていると、アッリエがベルボを捕虜にして秘密を聞き出そうとするものの、ベルボは首に振り子のワイヤーを巻かれて絞首刑になる。私はホテルに戻ってワグナー博士に一部始終を話すものの狂人扱いされ、ディオッタレーヴィが死んだと聞いてイタリアに帰る。イェソド:私はリアが言ったことが本当だったと思い、ベルボについて考える。マルクート:私はベルボの伯父の家にいて、理解するべきことなど何も無いと確信して安らいであの連中が追ってくるのを待つ。残された三枚のファイル──訳者あとがき:あの連中が来ない。『振り子』の語り手の私は読者になる。●感想カゾボン(私)の一人称だけれど、79ページのビナーの章になるまで語り手の素性が不明で話がわかりにくいし、各章の小題のケテルとかホフマーとかは語り手の名前と勘違いしやすいし、各章の時系列がばらばらでいつの話なのか理解しにくい。それに一人称の現在形で語るのは映画だとカメラに向かって登場人物が自分でナレーションを付け加えるようなもので、小説でやるとインタビューとか実況中継とかの特殊な状況でない限りは矛盾した語りの形式になり、いつの時点で語っているのか、なぜ語っているのか、誰に対して語っているのかという整合性がつかなくなってリアリティを損ねる。肝心なことを読者に告げないで「あの計画」や「あの連中」を少しずつほのめかすやり方も回りくどい。そのうえアブラフィア(ヘブライ神秘主義者)とかトーラー(ユダヤ教の聖書の最初の「モーセ五書」)とかバフォメット(キリスト教の悪魔)とかグラール(聖杯伝説に登場する杯)とかカンドンブレ(ブラジルの民間信仰)とかの名詞を説明も訳者の注釈もなしにいきなり出されても自分で調べないと意味がわからないし、意味を調べるためにいちいち本から離れないといけないので物語世界に没入できない。ユダヤ教徒が原書で読むなら面白いのかもしれないけれど、この小説を日本語に翻訳したところでユダヤ教に詳しい日本人なんてほとんどいないだろうし、たいていの日本人にとっては内容が面白いかつまらないかという以前に宗教用語の意味や含意がわからないんじゃないかと思う。翻訳小説マニアの数は減り続けているそうだけれど、翻訳小説を売りたいなら注釈くらいつけろっちゅうのと出版社には文句を言いたい。研究者が研究書の意味を自分で調べるのには意義があるだろうけど、単に面白い物語を読みたくて本を買っている読者が小説内の単語の意味をわざわざ自分で調べないといけないのは不毛な労力である。それに時系列をばらばらにして構造を複雑にするならその分文章を簡潔にするべきだろう。文章と内容がわかりにくいうえに時系列も話のつながりもわかりにくいのでは娯楽として成立しない。語り手のカゾボンは自分が知っている専門知識を延々と語るだけで読者には意味を説明しないので物語の案内役として不適格で、読んでいて面白いどころかストレスがたまる。読者は読んだ文章をすべて覚えているわけでもなく、メンタルモデルを形成して各章の概要を把握するのだけれど、この小説は不必要に文章量が多くて物語上必要不可欠なプロットの部分と脱線の部分の区別がつかないのでメンタルモデルが形成できず、情報を整理するために脳に負担がかかり、そのうえ長編で休憩なしには読めないので、いったん本を置いてしまうともはや各章の物語のつながりがわからなくなる。どんな工夫をするにしても作者の工夫を読者が面白さとして理解できるように提供するのが作者の腕の見せ所だろうに、読者に意味が伝わらなければ工夫をしたところで作者の独りよがりである。研究者向けの専門書じゃないのだから、作者が読者に歩み寄らずに作者と同等以上の知識を持つ読者にしか理解できないような小説は値段をつけて一般人に売るものではない。というわけでパルスのファルシのルシがパージでコクーンみたいな意味不明な文章だらけで、専門用語と外国語に注釈も無く読者に対して非常に不親切で読みにくいうえに、上下刊で1000ページくらいあるので、時間と金を無駄にしたくないという人は読まないほうがよい。