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英語からも、洋書多読からも、国際交流からも遠ざかっていますが、私は元気です。3年前にマヤ暦に出会い、2年前にはアドバイザーにもなりました。今はアメブロで日記がわりの日々をマヤ暦とともに書いています。ガーデニングのこと、DIYのこと、読了した本のこと、料理やピアノ、雑多なテーマで一つに絞れないのが私らしさです😆よかったら覗いてみてください。https://ameblo.jp/sazaechan77/entry-12852463349.html随分長い間楽天写真館にアクセスしてなかったので、写真が消されるという案内をもらい、久しぶりに投稿してみました。
2024.05.22
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訪問してくださるみなさまへ当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。長く中座していたブログを6月から再開し、乳癌日記を書き綴ってきましたが、実はもう一つブログがあり、今後はそちらのほうだけに乳癌日記を更新することにしました。こちらのブログは、これまで通り、多読の本のこととか、旅の記録とか、夢に関わることを綴っていきたいと思います。内容によっては記事がダブることもあるかもしれませんが、とりあえず住み分けということで。乳癌日記は、今日「試練と支援はセットで現れる」を更新しました。その日記は→こちらをご覧ください。
2018.08.21
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昨年の乳癌がわかった頃の記録です。ある朝、自分の心の弱さに向き合って、どうしようもなく悲しくて泣きながら職場までの道のりを運転していきました。どのあたりで涙がこみ上げ、どの辺でボロボロ涙流して泣きじゃくっていたか、今でもその時の十数分の光景が蘇ってきます。(涙があふれて視界が悪くなったけど、事故だけ起こしちゃいけないと、目だけはしっかり開けて運転してました)このとき、2年半前のアメリカ、アリゾナツアーでのことを思い出していました。ロサンゼルスからサンディエゴに向けて、ドライブが始まったばかりの初日のランチの席で、ロッキーさんの夢実現講座のミニレクチャーが始まりました。夢を叶えるのはね、簡単なんですよ。願うことを心に描いて頼めばいいんですよ。そしてそれが叶うと信じる。それだけでいいんです。というロッキーさんの言葉に、私、もし叶わなかったら、天(宇宙?神さま?天使?)に申し訳ない気がして、叶いそうな夢だけをお願いしてしまうところがあるんですけど・・・ と話したら、それはね、信じる力が弱いからですよ。信じる力を強くするんです。願って叶わないときは、自分の信じる力がまだまだ弱いと受け止める。信じる力を強くしていくことです。と、返してくれた言葉。そのとき何気なく言われて、何気なく聞き取ったけど、旅の間その言葉はどんどん重みを増し、心の奥底に響いていきました。その時以来、は自分のテーマになりました。(その時の旅の記録はこちらのブログで)その時のことが蘇ってきました。そして、ここにきて、今もまだ信じることが怖くて、信じきれない自分だと気づき、信じることの難しさをひしひしと感じたのです。いろいろやってきたけど、なんら成長していない、信じる力の弱い自分でした。自分のことも信じ切れていませんでした。情けなく、ただただ悲しく涙があふれました。そして、心から祈りました。どんな結果も受け入れる、私は大丈夫、と。癌とわかったときに感じた最初の思いは、「これで人生に箔が付く!私に悪いことが起きるはずがない。癌になって手術をしても、マラソンを走って、誰かの励ましになりたい、誰かの希望になりたい!」でした。そして、最初にそう感じた自分の直観を信じよう、自分に正直にあろうと決めたのでした。涙にくれながら運転したこの日の朝が、転機となりました。
2018.08.20
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昨年の乳癌日記は、一番辛かった告知から2週間余りがもうすぐ経過するところです。落ち込んだ気分の話が続くので、書いていてもユーウツになりなかなか進みません。もうちょっとで夜明け?気分は一新するんですが・・・ さて、今日はちょっと違うお話です。昨日、夜活@富山で、「人工乳頭(エピテーゼ)って聞いたことありますか?」というお話を伺ってきました。その告知案内を見てびっくり。6月に乳房の再建手術を受けたとき、お医者様から乳頭乳輪なら、こういう付け外しタイプのものもありますよ、と見せていただいたのが、上の写真のようなものだったのです。そういう人工物があるのはその時初めて知ったのですが、プレートにいくつもいろんな乳頭乳輪がならんでいるのを見たら、思わず可笑しくって、笑ってしまいました。そこまでして付けなくてもいいです、と言ってそれきりだったのですが、まさかここでそのお話が聞けるとは!その作り物の人工物が、「人工乳頭(エピテーゼ)」という名前がついていることも初めて知りました。1年間エキスパンダーを挿入して、乳頭乳輪のない状態が続いたら、もうあっても無くてもどっちでもいい気がしていました。最初は乳頭乳輪も再建するつもりでいましたが、今回乳房の再建を受けたら、移植したお腹の脂肪の移植後状態を確認するための「窓」が設けられて、下図の「目」のような部分がそれですが、その窓部分が乳房の他の部分より少し凹んで段差があるのです。 点線は去年の手術跡です。そうしたら、なんだか見た目が・・・ 変!お医者様は、半年過ぎたら部分麻酔で窓をふさいで切開の跡を1本につなぐことできますよ、と言ってくださり、それは願ったり!ぜひ受けようと思っています。それが3回目の手術になります。これに加えて乳頭乳輪の再建手術が更にその数か月後に、というと、4回目もう、面倒くさい~~~~~乳頭乳輪、もうなくてもいい!いらない!と思っていた矢先の昨日の人工乳頭(エピペーゼ)のお話でした。昨夜の夜活の様子です。(主催者永吉さんのFBより転載させていただきました)エピペーゼというのは、けがや病気で体の欠損した部分を補う人工補綴物のことを言い、乳輪乳頭に限らず、指や耳や鼻のようなものもあり、医療用シリコンで作られるそうです。ハリウッドでの特殊メイクのように本物そっくりに見せる加工技術ですね。エピペーゼは、体を傷つけずに再建する方法として、負担が少ない利点があるのだそうです。進行役の伊藤尚美さんは、2010年にブレストケア・アーティスト資格を取得され、7年間女性クリニックの乳腺外科内でオーダーメイド人工乳頭を製作されていました。しかし、一般にはまだまだ馴染みはなく、「人工乳頭」という言葉さえも検索ワードにすら上がらない状況に、少しでも必要としている人にこの情報を届けたいと熱い思いを話してくださいました。詳しくお知りになりたい方は、伊藤さんの人工乳頭オーダー工房Brelabをご覧ください。→こちら昨夜参加された方で、もうすでに人工乳頭を使用していらっしゃる若い方が、これを付けることで本当に気持ちが救われたと話されていたのが印象的でした。「たかが乳頭、されど乳頭」失くしたと思ったものがもう一度手に入る喜びは、感謝そのもののように感じました。昨日のお話で、私も落ち着いたらこの方法で再建しようかな、と気持ちが傾いてきています。伊藤さん、ありがとうございました。
2018.08.07
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もう一年たった過去のこととはいえ、辛かった時のことを思い出して書くのは、しんどいものです。読んでくださる方も、気が滅入るでしょう。そんな時期ももうあと少しで終わるのですが。もう少しの辛抱・・・ 続きです。私にはMさんの他にも心配してくださる友人がいて、いろいろ温かなアドバイスをくださいます。そしてその友人がやっぱり心配するのです。手術を決めた展開が早すぎる気がする、と。え?展開が早い?・・・ それが危うく見えるのそれまでは、こんなに早く物事が進んで、私はなんてラッキーなんだろうって思っていました。自分でしこりを見つけて、訪れたクリニックですぐに診察してもらえ、生検もできて、2週間後に癌と診断され、その日のうちに手術が決まる・・・1~2か月程度では癌の進行はそれほど変化ないと聞くものの、手術するなら早いにこしたことないと、こんなにスムーズに物事が進んでいってよかったと、私は感謝で受け止めていたのです。みんな心から心配して、善意で言ってくださる温かな言葉とわかるだけに、人の意見を聞けば聞くほど、自分の判断が揺らいでいきます。本当に大丈夫?本当にこれでいいの?どうすればよかったの?これからどうすればいいの?気づき・・・信じることへの恐れがある。望んで上手くいかなかったら、望んだ結果を得られなかったら、自分の信じる力が弱いと失望する。それが怖いから。私はダメと落第したと感じるのが怖い。私に奇跡を起こせる力はなかったと、がっかりするのが怖い。自信のなさは恐怖から。それを宇宙に責任を預けて、委ねると表現してる。逃げてるのかな。自分を信じることに。委ねて流れに身を任せれば、悩まなくていいから。楽な道を選んだこと、その時点で宇宙からの課題に落第してるのか。癌になっただけでも嬉しくないのに、こんな自分の弱さを突き付けられるなんて・・・悲しい。私は弱い人間なんだ。スピリチュアルなんて、知らなきゃよかった。癌への恐れじゃない。宇宙の課題に落第してるんじゃないかという恐れ、天を失望させているんじゃないかと思う悲しさ。ただただ悲しい・・・癌がわかる少し前にマイケル・A・シンガーの「サレンダー」という本を読んでいました。サレンダーというのは「委ねる」という意味です。ヨガに出合い、ヨガナンダという聖者の影響を受けたマイケルは、自分の意志を捨て、すべて出来事が起きるままに、流れに身を任せる生き方を貫いていきました。どんなふうに物事が展開していくかは、人智を超えて想像もつかないところに人の運命を運んでくれるのです。目標設定型の考え方がある一方で、この委ねる生き方も魅力的なものとして目に移り、委ねて展開していく人生も面白いかもと思っていた私でした。癌がわかったとき、この「サレンダー」を思い、委ねようと思えたことが気持ちの支えでもありました。でもこのときは、委ねると思ったことさえも、弱い自分から目をそらすための言い訳だったのかと、そんな自分が弱さそのもので、情けなく悲しく感じるのでした。ただただ悲しく、とめどなく涙が流れ、嗚咽しながら運転したある日の朝・・・このときが、一番辛く落ち込んだ時でした。
2018.07.31
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検査の結果と、結局は最初の予定通りに全摘手術にすることになったということをMさんに伝えました。それを見て届いたMさんからのメールです。検査結果そうだったのですね。わたしだったらこうするのお話させてください。温存治療を提唱されてる先生を探して初めて受診してる顔して最初から検査してもらいます。今後、すべての治療を受けるのはわたしだからそして、毎日ニコニコ笑顔で幸せ、楽しい、嬉しいと言ってるわたしを鮮明に描いていきます。他の人がどうなったのかは関係ない!データも関係ない!ミラクルを起こすのはわたしです Mさんは、私のことを思って言ってくださるのです。その温かな思いがひしひしと伝わってくるのです。Mさんのそんな思いがわかるだけに、Mさんの勧めと違う選択をしたことに、そして、ミラクルを起こすのはわたしという力強い言葉に、もしかして私、やっぱり間違った道を選んでいるのかと重苦しい気持ちになるのでした。誰かにその重苦しい気持ちを聞いてほしくて、妹宛に書いたメール。昨日の検査結果をMさんにメールしたら、私ならこうする、と返ってきたことが、私の選ぼうとしていることと違って、気持ちが沈んでいる。私が選ぼうとしていることは間違いなのか。善意で言ってもらっていることがわかればわかるほど、違う道を選ぼうと決意することに罪悪感を覚える。最初は全然重く受け止めていなかったのに、どんどん自分の中でガン患者の比重が重くなる。最初は明るく振舞うんじゃなくて明るかったのに、今は振舞うことを意識する。こういう内面の対話が必要だったのかな。自分を信頼することが課題なのかな、と感じている。自分の内面を見つめた、自分との対話はこの後も続くのでした。
2018.07.27
