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8本目のパブコメです。 この意見募集が、福島県内外の直接の利害関係者に周知されていないことについて、抗議し、意見募集期間を延長するように要求します。 私は、福島県からの「自主避難者」の1人です。今回の「異本方針改定」の当事者です。私の周囲にも、多くの「自主避難者」がいます。本日がパブコメの最終日であることを知らせると、多くの人が「初めて聞いた」と答えます。 福島県の地元新聞や、地元テレビの報道に関しても時間と手間が及ぶ範囲ですが、確認しています。今回の基本方針改定の主な対象となるのは、福島県の浜通りと中通りの住民のはずですが、この意見募集に関する丁寧な周知が行われている形跡はありません。 復興事業として、福島県地元紙には月1回の全面広告が福島県庁から行われています。また、福島県内テレビ局に関しても、福島県庁からの復興関係情報が流されています。また、復興関連事業として、福島県産の農作物のコマーシャルが全国のテレビ局で放送されています。 それらに比べると、復興庁の管轄する今回の意見募集は、あまりにも周知の努力が乏しい状況です。もし、今回の基本方針改定案が正しいという自信があるのなら、「支援対象地域は避難する状況にない」という喧伝は、堂々と行えば良いのではありませんか。 ところが、多くの住民や避難者の目から逃れるように、地元新聞の関連記事にたった1回、意見募集があると記事になるように発表しただけで、意見募集の広告を実施しないというのでは、復興庁は今回の基本方針改定案に自信がないのではないかと、疑わざるを得ません。 特に、この改定の利害関係者、原子力関係の場で使われる語で表現するなら、ステークホルダーに対して、十分な情報の開示が行われていない現状は、不当、不正だと、私は考えます。 利害関係がある組織、個人、すべてに対して、改めてこの意見募集事業と、その「科学的根拠」になったらしい原子力規制庁の文章とを、繰り返し、丁寧に示し、意味が分からない人には説明し、できるだけ多数の利害関係者からの、できるだけ多数の意見が集まるように、仕事をするよう、要求します。
2015.08.08
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7本目のパブコメです。 今回は、「被曝防護をしながら住む」と、田中俊一原子力規制委員長が語っていることの欺瞞について書きます。 私は、避難前は福島県伊達市に住んでいました。田中俊一氏は、原子力規制委員長就任前には、伊達市のアドバイザーでした。2011年にアドバイザーに就任した田中俊一氏が熱心に実施させたことは、伊達市保原町富成地区の「除染」と称する作業でした。原子力事業所での作業知識があるはずの田中氏は、原子力施設での除染作業では、防護服を着用し、人体に放射性物質が付着しないようにし、万が一人体に付着した場合には、除去できる限り放射性物質を人体から除去することを知っていたはずです。しかし、田中氏は伊達市での「除染」作業の際、閣僚も、国会議員も、官公庁職員も、ボランティアの人々も、体表面への放射性物質の付着と体内への吸引への注意喚起さえ行っていません。田中俊一氏は、保有する放射性物質に関する知識や常識を、アドバイザーに就任した福島県伊達市では、公開せず、秘匿しました。その結果、伊達市保原町富成地区の小学校の屋外プールは、近隣では1か所だけ、2011年の夏に使用されることになりました。この件に関しては、福島県内外の多数のメディアが報じています。 つまり、田中俊一氏は、「防護する知識を持ちながら、住民には防護する知識を公開していないアドバイザー」だったのです。現在、田中俊一氏は「防護とは除染すること」などという、原子力関係で職を得ていた人であるとは信じがたいような虚偽を語っています。防護とは「放射性物質に触れないこと、吸い込まないこと、近づかないこと、触れたり吸着したりしたら身体から除去し廃棄すること」であるという、当然の知識を一般住民に語っていません。田中氏が熱心に「除染」した地域がその後どうなったのか、復興庁は知っているはずです。子どもは増えましたか、減りましたか?避難者は増えましたか減りましたか?「除染」作業後、付近を飛散する放射性物質は増えましたか減りましたか? 田中俊一氏のアドバイスに従うと、事故発生前の原状への回復は、かえって遠のきます。4年半の事実が証明しています。田中俊一氏が主張する「防護」は、科学的で歴史が積み上げてきた「核物質防護」とは、全く異なる、むしろ逆方向に近いものです。その田中俊一氏が「認めた」と称する、原子力規制庁から復興副大臣に宛てた、正体不明の文章に「科学的根拠」を求めている、今回の基本方針改定案は、科学的にも不正で、撤回すべきものです。田中俊一氏の原発事故後の「業績」の確認を行い、別の方針案を準備するよう求めます。
2015.08.08
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6本目のパブコメです。 今回は、実際に住宅家賃支援を受けてきた自主避難者の状況に関して記します。 私も「支援対象地域」からの「自主避難者」として、家賃の支援を受けています。私の周囲には、多くの「自主避難者」が住んでいます。日本国内ではあまり報道されていませんが、「自主避難者」の多くは、母子避難者でした。2011年夏の段階では、福島県に限らず、多くの「自主避難者」が家賃支援を受けることができていました。ところが、原発事故の被害者を支援するための法律として成立したはずの「子ども・被災者支援法」に関して、復興庁が避難者からの意見聴取も詳細な汚染調査も行わずに「支援対象地域」を福島県の一部に限定したことで、「自主避難者」への支援が急激にとぼしくなりました。加えて、避難元の都県や自治体から、避難先の都道府県や自治体への支援要請が打ち切られ、「自主避難者」の多くは、避難継続か帰還かの選択を余儀なくされました。 これまでも私は「本当は帰りたくないのに、お金がないから帰るしかない」と泣きながら帰還する人たちを多数見てきました。「それぞれの選択を尊重する」などという復興庁の官僚や、復興副大臣などの多くの政治家は、「自主避難者」が実際に生活している状況を見ることさえなく、憶測や伝聞で政策を決めています。これまでも、避難者の「選択」が「尊重」された形跡はありません。 「帰還を強制しているわけではないのだから、選択を尊重しているのだ」と公然と主張する人々は、そもそも「居住移転の自由」が日本国憲法に明記されているので、今回の「基本方針改定案」は避難者に対しては何も「尊重」を付け加えてなどいない、という当然の事実が理解できない人です。 「自主避難者」であっても、自らの新生活を避難先で築き始めることができた人は、家賃支援に頼らず、自らの収入等で住居を探してきました。私の周囲でも、そのように自立を目指す「自主避難者」は多数存在します。私と家族もまた、来年度からの「自立」をめざして、避難元の残債の整理などを行っています。 しかし、自立の目途が立たない「自主避難者」も、私が知る範囲でも相当な人数、残ります。何らかの理由でシングルマザーとなった女性と乳幼児。原発事故発生以前から介助や介護等の支援を受けてきた人々。原発事故のショックなどで、心身の健康を失った人々。 中でも、最も多数を占めるのは、乳幼児を抱えたシングルマザーです。毎日の育児に追われ、公的な支援情報に接する時間的心理的なゆとりがない人達にとっては、現在の家賃支援が、文字通りの命綱となっています。その親子には、そもそも、避難元の地域に帰還したとしても心身の居場所があるわけではないのです。多くの人は賃貸物件に居住していたので、賃貸契約はとっくの昔に終了しています。子どもたちは、避難先で生まれ育ち、支援者の皆さんの助力でようやく生活できているような状況です。ですが、子どもたちは、無邪気に笑います。元気に泣きます。このような子どもたちを見捨てて、日本に明るい未来があるとは、私には思えません。母親たちは、周囲に避難者の仲間がいて、その人たちとの物心両面のつながりで、ようやく生活を続けています。避難者が支えあう。震災発生後にメディアや官庁が掲げ、称揚した「絆」が私の目の前につながっています。残念ながら、この人たちに対する「絆」を避難元の自治体も、福島県庁も、そして日本政府も、持っていません。それどころか今、避難者が支えあう「絆」を日本政府が、復興庁が、原子力規制庁が、福島県庁が、断ち切ろうとしているのです。この人たちに対する家賃支援も打ち切ろうとする日本政府とは、本当に国民を見捨てて恥じるところがない、情けなく残酷な存在であるのかと、私は感じます。このような母子に対する支援を打ち切ることの罪深さを、復興庁はもう一度かみしめてください。避難前から介助や介護が必要だった「自主避難者」についても、再考を要望します。札幌に来て理解できたことが数多くあるのですが、そのうちの一つが、福島県内の福祉政策の立ち遅れです。震災前から、福島県庁と福島県内自治体の多くは、障害者や高齢者に対する財政の支出が少ない状態でした。同じ障害を持ち、同じレベルでの認定を受けたままの自主避難者は、札幌市に来て、支援条件がはるかに改善されています。しかし、環境の激変を受けて、心身に新たなダメージを受けた人も多く存在します。それらの人々に、支援打ち切りで再度の転居を強要することは、さらにダメージを追加する可能性が高くなります。障害者に不要な負担を強要する、虐待に当たる怖れさえあります。基本方針改定案を撤回し、実際の避難者から実情を聞き取ってください。今、何を残すべきか知らないままに、政策を決めないでください。
2015.08.08
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5通目のパブコメです。 復興副大臣が避難の必然性がないことに科学的裏付けを得ようとして原子力規制委員長に何かの文章を出し、それに対しての返事が原子力規制庁から届いていると、復興庁が主張していることに関して意見を記します。 私も公務員だったので、官庁同士の文書のやり取りの形式はある程度知っています。 しかし今回の往復の文書として、復興庁のHPに添付されているPDF文書は、公式の書類としては全く機能しないものです。 第一に、官庁同士の文書としてやり取りする際に整える書式が整っていません。日付の位置、文書発出者を書く位置、文体等、実際に機能する公的な文書ならば整えられている筈の書式が、見当たりません。 第二に、文書の公的な位置づけが存在しません。公式の文書であるならば「事務連絡」や「通達」や「照会」のような、用途を示す記載があるはずですが、往復の文章とされるどちらにも、その記載がありません。 第三に、そもそもこの文章が、復興庁と原子力規制庁が説明した内容にある通りの時間でやり取りされたものかどうか、証明も証拠も存在しません。通常、官公庁同士で文書をやり取りする際には、担当者個人の決済可能な文書であっても、形式を整え、保存するはずです。今回、原子力規制庁が復興副大臣に宛てたと称する文章は、「子ども・被災者支援法」の「支援対象地域」をどの範囲にするのかという、百万人単位の住民に影響が出る、非常に大きな責任を持つものです。その重要な文章を、原子力規制庁の担当者が、通常の決済の形式を整えることなく、しかし原子力規制庁長官や原子力規制委員長の承認を得たにも関わらず、承認を得たことを示す文言も記載せずに発出するとは、おおよそ信じがたいことです。このような「文章」を科学的な「裏付け」と称して作られた「基本方針の改定」など、被害者の一人として、断じて受け入れることができません。 この点に関しては、原子力規制委員会委員長田中俊一氏が記者会見で「私も相談を受けて、承認した」と答えていますが、それが『事実であるなら、なぜ田中俊一氏の名や肩書の記載が、この文章に書かれていないのか、という新たな疑念も浮かび上がります。 第四に、単なる行政官庁に過ぎない原子力規制庁が、科学的で客観的な判断を復興副大臣に対して回答する、という手続きは、行政的に不備である、という事です。原子力規制庁は、単なる政府部内の行政庁に過ぎず、科学的・客観的な判断を提示できる立場にはありません。加えて言うならば、原子力規制庁内部の人員の多くは、東京電力の原発事故を規制することができなかった、旧原子力安全・保安院から横滑りした人たちです。この人たちを科学的・客観的な立場から監視・監督すべき組織として、政府からの独立の機関として原子力規制委員会が設立されたという経緯があります。ところが今回、原子力規制庁は、自らの分を超えて科学的・客観的な判断を復興副大臣に提示しました。法的にみて、完全に越権行為です。そんなことをする権限は、原子力規制庁には付与されていません。 原子力規制庁の主張に対して、「私も認めた」と会見で答えた田中俊一氏も、原子力規制委員会の長としては、行ってはならない不法行為に手を貸したことになります。前述したとおり、今回の「基本方針改定」は、「支援対象地域」の存続理由はない、と決めつけた不当なものです。そして、その影響は100万人単位の住民に影響を与えます。そのような重大な決定をする場合には、田中俊一氏は原子力規制委員長として、委員会の正式議題としてこれを取り上げ、他の委員による科学的検討を行わなければならない義務があるはずです。 復興副大臣からの「レター」と称するものが、ちょうど定例の原子力規制委員会が日中に開催され終わったばかりの2015年6月24日夕方に送られてきて、急いでそれに返信する、という時間関係も不自然です。が、これほどの重要な議題であるならば、次の委員会の正式議題にしなかったことは、田中俊一氏が原子力規制委員会の長として、法律を順守し、国民を原子力災害から守る立場の職にとどまるには、不適当であると言わざるを得ません。この違法な手続きに関して、原子力規制委員会後の定例会見で、田中俊一委員長は、まともに記者の質問に答えませんでした。長が記者会見で、記者に対して真摯に答えないのであれば、その組織が国民から、あるいは世界中の人から、信頼を得ることは不可能です。 行政官庁である原子力規制庁が越権行為を行ったことに関しては、規制庁長官が公式に謝罪、撤回することが必要だと考えます。また、そのような越権行為を、承知の上で容認した田中俊一原子力規制長官は、場を改めて説明、謝罪したうえで、内容を改めて原子力規制委員会の正式議題として取り上げることを求めます。
2015.08.08
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これが、今回の「基本方針改定案」に対する、私の4通目のパブリックコメントです。今回の子ども被災者支援法「基本方針改定案」の作成に関与したのは、復興庁と、原子力規制庁と、田中俊一原子力規制委員長の三者です。4通目のこの意見書では、政府事故対策本部とそれを引き継いだ復興庁が、原発事故発生以後、被害者に何をしてきたのか、確認します。子ども被災者支援法における基本方針の策定は、そもそも法律によって政府に課された義務でした。しかし、私たち被害者がいくら待っても、要求しても、基本方針は提示されませんでした。被害者によって、その職務怠慢を指摘する訴訟を提起され、慌ててその一か月後に復興庁が提示したものが、現在の「基本方針」でした。「支援パッケージ」と名付けられたその内容は、子ども被災者支援法とは直接関係なく、既に各省庁が実施、または実施計画を作っていた施策を並べただけの、貧弱なものでした。『この法律でなければできない』という支援内容を全く含まない支援内容に、法制定を働きかけた被害者たちは驚き、あきれました。基本方針策定の際にパブリックコメントも募集しましたが、集まった意見への対応は「基準に沿って意見を募集した」というだけで、「被害者に寄り添った」ところが全く感じられない文面でした。 特に「支援対象地域」を決める基準の策定という重要な作業では、一定の空間線量を基準にすると法律に明記されているにもかかわらず、非公開の情報交換を行政関係者だけで行った後に、論理的に説明できない不透明なものを、結論だけを公開しました。これは被害者に「寄り添う」どころか、被害者を「蚊帳の外」に置いた状況で決めるという、方式自体が不当な決定です。加えて、収束に何年かかるか不明な原発事故に関して、何百年かければ現状に復帰できるかを世界中の科学者も推測さえできない避難地域からの避難者の居住施設を、原発事故とは全く関係がない法律の条文を用いて使い続けるというのが、法律の運用上、あり得ない失敗です。災害救助法の第一条の条文を引用します。「この法律は、災害に際して、国が地方公共団体、日本赤十字社その他の団体及び国民の協力の下に、応急的に、必要な救助を行い、被災者の保護と社会の秩序の保全を図ることを目的とする。」災害や巨大事故発生の直後に、やむを得ず、応急に用いることが明記されている法律だけで、数十年数百年と続く巨大災害や事故に対応しようとする、その政府の姿勢そのものが、災害救助法の規定に違反しています。そもそも、復興庁とはどのような組織であるのかを考えると、その不当性が際立ちます。原発事故発生当時、原発事故の被害住民に関する日本政府の対応組織は「原子力災害対策本部」(本部長は首相)でした。2011年7月19日に福島市のコラッセ福島で開催された「政府交渉 『避難の権利』の確立を求めて」に政府側代表として参加した佐藤暁室長は、「原発事故被害地で生活する人に被曝防護に関して他の国民と同じ権利があるか」という質問に答えませんでした。どのような法的根拠に基づきどのような権限をもってのことかを公表しないまま、原発事故被害地域の住民に不要な被曝を受け続けることを強要しました。ところが、2011年12月16日に当時の野田首相が行った、科学的根拠がない「原子炉冷温停止状態宣言」以後は、住民への政策の主な窓口は、復興庁に移りました。原子力緊急事態に対応する政府対策本部から、住民の生活復興を担当する復興庁へと、原子力緊急事態が継続し、平常時の一般住民の公衆被曝線量追加年1ミリシーベルトが達成できないのに、担当官庁が変わりました。原発事故子ども被災者支援法の担当部署も、核事故に対応できる専門家も存在せず、事故収束のはるか手前で廃止することが決まっている復興庁になりました。 復興庁には、各省庁から担当者が出向しています。いわば、出身省庁の利害の代弁をする人物の寄せ集めです。このような省庁に、今後いつまで影響が続くかもわからない原発事故被害者に対するケアを担当させること自体が、「被災者に寄り添う」と繰り返す日本政府の言葉が、口先だけのものに過ぎないという事を示しています。 まして、今回の基本方針改定案作成にあたって、原子力規制委員長に対して、支援対象地域を失くすことに関して科学的なお墨付きを得ようと復興副大臣が「レター」を出したと、復興庁自身が主張しています。この行政の位置づけが不分明な「レター」の、法的な位置づけも明かされていません。 このような被害者虐待官庁である復興庁には、原発事故被害者の担当官庁はふさわしくありません。事故と、事故の影響が半永久に続くことがわかっている以上、もっと適切な政府機関を作り、被害者対応を改めるように要求します。