物語の現在がどの時間軸なのか不明なまま延々と過去のエピソードが語られるので、私は上巻の半分を過ぎたくらいでもう続きを読む気をなくしてこの本を読み始めたことを後悔した。カゾボンやベルボの人間性が見えず登場人物として魅力がなくて感情を刺激する要素がないし、一人称の語りの構図が破綻していて語り手も信用できないし、ベルボが連中に追われてそれからどうなったのかというストーリーを語らずに、なぜ追われるようになったのかというプロットを数百ページも使って延々と語っていて冒頭のサスペンスじみた展開の緊張感もなくなって何の計画があろうが誰が殺されようがどうでもよくなってしまって、いったん脳が物語のつまらなさに拒否反応を起こしてしまった状態になると長編小説の続きを読むのはもはや苦行でしかない。面白い小説は物語の続きがどうなるのか気になって寝る間も惜しんで読むのだけれど、この小説はいったん閉じてしまうともう手に取りたくなくなる。そんなこんなでちまちま読んでいたら読むのに2週間くらいかかったけれど、その時間で他の本を読んだほうがましだった。現実と虚構が交錯するのはいかにも現代小説風の試みで、労作には違いないけれど、物語としてつまらないのでは小説としては失敗である。フィネガンズウェイクのような衒学の意味を調べるのが好きな暇人とか、陰謀に興味がある中二病の暇人とか、ウンベルト・エーコのファンの暇人とかにはそれなりに面白いかもしれないけれど、そうでない人は小説として読むよりも雑学本として割り切ったほうがかえって面白いかもしれない。小説としてはつまらなくて、雑学としての面白さがあるとはいっても結局自分で調べないと意味がわからないので、オカルト本を直接読んだほうがましに思える。というわけで小説としてはつまらなかったのだけれど、下巻361ページの「小説を書くのは、<歴史>を書き直すため。それも書き直してから、<歴史>になるような歴史を。」という文章はフィクションが現実に悪影響を及ぼしうることを端的に言い表していてよい。歴史を書き換えるために小説や映画を作ったりするのは左翼がよくやる手法で、左翼作家は旧日本軍の悪行をでっちあげて、左翼政治家はフィクションを事実扱いして大騒ぎしている。権力者は検閲して左翼に対抗しようとするのだけれど、現代では検閲はないので左翼がやりたい放題やって、左翼が本屋を脅迫して言論の自由を脅かすという逆転現象まで起きている。偶然にもこのテンプル騎士団の小説を読んでいる間に村上春樹の『騎士団長殺し』という新作長編小説が出版されて、南京大虐殺で10-40万人死んだ説があると言い出して中国人を喜ばせていた。村上春樹はくだらないポルノ作家だと思っていたけれど、もはやくだらないを通り越してフィクションで歴史を書き換えようとする有害作家になってしまった。★★☆☆☆【中古】 フーコーの振り子(上) 文春文庫/ウンベルト・エーコ(著者),藤村昌昭(訳者) 【中古】afb【中古】 フーコーの振り子(下) 文春文庫/ウンベルト・エーコ(著者),藤村昌昭(訳者) 【中古】afb
2017.03.27
閲覧総数 1282
10

DQN(ドキュン)というのは非常識な言動をする人を指すスラングだけれど、バーベキューをするDQNはBBQN(バーベキュン)あるいはBQN(バキュン)と呼ばれる。バーベーキューというのは火+肉+酒+音楽というディオニュソス的な集団的狂乱を引き起こす行事である。ディオニュソスの祭りでは悲劇の競作が行われたそうだけれど、バーベキューでも酒を飲んで川で泳いだ人が溺死したり、酒を飲んで喧嘩して傷害致死したりする事件が毎年の恒例行事になっている。そもそもなぜ焼肉屋でなくわざわざ河原まで出かけて行ってバーベキューで肉を焼きたがるのか、監視員がいて安全なプールや海水浴場でなく危険な川で泳ぎたがるのか考えることにした。