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翌日5月19日(2017年)はMRI検査の日でした。MRIもCTスキャンも、私には初めての検査。どんな検査だろう、ってちょっとだけ好奇心でワクワクです。 上のイラストのように、てっきり上向きで横たわると思っていたら、うつむきで寝てくださいとのこと。最初はそのままで撮影し、後半に造影剤を入れて撮影するということで、耳栓を渡されました。音がやかましいのだそうです。確かにやかましかったです。ダ、ダ、ダ、ダとドリルで何かを砕いてるような音?結構振動が響いてきました。後半に造影剤を入れられると、全身に温かいものが駆け巡り、変な気分。検査は40分ほどで終わり、待合室で診察を待ちます。先生に、全摘手術はやめて、温存手術に変えたいということを伝えなくちゃと思うと、ドキドキ身構えるひと時でした。その間、手術の後にランニングしている人はいるかしらと、「乳癌、手術後ランニング」と検索をかけて、経験者を探してみましたが、期待したような内容の投稿は見つかりませんでした。一つだけ、ランニングを再開したという方の話を見つけましたが、術後1年以上も経過してようやく少しずつというものでした。がっかり。私は秋のマラソン大会に出たいのです。フルマラソンを走りたいのです。少しでも早く走れるようになりたい。でも、手術後に走ってる人の経験談はみつからない。やっぱり無理なのか・・・そして、手術も化学治療も受けず、自然療法だけでがんばると言って闘病日記のブログを始めた方が、1年、2年とたつうちに癌が転移し、どんどん悪化している様子を綴られているのを読み、気持ちが暗澹としていきました。一つ違えば、私もこうなるのか・・・私は癌なんだ・・・と息苦しさがこみ上げてきます。ようやく診察の番が来て、告知以来の主治医との対面です。告知の日から、私なりにいいと言われることは取り組んできていたつもり。腹六分、炭水化物や糖質を抑え、人参リンゴジュースを毎日飲み、アロマオイルを塗り、ホ・オホノポノを実践し、癌細胞にも感謝の波動を送りと、前向きに取り組んでいました。心のどこかで、いい結果が、奇跡のような結果が出ないかな。調べたら癌細胞は思ったより小さかった、大したことなかった、と言われないかな、と期待していたのです。残念ながらMRI検査で撮影した画像からは、期待した奇跡はありませんでした。改めて、本当に、間違いなく、癌細胞がしっかりあるという確認がなされたのでした。ここで、主治医に勇気を出して、「全摘手術ではなくて、温存手術にしたいんですが」と切り出してみました。エー!!! 部分手術ですか!あなたのはね、癌細胞が繊維状にあちこちに伸びているから、これを一つ一つ繊維に沿って部分的に取っていくというのは、ちょっと大変なんですよ。「そこを何とか、できませんか」と粘る私。「そうですか。そこまで言うなら、挑戦してみますか」と私の意をくんでくれようとした主治医でしたが、カルテの検査結果の値をスクロールしながら確認していき、「あ、癌細胞の活性化率が○○%だね。ちょっと高いね。んー、やっぱり、無理!僕は部分手術は勧めません!」というきっぱりした言葉に、「わかりました!やっぱりいいです。全摘手術にします!」と心を決めたのでした。前日Mさんの熱心な勧めで、心は動いたものの、本当はどうしたらいいか動揺していた私。お医者様を信頼して任たいと思っていたところに迷いが生じて、とりあえずMさんの勧めから先生に伝えてはみたが、本心からそうだったのかはわからない。何がいいのかなんて、初めての経験だから、人の意見に左右されて右往左往の私・・・癌細胞の活性化率のその値が、本当に高いのかどうかは私にはわかりませんでしたが、主治医がその値を見て、やっぱり無理と判断したその言葉で私の心は決まり、Mさんにも言い訳が立つと気が楽になったのでした。病院からの帰り道、初めて涙がつたい、泣きながら運転して帰りました。切なく、悲しく、先が見えない不安で一杯の私でした。
2018.07.26
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乳癌とわかった頃、お友達のMさんのことを思い出していました。Mさんは、2015年のお正月にアリゾナツアーに出かけたときのツアーメイトです。サンディエゴ湾を回るクルーズ船の中で、乳癌になり手術も受けたけど、その後はお医者様の話は一切受け入れないで自分は元気と信じて、健康であるかのように過ごして、今はまったく問題なし!と語っていたMさん。そのときの明るく大らかな笑顔と力強い口ぶりがよみがえってきて、話をお聞きしたいと連絡を入れました。そのMさん・・・私の話を聞いて、どうして全摘しちゃうの?部分手術でも大丈夫だと思うよ。最近のお医者さんはね、すぐに全摘しちゃうの。そのほうが楽だから。なんでセカンドオピニオンを受けなかったの。私だったら全摘手術は選ばない。部分的に切除しても、ちょっと小さくはなるけど、そんなに形は変わらないよ。絶対乳房は残したほうがいいと思います。乳房を残したいっていう気持ちを伝えて、そういうお医者さんを探したら、必ず見つかるから。と熱く伝えてくれるのでした。私の主治医はね、患者さんの体の負担を軽くするために、乳房摘出と再建を同時に行うことを研究して、そういう手術の第一人者になられて有名なんですと話すと、そういう医者だからこそ、実績を摘むためにそういう診断をするのよ。全摘後に再建手術をしてこんなふうに成果を上げましたって、言うと説得力が増すでしょう。そのために温存手術でもいいものまで全摘手術にしてしまうのよ。そんな感じには見えなかったけど・・・とにかく違うお医者さんを当たってみて。乳房を温存してくれるお医者さんを探してみて。と、熱心に勧めてくれるMさんでした。まさか、そんなふうに言われるとは思ってなかったので、思ってもみない展開に戸惑う私・・・主治医の先生は、信頼がおけると私は見てとりました。だから即座にお願いしますと今後の治療をお任せしました。手術の日程が決まり、手術までの検査の段取りが組まれ、職場には病気休暇の申請もして日も近づいてきている中で、今になってほかの医者の診断を受けるというのは、予約から始まり、検査、診断というと、またかなりの時間が必要になってしまいます。とても現実的には思えませんでした。今から他のお医者さんを探すのはちょっと無理・・・。明日は検査の日なので、全摘をやめて部分手術に変えたいってお医者様に言ってみる、ということにしたのでした。MRI検査を控えた前日、5月18日のことでした。
2018.07.20
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去年、乳がんと診断された頃のことを書いています。告知直後は、なったものはしょうがない、病気を糧に更に飛躍しようと、努めて明るく前向きに受け止めた私でしたが、時間の経過とともに気持ちが沈んでいきました。一つは、前々回ムラキテルミさんのことを書きましたが、自然療法や食事療法などの情報がいろいろ入ってきたら、選んだ治療がそれでよかったのかと迷いが生じてきたこと。そして、乳癌の闘病している人のブログを読んでいたら、がんばろうと明るく思う気持ちとは裏腹に、思うように回復していかない辛さが伝わり、息苦しくなってしまったこと。癌はやはり、大変な病気なのでした。そんな大変なものに私はなってしまったのでした。そう思うと、だんだんと深刻に心は重く沈んでいきました。そしてもう一つ。実は私はなまじっかスピリチュアル大好き人間だったのです。乳癌かもしれないと思った頃にタイトルに引き付けられて買ったのが、ディーパック・チョプラ博士の「あなたは「意識」で癒される」という本。写真を見ての通り、帯に大きく「なぜ、癌が自然に治る人がいるのか?」と書いてあります。その下には小さい文字で「意識だけで乳がんが治る」との内容項目が・・・。読んでみると、スピリチュアル本というよりも、医学博士が書かれるだけあって、学術的で理屈っぽく、私には難しくて途中で挫折してしまいました。ただ、思考や考え方が体に影響を及ぼすことは理解できました。癌の自然寛解という言葉も心に残りました。思考や考え方を正常に戻せば、癌細胞も正常化する、奇跡と言わわれることもあり得るのです。そうするとですね、どんなふうに意識を、思考を正しく持っていけばいいか、それまでも自分なりには何事も前向きにとらえて感謝の毎日を送っていたはずなので、これ以上どうあればいいのか、わからなくなっていきました。そして、心配してくれる友人の温かなアドバイスから、胸をさすりながら癌細胞さえも愛し慈しむように「ありがとう」と言葉をかけ、以前本を読んで知ったホ・オホノポノの「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」を唱え、笑いが大切と聞いたら、きみまろの楽しいビデオを見て笑い、瞑想をし、走って、ピアノを弾いて、感謝して眠りにつく・・・いいと思うことは、なんでもまじめに取り組んでいきました。こんなふうに前向きに取り組んでいけば奇跡が起こるかもしれないとほのかに期待して・・・。でも、期待する気持ちとは裏腹に、奇跡を起こす力は私にはないと恐れる気持ちがありました。信じたいけど信じられない。こうすればいいと聞けば聞くほど、そう実践しても自分には期待通りの成果を出すことができない。私には無理かも・・・悶々とする日々でした。
2018.07.19
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看護師の妹からは、更に「腹6分にして甘いもの食べないように」と伝令がありました。癌細胞は炭水化物や糖質を好むのだそうです。なるべく野菜を中心にとのアドバイス。おやつも控える!ムラキテルミさんのHPからは、人参りんごジュースがよさそうとわかり、さっそくスロージューサーを買ってきて、毎朝ジュースを作り、飲み始めました。腹6分って、今まで満腹生活を送っていた身には堪えるのです。わずかな量をよく噛んで、噛んで、噛みしめて食べるようになりました。メニューを見ては、これは食べないわ、と失礼することも。手術までの辛抱・・・永久に続くわけじゃないからと思いながらも、食べるものが制限される生活はだんだんストレスを生んできます。少食になることには慣れて大丈夫でしたが、糖質オフというのは結構大変。お腹すいたとカフェに入っても、何を食べたらいいか・・・メニューを見ては、これはダメ、こっちもダメと、食べていいものが見つからなくなりました。美味しそうで食べたいのに、食べられない。お腹がすいて力がわいてこない上に、好きなものを自由に食べられないことにだんだん悲しくなり、気力が萎えていきました。そんな中でも時々、走っていました。ある日のランニングで、Facebookに投稿した日記です。最近、糖質制限、腹6分、間食ゼロで生きてるからか、走り始めのしんどいこと。どこまで走れるかな、とスローペースだったけど、一周できてうれしい。走ってるうち、力が抜けていったのか、走り始めより楽になってった。ふとこれからは枯山水のように走ろうと思った、いや、枯山水はおかしい。枯れ木のように、いやいや枯れ木じゃ折れてしまう。柳のようにしなやかに、そう、これ柳のようにしなやかに走ろうHappy Running~ 食べてないから走ってても力が出ないんですね。でも力が抜けると、それなりに楽になった気がして、仙人気分。「柳のようにしなやかに」は、我ながらいいこと考えたと、辛かった中にも一人漫才に笑みがこぼれるのでした。この2週間後に走ったときには、更に空腹感から辛さが増し、5キロは走れませんでした。その日のつぶやきあー、しんどい気持ちは軽快なんだけど…ペースは更にゆっくりになりました。美味しいもの食べたい~ たくさん食べたい~切ない願いの手術10日前でした。
2018.07.12
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筆が進まないまま、あっという間に日が経ってしまいました。その間、西日本の大雨の甚大な被害を知り、胸が痛んでいます。謹んでお悔やみ申し上げます。============================================さて、乳癌日記の続きです。なぜ、なかなか筆が進まなかったか・・・癌を告知された当初は強気にポジティブに受け止めることができ、あまり深刻にならずにいたのですが、日がたつごとにいろんな情報を目にして、最初自分が直観で抱いた思いが揺らいでいったのです。『癌であってもマラソン大会に出て、走ることで見ている人を勇気づけるかっこいいわたし』というイメージが、癌の闘病に触れる中でどんどん、自分は癌なんだ・・・とネガティブな思いに包まれていき、暗くなっていきました。その変化をどう書こうかなと思ってるうち、あっという間に日が経ってしまいました。癌と宣告されたのです。初期とはいえ、乳房を全摘出しなければならなくなったのです。摘出後もなんらかの治療が必要になると言われたのです。不安が押し寄せても当然でした。 5月10日の検査結果を聞いた看護師の妹が、真っ先に見てと知らせてくれたのは、ムラキテルミさんの「世にも美しいガンの治し方」というHPでした。トップページには、「体をキズつけず、髪も抜けず、薬も使わず・・・」とありました。3か月という余命宣告を受けたムラキテルミさんは、石原 結實氏の「食べない健康法」の本に出会い、石原医師を頼ります。本当なら3年半待ちの診察を余命3か月ということでなんとか1か月半後に予約が取れ、石原先生が運営するサナトリウムに入ってそこで徹底した食事療法(断食)や温熱療法を行い、癌を消したというお話でした。13か月での癌完治。すごいなーと感嘆するとともに、読むと同時に私にはここまでのことはできないという諦めの思いが沸きました。手術して癌を取り除けば、ほぼ大丈夫という見通しがあるのに、手術を受けずに自然治癒をめざすというリスクを周りに理解してもらうのは難しい。特に家族のためにと健康を気遣っておいしい食事を作り続けている母に、ほとんど食べない断食のような食生活への理解を求めるのは酷だと思ったのでした。現代医療で治るという可能性が高かったからです。それを蹴ってまで代替医療に掛ける時間や勇気はありませんでした。でも、心のどこかで、手術で体を傷つけるということに罪悪感を感じ始めていました。親から授かった体を、こんなにあっさりと切り取ることにしてよかったのか・・・もんもんとした思いの始まりでした。
