草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2022年04月09日
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家思(も)ふと こころ進むな 風守(かざまも)り 好(よ)くしていませ 荒しその路(みち)

(― 家を思うとて、お焦りなさいますな。よく風を見て出発なさいまし。風がその海路で吹き

荒れておりますので)


 鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の國に 高山は 多(さは)にあれども 朋神(ふたかみ)の 貴

(たふと)き山の 竝(な)み立ちの 見が欲(ほ)し山と 神代より 人の言い纘ぎ 國見する 

筑羽(つくは)の山を 冬ごもり 時じき時と 見ずて行かば まして戀(こほ)しみ 雪消(げ) 

する山道すらを なづみそわが來(け)る(― 東国には高い山が沢山あるが、中でも二神が並び

立つ様子が見事であると、神代の時代から人々が言い伝え、そこから国見をする筑波山を、冬は

籠って登山をしない時節はずれの時期だとて、見ないで去ったなら、一層恋しいだろうから、歩



ることだ)


 筑羽嶺(つくはね)を 外(よそ)のみ見つつ ありかねて 雪消(げ)の道を なづみ來(け)る

かも(― 筑波山をよそからだけ見ているのでは飽き足らないので、雪解けの山道を悩みながら

登って来て此処に居ることだ)


 わが屋戸(やど)に 韓藍(からあゑ)植ゑ生(おほ)し 枯れぬれど 懲(こ)りずてまたも 蒔

(ま)かむとそ思ふ(― 家の庭に、韓藍を植え育てて枯らしてしまったが、懲りずにまたも種を

蒔こうと思う)


 あられふり 吉志美(きしみ)が嶽(たけ)を 險(さが)しみと 草とりはなち 妹(いも)が手

を取る(― 霰が降る時にキシキシと音を立てるが、そのキシではないが、きしみが嶽が高く険

しいので、草を採っていた手を離して、美しい仙女・つみのえの山姫 の手を取った)


 この夕(ゆうべ) 柘(つみ、山桑)のさ枝の 流れ來(こ)ば 梁(やな)は打たずて 取らずか



を打たないで、やはりそれを取らずにいられようか。誰だって、手に取ってしまうに相違ないさ)


 古(いにしへ)に 梁打つ人の 無かりせば 此處(ここ)もあらまし 柘(つみ)の枝はも(― 

昔にもし柘の枝を拾った人がいなかったならばしかたがないけれども、梁を打っていた人が柘の

枝を拾った故実が現存する以上は、今、ここに柘の枝が流れて来ても良いわけだが、山桑の枝

よ!)   ―――  天女とか仙女とか、人間よりも一段階上の、神に近い存在としての異性へ



ら脱出して、異次元の、途轍もない不思議ワールドへの案内者。無意識の内に我々はその様な夢

世界への誘惑に常に駆り立てられている存在なのではないだろうか。私にも、柘の枝ではない

けれども、異次元空間から突如として出現したとしか思えない女人が、降って湧いたかの如くに

現れたタイミンがあった、確かに。尤も、当時は「仙女」だとの認識はなかったが、今となって

は、「事件」が全て終了してしまった、「後の祭り」的な感想としては、紛れもなく柘枝仙媛・

つみのえのやまひめ の現代版であったことに間違いはなく、なんと現実離れした体験をあの当

時、自分は確たる自覚もなく、夢現の裡に酔生夢死的数十年を「竜宮城における浦島太郎」のよ

うに、陶酔し、夢現の間に過ごしていたことか…。有難いと心底、神に対して感謝しなければい

られないのであります。自分で体験したことには間違いのないことなのだが、今になってみると

、自分自身の経験とは信じがたい「勿体無い、有難い」事態が紛れもなく進行していたのであ

り、それを体験しているという確かな手応えが当時は、現在進行形の中で、夢現の中でもしっか

りと感じ取っていたことに間違いないのだ。考えれば、考えるほどに不可思議感は深まるばかり

なのだが、当時は当たり前な事が当たり前に生起している如くに、受け止めていた自分の存在が

しっかりと「皮膚感覚」で残っているのだから、これまた不思議だ!


 海若(わたつみ)は 霊(クス)しきものか 淡路島 中に立て置きて 白波を 伊豫(いよ)に

廻(めぐ)らし 座待月(ゐまちづき) 明石の門(と)ゆは 夕されば 潮(しほ)を滿たしめ 明

けされば 潮を干(ひ)しむる 潮騒(しおさゐ)の 波を恐(かしこ)み 淡路島 磯隠(いそが

く)りゐて 何時しかも この夜(よ)の明けむと さもらふに 眠(い)の寝(ね)かてねば 瀧の

上(うへ)の 淺野の雉(きぎし) 明けぬとし 立ち騒くらし いざ兒等(こども) あへて漕ぎ

出(で)む にはも靜けし(― 海神は不思議な力を持っているものだ。淡路島を中にどっかと置

いて白波を四国の伊予まで廻らせ、明石の海峡からは夕方には潮を満ちさせ、明け方には潮を干

させることよ。潮騒の波を恐れ、淡路島の海岸に舟を寄せて、何時この夜は明けるだろうかと見

守っているので、眠れないでいると、滝の畔の浅野の雉が夜が明けたと立ち騒いでいるらしい。

さあ、舟子たちよ、押し切って漕ぎ出て行こう、海面も静かだよ)


 島傅(づた)ひ 敏馬(みぬめ)の崎を 漕ぎ廻(み)れば 大和戀(こほ)しく 鶴(たづ)さは

に鳴く(― 島伝いに敏馬の崎を漕ぎ巡っていくと、大和が恋しくて、鶴が沢山鳴いては私の心

を掻き立てるのだ)





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最終更新日  2022年04月09日 16時33分53秒
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