2015.08.08
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被災者支援法基本方針改定案パブコメ、第3弾です。以下、パブコメ本文。3通目のパブリックコメントです。事故による災害の状況について、被害地域の住民や専門家による度重なる詳細状況の調査を、日本政府は黙殺してきました。事故発生後間もなくから、住民と支援団体、科学者の一部は、政府や福島県庁、文部科学省、放医研などの専門機関が取得した、事故に関する汚染情報を公開するように何度も求めてきました。私個人が要求したいことは、事故発生後間もなく、福島県の各学校に1基ずつ配布され、教職員が勤務時間中、その教職員が部活動の顧問である場合にはその部活動の練習中も身に着けてきた、累積線量計の情報です。この累積線量計のデータは、学校の管理職が記録し、福島県教育委員会に週に1度、報告してきたはずです。私は、福島県の県立高校教員として在職中に、私の勤務先の管理職が報告していたところを目撃しています。本来、このデータは、児童生徒と保護者、地域住民に対して開示すべきものであるはずです。配布した名目は、児童生徒の実際の被曝線量の把握のためだったのですから、児童生徒と保護者、そして地域住民には、公開すべき情報であるはずです。 しかるに、「学校年20ミリシーベルト」の「目安」設定の際にも、その後の場面でも、この累積線量計のデータが公表・活用された形跡はありません。子ども・被災者支援法は、基本方針が今後変わったとしても、条文に記されている内容が政府や福島県庁を拘束するものであることには、変わりないはずです。 第2条に記載されている通りに、「正確な情報」を、直ちに公開することを要求します。その他にも、多くの必要な情報が、公開されていません。住宅とその敷地内の詳細な空間線量の把握。チェルノブイリ原発事故後の被災地で計測されて、被害実態の把握に有効だと確認されている土壌汚染の把握。放射性ヨウ素と放射性セシウム以外の核種の拡散実態の詳細な把握。福島県外の住民に対する健康異変の有無の把握。これらの情報については、2011年夏までには、政府現地災害対策本部に対して、調査要求が提出されていました。子ども被災者支援法は、「正確な情報の提供」を明記していますが、日本政府は情報の提供を行うどころか、住民に対して「調べる予定はない」という暴言を各地の「説明会」や「情報提供事業」で繰り返してきました。これは、民主主義国家の基盤である政府に対する国民の信頼を、壊滅的なまでに毀損する行為です。基本方針を改悪する前に、国民の信頼を取り戻すべく、情報の公開を直ちに行うように要求します。以上を、私の3通目のパブリックコメントとします。3通目もまた、フェイスブックやツイッター上で公開します。 情報公開がなされない場合には、日本政府は、原発事故被害者からの信頼を失うことを故意に選択したものと判断します。その場合には、「情報を公開しなかったのは、故意ではなく過失だった」という主張は、公的な場面では通用しないとご承知ください。以上、パブコメ第3弾でした。
2015.08.07
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急いで、第2弾。「被災者生活支援等施策の推進に関する基本的な方針の改定(案)」に対する意見募集についてこっちは、今晩提出した文章です。以下パブコメ本文。 2通目のパブリックコメントです。 子ども被災者支援法の基本方針改定案に対して、抜本的見直しを求めます。それ以前に、人権に関わるこの改定に関して、関係者に周知する努力も行わずに、わずか一カ月で、逃げるようにパブリックコメント募集を終えようとする、非人道的方針に抗議します。まず確認しなければならないことは、今回の基本方針改定だけでなくすべての場面で、支援法第二条の「基本理念」に明記されている「東京電力原子力事故による災害の状況、当該災害からの復興等に関する正確な情報の提供が図られつつ、行われなければならない。」という事項が、完全に無視されていることです。原発事故が発生した直後から、政府と東京電力は、事故による災害の正確な情報を提供してきませんでした。政府・国会・民間・東京電力と、4つの事故調査委員会が乱立したあと、公的な位置づけをもって調査を行った政府事故調と国会事故調が調査した内容については、今もって多くの未公表部分を残しています。加えて、事故収束までは最短でも数十年かかるので、事故原因の最終的な解明が短期間ではできないことは、東京電力も原子力規制委員会も公式に認めています。これまでに何が発生し、現在どのような状況で、今後どのようなことが懸念されるのかを、日本政府も、独立組織を僭称す原子力規制委員会も、公表していません。公表していない理由は、悪意があるからでも隠蔽したいからでもありません。知る方法がないからです。無能力なのです。しかし、今回の原発事故の原因、現状、今後の予想に関しては、日本の国内組織だけでなく、現存する世界のどの組織も、知る方法を持ちません。原発事故に対する「世界の叡智」とは、残念ながらその程度のレベルなのです。つまり、「子ども・被災者支援法」に記載された「正確な情報の提供」の内容として、現在日本政府に可能なことは、「人類には、この原発事故のことは把握する方法の持ち合わせがないことを国民に率直に認めること」だけなのです。 分からないことは「分からない」と、正直に認めてください。これ以上、ウソをつくことはやめてください。これを、私のパブコメの2通目とします。ツイッターやフェイスブックで、このパブコメは公表します。このパブコメに対して、正直に答えることを要求します。日本政府は、以下のことを把握できているのかいないのか。・原発事故発生の原因は何か、どのような現象がどこで発生したか。・現在、東京電力福島第一原発で続いている「事故」の現状は、原子炉、燃料プール、地下で、それぞれどうなっているのか。・事故の今後の推移の見通しと、収束の目標は、具体的なタイムテーブル付きでどうなっているのか。把握できているなら、具体的な内容を答えてください。把握できていないのなら、把握できていない、と公式に、日本国内と世界中に対して、公表してください。以上パブコメ、本文でした。
2015.08.07
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本日締め切りの「被災者生活支援等施策の推進に関する基本的な方針の改定(案)」に対する意見募集いわゆる「子ども・被災者支援法基本方針改定案」に対するパブコメ。http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=295150710&Mode=0法律に定める「支援対象地域」の設定の必然性を失くし、1年半後には「支援対象者」を消滅させる基本方針案だ。2017年3月で、「原発事故避難者」を、存在しないことにする政策の一環だ。その基本方針案たるや、策定の仕方もでたらめ、関係者への周知も出来るだけ抑えて、科学的なこんきょを科学者に求めようとしても拒否されて、何よりも原発事故の実態と向き合おうとしない、という、ないない尽くしのような「案」だ。取り急ぎ、可能な限りパブコメを連打することにした。同時に、ブログにも掲載して、さらに多数の人に読んでもらえるようにする。なお、詳細が知りたい人は、FoE Japanの関連ページにリンクを貼っておくので、そちらを参照してほしい。ということで、少し前に書いた、パブコメその1をまとめたものを、リンクしておく。http://togetter.com/li/849558
2015.08.07
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原発都知事選候補に統一を呼びかける会 記者会見を録画(iwj ch6)で見た。 私の第一印象は、会見に臨む人々の真摯で尊敬に値するであろう姿勢への共感と同時に、「どうにも焦点がずれている」と感じてしまうむなしさだった。 今回の東京都知事選挙に小泉元首相の支援を受けて細川元首相が「脱原発」を掲げて立候補したことについて、鎌田慧氏が「歴史的転換点になりうるチャンス」「これを逃したら、未来の子ども達に謝罪しきれないほどのチャンス」と考えたのだという事は、よく理解できた。 その為には「脱原発」以外について鎌田氏に考えが近い宇都宮氏に降りてもらってでも「脱原発」候補の勝利を願っているのだということもわかった。そして、同じ会見に臨んだ他の「文化人」のそれぞれが、「脱原発」実現以外については、それぞれ微妙に異なる感覚であることもわかった。 会見が開かれたのは今日、2014年2月3日。細川候補と宇都宮候補に要求した回答期限は3日後の6日。その6日に再び、「統一を呼びかける会」は記者会見を開き、両陣営からの回答を公開するとの事だ。実質的に、中2日しかない。率直に言って、統一は時間的に無理だと思う。 今日の会見で「統一を呼びかける会」の賛同者の多くが認めたように、宇都宮氏陣営は、原発以外のことについても細かい政策を提示している。他方、細川氏の陣営は、選挙戦が始まってから色々と付け加えてはいるが、正直「現状維持」に近いものに精神論を加えただけの代物だ。 細川氏の陣営に自民党の関係者が多数いるのに、なぜ脱原発以外の政策が大雑把なのか、考えたことはないだろうか?細川候補は、選挙開始時から、都庁幹部職員へのリスペクトを何度も表明していることを、「統一を呼びかける会」の人々は知らないのだろうか? 細川陣営では、様々な点で現在の都政をそのまま継承する、というのが政策なのだろう。私はそう推測している。 民主党の多数と自民党の一部が関与している細川陣営で、実は何も細かい政策を考えていない、などという事はありえない。猪瀬都政を継承する意図はあるが、言わないだけなのだ。 さて、私個人の立場にかかわって今日の記者会見を論評させてもらう。 彼らの視界に、私達原発自主避難者の存在が入っていたとは、全く思えない。 私は北海道を選んだが、実は福島県からの自主避難者の最も多い避難先は、東京都であり、多くの人は住民票も移動し、都知事の選挙権もある。 そういう避難者の存在は、全く念頭にないかのような会見だった。確かに、膨大な東京都の人口の中では、避難者の人数などたかが知れているのかもしれない。しかし、そういう少数者、弱者の存在を無視して実現する「脱原発」が、果たして歴史的にどんな意味を持つか、考えてほしい。 鎌田氏を始め、今日の会見に臨んだ人々は、いざ候補の統一ができれば、その後は宇都宮氏の識見や手腕に期待して、弱者を切り捨てない都政が可能になることを期待しているのかも知れない。しかし、甘すぎるだろう。細川候補の実働部隊を考えれば、妥協を引き出すのは非常に困難だろう。 それ以前に。私は、細川陣営が今回の「統一を呼びかける会」の呼びかけを黙殺するだろうと考えている。 こんな呼びかけに返答するだけの良識があれば、告示前日に出馬会見をするような戦術を展開できるはずもないだろう。公開討論を拒絶することもないだろう。 不必要な深読みをする癖がある私としては、今回の「統一を呼びかける会」の動きには、もっと先を考えた意味があるのではないかと勘繰っているのだが。 実際にどうなのかは、今後の展開を注目したい。どっちにしても、この選挙で原発政策の全てが決まることは、ありえないのだから。
2014.02.03
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鎌田慧氏「なぜ、脱原発候補の統一が必要なのか」http://politas.jp/articles/54に反論する。文章冒頭の瀬戸内寂聴氏の話に関しては、私としては特に触れる必要を感じない。どんな個人が誰を応援しようと、それは本人の判断だと考えているので。しかし、瀬戸内氏の思いの中心が「反安倍政権・戦争反対だから、宇都宮氏ではなく細川氏を応援する」であると話しているのだとすれば、非常に残念だ。 言うまでもなく今回の都知事選挙は、安倍首相の政策への評価を正面に問うものではない。ましてや、細川氏は「反安倍政権」とか「戦争反対」を公約に掲げているのでもないのだ。細川氏の政策の第一は「脱原発」。その具体的な内容としては、東京電力に原発再稼動をさせないこと、なのだ。 その話に続く文章は、いつもの鎌田氏の主張を繰り返しているだけで、今回自民党系も一部合流している保守系候補を鎌田氏が支持する理由としては説明不足だ。「今回の選挙こそが日本の運命を変え、右傾化を止める最後の機会だ」という話は、申し訳ないが鎌田慧氏が選挙の時毎度のように繰り返す話で、今回の都知事選挙に際してはなぜそれが保守系候補を支持する理由になるか、不明だ。 鎌田氏がこれまでとは異なって保守系の候補支持を考えるに至った論理の詳細は不明だ。しかし、今回はいよいよ、「保守系でも勝てる候補」を支持して勝たせない限り、安倍政権の暴走を止めることができない、という判断らしい。 私にしてみれば、「今回の東京都知事選挙で、首相が支持しているのとは異なる保守系の候補が当選すれば、自民党の暴走を止められる」という確約がどこにあるのか、皆目見当がつかない。 再度確認するが、細川候補は「安倍政権の軍事的傾斜にストップを掛ける」などとは言っていないし、応援の小泉氏にしても、そんな話はしていない。そこで提出されている、安倍政権の方針への反対点は、「原発を再稼動させない」だけだ。選挙戦中盤以降になって、ようやく「善隣友好は重要だ」などと言い出したようだが、靖国神社への考えや、領土問題に関する姿勢を明言したわけでもない。 鎌田氏は今回の文章の続きで、宇都宮候補を応援する人たちを勝手に一定の枠の中に押し込めて支持理由を矮小化して評して見せている。 この手口は、とても賛成できない。 鎌田氏への批判は「感情論」で、宇都宮候補の支持者は宇都宮氏の人柄を評価して支持している人ばかりだ、と決め付けてみせる。 前回は宇都宮候補の選挙カーに乗って惨敗する側に立った鎌田氏は、「人柄ではなく勝てる候補を」という所まで追い詰められたので、今回は細川候補支持に回ったと明記している。 なんの事はない、人柄で候補を選んできたのは、前回までの鎌田慧氏自身の話なのだ。 他の人はともかく、今、私自身が宇都宮氏を支持する理由は、一言で言えば、既に被曝して、現在も被曝しつつある状況を問題として選挙戦の中ではっきりと指摘しているからだ。 これから起きる原発事故のことだけではなく、既に発生し、継続している事故で現に被害を受けている人を支援する方針を出しているからだ。 宇都宮候補はこれまで、サラ金による被害を受けた人達を助けてきた。生活弱者を助けてきた。原発事故からの避難者を助けてきた。 今後発生するかもしれない被害を予防するだけでなく、今、現に被害を受けている人を助けている。私が期待する政治とは、既に被害を受けている人を助ける政治なのだ。 鎌田氏は、「元首相が4人も脱原発を言っているのだから、信じよう」と呼びかける。しかし、元首相が4人言おうが、10人言おうが、当てにならないものは当てにならないし、信じられることは信じられる。誰が何人脱原発と言ったかなど、問題ではない。 特に、原発事故からの区域外避難者、つまり被害当事者である私の立場で書くならば、今回細川氏とそれを支持する3人の元首相は、原発事故被災者を支援救済するための具体的な活動を個人的に行った、という話を聞いたことがない4人だ。 つまり、被害者に直接謝罪をしていない4人の元首相なのだ。 加害者であるのに、「被害者に謝罪はできませんが、これから新しい被害者を出さないようにしますから支持して下さい」というのは、被害が継続中である時点で加害者が採るべき態度だとは、私には思えない。「原発推進は間違いだった」というなら、私達被害者の目の前で言って見せてほしい。 そういう意味では、残念ながら鎌田氏自身も同じだ。 彼には「フクシマの人たち」の声が聞こえているつもりかもしれないけれど、今まさに被害を受け続けている現実の被害者の声が、今、耳に届いているとは思えない。 特に、福島県外への避難者、例えば東京都に避難している人々を鎌田慧氏はどう考えているのだろうか? 被害者、避難者の話をせずに東電福島原発事故を語るのは、ただ、東京電力原発事故を、脱原発のダシに使おうとしているように思える。 ひとしきり「安倍政権打倒の必要性と緊迫性」を書いた後、鎌田氏は「勝てる候補への一本化」を要求する。 残念ながら、鎌田氏が「勝てる」と考えている都知事候補と候補を支持する元総理は、そろいも揃って国家の秘密を保護する法律の推進者だ。そういう候補が勝てるだろうか?そういう候補が勝つことで、安倍政権の打倒につながるのだろうか? 結局、文章の最後で鎌田氏が候補者を選ぶ視点は、人間性の問題に戻っている。 「人柄で支持する候補者を決めては、選挙に勝てない」と前半で書いておきながら、最後には「人間性」に戻っていく。 個人的には、そういう人間くさい鎌田慧氏を嫌いではない。しかし、鎌田氏の文章が矛盾しているのは確かだ。 今、格差に苦しんでいる人がいる。原発事故により避難している人がいる。原発事故で環境や飲食物が汚染されて困っている人がいる。今、泣いている人がいるのだ。「これから泣く人を増やさない」のは当たり前だと私は考える。その上で、今泣いている人を助けるのは、どの候補だろうか?