2018.07.09
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乳癌であることを打ち明けた職場で、同僚の一人が、彼女の母親も乳癌を患い手術を受けたことを話してくれました。その頃は大変でしたけど、母は今はもう元気にしています。好きなフラダンスも踊ってハワイにだって行きました。だから、絶対治ります。大丈夫です!!と力強く励ましてくれました。そして、私に癌であることを告知してくれたE医師が、同じく彼女のお母さんの主治医であったらしく、E先生はすごくいい先生と太鼓判を押してくれました。県内のみならず、その先生の治療を求めて他県からも患者さんがいらっしゃるとか。病院で見かけたE先生が掲載された新聞記事に、乳房を失くした女性の苦悩を少しでも和らげたいと、乳房再建手術に力を入れて取り組んできたことが書かれてありました。(→こちら)告知のあと、セカンドオピニオンを求められても構いませんよ、とE医師は言われたけど、淡々とした言葉の中に診断や治療に対する自信が伝わり、このままE医師にお世話になりますと託したのでした。最初に見つけた小さなしこりは、結局は何でもありませんでした。でもそのしこりのおかげで、本来の腫瘤に気づいたのです。そしてたまたま訪れたクリニックで予約の空きがあり、診察も生検もその日のうちに受けることができました。ステージⅡの乳癌であると診断され、手術すれば癌は取り除けますという力強い言葉に即日手術を決意しましたが、そのE医師は乳癌の治療では有名な名医でした。わからないけど、何かに守られているような敬虔な気持ちになり、不安を感じながらも感謝に包まれました。絶対、ラッキーですよ、いう同僚の力強い言葉に希望が湧いてくるのでした。
2018.07.02
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病院を後にし、職場に向かいました。癌になったけど、マラソンに出よう。走ろう!と決意し、心は決して暗くありませんでした。医師や看護師さんの話を聞きながら、私が癌と正直呆然としながらも、心のどこかで私に悪いことが起こるはずはないと思っていたのです。2014年にある出会いがありました。億万長者ロッキーさんのグローバルチャレンジ勉強会です。全6回のシリーズに約1か月半毎に何度も参加し、お話の中で学んだことをささやかに実践していました。「ありがとうございます」を100万回唱え、毎晩5つの感謝日記をつけ、毎朝決意と鼓舞のアファーメーションと、心を愛と平和に保つ感謝、祝福、許しの実践。アリゾナをめぐるグローバルチャレンジツアーにも参加しました。そんなことを通して何より一歩を踏み出して、チャレンジを楽しむ人生を生きようと私自身が変わっていきました。癌がわかった衝撃の次に思ったのは、これで人生に箔が付く!これは人生がもっともっとよくなるために必要あって起こったに違いないという確信と、マラソンを走ることで新たなチャレンジなるという希望でした。そう思うことで、癌患者になったという衝撃から自分を守り、気をしっかり持ちたかったのだと思います。職場に着いて、検査結果のことを伝えると、同僚たちに衝撃が走りました。誰も予想してなかったからでしょう。職場の長として、リーダーシップをとる要の私が病気になった。しかも癌ショックで涙ぐんでくれる若い同僚たちでした。手術の日程は、予定を見てから返事すると保留にしてきたことを伝えると、何言ってるんですか。予定なんて気にしないで、体のことを第一に考えてください。一刻も早く、手術受けてくださいという温かな言葉。その声に押されて、ありがたく、すぐに病院に電話して一番近い手術日の日程を予約したのでした。それが6月15日。まだひと月先のことでした。
2018.06.29
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診察が終わった後、別室で看護師さんから今後の流れ、検査や手術について説明を受けました。このときにはもう現実を受け入れ始めていて、じたばたしてもしょうがないと腹が据わってきていました。看護師さんの話を聞きながら、頭の中は手術して、走れるかなー、運動できるかなー癌になって、手術をしたって、走れたらいいな!癌を克服して走ってます!手術したけど走ってます!ってそんなふうに生きられたら、どんなにかっこいいかなーそれを見て励まされる人もいるかな・・・そんなわたしになれたら、いいな・・・と、現実を通り越して半年先の姿を思い描いて妄想が始まっていました。「何か質問はありますか?」という言葉に、真っ先に尋ねたのは手術した後、運動できますか?ということ。「運動ですか? テニスのような、腕を使うような運動はしばらくは控えないといけないですが・・・」「ランニングはどうですか?」「あ、走るのは構いませんよ。どんどん走ってください」と看護師さん、にっこり。やったー思わず、私も笑顔に 心の中でガッツポーズその瞬間、富山マラソンを走ろうと決めました。どこまで行けるかわからないけど、5キロでも、10キロでも走ろう、と決めると勇気がみなぎってくるのでした。
2018.06.28
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土曜日に退院してきました。11日に手術をしてから、1週間で管がすべて抜け、3週間の予定を2週間で退院できました。といってもお腹を切っているので、まだまだ力が入りません。元に戻るにはもっと時間がかかる気配です。焦らず回復に努めたいと思います。さて、乳癌がわかった昨年の話の続きです。============================================<2017年>連休明けの5月10日、検査結果を聞きに行きました。検査の時は女性の医師やスタッフさんばかりでしたが、このとき待っていたのは、提携先のY病院の男性医師です。それだけでドキッとしました。覚悟を決めて話を伺います。検査の結果、3センチの腫瘤があり、確かに乳癌ですね。ステージⅡの浸潤性乳癌です。乳癌には浸潤性と非浸潤性の大きく2つのタイプがありますが、あなたのは、浸潤性の転移するタイプの癌になります。タンポポの花に例えると、非浸潤性タイプは黄色い花だと思ってください。花を摘んでしまえば転移の心配がなく、その後何の治療も必要がないタイプの癌です。 花を摘んだらそれで終わりの癌タイプ一方、浸潤性タイプは綿毛のような状態のもので、種がどこに飛んでいくかわからない。手術で花を摘んでも種が飛んで転移する可能性があるというタイプの癌です。 綿毛の種が飛んで転移する癌タイプあなたのは、綿毛のタイプになりますので、手術後も何らかの治療が必要になります。と、初めて聞く私にもわかりやすいように、言葉をかみ砕いて説明してくれる先生のお話は、理屈としてはなるほどと頷きながらも、自分の体が癌になったという事実は宙を漂う話で現実味なく、どこか他人事のように聞いていた私でした。周りで一緒に先生の話を聞いていたスタッフさんたちはどんな思いで私を見ていたでしょう。ポーカーフェイスで淡々と説明を聞いていた私でしたが、実は頭の中では嘆き節が・・・マラソンにエントリーしたばっかりだったのに・・・ エントリー代金3万円、もったいない~~~ どうして順序逆じゃなかったんだろ。先にしこりに気づいていたら、エントリーしなかったのに・・・3万円、もったいない~~~ もったいない~~~~と、エントリーした富山マラソンやホノルルマラソン、そのエントリー代金のことばかりぐるぐる思いめぐらしていたのでした。なおも先生の話は続きます。乳癌の治療を説明すると、 ①手術・・・大きく2タイプに分かれる ・乳房部分切除(+放射線治療) 大きさが2cm未満だと癌の部分だけを切除し、1か月間切除した部分に放射線を当てる。 ・乳房切除(+再建) 腫瘤の大きさが2cm以上だと乳房を全摘する。と同時に再建手術を行う。 ②ホルモン療法 女性ホルモン反応性が(+)だった場合、5~10年間飲み薬を摂取 ③抗癌剤治療 女性ホルモン反応性が(-)でHERタンパクが(+)のときに行う。というのが治療の概略です。②、③については追加の検査を行ってからの判断になります。で、あなたの腫瘤の大きさは3㎝ともうすでに大きくなっているので、部分切除は難しい。癌タイプも浸潤性なので、僕は全摘手術を勧めます。今は、乳房を摘出すると同時に再建も行えるので、手術が1度で済み、体の負担は軽いと思います。どうされますか?手術をするとなれば、6月の中旬か、7月上旬が今空いていますね。手術ですか・・・わかりました。じゃ、全摘手術でお願いします。でも日は職場に行って予定を見てみないとちょっとわからない。後から連絡するのでもいいですか?と、冷静さを保ってなんとか答えた私。その私に先生は、僕は、こういう話を毎日何人もの人に話してるんですよ。どの人もみんな必死ですから、手術の日も今は空きがあるけど、すぐに埋まってしまう可能性はありますから、もし手術を受けようと思うんだったら、早く連絡してください。そうだよね。癌なんだもの。必死になるよね。と、改めて気が引き締まったのでした。
2018.06.25
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職場への道中に女性クリニックがありました。午前中休みをもらい、病院に出かけたのはしこりを見つけてから4日後のことでした。<ラッキー!その1>玄関に入ると「当院は完全予約制です」という看板が。せっかく休暇を取ってきたのに…と諦められず、受付に聞いてみると、ちょうど一枠空きがあることがわかり、入れてもらえました。超音波の検査を受けると、確かに大きなしこりがあるので、これは更なる生検が必要ですとのこと。<ラッキー!その2>ちょうど午前の最後に生検の枠が空いていますが、受けられますか?と聞かれるので、もちろん受けます!と即答でお願いしました。生検は胸に麻酔をかけて、注射針のようなもので組織をとるもの。麻酔がかかっているので痛みはないものの、パン!パン!と注射針が刺さる振動に、不安もまた一段と広がっていきました。検査後の胸は打ち身のあざのように青く変色しています。タオルで覆うようにバンドをあてがわれ、その日1日は入浴を控えるように言われてクリニックを後にしました。後で聞いたところによると、予約を取るのが難しく、同じ時期に手術をした友人は、検査を受けるのに3か月待ちだったそう。それを思うと、ふと出かけて行って、その日のうちに生検までしていただけたというのは、超、幸運だったとわかりました。検査結果は、連休を挟むのでその後になるとのこと。2週間は、気をもむ長い時間となりました。といいつつも、普段通りでいようと、3日後エントリーしていたしんきろうマラソンの10キロに参加しました。30度近い暑さの中を制限時間ぎりぎりでしたが完走でき、嬉しかったです。もしかしたら乳癌かもしれず、検査で真っ青な胸なのにこんなふうに一見元気に走ってる、と思うと、不安というより、誰も知らない秘密を抱えていることに自己満足な私なのでした。 2017年4月30日(日) しんきろうマラソン
2018.06.21
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昨年の4月、地元のTマラソンと、仕事が最後の1年だからリフレッシュ休暇をもらってホノルルマラソンにも参加したいと、立て続けにエントリーしました。ランニングを始めて2年。前年のTマラソンで初めてフルマラソンにチャレンジし、制限時間ぎりぎりの6時間58分26秒でゴールできたのです。無理だと思っていたのに、完走できたことがすごく嬉しくて、次は少しでもタイムを縮めたいと6時間半を目指そうと思ってエントリーしたのでした。その直後、Tマラソン、ホノルルマラソンと2日続けてエントリーした翌日に、右胸に豆粒大の小さなしこりを見つけました。何?これ、しこり?毎年冬に乳癌の検診を受けてきましたが、この年は申し込まなかったのです。いつも大丈夫だったので、多分大丈夫と面倒さを感じてパスしてました。せっかくしこりに気づいたので、一応念のため受診しようと思い、病院に行こうと思った前日、お風呂に入りながら改めて触ってみると、乳房の表面にあるそのしこりよりも、胸の奥に何かしら固まりがあるのを感じ、もしかしてこっちの方がヤバいんじゃないかと思いました。左胸と交互に触れて、何度みても右胸にだけその固まりが感じられました。これは本当に何か大変なことになったかもという確信が沸いた瞬間でした。==========================昨日病室から見つけた彩雲です。(中央右下寄り)とても綺麗な虹の光でした。拡大するとしっかり色が見えますね。見つけた人に幸運が訪れるという彩雲です。きっと昨日はたくさんの人が目にされたのではないかしら。たくさんの方に幸運が訪れますように!
