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(もはや安全ではない国、日本の自覚を) 京都アニメーションでの火災で30人を越える人が死亡した。 事件そのものは痛ましいもので、放火した犯人については、言い訳ができる話ではないし、万死に値する犯行だと言える。 だが、その一方で、こうした事件の度に、テレビ新聞の報道で違和感を覚えるのは容疑者がどんな人間だったなどという事に多くの事件を割き、日本の企業や個人の安心、安全、防御などについての、備えのなさについての言及が極めて少ない事である。 かつて、日本は安心な国で、地方の農家などへ行けば、家に鍵をかけていない所が少なくなく、それでも、犯罪などは滅多に起きず、問題はなかった。 しかし、こうした地方で育った人が大学進学で、東京や大阪などへ出て来て、自分の部屋がアパートの2階、3階にあるからと、ベランダの戸の鍵をかけずにいて、暴漢に忍び込まれて、乱暴されたとか、殺されるというような事件が何件も起きた。 強カン事件は事件が事件だけに、犯人が逮捕された時には、あまり大きく報道されないが、裁判になって、犯人が有罪になったりして、1人の男が何十人、時には100人を越える女性をおかしていたという事件が何件も起きている事が明らかになっている。 また、大分以前だが、大阪の池田小学校事件で、学校に暴漢が侵入し、何人もの小学生が殺されたり、秋葉原で無差別殺人が起きたりした上、最近では、神奈川県の登戸で、登校バスを待っている生徒が暴漢に殺される事件が起きるなどして、今の日本は、もはや、安心、安全な国ではない事は、何回も示されている。 にもかかわらず、個人も会社も安心、安全に留意し、まさかの時の対応、備えに本当に関心が薄く、無防備だった結果が、今回のような悲惨な事件に結び付いたとも言える。(多くの人を預かる経営者は常に社員の安全を考えないといけない) 今回の京都アニメーションの事件では、犯人は1階の入り口から、台車にガソリンが入ったバケツを乗せて、会社に入り、そこでガソリンを撒いた上で、火をつけている。 常識的に考えて、見知らぬ男が台車にバケツを載せて、会社に入って来たら、守衛がそれを停止したり、止めたりするのが普通だが、この会社ではそれが行われなかった。 筆者にはそれが不思議でならない。 筆者も小さな会社を20年以上経営していたが、少なくても筆者は、火事や災害が起きた時の避難や、変な人間の侵入については、いつも対策を頭の片隅に置いていた。それは経営者として、何人もの人を預かる者として、当然の事だと思って対応して来た。 今回の京都アニメーションの会社の社長の話では、普段は出入りはチェックしているが、この日は外部から人が来る予定があったので、そうした事はしていなかったという。 でも、経営者としての視点なら、そうした予定があれば、逆に、いつも以上に警備の人を増やして、出入りを見守り、何か問題が起きないようにするのが、当然だと思う。 だが、この会社では、そうした事は行われず、犯人は容易に会社に入れ、ガソリンを撒き、放火をする事が出来たのである。 被害にあった会社を責める積りはないが、経営者として、人を預かる人間としての行動にしては、何か違和感を覚えるのだ。 気のせいか、テレビのインタビューに答える社長の表情に、これだけの事件を起こしてしまった経営者の責任という意識がほとんどないように見受けられる。 それが自分が直接の原因でないにしろ、経営者は結果がすべてで、大事件が起きたらそれは即、経営者の責任なのである。 今回の火災では、1階の火災が2階、3階にもまで及んだ原因に、建物内で人の行き来が楽に出来るようにと、螺旋階段が設置されていたために、それが煙突の役割をして、全館に火事が広がったという。 これも、確かに便利かもしれないが、火事や災害など、思わぬ災害に対応するという視点が抜けた建て方である。 便利と安全とは、概ね、逆のものである。