2014.02.03
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新しい「エネルギー基本計画」策定に向けて、原子力発電を使わないように要求します。第1の理由。事故のあとのリスクを補うことができないこと。 東京電力の原子力発電所事故で示されたように、原子力発電は事故を起こした際のリスクが計り知れず、その賠償には日本の国家予算規模を持ってしても補いえないほどの巨額を要します。今回起きている事故では、様々な条件が偶然に悪化を防いだためにこの程度の被害に留まっていますが、現在の規制基準を全て満たした原子力発電所を実現できたとしても、一旦制御を失った原子炉がどの程度の規模の出来事を引き起こすのか、現在の人類は予測もリカバーもできません。もし一旦事故が起きてしまえば、今回と同じように手段を選ばずに冷却するしかなく、事故後の収束作業、廃炉作業に関しては技術の方向さえも確立しているとは言えません。事故後、収束前に放射性物質が拡散することを防ぐ方法も未だ発見されていないので、チェルノブイリ原発事故を上回る規模で汚染物質が拡散しないと断言することはできません。汚染が拡大した場合、旧ソ連のように国家が崩壊でもしない限り、諸外国からの賠償補償の要求が来ることは避けられません。要するに、原子力発電所は、国益を著しく損なうおそれがある発電方法である、というリスクを補うことができないのです。第2の理由。原子力発電は、高価であること。原子力は、周知の通り、新しい技術です。それを発電に利用する方法は、イギリスや旧ソ連が使っていた黒鉛炉を除けば、米国由来の2社による沸騰水型と加圧水型の2系統しか商業化できた技術は資本主義下では存在しません。他の国の、他の企業も様々に開発を進めたようですが、成功していません。その米国の2社でさえも、商業的には行き詰まり、日本の企業に原子力発電技術部門を売却しました。21世紀に入るころまでは、原子力発電技術は行き詰まり、採算が取れないものになっていたのです。地球温暖化が話題になると同時に、再び原子力発電に注目が集まって来ましたが、その時点での日本の原子力発電は、コストカットを図り、定期点検の周期を伸ばし、定期点検の項目を減らして点検期間を短縮するという、安全性を軽視した経費優先の状況でなんとか維持できている状況でした。そのような安全性軽視の姿勢をとらなければ、運転継続さえも困難な高価な発電方法なのです。まして、原発事故発生を経験した現在、事故発生前のような安全性軽視の姿勢を続けることは許されないのですから、事故発生前と比較してさらに高価な発電方法になっています。 さらに、廃炉の技術が確立していない現在、廃炉費用を算出することは不可能なので、他の発電方法との比較ができない、高価な発電方法です。加えて、使用済み燃料の保管に10万年以上の時間がかかることを考えれば、経費の上限がどこまで行くのか、想定することさえも困難です。後の世代に負債のツケを回すという意味では、原子力発電を選ぶことは、不道徳とも言える選択です。以上、2つの理由を述べましたが、その他にも技術的な課題、電力消費地から遠いところに発電所を置かねばならないエネルギー上の損失の問題、作業員や周辺住民への健康影響の懸念など、原子力発電を選択すべきでない理由は様々にあげることができ、そのいずれについても現在の科学も日本政府も、有効な回答を提出できていません。原子力発電を除外したエネルギー計画を立案することを、強く要求します。
2014.01.06
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今回のエネルギー基本計画案には、必要な計画が含まれていません。必要な内容を補うため、この案を撤回し、再度立案に向けての協議を行うよう要求します。今回の案は、東京電力原子力発電所の過酷事故が始まってから、初の計画案です。当然、過酷事故の検証・反省・教訓が具体的に含まれているものと思い、冒頭から終結まで読みましたが、原子力発電所事故の検証も反省も教訓も、何一つ見当たりませんでした。「反省」や「教訓」という文字はありましたが、その具体的な内容は記載されていません。一体、何を反省し、どのような教訓を導き出したのでしょうか? ことは、この会議単独の問題では収まりません。原子力発電所過酷事故とその政府対応に関する反省と教訓をまとめる作業が、どこの官庁でも行われていない、というありえない状況が続いています。今回の会議の担当官庁である資源エネルギー庁が原発事故に関しての監督を行うべき官庁の1つであったことは間違いありませんが、監督責任を明記した文書が存在しません。また、事故からえた反省と教訓をまとめた文書も公開されていません。 反省と教訓を明確にしないままで、今後の新しい計画を立てようとしたのが、今回のエネルギー計画案です。原発事故発生以前と現在とで、何をどのように変えようとしているのかが、わからないままです。 原発事故の解決に関しても、「取り組むべき技術課題」の内容でも具体的に描かれている記載はなく、「軽水炉の安全性向上に資する技術や信頼性・効率性を高める技術等の開発を進める。また、放射性廃棄物の減容化・有害度低減や、安定した放射性廃棄物の最終処分に必要となる技術開発等を進める。」との抽象的な表現があるだけです。 どんな技術が不足していたのか、これから開発が必要なのか、この表現ではわかりません。わからないことは実施できません。 このような、非現実的かつ抽象的な表現ではなく、国民の税金を注入するのにふさわしい現実的かつ具体的な内容を明記した計画を立案するために、今回の基本計画案を撤回し、再度立案することを要求します。
2014.01.06
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結論から記述します。今回の基本計画案を撤回し、原発事故の検証と事故収束を先行してください。 私は福島県の避難指定区域外から北海道に避難しています。今回のエネルギー基本計画案では、東京電力原発事故について、事故の後処理に関してのみ「国が前面に出る」と抽象的な言葉で記した上に、まるで事故そのものが終わったかのような不実な記載がなされています。事故の収束の方法も時期も記されていないこの文章で、次の原発の稼動を図ることは、福島県民をはじめとする世界中の原発事故被害者に対して、日本政府が不誠実であることを示すだけです。まずは、東京電力福島第一原子力発電所事故の収束を、全力で行ってください。 この収束作業はこれまで、世界中でどこでも経験したことがない、難事業です。原子炉3機のメルトダウンと格納容器損傷。原子力発電所建築物からの、同時に複数個所にわたる大規模な放射性物質の大気中への大量放出。漏出場所が未だ確認できず、止める方法さえ定まらない、地下及び海中への原子力物質の漏出。それらに起因する、周辺の動植物への放射性物質の拡散と蓄積。それに加えて、オリンピック招致委員会での、恥ずべきとしか言いようがない内閣総理大臣の虚偽の説明。 環境中に放出された放射性物質の回収に関しては、日本政府は自治体と東京電力にほぼ丸投げして、責任回避を続けています。環境大臣に至っては、福島県を訪問した際に、被害者である福島県民に放射性物質の保管に何らかの責任があるかのような一方的な主張をして開き直ったままで、政府としての統治能力のなさを世界中に見せ付けたままです。国家としての信用、国民に対して信頼を求める資格の有無を、今、日本政府は問われているのです。 東京電力と政府が作成した中長期工程は、事故の詳しい状況、圧力容器の状況、そして、格納容器の破損状況、圧力容器内に事故発生時に存在した核燃料の現在の形状と散乱度合いが全く把握できない中で書かれた、机上の空論以前の、空想または妄想の産物です。それだけでなく、事故がどこを発生箇所にして、どのように進展したのかさえも今もって把握できていません。 最もわかりやすい点を指摘するならば、事故発生当時、燃料が装荷されていないはずの4号機で、一体何が起きたのか、事故発生から間もなく3年が経過しようという現在でも、根拠が薄い推論が発表されているだけです。世界中の科学者や技術者が検証可能な証拠を挙げての推測ならばともかく、事故現場の検証そのものもまだ行われていません。事故の発生原因も事故の展開の状況も検証せずに、一体どのような「事故対策」を行ったつもりでこのような計画案を公表したのか、被害者の一人として、全く納得できません。 今回のエネルギー基本計画案の中にも、その前に発表された政府の文書の中にも、事故の発生原因と展開の状況を確定的に説明できる文書は1つも存在しません。不思議なことに政府は、今回の事故の真相と実情を、政府組織や国の資金力を用いて確認しようとする努力を、不十分な事故調査報告書の提出をもって、終りにしようとしています。世界中に影響と不安と放射性物質の拡散を招いた、この人類史上最悪とも言える事件について、うやむやにしようとしているとしか考えることができない状況です。東京電力が引き起こし、政府が殆ど管理できず、付近住民と自治体には情報を伝えることができなかった、あの原発事故に関して、何がどのように失敗したのか、確認さえもなされていません。日本政府は原発事故に関して、責任能力無しと断ぜざるを得ない状況です。 また例を挙げるならば、今回の事故に関する被害者は地方公共団体や商工会議所だけではなく、住民個人や、個別の事業主も数えなければならないはずなのに、被害の聞き取りさえも政府は実施していません。いや、実施することを回避しています。行政が責任ある事故に関して、行政が事故の被害者から被害状況の調査さえも行わず、さらには警察検察も被害加害の状況確認を行わないならば、そこに法の支配が及んでいると言える筈がありません。事故の被害は確かに、まだ広がりつつあります。だからと言って、事故の被害の広がりが終わるまで被害調査を行わないとすれば、行政が統治を放棄したとしか思えません。 あえて書きます。あなたたち政府は、私達被害者を、現在進行形で捨てています。事故発生から捨てて、今もまたさらに原発再稼動によって、捨てなおそうとしています。私達が、この日本国の国民であると認めるならば、今回のエネルギー基本計画案の撤回を求めます。そして、日本の持てる科学と技術と人材の総力を結集して、東京電力原発事故の検証と、事故収束作業を実施してください。
2014.01.05
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17通目のパブリックコメントです。 間もなく、提出期限が来てしまいます。 しかし、私が述べたいと考えている意見の1割程度しか届けることができていません。 原発事故発生から2年半の間、私たちが政策提言を行う場を、政府が作ってこなかった間に、行ったほうが良い政策が果たされないまま、私達は放置されてきました。 昨年6月の子ども・被災者支援法には、私たちの意見を聞く機会を設けることが明文化されていたにもかかわらず、これまで放置されてきました。 法律に基づく「基本方針」を決めると聞き、やっと意見を述べる機会が来たと思ったら、国から一方的に(案)が示され、私たち被災者には案の作成にかかわる機会が与えられませんでした。 その代わり、という形でパブリックコメントの募集が行われましたが、こんなやり方では全く不十分であることが、改めて実感できました。 私には、今回の基本方針の細部について、まだまだ書き足りないことがあります。 しかし、そのための機会は確保されず、まもなくパブリックコメントの受付が締め切られます。 私たち被災者は、一方的に原発事故の被害を加えられた上に、自らが国会議員の皆さんと協力して作った法律の内容に明記された権利まで政府に侵害され、さらに政府に一方的に定められた形で意見さえも封じられようとしています。 この国の政府は、組織は、いったい何重に私たちの人権を侵害すれば気が済むのでしょうか? 私たち被害者は、政府の方針で泣き寝入りを強いられるだけなのでしょうか? これが「民主主義」を標榜する国家のやり方でしょうか? 特に、この国の政治的決定に参与する機会がない子どもたちの権利を考えて下さい。 未成年の被害者は、この国にとって、政府にとって、勝手に処置を決めてよい、奴隷のようなものなのでしょうか? 子どもたちは、この国の、世界の、未来です。 子どもたちの意見を聞いてください。 子どもたちの代弁者であろうとする、私たちの意見を聞いてください。 まもなく時間切れになります。 締め切り前の、私の最後の願いです。 この国の未来の為に、パブリックコメント締め切りの後も、国民の、子どもたちの、意見を聴取する機会を、必ず作って下さい。 国民を大切にする国家であることを、子どもたちに示して下さい。
2013.09.23
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16通目のパブリックコメントです。引き続き、個人線量計を使った外部被曝状況の把握という計画に異議を申し立てます。 個人線量計は、1人1台しか配布されません。 その線量計で計測できるのは、身に着けた人の1箇所だけです。 他の部位の被曝線量を知ることはできません。 おそらく、配布された人は胴体のどこかにつけることになるだろうと思います。 しかし胴体の線量を計測しても、被曝の影響を受けやすいことが知られている目の水晶体の被曝線量は測ることができません。 放射性物質が付着していることが多い地面に近い足の指の被曝線量も測ることができません。 それどころか、胸部に付けたら、背部の被曝線量を計測することすらできません。 これでは、希望して個人線量計の配布を受け、大きく扱いづらい線量計を我慢して装着し続けたとしても、その人の被曝線量を把握することができないという、残念な結果しか残りません。 この状況を回避するには、まず個人線量計に頼るという発想を変える必要があります。 専門の測定担当者を早期に、国の責任と費用負担で養成し、住民が生活している範囲を、住民の身体が移動する可能性がある高さの範囲で、細かく測定して、3次元の放射線量マップを作成してください。 さらに、まだ放射性物質の移動がかなり頻繁にあると思われるので、放射線量マップを絶えず更新してください。 放射線量マップを3次元で作り、それをある程度信頼性があるものに維持していくためには、まず放射性物質が大量に付着している可能性が高い、地表線量が高い地域では、地表をコンクリートや不透水性アスファルトなどで覆い、住民の被曝線量を低減してください。 舗装を行えばある程度被曝を軽減できることは、チェルノブイリ原発事故後の旧ソ連で実証されていることです。 また、そのような措置が必要な場所で生活している住民は、舗装措置が終了するまで、短期でも良いので線量が低い場所に移動させてください。 この意見で提言していることは、短期的には今の基本方針(案)よりも大きな財政措置を要求するものです。 しかし、長期的に考えれば、除染にかかる経費の節減と、さらにその後の医療費を軽減することにつながるはずです。 国家100年の計に沿って、是非検討して下さい。
2013.09.23
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15通目のパブリックコメントです。引き続き、個人線量計を使った外部被曝状況の把握という計画に異議を申し立てます。 個人線量計は、現在の案に基づくと、1人1台、しかも希望者限定になります。 全員の被曝状況の把握を放棄することは、正当ではありません。 今回の基本計画(案)も含めて、国の計画の根底には「将来の健康影響など発生するわけがないが、不要な不安を抱える人にも対応してやっている」という、間違った考えがあります。 低線量被曝による健康への影響は、まとまった調査による確定した報告など存在しない事を無視しているという点で不当です。 世界で低線量被曝による健康影響の評価調査が行われたといえるのは、広島と長崎の被曝者調査と、チェルノブイリ原発事故の被害調査しかありません。 その他には米国の水爆実験によるマーシャル諸島住民の被曝など数件の事例がありますが、国際機関による調査が行われていないので、評価ができません。 広島と長崎の低線量被曝に関しては、原爆投下後5年経過してから調査が行われたうえに、被曝の影響を確認するための対照群を被曝した可能性がある地域の住民のデータから採るなど、科学的に適切な研究とは認めることが困難なものが未だに使われています。 さらに、健康被害の認定と評価の妥当性に関する異議申し立てが、爆弾投下後68年経過した現在でも行われている状況です。 チェルノブイリ原発事故による健康被害に関しては、事故発生後28年経過した現在も、直接その時に被曝した人からも被曝した人の子どもたちからも新しく現れ続ける状況が続いています。 低線量被曝により将来どのようなことが、どのような被曝の結果発生するのかということに関して、断定的に判断する材料が全く整っていないのです。 したがって、「今後どうなるか分からないから、できるだけ多くのデータを集めて残す」という事が重要なはずなのに、全員の状況を把握することを放棄するとは、将来健康被害が見つかったときの証拠を隠蔽しようとした行為にも思えます。 国は、国民の健康と安全を守る責務があります。個人線量計を希望者だけに配布して、他の人の被曝状況を調査しないということは、国家として国民の健康を守る責任を放棄した、日本国憲法第25条第2項に違反した行為です。 個人線量計を配布するのではなく、国民全ての外部被曝を把握するために、国の責任と支出による放射線マップ製作を要求します
2013.09.23
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14通目のパブリックコメントです。 引き続き「個人線量計による外部被曝状況の把握」について意見します。 最も気をつけて個人の線量を把握しなければならないのは妊婦と子どもであり、ついで今後子どもができる可能性がある大人です。 しかし、今回計画されている個人線量計では、そのような人たちの被曝状況の把握が困難です。 今回の(案)に基づいて使用される線量計は、田村市の旧避難指示区域に戻る人たちの中の希望者に配布したものと同じものになる予定、と田村市民への説明会で語られていて、私はその線量計をインターネット上の動画で見ました。 多くの機能を盛り込んだ計器にする為に、かなり大きなものでした。 あの線量計を、新生児にどうやって1日中付けたままにしておけるというのでしょうか? あの線量計を、どうやって未就学児につけさせて、生活させるのでしょうか? あの線量計を、どうやって小学生につけさせて、遊ばせるのでしょうか? あの線量計を、どうやって中学生につけさせたままスポーツをさせるのでしょうか? あの線量計を、どうやって高校生につけさせたまま受験勉強をさせるのでしょうか? あの線量計を、どうやって妊娠中の女性につけたままにせよというのでしょうか? 結局、希望して線量計を受け取った人や、保護者から線量計を与えられた人でさえも、個人線量計のわずらわしさに計測を途中で諦める人が続出する可能性が高い線量計です。 しかし、基本方針(案)には、どのような線量計を使うか、性能も仕様も記入されていません。 大きさは、使い勝手は、どのようなものなのか、国民の殆どは知ることもなくパブリックコメントを書かせられています。 このような手続きで「国民の合意が得られた」などと表現するとしたら、国は国民を意図的にミスリードしているとしか思えません。線量計の詳細な情報を広く国民に周知させていない、今回の手続きは、不正、不当なものです。 線量計の情報だけでなく、今回の(案)では、何が決定されてしまうのか、資料を見ても理解が困難なものばかりです。 資料には、基本方針の詳細を一般国民に知らせようという配慮が感じられません。 イメージ的なイラストなどではなく、実際に使う物の写真や、実際に使う文書の書式などを、添付して示してください。 調査して出てきた数字を、後で都合よく組み合わせて使うようなことがないように、どう使うのかまで示した資料を添付してください。
2013.09.23