2018.06.20
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<久しぶりのブログ更新です>先週の月曜日、自家組織(お腹の脂肪)による乳房再建手術を受けました。15時間もの長い手術となり、術後はICUで一日半を過ごし、病室に戻っても発熱が続いて、木曜日の午前中までしんどい状態が続きました。ただ、その後は想像以上の回復ぶりで、昨日残っていた最後の2本の管が抜け、退院も可能というお話に、去年の手術との大違いに嬉しい戸惑いを感じています。癌とわかって一度はショックを受け落ち込みながらも、いろいろな出会いを経て、今、元気にエネルギーに満ちて生きていられることに心から感謝でいっぱいです。癌がわかってからの今日までと、今これからの希望を少しずつ書いてみたいと思います。この後もブログ更新が続きますように・・・病室のある11階のラウンジから見た、日本海に沈む夕陽。絶景です。
2018.06.19
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久しぶりの投稿です。 昨日は園のお別れ会。卒園する子供たちへのプレゼントにピアノで弾き語りをしようと、去年の7月から密かに練習してきた。憧れていたのはアンジェラ・アキさんの「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」何年も前に楽譜を買って持ってたけど、難しすぎて手が出ないまま、ピアノを弾くこともなくなっていた。 目的ができて、俄然やる気に目覚めピアノに向かう日々。毎日ちょっとずつ練習を重ね、弾いた分だけ弾けるフレーズが増えていき、難所も何度も繰り返せばいつか弾けるようになって、年末には最後まで弾けるようになっていった。毎晩練習に耳を傾ける母が、「上手になったねー。そんだけ弾けたらすごいわ」と褒めてくれる。いくつになっても褒められるのは嬉しいものo(^o^)o 歌はピアノよりハードルが高い。音痴だった父よりはマシかな〜という程度の自己評価。それで11月から歌のレッスンに通い始め、声を出すトレーニングをいろいろ教わった。車の中は格好の練習空間。ブルブルと唇を震わせながらメロディを奏でてのどを鍛えた。最初の頃に比べたらずっと上手になりましたよ!と嬉しいことを言ってもらって喜ぶも、録音して聞く歌声は耳を覆いたくなる。もしかしたら無謀な挑戦なのかも!と一抹の不安… 練習始めた頃は遠い先の話だったのに、日が経ち近づいてくるにつれて胸が苦しくなってくる。期待半分、怖さ半分。鬼門はやっぱり歌の方?昨日はいよいよ明日だと思うだけでみぞおちのあたりが重苦しくて動悸バクバク。自分で決めたことなのに、逃げ出したくなる。恐怖に打ち勝て! そして今日、夢に描いたその日がやってきました。 歌は残念ながらやっぱりの撃沈σ(^_^;)声は出ないし音ははずれるし、全然コントロールできなくて、ただただ必死。本番の緊張感のせいでしょうか。ピアノは気持ちよく弾けたのがせめてもでした。 でもね、子供たちが素敵だったとか、上手だったとか、涙出そうになったとか嬉しくなるようなことを次々言ってくれて、その言葉を聞いたらそれだけでやってよかったと嬉しくなりました。 恐る恐る撮ってもらったビデオを一人になって見たら、想像してたよりはましだったとホッとするとともに、今日まで一途にやってきた自分の健気さがなんかとてもいじらしくて、よくがんばったよねと褒めてあげたくなりました。 こうしたいと決めたことを実行できたことにとても満足です。 夢、弾き語りをするの巻、完了❣️
2017.03.11
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久しぶりの投稿です。 2003年に英語の多読を始めてからというもの、英語の本ばかりを読んでいました。それも超簡単な優しいものがほとんど。300万語近くを読んだあたりからハリーポッターを読み、400万語あたりでトワイライトにはまり、子供向きからティーンエイジャー向けに少しずつ成長。600万語でSFロマンス、800万語でマディソン郡の橋を読み、900万語を超えてからは、ヒストリーロマンスや、文芸書も読めるようになりました。今年の3月に1000万語に達し、なんだか一区切り。この10年間、英語の本ばかりで、しかもほとんどは子供向けのファンタジー系です。それはそれで、いくつになっても子供の本が楽しめて感動できるなんてラッキー!って思ってたので全然苦ではありませんでしたが、たまに和書を手に取ると、吸い寄せられました。やっぱり年相応のものを体が欲しているんですね。小説も、自己啓発本も、ビジネス書も、どれを読んでも夢中で読みました。でもメインは洋書でしたから、和書を読むのは指で数えられるほど。それが1000万語を超えた3月頃からは、洋書から和書にシフトチェンジしたのです。オンラインで図書館の本を予約し、誰かがいいという本があれば次々予約を入れて、読書に没頭する毎日になりました。今年になって読んだ本は、ヒーロー(ロンダ・バーン)あなたの夢を叶える100年日記(コボリジュンコ)舟を編む(三浦しおん)ミリオネーゼの手帳術(佐々木かをり)守り人シリーズ1~7(上橋菜穂子)人生に悩んだら「日本史」に聞こう(白駒妃登美)子供の心に光を灯す 日本の偉人の物語(白駒妃登美)ハーバードで一番人気の国・日本(佐藤智恵)風の谷のあの人と結婚する方法(須藤元気・森沢明夫)ひとりぼっちの私が市長になった(草間吉夫)21世紀は男も女も見た目が100%(斉藤一人・舛岡はなゑ)命のビザを繋いだ男 小辻節三とユダヤ難民(山田純大)もし高校野球部の女子マネージャーがドラッガーのイノベーションと企業家精神を読んだら狐笛のかなた(上橋菜穂子)聖なる旅ピースフル・ウォリアー(ダン・ミルマン)世界はバランスでできている(ジョン・F・ディマティーニ)学年ビりのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話冒険投資家ジム・ロジャーズ世界大発見(ジム・ロジャーズ)本の楽しみは、自分の世界を広げてくれること。人生が豊かになりますね。
2016.07.27
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昨日、第516回朝活で多読の紹介をさせていただきました。朝8時から10時までの日曜朝活。最近はプロフェッショナルな素晴らしい講師の登壇が続いているのですが、そんな中初めての英語の朝活と言うことで、前半は発音指導をテーマにMegumiさん、後半を私が絵本から広がる英語の世界と題して多読のことや、多読を始めてから今に至るまでをスライドで紹介しながら話させていただきました。話し手の私たち二人のほか、26名の方が参加されたのですが、後で知ったら、金沢や新潟からも来てくださっていてびっくりでした。参加くださったみなさん、ありがとうございました。 多読講演会まであと3週間。目標は60名ですが、今まだ半分くらいの申し込みです。最初60名と聞いた時は、ちょっと無理じゃ・・・と思ったのですよ。でも実行委員長の熱い思いを聞いたら、協力せずにはいられません。少しでも人を集めたい、って思ったとき朝活のことが閃いたのです!朝活で多読を紹介し、講演会のことを知ってもらえたら、来てくださる人が少しでもいるかも!すぐに朝活主催者さんに連絡をとり、ミーティング。厚かましいお願いにもかかわらず、タイミングよく空いていた日もあって、英語朝活の誕生となりました。11月末のことでした。 それから2か月。頭の中で構想を練り、紹介したい絵本(Oxford Rreading Tree)をスキャンし、パワーポイントでスライドを作ったりしながらちょっとずつ準備してきました。 あれも、これもと紹介したいものがでてきて、持ち時間50分で収まるかな・・・どんな展開で話を進めようかと考えるのは楽しいものでした。案の定、時間はあっという間に過ぎて、準備していたものすべては紹介しきれませんでした。残念! というわけで、言い足りなかったことの一部をここに残しておこうと思います。 1、 Oxford Owlの紹介Oxford Reading Treeなどの易しい絵本が無料で読めるサイトです。 eのマークがあるものが読むことができます。 (下のイラストをクリックしてください) 2、辞書を引かずして、語彙は増えるのか、についてはい、語彙は確実に増えていきます。といっても日本語で何と訳せるかという意味においての言葉の数ではないです。英語のまま、そのものの示すもの(概念)がわかるという感覚です。具体的な例を一つ。「見る」ということを表す語として、学校英語では look watch see を習いました。でも本の中で出てくるのは、それ以外の表現の方が格段に多かったのです。 大好きなTwilightからエドワードとベラのまなざしをお借りします。 stare そんなに見られたら、つい目をそらしたくなる。(左側のエドワードとベラ)glare おー怖っ 私のこと恨んでる? (右上のエドワード)peek 面と向かって見られないからね。横目で気づかれないようにそっと peer え、何々 ちょっと見てみよーglance 遠くを見るまなざし 焦点合わせない感じ(右下のエドワード)gaze 一点凝視多読を始める前は、絶対知らなかったこれらの言葉。物語の中で、何度も出会ううちにその状況からなんとなく意味合いがつかめていきました。 それぞれの言葉のニュアンスの違いは、たくさん読む中で自然に獲得してきたとしか言いようがありません。大事なのは、日本語に置き換えることではなくて、英語をそのまま理解していくことですよ! ということで、無理なく楽しく読める易しい絵本から、ぜひ多読を楽しんでいってください。Happy Reading~!
2016.02.08
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今月末、酒井邦秀先生の多読講演会が高岡で開催されます。富山県での開催は2年ぶりです。近隣のみなさん、この機会にどうぞ高岡にいらしてくださいね!酒井先生はますますパワーアップして、楽しいお話間違いなし!どんなお話が聞けるのか、今からとても楽しみです。 みなさん、お待ちしていますね~ ←クリックで拡大されます お申し込みは、takaokatadoku@gmail.comまでお願いします。前日にはオフ会も予定しています。参加できる方は、オフ会にもぜひどうぞ! (現在、約30名の申し込みがありますが、もっとたくさんの方に来ていただきたいと思っています。締め切りは2月20日になっていますが、日が過ぎてもぜひ連絡ください)
2016.02.04
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初ランニングは、2月初めの土曜日。前夜は、わくわくしながら目覚ましをセットし、ウェアも準備して眠りにつきました。そのおかげか、目覚ましが鳴る前にさわやかに起床。夜明け前の真っ暗な朝5時でした。そーっと起きて静かに準備をし、走ってきますとメモを残して家を出て向かったのが環水公園。運河の両岸に遊歩道があり中島閘門まで片道2キロ。ぐるっと回れば5キロ近くになる予定です。どれだけ走れるのか見当もつかない中、憧れのランニングアプリを起動させ、 途中で止まらないこと、とにかく一周することを目指して出発。そして・・・走れたのです 4.83キロ 42分18秒 ペースタイムは8:46/Km走ってるって言えないようなスローペースでしたが、歩いているのではなかったので走ったことにして、嬉しかったですね~ 私にも走れたんだ、って充実感いっぱいでした。 それから約1年。昨年2015年に走った回数は、計17回。走った距離124キロ。最長17キロ、2時間35分。憧れの皇居ランも2回実行し、富山マラソンの5キロにもエントリーし、今までの人生からは信じられない挑戦の1年になりました。走ることなんて大嫌いだったのに、 過去の私が今の私を見たら、きっとびっくりポン!でしょうね。今年ももうすでに2回、元旦マラソンで3.6キロ、3日に11.6キロと走っています。しかも今までから随分タイムを縮めることもでき、嬉しい新年のスタートです。 今年も楽しく走っていきたいです。そして、今年の目標は・・・ フルマラソン完走! 無謀な夢ですが、富山マラソンでフルの人たちのゴールを迎えていたら、私もこんなふうにゴールしてみたいと、夢を描いてしまいました。どんな素晴らしい感動が待ってるでしょう! やれるだけやってみたいファイティン
2016.01.16
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昨年1年を振り返って、大きなチャレンジの一つは、コーチングを学んだことでした。そして、もう一つの大きなチャレンジが何かというと・・・ ランニングです! クラスAを修了した後の、講師コーチとのフォローセッションでやりたいことは何ですか、という質問に、あれやこれやとあげつらい収拾がつかなくなった後じゃ、どれを選びますか?と聞かれてえー・・・どれにしよ?と、選んだのが、走りたい!ということでした。 小学4年生の冬に急性腎炎を患って、3か月間入院。その後も体は弱くて体育は見学ばかり。もともと運動オンチで走ればビリか、ビリから二番目だったのに加えて、授業は見学が多いので成績は、2か3ばかり。運動ができないことは自分の中の劣等感になっていました。中学生のときは持久走が何より大の苦手。年に一度のマラソン大会は1年生の時は130人ほどいた女子の後ろから一ケタの順位。2年、3年とわずかながらに順位を上げたことが嬉しかった記憶がありますが、陸上の好きな人の気持ちはまったくわかりませんでした。山に登るようになってからも、体力がなくて、ばててばかり。持久力がやっぱり足りなかったのです。 そんな私が、なぜか、走ってみたいと思うようになりました。運動不足解消に30分フィットネスのカーブスに通い始めて1年。身が軽くなったように感じたことと、心臓の動悸が最初のころから見たら苦しくなくなり、もっと動いても大丈夫な気がし始め、もしかして走れるんじゃないかしら?という思い始めていたからです。もしかしたら、走れるかも。走れるかも…! GCツアーの車の中で、ロッキーさんが、僕は毎日20キロくらい走ってます、とおっしゃってたのも、走ることの憧れへの拍車となりました。ツアーに参加したことで、何よりもっとアクティブに動きたいと思ったからかもしれません。 それで、走りたいです!という言葉になりました。 そして、そのときは、いつか走りたい、と夢を語ったに言葉に過ぎなかったのに、セッションの終わりには、次の土曜日に走ります!と宣言しておりました。不思議なもので、自分でやると口に出したた途端、世界は動き始めるようで、重い腰を上げるというより、遠足を待つ子供のように、わくわくとその日を心待ちにしたのでした。
2016.01.08
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お正月も終わり、 今日は仕事始めでした。 遅くなりましたが、 みなさん、明けまして おめでとうございます♪ 今年も よろしくお願いします! 旅から1年が経ちました。 「人生を変容させる旅」、「自己変革の旅」がキャッチフレーズのグローバルチャレンジツアー(GCツアー)は、私に何をもたらしたでしょうか。 この一年…ブログでは、旅の記録しか書いていませんでしたが、 実はその陰で、新しいチャレンジが大きくふたつありました。 一つは、コーチングです。 旅から戻った1月からコーチングを学び始めました。 コーチングって何?と1年前には全く知らなかったことですが、初めて参加した朝活がコーチングの話だったことが縁で、今の仕事が一区切りついたら違うことを始めてみたいと思い始めた時に浮かんだのがコーチングだったということで、銀座コーチングスクールに申し込みました。 とりあえず初級?のクラスAだけでも、と思って参加すると、私のほかに4人の受講生がいて、コーチングっていいね!素晴らしい!という熱い情熱がほとばしるそんな始まり。最初から、みんなコーチ目指してがんばろう!という意気込みの中、ひと月ごとにクラスB、クラスC、クラスDと進級して修了したのが4月。そして、7月に認定試験を受け、合格。晴れてGCS(銀座コーチングスクール)の認定コーチとなりました。 素晴らしい担当講師のTコーチと素敵な仲間に出会えたことが、私の新たな世界の始まりでした。普通の生活の中では、絶対出会うことない人たちとの楽しい4か月でした。今も同期生として絆が深まっています。それぞれの決意と行動に互いに刺激を受けて、みんなそれぞれ輝いています。いくつになっても、新たな心友ができるのは本当に嬉しいものですね! コーチとして活動を始めたいと考えている今。 できることから取り組んでいこうと、いろいろ案を練っています。 わくわくする!
