草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2021年02月03日
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東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

 御存じ石川啄木(1886 - 1912)の有名な歌であります。

 不来方(こずかた)の お城の草に 寝ころびて 空に吸われし 十五の心   教室の窓より 逃げ

てただ一人 かの城跡に 寝に行きしかな   やわらかに 柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ 泣けと

如くに   馬鈴薯の 薄紫の花に降る 雨を思へり 都の雨に   頬につたふ なみだのごはず 一

握の砂を示しし 人を忘れず   砂山の 砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠く おもい出づる日   

たわむれに 母を背負ひて そのあまり 軽き(かろき)に泣きて 三歩あゆまず   はたらけど は

たらけど猶(なほ) わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る   ふるさとの 訛なつかし 

停車場の 人ごみの中に そを聞きにゆく   やはらかに 柳あをめる北上(きたかみ)の 岸辺目に 




 私に限らず、若者は皆一様に一読して忘れがたい感銘を受け、一度は啄木のファンになってしまう。


   こころで好きと 叫んでも 口では言えず ただあの人と 小さな傘を かたむけた ああ あの

日は雨 雨の小径に 白い仄かな からたち からたち からたちの花   「 幸せになろうね あの

人は言いました わたしは 小さくうなずいただけで 胸がいっぱいでした 」   くちづけすらの 

想い出も 残してくれず 去りゆく影よ 単衣(ひとえ)の袖を かみしめた ああ あの夜は霧 霧の

小径に泣いて 散る散る からたち からたち からたちの花   「 このまま 別れてしまってもい

いの でもあの人は さみしそうに目をふせて それから 思いきるように 霧の中へ消えてゆきました 

さよなら初恋 からたちの花が散る夜でした 」   からたちの実が みのっても 別れた人は もう 

帰らない 乙女の胸の 奥ふかく ああ 過ぎゆく風 風の小径に 今は遥かな からたち からたち 

からたちの花    「 いつか秋になり からたちには黄色の実が たくさんみのりました 今日もま

た 私はひとりこの道を歩くのです きっとあの人が帰ってきそう そんな気がして 」




であったと言えます。それは、革新と称するよりは低俗化の極み、歌の劇画化、乃至、漫画化と言ってよ

い現象でもありますが、それは世の中の世俗化・低俗化に正しく呼応している、謂わば必然の現象であり

ました。

 今日は劇画や漫画の世界的な一大ブームを将来していますが、その先駆けとしての意義は非常に大きか

った。



この様な面でも、大きな影響を知らず知らずのうちに与えている、偉大なる抒情詩人であり、センチメン

タリストでもありましたよ。

 私が「からたち日記」をここに引き合いに出したのは、もう一つ意味合いがありました。こう見えても

私は中学に進学すると直ぐに、級長・ホームルーム代表として、「起立、礼、着席」の号令を教室での授

業の開始と終了の際に発することを、クラス担任から命じられていましたから、一クラスに60人いたク

ラスメートから一目も、二目も置かれる存在でした。そんな私が、ホームルームの時に、何かの話題の序

に担任から「音楽では、何が好きか?」と訊かれて、「島倉千代子の唄が好き」と答えた所、教室中が期

せずして大爆笑になった。その時、私一人がきょとんとして、その笑いの意味が理解出来なかった。

 後にして思えば、秀才の私からは「モーツアルトの何々、ベートーベン、或いは大バッハの何々の曲」

と言った答えを予想していたところへ、通俗な歌謡曲の名前が出たので、あの爆笑になったのだと、得心

がいった次第であります。

 ここで私のとっときの「初恋ものがたり」を御披露致しましょうか。と言っても、他人には何の面白さ

も感じさせない、極めて地味な内容でありますが。

 私・古屋克征は東京北区の神谷小学校で一年生から四年生まで生徒として過ごしました。その四年間ず

っと同じクラスであった女生徒の K Y との全く恋とも呼べない淡い淡い慕情にしか過ぎません。家庭の

事情で五年生の一学期になると直ぐに、板橋区に引越ししましたから、それこそ「さよなら」の一言さえ

言えずに別れてしまった。それだけの事ですが、後日談があります。二十歳前のひどく落ち込んでいる頃

の事、何故か K Y の事を急に懐かしく思い出して、彼女の実家に電話をしたのでした。住所は大体見当

がついていたので、電話帳で調べると直ぐにわかりました。震える指で公衆電話のダイヤルを回して本人

が電話口に出ることを念じましたが、電話に出たのは母親でした。K でしたらこの番号の方に電話して下