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13通目のパブリックコメントです。今回の基本方針(案)を復興庁の方が説明する際に「今回拡充する政策」のトップに書かれている「被ばく線量等の調査」について意見します。「これまでの福島県民を対象とした外部被ばく線量等の調査」と書かれていますが、実際に国が管理してきたのは、個人を対象にした線量調査ではなく、それぞれの地域の官公署、公民館、学校などに設置されてきたモニタリングポスト(以下「MP」と略す)による地上1メートルの空間線量だけです。 住民一人ひとりの被曝線量を調査するには、測定箇所数についても、測定の仕方についても不十分であるという批判を無視して実施してきたものです。 さらに、これまで計測に使ってきたMPは、計測下の部分にコンクリートを打設して結果的に除染したのと同じ状態で計測してきており、周辺と比較すると低い数字が表示される場所であることが繰り返し批判の対象にされてきましたが、国は全くその批判を無視する姿勢を変えずに来ました。 今回「個人線量計による外部被ばく状況の把握」という案を提示し、あたかもよりきめ細かい線量情報の把握をするかの様に装っていますが、実はこれまで以上に粗雑な情報収集を行い、それによって被曝線量を過小評価しようとの意図が感じられます。 示されている文書には書かれていませんが、説明によると、個人線量計は全員に配布するのではなく、希望者のみである、とのこと。 それでは、被害者全員の状況を把握しない、と決定するのと同じです。 一人ひとりの国民を大事にしようという姿勢が感じられません。 個人線量計の配布ではなく、住民が生活している場所の線量を専門家が巡回して、地表面から住居や建物の最上階に渡るまで計測してまとめて下さい。 また、これまで計測してこなかった、農地や山林、路肩など、住民が生活に使う場所全てを計測してまとめてください。 計測した結果を「汚染マップ」としてまとめて、誰もが見ることができる状況に公開して下さい。 詳細な計測と、結果の公開によって、避難せずに地域を守りながら生活し続けてきた人々は、どんな場所に気をつけて生活すれば良いのか、どこにいれば安心できるのかが、明らかになります。 今まで区域外に避難していた人にも、安心して帰還できる状況なのかどうか、帰還して農作業ができるのかなどが明らかになり、帰還も促進できるはずです。 個人線量計ではなく汚染マップの作成を要求します。
2013.09.23
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12通目のパブリックコメントです。 私は福島県伊達市からの区域外避難者です。条件から考えると、今回の基本方針では「支援対象地域」に住んでいた住民ということになります。当然、今回の基本方針は、私のような人間を支援する内容になっているはずだ、と考えながら、内容を読みました。 しかし、具体的に当てはまる内容が、殆どありません。なぜならば、今回の基本方針(案)に盛り込まれた施策は福島復興特措法など、他の法律の主旨によって作られた「地震津波被害者救済」を目的にしたものと「福島県(という地域)の復興」を目的にしたものばかりだからです。 わずかに盛り込まれた「避難者向けの施策」も、これまでの制度と予算の枠内で実施できるものばかりで、国はやはり県外に避難し続ける人のためには予算も使いたくないし、新しい制度も作りたくないのだと思わざるを得ません。 基本方針(案)の説明会では、復興庁の担当者が「避難者を対象にした政策」として誇らしげに歌い上げるものも、実は来年度端緒に付くだけで、どこまで拡大・充実させることが可能な政策か、分かりません。 この有様でも、復興庁の担当者が「精一杯やっている」「他の省庁との調整が難しい」などと口にするということは、国家として恥ずべきことです。 事故発生前に、私が福島県の高等学校の教員として勤務していた間に、生徒の教育条件改善の為の交渉を福島県教育庁と行った時のことを、今、思い出しています。 交渉の席に出てきたのは決定権を与えられていない人ばかりで、教育長も教育委員長も県知事も副知事も出てきません。 何を言っても「伝えます」という返答で、次の交渉までに何も改善されていませんでした。「伝えます」でない返答の場合には「諸般の状況を総合的に勘案した結果なで、適切に行われていると考える」という答えが来ました。 今回の支援地域設定の復興庁の説明と、そっくりです。私たちには、どこがどう適切なのか考える材料さえも示されません。 前記2つの答えでない場合には「教育関係にはこれ以上の予算がない」という答えが来ました。 産業振興や箱物建設に回すお金はあるが、子どもたちの将来の為に使うお金はこれ以上無いのだ、と回答する人たちも苦しげに言うのです。 今回の基本方針の回答も同じです。未来を守る為の予算は増やせず、他からの政策のつぎはぎで誤魔化しています。 国家としての優先順位を見失わないで下さい。
2013.09.22
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11通目のパブリックコメントです今回の方針(案)は「相当な線量」に関して「総合的な判断」をして出てきた(案)だと復興庁の担当者は説明していますが、国民全体に対する説明責任を怠った、国民を分断する方針(案)です。今回の基本方針(案)に盛り込まれた内容の対象について、誰が見ても理解・納得できるような情報として、全面的に公開するよう求めます。今回の方針(案)を何度読んでも、私たちがどの項目の何に該当し、何に該当しないのか、全く分かりません。私は「支援対象地域」からの区域外避難者ですが、近隣には旧避難指示区域からの避難者も、準支援対象地域からの区域外避難者も、それよりも遠い関東のホットスポットからの避難者も居住しています。誰が、どの項目に関してどのように対象になる案なのか、今回の(案)を読んでも分かりません。私たちが現在住んでいるみなし仮設住宅について、どの区域に住んでいた人が、どんな条件で、いつまでの期限で住み続けることができるのか、見当もつきません。不安です。今回の(案)が 被災者の不安を増大させています。「安全安心」を語るのなら、案を提示した段階で被災者の不安が軽減されるものであるはずですが、実際には逆です。原発事故発生後、被災者である私たちの不安を増大させてきたのは、政府でした。「放射性物質は原発敷地外部に出ていない」と官房長官が記者会見で語ったときには、文部科学省は放射性物質拡散の事実を把握していました。メルトダウンも知っていて発表しなかったばかりか、「科学者」や「専門家」が積極的にメルトダウンを否定することを制止さえもしませんでした。「原発事故子ども・被災者支援法」は、国民が被曝から身を守る権利を記した法律であるのに、法律を放置した政府によって、私達は更なる不安にさらされています。誰が見ても、どこがどのように対象になるのか一目でわかる(案)にして下さい。また、支援項目の適用範囲を、省庁の運用や避難元地方公共団体の意向によって変わる事がない形にして下さい。適用範囲が省庁や都県市町村の意向で変化することがあれば、国民はさらに分断されます。国民の一体性確保のためにも、透明性、公正さを担保するためにも、可能な限り全てのことを公表してください。
2013.09.19
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10通目のパブリックコメントです。私は今回の原発事故の影響を恐れ、福島県から北海道に家族で区域外避難した、原発事故被害者の一人です。この法律の基本方針を策定する官庁を、震災に関する復興を扱い期限付きで消滅する復興庁ではなく、原発事故が収束して事故の被害の拡大の可能性がなくなるまで永続することが確実な省庁に担当させることを要求します。復興庁が取りまとめる形を採った方針(案)ですが、内容を見ると様々な省庁が既に実施している施策のパッチワークに見えます。また復興庁独自の施策は、原発事故とは無関係な、地震津波被害に関する項目が殆どです。原発事故に関係して、復興庁が独自に行う原発事故関係の施策としては、「子ども元気復活交付金」という名目で、支援対象地域内に公営賃貸住宅を建設することと運動施設を整備することだけです。この施策は名称と内容の違いが大きく、国民の誤解を招きます。しかも、「箱物を建設して終了」という、期限付き省庁にふさわしい施策です。このような独自施策しか作れない省庁に、あと何十年、何百年必要なのか検討も付かない原発事故に関する政策を担当させることは、被害者の早期切捨てを意図した政府の方針があると思わざるを得ません。取りまとめ省庁を、内閣府などの永続的かつ主要な省庁に交替することを強く要求します。私たち被害者を見捨てないという明確な国の意思を示して下さ
2013.09.19
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9通目のパブリックコメントです。今回の基本方針を決める上で「自主避難者の人数で比較した」と説明会で繰り返しています。自主避難者の多くは、避難であることを自治体にも友人にも示さずに避難しています。知ることが著しく困難な「自主避難者の人数」をどのような方法で調べたのか、具体的に回答してください。東京都周辺から自主的に避難した有名人も多数存在することが知られていますが、そのような人たちも「自主避難者」に数えているでしょうか?数えることができない数を根拠にして基準を作るなどという政策は、無理を通り越して荒唐無稽です。世界中では、一般人に関してはどこでも認めていない100ミリシーベルトの基準を想定して、それよりも厳しい基準だとして20ミリシーベルトを念頭に置いているとの事は分かりました。が、それが、一年なのか、一生の数字なのか、分かりません。20でも100でも、一般人に被曝させることは、今回の原発事故の発生前はありえませんでした。ICRPがいう100ミリは、緊急時、つまり原発事故が発生し、深刻度を増し、住民がそこから全力で逃げる際にやむを得ず、健康被害が出ることもある程度覚悟して避難する場合の最悪の基準です。勿論、その状況を脱したら、追加被曝はない、という前提の数字です。ICRPがいう1ミリから20ミリは、原子力事故事故が収束した後、やむを得ず被曝がある場所に戻りながら生活せざるを得ない人が住む環境についての規定です。東電福島原発は、事故が進行中なので、上記の2つの条件のどちらにも当てはまりません。では、適用するべき数字は何か、残るのは、年1ミリシーベルトだけです。私は、政府の原子力災害対策本部の職員に「福島県の人たちは、他の人と同様に、不要な被曝を避ける権利がありますよね?」と質問したときに、答えをいただけなかったことが、トラウマのように2年後も脳裏に焼きついて離れません。ぜひ、今回こそ、答えを責任ある官僚または政治家からいただきたいと願っています。
2013.09.19
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8通目のパブリックコメントです。13日の東京での説明会の様子をインターネットで拝見しました。復興副大臣の話が全く非論理的です。以下、具体的に非論理性を述べます。 支援対象地域の設定が、「法律の各条文にそれぞれ『一定の線量』と書いてあるので、それぞれ違う基準になる」と言っていますが、ならばそれぞれの基準を数字で示さなければ、法の条文に違背したことになります。 数字で明言できない基本方針は、無効かつ不当です。 「支援対象地域を設定しないと、支援できない」と言っていますが、線量基準を数字で示さずに設定した地域は、法的な根拠がありません。 このことに関して付言しますが、副大臣は何度も「福島県が」と発言していますが、支援対象は「支援対象地域に住む住民」です。 今回、私たちが被災者、避難者が、県や自治体の条例ではなく、国の法律を作るべく様々な方面の人たちと協力したのは、県庁や自治体役場が避難者を支援する事について消極的だったからです。 なのに、ここでまた地方公共団体から意見を聞いて方針を作ったならば、法を定めるべく努力した私たちの思いは、無に帰します。 地方公共団体には、財政上の問題、人口減少を恐れる課題があるのは理解できますが、国がそうした問題を超えて、自らが守るべき国民を守ろうとの気概が、今回の基本方針からも、副大臣の言葉からも感じ取ることができませんでした。無念です。 小児甲状腺癌の発見に関する副大臣の言葉にも大きく落胆しました。 福島県民健康管理調査をこれまで主導してきた山下俊一氏は、チェルノブイリ原発事故後の旧ソ連に入り、確かに現地の健康被害について研究・発表してきました。 しかし、山下氏が発表した健康被害は、2013年現在のWHOやIAEAの健康被害認定に比べると過小なものでした。それら国際機関にしても、1995年の評価では「小児甲状腺癌は最低でも10年経過しないと影響が見つからないはずだから」と、事故発生後5から6年で発見された小児甲状腺癌患者について「原発事故との因果関係はない」と間違った評価をしていました。 今回の副大臣の発言の中の「小児甲状腺癌は5年以上経過しないと影響あるものは見つからないはずだから、今発見されているのは原発事故の影響ではない」という話は、論理構成が1995年のWHOの誤りと、全く同じものです。後世から見て、恥じない施策を立案して下さい。
2013.09.13
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7本目のパブリックコメントです。9月11日18日現在ですが、まだ締切時間の変更が反映されていません。私自身がこのように多数、かつ急いでパブリックコメントを出しているのは、決して復興庁の周知努力によるものではありません。 市民団体がインターネットを通じて知らせてくれなければ、区域外避難者(今回の案では支援対象地域からの避難者)という当事者である私にさえ、復興庁の周知は届いていません。 このように、復興庁は、自ら行うべき仕事を実施していません。これで「支援法の主務官庁」を称するのならば、担当者のみなさんは職務を遂行していない、控え目に言って「税金泥棒」です。 現在私の心の中で最も大きい感情は、健康への不安ではありません。あなた方政府当局への怒りです。 国会議員が定めた法律を、国の職員が実行しないと言うことが、脱法行為である、という自覚が全く感じられません。 本日の福島市での説明会では、「意見聴取を多数行った」との事ですが、少なくとも私は国の職員に対して直接語る機会を得てはいません。公聴会も開かずにこのまま「意見は聞いた」と言い張ることを、私は容認できません。 今のやり口は、原発建設の時にだまし討ちのようにして用地を買収した手法と同じです。 公共事業で迷惑施設と呼ばれるものを建設するための用地買収を行う時に「住民の納得」を仮装する手法は、国土交通省が得意とするところなのでしょうが、人事的に関連が深いといわれる復興庁も同じ手法をとっているのでしょうか? 今回は、既に事故が起き、「迷惑」ではない「損害」が発生しているのに、同じ手法を採用してやり過ごそうとする事は、国、官庁の悪意としか思えません。 前代未聞の、起こしてはいけない事故が継続中なのに、過去の手法に頼り、被害者の意見を直接聞くことを回避する、などということがあってはなりません。 支援対象地域として予定した地域、地元からの希望があるのに支援対象地域からはずされた地域、自主避難者が多数住んでいる地域で、丁寧に意見を聴取してください。 そして、今からでも遅くないので、議事録を作成した上で、それに基づいた基本方針を作ってください。 それは復興庁に課せられた義務です。 繰り返します。 今、私の心を最も大きく占める感情は、あなた方復興庁、政府に対する怒りです。忘れないで下さい。
2013.09.11
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6本目のパブコメです。「基本的な方針(案)」の立脚点について、意見を書きます。 これはあくまで「原発事故子ども・被災者支援法」の「基本的な方針」です。「東日本大震災被災者支援法」のものではありません。しかし内容を見ると、原発事故とは無関係なものが多数詰め込まれています。この方針の策定姿勢は、法律成立後1年以上放置した事実の延長線上にある、不誠実なものです。 原発事故に対応したものであるならば、最大の目的は住民の健康維持と健康管理、その手法としては当然放射性物質からの防護と被曝低減になります。ところが、「基本的な方針(案)」の文言のどこを見ても、「低減」も「防護」もありません。根拠法には「低減」と「防護」が明記されているにもかかわらず、案に盛り込まないということは、この案が法律に立脚したものではないことを示します。 2011年7月、福島市で開催された市民団体と政府との「交渉」で私は、当時の国の原子力災害対策本部の担当者に「福島県民には、他の日本国民と同様に被曝から防護される権利がありますよね?」と繰り返し確認しました。しかし、国の担当者は、何度確認しても返事をしませんでした。最後に担当者が言い残したことは「国が安全と認めた地域には住んでいただく」という言葉でした。その担当者は栄転し、現在原子力規制庁の幹部職員になっています。本来、原子力規制庁から改めて返答をいただきたいのですが、この法律の主管官庁は復興庁であるとの事なので、復興庁にお尋ねします。 福島県の住民を含めて、日本国民には、自らを放射性物質から防護する権利がありますね?国はそのために、被曝低減措置を行う義務がありますね? 原発事故が発生しなければ、この法律は作られませんでした。原発事故は収束していません。それを忘れずに、基本方針の内容を見直してください。現在の案は、原発事故の状況の深刻さを反映しているとは、到底思えません。いつ収束できるか予想もつかず、日々新しい課題が見つかっている原発事故から国民を守るのは、この法律の主務官庁である復興庁の重要な仕事です。職務を果たすためにも、今回の基本方針を大きく見直し、国民を守るものにして下さい。
2013.09.10
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5本目のパブコメです。 今回の(案)は具体的な施策が省庁割になっています。施策を取りまとめる復興庁には具体的な権限がなく、いわば細部に関しては他の省庁に丸投げした内容になっています。この(案)には、具体的な目標達成期限も、基準もありません。各施策達成の為の目標とする人数もありません。必要な予算の見積りもありません。財源も書かれていません。つまり必要な具体性が全く欠落した内容なのです。 実施は各省庁に丸投げなので、復興庁に責任感があるようには見えません。それをまとめている政府にはやる気が全く感じられません。被災者からサボタージュを指摘する訴訟を提起されて、金も省庁間の調整も不要な政策を可能な限りかき集めてきたとしか思えません。 法律成立後1年以上放置した上に、まるでやる気が感じられない(案)を、堂々と提示してくる態度は、まさに私たち被災者を見捨てる「棄民政策」を実施しようとしている証拠にしか思えません。 もう少し詳細に書きます。 今回の「基本的な方針(案)」は、文言が抽象的で、一見好ましく見えるかもしれませんが、何をどこまで行おうとしているのか、全く想像ができません。 今回の文書には、120もの項目が含まれていますが、今までと比べて何が改善されるのかは、実は書かれていません。 例えば、(8)「住宅の支援」の「支援対象地域に居住していた避難者の公営住宅への入居の円滑化を支援」という表現は、まるで、避難者が公営住宅に入居することについて今後、現在よりも条件が緩和されるかのように読み取れます。 しかし、支援団体が復興庁に確認した回答によると、この法律とは別の法律の規定によって、低所得の国民が公営住宅に家賃を支払って入居できるという規定を適用するだけだというではありませんか。 現在多くの避難者は、公営住宅に所得の別なく入居しており、その家賃も最終的に東京電力が負担する前提で支払いを免除されているのに、今回の文書が適用されれば、大幅に条件が悪化するわけです。 しかも、支援地域を行政が恣意的に伸縮できるので、元の居住地によって避難者が分断されかねません。 上記のように支援を拡充するかのように見せて縮小することを目的とする、「基本的な方針(案)」には同意できません。 具体的に、これまでどのような支援を実施し、それがどのように変わる案なのか、理解できる案に表現を改めてください。
2013.09.10