でも、会社で建物を作る時には、そこで多くの人が働く以上、多少、便利さを犠牲にしても、安全を優先する発想があってしかるべきであると思う。(火災訓練、火事にあった際の教えが必要) また、3階から屋上に出る戸の所で10数人の人が死んでいたという話である。 屋上に出る戸に鍵はかかっていなかったが、開けた形跡はない。ほとんどの人が一酸化炭素中毒で身動きがとれなくなり、屋上に脱出できなかったようである。 これも、普段の教えがなかったためと思われる。 筆者が子供から生徒時代には、まだ、家は木造の建物がほとんどで、コンクリートの建物はなく、それにともなって、日本全国で火災が多く発生した。 筆者が小学生の時、車が行きかう道路を挟んだ向かいの家が火事になり、全焼する出来事があった。 少し広めの道路が間にあるとはいえ、火が大きく燃え上がって、火の粉も多く地上に降り注いでいて、自分の住まいの方に飛んで来て、自分が住んでいる家も燃えるのではないかという恐怖心に駆られた事があった。 そんな時代だったので、火事で人が焼死するというのは珍しくなかった。 そうした事を受けてか、消防署の人が時折、学校に来て、防火訓練が行われたりもした。 そして、火事の際には、焼死もあるが、一酸化炭素中毒で手足が動かなくなって、死ぬ事が多いので、火災に遭った時は、タオルや衣服などの繊維を水で濡らして、それを口にあてて、逃げるようにというような事を教えてもらった。 だから、大人になっからも、火事にあった時は、タオルを濡らして口にあてて、避難するのだという意識は強くもっていた。 今回の京都アニメーションの事件でも、こうした濡れタオルの教えが徹底されていたら、少なくても、屋上への戸の所で死んでいた20人近い人は死ななくて済んだはずである。(災害でも避難をしない人が大半の今の日本) 東日本大震災の時、被害にあった地区の幼稚園でいつも、園児の避難訓練をしていたところがあり、この幼稚園では、普段の訓練のお陰で、1人の犠牲者も出ずに集団で避難出来たという話がある。 しかし、この幼稚園の関係者の話として、普段、避難訓練をしている幼稚園の人に、周辺の住民は「あんな立派な防波堤があるのに、避難訓練をするなんて、なんて無駄な事をしているのだ」と笑って、からかっていたという事が伝わっている。 東日本大震災では、立派な防波堤を信じて、9割の住民が避難をしなくて、それもあって、多くの人が犠牲になった。 また、東日本大震災の時、筆者は42階建ての東京の臨海部のタワーマンションを事務所として借りていて、大きな揺れを体験したし、エレベーターが止まり、41階の事務所と地上を階段で何回も上り下りした経験もした。 こうした事もあって、地震の後、臨海部のタワーマンションはパタッと売れなくなったが、地震から数年も経つと、大震災を忘れたように、臨海部のタワーマンションは人気を取り戻した。 まさにのど元過ぎればの例えである。 また、最近の西日本での豪雨での土砂崩れや河川の氾濫で多くの人がなくなった時も、地方自治体の避難勧告に対して、9割の住民が避難しなかったというデータが出ている。 日本人はどうしてしまったのかと首をひねらずにおられない。(国の防衛を忘れた日本人は個人防衛も忘れた) 何回か書いたが、かつて林房雄は著書「緑の日本列島」で、日本は台風や災害で毎年のように被害に遭うので、西欧のように自然を科学で抑えつけて、制圧しようとするのではなく、防衛をしながら、不可抗力な時もあるので、被害をいかに少なくするかという知恵を働かせ、自然と共存して来たと書いた。 そして、そこから、自然や不可抗力のものに対する恐れ、畏敬の念を持ち、地区の住民が協力して、被害を少なくする集団主義が育ったのだと述べた。 こうした背景が歴史、文化的にあるので、敗戦で廃墟になった日本が、絶望せずに、短期間に「奇跡の復興」と言われた経済発展で、1980年代には、アメリカの6割位に迫る経済力を持ち、世界2位の経済大国になったのである。 