2016.01.04
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最後の朝食を食べた後、いよいよ出発です。ロサンゼルス空港までは小一時間の道のり・・・ 午前7時過ぎ、東の空から朝陽が昇ります。前日の夕方は夕陽をたっぷり堪能し、今朝は御来光を迎えることができ、旅の終わりは寂しいけれど、太陽の陽の光に慰められます。振り返ると、たった1週間の旅だったけど何度も太陽と戯れることができました。 思い出深いです。 空港までの道すがら、今度来れるときはいつだろうと思いつつ、ロサンゼルスの街並を目に焼き付けていました。いつかまたきっと来るね、と誓いながら。 空港到着です。新年ということもあって、空港はすごい人。人。人。 ごった返していました。実はここでも忘れられない思い出が・・・ あまりの人の多さに、手続きが遅々として進まず、飛行機に乗れるかとパニックに・・・最後はドタバタ喜劇?(忘れたい!) そして別れは唐突に。出発ゲートの入り口はエスカレーター。知らずにさっさと上がったら、見送ってくれてたロッキーさん、Yuさん、Mieさんが上がってこないので、びっくり。見送りの人はそこまでだったのです。慌てて横の階段を駆け下りて戻り、お別れの挨拶をしたのでした。感傷に浸る暇もなく、チェックインの長い列に並び、あっという間に搭乗、離陸となりました。 天窓から見えるロサンゼルスの空は、今日もさわやかな青空です。 飛行機が飛び立ち、太平洋の上空で旅を振り返り、Facebookに日記を書きました。 1月3日、2時間ほど仮眠し、いよいよ帰国となりました。写真の真っ赤な太陽は、空港に向かうときに迎えた御来光です。今回の旅では何度も素晴らしい朝陽や夕陽を見ることができ、太陽の恵みを改めて感じました。 今、これを太平洋上空で書いています。 振り返ると素敵なメンバーに恵まれて、毎日がワクワク楽しい感動体験でした。一つ一つが夢の中の出来事のようです。 どこまで行っても果てしないアメリカの大自然の雄大さや、ニュースで耳にする危険なイメージとは全く違ったアメリカ人のフレンドリーさに触れ、日本での日常とはまったく異なる体験に、視野が広がった気がします。体験に勝るものはなし♪走行距離約4000キロのアリゾナの旅でした。 この旅をコーディネートしてくれたロッキーさんには感謝の言葉しかありません。 この旅で得た学びや気づきを生かし、2015年をしっかり生きていきたいと思います。 2015年ももうあとひと月になりました。去年の今頃は、年末の旅行に向けて、わくわく胸を高鳴らせていたころです。旅はあっという間に終わり、そして早1年になろうとしています。旅の日記もようやく終わります。ブログに書き続けていたことで、旅の余韻をずっと味わい続けていたこの一年でした。今度こそ旅はThe end. 寂しくなります 次行けるのはいつでしょうか。 旅の記録におつきあいくださいましたみなさま、長い間ありがとうございました。
2015.11.24
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ロサンゼルスに到着し、ホテルにチェックインしたのは、真夜中の1時ころ。そこからお風呂に入ったり、荷物の整理したりして、眠ったのは2時近く。 そして、最終日のこの日は、近くにあるスーパーに出かけるために5時半に起床。 最後のホテルのマイルーム。 いつでも出発できるように、トランクもスタンバイ。部屋を出ると、プールが見える。入れなくて残念だったな・・・ こんなホテルです。GCツアーの最終日はここ、と定番になっているようです。 早朝6時。買い物組4人で、まだ真っ暗闇の道を歩きます。 道路のそばをフラットに敷かれた線路。 警報機です。象さんみたい。(象にしか見えない)ホテルから歩いて3分のスーパーにやってきました。 こんな早朝からやってるんですね~このお菓子コーナーで、土産品を漁りました。 買い物済ませて外に出ると、明るくなってきています。 朝焼けが美しい・・・今日も快晴になりそうなロサンゼルスの朝でした。
2015.11.22
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セドナを発って5時間半。時刻は夜も更けた10時です。お腹がすいたので、ようやく夕食に。 中国系のファーストフードレストランです。 時間が遅いので、広い店内にお客様はまばら・・・ たくさんのメニューの中から、3品をチョイスします。パックに詰めてくれるのは店員さん。 なので、夜遅くといえどボリュームたっぷりです。 満腹・・・!おみやげにいただいたのはフォーチューンクッキー クッキーを割ったら中からメッセージが出てくるのです。偶然手にするものなのに、結構その人にぴったりなメッセージ。 私のは、これ わかるような、わかんないような・・・ 悪くはないということで セドナからは順に交代で運転してきています。私もアリゾナからカリフォルニアに入るあたりの2時間余りを運転しました。2度目だったので、少しは運転も慣れた気がしましたが、緊張感は続きました。 カチンコチンとロボットがハンドル握ってるようなそんな図です。雪が降ってないだけ、随分運転しやすくてありがたかったですが・・・ 運転中、車内の暖房が効いてきて特に足元がぽかぽかと温かい・・・しばらくは我慢していたのですが、どんどん暑くなってとうとう堪えきれず、ロッキーさんに足元のヒーターを切ってもらえるよう頼みました。そしたら、ロッキーさん、「え?ヒーターはついてないですよ。切ってありますよ」 ですって。 そうなんだ! ヒーターついてないのに、こんなに暑いのって・・・そっか。ベルロックでエネルギーをチャージしてきたからなんだね・・・ エネルギーが全身をめぐってるんだ。すごーい! 一人納得。なんだか嬉しくて足元の暑いのも気にならなくなったのでした。ささやかなミラクル。感謝です
2015.11.15
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Lovely Bones (Alice Sebold)ヒューマン 語数96659 映画「ラブリーボーン」の原作です。映画の予告を見て、最初は見たいと思ったものの、14歳の少女がレイプされて惨殺されたことから物語が始まると知って躊躇。見ないままに終わりました。 読んでみようと思ったのは、渡辺由佳里さんの「洋書ベスト500」で見かけたからです。「Kite Runner」を読んで、ちょっと自信UP! 大人向けの現代文学カテゴリの作品も読めるかもと、手に取ってみたのです。難易度は、☆3つの中級レベル。 侮ってたわけではないんですが、難しかったですねー ☆4つのKite Runnerより、難しく読みにくく感じました。あらすじを知っていたKite Runnerと、知らないで読み始めたことの差でしょうか。 場面の展開が早く、かつ多くて、状況を把握するのに頭が混乱しました。英語自体もわからない言葉がたくさん。わからないなりに読み進めて、あたり全体をふんわりイメージし、言いたいことがこんな感じなんだろうなとざっくり理解する。そんな読書でした。読み終えた後に、他の方のレビューを読んで、理解を深めました。 この本と同時に、飯田史彦さんの「生きがいの創造」も読み返していました。人は生まれてくるときに人生の計画を立ててくるといいます。肉体を持たないあの世では、実感としての体験をもつことができない。喜びも悲しみも、憎しみも許しも、肉体を持った人間でしか経験できない貴重な体験なのです。体験すること、そしてその体験から学ぶために人は生まれてくるのです。人生で出会う試練や辛い出来事は自分で立てた試験問題であり、そこから学び成長するための挑戦課題なのです。(だそうです) そんなことを思いながらこの物語を読むと、 スージーの死は、スージーにとっては夢半ばで理不尽に殺されるという体験を得ることだったのかな… 周囲の人々にとっては悲しみの中から立ち上がる、再生するという学びを得ることだったのかな…と思いながら読みました。そうでなければ愛する者を失っていい理由なんて見つかりません。それくらい遺された人たちの人生は、深い闇、絶望に陥れられてしまうのですから。「生きがいの創造」で語られた証言からいえば、人は愛を学ぶためにこの世に生まれてくるそうですが、スージーも、とりまく周囲の人々も、殺人者のハーベイもみな、愛を学ぶためにそれぞれの人生があったのです。 彼女の語りからは、憎いであろう自分を殺した相手にさえも怒りや憎しみは感じられず、淡々と自分の死を受け入れ、彼女の死を受け入れられない周囲の人々を見守り続けます。一旦はばらばらに崩壊してしまったスージーの家族が、スージーの死を受け入れ、もう一度絆を取り戻していく過程に希望が感じられるのが救いでした。 切なく、透明感を感じる作品でした。
2015.11.07
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いよいよロサンゼルスに向けて出発です。セドナからロサンゼルスは、約800キロの道のり。ひたすら運転して帰るのです。 時刻は4時半。まだ明るいセドナを後にしました。 あたりは、だんだん黄金色に輝き始め・・・ 出発して1時間後、美しいサンセットを目に焼き付けました。 陽は沈んじゃった、と、なおも西に向かって走り続けると・・・ 再びの夕陽が顔を出しました!わ~~~~ すごい! 夕陽を追いかけて、とうとう見えなくなった・・・ と思った瞬間、三度(みたび)の夕陽が! すごい~~~!!!! こんどこそ、陽は沈んでしまいました。 西に向かうというのは、こんな素敵なことなんですね。アメリカの広さと大自然の美しさを心ゆくまで堪能した1時間。旅が終わってしまう切なさと寂しさで一杯だったことも忘れて、感激 感動しあわせです! 陽が沈んだ後も空は輝き続けます。私たちの旅の終わりを祝福するかのように・・・ セドナを出発して2時間。ようやく夜の闇の訪れとなりました。 ロサンゼルスまでは、まだまだ遠い道のりです。
2015.11.03
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セドナでの最後の訪問地に、ベルロックを訪れることになりました。 時刻は4時。もう夕方です。このあとロサンゼルスまで約800キロの道のりを行かなければならないのに、まだ出発じゃない!嬉しい!そして、このベルロックでの体験が、私には忘れられない旅の一番の思い出になったのです。 ベルの形をしていることから、ベルロックと言われている岩山です。 影がながーく伸びていますね。日が傾いてきているのです。 こちらは、コートハウスビュートと言われている岩山です。 赤土が雪で粘土質になってます。 向かいの山が輝きだしたよう・・・ ちょっとしたハイキングですね~ 気持ちいいー足を滑らせないように気を付けながら、歩いていきます。 このとき、私、先頭の方を黙々と歩いていました。私の後ろから、話し声が聞こえてきます。後ろには、LoveさんとYukiさんが続いていたはず。ふたりでおしゃべりしながら歩いてるんだ・・・って思いながら、ふと振り返ってみると、Loveさんしかいません。え?一人でずっとしゃべってたの?そうなのです。Loveさんは、チャネリング?ができる特異な方なのです。ツアー二日目の、サンディエゴ湾のクルーズのとき、コーヒー飲みながら、Loveさんから頭の中で話しかけてくる見えない存在の話を聞かせてもらってたのです。不思議体験なんてまるでない私には、へ~そんなこともほんとにあるんだ、って聞くしかなかったですが・・・だから、会話してるとしか思えない話し声が、Loveさん一人が話していたのだとわかり、見えない存在が話しかけてきて会話してたのかと思いました。Loveさん曰く、私の口を借りて話してるの。ここに来られて嬉しい気持ちを話したくて止まらないの、と、そう答えるLoveさんは、どこかしんどそう。疲れた顔に見えました。 自分では、コントロールできないのだそうです。 Loveさんの姿に心惹かれながらも、私は私で、ベルロックに惹きつけられて一人上手の大きな岩からベルロックを眺めました。 そのとき・・・ なんか違う 感じる・・・ これがエネルギー? 手のひらを空中にかざすと、ぅわんぅわんと波打つようにびりびり感じるのです。鈍感な私には、初めての体験です。 すごい~~~~ 音は聞こえないけど、たとえて言うなら光のシンフォニーが奏でられてる感じ。優しく、やさしく、ほほをなでてくれるのです。 頭から足先まで全身すっぽりエネルギーの波に包まれて、うっとりと佇みました。 仲間たちも、最後のセドナを楽しみます。 感じたのは、この太陽の光のような温かなエネルギーなんでしょうね。きっと。 セドナはUFOが現れる地としても有名です。そしてこのベルロックは、地下に宇宙人の基地があって、ここから宇宙人が出入りしているとか、そんな逸話も聞かれます。 Loveさんは、見えない存在がようやく満足して話し終えたたらしく、ほっとしていました。そして、この岩の隙間から地底につながるトンネルがあるって言ってる、と教えてくれました。またしても、へ~です。みんなで代わる代わる覗いてみました。地底へつながる通路ですか・・・ どれどれ・・・雪の壁に顔を近づけて覗いてみました。宇宙人が見えたらいいな! 名残惜しく、何度も振り返りながら道を戻ります。 入り口では、南国からの観光客が雪に喜んでました。雪だるまと記念撮影です。 いつの間にかエネルギーの波は去ってしまいました。でも肌に感じた感触は残っています。ここに来れてよかった。目に見えない力を実感として感じられた初めての体験・幸せな気持ちに満たされて、ベルロックに別れを告げました。ありがとう
