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2016年03月27日
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            第 五十一 回 目



       小説「春、死なん!」  葉月 二十八 著    昭和五十三年春




 プロローグ ―― 確かに、後から考えてみると、彼は普通では無かった。常軌を遥かに逸していたと言わざるを得

ない。取り分け、昨日までの一週間というものは、自分が本来の自分ではなかった様な、妙な気がして仕方がない。し

かし、何故あのような奇妙な状態に陥ってしまったのかは、いくら考えてみても判然としないのだ…。あの、一種病的

な心理状態が何に起因するのか、皆目見当がつかないのであった。持って生まれた内在的な原因によるものなのか、そ

れとも、外部から侵入して我々の肉体を蝕む、ヴィールスの様なものが原因なのか…。先ず何よりも、それを突き止め

ることが、彼には是非とも必要なことに思えてならなかった。


 だが、嘗てこんなにも深刻に、心を悩ませ、煩悶した経験を持たなかっただけに、彼の味わった苦痛は尋常一様のも



た。彼の存在の基盤を、根底から激しく揺さぶり、その結果、重大な影響を残さずには置かない。そう感じさせる何か

が秘められていた、間違いなく。


 彼は色々と思いを廻らしている裡に、ふと何かの暗合のように 偶然の出会い・邂逅 という言葉にぶち当たった。

そして、心の中で何度もその言葉を反芻しながら、一種の感銘に似た静かな戦慄を覚えた。何かの拍子に、小石と小石

が激しくぶつかり合って、小さな火花を発する事が有り得よう。人間同士の出会いにも、それによく似た現象が伴うこ

とだって考えられる。そう考えても、それ程不自然ではあるまい。そして一方がごく平凡な人間であっても、ぶつかる

瞬間の角度とタイミング次第では、思いもかけない猛烈な火花と強烈な熱とを、生じることが有り得るのではない

か…。そんな風に考えれば、幾分納得が行くような気もする。更には、この 出会い ということは、人間同士だけで

なく、人と動物、人と植物、いや、人と命のない物との間でさえ、同様に成り立つ事なのではあるまいか?要は、当事

者である人間の、その際の感受性次第なのであろう。火花を火花と見、熱を熱と感じ取る心の準備が上手く整っていな

ければ、せっかくの幸運な出会いも、意味を失ってしまうことになるであろうから。




あったのであろうか?


 これまで、そういった方面にかけては人一倍鈍感な筈の彼に、降って湧いた如く霊妙な力を与え、不可思議な体験へ

と導く契機となった物は、一体全体、何だったのであろうか…。ここまで来ると、再び最初の堂々巡りに戻ってしまう

が、しかしながら、何となくキッカケが掴めたような気もしている。心を鎮めて、出来得る限り忠実に、ここ一週間余

りの出来事を辿り直してみようと思う。その裡に、何か糸口が見えてくるかも知れない―。







のごとく、秘めやかに、また艶麗である。「あの御方の御骨が、この聖地に迎えられ、久遠の眠りに就かれる…」、そ

の記念すべき日に、誠に似つかわしい、佳き日と思われる。


 静かに、音もなく降り積む白銀の乱舞は、夜が闌(た)けてからも止む気配がなかった。本格的な冬の季節の到来を

告げる、初めての大雪であった。


 この雪の白さを眺めるにつけても、桜花の美しさを想わずにはいられない。








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最終更新日  2016年03月27日 10時27分00秒
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