●なぜDQNはバーベキューが好きなのか・仲間を確認したい人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限であるダンバー数は100-250人と言われているけれど、バーべーキューも数十人の小集団で行われている。バーベーキューは結婚式の披露宴みたいなもので、仲間が一堂に会する場所や機会が日常生活にはあまりないし、焼き肉屋を貸し切りにしたりすると金がかかるので、仲間を確認する儀式として場所代がかからない河川敷でバーベキューを行って、誰がどのグループに属していて誰とつながりがあるのかという人間関係を確認して仲間の絆を深めるわけである。恋人ができた人はバーベキューに連れて行って仲間に紹介して、恋人と別れた人はバーベキュー参加者の中から恋人を見つけようとして、仲間内での人間関係を強固にしていく。どんちゃん騒ぎをするにしても、自治体主体で不特定多数が集まる祭りと、親しい仲間だけが集まるバーベキューでは目的が違うわけで、バーベキューの場合は仲間に重点が置かれている。そもそも動物は食べ物を分けてお互いを飢えさせないことで相手を仲間として認識するので、犬や猫やカラスのような社会性がある動物は餌をあげると人に懐く。バーベキューはレストランみたいに一人分ずつ食事を作るのでなくて、大きなコンロで大量の食材を焼いて皆で少しづつ分けるという食べ方なので、仲間を作るのに適した原始的な食事の仕方である。そして普段行かない場所に行って誰かと何かを食べた体験はエピソード記憶として長期記憶に残りやすい。バーベキューは非日常的な河原に出かけてものを食べて仲間を記憶するのにちょうどいい条件がそろっている。・仲間外れになりたくないので誘いを断れないソロキャンプをするには一人で機材を全部用意しないといけないので金がかかる。しかし貧乏でも、車を出す人、テントを持ってくる人、コンロを持ってくる人、肉を買う人、酒を買う人、設営や片付けをする人に役割を分担すれば、一人ではできないこともみんなでできるようになる。このようにDQNは貧しさをカバーし合っているので、一人で行動せずに仲間という集団で行動する。バーベキュー主催者が仕事を回してくれる土建屋の親方とか人間関係に影響力があるマイルドヤンキーのリーダーとかだと、誘いを断って機嫌を損ねるとそのグループ全体から仲間外れにされて人間関係や仕事をなくして孤独な貧乏人になってしまうので誘いを断れないのである。・影響力を確認したいイベント系サークルが頻繁にパーティーをするように、イベントの主催者は自分が一声かけたら大勢の人が集まったという影響力を確認して満足したいので、定期的にイベントを開催したがる。泊りがけのキャンプの誘いとかなら準備が面倒だったり他に用事があったりして誘いを断る人も出てくるけれど、半日バーベキューをする程度なら相手に断られにくいし、友達も気軽に連れて来やすくて仲間が増えて主催者の影響力が大きくなるので、バーベキューは人を集めるのにちょうどよい。・治外法権の場所でヒャッハーしたい都会というのとは常に他人の目があって、何をするにも息苦しい。自宅の前の道路でバーベキューをすると隣の家のババアが文句をいうので、他人の目を気にせずに思う存分楽しみたいという欲求を満たすために管理者が常駐していない川まで出かけて行ってバーベキューを行うわけである。DQNの川流れとして知られる玄倉川水難事故で中洲でキャンプしていた人たちが再三の避難勧告に従わずに危険な中州に残ったのは、テントの設営をして自分たちのテリトリーを持ったことで自分がその土地の領主として主導権を持った気分になって他人からの命令を受け付けなくなったのだろう。社会心理学では集団になると極端な言動をするようになることをリスキーシフトというけれど、大雨で増水した川の中州でキャンプするのは危険だから避難したほうがよというのは個人なら誰でも理解できるだろうけれど、集団になると「早く失せろ、殴るぞ」という聞く耳を持たないDQNリーダーに同調するようになって無自覚にリスキーな行動をしてしまう。