2015.10.27
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セドナの滞在もそろそろ終わりに近づいてきました。記念におみやげも買いたし、お腹もすいて腹ごしらえもしたし・・・で、街の中心街に戻ります。 のどかですね~ 暖かな日差しに街歩きも気持ちよく、楽しいひとときです。このレストランは、昨夜ディナーをいただいたところ?TAOSの看板が見えます。セドナの有名なキャンドルショップ。手作りのまあるいキャンドルがとてもかわいいのです。 どれを選ぼうか、たくさんあり過ぎて迷いに迷いました~ 悩んだ末に選んだのは、自分用に天使の人形がくっついた紫のキャンドル。赤と水色は親戚へのお土産用。右端の白いのは娘アサリちゃんの自分用。赤いのにはPeace&Love、水色のにはPeace&Joyと刻まれています。 ギフトショップの中では、たくさんの商品に目がくぎ付けです。 こちらの店の店員さんは日本人の方でした。日本語で話しかけてもらってびっくり。 お腹がすきました~ ランチにしましょ~ 隣のフロアは雑貨屋さんになっています。おしゃれなカフェタイプ。 外のテラスには雪が残ってます。眺めは最高ですね。 たくさんの人で賑わってました。ボリュームたっぷり。お腹がいっぱいになりました。
2015.10.24
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セドナ・エアポートを後にし、次に向かうのは、岩の中に建てられたHoly Cross教会です。車が止められるように祈りながら進み、タイミングよく空いたスペースを見つけました。 ここからは歩いて上の丘に上がっていくのです。 レッドロックの巨大な壁を仰ぎ見ながら入り口を目指します。 素晴らしい景観です。 麓にはゴージャスな豪邸があちらこちらに・・・ 遠くに見えるは、ベルロック(中央)にコートハウスビュート(左) ここが教会の入り口です。 Chapel of the Holy Cross ・・・ 窓の格子がそのまま十字架を表しているのです。 大天使ミカエルの像 教会の地階にあるギフトショップです。素敵な十字架や壁掛け、スタンドがたくさんあって、目移りしました。記念にゴールドの十字架のペンダントを購入 この礼拝堂に入っただけで神聖な気持ちになり、静かに佇むと涙が込み上げた方もいらっしゃいます。周囲の景観と相まって独特の空気感のあるHoly Cross教会でした。
2015.10.18
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Kite Runner (Khaled Hosseini)ヒューマン 語数118272ずいぶん以前に本屋さんで見つけて買っていたKite Runner。どなたかのブログで紹介されており、いつか読んでみたいと思って買ったのですが、そのいつかはいつなのか、ず~っと棚の中に眠ったままでした。映画化されてDVDが出ていると知り、邦題「君のためなら千回でも」を見たのが5年前です。(その時の日記は→こちらです) 話の内容は映画でわかったというものの、本を開けば細かな文字がびっしりとつまり、馴染みのないアフガニスタンについての描写など敷居が高すぎて手が出せないまま日が過ぎました。そして5年・・・大作アウトランダーを読めましたからね。読んでみようかという気になれたのです。ようやく! 邦題になった「君のためなら千回でも」という言葉は、物語の中で何度か出てきます。”For you, a thousand times over"というのが原文です。この言葉が要所で登場し、物語の象徴となっていくのです。 アフガニスタン人のお金持ちの一人息子アミールは、自分の臆病さから罪の意識をもちながら成長していきます。 その発端となった出来事以来、それまで兄弟のように仲良く過ごした使用人の息子のハッサンを遠ざけ、疎んじ、やがては家から追い出してしまいます。罪のないハッサンを傷つけた思いは、同時に自分をも傷つけ心に闇を作っていきました。やがて父親とともにアメリカに亡命し、恋をし、素敵な伴侶を得るのですが、妻となったソラヤのまっすぐな凛とした生き方に触れながら、罪深い人間である自分を憂い誰にも心の内を見せないアミールでした。作家として成功したアミールに、父の友人でアミールのよき理解者であったラヒムから数十年ぶりに連絡が入ります。そして思いもかけなかった秘められた真実を聞かされ愕然とするアミール・・・。アミールは、ずっと心の底に巣くっていた罪の意識を解放させるためにラヒムの依頼を引き受け、タリバンの支配するアフガニスタンに向かうのでした。数十年ぶりに足を踏み入れる故郷は、まるで異国の地のように荒れ果てていました。ソ連軍撤退の後、タリバンが初めてやってきたときは、やっと戦いは終わったと歓喜で出迎えたと言っていましたが、その後アフガニスタンが辿ったのは平和とは対極の絶望の時代でした。タリバンの司令官となったかつての幼馴染と対面したときのアミールの恐怖・・・。生きて戻れないかもしれない、でも彼はそうすることを選んだのです。心の中で何度となく逃げ出したくなる思いを抱えながら、口から出てくる言葉は暴力にはひるまない正義の思いなのでした。後にアミールに遺したラヒムの手紙が胸を打ちます。アミールにもハッサンにも限りなく温かな愛にあふれた思いに、涙があふれました。 父への葛藤、父子の情、ハザラ人への差別、心の闇、贖罪、アフガニスタンの困窮、孤児のトラウマなどいろいろな視点で考えさせられた物語でしたが、最後は希望が感じられほっとしました。アフガニスタンの平和と発展を心から祈ります。
2015.10.10
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(前回の日記から日が経ちすぎてしまいました。勢いで書こうと思ってたのですが・・・) ようやくセドナから返事が届いたのは、1月15日。メールを送ってから10日以上たっていました。Hello,Please send us an address to send the video to. たったこれだけの文面。でも、嬉しかったですね。ようやく通じたと思って。そして、すぐに書き送りましたよ。住所を。 いつ送られてくるかな、と1週間ほどたったころから、毎日わくわく。楽しみに待ちました。 ですが・・・ 1週間過ぎても、 10日過ぎても音沙汰なく・・・ だんだん心配になってきた頃、1月27日に再びメールが届きました。 Hi Sazaechan, I'm sorry to hear about the confusion. Wondering if this issue had been resolved for you. Please let me know. Regards, Josh 今度は名前入り。Joshさんが書き送ってくれたんですね。インフォメーションセンターに送ったメールを読んで、問題が解決したかどうか心配してくださっているのが伝わってきました。 で、すぐにこれまでのいきさつと最後に 👇 I haven't gotten it yet. I'm waiting the arrival every day.Let me know whether the video has sent or not, please.Also if you don't have the video or data anymore, let me know that, please. と書いて送りました。 今度こそ!と期待をこめて。 それから1週間。やはり何の音沙汰もありません。 2月3日、4度目のメールを送ります。 I sent e-mails four times. Did you see the last one?I haven't gotten the video yet. I'm still waiting to arrive.Can I get the video? I believe that.Please reply my mail. しつこさ満載ですね。ストーカー気分です。 電話すれば早いのに・・・誰かに頼もうか、と思いつつ、思いつつ日が過ぎていきました。 そして更に2週間ほど過ぎた頃、ついに歓喜の日がやってきました。 2月16日、帰宅すると小さな封筒が届いていました。中を開けると、小さなUSBが1個。 DVDかと思っていたら、違ってました! でもようやく願いが叶ったのです!夢見た映像が現実に! やった~~~~~ 美しいセドナの風景とともに、楽しくて、嬉しくて、はじけてるわたしたち!これが見たかったのですよ! 念じれば通ず!1か月半もかかりましたが、あきらめなかったから手にすることができたのです。 我がしつこさに乾杯! そして感謝の思いいっぱいでした ありがとう~ ありがとう~ セドナにはすぐにお礼のメールを送り、その後、富山名産のおかきをひと箱送らせていただきました。面倒をかけた人たちにちゃんと届いていればいいな。
2015.10.09
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旅行の記録からはちょっとはずれますが、忘れられないエピソードとして先に書き留めることにします。 帰国したのは1月3日の夜。翌4日からは仕事です。ひとしきり旅行の報告をし、ようやく家族が寝静まった頃、一人旅行の余韻をかみしめながら、DVDを見てみようとデッキに入れました。 ワクワク~~~ 懐かしいセドナの風景がテレビの画面いっぱいに広がります。でもこれはいつの時期かな・・・きっと雪のない時ならこういう風に風景が広がっているんだろうな、と思いながら眺めつつ、自分たちのフライトの映像はどのチャプターかとメニューに戻りつつ見てみますが・・・ おかしい! それらしいものがありません。 え? どうして? 何度最初からやってみても同じセドナの映像ばかりで、事務所のモニターで見た自分たちの楽し気な映像はありませんでした。 なんで~~~~~? ショックで悲しくなりながら、もう時間は深夜なので寝ることに・・・。レオさんのコピーミスかしら。アメリカと日本とでコピー規格があわなかったんだろうか、とあれこれ原因を思いめぐらせつつ、期待が大きかった分、がっくり失望感いっぱい。疲れがどっと押し寄せました。 ちょうど仮眠から目が覚めた娘のアサリにDVDのことを伝えて眠りました。 翌朝出勤の支度をしていると、目覚めたアサリが、「おかあさん、あれは無料でもらえるDVDだよ。YUさんが別れ際にみんなにプレゼントに配ってくれたものと同じだったよ」と・・・ ガーン!!! そうだったの・・・ 英語で難しいこと言えなくて、一言「DVD,please!」と言った言葉を、レオ氏は無料のDVDが欲しいという風に思ったのね。そして後になって注文したDVDをまだ渡してなかったと気づいて、車まで追いかけてきて聞いてくれたんだ・・・ それなのに、私はもらったものが無料のものだとは思わなくて、まさかスタッフさんが話していることがその注文したDVDのことだと気づかなかったのだ・・・ とにかくがっくり気落ちです。楽しみに、楽しみにしていたものだったのに・・・ 足取り重く家を出て、通勤の電車に乗ったとき、なんとか連絡取らなくちゃ。そうだ、レシートがあるはず!とアサリにセドナツアーの連絡先を探してもらうことに・・・。 電車の中では、とにかく伝えたい一心で英文作成です。 HelloI'm writing from Japan I got the flight on January 2nd.And I ordered the DVD of our flight.Later I asked one of staff that just DVD please in poor English. He gave me a DVD.I thought it was my flight.I retured buck home last night. And I watched it on TV.But it was only Sedona flight.It's the Free DVD, isn't it? Because one of my friends gave me the Free DVD that she got.They are same. I remembered one of staff of you ran up to our car when we left.He asked us about DVD.We thought he recomended them.So we said no thank you.Do you still have the DVD of my flight?I wished to get it strongly. I paid for it.Please look at the attached receipt image.And please write buck to me. by Sazaechan このしどろもどろの英文を職場に着いてからアサリに送り、アサリのGmailアドレスからレシートの画像と私たちのフライトの映像の写真を添付してセドナに転送してもらいました。 メールを送ったのは、4日のこと。 ヘリの遊覧からまだ2日も経ってないときです。きっとまだDVDはあるはず!処分されない先になんとか連絡取りたい一心でした。善は急げ! でも、セドナからは何の音沙汰もありません。 数日後にもう一度同じ文面を送ってみました。 それでも何の連絡もありません・・・ 電話して直接聞いてみた方が早いんじゃないかと実は何度も思ったのですが、何かを伝えるには私の英語力では全く自信がありません。好きなことをテキトーにしゃべるなら少しは会話も楽しめるのですけど。だからメールだけが頼みの綱! セドナで買ったドリームキャッチャーの小さな壷の中にDVDが手元に届きますように!とお願い事を書いて入れ、毎日祈りました。テレビの画面に私たちの楽しいフライトの様子が映るのを家族に見せて楽しんでる姿もリアルに思い浮かべながら、絶対手に入ると念じました! そしてついに、1月15日、セドナからメールが来ました。 やった! (つづく)
