草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2019年06月17日
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私は十代の頃、自己に目覚めて、自分とは何者か、人生をどう生きたらよいのか、といった疑問を抱

き、文学書を漁り、勉強に没頭した。と書けば、嘘になるだろうか。当時の私にそうした明瞭な自覚はな

かったが、後年になって振り返ってみれば、そう言ってもあながち嘘っぱちとも言い切れないものがあ

る。

 英語、ドイツ語を皮切りに語学に没頭したのも、人生とは何ぞや、自己とは一体何者か、の答えを模索

するには、手段として外国語を必要とする必然性があった。それに、翻訳では生意気ながら我慢がならな

い、と強く感じてもいた。自己の資質も才能も省みる余裕すらなく、がむしゃらに突き進むより他に、道

は与えられていなかった。

 今現在もそうだが、五里霧中であった。ただ無我夢中に生きて、生かされて、気がついた時には、テレ



と感じるかも知れないが、そうとでも言うしか他に方法が見つからないだけで、意識して韜晦するつもり

は全くない。

 五里霧中である事には、今も変わりがない。ただ、過ぎてきた道だけははっきりと見えてはいるもの

の…。この状態は私がこの世での命を終えるまで、変わらずに続くであろうと、予測だけは出来るのだ

が。こう在りたい、斯も在りたいと願う気持ちはその時々に、胸中に兆すけれども、その願い通りに

生きることはまずあるまい、とだけは予想がつくのではあるが。

 結局、行き当たりばったりに、何者かに誘導されてあたかも操り人形のように、生きていくしか他に

は術がないのであろう。私の人生、行き当たりばったり。

 それで良いではないか、これまで生きて来れたのも、これから先も、目には見えない杖を頼りに、

他人や社会に意図して迷惑をかけずに、済ましたいと念じながら、出来ればより良い人生を全うしたい

ものと、今現在は心密かに念願している。





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最終更新日  2019年06月17日 17時44分55秒
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