しかし、戦後の日本は経済発展に全力を挙げるために、防衛はアメリカに任せきりの状態になり、それが70年も続く内に、国土防衛だけでなく、会社や地区、個人に至るまで、安心、安全、災害対策に時間と金をかけて、留意するという発想まで失ってしまったと言える出来事がそこここで起きている。 (韓国問題、日本の腰砕けの可能性) 韓国との最近のトラブルは、戦後、日本が韓国に譲り続けた結果、韓国に「韓国が強く出れば、日本は譲る国だ」という認識を定着させてしまった事の何十年かのつけが出ているに過ぎない。 韓国は戦後、嘘の歴史を学校でずっと教え続けて来た。 そして、その教育で育った韓国人が60歳、70歳から今の小学生にいたるまでいるのだから、少なくても、韓国では「嘘が真実になってしまった」のである。 敗戦まじかの李承晩時代はともかく、1965年に日韓基本条約を結んで国交を樹立した時点で、この歴史教育についても、日本は時の韓国の朴正熙大統領にきちんと話をして、決着をつけるべきだったのだが、それをしなかった。 その失敗が今の韓国の増長ぶりを招いたともいえる。 そして、今、輸出管理の厳格化が大きな問題になると、マスコミもネットの書きこみも、「日本企業への影響も大きい」とか、「落ちどころはどこか」という事を書きだしている。 「国」とか、「安全」「外国交渉」という際には、例え、自分に痛みがあっても、絶対に譲ってはいけない事があるのに、戦後の日本はすべてを経済、金で考え、「名誉」や「プライド」などは二の次、三の次にして来たのであり、今回もそうなりそうな気配すらする。 筆者は前にも書いたが、今回の韓国との事は、参議院選挙が終わったら、自民党内の圧力で、「措置の緩和」、つまり、日本の腰砕けで終わる可能性が結構あると考えている。 そして、それはこれまで以上に韓国を増長させ、より以上の誤解を与えるものなのだが、妥協の理由として、「アメリカが仲介して来たので、それに従った」と言い訳をしそうである。 それで、韓国内の「反日種族主義」はもはや、消し去る事ができない思想として、定着し、今後何百年にわたって、日本を苦しめ続ける事になるだろう。(天安門事件で欧米を裏切った日本の再来が起きる) 対中国も同様である。 天安門事件の時に、欧米は揃って、中国共産党を非難して、経済制裁をした。あの時に、日本も欧米に協力して、制裁を継続していたら、多分、中国共産党政権は倒壊していたと言われている。 だが、日本は欧米の制裁を破って、いち早く中国に手を差し伸べ、天皇を訪中させ、経済協力をした。これで西側の足並みが乱れ、天安門事件はうやむやになり、中国共産党政権は生き延びた。 中国に日本に感謝するどころか、嘘の歴史教育を徹底し、反日教育を強化したのである。 「簡単にころりと騙される奴は信用できない奴で、徹底的に利用するだけ」これが中国人の日本人観である。 今も、G20の時の習近平氏と安倍総理の会談で、日中関係は完全に正常化するとの考えで一致したとして、10月に習近平氏の訪日を決めた。訪日した習近平氏は間違いなく天皇の訪中を要請する。 これはアメリカの制裁を打ち破る突破口に日本を利用しようとしているだけなのに、今の日本は天安門事件の反省もないまま、また、中国に利用されようとしている。 こうした事が起きるのは、戦後、「国とはなにか」「守らないといけない事は何か」「防衛」「安全とは何か」という事を全く考えずに、経済、金優先で70年間過ごして来たためである。 京都アニメーションの火災は、そうした意味で、今の日本を象徴している事件とさえいう事ができると言える。
2019.07.20