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4つ目のパブリックコメントです。 今回は、「支援対象地域」設定に関する、以前とは違う角度からの意見です。 今回、支援対象地域に指定されたのは、「避難指示区域等」になっていない福島県浜通りと中通りの「自治体」となっています。 しかし、『福島民報』8月30日掲載の記事に添付されている地図を見ると、「支援対象地域」の境界は自治体の境界とは異なっています。地図によると、南相馬市と川俣町は、自治体の中に境界線が設けられています。 これでは、「支援対象地域を放射線量によって決めると住民の分断が起きるから、案のように決めた」という復興庁の説明とは、明らかに整合性がありません。 原発事故発生後、避難指示地域に居住していた住民にだけ毎月の補償金を支払ったことにより、避難先の住民と避難者との間に感情のもつれが生じていることは、避難者の所有物が汚損されたり、公共物に避難者に向かって「帰れ」とスプレーで書いたり、という事件が繰り返し起きていることからも明らかです。 今回の支援対象地域に「避難指示区域等」の住民を含まないことで、今後更なる感情のもつれ、住民同士の心の分断が起きることが懸念されます。まして、「自治体で指定する」と文言では発表しながら自治体内部でも対象地域とそうでない地域とに分けることは、復興庁が住民の分断を意図している、と言わざるを得ません。 今回の法律では、どの条文を見ても「避難指示区域の住民は含まない」などと書かれた箇所は存在しません。避難指示区域住民と、それ以外の住民との分断をなくしてください。 具体的には、国策で引き起こされた原発事故の被災者の不利益を国の政策で補うという立場を取るならば、避難指示区域への施策を、支援対象地域全体に拡大するという考え方で基本方針の内容をもう一度練り直すことが必要だと考えます。
2013.09.08
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3本目のパブリックコメントです。 今回は、「放射線量の基準」について、意見を述べます。 2013年9月5日午後の官房長官記者会見の中で、菅官房長官は「福島県においても、年間被曝量は、1ミリシーベルトの100分の1以下でありまして、わが国の水や食料の安全は、完全に確保されている。このように、考えています」と朝日新聞記者に答えています。(政府インターネットテレビ」参照) これは、明らかに事実に反しています。自治体が独自に実施した個人線量計(いわゆる「ガラスバッジ」)の検査集計でも、年間1ミリシーベルトを上回る被曝が計測された住民がいます。 しかも、事故発生直後の被曝線量は、そこには含まれていません。国家のスポークスマンである内閣官房長官が、被曝線量に関してこのような大きな事実誤認を行うことは、今回の「基本方針」策定に当たって放射線量の基準を決めなかったことと無関係ではないと、私は考えます。 東京電力原発事故によって、周辺の都県の住民がどれだけ被曝させられたのか、現在どれだけ被曝させられ続けているのか、政府は把握する努力さえも行っていないのではないでしょうか? オリンピック招致活動で、安倍晋三首相は国内外に向けて「日本は世界で最も厳しい水準の基準を設けて」と繰り返し口にしています。その国で、国民を被曝から守る法律の内容に関する「基本方針」で放射線量の基準を設けない、というのは、首相の言葉と政府の実行方針が不一致だと言わざるを得ません。 首相の言葉を実現するならば、どんなに高くても空間線量で年間1ミリシーベルト、1時間にするならば、きちんと計算して1時間当たり0.114マイクロシーベルト以上の地点を含む自治体を支援対象地域に指定するよう求めます。また、年間5ミリシーベルトに相当する一時間0.57シーベルトを上回る地点は、居住を制限し、40歳以上について防護服と全面マスク着用での立ち入りのみに制限するように要求します。
2013.09.08
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私の2本目のパブリックコメントです。今回は、「基本的な方針」を策定する考え方について、意見を述べます。法律第一条で、基本方針は「一定の基準以上の放射線量が計測される地域に居住し、または又は居住していた者及び政府による避難に係る指示により避難を余儀なくされている者並びにこれらの者に準ずる者(以下「被災者」という。)」を対象に策定すると明記されています。 しかし、「住民の分断を起こさない為」という、政府側の一方的かつ恣意的な口実により、「一定の基準以上の放射線量」の「基準」を決めることを回避しました。 この行為は、法律の精神を損ない、かえって住民同士の分断を招くものとして、糾弾します。法律が放射線量による基準を設けることにしたのは、行政的な県境や地域の境で、同じ汚染度なのに一方は支援を受け、もう一方は支援を受けることができなくなることを避けるためです。 実測によって、福島県中通りと同じレベルの放射線量が確認された、宮城県丸森町や栃木県那須塩原市に住んでいた人を支援対象者から除外するというのは、明らかに住民の間に分断を作り出す行為です。 また、会津地方であっても、一部には年1ミリシーベルトを超える空間線量が計測された地点があったのに、「支援対象地域」に含まれませんでした。これは、福島県民の分断を狙った指定になってしまいます。支援対象地域の全面的な見直しを要求します。
2013.09.08
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パブコメを幾つか書きます。まずは1つ目。今回の「基本方針」の決定のタイミングと方法についてです。 今回の意見募集の仕方について、不公正、不公平であることに関して、抗議するとともに、施策の方針を撤回し最初から見直すように提案します。案を発表した日に意見公募を開始し、公募期間を2週間という余りにも短い期間に設定した事は、納得できません。 まず案を発表し、それから周知期間を置くとともに、主な対象地域である福島県と周辺の住民、さらにはそこから避難した人全てに内容を周知しなければ、公正な意見募集とは言えません。内容の周知に関しては、対象となる当事者全員に伝わるように努力しなければならないはずなのに、努力した形跡がありません。インターネットに接続できて、しかもPDFファイルをダウンロードできる環境がなければ、案を見ることさえもできません。復興庁は、福島県内の住民で、新たな投資をせずにこの案全文を見ることができる人間が、どれ位の比率で存在すると想定しているのでしょうか? インターネットを接続できる環境がこれまで一度もなかった人もいます。復興庁は、住民が今回の案にアクセスする権利を奪ったまま、一方的に基本的な方針を決定しようとしています。これは、明らかに法律第五条3項「影響を受けた地域の住民、当該地域から避難している者等の意見を反映させるために必要な措置を講ずるものとする。」に違反しています。形式的に意見募集を行うだけで意見反映の為の必要な措置を実施したと主張するならば、法律第三条に違反した不法行為です。 基本方針決定後に、住民の代表から意見を聞くことが今後計画されたとしても、住民多数からの意見を直接集める努力さえも行っていないのでは、第五条3項違反は免れません。法律が公布・施行されたのは、平成24年6月28日であり、この意見公募開始までに、実に1年2ヶ月以上を要しています。復興庁が意見公募を開始する前に、「子ども被災者支援法」を放置していることについて、私たち被害者は国に対して訴訟を起こしました。この順序で意見公募が始まったということは、訴訟を起こされたので急いで案をまとめたとしか思えません。案の内容も、今年3月15日に復興庁が発表した支援パッケージと殆ど変わらないものです。「子ども被災者支援法」第一条に示す目的や、第二条に示す基本理念とはかけ離れたものです。 以上、今回の不公正な決定方法に基づく基本方針策定の撤回を求めます。パブコメ受付番号201309010000105372
2013.09.01
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検査結果が判明したのは、先月17日。発表が1月10日。現状の宮城県の体制はこういうもの。以下は、NHK宮城放送局のニュース。リンクはすでに切れているらしい。「栗原市の自家用のコメ基準超」宮城県は、栗原市の農家が自分で食べるために保管していたコメから、国の基準を超える1キロあたり240ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表しました。宮城県では、この地域で生産されたコメの出荷を自粛するよう要請しました。宮城県によりますと、国の基準を超える放射性セシウムが検出されたのは栗原市の旧沢辺村の農家が自分で食べるために保管していたコメです。農家が自主的に検査した結果、去年12月5日に1キロあたり208ベクレル、去年12月13日には1キロあたり186ベクレルの放射性セシウムが検出されました。連絡を受けて宮城県が検査したところ、同じ田んぼで収穫されたコメから最大で1キロあたり240ベクレルが検出されました。宮城県内でコメから国の基準を超える放射性セシウムが検出されたのは初めてです。県では、10日、栗原市に対して、旧沢辺村で生産されたコメの出荷を自粛するよう要請しました。県によりますとこの田んぼで生産されたコメは、すべて農家が自分で食べるために保管していたもので、市場には出回っていないということです。宮城県では、これまでに周辺の田んぼで生産されたコメ74点を検査しましたが、検出された放射性セシウムは最大で1キロあたり49ベクレルといずれも基準を下回っていたということです。この田んぼは、休耕田だったものをおととしから作付けを再開していて、原発事故の当時、生えていた雑草などを田んぼの土に混ぜていたということで、宮城県では、こうした特殊な要因が基準を超える放射性セシウムが検出された原因になっていると見ています。このため、県では、今後、旧沢辺村で生産されたコメおよそ1万8000袋をすべて検査するなどして、安全性を確認した上で、出荷自粛を解除する方針です。一方、宮城県は先月17日に検査結果が判明していたものの、公表が3週間以上たったことについて、「市場に流通している可能性が低かったことや、周辺での検査を優先した。公表が遅れたことはおわびしたい」と述べました。01月10日 19時04分http://www3.nhk.or.jp/lnews/sendai/6004709711.html
2013.01.12
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大阪の未成年バスケットボール選手自殺事件。 私は、高校教師を片手間にしていた指導者が「理想の教育」に走ったからだとは全く思わない。 指導者は「理想の教育」がしたかったわけではない、と断言しても良い。指導者は、「勝てるチームの指導者」でありたかっただけだ。そして、できれば日本の当該種目の指導者の間で栄光を手にしたかっただけだ。 指導者が考える「理想の教育」が「体罰」と呼ばれる暴力を利用するものだと仮定したら、指導者は暴力を使いすぎている。 暴力を用いる「理想の教育」を考えるなら、暴力は効果的かつ最小限に使わなければならない。毎日のように数十回も暴力を行使したら、暴力の効果が薄れるのだ。 プレイヤーがプライドを失うかもしれない。プライドを失ったプレイヤーは、競技中に全力を出せない。 プレイヤーが怪我をするかもしれない。頬を腫れさせるような暴力は、呼吸に影響する恐れがある。 今回の暴力加害者は、暴力を「効果的」に使えていない。 良くない例えだが、禁止薬物を度を越えて使用してしまいかえって競技能力が低下するような状況なのだ。 ではなぜ、今回の加害者である指導者はそんな失敗をしたのか? それは「今年のチームでは、どうせ普通にやっても勝てないから」だろう。大阪府大会で勝てないチームしか持てないことは加害者にとって非常に不本意なのだ。が、その不満をぶつける相手として存在するのは「勝てないチームの主将」だけだったのだ。 どうせ、保護者は体罰を許容している。副顧問も学校も、体罰を見てみぬ振りをしてくれる。バスケットボールほどの注目度がある競技なら地元新聞やテレビ局にも何度も取材を受けた経験があり記者たちとは個人的なパイプもあるだろう。ちょっと位殴っても「厳しい指導」で通せる。 そういう打算の下の暴力だ。 繰り返す。あれは断じて「理想の教育」の発露などではない。個人的なストレスのはけ口に過ぎない。大人は、良くやることじゃないか?要するに、暴力つきのパワハラだ。 それだけのことに過ぎない。だから、ふさわしい処罰をくれてやれば良い。 同時にパワハラも暴力もよくないことで、特に暴力は犯罪なのだということを日本社会全体が確認すれば良い。 さて、では暴力を効果的に用いるスポーツ指導は良いのかということだが。それは、 法律的には暴行・傷害として処罰されねばならない。そしてスポーツとしては、ドーピングと同様でチームを失格させなければならない。 それほど重大な違反行為なのだと、日本バスケットボール協会と高等学校体育連盟、体育協会と、日本オリンピック委員会は 確認しなければならない、と私は思っている。 それでも暴力を使うような「指導者」は競技から永久追放してほしい。
2013.01.11
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この文章は、被ばく事故医療の専門家が埼玉県で反省の集い 足りなかった複合災害への準備 小崎丈太郎[日経メディカルCancerReview]からの引用である。http://www.nikkeibp.co.jp/article/reb/20110906/283055/?ST=rebuild&P=1避難者は安定ヨウ素剤を服用すべきだった?放射線被ばくによる健康障害でまっさきに問題視されるのが、放射性ヨウ素が取り込まれた結果起こる甲状腺がんの発生だ。安定ヨウ素剤を服用すれば、放射性ヨウ素の甲状腺への取り込みが阻害され、甲状腺がんの予防に有効であることが確認されている。この安定ヨウ素剤の服用を巡っても、事故後の情報が錯綜した。原子力安全委員会は、避難所で実施する体表面汚染スクリーニングにおいて、「体表面スクリーニングレベル10,000cpm以上なら安定ヨウ素剤を投与すべき」との助言を2度にわたり経済産業省緊急時対応センター(ERC)に送った。しかしこの情報が市町村に共有された形跡がない。政府対策本部から福島県知事に、20Km圏残留者の移動に際して安定ヨウ素剤の服用指示を出すよう連絡があったのは3月16日の10時であり、この時点で福島県は「安定ヨウ素剤投与が必要な避難地区残留者はいない」と判断。一方、15日に住民に安定ヨウ素剤を配布した三春町では、一部の住民が服用。福島県は17日に回収を同町に指示し、21日には原子力災害対策現地本部から「安定ヨウ素剤の服用は本部の指示を受け、医療関係者の立会いのもとで行うものであり、個人の判断で服用しない」(「安定ヨウ素剤の服用について」)という指示が県知事と関係市町村長に発出された。結果的に、本来対策が不要であった三春町の町民以外は安定ヨウ素剤を服用しなかったということになる。ヨウ素剤を過剰に服用すると甲状腺機能低下症などの副作用を引き起こすことは確かだ。したがって行政は適応のない安定ヨウ素剤の服用を制限する姿勢を打ち出したのは妥当である。研究会の席上、鈴木氏は「避難した後でも安定ヨウ素剤を服用すべきだった」と指摘した。「避難すれば服用は不要と考えられたが、避難方向によっては避難終了直前まで、プルーム(放射線物質の濃度が高い空気の塊)曝露があったと考えられる。避難所到着時の服用には意味があった」。たとえ、放射性ヨウ素を吸入した4時間後でも、安定ヨウ素剤の服用は50%の防護効果がある。国際原子力機関(IAEA)は、最初の7日間の被ばく線量が50mSvを超えると判断した場合には、安定ヨウ素剤の使用を推奨している。当初の予定では、「SPEEDI」という放射能拡散・被ばく線量予測シミュレーションおよび放射線量をモニターして、対応を決定することになっていたが、放出された放射能の情報がないため「SPEEDI」は線量を計算できなかった。実際に線量を計測するモニタリング・ポストのほとんどが震災と津波で破壊され、データを収集することができなくなっていた。線量というリスクを正確に把握し、正しい対応――。この行動計画の前提が成立しなくなっていた。「今後は正確な線量が不明な場合でも状況を考慮して、行動を起こすことができる計画を用意しておくべきかもしれない」と指摘する。 原発事故をテレビで知った福島県立医大突然、原発事故の渦中に投げ込まれた福島県立医科大学附属病院からも、救命救急センターの医師の長谷川有史氏(助教)の報告があった。同氏によると、原発に最も近くにある医大であったにもかかわらず、「事故が起こるまで、院内の除染施設の場所も院内緊急被ばく医療マニュアルの存在も知らなかった」。「原発事故の発生もテレビで知った。行政サイドからの正式な情報提供というものは何もなかった」。その後刻々と変わる情勢を知る手がかりも、もっぱらテレビやラジオのニュースだったという。3月11日の地震や津波被害の発生直後には、低体温や骨盤骨折傷病者などの搬送が相次いだが、14~15日になって4人の被ばく傷病者が搬送されてきた。情報がなく、現場はパニックという状況となったが、15日午後に被ばく医療を専門とする長崎大学・広島大学合同REMAT(Radiation Emergency Medical Assistant Team)が来院、ここで初めて、原発事故の現状説明を受けたという。 「1度泣くと人間は強い」「スタッフは最初、悲観的、抑うつ的な精神状態に陥っていましたが、学外専門家のクライシスコミュニケーションにより蘇生し、肝をすえた。緊急被ばく医療班の立ち上げは学外支援なしには不可能だった」(長谷川氏)。そこで緊急被ばく医療班が発足したが、班員には「被ばく医療は一定の危険を伴う業務である」ことをまず周知したという。しかし、事態を受け入れつつも、夜間の就寝時には、「医療スタッフの全員が一度はさめざめと泣いた」と長谷川氏は語った。「だが、一度泣くと、人間は強い。恐怖を吹っ切って事態収束に当たった。このプロセスは、(終末医療の専門家の)エリザベス・キューブラー・ロスが指摘した、がんであることを告知された患者の精神プロセスに近いと思った」キューブラー・ロスは、著書「死ぬ瞬間」の中で、病名を告知されたがん患者の心理状況が、否認、怒り、取引、抑うつ、受容という5つの段階で変遷することを報告している。長谷川氏によれば、この心理プロセスが原発事故に遭遇した医大のスタッフにも見られたのだそうだ。地震から半年が経過する現在も、同大学では除染業務担当自衛隊、学外医療チームの支援のもと緊急被ばく医療体制を維持している。毎朝多職種会議で知識を充填、原発の最新情報、達成事項、未解決問題を明確化する作業を続けている。「“フクシマ”に暮らすメリット、放射線によるデメリットを正しく比較し、判断行動するための情報提供を行うことも我々の責務である。私は新潟出身ではあるが、福島が大好きであり、これからも福島に住み続けたいと思う」と締めくくった。 放射線技師が遺体の放射線も測定避難所や検案(検死)前の遺体の放射線サーベイには現在も放射線技師らが当たっている。サーベイ作業に従事する放射線技師(サーベイヤー)を派遣している日本放射線技師会からの報告もあった。報告した諸澄邦彦氏(埼玉県立がんセンター放射線技術部副部長)によると、3月13日に内閣府原子力委員会と厚生労働省医務指導課から放射線サーベイヤー派遣の依頼が日本放射線技師会にあり、技師会の募集に全国から12人の放射線技師が応じ、福島県での活動を開始した。さらに4月には福島県警察本部から検案前の遺体に対する放射線サーベイの依頼があり、遺体の放射線サーベイも開始した。3月16日~4月17日、55人の放射線サーベイヤーが派遣され、放射線サーベイ終了後にはスクリーニング済証を発行する業務も行った。検案前の遺体の放射線サーベイは4月11日から6月末までで630体を数えたという。遺体の放射線サーベイに従事するサーベイヤーには、60歳を超えた「人生の先輩たち」(諸澄氏)を中心に派遣したという。「数多くの遺体に接することを考えると人生経験が豊富な技師の方々が適任と考えた」からだ。しかし、それでも技師たちにかかったストレスは無視できないものがある。「夜、作業報告の電話で、『今日、検案した乳児はおんぶ紐しかつけてなかった』と話す人もいた。ちょうど、その方の孫と同じくらいだった」 福島県放射線技師会長が急逝そのような状況が続くなか、技師会に衝撃が走る事件が起こった。日本放射線技師会理事で福島県放射線技師会会長であった鈴木憲二氏が、震災から4カ月後の7月16日に急逝したのだ。「深夜に変調に気づき、救急搬送で病院に到着した時点で心肺停止状態だった」(諸澄氏)。鈴木氏は、事故直後から長期にわたる福島県への放射線サーベイヤーの派遣計画を策定する上で中心的な役割を果たした。その後も、全国から応援に入る技師と現場の仲立ちとなって活動していた。「昼夜の区別なく働いていた。全国から集まった技師らが活動しやすいようにといろいろと配慮し、夜は技師らが宿泊するホテルに缶ビールなどの差し入れなども行っていた」(諸澄氏)。激務が直接の死因となったかは明らかではないものの、技師らの間では「戦死」とささやかれている。鈴木氏の死は、被災した住民だけではなく、復興対策にあたるスタッフの心身の管理にも行うシステムの重要性を物語る事例といえるだろう。 問題は専門家間のコミュニケーション福島第一原発事故では、いくつかの課題が浮き彫りになった。鈴木氏は、とりわけ大きな問題として「OFCが本来の役割を果たせなかった」ことを挙げ、「OFCの現地対策本部で行政や防災関係者、事業者や原子力の専門家が情報を共有し、意志決定し、情報発信するという仕組みが機能しなかったこと」と指摘した。原子力災害対策特別措置法の想定とは異なり、すべての意志決定が政府対策本部に一元化されたことも関係者間での情報共有という面では事態を混迷させる一因となった。福島県立医大の長谷川氏は、国民・福島県民とのリスクコミュニケーションでは、「原子力や放射線の専門家の間で、発信された情報に矛盾したものがあったことが事態を複雑なものにしてしまったのではないか。このような事態では特にリスクコミュニケーションの重要性が問題にされるが、専門家間の見解の違いが健全なリスクコミュニケーションを実現する上で障害になった可能性がある」と問題を提起した。鈴木氏は、「被ばく医療だけではなく、今回のオペレーションで何ができて、何ができなかったかを今後も検証を続ける必要がある」と総括している。
