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2011年09月15日
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芭蕉は「不易、流行」ということを言いましたが



不易とは文字通りに変わらないものであり、流行とは



その時々に変化し、推移していくもの。孔子は河の流れを見て



「行くものはかくの如きか、昼夜を分かたず」と呟いたとか。



古人も「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」と



活写しておりますね。本質的なところでは少しも変化が



感じられないのに、表面や部分に注目すると大変化、大変動が



絶えず起きている。それが私たちの住む世界のあり方、根本でありますね。



私たち個人に着目した場合でも、同様の事が言える。男女の固体から







繰り返して(途中で身体の細部を作るのに不用だと判断した細胞は



自らを消滅させ、つまり自死したりして)五臓六腑を始め



必要パーツを完成させる。どの瞬間を捕まえても個体としての



独自性は持続し続けている。しかしながら表現されているプロセス



そのものは絶えず大きな変化を見せ続ける。考えてみれば驚くべき



驚嘆に値する現象ではありますね、実際。しかも当の本人には



自分が意志して大変革を遂げているなどといった自覚は一切ない。



考えてみれば本当に、全く、実際、摩訶不思議!吃驚仰天の出来事



なのですね。そうではありませんか?それを、その摩訶不思議を



私たち人間は太古の大昔から営々と繰り返し行為し続けてきている。



それも、事も無げに!実際、事も無げになのですから、二度も







実に有難い「生命」を大切にしないわけには行きません、そうでしょう。



何も「有難さ」を押し付けているわけでも、強制しているものでもない。



ただ単に有りの儘の事実を叙述しているだけのこと。皆さんも



ご自信のお体と、ハートを駆使して、来し方行く末を静かに反省する



貴重な「余暇」を作り出してみて下さい。無自覚ながら本当に







また、周囲の有難い「環境」に対して、「社会」というものに対して



自分自身の新たな思いを、初心に還る様なイノセントな感情を込めて



静かに、しみじみと振り返ってみてくださいませ。お願いいたします。



流行やファッションに現を抜かすのはそれからでも遅くはない。所詮は



流行するものであり、流行のファッションでしかないのですから。











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最終更新日  2011年09月15日 10時23分55秒
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