キャンプをして仲間の絆を深めたことでかえって集団としての判断を誤らせることになった。DQNは河原に領土を獲得してキャンプを設営すると、もはやいち市民ではなく一国の武将になる。そこで酒が入ると武将モードが発動して、身分が下の者の態度が気に入らないと難癖をつけて刃傷沙汰になる。・原始に帰って野性が目覚めるどの文明も川のそばの平野で生まれたのは、川が氾濫することで土地が肥沃になるし、川が敵の侵略を防いだり交易の拠点になったりするからである。文明の利器に囲まれて育った現代人がわざわざ不便な川のそばに集まるのは、川の側が生存に有利だという本能によるものである。登山の素人は山で遭難すると山頂の登山道を目指さずに危険な川沿いを下って沢で身動きが取れなくなって死んでしまうように、川は人を引き寄せる性質がある。酒を飲んだDQNが川で泳ぐのも本能によるもので、日よけがなくて暑い川辺でアルコールを飲んで水分不足になると、冷たくて気持ちいい川に引き寄せられるのである。そして火を使って食べ物を調理するのは人間だけができる贅沢である。バーベキューの味付けなんてシンプルなもので、料理としてたいしてうまいわけでもない。しかし火を使って調理して皆で食料を分け合うことにバーベキューの意義があるので、ピクニックみたいに電子レンジとかの文明の利器を使ったおいしい弁当を持ち込んで上品に食べてはいけないのである。こうして川の側で火を扱って肉にかぶりついて野性が目覚めることで、DQNは自分が強くなった気分になるからバーベキューが好きなのである。ちなみに焚き木や炭で調理するときは「熾火(おきび)」という炭が赤くなった状態にすると火力が安定するのだけれど、DQNは火をガンガン燃え上がらせるのが好きなのでやたらと燃料を投下して焼きむらができたり焦げたりする。河川敷で調理するにしても芋煮会でDQNが暴れて死者が出ることはほとんどないので、DQNはバーベキューならではの肉と火が好きなのだといえる。・刺青を見せびらかしたい刺青を入れたのに見せる場所がないのではつまらないので、DQNはやたらと刺青を見せびらかしたがる。プールや海水浴場では刺青を隠すように監視員に注意されてうざいけれど、河川敷だと服装規定がないので、野外で上半身裸になって刺青を見せびらかして周囲の注目を集めることができてDQNの自己顕示欲を満たせる。DQNの集合写真はたいてい刺青を見せて格好つけている。ちなみに刺青については刺青・タトゥーについて考えるという記事で私の考えを書いています。●DQNがバーベキューで死ぬ原因普通の人はバーベキューで死ぬことはほとんどないけれど、DQNはなぜかバーベキューをすると死んでしまう。ということは死ぬ原因はバーベキューではなくて、DQNの行動に原因があるということになる。バーベキューをやるときに近くに川があること、火を扱うこと、酒を飲むことが死ぬきっかけになっているようである。・溺死そもそもDQNは仲間になめられたくなくて無駄に危険なことをやりたがるもので、川があると泳ぎたがる。グループの中のまともな人が危ないからやめとけと注意しても、DQNは臆病だと思われたくないがゆえに「大丈夫だって」「何ビビってんの」とかえってむきになって、自分に注目が集まることを喜んでしまう。そのうえ酒を飲むと理性がなくなって他人の注意を聞かなくなる。周りの人が抑え込んで無理やり止めようとすると喧嘩になってバーベキューの雰囲気が悪くなるので、それほど仲の良くないグループならDQNが泳ぐのを止めようとせず、そのままDQNが川に放流されることになる。自然には安全な場所というのはないもので、流れが穏やかな川でも溺死する危険がある。