草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2016年03月01日
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  ― もう少し、時間をくださいな。


 ― ちがうわ、茂雄さんが嫌いだからじゃないの。せめて、結婚式を挙げるまでは、わがままを許して…。


 二人が正式に結婚の約束を取り交わしてからも、私は相変わらず、あなたを拒み続けましたね。あなたは何度か、自

分以外に好きな男性がいるのではないかと、口に出して訊きました。そして私は、それを否定し続けたのでした。実

際、そう答えた私の気持ちに、嘘はなかったのですが………。その前に、中川鉄平さんの事を、どうしてもお話してお

かなければなりません。


 中川鉄平さんは私と同じ時期に調理師学校を修了した、東京生まれの、今年二十八歳になる男性です。高校卒業後六

年間、区の税理事務所に勤めていたのですが、突然退職し、和風レストランの下働きのアルバイトをするかたわら、料



に発揮しては、クラスのみんなから何時も失笑を買っていました。そしてもっと変テコなことは、彼が人参の皮を剥い

たり、生魚を二枚三枚に下ろす時に、必ず涙を流すことなのですね。玉ねぎの皮をむくので涙が出る、という話は聞い

たことはあるが、調理師の卵が料理の材料に包丁を入れる度毎に、泣いていたのでは始まらないと、講師の先生さえ腹

を抱えて笑い出す始末。しかし当の鉄平さんは、そんな周囲の態度を一向に気に掛ける様子もなく、黙々と他人の倍以

上の時間をかけて、材料を仕込み、一番最後までかかって料理を仕上げるのでした。が、それ以外は目立たない、実直

そうな青年というだけで、私も他の人達と同様に、それ以上の特別な関心を向ける事はありませんでした。


 ただ一度だけ、こんな事がありました。季節は春だったのか、秋だったのか、はっきり覚えていませんが、夕立に遭

って立ち往生していた鉄平さんを見かけた私は、駅から学校まで傘に入れてあげました。鉄平さんは五分程の道のりの

間中、自分の方からは一言も口を開こうとせず、学校の玄関に着いた時もやはり無言のまま、軽く会釈をしただけで、

さっさと教室に入っていってしまったのです。二三日後、また偶然駅の改札口を出た所で、すぐ前を行く鉄平さんの姿

を発見した私は、「中川さん」と気軽に声をかけたのです。鉄平さんは一瞬ギクリとした様に立ち止まり、振り返りま



ました。すると、


 「久保さん、ぼく、折り入ってあなたにお願いしたい事があるのですが…」


 鉄平さんが突然口を開いたのです。夕闇の中でも彼の顔が引き攣ったように硬直し、幾分蒼褪めているのが分かりま

した。








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最終更新日  2016年03月01日 08時46分34秒
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