草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2014年09月08日
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 最初に、改めてお断りしておきますが、私は新興宗教を

宣伝しようとか、その種の なにかいかがわしい 意図を持って

神とか、神の啓示とかの表現を多用しているわけではありません。それだけは

何卒、信じてやってください、どうか。さて、庶民感覚の 素朴極まりない

信仰心は心底に僅かながら蔵してはおりましたものの、一般的に申して

特定の既成宗教の信者ではありませんし、お墓参りを毎年欠かさずに続けている

ものの、故人や先祖たちとの精神的な交流を強く確信しているわけでもない。

ごく一般的な日本人の一人だと思っています。長年通い続けている 浅草の

並木の藪蕎麦のお店に寄るついでに、観音様にお参りしているような バチあたりの



お礼参りをメインにして、そのついでに藪のお店に立ち寄りましたところ、顔馴染みの

お店の お姐さん から「今日はお酒の方は召しがられないのですか?」と声を掛けられましたよ。

「ええ、まだ今日は子供達と接するものですから」と答える私。大切な私の 教師である

生徒たちと顔を合わせるのに、アルコールが体内に残っていては申し訳ない。心底

そう生真面目に考えているのですから。むかし、プロデューサーだった頃は

朝から、必要とあらばビールを浴びるほど飲んで平気だった、同じ人間とは我ながら

信じ難い思いであります。人は、変われば変わるものなのですね、実際。

 そして、これからが本論と申しますか、肝心なところなのですが、人は皆

現代人は特に、神という絶対的な存在との新たな関係性を築き直すべきなのだと

最近、強く感じていますよ、はい。神とはその存在性を証明する対象なのではなく

信じるための対象なのですね、実際。本当に信じるに足る もの を信じる。



蒙昧とか、あるいは無知などといった言葉とは全く無関係のものでありますから。


 この根本の事柄に鈍感であって、真の幸福が得られる筈はありませんよね。


如何でしょう?反論のあるお方は、是非、ご意見などお聞かせくださいませ、どうぞ。







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最終更新日  2014年09月09日 09時02分57秒
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