さいなと教えて貰った。迂闊な私は何の気もなく、教えられた番号に電話していた。ただ無我夢中で、相

手が自分の事を忘れてしまっていたら、どうしようなどと考えて、気もそぞろだった。電話に出たのは若

い男性の声だった。「 K Y さんはいらっしゃいますか?」と取次ぎをお願いしたが、鈍い私は何も感じ

取ってはいなかった。「古屋君なの…、あの、ちょっとお待ち下さいね」と元気そのものといった懐かし

い彼女の声であった。私はいっぺんに嬉しさと懐かしさが込上げて、有頂天になってしまった。ややあっ

てから「お待たせいたしました。さっきのはお店の方の電話でしたから、お部屋の方にきりかえたので

す。それにしても、お電話下さって有難う」と淀みなく昔通りの溌剌たる、聡明その物の彼女の声であ

る。「あのォ、私、結婚したのよ。さっき電話を取り次いだのが夫です」と、鈍感な私を少しばかり窘め

る。それで、私は自分の迂闊さにようやく気が付いた次第でした。それからはどんな話になったのか、殆

ど上の空だった。彼女は「○ ○ 食堂」という自分の店の場所を説明して、是非とも近いうちに来て、顔

を見せてくれないかと言うので、「ああ、そうするからね」と答えて電話を切った。

 以上で御しまいです。プロデューサーになってからも、何度か、一人の客として店を訪れようかとも思

ったが、結婚した以上は相手の男性に対しても儀礼上慎むべきだと考えて、約束は果たしていない。

 古ぼけた遠足などの記念写真には、決まって私の傍に彼女の姿が写っている。中々の美人だし、聡明そ

の物、彼女との実に幼い 御まま事 の様な遊びの数々、多分、私が転校せずにあのままで北区に住んで

いたならば、結婚に自然に移行したに相違なく、私の初恋の人は永遠に幼い美人のままで思い出の中にだ

け、生き続けるのでありました。


  呼吸(いき)すれば胸の中にて鳴る音あり。 凩(こがらし)よりもさびしきその音!   眼閉

(めと)づれど、 心にうかぶ何もなし。 さびしくも、また、眼をあけるかな。   途中にてふと気

が変り、 つとめ先をやすみて、今日も、河岸(かし)をさまよへり。   咽喉(のど)がかわき、ま

だ起きてゐる果物屋を探しに行きぬ。秋の夜ふけに。   遊びに出て子供帰へらず、 取り出して 走

らせて見る 玩具(おもちゃ)の機関車。   本を買ひたし、本を買ひたしと、 あてつけのつもりで

はないけれど、妻に言ひてみる。   旅を思ふ夫の心! 叱り、泣く、妻子の心! 朝の食卓!   

家を出て五町ばかりは、 用のある人のごとくに 歩いてみたけれど――    痛む歯をおさへつつ、 

日が赤赤と、 冬の靄の中にのぼるを見たり。   いつまでも歩いてゐねばならぬごとき 思ひ湧き来

ぬ、深夜の町町。   なつかしき冬の朝かな。 湯をのめば、 湯気(ゆげ)やはらかに、顔にかかれ

り。


 次に、多感な中学時代の旧友の女生徒に抱いていた、これも仄かで微かな、純な恋情の如き感情を述べ

てみましょう。啄木の感情過多なセンチメンタリズムに釣り込まれた形ですね。

 一人はクラス一番の優等生で、少し青ざめたもやしの如き少し成長が足りないような印象の N A と言

う少女でした。当人同士はそれほど意識していた感じはなかったのですが、周囲が優等生同士の男女の筆

頭ですから、どうしてもそういう風な目で私たちを見ていた節がありました。次は、S S です。中学生な

がらに大人の色気を自然に発散している、グラマラスな女生徒。一緒にテニスなどを会話も交わさずにプ

レイするだけの、恋心を相互に抱いていたのかどうかは定かではない、関係でした。三番目は、トーテン

ポールと綽名されて、男の子から非常な人気を博していた T S ですが、私は色の浅黒い、眼のぱっちり

とした彼女を、美少女だとは感じていても、特別に心惹かれると言う事はありませんでした。

 以上、懐かしさの余りに調子に乗って書いてしまった感はありますが、肺結核で二十代半ばで若死にし

た石川啄木に比べて私は何と幸運で、女性運の強い人生を送って来たかと、我が事ながらに感動を新たに

しております。喜寿七十七歳の老人である身も顧みず、初恋談議にうつつを抜かすとは、我ながらにあっ

晴れだと自画自賛しておりますよ。

 それにしても、人が人を好きになる、この恋と言う素敵な現象を私たちに与えて下さった神様に、改め

てお礼を申し述べたいと思うばかりであります。


   金色の 小さき鳥のかたちして 銀杏ちるなり 夕日の丘に   ( 与謝野 晶子 )

   いにちなき砂のかしさよ さらさらと 握れば指の間より 落つ    ( 啄木 )


 一方は、実に乙女チックで劇画調であり、片方は、また実にセンチメンタルで孤独の、又、不幸の塊を

絵に描いたような自己観照でありましょうか。





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最終更新日  2021年02月03日 15時53分17秒
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