2013.01.07
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「東京電力福島第一原発事故を受けた緊急被ばく医療体制の再構築にむけて」と銘打った研究会が8月27日、埼玉県和光市で開催された。会の名称は「放射線事故医療研究会」。わが国を代表する被ばく医療専門家が結集したこの会は、冒頭からさながら反省会の様相を示すことに。専門家らは何を見誤ったのか、そしてそこから何を得たのか。「東京電力福島第一原発事故は、私たちの想定を超す過酷事故となってしまった。これまでの地元医師会の医師らとの交流会で、過酷事故は起きないと説明してきた研究会の幹事の一人として、真摯に反省するとともに、福島県の皆様には心からお詫びしたい」第15回放射線事故医療研究会は、大会長である鈴木元氏(国際医療福祉大学クリニック院長)の研究会の基調講演の冒頭、自らの見込み違いを率直に認める発言での幕開けとなった。 この研究会が発足した1997年は、被ばく事故医療関係者の間では、六ヶ所村の再処理施設の稼動が迫り、またその再処理施設の事故を予感させる東海村アスファルト固化施設火災爆発事故が起こった年として記憶されている。東海村JCO臨界事故で3名の重症被ばく患者が発生したのは、その2年後のことだった。その後の研究会では、東海村JCO臨界事故や旧ソ連で発生したチェルノブイリ原発事故の情報を収集、同様の事故が新たに起こった際の対策について検討を重ねてきた。しかし、被ばく事故・医療の第一人者である鈴木氏にさえ、今回の事故は想定を超えた深刻な事態だった。この日の研究会では鈴木氏に続き、事故直後から現地入りして対応に走り回った国立保健医療科学院や放射線医学総合研究所、日本原子力研究開発機構の関係者ら8人が事故後の対応と課題を報告した。 「広域、多数、低線量」の被曝事故報告者の一人で、原発内で医療支援を行った三菱神戸病院の衣笠達也氏は、今回の事故の特徴を「広域に汚染され、多くの住民が被ばく、その被ばく線量は低線量であったこと」と指摘した。広域の汚染が引き起こされたことによって、事前に頼みの綱と想定されていた原発近くの医療機関の多くが機能不全に陥ってしまった。福島第一原発で放射線、放射能漏れを伴う事故が起きた場合、南相馬市立総合病院や双葉厚生病院など初期被ばく医療機関に指定されている5つの病院が初期被ばく医療に対応すると取り決められていた。ところが、震災翌日の3月12日に実施された避難の区域が「原発から20km圏内」へと拡大された結果、3つの初期被ばく医療機関がこの非難区域に入ってしまった。震災直後から現地入りした放射線医学総合研究所緊急被ばく医療研究センターの富永隆子氏によると「被ばく医療機関として汚染のある患者を受け入れた医療機関がほとんどない」という状況となった。 想定超えた複合災害で本部も孤立さらに今回の原発事故は、地震や津波も加わった複合災害であったことも事態を悪化させた。災害発生時には現地対策本部(オフサイトセンター;OFC)が設置され、災害対策の細かな指令を発することになっていた。大熊町OFCには、除染施設である福島県環境医学研究所が隣接していたが、停電と断水があり対応者を確保できなかった。そこで、汚染した傷病者を離れた医療機関に搬送する必要に迫られたが、緊急被ばく医療への日ごろの訓練が限られた地域で実施されていたことがあだとなり、訓練されたスタッフや対応できる施設がない医療機関では、患者の受け入れを拒否する事態となった。3月14日には、福島第一原発3号機の水素爆発により、11人の負傷者が発生したが、「搬送先を確保が非常に困難になった」と富永氏は報告した。事故が起これば近隣の病院で迅速に対応するという想定が裏目に出た。結果論ではあるが、より広汎な被災を想定し、広域の医療機関を確保しておくべきだったいえよう。
2013.01.07
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(画面変わってトンネル、抜けると市街地。)テロップ「モスクワ」(多くの自動車が走り、すれ違う。さらに変わって、何かの研究施設。冷凍保存用と思われる容器がたくさん並んでいる。)テロップ「化学物理学研究所」N 国立化学物理学研究所。ここでは、汚染地域全域から、人々の血液を集めています。原発事故と病気の因果関係を調べるためです。事故の影響によって、血液中の赤血球が持つ酸素を運ぶ機能が低下したり、鉄分を運ぶタンパクの減少が起きることなど、いくつかの異変が、今の段階で既に確かめられています。放射線の影響は、何十年も経ってから現れることもあります。長期にわたる追跡調査は、今、スタートしたばかりです。(画面では、血液を様々な方法で検査しているらしい様子が映る)字幕「化学物理学研究所 エレナ・プルラコーバ部長」翻訳音声「人間の体の細胞は、何らかの影響で傷つけられたとき、自らを修復する力を持っています。放射線による被曝も、細胞を傷つける原因の一つです。子どもの場合は、細胞の修復能力が大人より低く、また、放射線のような外部からの攻撃にも敏感に反応してしまいます。さらに子どもは、体の調節機能についても、大人に比べれば明らかに未熟です。すなわち、チェルノブイリ原発事故のような放射線被害に対して、子どもが最も弱く、危ないのです。年齢が低ければ低いほど、後遺症は強く現れ、ガンにかかる確率は高くなることが、既に確認されています。子ども達を真っ先に避難させるべきでした。いまだに、危険な放射能汚染地帯に子ども達が残されていることは、許されないことです。」(画面 町を歩く多くの人。カメラの前を横断する乗用車。さらに切り替わって、何かの掲示を見ながら地点を指差す2人の大人。)N 今年、4月25日、ソビエト政府は汚染地帯の住民20万人を避難させる計画を発表しました。事故から実に、丸4年が経過していました。(大人が指差していたのは、避難区域の区分けを示す看板掲示だった)(画面変わって、地図。)N 白ロシア共和国での避難計画は、次の通りです。赤い色は1平方キロあたり40キュリー以上という、非常に強い汚染地帯です。(画面に「40キュリー/km2以上 12000人」の表示)Nここに住む12000人以上を、今年秋までに全員避難させます。黄色の15~40キュリーの地域では、来年半ばまでに90000人を全員避難させます。(画面に「15~40キュリー/km2 90000人」の表示)N紫色の5~15キュリーの地域では、合わせて30万人が住んでいます。ここでは、子どもを持つ家族に、避難を勧めています。(画面に「5~15キュリー/km2 30万人」の表示)N 一番外側の、灰色の1~5キュリーの地域、ここに住む170万人には、なんら避難の計画はありません。(画面に「1~5キュリー/km2 170万人」の表示)N 今年の2月以来、白ロシアの汚染地帯からは既に3万5千人が避難しました。しかし、今、計画は大きな壁にぶつかっています。(画面切り替わって、農村地帯。画面にチェルノブイリからの方角と距離の表示。北北東160kmの「バルトロメーエフカ村」)N バルトロメーエフカ村。今年秋までに全員避難が予定されている効能殿汚染地帯です。テロップ「バルトロメーエフカ村役場」N 既に村民800人の内、若い人や子どもを中心に半数近くが避難を終えました。しかし、村を去ったのは、若い人たちや子どもだけで、村には、お年寄り達が残されたままです。(村役場で、何かの書類にスタンプを押している。役場には多くのお年寄りが集まっている)N 移転先が手狭なため、家族を置いて、若い人たちが移転する以外に道がないのです。高齢男性の言葉翻訳字幕「いつまでたっても 行き場所が見つからないんだ」女性の言葉翻訳字幕「汚染地帯には4年も住んでいるんだよ 別のところへ移りたいけど 家もないし不安でいっぱいだ」(画面、力強くスタンプを押す、比較的若い男性。その男性が屋外でインタビューを受ける。)字幕「バトロメーエフカ村 ・イバセンコ村長」翻訳音声「老人達を避難させるのが、最も困難な課題です。老人達は、年金によって生活しており、労働力としては、社会的には役立たない存在です。ある地域で住民達を避難させたとき、若者達の方が優先されてしまい、老人達は、どうしても後回しになってしまうのです。もう一つの難しい課題は、住宅の問題です。住民を避難させたくとも、人数分だけの住宅がないのです。これは、むしろ、国家の責任です。」(道端の軒先に座って話をする高齢の女性達。その横を歩いて行き過ぎる、高齢の男性2人と女性1人。)N このあたりは、第2次世界大戦のとき、ナチスドイツとの激戦地でした。苦難の戦後を歩んできた村の住人達を再び襲ったのは、原発事故でした。(林の中を歩く中高年女性3人。軒先に座る2人の女性に話しかけるスタッフ)女性翻訳字幕「これまで苦しむだけ苦しんだわよ もうたくさん」隣の女性の言葉翻訳字幕「こんな危険な所に放っておいて 当局は何やってるのよ」さらに加わってきた女性の言葉翻訳字幕「家は捨てろと言うし、 新しい家はくれないし- 夫は戦争で 身体障害者にされたわ」最初の女性「いつまで苦しみが続くの(声をあげて泣く)」3人目の女性「どうしたらいいか教えてよ」(遠くから車両が見える映像。徐々にアップになると、人がそばにいるのが見える)N 今日もまた、一つの家族が避難していきます。(トラックに積まれた家財道具)この家族は、若夫婦と子ども3人、そして、年老いた夫婦の7人で暮らしていました。(何度も宙に十字を切る老女)この7人の家族に与えられたのは、たった一部屋のアパートでした。若い男性の言葉翻訳字幕「じゃあ そろそろ お別れだ」(高齢の男性が、若い家族と思われる人たちと握手する。)高齢の女性字幕翻訳「これが永遠のお別れじゃ いやだよ」N 老夫婦は、子どもや孫と別れて、汚染されたこの村に残ることになりました。(歩行器をつかむ幼い子ども。人形を抱える少し大きい子ども。)母親翻訳字幕「若いものが先に行きます 子どもの将来の方が大事です」父親翻訳字幕「両親はここに残して行きます 働けないから仕方ないんですよ とても両親の面倒は見られません 私達の荷物でさえ 置き場所がないのに- 車ごと焼いてしまいたいぐらいだ」スタッフ(祖父に)「これから 大変ですね?」 祖父(無言で最初うなずき、その後首を左右に振る)翻訳字幕「(感情をこらえるように)たまらんよ」N 政府の全員避難の命令にもかかわらず、老人達は落ち着き先がないまま、取り残されています。(トラックに乗り込む父親。エンジンを掛け、その後ドアを閉めて、走り出すトラック。後ろにはトレーラーが付き、そこにも引越し荷物が積まれている。走り去るトラック。それをじっと見つめる祖母。祖母をいたわるように視線をやる祖父。手を口の前で組み合わせて祈るようにトラックを見つめ続ける祖母。カメラは老夫婦の後ろに回り、二人の背中を映す。)(画面変わって、産着を着た新生児が泣く様子。)N 汚染地帯で、今日も新しい命が生まれています。(新生児室でそれぞれ別のケースに入って、泣いたり動いたりしている4人の赤ちゃん。)字幕「ゴメリ州立病院」ゴメリ市のこの病院は、N 妊娠や出産に何らかの異常が認められる妊婦専門の病院です。(病室のベッドに座る女性たち。白衣を着て窓際に立つ医療スタッフと思われる女性。ベッドに座る女性の1人にカメラが近づく。女性はうつむいている。よく見ると、目の下に隈)N 放射能が生まれてくる子どもにどのような影響があるか、心配されています。(別の女性、頬杖を付いて前を見ている。)(画面変わって、白衣の男性)字幕「ゴメリ州立病院産婦人科 アナトリー・ワシレツ部長」翻訳音声「私達の病院で見てみますと、チェルノブイリ原発事故が起こった後に目立ってきた現象としましては、次のようなことがあげられます。まず第一に出産時の異常出血が事故の前に比べて2.5倍に増えました。さらに、胎盤が剥離状態に陥ってしまう症例も、以前に比べて3倍に増加しています。また、出産後の中毒症状も2倍になっています。最近、この種の異常の増加は、一見、落ち着きを見せています。しかし、これと引き換えに、母親の子宮の中の赤ちゃんの異常が、以前に比べて2.5倍にも増加しています。この病院では、チェルノブイリ原発事故の後、超音波で子宮の中を観察できる超音波診断機を導入しまして、妊娠期間中に2度ほど母親のお腹の中を診察し、赤ちゃんの様子を見ています。妊娠28週目までに何らかの異常が見つかった場合には、中絶の手術を施すようにしております。」(超音波診断機の画像)N 原発事故の後、この病院に導入された超音波診断装置です。(妊婦の腹に診断装置の先端を当てている様子)医療スタッフ翻訳音声「健康な男の子です」(超音波装置の画像。胎児が動いているように見える)(画面変わって、病室。医療スタッフと妊婦が会話している。女性の左腕には輸液の管がつながっている)N この女性は、高濃度汚染の村から運び込まれました。長い陣痛に悩まされながら、赤ちゃんがなかなか生まれてこないのです。(陣痛に苦しむ女性。輸液の速度を測る医療スタッフ。)スタッフが質問字幕「不安はありませんか」女性翻訳字幕「テレビで 子どもの奇形の話を やってたわ。とても不安です」(答えながら苦しむ女性。映像は廊下からのものに切り替わる。女性が苦しむ声が聞こえ続ける。画面変わって、裸で元気に泣く新生児。)N 元気な、男の子です。(スタッフが女性に声を掛ける。)翻訳字幕「不安を乗り越えて よく頑張りましたね」 女性翻訳字幕「信じられないわ これから 一生懸命 育ててゆかなくっちゃ・・・」(赤ちゃんが元気に泣く声に、何度もうなずきながら、安心したように)(画面切り替わって、緑の草原。女性達が歌う声が響く。草原の中で遊ぶ二人の少女。手前の道路を歌いながら隊列を組んで歩く民族衣装を身にまとった女性達。)老人だけが残された、あの、バルトロメーエフカ村です。夏を前に、麦の豊作を祈る祭りです。(1人の老女が手にかごを持ち、かごの中には赤ちゃんをかたどったと思われる人形が寝かされ、布団を掛けられている、)N しかし、家族の晴れ着姿や、孫達のにぎやかにはしゃぐ声はもうありません。(歌いながら十字架を持って歩く女性)N この秋の避難が決まり、豊かな緑に別れを告げなければなりません。(麦畑の中で儀式の為に麦を数株抜き取る)N 村に恵みをもたらしたこの大地は、放射能で汚染されました。泣きながら語る女性の言葉翻訳字幕「これで最後ね」N 命の象徴である赤ちゃんの人形を大地に埋めて、大地の神に感謝をささげます。しかし、老人達にとっては、この行事は村を弔う儀式となりました。泣く老女の言葉翻訳字幕「こんなにすばらしい 村はないよ 知ってるだろう?この村が どれほど美しいか」(女性達の歌声の向こう、2人の少女が麦畑の中を歩いている。)N チェルノブイリ事故から4年。学校で。病院で。町で。村で。放射能汚染との戦いはまだ、果てしなく続きます。(儀式で麦畑に立てられた十字架。まるで墓標のように見える)タイトル字幕「汚染地帯に 何が起きているか ~チェルノブイリ事故から4年~」(女性達の歌声の中 スタッフロール 制作 NHK広島 NHKスペシャル 終 企画・制作NHK)
2013.01.04
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(画面変わって、川の水面。鳥が水面のすぐ上を飛んでいる。カメラが引いて遠くまで映すと、超高層ビルが奥にある、整備された公園の傍の川だということがわかる。)テロップ「ミンスク」N 白ロシア共和国の首都、ミンスク。テロップ「白ロシア放射線医学センター」(バスがエンジン音を立てている)N 朝8時になると、放射線医学センターに、汚染地域全域から体の不調を訴える人々が集まってきます。各地域の病院で診察を受け、放射能による影響があるとされた人たちです。(若い夫婦が小学校高学年くらいに見える男児を歩かせ、幼子を妻が抱いて入り口に向かう。内部の映像。多数の住民がいる中を看護婦と思われる女性が忙しげに歩く。)N 放射線医学センターは、チェルノブイリ事故による患者を治療するために、一年半前に作られました。一日の診療能力は100人。しかし、連日2倍以上の人が詰め掛けています。入院が必要な患者は800人を数えますが、その4分の1しか収容できない状態です。(診察を待つ人たちの間を通って、カメラは診察室と思われる場所に入る。女性医師が椅子に座り、患者と思われる少女2人が立っている。)N 影響は、特に子どもに現れています。(男児に聴診器をあてる女性医師)N チェルノブイリ事故以降、神経系の病気、血管障害、胃や腸の潰瘍、肝臓病などが増加しています。(目を半分閉じて背中に聴診器をあてられている男児目の周囲には、明らかな隈がある)N この医学センターでは、甲状腺の障害が、事故により増加したと見ています。(少女の工場線を触診する女性医師。)N 甲状腺は、体が成長するのに必要なホルモンを分泌しているところです。(診察用のベッドに横たわり、甲状腺エコー検査を受ける少年)N これまでに診察した重傷の甲状腺異常の患者は、およそ3000人、その殆どが子どもです。(エコー検査の画像)N そのうち、21人の子どもが甲状腺ガンと診断され、摘出手術を受けました。事故直後、大量に放出された放射性ヨウ素は、喉の甲状腺に吸収されやすい性質を持っています。(首にうっすら、手術跡が残る少女)N この14歳の少女は、検査で直径2センチの甲状腺ガンが発見され、摘出手術を受けました。(エコー検査の画像)N しかし、手術後腫瘍が再発していました。スタッフ「腫れ物が残っている部分ですか?」(エコー画像には、はっきりわかる「異物」の繭状の形のものが映っている)(画面切り替わって、白衣の初老の男性)テロップ「治療研究部 イワン・ゴンチャリク部長」 翻訳音声「チェルノブイリ事故で大量に吐き出された放射性ヨウ素は、甲状腺に重大な被害を与えました。この甲状腺は、数ある放射能の中でも特に放射性ヨウ素を特に重点的に吸収するのです。放射性ヨウ素の半減期、つまり、放射線を出す力が半分に減る時間は短いのですが、一旦体に入ってしまうと長期間に放射鮮を出し続け、長期間にわたって、健康に悪影響を与えます。私の病院では、今、甲状腺肥大や甲状腺ガンといった、様々な病気が観察されていますが、特に深刻なのは子ども達です。彼らは、放射線に対して敏感なため、それだけ被害も大きく、病気も治りにくいのです。チェルノブイリ原発の事故によって、実際に甲状腺のガンが増えているかどうかについてですが、私の考えでは、ガンは増加したといっても間違いはないと思います。(少年のインタビュー)答える少年。通訳が翻訳する「あのー手術をーしてーもらうーそうです」スタッフ「あ、そう・・・。怖くない?」通訳が翻訳する。苦笑しながら話す少年。通訳「少し怖いそうです」(表情を選択するのを迷いながらすこしこわばり、でも笑みを浮かべようとする少年)(画面変わって、10人前後の人が歩いていく姿。