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(国立競技場に5万人の観客を集めたラグビーの試合) ラグビーのワールドカップ大会で、日本がベスト8に勝ち残り、日本列島にラグビーフィーバーが起きた。そして、これをとらえて、日本ラグビー協会は日本ラグビーのプロ化を言い出した。 だが、筆者は、ラグビーのプロ化は簡単ではなく、多分むしろ、無理だろうと考える。 若い人は知らないと思うが、1950年代から80年代にかけて位までは、ラグビーは大人気で、正月の元旦に国立競技場で行われた試合には、5万人を越える観客が詰めかけたものである。 当時、サッカーはマイナースポーツで、ラグビー人気には及びもつかなかった。ラガーマンは学生の憧れで、明治の松尾雄二などは次から次へと浮名を流した事でも有名になった。 当時のラグビーは大学では明治、早稲田、慶応、そして、関西の同志社などが強く、学生は首都圏では、2つのリーグがあって、それぞれ総当たりの試合をした。 明治、早稲田、慶応は同じリーグで早明、早慶の試合には、多くの観客が詰めかけた。フォワードでの攻撃にこだわる明治と、バックスの展開で得点を狙う早稲田という違う特色のチームの対戦は見ごたえがあった。 そして、大東文化、法政、関東学院、日大などが所属する別のリーグも、総当たりをして、2つのリーグの上位チームが対戦をして、関東大学の優勝者を決めた。 関西は関西でリーグ戦があり、優勝チームが関東の大学の優勝チームと大学日本一を争った。そして、社会人チームの優勝者と大学チャンピオンが今度は日本一を争って決戦をしたのである。 この頂上決戦が正月の元旦と15日の成人の日に行われ、大観衆が入った会場は、晴れ着姿の女性も観戦して、色を添えたのである。(単独チームで豪州遠征をした八幡製鉄) 筆者は1950年代からラグビーを見て来て、ラグビー観戦歴はもう60年にはなる。 筆者が子供の頃、社会人では八幡製鉄(今の新日鉄住金)が強く、中でも宮井国夫という選手は恐ろしく足が速く、次々とトライを奪い、その脚力に憧れたものである。 当時の八幡製鉄の強さはかなりなもので、全日本代表ではなく、八幡製鉄だけの単独のチームメンバーで豪州、ニュージーランド遠征をして、現地の人からも一目置かれ、宮井は豪州のチームに移籍しないかと誘われた程である。 また、70年代、80年代になっても、明治大学から新日鉄釜石に行った松尾雄二、そして、同志社大学から神戸製鋼に行った平尾誠二のプレーには見ていて心が躍ったものである。 新日鉄釜石と神戸製鋼はラグビー日本一を7年連続で成し遂げ、その連勝の様子だけでなく、華麗な攻撃や堅い守備に感心したものである。 松尾の凄さはハーフ陣として、ボールを持つと、フォワードに渡して突進させるか、足の速いバックスに渡すかの選択だけでなく、自らボールを持ってトライを狙って走る事に加えて、相手の守備陣との距離があると思うと、ドロップゴールを狙って、3点を取る事も出来、4つの選択肢のどれになるかを楽しめたものである。 また、京都の伏見工業という当時、不良校とさえ言われていた高校に赴任した体育の教師が、部活のラグビーを通して、生徒を再生させた物語が「スクールウォーズ」というドラマにまでなり、話題になった。そして、その選手の中心にいたのが平尾である。 彼は仲間の大八木などとともに伏見工業から同志社大、そして、神戸製鋼に行って、大活躍をした。このドラマ性も人気を呼んだのだ。(スター不在、怪我を恐れる風潮、不公平な審判の判定) これだけ大人気だったラグビーの人気が落ちて来た理由はいくつかある。 その1つは、松尾、平尾などのスター選手が引退するとともに、ファンを引き付けるものがなくなった事である。 2つは学校での体育での怪我が大きな問題になるようになり、運動会で騎馬戦さえ行われなくなるような風潮の中で、ラグビーをしようとする雰囲気が出にくくなった事である。 男の子は体を鍛えようという意識から、授業が終わったら、部活をするのではなく、塾に行こうという生徒が圧倒的に多くなる中、怪我が多く、身体の消耗が激しいラグビーはスポーツの中でも、より敬遠されるようになって来たのである。 そして、自分がしないまでも、見るスポーツとしてのラグビーからファンが離れる大きな原因になったのが、審判の判定のおかしさである。 それまでもラグビーの試合では、審判が特定のチームに有利に笛を吹くという話はあったが、一時期、これが目立ち、ファンを失う原因になった。 