2015.09.27
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私たち先発グループの遊覧の後は残りのメンバーの遊覧の番です。30分のフライトの間、事務所で待つことに・・・事務所に入ろうとしたとき、風に粉雪が舞い、スノーダストが美しい・・・ 事務所の店内でくつろいでいると、ふと気づくとモニターに私たちのフライトの様子が映ってるではないですか!場面がちょっとずつ順に変わり、後部座席の私の顔も大写し・・・まさか、こんなふうに撮られているなんてね。全然気づきませんでした!楽しそう~~~ これ、欲しい!・・・ってもらえるのかしら??? と思ったら、35ドルでDVDに焼いてくださるそうです。もちろん注文することにしました。焼き付けの間しばらく待ってほしいというので、もちろん待ちました。 右側の青年にDVDを注文したのです。 素敵な好青年でね、若いころのデカプリオに似てました。それで、勝手にレオさんと名付けました。てきぱきと仕事に取り組む姿がかっこいいレオ♪DVDを待つ間、でっぷりした男性と談笑。ヘリコプターに乗ろうと思って来たのに、どうやら体重制限で乗ることができず、連れの彼女?だけが乗っているそうです。そのことが最初わからなくて、人数制限で次の回に回されたのかと思い、次はあなたの番ね、楽しんでねと声をかけてました。ほんとは一緒に乗りたかったでしょうに。悪いことしました・・彼は日本で仕事していたこともあったらしく、日本のことを懐かしそうに話してくれました。 だいぶ時間が過ぎ、DVDはどうなったかと気になり始め、レオさんに「DVD、Please!」と言うと即座にOh!と手渡してくれたもの・・・てっきり、私たちのフライトのDVDだと思い、嬉しくて何よりの思い出と大事にバックにしまいました。 エアポートを出発する間際、スタッフが車に駆け寄ってきて何か話しかけてきます。DVDがなんとか言ってるようですが、フライトのDVDはいらないかと売込みしてるのかと思い、みんないらないと言って断りました。私はもう買ったしね。 でもこれが大きな勘違いだったのです。それがわかったのは、家に帰ってから・・・それについては次の日記で。(つづく)
2015.09.22
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Outlander (Diana Gabaldon)ロマンス 語数294589 久しぶりの英語多読日記です。3月の「When Marnie was There」以来です。 思い出のマーニ―以後、4月に「Cureious incident of the dog in the night」と「War Horse」を読了。そのあとの5月からこのOutlanderを読み始めました。 30万語弱の長編大河ドラマですが、それまでの児童書と違い、大人向けのロマンス本です。ストーリー展開が大胆かつ波乱万丈。それまでは通勤の電車の中くらいでしか読まなかったのですが、昼休みや家に帰ってからも読むようになり、読書を楽しみました。それでも長いので、読み終えるのに4か月半。これまでで一番長い長編大作です。 Kindleがありがたいですね!どんなに長い話でも、重さを感じず、指一本のタッチでページめくりができる。満員の電車の中で片手で持ちながら19世紀の世界に没頭することができるのです。紙本ではとうてい通勤には読めませんでした。 さて、胸キュンに憧れて読み始めたOutlanderですが、読みごたえはあるものの、期待したときめきロマンスの話ではなかったです。 20世紀に生きる従軍看護婦のクレアが、夫と2度目の新婚旅行に訪れたスコットランドのストーンヘンジで、一人200年前の18世紀にタイムスリップしてしまいます。いきなり夫フランクと生き写しの祖先ジョナサン・ランドールに遭遇しますが、夫とはまるきり違う凶悪粗暴なイングランドの大尉。襲われ犯されそうになったクレアを助けてくれたのが、スコットランド戦士の一行。そしてその中の一人のジェイミーとその後運命的な関係をもっていくのです。 スコットランドとイングランドの戦いの史実に基づかれて書かれた物語だそうで、一言で言えない壮大さがあります。 でも、ロマンス本として胸キュンを求めたい視点からみると、あまり感情移入ができませんでした。つい思い浮かべるのは、荒々しい大自然の中を何日も彷徨いながら旅をしたり、敵から逃れたり・・・そんな中で抱き合って愛を深め合うなんて、どんなん・・・ 毎日お風呂に入ってさっぱりして眠りにつく生活からは、何日も風呂どころか顔も洗わず、着の身着のままで過ごす日々ってどれくらい気持ち悪いのか、想像つきません。きっと体臭は匂うはず。そう思うと、ちっともロマンチックに感じられないのです。 そしてこのジェイミーは傷ばかり負っています。看護婦をしていたクレアが、医学の知識があるということでジェイミーの面倒を見るのですが、その出会いから、最後は瀕死の重体になるまで、彼は傷つけられる運命にあるかのようです。これだけの傷を受ければ、障害や後遺症が残ったりすると思うのですが、物語ですからね、彼は不死身なんです。 そして物語でショックだったのは、クレアが捕らわれたジェイミーを助けるためとはいえ、人を殺してしまったこと。それも二人も。これはとても信じられず、受け入れられませんでした。殺人なんです。いくら戦いの時代だったとはいえ、人を殺してしまうなんて、なんていう展開!ヒロインが!ま、あとでカソリックのブラザーに告白して懺悔し許しを得ていたので、それを読んで彼女にとっても人を殺した事実が大きな心の傷となっていたことがわかりましたが・・・ 長いストーリーを一言で語るなんて、難しい! 英語については、難しいのですがわかるところを拾って読んでるので困りはせず、展開が速いのでぐいぐいひきつけられて読み続けることができました。つまらなく感じるのは、仲間内で話し合いや議論したりする場面。専門用語?や抽象的な言葉が多くなり、ついていけなくなります。そこはさらっと飛ばし読み。 このOutlanderはシリーズの1巻で、7巻まで出版されているようです。他の方ののレビューを見ると、次の2巻めがすごく面白くて3巻も読まずにいられないということなので、いずれ続きも読んでみようかな。読んでるときは、この話、もういいって思ってたんですが。(^^)更にドラマ化もされて、Huluで配信されているのです。いつか、見てみましょう!
2015.09.13
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ヘリコプターが飛び立ちました~♪ 上空からのセドナをお届けします! エネルギーが渦巻くヴォルテックスと呼ばれる上を飛びます。光が神々しく感じるのは気のせいでしょうか。 ヴォルテックス上空でMiさんが写した一枚。 頭上に紫の光が・・・キャンドルロック? 時々パイロットのトムさんが、説明してくださるのですが、騒音の中の早口の英語は何を言ってるのかさっぱり聴き取れず・・・ 切り取ったような平らな台地です。不思議・・・ 右側の向こうに見える台形の丘がエアポートです。もうそろそろフライトも終了です。 他のメンバーの方が写した美しい写真もどうぞご覧ください。 カメラが違うと、美しさも全然違いますね。(Yさん、お写真使わせていただきました。ありがとう) さ、エアポートが近づいてきました。 後部座席から見たヘリコプターの中。今写真を見て気づいた。赤いプレートに、「フライトが楽しめたなら、パイロットにチップを!」って書いてある・・・ごめんなさい!トム!全然気が付かなかったわ。 楽しかったね! 操縦席のトム やっぱり、かっこいいね~!トムさん、素敵なフライト、ありがとうございました! 忘れられない、セドナの思い出になりました。
2015.09.06
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ヘリコプターはパイロット入れて5人乗りなので、4人、4人に分かれて遊覧することになりました。まずは、体重チェック。機体のバランスをうまくとるために、どこにだれが座るかは重要なことのようです。体重値から、1番、2番と搭乗順が決められました。 今日は、昨日の雪でセドナは白一色になり、陽に輝いてこの上ない美しさだそうです。こういうフライトはめったにないということで、パイロット自身興奮気味だとか・・・ますます期待が高まりますね! さ、いよいよ出発です。私は、最初のグループ。わくわく・・・「行ってきま~す!」 飛行場の中に入ります。 自家用機・・・いいな!(他のメンバーさんからいただいた写真です) 車から降りると、そこで待てと運転手さん。ヘリはプロペラが回って危険なので、勝手に近寄ってはいけないらしい。 先ほどの搭乗順で、運転手さんが一人ずつ手をつないでヘリへ案内してくれます。 路面が凍っているので滑らないように気を付けて歩けと注意する運転手さんですが、彼が一番滑ってたかも・・・ 助手席に乗ったのは、娘のアサリちゃん。運転席はこんな感じ。 助手席から除く足元。 そして、パイロットさん!かっこいい~~~! この後私たちは彼を勝手にトムと呼ぶことになりました。 搭乗者は全員ヘッドセットを付けます。プロペラの音が大変やかましく、普通に会話はできません。マイクとヘッドフォンでやりとりするのです。(Miさんの美しい横顔です)私は後部座席の真ん中に座りました。 いよいよ離陸~
2015.09.05
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「今日の予定はですね、まずヘリコプターに乗ろうと思ってます」とロッキーさん 「え~!ヘリコプター?! すごーい! やった~~~!」と嬉しい歓声が上がります! ざっくりしたツアーの計画の中には含まれてなかったヘリコプター遊覧。最後の一日となるここにきて、ビッグサプライズです。 「でも、風が強いと飛ばないんですよ。天気はいいですが、行ってみないとわからないので、みんなで祈りましょう」という言葉に、どうかヘリコプターが飛びますように手を合わせました。 ワクワクしながら空港に向けてドライブです。 絶対大丈夫、絶対大丈夫と心で祈りつつ、美しい景色を眺めました。 エアポートに到着。風は強くないものの、吹いているのが感じられます。大丈夫かな・・・ どうか飛びますように! ここの空港は、定期便は止まりません。プライベートジェットのためだけの飛行場なんですって。 こちらの建物がヘリコプター遊覧のオフィスです。 自家用ジェット機が止まってます。いいですね~憧れるぅ この車がヘリコプター遊覧の乗り場まで案内してくれたのです。 ってことは、そう! 遊覧OK! 祈りが通じてウキウキ嬉しい私たち一行でした。
2015.08.30
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1月2日(金) セドナの夜が明けました。陽が昇ってきます。 いつ見ても御来光は神々しい・・・ 体中に新たな伊吹がみなぎるようです。静けさの中の朝のセドナです。昨日の雪が嘘のよう・・・ホテルです。こんな景色の中にあったのですね。昨夜は暗がりでわからなかった! さあ、出発です!今日はどんな一日になるんでしょう。快晴の空を見上げ、心弾む私たち一行でした。
