草加の爺の親世代へ対するボヤキ
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往来の群衆は目をそばめ、恐ろしや、もったいなや、と皆が手を合わせる所に、六波羅からの早使い下司(げし、下役人)の次郎友方(ともかた)が鞭に鐙を合わせて駆け来った。 難波・瀬尾に述べたのは、常盤御前から義朝の髑髏を申し請け、持仏堂に安置して経を読み、回向して弔いたしとの願い、叶えられては又、新参の俊寛の妻、あづまやが何事をか望まんに、叶えられなくては逆恨みするやも、所詮はこの白首(しゃれこうべの事は面倒が尽きない。打ち砕いて鴨川に流して捨てよと御一門一統の仰せである。いで、計らい申さんと脚立を踏んで伸び上がればば、あら、不思議や、大仏の鼻から大手が伸びてきて、下司の頭をむんずと掴み、大仏の御頭の中から声が有って、義朝のどくろより己が頭(こうべ)を張り砕かんと、握り固めた金拳が鉢も割れよとばかりに二三十回、脳も烏帽子も打ち裂かれて眼(まなこ)も眩み、これ、死にます、死にます、お助け下さいと吠えるのも構わずに、前にかっぱと衝き伏せ、その手を伸ばして白首(しゃれこうべ)を掴んで御頭の中に引き入れたのは、再び此処に羅生門、茨木童子の腕骨にて、相手は綱には似ていないのだ。難波と瀬尾は肝を消し、今度の兵火(ひょうか)に焼け落ちたこの中に、狸野干(やかん、きつね)も住むべき様はない。 黄金が混じった金仏、金の精と覚えたり。ついでに御頭(みくし)、も打ちひしぎ、鋳潰して公用に達せん、それそれと荒し子(雑兵)仲間が立ち帰って、大鎚・大杵・金梃なんどで、ごうごう、いわんくわんと、百千の鉦・釣り鐘が河瀬に響き、さざ波が立ち木草もゆるぐばかりである。 その時に当たり、裳なし(腰から上だけの)衣に種子袈裟(輪けさ)掛けて六尺豊かな大坊主が御首(みくし)の中から躍り出でて、鎚も杵も踏み散らし、蹴散らして、やあ、喧しいぞ、うんざい(侮蔑語、有財餓鬼の略)共、音にも聞くらん、高尾の文覚と言う源氏の腰押し(後ろから力を添えること、又、その人)、この白首はもと我が物、取り返しただけだ。仏の頭を踏み荒らした罰は平家利生は源氏、清盛に先ずこう抜かせと、立ち出でたのだ。 それ、盗人坊主、難波・瀬尾を知らぬか。足ものかさじと大勢でどっと取り巻いたのだ。 やれ、事々しいぞ。那智の滝に千日打たれ、龍神と相撲を取り、愛宕高尾の大天狗と腕押しをした坊主だ。手並みを見よと、獄門柱、えいと引き抜き、振り回し、河原の院の古道から長講堂の裏筋を追っかけ、追い込み、殴りたてれば眉間真向、腰骨膝骨を打ちみしゃがれ(砕かれて)て辺りに近づく雑兵はいない。 やあ、口ほどにもない難波・瀬尾、頭はられて堪忍するか、下司の次郎折り合え、出合えと、馬の尾で柄を巻いた九寸五分、寄るならば突こうとする頬魂(つらだましい)、恐れて近づく者もない。 さもあらん、うぬらが主の清盛は国土を悩ます大悪魔、この文覚は悪魔降伏国土安穏を祈る、大行者を苦しめる悪逆、遠くは三年近くて三月に思い知らせようぞ。 この身は即ち不動明王、南莫三曼多縛曰羅赧(なまくさばんだばさらだ)、戦奴の下に手摩訶路さんずいの麗奴の下に手薩破吨也吽但羅(せんだまかろしゃなそはたやうんたら)、あんだら(侮蔑語、馬鹿者)共と、どって笑って立ち帰る。勇猛力ぞ春風も、庭は踊りの秋の露。さっさ、ふれふれ振るや小褄はいとしえ、えいえいえい、えいえい、縁に引かれる柳の糸の雪に折れぬも風には靡く、竹は恋しき幾夜もなびく、靡きくるくる栗栖野(くるすの、もと山城の国愛宕・現在京都市北区にも宇治郡・現在同東山区にあった萩の名所)の萩、野分の薄、尾花が靡いてやっちゃりな。