突然冷水と接することが原因で副交感神経が刺激されて心停止を起こすことを液浸症候群というけれど、川は底のほうが冷たくなっていることがあるので足がつく程度の深さだとしても水温が冷たいと心停止で溺れる可能性がある。あるいは川に入った最初のうちは元気でも水が冷たくて筋肉が冷えて泳ぎにくくなって低体温症になって溺れるパターンや、酒を飲んだうえに着衣で川に飛び込んで思うように泳げずに溺れるパターンや、橋とかの高い所から川に飛び込んで川底の石で頭を打ったり頸椎を損傷したり足を捻挫したりして溺れるパターンや、立とうとしても苔や泥で足が滑ってパニックになって溺れるパターンもある。さらには仲間のDQNも酔っていたり肉を焼くのに集中したり会話がはずんだりして周りに対して気を使っていなかったりするので、溺れた人がいてもすぐに気づかなくて救助が遅れる。海水浴場だとライフセーバーがいたり周りが泳ぐ準備ができていたりボートや浮き輪とかの救助に役立つ道具が近くにあるけれど、泳ぐための場所でない河川敷でその場のノリで川で泳ぐと周りも救助のための手段がないし、レスキュー隊を呼んでも現場に到着するまで時間がかかるし溺れている人の捜索や救助は大変なので、救助が遅れて心肺蘇生をしても手遅れで死亡率が高くなる。風物死と呼ばれるくらいバーベキューでの溺死が多いけれど、DQNに学習能力がないからこそ毎年死者がでる。・焼死液体着火剤は火をつける前の炭に塗って使うけれど、DQNは説明書を読まないので火をつけた後の炭に直接液体着火剤を投入して着火剤が飛び散って周囲の人が着火剤まみれになって炎上してしまう。ふざけて花火を相手に向けて化学繊維の服が燃え上がるパターンや、カセットボンベが爆発するパターンもある。・喧嘩で倒れて頭を打って死亡DQNはしばしばバーベキューで酔っぱらって他のグループに因縁をつけたり、女性をナンパしようとしてトラブルになったりして喧嘩をするけれど、バーベキューをやるような河原はたいてい大きめの石がごろごろ転がっているので、喧嘩で倒れた時に大きな石に頭を打ってしまうと打ちどころが悪ければ死亡する。酔っていると足元がふらつくうえに受け身も取らないので死亡率があがる。夏休みに死にたくない人は、夏休みに死なない方法の記事を読むとよいですよ。●DQNにバーベキューをやめさせる方法はあるのかコロナの蔓延防止のために政府が不要不急の外出自粛を要請したり地方自治体が河川敷を通行禁止にしたりしても、DQNは真面目に他人の言いなりになるのが格好悪いと思っているので効果がない。ではどうすればDQNに不要不急のバーベキューをやめさせることができるのか考えてみる。・罰金をとる違法駐車や飲酒運転や歩きたばこのような好ましくない行動をやめさせたいなら罰金を取るのが効果的で、最初は反発があっても社会的な慣習になれば従うようになる。バーベキュー禁止地域への不法侵入やゴミの不法投棄に対して罰金をとって、罰金を払うよりも有料バーベキュー場や焼き肉屋を予約するほうが安いのならDQNはそっちを使うかもしれない。・保険で不利になる告知をする川で泳いで死ぬにしても、生命保険に入っている場合に立ち入り禁止の場所や遊泳禁止の場所で泳いだりして死亡した時には普通死亡保険金は払われるものの災害保険金の分が払われなくなるので、受取人は損をする。DQNは立ち入り禁止の河川敷を人がいなくて好き勝手できる場所と認識しているけれど、事故が起きたら自己責任で大損する場所なのだと認識を改めれば危険なところには近づかなくなるかもしれない。・ライブ中継する川にはあちこちに水位を確認するための監視カメラがあるけれど、これを違法バーベキュースポットにも設置して24時間ライブ配信すれば、いくら恥知らずのDQNでもネットで全国に恥をさらすのは嫌がって避けるかもしれない。・DQNのテンションを下げる環境に無害なくさい臭いを付けた水を開発して河川敷に散布したり、水死者の供養塔を建ててお経を流したり、霊障があって運気が下がるパワーダウンスポットだと宣伝したりすれば、DQNのテンションが下がってバーベキューや水遊びをする気分でなくなって帰るかもしれない。