カメラが引くと、歩く先には、近代的なビルが見える。)テロップ「白ロシア児童血液研究センター」N 同じミンスク市内にある児童血液研究センター。(建物の廊下。男児が3人、待合のソファーの所にいる)N ここには血液に異常がある重傷の子どもたちが入院してきます。(男児の1人が大人に話しかけ、また他のこどものところに戻る。)(画面、病室。4人入りの部屋のようだ。入り口から右のところに青い服を着た少女が横になっている。大人の女性が少女の足元の方に立っている。)N 1階の病室には、汚染地帯から来た白血病の子ども達が集められています。医師たちは、患者数の水位を見守って、事故と白血病の関係を注意深く見つめているところです。(別の病室。輸液の器具、チューブの先には白い服を着た少女が横たわる。頭にも白い帽子を被っている。)(画面切り替わって、白衣の女性)テロップ「児童血液研究センター マヤ・パブロワ所長」翻訳音声「私達は、汚染地帯の子ども、3000人以上を検査しました。その結果として、子ども達の腎臓から、放射能の一種である、セシウム137が検出されました。また、血液の中にも、様々な放射性物質も含まれていることも分かりました。さらに染色体につきましては、普通の子どもの2倍から7倍もの異常が発見されております。これらは皆、白血病の原因となるものばかりです。しかし、チェルノブイリ原発事故によって、白血病が増加したと、今の段階で言い切ることは難しいことです。しかし、事故の後の様々な状況を考慮すると、原発事故と、子ども達の白血病の因果関係は、きわめて高いのではないかと考えています。」(画面 さらに別の病室。輸液を受ける子どもと、その子どもの頭をなでる母親らしき人)N チェルノブイリ事故が、我が子の白血病を引き起こしたのではないか?母親達の不安は募ります」母親翻訳字幕「この子は白血病なんです。直る可能性はありません。」(パジャマで輸液を受けながら、掛け布団から肩を半分だけ出して横たわる子ども。小さい手。つま先までタイツのようなものを身に着けている)母親翻訳字幕。(泣きながら)「この子を日本へ連れて行ってください 少しでもこの子が良くなるなら・・・」 (画面 別の青い服を着た子ども。首から十字架を掛けている)母親翻訳字幕「せめて この子が 立てるようにして下さい」(流れる涙を手のひらでぬぐう母親)(画面再び青い服の子ども)翻訳字幕子ども「足が痛い 眠っているときも目をさましても からだがとても痛いの」N 広島では、原爆投下後2年後から白血病が出始め、6年後にピークを迎えました。(画面切り替わる 処置室のような部屋。ベッドに少年が横たわり、医師が針が付いた器具(骨髄検査用の「ディスポーザブル イリノイ穿刺針」のような器具)を少年の胸の上部に指し、続いて体液を抜き取る。少年は痛いのか、目の前で針を刺される恐怖からか、顔をしかめる)N 原発事故が原因で白血病が増加したのかどうかを確認するのは、長い期間にわたる、膨大な数の人間の追跡調査が必要になります。通常の白血病の発生率より、明らかに高い白血病の発生が確認されたとき、初めて、事故と白血病の因果関係が確定します。(少年の体から抜き取った検体を、医療器具の上や中に、たくさん分けていく作業)
2013.01.04
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(画面変わって、草原を作業車両が走る様子。草を刈って荷台に集める車両のようだ)N 事故の後、白ロシア共和国だけでも、26万ヘクタールの農地が廃棄されました。東京都の面積を上回る広さです。(放射線測定器で農地の端で計測する、0.35を指しているように見える)N 損失額は820億ルーブル、およそ20兆円。白ロシア共和国の年間予算の8倍にあたります。(刈った牧草をトラックの荷台に吹き集める作業車両)N この牧草地では、汚染された表面の土と20センチ下のきれいな土とを入れ替えて、汚染の濃度を減らし、家畜の飼料用の牧草を作っています。(作業車両の運転台はガラス張りになっていて、運転者もマスクをしている)N 作業員がホコリを吸わないように、エアコン付きの完全密閉のトラクターが導入されています。しかし、値段が高く、とても全体には行き渡っていません。(ホコリを巻き上げながら走る作業車両。そのホコリの映像。画面変わって男性が語る。)テロップ「ベトカ地区ソフホーズ長 アレクサンドル・キシェリさん」翻訳音声「このあたりには、放射能に汚染されてない土地は一切ありません。1平方キロ当たり、50キュリーを超えるところさえあります。現在の私達の課題は、こうした汚染された土地できれいな農産物をいかに生産するか、ということです。この4年間私達は、作物ごとに、土の中の放射能をどれだけ吸収するか、一つ一つ実験し、放射能に適した作物は何かを調べたわけです。その結果、トウモロコシが汚染地帯に適していると分かりました。トウモロコシは他の作物に比べ、放射能を取り込む率が低いからです。放射能にまみれた土地で、それに適した作物をより多く収穫することが大切だと考えています。(砂埃を巻き上げて土地を耕すトラクター。)N この農場では、風の強い日にはガスマスクをつけてまで、農作業を続けています。ソビエトの苦しい経済状況では、たとえ汚染地でも、何とか農作業を続けなけれがならないからです。(舞い続ける砂埃。画面変わって、牛乳を瓶に入れる機械の映像。)N 牛乳は、放射能に汚染されやすい食品の一つです。(次々と機械を流れて行く、瓶に入った牛乳)(画面変わって、塀で区切られた場所にトラックが入る。)テロップ「ゴメリ市牛乳加工場」N ゴメリ市にあるこの牛乳工場には、白ロシアの汚染地帯から牛乳が集まってきます。運搬用のトラックは、工場の入り口で水洗いされます。(トラック全体を無人の機械が洗浄する)(金属製の階段を上がって、白衣の女性が放射線測定器でタンク内の牛乳を上に開いた穴から計測する。)N まず放射能を測定します。一定の基準値以下のものは、そのまま出荷されます。(測定器の針は5を指しているように見える)N しかし、一定の基準値を超えたものも、そのまま廃棄されるわけではありません。汚染された牛乳は、バター工場に運ばれます。(バター工場内の映像。バターが機械を通って、押し出されてくる。)N 放射能は、牛乳の中のタンパクに付着しやすい性質があります。そこで、牛乳をタンパクと脂肪とに分離して、脂肪をバターに加工します。(機械から押し出されたバターが、自重でブツっと切れて落ちる。画面、工場の広い範囲を映す映像に変わる。そこからカメラは右端に振られる。と、白い液体が管から出てくる場所になる)N 一方、放射能を多く含んだタンパクの液は、脱脂粉乳にされ、家畜用の飼料として使われます。(画面、脱脂粉乳を袋詰めする機械を映す)N このえさを食べた家畜は、当然放射能に汚染されます。そこで、食肉に加工される3ヶ月前になると、汚染されていない食料に切り替えられ、体内の放射能の値を下げた上で出荷されます。(脱脂粉乳の袋を閉じる工程の映像)N 厳しい基準を設けて規制するには、あまりにも汚染地帯が広がりすぎました。(積み上げられる脱脂粉乳の袋)(画面変わって、多くの人が行きかう道路。)N ゴメリの街の市場です。テロップ「ゴメリ中央市場」(はつか大根のような作物を買う女性)N 市民の間では、食品の安全性に対する不安が消えません。(天秤秤で重さを測って販売する高齢の女性。画面変わって、カウンターの右側に白衣の人たち、左側に雑多な服を着た一般市民と思われる人たち。)N この市場では、市民が持ち込んで食品の中の放射能の量を測定してもらう部屋が作られています。測定器の前には、自分の目で放射能の量を確かめようと、買い物客が並んでいました。(白いプラスチックのような素材のバケツに入れられた、皮付きのジャガイモ。そのバケツを計測器に入れて、バケツにふたをして計測する)N 市が、食品汚染に対する市民の不安を払拭しようと開発しました。(計測器の針が動く。)(場面変わって、草原。チェルノブイリ原発からの位置関係を示す図。「レリツィツィ」西南西120km)N 汚染地帯の中には、食品の汚染に対する管理すらも行われていない地域があります。(舗装されていない道を馬車に引かせた荷車に乗った男性が操っている。)N 原発から西に120キロにある、レリツィツィ地区。酪農を中心にした農村です。(砂地の上に数十頭の牛、それを追う住民)N このあたりでは、放射能に汚染された牧草を、牛が食べています。(機械で搾乳する。)N その為、ここで取れる牛乳は高いレベルで汚染されています。(搾乳した牛乳を入れた金属容器。ふたを開けると、中には牛乳。瓶から牛乳をプラスチックのバケツに注ぐ)N ゴメリにある放射線医学研究所のメンバーが、レリツィツィで牛乳の汚染の状態を測定していました。(牛乳を入れたバケツにふたをして、測定器に入れる。)取材陣「その、数値はどれくらいですか」通訳が研究者に聞き、通訳する「1リットル当たり、800から900ベクレル」取材陣「800から、900ベクレル、先生、それはどれ位」岡野博士「日本の基準が1リットル当たり370ベクレルですから、それに比べて、2倍から3倍に近い数字です。」取材陣「ミルクとしては、相当汚れてる方ですか?」岡野博士「ミルクとしては、日本の基準では適合できません。日本の基準だとすると」取材陣「2倍以上?」岡野博士「2倍以上ですね。」(画面変わって、子ども達の列。やや不安そうにも見える表情)N この地域の住民の体に、どの程度の放射能が取り込まれているのか、岡野博士は住民に呼びかけ、体内の放射能の量を測定することにしました。(列の前の方に近づくと、住民が列も作れずにごったがえしている)N およそ300人の住民が地区の小学校に集まってきました。(いかにも急ごしらえの測定所にした感じの部屋で、岡野博士が動いている。幼い男児が父親に支えられて学校用の椅子に座っている。測定器が体から離れて、父親が男児を椅子から運びあげる。続いて中年の女性が椅子に座って上着のファスナーを開き、男性スタッフが腹部に測定器を押し付ける)N 食品に取り込まれた放射能は、そのまま、長い間体内に留まり、放射線を出し続けます。外からの放射線に比べれば、少ない量でも人体に影響を与えます。(測定を終えて立ち上がる女性。すぐに次の女性が椅子に座る。画面は測定器つきカメラのものになっている。上の線が二本になっている。)N 画面の棒グラフのうち、下の線が放射線の量をあらわしています。線が延びると、体内に放射能があることを示します。この方法で日本人を測っても、線は殆ど延びません。(次に、男児が測定を受ける。次に成人男性。この男性は測定で明らかに下の棒が伸びる)N 体内の放射能の量が多ければ多いほど、白血病やガンになる危険性が高まります。(その次の中年男性。さらに棒は伸びる)スタッフ「多い、多いです、多い」(画面切り替わって、住民が測定の順番を待って室内に集まっている様子)N 調査の結果、この町の住民には、日本人の1千倍もの放射能を体に取り込んでいる人もいました。(口々に何かを話しながら、測定を待つ住民不安そうな若い女性。測定をまつ中年女性が叫ぶように語る)翻訳字幕「政府は何も教えてくれないんだよ」(椅子に座って、女性が測定を受ける。)翻訳字幕「放射能の値を教えて欲しいんだ」N 住民は、争うように測定を受けます。事故から4年経って、この地区で初めて行われた汚染調査でした。(こわばった様な表情で測定を受ける女性)
2013.01.04
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画面変わって、草原を歩き、何かを食べようとする犬。人気がない。犬も置いていかれたものか?)N チュジャネ村付近は、一部で既に住民の避難が進み、ところどころに無人の廃墟が横たわっています。(窓を木材でバッテンに封鎖された家。)N しかし、避難先の住宅が極端に不足し、住民の避難は遅々として進みません。(封鎖された家の窓の一部が割られ、中が見える。カメラが覗き込むと、ベッドが映る。寝室のようだ)(画面変わって、散水しながら街を走るトラック)N 高濃度汚染地帯の中にある、最も大きな町、人口1万人のベトカです。(画面右下にチェルノブイリ原発との位置関係を示す図。原発からみて北北西160キロにあるようだ)N 一日3回、散水車が街を水洗いします。放射能を水で洗い流し、さらにホコリと一緒に放射能が飛び散らないようにするためです。(若者が2人座っているベンチの向こう、トラックが散水しながら走り去る。散水車が撒いた水でぬれている舗装道路を杖をついて横断する高齢の男性。手前を会話しながら小走りで横切る子どもたち。)(画面変わって、遊具がある場所。散水車が遊具に水を吹き付ける。)N 特に念入りに洗浄されるのが、街にある7つの保育園です。(散水車が特に念入りに滑り台を洗浄する、ジャングルジムのような遊具の横やブランコの傍で散水を見守り、近づくとはしゃぎながら走り去る子どもたち。)N 放射線に特に影響されやすい子どもたちを守るためです。(ジャングルジムと吊り輪と昇り棒が融合したような遊具で遊ぶ子ども達)N 事故のあと、保育園の園庭はすべて、アスファルトで舗装されました。土ぼこりを水で簡単に洗い流せるようにしたのです。(ダンプカーのおもちゃを糸で引いて遊ぶ男児。ボール遊びをする他の男児に軽くぶつかる。向こうでは女児がもっと幼い子どもをベビーカーに乗せて押している。園庭を歩く白衣の女性。)N 1日1回、保育園の看護婦さんが園内の放射能の測定を行います。決められた数値を超えた場所では、子ども達は遊びを禁止されます。(計測する白衣の女性。簡易型線量計と思われる機械直置きで草地を計測。デジタル表示は「00.43」)N 測定結果は直ちに保母さんたちに伝えられ、その日の遊び場所が決定されます。(砂地で直置き測定。上がっていったデジタル数値は「00.33」で止まる。草地と砂場を指して白衣の女性が言う)翻訳字幕「あそこは危ないから、子ども達を入れないように」保母の言葉字幕「芝生は入っちゃダメよ 理由は知ってるでしょ」男児の言葉字幕「うん 放射能だろう」保母「あっちへ行って遊びなさい」(芝生から去る子ども達)(雲梯のような遊具に昇り、取材のカメラに愛想を見せる女児たち。)(画面変わって、水溜りの上を放射線測定しながら歩く岡野博士)N しかし水で汚染を洗い流しても、それが逆効果になることがあります。放射能を含んだ水が一箇所に集まると、放射能が集まって危険な場所になることがあります。スタッフ「ああ、上がりましたね、先生」岡野博士「要するに、草がある、泥があるところにみんなたまっていくね。だから、水を撒くときにはどこか、そういう水が流れるところを作って撒かなきゃいけない。それから、水があるところに、草があったり、そういうものが、ほこりがつきやすいものがあるところにそういうものがたまる。だから、水を撒くっていうだけではいけなくて、撒いた水が、逃げ場を作ってやんないと本当は有効じゃないわけですね」(たまった水辺の砂の上で腰を下ろしている男児の姿)
2013.01.04
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(画面変わって、新聞紙)テロップ「プラウダ 〈1989年3月20日号)」 N チェルノブイリ事故による放射能汚染は、当初30キロ圏内だけだと言われて来ました。ところが去年3月、ソビエト共産党機関紙「プラウダ」は汚染が30キロをはるかに超えて広がっていることを公表しました。(新聞の紙面に地図。その上に番組映像が「30kmゾーン」の円を表示する)N 突然の汚染地図の発表に、そこに住んでいる住民は強いショックを受け、混乱が始まりました。(新聞紙面の汚染地図を、チェルノブイリ原発付近から北上する形で映す。)(画面切り替わって、車の内部。モニター画面が付いている。)N プリピャチの住民は、事故後2日間放置されました。しかし、発表された地域の住民は、実に3年間にわたって危険なレベルの放射線の中で暮らしてきたのです。現在も多くの科学者達によって、汚染状況の調査が続いています。(自動車の内部。草原に停まるワゴン車、トレーラーに機材を積んだ車。その草原に入っていく取材車) N ベルナツキ研究所のヒトロフ博士は、事故直後から広い範囲にわたって汚染を調査し、当局に結果を報告してきたと言います。(草原で調査をする男性。車の中にある核種ごとに山ができるようなグラフが表示されるモニターがある。明らかにいくつかの核種で山が出来ている。)(画面変わって、計器やコンピュータを背にして語る男性。)テロップ「ベルナツキ研究所 レフ・ヒトロフ博士」翻訳字幕「原発事故の直後、政府は、原発を中心とする30キロゾーンを汚染地帯として発表しました。我々科学者は、事故直後から周辺地域の汚染状態を測定し、ゾーンから100キロも離れているところにも汚染地帯があることを、既に見つけていたのです。ところが、住民の緊急避難は、半径30キロ地帯でのみ行われていたのです。それ以外の汚染地帯に住んでいた住民達は、危険な放射能汚染の中に取り残されてしまったのです。政府レベルで、これら放置された人々に対する避難計画が決定されたのは、事故から丸4年も経った、今年4月になってからです。明らかに、住民避難は、4年前に、即座に行うべきだったのです。」(画面変わって、ソ連の軍服を着て、荷物を抱えて歩く岡野博士。ヘリコプターに向かって歩いていく)N 汚染がどこまで広がっているのか、我々は、ヘリコプターによる調査を試みることにしました。(ヘリに乗り込む取材陣。離陸するヘリからの映像。)N 放射線の測定を担当する岡野博士が開発した、ビデオカメラを接続した測定器が使われます。上空200メートルでの放射線の強さを測定し、その数値をビデオ画面にに表示します。(岡野博士の姿。ビデオモニターの外見。続いて、岡野博士が開発したシステムを利用した画面に。上部に黒い棒状のものが映る棒の所には5段階の目盛りが付いている。)N チェルノブイリ原発4号炉上空です。テロップ「チェルノブイリ原発 4号炉」N 放射線が上空200メートルにまで届いており、毎時250マイクロレントゲンに達しています。東京で同じ高さで測れば、わずか、1μレントゲンしかありません。)テロップ「プリピャチ市」(画面上のグラフは200μレントゲン近辺)N 原発の北西3キロにあるプリピャチ市の上空に来ました。ここでも、東京のおよそ200倍の強い放射線が測定されました。(画面、別の場所の上空に)N ヘリコプターは、30キロゾーンの北の端に向かいます。一目盛りは、一時間当たり50μレントゲンに当たります。(画面の棒は 2目盛りと3目盛りの間を指す。ヘリの中の岡野博士、ビデオカメラを構える)N 30キロの境界線を越えました。放射線の値は徐々に下がり始めました。ところが、100キロを越えたあたりから、再び値が上がり始めたのです。(画面の棒が、1目盛りから2目盛りに向かって伸びていく)N 原発から150キロ、今も住民が暮らす白ロシア共和国の村々が点在しています。目盛りは、30キロゾーンにも匹敵する値を示しています。(画面の棒は3目盛りから4目盛りに向かって延びる)(画面変わって地図。チェルノブイリ原発。30キロゾーンを示す円。切り替わって同心円とは異なる色分けがされた、より広い地図)N これは、今年の春政府が発表した最も新しい汚染地図です。汚染地帯は30キロゾーンをはるかに越え、600キロ先に及んでいます。(画面に日本列島の外線を描いた地図が重なる)N 同じ縮尺の日本地図を重ねてみると、その広さがよく分かります。灰色の部分は、1平方キロ当たり1キュリー以上の汚染地帯です。1キュリーは、日本では放射線管理区域として、一般人の立ち入りが厳しく制限されています。(画面に灰色 1~5キュリー ピンク 5~15キュリー 黄色 15~40キュリー 赤 40キュリー以上 と表示)N 赤と黄色の部分は、白ロシア共和国の規準では、人間が住むのは危険だとされている地域です。30キロゾーンと同じレベルの汚染が、はるか離れた北の地域にも広がっているのが分かります。この、赤と黄色のエリアだけでも、およそ1万平方キロ、東京都と神奈川県、千葉県をあわせた面積に匹敵します。(画面切り替わって、平原を走る道路。移動中の自動車の中からカメラが撮影している。チェルノブイリ原発から30キロの同心円から離れ、280kmと表示されるチュジャネ村。)N 高濃度汚染地帯で、チェルノブイリ原発から最も離れたチュジャネ村に向かいました。(車内からの遠景。カメラ切り替わって、線量計つきのビデオカメラからの映像に。上の黒棒は2つ目の目盛り付近から、急に上昇する)N 原発からの距離は280キロ。村に入ると、急に汚染は上昇して、原発上空200メートルで計測した数字に迫りました。(平原と住宅のなかで、黒い棒は4目盛りと5目盛りの間に達する。画面切り替わって、通常のカメラによる市街地の映像)N この付近では毎年、春になると局地的な雨が降ります。村の人によると、事故直後にも雨があり、村人は口をそろえて「茶色い雨だった」と語っていました。原発から吐き出された放射能が雨に混じって落ち、このあたりを汚染地帯にしてしまったのです。岡野博士「595、600μ。0.6ミリレントゲンパーアワーっていうのは、ちょっと想像できないような数字ですね。1年間いると、やっぱり、5レントゲンとかね。」スタッフ「自然界の、約何倍ですか?」岡野「自然界の、約100倍」(住民が集まっている。住民の中の中年女性が肌着の中から機械を取り出して見せる。機械には「I.A.E,A.」の文字)N 住民たちの胸に、放射線を測定するためのバッジがつけられていました。一人一人がどれだけ強く放射線を浴びるのか、2月から政府によって調べられています。(現地語で何か話す女性。)スタッフ「これは、どういう風にして使うんですか?」(通訳が翻訳、女性が返事する)翻訳字幕「一日じゅう、ここに着けてるわ。お役人からもらったんだけど これが何だか分からないわ 2ヶ月ごとに医者が取りに来て どこかへ持っていくんです」N 1平方キロあたり40キュリーを超える最高レベルの汚染地帯。40キュリーと言えば、日本の法律が定める一般人の被曝限度量の10倍を超えます。