更に1980年代に、かつてはラグビーより遥かにマイナーだったサッカーが人気スポーツとなり、92年のJリーグの発足により、サッカー人気がどんどん上がって行き、それと反比例して、ラグビーが人気がなくなってしまったのである。(4年前の南アの勝利も不手際でブームがしぼむ) 長らく低迷期が続いたラグビー界にとって、4年前の2015年のイギリスでのワールドカップで、日本代表が南アのチームを破った快挙は人気復活の大きなチャンスだった。 しかし、ラグビー協会はその機会を生かせず、盛り上がったラグビー人気は短期間でしぼんでしまった。 現在のラグビー協会は、大学とトップリーグに参加している企業の負担で成り立っている。強い大学や企業に対して、協会の発言力はなく、資金力もない状態である。 だから、4年前にブームが起きかけた時、ラグビー界が意見の統一ができず、豪州、ニュージーランド、南ア、アルゼンチンのチームが戦う南半球の大会への参加が認められた時、日本からのチームが全日本代表という形には出来ず、全日本代表と、南半球大会に参加するサンウルブスは別チームになり、ヘッドコーチも別の人という奇妙な形となったのである。 そして、ワールドカップで活躍した五郎丸など主力選手が単独で海外チームに所属する形となり、そうした選手がいるものと期待して来たファンを失望させたのである。 また、南半球の大会の日本での試合でも、チケットの販売はチームを持つ企業に依存したままで、協会主導とはならず、サンウルブスの日本での開幕戦は、チケットは形の上で完売していたものの、実態は企業の買い上げのためファンは会場には来ず、球場に空席が目立ち、それがテレビに映し出されるという醜態を演じてしまった。 もっと、言えば、この記念すべき開幕戦に、協会の責任者が誰も来ておらず、会場内はガラガラだが、球場の外でチケットを買えないで、出来れば見たいと思って会場まで来ていたファンを、臨機応変に会場に入れるという事が出来なかったという二重の失態を演じたのだ。(多くの選手がセラリーマン並みの年収) 今回の予選リーグ戦の突破で、ベスト8になった事をきっかけにマスコミはラグビーを多く取り上げている。また、強く、面白い試合を直接見た、にわかファンが多く出たという事も協会には追い風である。 それを受けた協会の副会長になった清宮氏がラグビーのプロ化をぶち上げた。しかし、協会の実態は4年前と何も変わっておらず、お寒い状態のままである。 それはチームをベスト8に導いたジョセフ・ヘッドコーチにコーチを今後も引き受けてもらうかどうかで、協会の意見が分かれ、直ぐには続投要請ができなかった事でも明らかである。 協会関係者の意見が一致しなかった理由は3つある。 1つは金である。現在の彼の年俸は4000万円であるが、ベスト8に導いた事で、年俸は倍になり、結局、続投要請で協会が提示した年俸は1億円となった。協会の事務局はこの費用の捻出を懸念したのである。 もう1つは選手からの指導者への評価の2つの意見があった事である。1つはベスト8に導いた良い指導者。もう1つは実際の功労者はヘッドコーチではなく、その下にいる2人のコーチであり、その2人がコーチを辞める事が決まっている中、ジョセフ氏が今後、どこまで力を発揮できるかという疑問である。 3つ目は、世界のラグビー界の指導者数人が、日本の企業対抗のトップリーグのチームの監督になっていて、ヘッドコーチの候補者は他にもいたからである。 最終的には、資金の目途もついて、続投要請となったが、日本のラグビーチームがベスト8から更に上を目指せるかと言えば、大いに疑問である。 これまでの選手は企業丸抱えの常態で、主力選手はその企業の資金と一部スポンサー企業からの支援で、年収4、5千万円を得ていたが、多くの選手は所属企業の会社員扱いで、普通のサラリーマンの年収と変わらない収入しか得ていない。 強国相手の国際試合に出ても、出場手当が1日2、3千円だったというような話まで、既に週刊誌などで書かれ始めている。 つまり、選手の自己犠牲の上に今日の日本の成績があるのである。