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2019年09月13日
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余生という言葉はあまり好きではないが、平均的な寿命から言えば、あまり多くは生きられないのである

から、常に自己の死というものを意識しないでは、いられない。してみれば、好むと好まざるとに拘らず

に謂わば秒読み状態に入った我が人生の残りを、余生と呼んで然るべきなのかも知れない。

 死はこの世に生を享けた瞬間から、すぐ隣にあって、いつ、何時どのような形で私を襲って来ても、少

しも不思議ではなかったのでから、今更に言挙げして言うべき対象ではないのかも知れない、

 しかし、年齢がそうさせるのか、最近では自分の死を、その到来が直間近に迫っていることを、強く、

また少しの絶える間もなく意識させられる。

 そして意識することは、自分の事としては、あまり周囲や他人に迷惑をかけたくない。可能ならば醜態

は晒したくないと願う思いである。それにつけても、死というものは自分の意の如くにはならないものだ



 人間、自分の意などと言ってみたところで、なるようにしかならないのが、定めであってみれば、精々

自分の力や能力の及ぶ範囲内で、精一杯の努力と精進とを、コツコツと重ねるよりほかにしようがないわ

けであって。

 運命とか、命運とか、持って生まれた身一つを頼りに、自分らしいと思われる地道な人生を、最後の瞬

間に至るまで誠実に、弛みなく続けるほか、人間に許された生きる道はないわけであって。

 そう考えると、これまでの人生を振り返って、大過なくどうにかこうにか今日までやって来られたこと

に、心底からの感謝の念を捧げながら、一瞬一瞬を大切にする心構えを忘れずに、可能な限り人間らし

く、そして又自分らしく、大地に足をしっかりとつけた、毎日を送って行きたいと念じないではいられな

い。差当って食生活に留意して、出来る範囲で体と心を健全に保つ努力を、倦まずに継続して行きたい

ものと、念願している。

 結局それが、後から振り返った時に、自分らしいという事に帰着するのでは、あるまいか。



から手放すような、極度に臆病で謙遜過ぎる態度でもなく、言葉の正しい意味での中庸を得た姿勢でもっ

て、出来れば客観的に見てもバランスのとれた、普段着の自分を保持して、神の慈愛にふさわしい満足な

感謝の念を胸に秘めて、この世を去っていきたいものと、念願しないではいられない。

 生者必滅、会者定離、苦しみと悲しみとは生を享けた者がその幸福の代価として、当然に支払うべき代

償であると心得て、恐れず臆せず、油断せず、可能な限り平常心を保つようにして、出来れば周囲に過大



ない。神よ、仏よ、どうか勇気と活力とを最後の瞬間まで、私に与え続けて下さいませ。





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最終更新日  2019年09月13日 16時07分23秒
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