2015.08.22
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エアポートメサから、町の中心部の方へ下ってきました。町を囲む褐色の岩峰群が夕陽を浴びて輝き始めます。 岩肌が赤いところに夕陽が当たって輝く色合いは、まさに金色!ゴールドです!燃えるような美しさ・・・ ツアーのお仲間からいただいたショットです。 輝いてますね!多分、陽は沈んでしまった頃ですね・・・・・・新年ですが、何か? すっかり暗くなってしまいました。お腹もすき始めた頃・・・ おしゃれなメキシコレストランでディナータイム。 店内は満席。にぎわっていました。 何て名前の料理だったか、どんな味だったか、もうすっかり記憶のかなたです。おいしかったことだけ覚えてます。また食べたい! ここが5泊目のホテルです。9時半にチェックイン。 ホテルにプールがありました。プールに入る最後のチャンスです。 プールサイドのジャグジーは、夜10時までだというので、部屋に入るなり大急ぎで準備してプールに向かいました。 水着に着替えて外に出ると、プールサイドは雪がかぶり凍っています。寒っ!乾いたところを選びながら一目散にジャグジーへ・・・あったか~と、思ったのもつかの間。泡が止まってしまいました。え、なんで?どこかにスイッチがあるはず、と寒い中一人ずつ順に探し回りますが、見つからない・・・どうやら、もう10時ということで、電源を切られてしまったようです。お湯の温度も、どんどん冷めてるよう・・・ ま、いっか そんな中で、 意を決してプールに入ってみることにしました。ミッションビーチで海に足をつけなかった悔いが、その後の旅の中で、できることは貪欲に体験しようと背中を押してくれていたのです。 ツーソンの四つ星ホテルのプールは思ったほど冷たくありませんでした。ここは、どうかな・・・なんだか冷たそう・・・ と、そろそろと足を入れてみると、ヒェー冷たっ!それでも我慢して、プールインの梯子を降り、肩まで水に浸かったところで限界!氷水のようなプールの水の冷たさでした。水から出て飛び込むようにジャグジーに入ると、体中ピリピリと痛い・・・でも、すぐに全身がぽかぽかと温かくなってきました。 あったか~~~~ 気持ちいい~~~みなさんもぜひ、と勧めたんですが、続く人はいなかったです。(^^) 他の人がやらない、そんな物好きなことができたことが、大変自己満足のセドナの夜でした。いい思い出です
2015.08.17
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セドナには、いくつかエネルギーの高いパワースポットがあるのですが、その一つ、エアポートメサに向かいました。セドナ空港のすぐ近くにある、小高い丘の上がそのようです。入り口の道路標識。 雪のかぶった道を歩きはじめます。 足元はこんな感じ。赤茶けた土は、粘土質のようにみえます。 滑らないように、ゆっくり、ゆっくり、慎重に足を進めます。 雪山登山のよう! 10分ほどで丘の上に到着。素晴らしい眺めが広がっていました! まずはパシャパシャと記念撮影! 私たち以外にもたくさんの人が登ってきています。人魚姫のポーズをとるUさん。 私もまねしてポーズ 360度の展望は、どこをとってみても素晴らしい絶景です!家から眺める屏風のような立山連邦も大好きですが、セドナのこの光景はそれ以上の迫力です。飽かず、眺め続けました。 この日は2015年の元旦です。心静かに瞑想の真似事。美しい景色を眺めているだけで敬虔な思いになってくるのです。 1年の始まりの日を、ここアメリカで、セドナで迎えられたことに、しみじみと感謝の思いが沸き起こります。旅に快く送り出してくれた家族を思い、涙が頬をつたいました。 セドナに住むワンちゃん。人懐っこいの。温厚な飼い主さんに似るのかも。毎日のお散歩コースだそうです。 どれだけ眺めても見飽きないのですが、そろそろ陽も傾き、下りるころとなりました。 登り以上に下りは気を使います。滑らないように慎重に歩を進めます。 下りてきました~! 下りたところからでも、この眺め!素晴らしい! 山が夕日を浴びて輝き始めました。左の山の形は、剣岳の頭を思い出すのは私だけ?赤い山が美しいセドナです。
2015.08.08
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セドナに入ると、セドナ全体が一つのアートのようです。どこを切り取っても絵になる風景・・・ここだけが、異次元の世界のようです。 車の中からバシャバシャと写真を撮り続けました。 豪邸にため息。住んでみたい~! 岩肌を切り抜いて建てられた教会Chapel of Holy Crossです。 Cathedral Rock 西部開拓者を思い起こす馬車・・・ お土産屋さんにやってきました。 雪化粧のパワーグッズ ローカル風情のお店でした。
2015.08.02
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メテオクレーターは、Americas Best Value Innのホテルとセドナの中間あたりにあったんですね。そのときはどこをどう走ってるのかわかりませんでしたが、地図に落としてようやく合点しました。 12時過ぎにメテオクレーターを出発しました。 少し走ったところにあるガソリンスタンドで給油です。 ドーム型のお店はメテオクレーターをイメージして作られているようです。 宇宙っぽいというより、エスキモーの家イグルーみたいです。 トラックの前に付いているのは雪を除けるプレートのようです。取り外しができる除雪器具ですね。 旅行中の旅人。天気が良ければサイクリングですか。寒い中で昼食タイムです。 ハイウエイに入ります。反対側車線の向こうに見える豪華な建物・・・昨夜のミラクルディナーをいただいたホテル、Twin Arrowsです。夢ではなかったんですね!実在してます! 長ーい列車がやってきました。 どこも雪で真っ白です。 お腹がすいたので、昼食タイムです。ハンバーガーショップが2軒並んでいました。マックは、たくさんの人で満員。なので、そこはスルーして隣のすいてるバーガーキングに入りました。マクドナルドの人気はどこからくるんでしょうね。バーガーキングも十分おいしかったですよ。 道路は除雪してあるんですが、駐車場から出ようとする側溝あたりが吹き溜まり状態で、タイヤが空回りしてしまいます。ギアをローに入れて少しずつ動いて移動。 本道に出たらほっとしました。 雲の向こうがセドナ・・・? 近づいてきました。わ~! 赤い山肌が見えてきました! それまでの風景とは全く違う・・・異次元の圧倒美です。目が釘づけ! 14時40分 Welcome to Sedona~!
2015.07.18
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ビジターセンターの入り口でチケットを買います。静かなお正月の朝です。普段どれくらいの人が訪れるかわかりませんが、この時は人も少なく静寂に包まれていました。 隕石の展示? ここが巨大な隕石跡です。雪化粧で真っ白!陽の光にキラキラ輝いて、美しいの一言です。 ここに隕石が落ちたのは5万年前。時速4万キロを超えるスピードで追突したそうです。見上げてあっ!なんて認識する間もなく一瞬で破壊ですね。核爆弾よりすごい?半径22キロ以内はすべて何もない荒野に変えてしまったそうです。このクレーターは、 直径1.2km 深さ168mの巨大なクレーターです。穴の底にアメリカの星条旗が立ってるのです。ちょっと遠すぎて見えないですが。アポロ計画の訓練もここで行われたそうです。 空は晴れ渡っていますが、気温が低く、日差しの中でも雪は解けません。慎重に階段を降りて移動します。 ベストビュースポットです。 宇宙に思いをはせるひと時・・・ 迷走・・・ いえ、瞑想です。 目を閉じると瞼の裏が黄金に輝いてました。 7人のサムライ・・・には見えないですね。Love一杯のシルエット! 雪がなければ赤茶けた大地に広がる強大な孔です。 発見された中で一番大きな隕石 The Holsinger Meteorite 大きいのです! 御利益願って、宇宙パワーのチャージ。 アポロの宇宙船。本物だそうですよ。これが地球に帰還したのです。子供の時テレビで見てましたねー 「アポロ13」も一人で映画館に見に行ったの、懐かしい。宇宙はロマンです! キャンバスのような塀の中の窓。 絵になる一枚となりました。
2015.07.09
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さあ、出発!と行きたいところでしたが、車のフロントは雪で覆われて、まずは除雪から・・・雪かきのハンドワイパーなんてないので、ホテルの部屋からお盆を借りて雪を削ります。 そしたら、他の車のドライバーがハンドワイパーを貸してくれました。ありがたい! 大型ワゴン車なので、ハンドワイパーが届きません。勇者女子がタイヤに足をかけヨイショと登って雪をよけてくれました。 さあ、これで出発です! 今日の運転は、娘のアサリです。冷えた雪道なので、母はハラハラ・・・ 無事の運転を祈ります! どんよりした空に道路の雪がはねて、視界不良の中の運転が続きます。 時々現れる貨物列車。何両あるのかと見かけるたびに数えてみますが、あまりに長すぎて途中でわけわからなくなってしまいます。多分100両前後。ほんとに長いですよー アメリカの広さが感じられる列車の長さです。 どんよりした空から、青空が見えてきました! 今日の最初の目的地、メテオクレーターの看板です。ハイウエイの40号線からメテオクレーターへの分岐点です。ここでハイウエイを降りました。 雪に覆われた真っ白な道。 遠くに見えるのは・・・牛のようです! 普通なら牧草地帯が広がっているそうですが、 今日はどこを見ても白いばかり。目の前に牛が!雪にびっくり?広がる白銀の世界・・・ ほんとにきれいです。 駐車場に着きました。 快晴の空になりました! 白と青のコントラストが輝きます!メテオクレーターのセンターに向かいます。 空が晴れて、心も晴れ晴れ!
2015.06.25
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朝食のレストラン(いえ、食堂?)は、駐車場の向こう側にありました。Innのオーナーが家族でやってるので、とてもフレンドリーでアットホームな雰囲気です。 新年を迎えたので、顔を合わせると自然に Happy New Year~!飾りつけは、新年のというよりはクリスマスの延長のようです。 フレンチトーストにソーセージと目玉焼き。おいしかったです 朝食の後、出発まで少し時間があったので、一人で散策に出かけてみました。 大通りの向こうにプレイグラウンドが見え、 つい足が向きました。幼稚園?保育園?真ん中の遊具は、前に勤務してた園にもあった見慣れたもの。でもなんだか殺風景な感じがするような・・・子供たちが遊んでいたらまた違って見えるかしら。今日はもちろんお休みなんでしょうね。 こちらは郵便局のようです。 だーれもいません。 道路に面して建つアメリカの住宅です。 静かな、静かな元旦の朝でした。
2015.06.16
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2015年1月1日(木) 新しい年の幕開けです。 昨夜解散した時の予定では、翌朝は8時に集合だったのですが、部屋に入って一息ついた頃、集合時間が7時半に変わったと伝令が走りました。 そして、朝の7時半。部屋から外に出てみると・・・ 雪の止んだ空に美しい朝焼けが・・・ あたり一面銀世界の元旦の朝です。 ふと下を見下ろすと、我らが愛車に新年のメッセージが雪は止んでも凍てつく寒さの中で、粋なイタヅラ 若いね! ハートは私たちメンバーのしあわせシンボル と、記念撮影をしたところで、朝食に行きましょうか、と食堂に向かう一向に、 「ちょっと待って!!!太陽が昇ってくる!御来光よ!」と大声で知らせると、 「え?ほんと?御来光?」と向かいの食堂に行きかけたみんなが慌てて戻ってきました。 雲の切れ間にまばゆい光が・・・ 御来光です! 初日の出です! 朝陽のまばゆさと温かさに包まれて、瞼の裏は黄金色。 陽を囲むプラナのエネルギーを目にし、感激一杯!感謝の思いで立ち尽くしました。 なんて素晴らしい一年のスタートでしょう! いつ見ても神々しい荘厳さを感じるお日様の御来光ですが、新年の幕開けの初日の出はまた格別です。初日の出を拝める幸運に感謝 集合時間が8時から7時半に変わったればこそ出会えたこのタイミング。昨夜のレストランを見つけた時と同様に、直観を信じることの素晴らしさを感じたひと時でした。 自然と手を合わせ、敬虔な祈りをささげたくなる私たちでありました。
2015.06.13
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