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2011年03月10日
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誰でも自分の人生に対して、不真面目にはなれない。




いい加減には生きられない。当然です。みんなが




それぞれに一度きりの掛けがえのない命を





懸命に、一心不乱、一途に生きている。どう考えても




そうに違いないのですが、目に触れ耳に届いてくる情報によると




「不真面目で」、「投げやりで」、「弛んでいる」





としか解釈できないような有様。一体、世の中どうなって





しまったのか……。人生の大事を話題にする場合には





いつでも自分自身のことは一応「棚に上げて」でないと










結婚という社会シィステムが極めてイージィに見做され




また実践されているような気がしてならないのですが




皆さん方は如何お感じでしょうか。結婚の前段となる「恋愛」に対しても




同様の「安易」な態度が見て取れますね。西洋からの借用観念である




所謂「恋愛」とは現実の男女の交際としては「実在しない」(西洋流の恋愛とは




純粋に霊的な結びつきで肉体の結合を厳しく排除するのが本来)




とするのは、いまや常識化している筈なのですが、どうした具合なのか




は定かでありませんが、当事者同士は何を勘違いしているのか




理解に苦しむ「見苦しい」遊戯、それも「御ままごと」に類する




「惚れたはれた」をまるで「世上でもっとも美しい」男女交際である




かのごとく自己陶酔に没頭しているかのよう。その延長での










火を見るよりも明らかな事。それと気づかないのは当事者だけで、結果





子供染みた責任の擦り合い、非難の押し付け合い、勝手で自己中心きわまる




いい訳、都合のいい自己弁護の応酬と言った具合に、何処まで行っても





際限の無い「幼児的な」言動。挙句に周囲に八つ当たりして、自分は





なんて不幸なんだと被害者を気取る。そもそも、結婚とは










それと承知の上で「不自由極まりない」制約を相互に課し、また引き受け合うもの。




結婚式やそこでの誓約は、互いの不自由を乗り越えて、二人して手を携え





共同でより良い新しい関係を築き上げ、それを持続させて行こう。困難をこそ





協同して克服しましょう。そういう新たなスタートを切るセレモニー。





そして結ばれた二人はその後半永久的に努力を続け、互いを支えあう困難や





苦しさに耐えてみせる義務がある。家族・フャミリ―という人工的で





不自然な関係を豊かで実り有る「もっとも自由な」結びつきに変えていく





不断の、弛みない努力・献身を進んで、また喜んでパートナーに





捧げ続ける。ある意味では完成の無い大事業を意志的に引き受ける





暗黙の約束を交わし合う。それが結婚の本当の意味合いですね。





その根本の厳しく本当に厳粛な真実を正しく見据えておかないと





実社会で現実に見聞きする多くの実例のように、大海に漂う難破船の





憂き目に遭う可能性は、失敗・破綻の確率は想像以上に高いのです。仇や





疎かに考えていたり、軽率に行動したりすればどの様な結果が待っているか





容易に理解できること。しかし、男女を創造した神は困難と同時に





素晴らしい「果実」をも用意してくださっている。どうか皆さん





結婚に対して真摯な態度を忘れないで下さいね。もし、失敗してしまっていたら





それはそれと潔く諦めましょう。結婚だけが「男女の関係」ではない、と。






どんな場合でも「今」がもっとも大切なのですからね。考えてみたら





人生で「厳粛」でない営みなど一つもないことに、気づく筈。厳粛に





そして、軽やかに、心地よい「息」をして、毎日をエンジョイしていこう




ではありませんか、どうでしょうか。










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最終更新日  2011年03月11日 14時13分14秒
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