やっちゃりな、ちりり、ちぢみ髪も油とろとろ、櫛の歯になびく、たんたん丹波の酒天童子(しゅてんどうじ、源の頼光と四天王が退治した鬼、酒を好んだ)も、さあえ、さすぞ盃、のめさ酔えさ、酔うた紛れにな、君と寝てさ、歌い踊って上臈達は局の縁に腰を打ちかけて、もうし、あづまや様是見さしゃんせ、、時ならぬ踊りも御奉公、入道様の仰せ、随分お心慰め、お盃の相手、御寝間の添い寝も遊ばすように致せとて、あれ、あの亭(ちん)に御座なさるる。 いざ、気を浮かして我々が、躍りにつれ、御前にお出てさあ踊りとざわめけば、ああ、いやいや、みづからを諫めの踊り、笑うのではないけれども、世に在りし昔は妓(まいこ)踊り子、腰元混じり様々な変わり踊り、ややこ(少女)踊り、木曾踊り、小町踊り、伊勢踊り、見せたいものは都踊りの抜き拍子(所々、拍子を抜いた曲、変奏曲か)、むむ、見たい見たい、いざ一踊り、所望、所望と浮かされて、恥ずかしながらこうした振りに若衆の出で立ちの目せき笠(目の細かい編み笠)金鍔かいらぎ(黄金の鍔・つばをはめた、粒状の突起のある鮫皮で柄を巻いた刀)、かんぬき指(閂のように水平に横たえてさすこと)でたんだふれふれ、千代の松坂越えて、松は千歳の色ながら、惜しや小松は雪折れて、老い木枯れせぬ六波羅踊りが所望だが合点か。 平家、平家と千種(ちくさ)も靡く、さてはゐよいか住みよいか、ゐよも住みようも慈悲も情けもしゃんとしょ、我は身一つ泣き暮らす。 踊り人(と)が見たくは昔に返せ。世の中對の浴衣をしゃんと着た踊り振りが床しい。 吉野初瀬の花よりも紅葉よりも恋しき夫が見たい物、うたての踊りやな。情には人々鬼界が嶋に流され、夫(つま)諸共住むように申してたべとばかりにて、かっぱと臥して泣き給えば、踊り子の上臈達はげにことわり、痛わしと皆々袖を絞られる。 踊りの声が聞こえたのか、亭の内から越中の次郎兵衛盛次(もりつぐ)が御使いとして局に入り、なう、あづまや殿、この間御一門衆が入れ替わり立ち代わり、様々に仰せられるのにも承引がないのも尤もではあるが、御身とて岩木ではない。今日本にて西を東との給いなされても背く者がいない入道殿だ。恋なればこそ我々まで頼み、時世につくのも一つの道、且は身の果報。常盤御前の幸せがよい証拠、女たる身の望む所とは思わないか。 さあさあ、良い返事をと擦り寄れば身をしさり、ええ、主人たちから内衆(内に仕える人々)まで人らしい人はない。常盤御前の幸せとは武士の口からは聞きたくない。夫義朝の白首まで踏み叩く敵の手掛け妾となる様な助平の徒者とこのあづまを較べられるのも口惜しい。 八重の潮路の鬼界が嶋、雨露もしのぎかね餓鬼同然に成り果てた殿御を愛し、恋しや、会いたやと思う外に望みはない。身の果報を何にしよう。何も聞かぬ、聞きともない。と、両手で耳を塞ぎもののふの情けで泣かせてくれるなと、わっとばかりにうつ伏して沈み入りたる有様に、盛次も詞はなく、すごすごと奥に入ったので、ひっ続いて斎藤別当實盛(さねもり)がしらが髭を喰いそらして、我等六十に余り色気を離れて奥方女中を預かる實盛と言う者、御寝間の勤めはともかくも御前にちょっと出る分には差支えはないであろう。自分は年寄りで悪い事は申さない。と、言いも切らせずに、ああ、諄(くど)や、諄や。 昨日も来て同じことくどくどと長口上、聞き入れる耳は持たないと、愛想がないので、手持ちが悪く、拙者の生国は越前、近年御領につけられ武蔵の長井に有りし故にそれで長居は御免あれと紛らかしてぞ入りにける。 胸に迫れば声に出て、恨めしの世の中や。召人(めしうど)となるくらいならば手枷・足枷、牢獄屋にも入れられず、情け交じりの憂き目を見る。水責め・火責めの苦しみも、心の辛さは劣るまい。