●なぜDQNでない人はバーベキューが嫌いなのかマツコ・デラックスがバーベキューを批判したのが話題になったけれど、バーベキューが嫌いな人も少なくない。・仲間より自分が大事最近はソロキャンプが人気になっているけれど、自然が好きな人はまず個人として自然と向き合いたがる。他人の目を気にして他人と価値観を共有しなくても、自分が楽しければそれでいいのである。マイルドヤンキーは友達ネットワークから排除されると貧困になるから友達を重視するということが橘玲の『幸福の「資本」論』に書いてあるけれど、マイルドヤンキーでない人はわざわざバカとつるむくらいなら一人のほうがましだと考える。・野性より理性が大事理性がある人は自然とお友達になって自然を従えることはできないと知っているので、野性の呼び声を無視して理性で物事を判断する。家族連れなら危険な川でバーベキューをするくらいなら金を払って安全で衛生的なキャンプ場を使うし、もし川辺でバーベキューをするにしても天候に注意して、川の上流で雨が降ったら自分がいる場所で雨が降ってなくても鉄砲水を警戒して川から離れて、わざわざ危険な場所で酔って判断力をなくして無防備になるようなことはしない。・自宅が一番快適なので外出したくないわざわざ不便な場所に出かけて行って、偉い肉奉行のご機嫌取りをして、食中毒の危険がある肉を食べて、人間関係のいざこざに巻き込まれるなんて罰ゲームである。若者が職場のバーベキューに参加したがらないのは、一番下の立場で準備と後片付けでこき使われて、酒が入った上司や先輩にいびられるとわかっていて、休日をつぶしてまで参加するメリットがなんもないので、家にいてエアコンがきいた部屋でごろごろしてゲームするほうがましなのである。●DQNはバーベキューのようなフィクションが好き・仲間系フィクションはDQNだらけバトル漫画はたいてい主人公の仲間グループと敵グループの二項対立で、いい奴は仲間、悪い奴は敵、悪い奴はぶっとばして一件落着である。政治的駆け引きや話し合いの余地がなく、どんな理念を持っていようが強いほうが勝ちという野蛮なやり方である。主人公が自分たちに正義があると思っているという点でアウトロー漫画とは違うけれど、考え方や行動はDQNで、ボス戦で仲間が大集合して協力して敵を屠るバーベーキュー的展開になる。中でも典型的なのがやたらと仲間を強調する『ONE PIECE』である。表裏のないバカな船長が仲間と外出して権力や支配に反逆して大暴れしてセクシー美女と飯を食ってどんちゃん騒ぎをして仲間意識を深めるという展開で、これはいうなればバーベキュー漫画で、バーベキュー好きなマイルドヤンキーにうけた。・文学はバーベーキューの対極のぼっち系文学は一人の主人公の思想や行動に焦点を当てる。価値観が同じ仲間がわらわら出てきてみんなで騒ぐというバーベーキュー的展開は文学作品ではほとんどない。むしろ主人公が社会的に疎外されることで主人公の価値観が浮き彫りになる。しかしぼっち読者相手に本を売っても口コミが広がらないので、マーケティング的には旨味がない。出版業界が若者の読書離れをくいとめたいなら、DQNをターゲットにして仲間を大事にして俺らツエーウェーイするバーベキュー文学を売ればよいと思う。本なんか焚火にしてしまえ、ヒャッハー!的なバーベキュー文学があれば、たぶんマイルドヤンキーにうけてビートジェネレーション的な流行になって、バーベキューで本が燃やされるたびに増刷されて出版社は儲かるんじゃないかと思う。幸福の「資本」論あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」【電子書籍】[ 橘玲 ]
2018.09.12
閲覧総数 29697

![]()
![]()