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2012年06月28日
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ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは


思わざりしを ―、在原業平(古今和歌集)の辞世の句と


言われていますが、われわれ凡人には決して詠めない、素晴らしい


歌ですね。ラテン語に、memento mori (メメント モリ)という


警句があって、「死を記憶せよ」「死を忘れるな」などと普通訳されますが


人々に自分が死すべきものであることを思い起こさせる為に使われた。


殆どの人が、健康で日常生活に何の支障も無く暮らしている時には


忘却している事実、つまり人間とはやがて確実に死を迎える


儚い存在だ、ということを忘れたようにして生きていますね。しかし






切実な思いとでは、途轍もなく遠い距離が、隔たりがある、とてもとても。


そして私達は愚かにも、自分自身の力で、才覚で、技量でもって


天晴れ見事に生きていると、主体的に、自覚を持って、人よりも


数倍も素晴らしい生き方をしている。そんな風な勘違いをして


暮らしていながら、自分を有難くも「生かして下さる」目には見えないけれど


確実に守護して下さっている「大きな存在」を無視している。平気でいる。


それで一体良い物だろうか?考えるまでも無く、答えはノー。



しかし、しかし、そんな寝言の様な「迷信」を信じるくらいなら


あの殺人鬼の「教祖さま」を信じたほうがまだ増しだ、とでも思っているような



浅ましい、本当に、心の底から、低劣な人種ばかりが蔓延る風潮。



が、嘆いたり、慨嘆していたりする悠長な暇はありませんよ。たとえば地球が





断じて、罪もない子どもや若者達に、マイナスの遺産を垂れ流しする


ことは、金輪際許されない事。断じて許されない!断じて、です。何故なら


私達は、空間的な広がり、つまり同時代人とだけ生きているわけではなく


時間的な広がり、つまり歴史的な連帯を強く保持して、生き、また


生かされている存在だから。今生きている人間の都合だけで、過去の







絶対にいけないのですよ。過去や未来を、現在の狭い視点で否定したり



無視する事は、同胞に対する裏切りであり、今を生きている者たちの


傲慢としか言い様が無い。過去・現在・未来を全部含めた全体としての


人類のあり方に思いを馳せ、熟思黙考して、果敢に行動する。そうゆう


生き方を一人ひとりが目指さなければならない。狭い了見での判断は


絶対に避けなければならない。そういう意味では、私たちに「絶対の自由」などは


端から与えられてはいない。天は、たとえば「生めよ増やせよ、地に満てよ」



とだけ命じていて、後の宰領は「宜しく、その都度、ベストを尽くす」べく


私たちの手に、善意によって委ねた、全面的に、なのですよ。(大丈夫ですか?



ご同輩!)しっかり、その天の善意を受け止めて、責任ある行動を取ろうではありませんか。













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最終更新日  2012年06月29日 14時35分32秒
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