草加の爺の親世代へ対するボヤキ

草加の爺の親世代へ対するボヤキ

PR

プロフィール

草加の爺(じじ)

草加の爺(じじ)

サイド自由欄

カレンダー

フリーページ

2012年03月09日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
お前は、一体神の存在を信じているのか?


と言うご質問を頂きました。私・草加の爺はそれに対して


はい,
私なりに信じています、とお答えしました。それは一体全体


どのような神なのだ、それを分かり易く説明してもらえないだろうか


という要請が続きました。それに、一応お答えしようと言うのが


今回のテーマです。私を「井の中の蛙」と形容しましょうか。


神は大海のような存在ですし、したがって当然蛙の理解の埒外にあります。



しかしながら、蛙にも「信ずる」ことは可能です。しかし、井戸の中に






神を信ずる事はできても、理解する事は出来ません。以上に尽きているのですが


もう少し補足しておきましょう。仏教の仏、キリスト教の神、そして


高天原に今も住まわれている八百万の神々達と私との関係を次のように理解しています。


つまり、究極の神である「絶対」が存在していて、そこへ至る幾つもの


チャンネルがある。様々な神社仏閣や、道野辺のお地蔵様、更には


「鰯の頭も深甚から」と言われる鰯の頭も、みんな究極の絶対神に至る


ありがたい通路であるのです。ただし、私たちに絶対を理解する事などは


それこそ絶対にできないのですから、自分勝手な解釈や願いなどは


残念ながら先方には届きません。私に出来る事といったら唯只管に


祈るのみ。それも心を空しくして絶対の「御心」に叶うよう念ずる。


正しい祈りは必ず絶対神にまで届き、その願いは必ず実現する。





如何ですか、少しはお解かりいただけたでしょうか?序でながら


現代人は何故に正しい信仰心を失くしてしまったのでしょうか?それは



銘々が自分の胸に手を当ててよく考えてみて下さい。生命力の減退現象


かも知れませんし、人によっては本来の健全な信仰心に復帰する


チャンスになるかも知れませんので。兎に角真摯に、謙虚に、己を





私たちの生きる道はありません。毎日でも、その辺のところを


自問自答し続けてみて下さい。そうすれば、突然の如くに進むべき道が


目の前に開けている様がありありと見えてくる筈。信ずる者は



救われるとは、この事を言っているのであって、勝手な、そして傲慢な


解釈など、それこそ井の中の蛙の戯言に終わるでしょう。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年03月09日 18時32分00秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: