草加の爺の親世代へ対するボヤキ

草加の爺の親世代へ対するボヤキ

PR

プロフィール

草加の爺(じじ)

草加の爺(じじ)

サイド自由欄

カレンダー

フリーページ

2016年07月06日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類




 が、彼の淡い初恋は、ある日、誠に呆気無く終りを告げた。しばらくして、その女性が

町に姿を見せなくなった頃、人伝にその女性がお嫁に行ったことを、知ったのである。眞木は

その時、自分がほっとしたと同時に、大声で泣き叫びたい程、悲しかったのを、覚えている。

どちらの気持ちも本当であり、自分はもう二度と、似たような想いを経験することはあるまいと、

何故か予感していた事も、記憶に残っている。

 予感は見事に的中し、青春時代を通じて彼は、再び恋心を覚えることがなかった。今にして思えば

彼に恋をする能力が欠けていたと言うよりは、それに相応しい相手に邂逅わなかったのだ、と考える方が

正しいのかも知れぬ。しかし、今頃になって相手にもよりけりだが、何とも不釣合いな相手に対して、



言うのであろうか?

 人の心というものが自分の意の如くにはならず、何か途方もなく理不尽な、巨大なる力によって

操縦されているとすれば、隣の奥さんが突然蒸発した事も、別に驚くには当たらない。空飛ぶ円盤

だとか、宇宙人だとか、合理精神に惚れ込んだ現代人たちが、不合理なもの、神秘的な現象に対して、

一見すると科学的と思える衣装を着せて、自分自身に目潰しを喰らわしている。物の怪といい、

妖怪といい、一体、宇宙人とどこがどう違うと言うのだろう…、合理や科学に対する打ち込み方、

のぼせ方が不足している為だろうか……、佐々木法子の母親が男好きで、売春まで行っているにせよ、

彼女のその 不行跡 を背後から操っているもの、昔の人が「血」と呼んでいたものの存在を、認める

とするならば、誰が正面切って彼女を批難し、また、軽蔑し去ることができるだろうか。その様な

資格のある人間は、そもそも一人も存在していないのではないか、キリスト教やイスラム教が説く

唯一絶対の 神 以外には。眞木は、そこまで考えてきて、待てよ、と自分を警戒し、反省する気持ち



粗雑な思いつきの屁理屈を、あたかも大哲学者の、深遠な哲理の如くに錯覚させていはしないか。小さな

剃刀で足りる場面に、大きな鉞(まさかり)を持ち出したりしてはいないか…


 --- 保延五年五月、鳥羽上皇に皇子・体仁親王が誕生した。皇子の母親は、待賢門院・中宮璋子と

上皇の寵愛を競う、女御藤原得子であった。七夕の夜、義清が女御の局に密かに侵入した、翌年のことである。

三月後の八月、早くも体仁親王が皇太子となるに及んで、上皇の愛情を一身に集めることに成功した女御



中宮との勢力が、完全に逆転したのである。尚も、執拗に巻き返しを謀る四十歳近い待賢門院の姿には、

鬼気迫るものがあった。若い頃から上皇を熊野へ誘って、足繁く参詣したのは、何のためであったろう。そう

言って悔し涙に噎ぶ、中宮の悲嘆の御様子は、義清もお側附きの女房達や、徳大寺公能を介して、耳にしていた。

更に、この様な事態に立ち至った時点での、当今・崇徳天皇の胸中も、察するに余りあるものがあった。鳥羽上皇

に実権を掌握され、結局は上皇の意図に従わざるを得ない、形だけの帝としては、生まれたばかりの異腹の

皇太弟・体仁に、位を譲らなければならないのは、時間の問題だったからである。

 今、義清の心は、この天皇に強く惹かれた。不幸な出生故に、父親の鳥羽院から疎まれ続け、今また

盛りを過ぎた母中宮とともに、権力と栄光の中枢の座から、追い落とされようとしている。火の手は不気味な

黒炎を燻ぶらせながら、既に直ぐ足元にまで達しているのだ。

 義清は世を捨てる決意を固めて以来、この悲運の天皇に対し、幾度か匿名で、慰めの和歌を贈った。天皇に対する

臣下の感情ではなく、同じ人間としてこの世に生き、苦しみ、悲しみを共有する者としての、人間愛に

溢れた歌であった。その底には、深い同情と、限りない温かさとが、秘められていた----

 翌、保延六年、佐藤兵衛の尉義清は出家し、法名をを圓位と称した。時に義清、二十三歳。世を

捨てる覚悟は二年前からきっぱりと出来ていたので、父や母には内々の承諾を得てあった。

 家長の座を、温厚な弟の仲清に譲りたいというのが、義清の腹でもあった。数年前まで長子の義清に

過大な望みを託していた、父康清も、従来通りの左兵衛尉止まりの藤原 ― 佐藤家の家柄に甘んじる気持ちが

年を追うごとに強くなっており、今日ではせめて眼の中に入れても痛くない程溺愛する末子・仲清に、

自分の跡を継がせてやりたいと考えるのが、唯一の望みとなっていたのだ。第一、義清の生母はいわば側室

であり、仲清の方は正妻の子であったのだから。

 問題はむしろ、義清の妻のことであった。聡明な彼女は、ある意味では義清自身よりも早く、このことの

あるのを予知していた。六年前、二人の間に生まれた最初の男子を、病死させてからというもの、優しい

夫の心に重大な変化が起こったことを、彼女は感じ取っていたのである。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016年07月07日 10時40分38秒 コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: