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高橋邦典さんの写真集が出ました。東日本大震災2011.3.11「『あの日』のこと」アマゾンで購入可能。高橋さんのブログでも紹介されています。また、高橋さんのブログで、辿ればほかの写真を見ることもできます。この地震は、アフリカで、リビアで、イラクで極限と思われる取材をしてきた高橋さんにして、息をのむほどの災害の実情だったということです。私も、さっそく購入しました。高橋さん、お疲れ様です。これからも、どうぞ頑張ってください。そして、どうぞお怪我をなさらないように。 【送料無料】戦争が終わっても 【送料無料】ぼくの見た戦争 【送料無料選択可!】フレームズ・オブ・ライフ 米国新聞カメラマンとして世界を駆けた日本人 (単行本・ムック) / 高橋邦典/著
2011年06月11日
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川嶋“あい”を込めてリベリアに学校を 歌手川嶋あい(22)が、2025年に持続可能な地球をテーマに掲げる「2025PROJECT」に協力し、アフリカ・リベリア共和国に学校を建設する資金を寄付するチャリティー楽曲「カケラ」を書き下ろした。パソコンのサイトで「カケラ」が1曲試聴されるたびに、1円を寄付する「クリック募金」を立ち上げる。7日からhttp://www.dff.jp/aikawashimaでスタートし「私なりに愛をこめて作りました」。 クリックはここへ → http://www.dff.jp/aikawashima 同プロジェクトでは、06年に女優宮崎あおい(22)、07年に阪神タイガースの岡田彰布監督(50)が協力。宮崎は兄の宮崎将(24)とインドを旅した写真集「たりないピース」の印税をCO2削減に寄付し、岡田監督は阪神が1勝するたびに、野生のトラを保護するための装備品を1セット寄付した。川嶋は「平和な日本人には、まず少しだけ何かを考えてもらいたい」と1円でも多い寄付を目指している。
2008年05月10日
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今年は横浜でアフリカ開発会議が開かれます。 それを盛り上げようと、いくつかの小学校で開発会議に参加するアフリカの国を理解する催しが開かれています。それを一校一国運動といいます。私は、その中でリベリアを担当している小学校に招かれてリベリアでの生活の話をしてきました。小学校では、子ども達が準備したリベリアの国旗が体育館全体に掲示されていました。 また、在日リベリア臨時代理大使アダムス・S・ビリティー氏も遠路はるばる東京から来校されました。 いつもなら、リベリア内戦に関する話を多くするのですが、今回は学校側の以来もあって「ひとまずリベリアを理解する」というスタンスで、かの国の生活や文化を重点的に話しました。しかし、どうしても言いたかった少年兵のことや、今、リベリアの子ども達が復興のために頑張っていることはきっちり伝えてきましたよ。この話を依頼してきた先生方も実はリベリアの実情を詳しくはご存知なかったようで、私の話の後、痛く感動されてまた、改めて話をする機会を持ちたいといってくださいました。 戦争が終わっても リベリア大使には、高橋さんの写真集を差し上げました。リベリアの内戦の写真ですから、大使は「これを見ると心が重たくなります」と話していました。差し上げて返って悪いことをしたかなと思いましたが、この写真集をきっかけに多くの日本人がリベリアを知ったことをお伝えしました。
2008年04月25日
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高橋さんの写真展が、目黒区美術館区民ギャラリーで来週19日から23日までひらかれます。この写真展を主催しているグループ エルモリアって、過去にも高橋さんの写真展を開催していますね。ところで、今年は横浜でアフリカ会議が開催されます。で、今、横浜では各地でアフリカ理解を進めています。 こんなこととか こんなことで、なんだか私も小学校でリベリアの話をするかもって感じです。ちょっと、イベント的でためらってしまうところもあるのですが。まあ、知ることが全ての始まりですね。サミットを洞爺湖に取られちゃったから・・・横浜も盛り上げに躍起になっていますよ。
2008年03月14日
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高橋邦典さんの写真展が仙台で開かれます。仙台は高橋さんにとって関係深い土地であり、2004年には「紛争の地から」高橋邦典写真展が開かれました。 今回の写真展は、2007年9月30日から10月14日まで。場所は、中本誠司現代美術館というとても素敵なところです。 写真展の成功を心かが願うとともに、リベリアの子どもたちが平和で健康に暮らせることを切に祈っています。
2007年07月29日
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写真展をきっかけに知り合うことができたmizyさんから、素敵なストラップをいただきました。全体の写真は、こちらで。平和を祈るmizyさんらしい、かわいい天使が付いています。 根気強く、さまざまな活動を支援していらっしゃるmizyさん。本当にありがとうございます。大切に使わせていただきますね。
2007年07月15日
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私が作ったつたないとんぼ玉。それでも寄付になるなら、とたくさんの方の協力をいただきました。とんぼ玉とリベリアへの寄付については、→こちら←をご参照ください。やっと、やっと入金してきました。遅くなってごめんなさい!!売り上げの詳細は、この日と、この日の日記を見てくださいね。ガーコさんから 2500円mizyさんから 2000円マメルリちゃんさんから 1400円らっきーさんから 2500円それに、新たに職場で買っていただいたとんぼ玉の売り上げをあわせて、1万円寄付してきました~。 今、リベリアはどうなっているのでしょうね??外務省の情報では、危険情報が出っ放しになっています。具体的なところはわかりませんが、高橋さんのブログでも援助の難しさが書かれていました。写真展のときには、大きな金額を寄付できました。小さな支援だけど、これからも続けていけたらなって思っています。 戦争が終わっても
2007年06月24日
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ご報告が遅くなって申し訳ありませんが、とんぼ玉を買っていただきましたので、寄付金が増えました!ありがとうございます。マメルリちゃんさんから 売り上げ2400円 実費を差し引き1400円を寄付へらっきーさんから 売り上げ3500円 実費を差し引き2500円を寄付へ先日頂いた寄付とあわせて、こちらへ寄付しますね。 初めてで、何のことかわからない方は、こちらへ→ とんぼ玉が売れたら、リベリアへ寄付します このじょじょの寄付とは直接関係ないのですが、このマーサさんもこれからたくさんの支援が必要なことともいます。<リベリア少女>治療のため来日から1年 支援広がる 難民キャンプで受けた暴行がもとで歩けなくなった西アフリカ・リベリアの少女マーサ・ターケットさん(14)が、治療のため昨年4月末に来日して1年がたった。 私費で招いた看護師の美木朋子さん(31)と、神戸市内で暮らしながらリハビリを続け、秋には米国留学も予定している。毎日新聞の報道などで、これまで700万円近い義援金や約300通の激励メールが寄せられるなど支援の輪が広がっている。美木さんとマーサさんらは19日、東京都内で支援に感謝する報告会を開く。 報告会は19日午後3時から、中野区東中野のポレポレ坐で。入場無料。問い合わせはポレポレ坐(03・3227・1405)へ。神戸市内でも6月に開催を予定している。 大人たちの勝手な戦争に苦しむのはいつも子ども。日本は、決して戦争をしない、戦争に加担しない、そんな国でいましょうね!!
2007年05月12日
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「とんぼ玉が売れたら、リベリアへ寄付します」という企画を本家ブログではじめました。たくさんの方に関心を持っていただき、実際に収入も始まっています。その報告をしますね。ガーコさんから 売り上げ3500円 実費を差し引き2500円を寄付へmizyさんから 売り上げ3140円 実費を差し引き2000円を寄付へもう少し収入の予定があるので、そろったらこちらへ送金しようと思っています。皆さん、本当にありがとうございます。
2007年03月31日
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私書箱に「戦争が終わっても」の写真集を読んで、大変感動し、このブログへ来てくださった方からメールが入っていました。ありがとうございます。もしも何か次の活動があったら、参加したい。そう書いてくださっていました。ありがとうございます。いつ、どんなことができるかわからないけど、いつか、どこかで。本当にありがとうございます。
2007年01月13日
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この少女を覚えていますか? ギフトリベリアの内戦ですべての家族を失ってしまった少女です。高橋さんの写真集でも、また、写真展でも、彼女の泣き叫ぶ姿が多くの人の心に残ったと思います。そのギフトが家族を得ました。 ギフトと新しい母親以下は、高橋さんのブログからの引用です。フィラデルフィア郊外に住むジュディが、僕らのリベリアの記事をみてギフトを養子にしようと決めてからすでに1年。。。これから母と娘となる二人が、初めて出会うことができた瞬間だった。今、高橋さんはリベリアに居ます。(引用)今回リベリアに戻ってきて、ムスの義手のことなどを含め、援助をおこなう側とされる側の関係についていろいろな思いが頭を巡っている。撮影が忙しくてブログのアップさえもままならないが、この件については帰国してからきちんと報告をまとめたいと思う。高橋さんのブログでは、ムスや、モモの近況も報告されています。私たちもかかわった写真展。リベリアの子どもたちへ私たちの思いがどんな風に伝わったのか。高橋さんの今後の報告を待ちたいと思ってます。本当は、私もリベリアに行きたいな。何年後にいけるかな???
2006年12月09日
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<リベリア13歳少女>「立てたよ」…暴行受け、神戸で治療難民キャンプで暴行を受けて寝たきりになり、今年4月末に治療のため来日した西アフリカ・リベリアの少女マーサ・ターケットさん(13)が、足腰を支える補装具を使って立てるまでに回復した。私費で招いた神戸市の看護師、美木朋子さん(30)と、はり治療やリハビリに励んだ成果で、医師も驚く回復ぶり。毎日新聞の報道などで、半年間で約450万円の支援が寄せられたといい、美木さんは「松葉づえで歩けるようになるかもしれない。みなさんのお陰です」と話している。【五味香織】 ◇夢は看護師 マーサさんは03年、内戦を逃れ家族で避難したガーナの難民キャンプで暴行を受け、両足を脱臼し、歩くことも立つこともできなくなった。治療の当てもなくリベリアの病院に入院していた時、「国境なき医師団」の一員として派遣された美木さんと出会った。 マーサさんは、神戸市内のマンションで美木さんと暮らしている。週4日の治療のほか、週2日は養護学校で英語や日本語などを学ぶ。リハビリに疲れると「しんどい、あかん」と訴えるなど、関西弁も覚えた。 当初は、体力や筋力をつけたうえで股(こ)関節を固定する手術を行う予定だった。しかし、けがをした時に十分な治療を受けられなかった影響で感染症になる可能性が高く、手術は難しくなった。一方、はり治療とリハビリの効果が予想以上で、診察した医師らも「どこまで回復するか予想できないほどだ」と驚いているという。 マーサさんには国内外から支援が寄せられ、毎月、支援用の銀行口座に振り込みを続ける人もいる。支援金は治療やリハビリ、養護学校などの費用に充て、生活費は美木さんが負担している。補装具や車椅子も無料で提供してもらえた。 ビザの期限を迎える来夏までは治療を続ける予定だが、その後も成長に伴い新たな治療が必要になる可能性もある。マーサさんは看護師になりたいといい、美木さんは「多くの人に支えられていることを知って、いずれ誰かの役に立てる人になってほしい」と願っている。(毎日新聞) - 11月21日15時14分更新【参考リンク】<リベリアの少女>神戸の看護師、私費で招く マーサ基金【追伸】しばらく更新していなかったこのブログ。当然、訪問者もずいぶん減っていました。なのに、なぜか今日は400アクセス。50以下が続いていたことを思うと、これは異常な数です。なぜかな??このニュースが出て、「リベリア」というキーワードから来てくださった訪問者かしら???
2006年11月21日
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本日、タイトルや背景を変更しました。写真展を思い立って一年が過ぎ、気分一新です。これからも、このブログに合った内容の情報を提供していきたいです。よろしくお願いします。
2006年09月24日
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「アフリカの絵本原画と児童書展」が滋賀県東近江市でおこなわれているそうです。以下、高橋さんのブログからの引用作家、翻訳家のさくまゆみこさんを中心にしたグループが、アフリカの人々の生活を、絵本をとおしてもっと身近に感じてもらおうと昨年から始めたものだ。僕は国外に住んでいるため、グループのミーティングや活動には全然参加できずに非常に恐縮しているのだけれど、リベリアの写真絵本をだしていたので、「戦争が終わっても」からの写真を初回から展示させてもらっている。さくまゆみこさんリトル・ソルジャー おとうとは青がすき(展示の詳細)◆ アフリカを知ろう ~アフリカの絵本原画と児童書展~ 8月26日~9月17日 10:00-18:00東近江市立永源寺図書館『エンザロ村のかまど』原画と『戦争が終わっても』『AはアフリカのA』『エンザロ村のかまど』写真パネル展示 AはアフリカのA 戦争が終わっても東近江市立八日市図書『ゴリラと赤いぼうし』原画展示東近江市立湖東図書館『ジンガくんいちばへいく』原画展示 ジンガくんいちばへいく
2006年09月06日
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高橋さんの写真展が開かれています。18日までなので、お急ぎを。 【開催期間】2006/8/18(金)~2006/9/18(月・祝)10:00~18:00(入館は17:30まで)無休(資料館は月曜休館)【料金】無料【会場】JICA横浜・海外移住資料館 1F展示ホール【お問い合わせ】JICA横浜・海外移住資料館 TEL 045-663-3251
2006年09月04日
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高橋さんが日本のラジオインタビューを受けたそうです。(高橋さんの日記から)>終戦記念日にあわせての企画なのだろう、リベリアの内戦、それから少年兵のことについてしばらく話をした・・・詳細は高橋さんのブログにて。毎日放送ラジオの番組「はやみみラジオ」朝6時から7時45分)で、放送日時は8月17日(木)の予定、ということです。
2006年08月15日
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2006戦争と平和展 高橋邦典 写真展「戦争が終わっても~ぼくの出会ったリベリアの子どもたち」入場無料と き 2006.7.21(金)~7.27(月) 9:00~20:00 (但し23日、27日は17:00まで 25日休館)ところ ラスタホール エントランスホール写真展のHPから2003年7月、ぼくははじめてこのリベリア共和国にやってきた。この国で14年もの間、断続的に続けられていた内戦を取材するために。戦っていたのは大人たちだけではなかった。少年兵といわれる子どもの兵士たち。内戦が終わりを告げてから1年以上が過ぎた。内戦のさなかにであった少年兵や、迫撃砲に被弾した女の子はどうしているだろう?ぼくは再びリベリアにもどった。あの子たちともう一度会うために。(『戦争が終わっても』写真・文 高橋邦典(ポプラ社)より)高橋邦典(たかはし くにのり)1966年宮城県生まれ。フォトグラファー。1989年渡米。1966年度・2003年度ボストン報道写真家協会フォトグラファー・オブ・ザ・イヤー受賞。2003年AP通信メンバー、フォト・オブ・ザ・イヤー受賞。著書『ぼくの見た戦争-2003年イラク』(ポプラ社)で第9回日本絵本大賞受賞。シカゴ在住。
2006年07月17日
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高橋さんの日記「ムス、訪米の成果」を見て感じたことです。 この子に何の罪はなく大人の勝手で始まった戦争。腕を失い、命が危険にさらされ。ムスの将来を約束するものはなく、リベリアはいまだ正常化の途上。戦争で泣くのはいつも弱者。いつまでもムスの笑顔が続きますように。リベリアがきっと良い方向に向かいますように。
2006年06月17日
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前回、紹介したYOU TUBEのサイト、ログインしないと閲覧できないようになりましたね。不特定多数に公開されないことは、一つ前進ですか?同じような不適切なページがたくさんあるのだろうなと思うと、いろんな思いが駆け巡ります。ネットって、まさに両刃の刃。うまく使いこなせると良いのですが、その波に飲み込まれそうな気持ちもあります。
2006年05月30日
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you tubeというサイトがあります。本家ブログでは楽しい面を紹介しているのですが、このサイトで嫌な思いをするページを見つけてしまいました。Liberian Sunshine画像は、リベリアの内戦です。高橋さんの写真集にあるような少年兵の様子もあります。まさに、人が殺しあっているその場面なのです。問題はBGM。見れば嫌な気分になるかもしれません。画像そのものだけを見るほうがいいかもしれません。同じように、Holiday In Monroviaは、画像を加工しているだけにさらに低俗といえるかもしれません。
2006年05月28日
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助産婦じょじょのアフリカ日記にも書きましたが、同じことをここにも書きます。マーサ基金先日、このようなニュースをご紹介しました。<リベリアの少女>日本で治療を 神戸の看護師、私費で招くこの新聞記事にある美木朋子さんのアドレスへメールを送ったところ、お返事が来ました。 私信ではありますが、内容的に多くの方へ伝えても良いと思われるので、ここに一部をアップします。 この度は、毎日新聞にマーサの記事が載り多くの方々からメールを頂きました。全国からは元よりイギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、カナダ、ベェトナム、マダガスカルからも届き、ニュースが世界に届く早さに驚きました。200通を超える全てのメールが温かい励ましのもので本当は一通、一通にお返事を差し上げたいのですが時間的に難しい為に、これまでの経緯とマーサの近況報告に代えて皆様にこのメールをお送りしたいと思います。最初にマーサに逢ったのは2005年の1月に国境なき医師団(MSF)の看護師としてリベリアの首都モンロビアに派遣された時でした。マーサはとても聡明な少女で、他の患者のリベリア訛りで分かりづらい英語を通訳してくれたり、私の言いたいことを他の患者に伝えてくれたりしました。この頃のマーサの状態は脱臼で歩けないという事に加え皮膚移植が必要なほどの床ずれと、尿路感染症のため長期で尿管カテーテルを挿入し自力で排尿できない状態が続いていました。フランスから来ていた整形外科医が「この子はリハビリを続ければいつか歩けるようになる、けれどこの状態で村に帰れば一生歩けなくなってしまうだろう」と言われたためモンロビアにあるNGO(ハンディキャップ インターナショナル)にリハビリに週2回通うことになりました。帰国後、遣り残した事が有ったのではないかと言う思いを持ちながら2ヶ月が経った頃、偶然同じリベリア国内の別の地域で看護師のポストがあると聞き2005年5月に再びモンロビアに戻る事が出来ました。病院を訪ねるとマーサは別れたときと同じ状態でまだ入院しており6月には村に帰ることが決まっていました。再会できて嬉しかったのですが仏人ドクターの言葉を思い出すとやり切れない思いになりました。この時、マーサを日本で治療できないだろうかということがふと頭をよぎりましたがそこまで一個人として彼女に関わることはとても無理だろうと思いました。世界にはマーサよりもっと悲惨な境遇の人は限りなく存在するし、私には目の前に新しいミッションが控えていました。半年間のミッションのなかで折にふれマーサのことを思い出したのもこの会いたかったのに叶わなかったいうことがあるのかもしれませんが、多くの患者さん達と出会う中、小さな女の子をみると不思議とマーサを思いださずにはいられませんでした。そしてミッションが終る頃、もう一度真剣にマーサを本当に日本に呼べないかと考え始めました。看護学生時代の先生が「何か物事を始めるときに出来ない理由を数え出したら決して達成できない、困難なことでもできる事を拾っていけば案外やれるものなのよ」と言われたことを思い出しました。しかし、やはり決断するには勇気が必要でしたし実際にマーサにもう一度会ってみないと自分の気持ちが本物であるか、もしくはミッションという非日常がもたらす興奮の為の一時的なものなのかわからないと思い、とにかく会いに行ってみようと思いました。こうして12月の初旬にマーサの村を訪れました。この時は乾季で道も比較的良かったのですが会えるまで本当に会えるのか半信半疑でした。そうして彼女と再会した時、私が会いたかった人はここにいたのだと感じました。私が同じリベリアの彼の地にいた頃ここで会いたかった人は同じ時間をひっそりと生きていたのだと思いました。マーサを日本に呼ぶことは特別扱いにならないだろうか、何故彼女だけ特別なのかという自分への問いに、私と彼女は縁があったのだと答えました。氷山の一角でその後に千人、万人のマーサがいるだろうし例えマーサが良くなってもその後の千人になにができるのかという問いかけに私はミッションで体感したこと、目の前のひとに精一杯の誠意を尽すという事を考えました。国際協力などといっても一人ができることには限界があります。ミッションに参加しても自分ができることは実はとても小さく、ほんの少しのこともできずただ見ているだけしかできないこともあります。そういうなかで人々は生きたり死んだりする、だからこそ自分が出逢えた目の前のひとに精一杯を尽していけばいいのだと思うようになりました。マーサはあまりおしゃべりではないので一体、アフリカの瞳にこの日本はどのように写っているのか、どんな気持ちで毎日を過ごしているのか想像をめぐらしていますが神戸での生活にも慣れてきた様子で、余暇に編み物をしたりひらがなの練習をしたり映画を観たりして過ごしています。鍼灸の良い先生にも診ていただけることになり週に3,4回、鍼に通っています。出発前、マーサにも彼女の両親にも日本に行ったからといって必ず歩けるようになるという補償はできないと伝えました。最善を尽したうえで歩けるようになるかは彼女のもつ可能性だと思っています。今はその可能性を信じて諦めず、焦らず一歩一歩やっていきたいと思っています。マーサの事を知っていただき関心を持っていただけたこと、私が始めた事を知って頂くだけで大きな励みになります。それは希望と勇気に繋がるということを実感いたしました。本当にありがとうございました。寄付のために振込み先を知りたいと言ってくださる方もありここに添付させていただきます。日本の多くの方々からの援助に助けられマーサがよくなることが出来れば、私や家族だけで行うより意義のあることではないかと思います。また皆様にマーサの経過を、よい経過をお伝えできればと思っております。どうぞこれからもよろしくお願い致します。マーサ基金(名義は美木朋子ですが新しくマーサ用に開設しました)三井住友銀行普通預金 三宮支店口座番号 9243265
2006年05月26日
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巡回写真展ユニセフ写真展『同じ地球の空の下』のお知らせ新潟開催期間: 6月1日(木)~14日(水) 会場: 東北電力グリーンプラザ(新潟) 新潟市上大川前通五番町84 東北電力(株)新潟支店 時間: 9時~17時(最終日13時終了) 入場料: 無料 主催: 新潟日報社ほか お近くの方、ぜひどうぞ。
2006年05月25日
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高橋さんのブログで、ムスのお父さんが「ムスがアメリカで暮らせたら良いのに」と話していることが書かれていました。高橋さんはこんな風に書いています。>僕の眼からみれば、人間的にしっかりとしたこのような両親が健在なのだから、金銭的に貧しくてもムスは家族と一緒にいるのが一番幸せなのでは、と思うのだが、それは気楽なよそ者のたわ言に過ぎないのかも知れない。>子供によりよい人生を送らせる為に、それを手放すこともいとわないのが親の愛なのだろうか。 昨年、コートジボワールに住んでいたころ、リベリア人女性に子どもの英語の家庭教師をお願いしていました。彼女の友人も、親戚も何人かがアメリカへ脱出しました。2000年アメリカと国連は、何千人ものリベリア人をコートジボワールからアメリカやヨーロッパへ脱出させたのでした。大学も出た十分な学歴も教養もあるリベリア人が、アメリカでは適当な仕事にありつけず、クリーナーをしている。あるいは、生活保護を受けている。(アメリカに生活保護があるのかな?) リベリアの人たちは、夢を持っているかもしれない。「アメリカへ行けば何とかなる。」あるいは、「アメリカへ行ってもろくなことはない」と思っているのかしら?実際、アメリカへ渡った人たちはどんな暮らしをしているのかしら? もし、ムスが心温かいアメリカの家庭に迎えられるなら、それはひとつの素晴しい結果だと思います。いつか、ムスが成長して働き始めて、リベリアにいる家族へ仕送りができるかもしれない。もしかしたら親を呼び寄せることだって可能だろう。親族一同の中から、出世頭が出れば、その一族はその人にぶら下がって生きていける。社会福祉のないアフリカではふつうのこと。ムスにもその可能性は十分にあるということですよね。それが悪いとか、良いとかではなく、現実のこととして。 先に書いたリベリア人家庭教師は、いつかリベリアに戻りたいといっています。今、コートジボワールに住んでいる多くの避難リベリア人は、「自分の村へ帰りたい」と思っているそうです。特に高齢者。若い人たちはコートジボワール生まれだったり、コートジボワールのほうが長い人もいるから。何であれ、ムスの将来が良い方向へ進みますように。 ところで、こんな記事がありましたね。<リベリアの少女>日本で治療を 神戸の看護師、私費で招く 難民キャンプで暴行され、両足を脱臼して寝たきりになった西アフリカ・リベリアの少女マーサ・ターケットさん(13)を治療しようと、神戸市の看護師、美木朋子さん(30)が私費で日本に招いた。今月から同市内のマンションに同居し、手術前の筋力アップのためのリハビリ生活を始めた。美木さんは「人生の入り口に立ったばかりのマーサを助けたい」と話し、マーサさんへの励ましや協力を呼びかけている。
2006年05月23日
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この日記で紹介している少女ムス。片腕をなくし、アフリカの地でどんな風に暮らしていくのか、心配している人もたくさんいらっしゃると思います。彼女は元気に成長し、素敵な少女に変身しつつあるようです。 高橋さんのブログに最近のムスの写真がアップされています。
2006年05月17日
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ムスという少女のことを覚えていらっしゃいますか?リベリアの爆撃で片腕を失った少女です。高橋さんがシカゴトリビューンに記事を掲載したことがきっかけで、大統領が訪米する際に同行することになったそうです。 詳細は、高橋さんのブログに書かれています。 リベリア人にとってアメリカはあこがれの土地だと思います。反面、内戦時代に具体的な介入をしてくれなかった恨みもあるかもしれません。今頃、ムスが住む町(村?)では大騒ぎになっているかもしれないですね。飛行機に乗ったことはもちろん、リベリアから一歩も出たことがない(と思われる)少女が、アメリカへ出かけるのですから。不安と、期待で胸がいっぱいでしょうね。ムスのアメリカ滞在が、楽しくて有意義なものになるように心から願います。 ムスに関しては私のサイトや高橋さんのサイトでいくつか語られています。「強烈過ぎる」写真写真展示会子どもの反応(千切れた腕)もし時間があったら、こちらの高橋さんのレポートも読んでくださいね。 著者は私と同じころにリベリアに住んでいた石田さんです実はリベリアは切手発行でも有名なのです。
2006年05月07日
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昨年12月に、地元の小学校で高橋さんの写真展示を開催したことはすでに書きました。この際に小学生に書いてもらった感想文を、先日高橋さんへ届けました。 高橋さんからメールが届き、「いつものことながら、小学生でもしっかり考えているなあと関心」と、ありました。写真展のアンケートも全部高橋さんに渡しました。高橋さんは、今日アメリカに立ちました。感想文全部に目を通していただけるようで、読み切れなかった分はアメリカへ持っていくそうです。高橋さんの仕事の都合で、リベリア行きはまだ先のようです。皆さんの協力で集まった募金がどんな風に生かされるのか、後日、きっと報告しますね。
2006年04月17日
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今日は、高橋さんといわさきちひろ美術館館長の松本猛さんの対談がありました。 美術館の外観高橋さんとは、1年以上前コートジボワールで会ったっきりです。日本で見る高橋さんは、なんだか温和な顔をしていました。やはりアフリカは、人々に多少の緊張を与えるのでしょうか? 美術館の玄関 玄関横の銅像先ほど帰宅して、まだいろんな思いが頭を駆け巡っています。詳細は後日に。懐かしい面々に会えてとても幸せでした。 「母の日」一番好きな絵です。 『海辺を走る子供と犬』とても素敵です。
2006年04月01日
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この小物はコートジボワールで暮らす子ども達へのプレゼントにします。3月下旬にコートジボワールへ行く人がいるので、向こうへ持って行っていただきます。これは、写真展の際に、皆さんが作ってくださったアフリカンビーズ小物の一部です。 アフリカンビーズがどのように、日本に住む私たちの手に届いたか?アフリカンビーズ小物製作隊の皆さんは、ご存知のことですね。私が持ち帰ったビーズでは足りなくなって、政情不安定なコートジボワールに住む日本人の方々に買ってもらって、日本へ送っていただいたのです。 コートジボワールには、日本人学校補習校があります。毎週土曜日、3時間だけ国語と算数を勉強します。コサージュは、補習校の卒業式や入学式に使ってもらおうと思っています。ネックレスは、私も教えたことがあるかわいい女の子二人へのプレゼントにしました。この二人です。(補習校のHPから) 顔の絵文字をクリックしてください。 コートジボワールは、内戦のため、ほとんどの日本人家族が退避してしまいました。今、補習校に残っているのはコートジボワールに縁の深い家庭の子ども達ばかりです。コートジボワールが内戦になっても、日本へ帰国するのが難しい状況にある子ども達です。「アフリカのビーズがあなたの手に届くまで」の小さな絵本も一緒に送りました。この小物が、コートジボワールと、日本を結ぶ贈り物になってくれればと願っています。
2006年03月24日
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現在、いわさきちひろ美術館で、高橋邦典さんの写真展が開かれています。また、4月1日には、高橋邦典さんといわさきちひろ美術館館長の対談が行なわれます。事前の申し込みが必要ですが、ここで高橋さんに会うことができますよ。
2006年03月07日
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明日からです。ひとまず第一報。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆「コドモシャシン展」 第1回 「子どもたちの居場所」ちひろ美術館・東京 3月1日(水)~5月14日(日)☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2006年02月28日
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写真展ではすっかりビーズ小物製作隊の皆様にお世話になりました。改めてお礼を申し上げます。かねてから、「残ったら記念に」とご希望のあったアフリカンビーズをおすそ分けいたします。手元にあるのは以下のビーズたちです。すでにビーズをご存知の方は、写真からイメージがもてると思います。もし、もう一度作品になったときの様子をご覧になりたい方は、こちらからビーズ小物製作隊の皆さんのページを見ていただけると判りやすいと思います。ブログで取り引きをするのは好ましくないようなので、ご希望の方はひとまず私書箱へお願いいたします。お値段は、一粒150円でお願いします。ただし、きりんの骨(といわれている)は、200円。小さな、ビーズ6〔白に点々〕は、100円にしたいと思います。期限は特に設けません。ご連絡お待ちしております。 ビーズ1〔黄色に白の点〕たくさんあります。 ビーズ2〔テラコッタ〕十個以上あります。終了しました。ありがとうございます。 ビーズ3〔きりん骨〕数個あります。終了しました。ありがとうございます。 ビーズ4 〔青に点々〕たくさんあります。 ビーズ5 〔黄色青緑〕 たくさんあります。 ビーズ6 〔白に点々〕 数個あります。終了しました。ありがとうございます。 ビーズ7 〔青に黄色の目玉〕4個あります。終了しました。ありがとうございます。 ビーズ8 〔黄色のミルフィオリ〕 4個あります。終了しました。ありがとうございます。ところでオリンピック、荒川選手よかったですね!!私は、NHKのアナウンサーさんがしているネックレスが気になって仕方ありませんでした。朝と夜、違う形のをしていましたよ。
2006年02月24日
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写真展のこと、「大切な思い出」と心に残してくださっている方がたくさんいらしゃいます。ありがたいなと思うと同時に、これも写真展の目的のひとつだったのかもしれないと感じています。「大切な思い出」だからこそ、心の中に永く残していただける。心に残っている人と「思い出」が無い人とは、世界や社会のニュースが違うように見えると思うのです。「アフリカ」「アジア」「子ども」「途上国」「貧困」「虐待」「内戦」「少年兵」「無償援助」「ODA」「PKO」いろんなキーワードがたくさんあるこの世の中。写真展の思い出がある人には、これらのキーワードがとても身近になって、「他人事」では終わらないと思います。その思いは、きっと身近な子どもや家族へ伝わり、子どももいつかはこれらのキーワードを興味を持ってみてくれる。それが重なれば、いっぱい時間はかかるかもしれないけど、いつか世界がお互いのことを深く理解することにつながる。そんな壮大なことを、ふと考えてしまいました。
2006年02月09日
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いきなり、おいしそうな映像です。ほんの1時間前に、仙台から届いた笹かまと雪見かまぼこです。素晴しい!!早速いただきました。おしいいいいいいい。どうして、こんな素晴しいものをいただいたのか?それは、高橋さんとも関係の深い、yukiさんからのプレゼントです。写真展で私ができたことなど、ほんの少しのことなのに、皆さんたくさんの激励の品をくださいます。@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@昨日の日記には、ひなたまさみさんの手作りおにぎりの写真をアップしました。このおにぎりを一緒に食べたmaxbeetさんも、写真展へ手作りベルギーワッフルを持ってきてくださいました。当日は、息子さんのサッカーの試合があって、大変なのに「簡単よ」とこともなげに言ってくださって。本当に、何とお礼をいればいいのか。写真展ダイエットの夢は、こうして4日目ごろから崩れていったのでした・・・・@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@写真展で声も枯れるほど、説明を続けた私。それをブログで読んで、早速のど飴を送ってくださったのは、Dafneさんです。 Dafneさんは、ビーズ小物の製作にも協力いただきました。距離的なことや、ご家庭の状況で、写真展へ来ていただくことは、無理でしたが、精神的には強い支えをくださいました。のど飴とともに、「すぐに栄養がつけられるように」と、カップ味噌汁や割り箸までセットで贈ってくださいました。きっとDafneさんは、写真展を見たかっただろうなと思って、頂き物と一緒に写真パネルの記念写真を撮りました。Dafneさん、ありがとうございました!ちなみに、写真に一緒に写っているシュークリームは、ブログで知り合った助産婦仲間からの頂き物です。仕事を終えて、写真展へ駆けつけてきてくれました。感謝!@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@もう一枚、写真パネルと記念写真を撮ったのは、仙台から来た「萩の月」様です。タオルっ子を作ってくださった、asakoさんからの贈り物です。asakoさんも、大変写真展を楽しみにしてくださっていました。きっと実際を見たかっただろうなと思って、写真パネルと一緒に記念写真を撮りました。asakoさんのタオルっ子たちは、一体を残し写真展を手伝って下さった方々へプレゼントしました。学校展示から一緒に回ってくれた、タオルっ子。たくさんの思い出が詰まっています。@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@写真展準備中から皆さんの気持ちはとてもありがたかったのですが、終わっても、いつまでも私の心を温めてくださいます。こんな素敵な思い出をいただけるなんて、やはり写真展を開いて一番良い思いをしたのは、私ですね。心から、感謝。
2006年02月04日
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これからしばらくは、写真展の思い出をいくつかお話ししていこうと思います。まずはじめに、童話作家のひなたまさみさん。二人のお子さんの素敵なお母さんでもあります。風邪気味の中、お子さん達と来てくださり、こんな素敵な日記を書いてくださいました。下の写真を見てくださいね。写真展で私がほとんど食事を摂っていないと書いたものだから、心配しておにぎりを作って持ってきてくださったのです。また、素晴しいお花も持ってきてくださいました。このおにぎりが、またおいしいのです。たくさんの具が入っていて、炊き込みご飯?それから、お漬物!絶品でした。このおにぎりには、もう一つの思い出があります。この日の夕方、maxbeetさんがお子さんと一緒に来てくださいました。maxbeetさんはプロフィールに書いていらっしゃるので、ここでも書いていいと思うのですが、まだお若いご主人を一年前に無くしたばかりの方です。来てくださったのは夕方でした。まだ、おにぎりを食べていなかった私は、maxbeetさんと息子さんと一緒に食べさせていただきました。とても、とてもおいしくて、手作りの味が素晴しくて、心から温まりました。この日のmaxbeetさんの日記はこちらです。「おいしいね」「ぜひレシピを教えて欲しいね」と言いながら、もぐもぐいただきました。ひなたさん、ごちそうさまでした。ひなたさんは、絵本大作戦でも文書を寄せてくださっています。その内容は、こちらにアップしています。
2006年02月02日
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お久しぶりです。ほとんどメンテナンスしていなくてごめんなさい。最近、モグLOVEさんが写真展の様子を書いてくださいました。それから、一つご報告を。写真展で配布した絵本を、ビーズ小物製作隊の皆さんへもお配りします。いま、第一陣の準備が整いました。これから、順次送ろうと思っています。ところで、アフリカンビーズ(玉のみ)を購入するご希望はありますか?もし、あるようでしたら、手元に残っている玉をご紹介します。値段は、写真展で販売したのと同じ、一粒150円です。お問い合わせをお待ちしてます。
2006年01月30日
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お待たせいたしました。プレゼントクイズの答えと、当選者の発表です~~~さて、始めは1月10日の写真展終了記念クイズから。@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@問題と答えです。1番カメラマン高橋邦典さんが大学生時代に熱中していたアルバイトは何でしょうか? ↓バーテンダーですね。詳細は、このページにあります。2番じょじょは助産婦ですが、高校時代、本当になりたかった職業は何でしょうか? ↓動物園の飼育係です。詳細は、このページにあります。@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@そして、当選者は~~~viviさんです!!!締め切りの秘密もばっちりです。 このネックレスを送らせていただきます!!!おめでとうございます!!!正解だったけど、viviさんに書き込みを越された、キラたらさんには残念賞を!それから、大受け賞は、文句なし!あんずさんです!!!!商品は、いまから探します。泥縄でごめんなさいね~~他の皆さんも、楽しいお答えをありがとうございました!!!!@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@そして、1月11日の第二弾クイズです。問題と正解は。。。。@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@問題1日本中からの気持ちを込めて、たくさん集まったアフリカンビーズ小物。さて、全部で何点集まったでしょうか? ↓230点でした!!!問題2全部の小物の中で、ストラップは何点あったでしょうか? ↓57点でした!!!@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@そして、当選者は、なんと!ここでも、viviさんが正解に肉薄しています〔1番‥222点2番‥55点〕!!!!!!!!!一応、お断りしておきますね。viviさんは写真展にいらっしゃいましたが、アフリカンビーズは小出しにしていたので、全体の数を把握することはできなかったと思います。 私が作ったささやかなプレゼントを受け取ってくださいね。そして、一生懸命こじつけして答えを書いてくださった、機械犬♪さんにも大受け賞をさし上げたいと思います。何が届くかは、お楽しみにしていてくださいね!!@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@参加してくださったたくさんの皆さんありがとうございました。また、何かお楽しみを準備しますので、そのときもぜひご参加くださいね。写真展は終わってしまいましたが、これからも、よろしくお願いします。
2006年01月23日
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おはようございます。こちらは雪が固まって、道路が凍っています。皆さん、足元に気をつけてくださいね。今朝、NHKのアナウンサーさんが「受験生の皆さん、道路が凍っていますから、滑らないように気をつけてください」なんて、思いっきり言っていました。さて、以下のふたつのクイズの締め切りが、今日となりました。ほとんど答えは出尽くしていますが、受けねらい、よろしくお願いします。写真展終了記念クイズクイズ第二弾
2006年01月22日
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写真展が終わって、10日ほどたちました。写真展があった7日、土曜日は天候に恵まれ、たくさんの来場者がいましたね。その次の14日の土曜日は、大雨になりました。そして、今日21日は、雪です。私は、きっと、お天気の神様まで味方につけたのかもしれません。さて、写真展会場では「ぼくの見た戦争」「戦争が終わっても」の写真集を販売しました。全て売れると良かったのですが、いくらか残ったので、販売元へ返却しました。そして、大切な写真パネル。 先日、高橋さんの友人で近くに住んでいらっしゃる方と、二人できれいにパッキングしました。写真集は埼玉県へ、パネルは長野県へ。無事届きますように。この雪が少し心配なのですが。こうして、どんどん片付いていきます。まだやりたいことは、ビーズ小物製作隊の皆さんへ、絵本を送ること。それから、いずれ寄付金を高橋さんが使ったあとで、その報告をすること。そして、家の片付け。ぜんぜんしていないのです。(泣)まあ、のんびりやっていきます。
2006年01月21日
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皆さん、このニュースはご存知でしょうか?<外務省>コートジボワールの大使館員を退避 外務省は20日午前、国連平和維持活動(PKO)に対する抗議行動が激化しているコートジボワールの日本大使館員を国外に退避させ、大使館を一時閉鎖した。同省海外邦人安全課によると、現地には大使館員以外に同日現在で26人の在留邦人がいるが、いずれも残留の意向を示しているという。(毎日新聞) - 1月20日この「残留の意向を示している、26人の在留邦人」の中には、「ビーズゲット作戦続報」でコメントを送ってくださったブッショさんも含まれているのです。内戦が始まりつつあるのです。でも、地元に生活の根拠のある人たちは、たとえ危険が迫ってもコートジボワールに留まっているのです。ブッショさんは、コートジボワールに住む日本人女性。今回、コートジボワールからビーズが届いたのは、ブッショさんの力によるものが大きいのです。経過は、以下の日記を参考にしてください。奇跡は人間が起こすものアフリカからビーズが届きましたブッショさんは、娘のピアノの先生でした。とても明るくて、前向きで、どんなことにもくじけません。でも、今、安全に暮らしているのでしょうか?今回と同じような状況で、私たち家族は2004年11月にコートジボワールから緊急退避しました。家の中にいて、遠くに砲弾の音が聞こえ、子ども達と息を潜めて数日を過ごしました。軍用ヘリコプターに乗り、着の身着のままで、脱出したのです。アフリカンビーズとかかわりを持った皆さんにとって、このニュースは違った意味を持つのではないかと思います。コートジボワールに住む人々の安全と、一日も早い解決を願うばかりです。【参考サイト】コートジボワール情勢(その14) 荷物をまとめ始めました
2006年01月20日
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皆さん、これで一段落ですね。詳細は、先日の日記でも報告したとおりです。寄付金の送付先の口座は、あまり公開されていないようですが、考えた結果ここでは見えるようにしました。もしかしたら、どこかで、誰かがこの口座番号を見て寄付するかもしれないと思って。
2006年01月19日
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強烈な印象を写真展の受付に与えてくださった、書道家のkiyoさんがサイト『楽書家 岐葉』を開きました。募金箱にも、文字があります。 このサイトは特におすすめ!フォトグラファー高橋邦典氏の写真と書のコラボレ-ションぜひ、ご覧になってくださいね。
2006年01月19日
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写真展でのビーズコーナーの写真です。「ハレパネ」という薄い発泡スチロールの板に、画鋲を刺して作品をかけました。ビーズ小物は多種多様集まりましたが、一度に全部出して偏った売れ方をしてはいけないと思い、半分以上は出さずに温存し、売れたら補充するようにしました。第一弾に続いて、ビーズ小物をチャリティ販売をしたときに気が付いたことを書きます。今日は、ちょっと現実的なことですが、「売れやすい作品の傾向」について。しかし、申し訳ありませんが、これはかなり私が見た部分だけのことですので、参考程度に聞いてください。ある日、ビーズコーナーで買い物に迷っている二人の女性がいました。やや高齢の方です。話しを聞くと、「ブレスレットが欲しいが、どれも大きすぎる」ということでした。その方の体格は、やせ気味でした。腕も細く、ブレスレットがすっぽり抜けてしまいます。また、その方にとってはホック型の金具が留めにくいこともネックでした。引きカン(というのでしたか?輪っかの形の留め金)でも、留めにくいようでした。巾着タイプというのか、ブレスレットで紐を引き絞って締めるタイプがあったのですが、すでに売れてしまった後でした。実は私も留め金具がうまく留まらなくて、イライラすることがたまにあります。このことから、「さまざまなサイズがあったほうが良い」「留めやすい金具を使う」「引き絞る形(紐を使っている)のブレスレットは、どんなサイズにも対応できる上、留めやすいので良い」と思いました。次に、ネックレスですが、今回はチョーカーもたくさん作っていただきました。季節が寒い時期であったことから、来場者の多くはタートルネックや襟元が分厚い服を着ていました。すると、チョーカーを肌に直接つける人は少なく、気に入ったものがあっても「小さくて着けられない」ということになりました。とても素敵なチョーカーが揃っていたのに、「サイズが小さい」・・・チョーカーなのですから当然なのですが、ちょっと残念なことでした。しかし、チョーカーがたくさん残ってしまったということはなく、そのほとんどはお嫁に行きましたので、どうか心配しないでくださいね。ネックレスも「電車絞り」というのか、長さの調整ができる紐の作品がいくつかあり、それは人気でした。また、アジャスターの着いている作品も、長さの調整ができる点が受けたようです。高齢の方で、長いネックレス(何か名前がありますか?)金具のない、かぶってつけるタイプ、を探している人もいました。やはり、不特定多数の人が訪れる場合は、「長さの調整ができる」「季節に合わせて、服装も考慮する」ことが、ポイントかなと思いました。皆さん、これはあくまでも、今後チャリティーなどをするときの参考にと思って書いているだけなので、「売れ残った」とか「自分が作ったのは売れなかったのでは?」と心配しないでくださいね。ども作品も、ほとんどお嫁に行きましたので。
2006年01月18日
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アフリカンビーズ大作戦。今回の写真展では、私の思いをはるかに超えて大成功となりました。ビーズ小物製作隊の皆さんには、感謝するばかりです。今後、何かの機会でビーズ小物をチャリティ販売をするときに参考になるようなことを少しまとめたいと思います。【何を作るか?】チャリティーやバザーでビーズ小物を販売する時は、その催し物の目的によって、お客さんの年齢や傾向が異なると思います。若い人が多いとか、子ども連れが多いとか、ちょっと高齢の人が多いとか。女性ばかりのこともあるだろうし、男性が多いこともあるかもしれません。もし、客層がわかれば、作る品物も決めやすいと思います。今回のように、誰が来るかわからない場合は、やはり、「可能な限り、いろいろなものを作る」ことはポイントが高かったと思います。今回は、ストラップを初めとして、ネックレス、チョーカー、ブレスレット、イヤリング、ピアス、かんざし、コサージュなどが集まりました。素材としては、アフリカンビーズをベースに、粒ビーズプラステグスという(私にとっては)オーソドックスなものから、組みひも、皮革のひも、チェーン、ワイヤーなど、多種多様なものがありました。こちらのページには、ブログ作品をアップしてくださっている方々のサイトへのリンクがあります。20人以上の方が作ってくださったので、作風もいろいろ、素材もいろいろ。それは、「写真展へ来た人に、どれかひとつは好みに合ったものがある」ことにつながったと思います。【寄付金をいただくことについて】来場者は、リベリアの子ども達の写真を見て、「ぜひ寄付をしたい」と思われたようです。そのときに、単にお金をいただくのではなく、「ビーズアクセサリーを買っていただいたお金は、全て寄付へまわします」と、声かけすることができました。それは、「募金集め慣れ」していない私たちにとって寄付金をいただくのに、とても気持ちが楽になることでした。募金箱は、こちらの日記をご参照ください。ビーズ小物などを販売しているコーナーの真ん中に、一つおきました。ビーズ小物が売れたら、いただいたお金はお客さんの目の前で、募金箱へ直行しました。そうすることで、「本当に、寄付している」と感じていていただけると考えたからです。【金額の設定】売値については、悩みましたね。「ご相談(ビーズ小物に関して)」では、たくさんの意見をいただきました。100%チャリティーにして、買う人の自由に任せるのか?値段を設定するか?大人と子どもで値段を変更するか?最後まで悩んだ結果、300円、500円、600円、800円、1000円、1500円の値段をつけました。素晴しい作品に対して、たくさんの若い人に買って欲しい、という思いから全体にやや安い目の設定になったと思います。お小遣いからリベリアへ寄付にあるように、会場でも子ども達は、お年玉でもらったばかりのきれいなお札でビーズ小物を買ってくれました。売値のままで購入される人もいらっしゃいましたが、「おつりはいらない」と言っていただいたこともあります。財布の小銭を全部入れてくださった方もいます。最終的にたくさんの寄付が集まったのは、「寄付しやすい雰囲気」があった事が大きいと思います。私は主に、来場者へリベリアについて話しをしていたので、販売コーナーにはほとんどタッチしませんでした。それでも、これほど素晴しい成果を残せたのは、、あんずさんやkobutanokoさん、そして、日替わりでお手伝いに来てくださった多くの仲間のおかげです。長くなりました。ひとまず、第一報です。
2006年01月17日
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先日の日記に書いたように、この写真展を開催しようと思い立ったのは、昨年10月初旬のことでした。しかし、まったくの素人のこと、いったい何から、どう手をつければいいのか何もわからない状況でした。そこへ、一通のメールが届きます。jojoさん、こんにちは。写真展の計画は進んでいますか?私もちょっと作戦を考えてみました。楽天でリンクをしていただいている、salut_chloeさんからでした。10月6日、まだ写真展のブログを作っていないころ。本家のブログの書き込みを見てのメールでした。そして、10月12日、この写真展のブログを作ったころですが、私にとって絶対に忘れられないメールが届きます。開催場所、期間が本決まりになったら、写真展について情報誌、タウン誌などに情報を掲載してもらうために開催告知のプレスリリースを作ってはどうでしょう?じょじょさんと高橋さんのかかわりを紹介する記事も載せられるかもしれません。それによって、今回写真展を開催するお二人の思いを、多くの方に知っていただくことができるかもしれません。参考までにドラフトしてみました。やっと開催時期や場所が決まったばかりのころでした。「写真展をしたい」と言い出したものの、わけがわからず、どこかへ逃げ出しちゃおうかな、と思っていたくらいの私でした。salut_chloeさんはこのメールに、「プレスリリースのドラフト」を添付してくださいました。その内容を、フリーページにアップしました。私は、泣けて、泣けて仕方がありませんでした。会ったことも、直接話したこともない人が、これほど私のことをわかってくれている。本家のブログのお付き合いだけで、これほどの内容を書いてくださった。いくら、慣れているとはいえ、簡単なことではないと思います。この「ドラフト」の内容は、基本的にほとんど変わることなくチラシの最終バージョンまで使わせていただくことになりました。不安でいっぱいだった私の、背中を力強く押してくださったsalut_chloeさん。このとき、このメールが届かなかったら、私は、企画のはじめにもっと悩んで、路頭に迷っていたかもしれません。このあと、ますますたくさんの方に、いっぱい助けていただくことになるのですが、まずはじめのsalut_chloeさんからのメールは、私にとって、忘れられない思い出です。
2006年01月16日
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おはようございます。今日は、とても暖かです。夕べは雷が鳴り恐いようでしたね。雪の多いところでは、なだれがありましたが、被害を受けた方はいらっしゃいませんか?さて、怠け者の私ですが、お金のことだけはしっかり押さえておく必要があると思うので、ひとまず、リベリアへ送る寄付のことをご報告します。写真展に関し、全収入は約30万円ありました。支出に関しては、このページを参照ください。大まかな支出は約15万円です。30万円の内、ビーズアクセサリーの売り上げプラス寄付金は、20万4000円でした。残りの10万円は、私がコートジボワールから持ってきたアフリカングッズの売り上げと、写真集の売り上げ、そして、「運営費に」と頂いたご寄付です。10万円の中から、写真集の本代をポプラ社へ支払うので実収入は7万円くらいかと思います。20万4000円の内、20万円をリベリア募金へ送金します。ビーズ小物製作隊の皆さんのおかげで、たくさんのお金が集まりました。始めは、寄付金集めが目的ではありませんでしたが、結果的に多くのお金をリベリアへ贈ることが実現しました。実は、まだビーズアクセサリーが数点残っているので、4000円は手元に残し、今後募金が集まったら、まとめて送金しますね。片腕のムスちゃん。家族を全て亡くしたギフト。少年兵で働いていたモモ、ファヤ。そのほか、決してたくさんの子どもではないけど、私たちができる精一杯の思いを、高橋さんに託しましょう。寄付金に関して高橋さんに連絡を取ったところ、「じょじょさんが赤字にならないように」と、心配いただきました。ここを読んでくださる皆さんの中にも、同じ思いの方がいらっしゃると思います。写真展を企画した当初、開催にかかるお金はすべて私が支払うつもりでしたから、7万円でも運営費にまわせることになったのは、とても助かることです。私は数万円持ち出したことになりますが、それは私からリベリアへの寄付と思えば安いものです。私が、リベリアからもらった思い出は、数万円で終わるものではありません。寄付金の使途に関して高橋さんから連絡が入り次第、すぐにアップしていきますね。写真展に関して、これからも順次ご報告していきますが、皆さんからもご質問があったらお返事しますので、もし知りたいこと、分からないことがあったら、どうぞコメントください。皆さん、リベリア友の会会員なので。
2006年01月15日
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写真展が始まれば、怒涛のように日々が過ぎるだろうなと予測していました。そして、思ったとおりに日々が過ぎていきます。これから、このブログでは写真展の報告やまとめなどをして行こうと思っています。まず、はじめは、写真展全体の概要を、過去に日記から振り返ってみようと思います。ことの始まりは昨年10月1日の午前中の書き込み「写真展って、どうやって開催するの?」からです。実は、その前日に高橋さんからメールが届きました。私個人宛てではなく、高橋さんとかかわりのある方々複数へ当てたメールです。>「戦争が終わっても」の出版に伴って、というわけではありませんが、この先写真展を企画してくださる個人、団体を募集しています。もし興味がありましたらご連絡ください。私は、すぐに「やってみたい」と高橋さんへメールを出しました。今振り返って、びっくりしたのですが、同じ10月1日の午後には、「やってみたい」という、次のステップへ進んでいるのです。写真展、開催できるかな?やってみたい!~高橋さんからメールが届きました~この段階で、その後、地元で手伝っていただくことになるkobutanokoさんや、アフリカンビーズ製作隊隊長viviさんなど、私をバックアップしてくださる主要なメンバーが出揃っていました。ちょうど、ホットヨガを始めた頃と重なります。10月13日深夜に写真展中心のブログを立てました。ちょうど3ヵ月前ですね。同じ日に、アフリカンビーズアクセサリーボランティアの募集を始めています。この企画に、一番に反応してくれたのが、助産婦の後輩である機械犬♪さんやかおたんさんでした。二人とも、ビーズアクセサリー作成の経験が少ない(機械犬♪さんは未経験)にもかかわらず、「できることをお手伝いしたい!」と、飛び込んできてくれたのです。機械犬♪さんは、「未経験では、ペンチなど全ての材料を揃えていただく負担が大きいので、他のお手伝いをお願いしたい」と、一度私に、アクセ作りをストップされたのでした。しばらくのち、「やっぱり協力したい」と彼女は、図書館からビーズ作りの本を借りて、自分なりに練習してもう一度私へ申し込んでくれたのです。かおたんさんも同じです。本を探して、ペンチを買って、一生懸命作ってくれました。なんて、かわいい人たちでしょうね。彼女達の思いは、写真展の中でしっかり形になりました。そして、viviさんからの連絡も、彼女達と同じころに届きました。viviさんとのお付き合いは、私が本家ブログを始めて間もないころから始まりました。昨年5月のことです。アフリカンビーズに興味を持ち始めた私が、「ビーズアクセサリー」をキーワードにviviさんのところへお邪魔したのがきっかけです。写真展で、アフリカンビーズ小物を販売しようと思ったのは、viviさんがいたからです。誰も手伝ってくれなくても、私もいくつかは作れるし、viviさんと二人でいくつか作れたら、それでいいと初めは思っていたのです。しかし、その後多くの方が協力してくださったのは、皆さんご存知の通りです。楽天内のビーズアクセ愛好家の皆さんが、アフリカンビーズ作りを始めるきっかけとなったのは、viviさんつながりの部分が大きいと思います。
2006年01月12日
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昨日のクイズは、結構簡単でしたか?かなり正解に近いものが来ているので、第二弾を出しちゃいます。がんがん楽しんでいってください。その代わり問題も難しいですよ。@@@@@@@@@@@@@@@@@@@問題1日本中からの気持ちを込めて、たくさん集まったアフリカンビーズ小物。さて、全部で何点集まったでしょうか?問題2アフリカンビーズ小物の中で、ストラップは大人気でした。さて、全部の小物の中で、ストラップは何点あったでしょうか?@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@プレゼントはこちら。きりんの骨(と、お店のおじさんが言った)じょじょ手作りのブレスレットです。 締め切りはやはり22日。正解者が多い場合は、先に答えた人を優先します。また、また笑わせてくれた方にも、特別賞を準備します。ストラップは、写真展でお嫁に行ってしまいました。ブレスレットは、キープしていたので、まだ手元に残っています。
2006年01月11日
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楽しくなくてはブログじゃない!!!!「終わっちゃった・・・・」なんて、感傷にひったっているあなた!まだまだお楽しみは続きますよ。で、写真展終了記念クイズ!!!!!!!賞品はこちら!コートジボワールで買ったネックレスです。おそらく素材はヘマタイトだと思います。いつも「難しい」とうわさのじょじょのクイズの問題は、@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@1番カメラマン高橋邦典さんが大学生時代に熱中していたアルバイトは何でしょうか?2番じょじょは助産婦ですが、高校時代、本当になりたかった職業は何でしょうか?@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@両方の問題に答えてくださいね。締め切りは、当然1月22日。あっ、なぜ22日が「当然か」を答えた方にも、特別賞を。同じ答えが多い場合、早い人にネックレスを。残念賞も準備します。
2006年01月10日
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皆さん、ただいまです。元気なじょじょです。書きたいことはたくさんあるのですが、今はご挨拶だけにします。もっと、しっかり時間を作ってしっかり書きますね。とにかく一言。皆さんに感謝。そして、私はとても楽しかったです。
2006年01月09日
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涙腺弱いのです。私、今日、大丈夫かしら????早く寝ないといけないから、大急ぎで書きますね。リンクも画像もつけないけど、ごめんなさい。後日、修正します。暖かさいいものですね。ああ、ダメ、もう泣いちゃいそう。ご飯を食べていないって、書いたら、おにぎりを握って持ってきてくれたひなたさん。娘さんと一緒に作ったクッキーも。朝一番、遠くから来てくださったもぐLOVEさんは、栄養ドリンク。夜、真っ暗になってから来てくださった、マックスさんは、子どもさんのサッカーの試合が終わってから、駆けつけてきてくださったのに、手作りのワッフル。皆さんの「がんばって」の声が頭に残ります。viviさんは、交通事故の後を心配して、首や肩を暖かくできるグッズを買ってきてくれました。夕方、私が腰をさすっていたら、ホカロンを出してくれた。どうして、みんなそんなに優しいの?Dafneさん、会場に来れないからって、ずっと応援グッズを送り続けてくれている。昨日は、食べていないのを心配して、カップの豚汁、そして干し柿を。きっと、もっといただいているのに、今思い出せなくてごめんなさい。毎日、毎日、ニコニコして会場を手伝ってくれている、あんずさんも、ありがとう。のたろんさんも、kiyoさんも。高橋さんの学校関係の皆さんも。シュークリームを持ってきて下さったのは、みゆさんだったっけ?忙しいのに、仕事帰りに飛んできて。会場へ行けない!!って、うずうずしていらっしゃる方が、たくさんいることも感じています。皆さんも、写真展友の会会員ですものね。皆さんが応援しているのは、私じょじょのことと同時に、リベリア・アフリカの子ども達。そして、日本中、世界中の子ども達の健康と幸せ。私は、青年海外協力隊の任期が終わって、さよならパーティーをリベリアの人たちに開いてもらった時に、リベリアの人たちに約束したことがあります。I won't forget you. 私はあなた達を忘れない。今、やっと、その約束を少し、果たせているような気がします。
2006年01月09日
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