この上にお使いが立つならば、何と返事も詮方なし。 なう、上臈達、我が内には有王丸とて音に聞こえる大力の若者がいる。もしも忍んで尋ねて来るならば今生後生の御情け、密かにそっと知らせてたべ、有王を頼りにこの地獄を逃れたい。有王がな、来たれかし。有王は来ないかと立っては口説き、居ては歎きの折に、綿殿に足音がして能登の守教経(のりつね)がわっぱ(童)の菊王を伴ってつっと入り、俊寛が妻あづまやとは汝のことであるか。某などは朝敵退治の大将か、その外天下の大事でなくてはおあようの大人げない小節(しょうせつ、小さなこと)に詞を加える能登の守ではないけれども、入道殿の仰せは某とても背かれず、先ず入道殿を誰と思うのか。 一門の棟梁、国家の固め、如何なる非道をの給うても汝ら風情が利を利に立てさせ清盛入道が利を曲げて天下の仕置き立つべきか。 さりながら、おことが女の操を守って二張の弓を引くまじとは、弓取りの義にも劣らない魂に感じ入る。匹夫疋婦(どのような賤しい者)もその志を奪わずと言えり。尸(かばね)の上にまでは恥辱なし、貞女の道は能登の守が立ててとらそう。又、おことは一旦入道殿の御詞、きっと(確かに)立つべき御返事、さあ、ただ今、と道理正しき言葉の末、涙にかきくれ手を合わせ、ああ、有り難し 平家の中にも小松殿か、能登殿かと一二と言って三がない、文武二道の御大将、数ならぬ下衆女、に道を立ててとらそうとの海山の御恩徳、夫の名をも穢さず生きての本望、死しての誉、いぜみずからも清盛公のお詞の立つお返事をと、懐の守り刀するりと抜いて肝先に、ぐっと突き立てひとくり刳って、申し教経(のりつね)様、あづまやが死ねば平家の御意を背くもの、この世にない。御意を背く者がなければ入道殿のお詞は立ったぞや。 お詞を立てるのはこのあづまや、あづまやが道を立てて下さんすは教経様、御恩は忘れません。ああ、忝いとこれを最後に息絶え果てたり。 驚き騒ぐ女房達を突きのけ、押し除け、出かいた女、と首を打ち落とし、おれ菊王、この骸(からだ)は門外に捨て置け。と、髻(たぶさ)を掴んで首を引っ提げ、御前まぢかの欄干に謹んで、御心を懸けられしあづまや、教経が口説き落として連れ参ると、申し上げましたが、御望み叶い候。急ぎ御酒宴、御酒宴と呼ばわり給えば、入道殿、障子も暖簾も引き除けほやほや笑顔、つれなきあづまやを靡かせて来たとや。 能登の守は弓矢、打ち物ばかりか恋の仲立ちにも名将、高名高名、早く逢いたい。彼の君はいずくにぞ。 即ち、此処に候と袖の下から生首を御膝下に、指し置けば、入道、くぁっと顔色が変わり、やあ、腹立ちや、倅(小僧、若造)め。首を切れとは誰が言った。年寄って色に耽ると嘲ったる仕方、親同然の伯父に向かって緩怠至極(無礼至極、不届き千万)、返答せい能登の守、言い訳せよ教経。と、日頃の短気増長して、攫みつかんづる荒気にもちっとも恐れず、これは近頃御無理千万、もとこの女の心立て善し悪しは御存知なく面体美しく顔良き色を恋焦がれ給う故、その顔ばせを御手に入れし教経に御感はなくて御立腹は無体千万、かれは法王の御謀反に組して当家を亡ぼし、一門の首を取らんとした俊寛の妻、折がな時がな、夫の冦(あた)と心に剣を含んだる女、御寝間近くの寵愛は鴆毒(ちんどく、中国南方に住む鴆と言う鳥の毒)に砂糖・甘蔓(あまづら)をつけて唇に寄せて味わうが如く。命がけの戯れ、大将たる身のせざる所、申すに及ばず、御存知の上でとかくお心をおかけなされたと、あづまやの目鼻口以外はもとより要らぬと存じて口説き仰せ、顔ばかりを連れて参りました。
2025年09月25日
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