(他のスポーツ比べ、圧倒的に少ないラグビー選手の年収) 今、プロスポーツの選手になると、少し活躍すれば、多額の報酬が手に入るようになった。 テニスの錦織選手の年収は数十億と言われるし、野球選手なら、12球団の主力選手は誰も数億円の年収を得ている。 サッカーでも、世界のトップになれば、3桁の億の年収となる。そこまで行かなくても、日本人選手でも、海外で活躍すれば、年収は数億円となる。 これに対して、ラグビーは世界ナンバーワンの年俸と言われる外国の名選手で、1億5千万円程度と、ピラミッドの頂点はかなり低いのだ。 その理由の最大のものはチームは1週間に1回しか試合ができず、しかも、体のオーバーホールがあるので、半年位は体を手入れする期間としないと、体がもたないという事である。 1週間に5試合も6試合も出来る野球などに比べれば、興行で入る収入がそう多くないという構造的な問題を抱えているのである。興行収入が少なければ、選手にもそんなに多くの金は払えないのは当然である。 スポーツの選手で一流になれる人は、他のスポーツでも、それなりの成績が残す事が出来る。 こうした中、怪我が多く、年収が低いラグビーをプロの選手として目指す人間が今後、多く出て来る事はそう期待はできないのではないか。筆者はそう考える。 今回の準々決勝の南ア戦で、いくら努力しても、体で優っているチームが優れたコーチの下、明確な作戦で来た場合、体で劣る日本は、なすすべがない事が示された。 日本人と欧米の人の間の体力差はいかんともしがたいのである。 報道によると、日本チームは今後、豪州、ニュージーランド、南ア、アルゼンチン、フィジーとの間で6か国対抗戦を行うという話である。しかし、筆者はこれには疑問を感じる。 南のチームは体力で日本人よりも優れている上、体をぶつけてくる戦い方をするチームが多い。こうしたチーム相手にしては、日本人選手は体力を消耗し、怪我を多発する危険性が高い。 そして、サンウルブズの試合がそうであったように、毎回、大敗して、日本が負ける試合が続くようであれば、ファンは逃げて行くのである。(7人制で世界一を目指す) では、ここまで盛り上がったラグビー熱を失われないようにするにはどうしたら良いか。 筆者はアイデアは2つあると考える。 まずは、15人制のラグビーについては、南半球の国別対抗や、南半球のチーム別の大会であるスーパーリーグに参加するのではなく、イギリスを中心に欧州で行われている6ネイションズ(イングランド、ウエールズ、アイルランド、スコットランド、フランス、イタリア)の大会に参加させてもらう方が日本のためになると考える。 6ネイションズだと、実力的に見て、日本は頑張れば、中位程に位置し、時には優勝争いも出来る可能性がある。でも、スーパーリーグや南半球の国別対抗だと、常時、最下位争いの可能性が大であり、何十年経っても、優勝はまずあり得ない。 どちらの方がファンが集まるかと言えば、誰が見ても明らかである。 もう1つは7人制のラグビーにもっと力を入れる事である。 ラグビーが盛んな豪州やニュージーランドでは、15人制とともに、13人制や7人制のラグビーも盛んで、変わらない位の客を集めている。 そして、7人制は15人制に比べて、身体接触が少なく、従って怪我も少なく、知恵と技巧で日本が活躍できるスポーツで、かつ、7人制はオリンピック種目でもある。 そして、意外と話題にならなかったが、リオのオリンピックでは、日本は4位になっている強国なのである。 7人制は試合時間がハーフ10分などと短く、体力の消耗が激しくないので1日に何試合も出来る。人数が少ないから、少子化の日本に向いている。 日本にとって、好条件が揃っているのである。 7人制が強くなると、15人制もまた、平行して人気が出て来るだろう。副次的な効果という意味でも、7人制は面白い存在である。
2019.11.01
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