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2011年04月22日
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愛は限りなく奪う、ということばがあります。




わたしは自己流で、愛された者は愛している者から




「愛した者」の弱みに付け込んで「無限の愛」を要求し





強引に愛し手から奪い取ることばかりを考え、行動する。





こんな風にこの言葉を解釈していますが、本来の愛・愛情は





真逆を意味しています。つまり愛情とは限りなく与え続けること。





与えても与えても、それでも足りずに更に与える。そして少しも





後悔したり、ましてや損をしたなぞとは露思わない。そんな





純粋無垢な「奉仕の権化」をこそ真の愛情と呼びたい。そう考えます。











自分は十分に大人になりきれていないのではないかと、一応は





十分に反省されてください。例えば私の勝手な妄想で無ければよいのですが





世の中には所謂「美人」として自他共に許す若い女性がいて





男たちからちやほや・ちやほやとされつけているものだから





愛情とは自分の美貌またはセックス・アピールに対する





当然の「対価・値段」であるといった傲慢な思い違いを常に





鼻の先にぶら下げていて、そういった美点には鈍感な者や同性には





鼻持ちなら無いことがままあるのですね。所謂「愛情」なるものも





今日の資本主義社会ではとりわけ、お金でのやり取りの対象となる





立派な「商品」ですから、愛情は本来は無償である、とか





愛情の真価は無条件で与え続けることにある、などと口にした途端











実に、実に空恐ろしい世の中ではありますが。





愛・愛情の際立った特徴は、与えれば与えるほどそれは無限に豊かに





限りなく持続し続けること。不思議といえばこれほどの不思議は





ありませんが、太陽を御覧なさい!無限に限りなく熱と光を





私たちに与え続けてくれているではありませんか……。父や母の愛











マイナスのイメージは無縁である。そしてなんと有難いことに





私たちには基本的に愛・愛情が惜しみなく与えられている。この事実。






本当に有難い事ではありますまいか ――。私たちの心の中にある






愛の泉は決して涸れることがないのです、有難くも、不思議にも。








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最終更新日  2011年04月22日 15時45分23秒
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