2013.01.04
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(画面変わる。数枚の紙が一部を重ねた状態で積み重ねられている。紙には何か、黒いものが印刷されている。よく見ると、人の染色体の図らしい、と分かる)N プリピャチの子どもの染色体に、異変が見つかりました。染色体は遺伝をつかさどり、生殖活動に重要な役割を司ります。(テロップ「染色体」)この写真では円の中の染色体の一部がちぎれ、下の染色体にくっついてしまっています。(1番染色体右側が短くなっており、13番染色体の右側がそれと同じ位長くなっている)これは、放射線を浴びたときに起きる、典型的な異常です。(画面、別の染色体。こちらは左側の染色体が長く伸びている。)(家庭の食卓。夫と妻と、子ども2人)N 奥さんと子ども二人に染色体異常が発見された、タチアナさん一家です。夫は原発作業員。事故のとき、一家はプリピャチに住んでいました。次女のレイナちゃんは事故のとき、母親のお腹の中にいました。長女のナターシャさんは、13歳でした。事故から4年経って、2人の染色体に異常が起きていることが始めて分かりました。あの原発事故が自分達の将来にどんな影響を及ぼすのか、一家は、大きな不安におびえています。(壁に貼られているマイケル・ジャクソンのモノクロ写真。ナターシャさんの話翻訳字幕「広島や長崎の人たちには 放射能の影響が出たんでしょ。私も事故のあと甲状腺に異常が出たり 手の骨が少しゆがんでしまったの 私の血液も正常ではないの プリピャチから逃げてきた こどもたちが何人も死んでいくわ今年に入ってから11人のこどもたちが白血病で死んだという話よ。奇形の馬や豚が生まれたというニュースもあるし プリピャチの人間からは丈夫な子は生まれない、と言う人もいます。」 友人アンナ(ナターシャに肩を抱かれて、泣きながら)翻訳字幕「私は赤ちゃんを産めない体になってしまったのかしら。赤ちゃんが産まれたら私よりも健康になって欲しい。」(泣いている)タチアナ(アンナを左腕で抱きしめながら)「このままこの子たちが健康であればいいけど・・・この子はいつも言っていました『私はきっと女の子を2人産むわ そうしたらその子の髪を編んでくれ』って言うんです。それが今は、この子は血液の検査結果が良くないことを知って、赤ちゃんが産めるのか、どんな子どもが生まれるか いつも悩んでいます。(アンナに向かって)きっと大丈夫よ、赤ちゃんを産めるわよ。そうしたらお母さんが約束どおり髪を編んで上げるから・・・」
2013.01.04
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(映像変わる。画面の右下にチェルノブイリとキエフの位置関係を示す図)N 原発から南に100キロ、ソビエト第3の都市、キエフです。30キロゾーンから避難した人々の多くがここに集められました。(キエフの町並み。歩いてくる人々の姿。女性と子どもが多い。プラカードが何枚も見える)ナレーション(以下「N」と表記) 事故から丸4年経った今年、4月26日、キエフの町の一角で、プリピャチから避難してきた人たちのデモが行われました。事故後行われた政府への抗議としては、最も大きなものになりました。(女性と子どもが殆どのデモの列の向こうで話をする二人の男性とその隣にいる二人の子ども。デモの隊列はそれほど緊迫感もなく、一斉にシュプレヒコールを挙げるわけでもない。)デモに参加した女性の訴え字幕「プリピャチの市民は放っておかれたままです」「医者もいないし薬もないわ」 (スピーチを聞く女性達の姿)N 避難するまでの二日間の間、強い放射線に放置された住民の怒りが高まっています。(前列でスピーチを聞く子どもたち。)N 健康に対する影響が、現実になりつつあるからです。(画面変わって、子どもたちが集まっていく建物の映像。)テロップ「キエフ第270小学校」N キエフ第270小学校。(教室の映像、授業する女性教師。何人かの子ども達が手を上げている)N この学校の70%がプリピャチから避難してきた子ども達です。(少女のアップ)N 17人の教師も、プリピャチから来ました。(教師に答える少年) N 最近、体の不調の為に学校を休む生徒が目立ってきました。(いくつもあいている席) N この日も、一クラス40人のうち、8人が欠席していました。(40代前半くらいに見える男性の映像。)テロップ「キエフ第270小学校 ニコライ・カチュル校長」翻訳音声「プリピャチの子ども達は原発事故の後、体がめっきり弱くなり、疲れやすくなりました。例えば、授業時間が長いと、基礎的な体力がないためか、途中で投げ出してしまう子ども達や、体育の時間などは実際に授業を取りやめざるを得ない状態です。結局、今年に入ってから、各科目の授業時間を5分間ずつ短くすることにしました。私は、子どもたちの健康状態が悪化しているのは、明らかだと考えています。さらに、原発事故は子ども達の精神状況にも悪影響を与えています。自分は30歳までには死ぬか、良くても40歳までには死ぬと、悲観して捨てばちになっている子どもも少なくありません。」(画面、学校の廊下と思われるところから、ある部屋に入る子どもたち。)N 放射線の影響は、細胞分裂が活発な子どもに、強く現れます。昼休みになると、保健室に体の不調を訴える生徒が殺到します。(保健室に集まり、口々に話す生徒たち。大人の女性に血圧を測ってもらう少女。)翻訳字幕「あなたは病院の小児科で一度みてもらったほうがいいわ」(節目がちな少女。室内にいる多くの子ども達)N この日1日で30人の生徒が保健室にやってきました。(ノートにびっしり書き込まれた文字。保健室の記録と思われる)N 体のだるさ、貧血、めまい、頭痛、内臓の痛みなどが殆どです。(血圧を測ってもらう少年)取材陣〈日本語で)「体の具合がなにか悪いの?」〈通訳が翻訳する。うなずく少年)翻訳字幕「肝臓と腎臓が悪いんです。プリピャチにいたからなの」(街の中の画面。バスが並んでいる。そこに集まっているおとなとこどもたち)N 今年3月、チェルノブイリ事故で被曝した子どもたちが、キューバに向けてキエフを出発しました。ソビエト政府は、日ごとに増える子どもの患者に国内の医療機関だけで対応しきれず、世界各国に救援の依頼を行いました。その結果、キューバから3万人までの受け入れを認める返事が来たのです。(バスに乗り込む女性と子どもたち。バス車内の様子。観光バスのように通路をはさんで横に計4人座れるタイプのバス。見送りに来て涙ぐむ女性。)この日出発したのは、血液や甲状腺の病気に悩む、(!!この放送、事故から丸4年後の映像!!既に甲状腺の病気が多発してる!!)139人の子どもたちです。その中には30人の白血病の子どもたちも含まれていました。(走り出すバス、見送って、駆け出す女性)海を越えて、はるばるキューバに向かった子どもは、既に400人を超えています。
2013.01.04
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NHKスペシャル(窓の外枠に、侵入防止用の木材を打ち付ける男性。見守る妻と思われる女性)ナレーション(以下「N」と記入)チェルノブイリ原子力発電所から300km離れたヘブリン村です。原発事故で、この村が原発周辺と同じくらい汚染されていたことが分かり、避難命令が出されました。事故から4年も経った、今年4月のことでした。(オーブンと思われるものをトラックの荷台に積み込む男達。)住民女性「生まれ故郷と これでお別れです。もう二度と ここへ帰ることは ないでしょう。残念でたまりません。」(トラックに乗り込み、手を振りながら村を出て行く夫婦)N この村のように、4年も経ってから避難命令が出た人の数は、20万人に上ります。(人の気配がない村を、ずっと映し出す画面)N:色もにおいもしない放射能が、村を消し去りました。(遠くで犬が2声、ワン、ワンと鳴く)(放射線測定器を持つ手が、草の上を歩きながら移動する。足音が聞こえる。「0.4」という声が聞こえる。)N:現在のこの村の放射線の強さは、東京で測定される放射線の100倍を示しています。この村の人たちは、この強い放射線を、4年にわたって浴びてきたのです。チェルノブイリ発電所の上空からの撮影画像。タイトル「汚染地帯に何が起きているか~チェルノブイリ事故から4年」(前方まで平野部に広がる道路 少ない人影)N 原発を中心とした半径30キロゾーンの入り口です。この30キロゾーンでは、事故直後に住民全員に対して退去命令が出ました。今も、厳重に立ち入りが禁止されています。(検問の為に取材車両に寄ってくる兵士達。車の扉を開けて、兵士に説明するスタッフと思われる男性)(走行する車内からの映像 人気が感じられない状態で点在する、平屋建ての家)N 事故直後、おびただしい放射能が降り積もった大地、左右に人影はなく、廃墟が延々と続いています。原発に近づくにつれて、放射線の値が次第に上がっていきます。(バスと思われる車内。)N 放射能汚染をの実態を調査するために、放射能測定の専門家、岡野正治博士が取材班に同行しました。(字幕 元 理化学研究所 岡野正治さん)あわせて、取材班の安全についても助言を仰ぎました。スタッフ?「自然界の何倍くらいの数字なんですか?」岡野「自然界の、まあ東京あたりの100倍っていうところですね。」スタッフ「100倍! 人間は住めないですか」岡野「住めない」スタッフ「住めない・・・・・・」(画面、放射線測定器のアップ。〈残念ながら、画面が粗いために数値が見えない〉 バスの窓の外を映すカメラ。家の跡と思われる瓦礫が道の横に続く。住民が勝手に帰ってきて住まない様に破壊された住宅群と思われる)N 放射能で汚染され、取り壊された建造物の向こうに、事故を起こしたチェルノブイリ原発4号機が姿を現しました。(水を放射しながら走るトラックが画面奥から来て、取材バスの左側を通り過ぎていく)N 走り回るトラックの群れ。降り積もった放射能のほこりが飛び散らないように、地面を薄い幕で覆うコーティング剤などが、毎日撒かれています。(ソ連軍の制服と思われる服一式を帽子まで、全員が着用した取材陣)N 日本の取材陣では初めて、事故を起こした4号炉の中へ入ることが許されました。現場の放射線の数値は今でも、日本の原発労働者の作業基準値をはるかに超えています。(建物の廊下を、白い服上下、白い帽子、マスク着用で歩く人たち)N:岡野博士のアドバイスにより私達は撮影時間を30分以内に限ることにしました。(建物内を放射線測定器を持って計測しながら歩く、白衣にマスク着用の岡野博士)N:炉心に近づくにつれて、次第に測地駅の数値が上がっていきます。(博士が持つ測定器のアップ。この表示では、レンジがどの桁にスイッチされているのか分からないので、値は読み取れない)(その装備のまま廊下を歩く取材班を正面から撮影する映像)(室内の映像)テロップ「4号炉コントロールルーム」N:4号炉のコントロールルームです。放射能が舞い上がらないように、室内は厚いビニールで覆われていました。(「30-55」」や「24-57」のような番号がつけられている計器やスイッチの上がビニールで覆われている映像)(「0.5p」などの文字)通訳の声「これは、事故のすぐ後で、書かれました」N:壁には、危険な消火作業にあたった人たちが書いた、放射線の測定値が残されていました。荒れ狂う原発の暴走を食い止めようと、必死の努力を続けた職員や消防士、31人が倒れ、死んでいったのです。(太いパイプが横に通っている通路。花束を抱えた人がそこを歩いていく)N:我々取材班と一緒に、4号炉への立ち入りを許可された人がいます。ナターシャ・ホディムチクさんです。事故が発生したとき、原発職員だった彼女の夫は、炉心に最も近い場所で働いていました。(カメラ、歩いている女性の前に回り、顔を映す。マスクを口の下まで下げて、左手に持ったハンカチで涙を抑えている。)N:遺体は、燃え盛る4号炉から運び出すことさえ出来ず、5千トンの鉛や砂と共に埋葬されたのです。(女性、祭壇のようになっているモニュメントの前に立つ。)炉心から壁で隔てられたところに、夫を弔う墓標が作られていました。(モニュメントの前にある花瓶に、持ってきた花をさす女性。必死で収束作業をする作業員をモチーフにしたと思われるモニュメント。泣き続ける女性)N ナターシャさんは、事故直後にここから100キロ離れたキエフの町に避難して、残された2人の子どもと共に暮らしています。(モニュメントに「26・4・1986」の文字。チェルノブイリ原発事故発生の日付。カメラ、少し引いた映像で、モニュメントに全身を押し付けるようにする女性を映す)(切り替わって、事故発生直後のチェルノブイリ原発の空撮映像。煙と炎が見える。続いて、撮影したヘリの操縦席を後部座席からの映像。)N 1986年4月26日未明、チェルノブイリ原発4号炉が爆発。史上最悪の原発事故になりました。(4号炉を地上から見た映像。高い煙突。軍事用と思われる車両が何種類も何台も走りまわる)N 真っ赤に焼けた破片が、暗い夜空に舞い上がり、原発のいたるところで火災が発生。(建物からガスマスク装備で駆け出す作業員たち。地上においたホースから水を出して消火作業をしていると思われる映像。水はホースの先で水溜りになっている)N 燃え続ける核燃料は、4000度の高温に達しました。吐き出された放射能は、広島型原爆の500発分にも当たりました。(ガスマスクをした作業員がスコップで爆発の瓦礫と思われるものをすくい、歩いてその先まで捨てに行く)(映像。モスクワ、キエフが入った地図。)チェルノブイリは、モスクワから南に700キロ、世界有数の穀倉地帯にあります。(地図、徐々にアップになり、チェルノブイリ原発の位置を示す。)M 事故直後、原発を中心として半径30キロの広大な範囲が、立ち入り禁止ゾーンとして封鎖されました。(チェルノブイリ原発から半径30キロにグレーの円が描かれる)N 30キロといえば、東京駅を中心に、千葉市、横浜市、埼玉県の大宮市が含まれる広さです。(チェルノブイリ原発4号機を地上から見た映像) N 事故が発生したとき、原発から30キロのゾーンには13万5千人の人々が生活していました。(映像、引いてチェルノブイリ付近の風景を広めに映す。カメラ、さらに引いて、左に振る。林の左に舗装道路があり、道路の左側には街路灯が整然と並ぶ。その奥には近代的なビル群が映る)N チェルノブイリ原発に最も近い、プリピャチ市です。テロップ「プリピャチ市」(ビル群にカメラがパンする。高層住宅の街)N 原発からわずか3キロしか離れていません。チェルノブイリ原発の建設と共に作られた、原発労働者の為の街でした。(人気のない高層ビル群。カメラ奥から手前にバスが一台だけ走ってくる)N 今は住む人も無く、死の街となっています。(ゲートに差し掛かる取材者。前にバス。「2159」と番号が車体後部に書かれている。ゲートの所は路面に水がある。天候から見て、雨のためではなく「除染」の為の水だろう。取材者が通過する際に片手を上げて見送る軍人。特にマスクや防護服は身につけていない。プリピャチの市街地に入る取材車)N かつて、4万8千人の人がこの街に住んでいました。平均年齢27歳。住民の殆どが幼い子どもを持つ若い夫婦でした。(市街地の高層住宅の隣の道路を走る取材車。人の気配は、全く無いまま)(カメラは車を降りて、ある建物の1階に近づいていく。手前側に両開きになる入り口のガラス扉の、右側が手前に向かって開いたままになっている。扉の左側には南京錠が付いているが、開いたままになっている)N 原発事故の日、住民には、事故の十分な情報が伝えられませんでした。その間、強い放射能が町に降り注ぎました。(どうやら、建物の1階は何かの店舗だったらしく、商品の重さを測るための天秤秤が、何も載せられていない状態で残されている)N 突然の避難命令が住民に出たのは、事故から2日目、37時間あとのことでした。(建物内部の映像。様々なものが放置され、老朽化のためか、コンクリートの破片があちこちに落ちている。置き去りにされている女の子の人形がアップになる)N 私達は、事故から2日間のプリピャチの様子を記録したアマチュアカメラマンの映像を入手しました。(アマチュアカメラマンの撮影した映像)テロップ「プリピャチ市 1986年4月26日」(カメラの前を左から右に歩いていく2人の人。奥には人が多数歩き、たくさんの乗用車がある駐車場と、さらに奥には集合住宅と見える5階建てくらいの建物。画面切り替わって、女性と子ども達が屋外を歩いている様子)N 事故当日、4月26日の朝、人々はいつもと同じ生活を始めていました。(パラソルの下で話し込む女性達。ベビーカーに子どもを乗せて歩く母親。半そでのワンピースで歩く女性達。)N 午後、見慣れない車や兵士達の姿が見え始め、街は次第にあわただしくなっていきました。(カーブを曲がり走っていく軍用車両。制服の軍人達が、計測器で「何か」を計測している)N 街を襲った放射能が、フィルムに白い斑点を残して行きます。(ガスマスクとベストを着用して街を歩く軍人達。フィルムには白い斑点がチカチカする。その奥で、上半身を出した軍人が乗った装甲車が走る。マスクをした軍人に話しかける、普通の服装の市民と思われる男性。短く答えて、再び歩き出す軍人。)(画面変わって、公園の砂場、子ども達がボールを蹴って遊んでいる。半そで半ズボンに日本の学校の体育帽のようなものを被っている。)N そんな中で、子どもたちは戸外を走り回り、水遊びに興じていました。(公園で遊ぶ子ども達とそれを見守る大人。画面変わって、プリピャチの高層住宅の向こうをゆっくりと飛ぶヘリコプターが映っている。) N 事故から2日後、ようやく避難が始まりました。(道路に延々と並ぶバスの列)N 集められたバスは1100台。バスの列は20キロにも及びました。(住民の避難風景。全く無防備で集まっている住民。バスの中から身を乗り出し、誰かに話しかけようとしている子ども。)N プリピャチの48000人の住民達は「1週間でも戻れる」という言葉を信じて、着の身着のままで避難しました。(バスに乗り込む住民。バスの中の映像。座席が比較的少ない、路線バスと思われるバス。住民の荷物はまるで通勤か買い物にでっ掛ける程度の少なさ)
2013.01.04
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ツイッターを見ていたら、「土壌の核種分析結果 (セシウム134、137) について」というタイトルのPDFがあることが分かった。このPDFへのたどり着き方は、土壌の核種分析結果へたどり着く道 を参照してほしい。で、たどり着くのがこのPDFだ基本、1平方キロメートルあたり55000メガベクレルがチェルノブイリでの移住規準なので、1平方メートルに直せば55000ベクレルが目安だと思ってほしい。チェルノブイリの場合、移住の規準は空間線量ではなく、土壌汚染で考えられた。このPDFの表から見ても、空間線量と土壌汚染は一致していない。この計測の段階から考えると、現在は1年以上経過しているので半減期2年のセシウム134は4分の3くらいにして計算しても良いかもしれない。しかし、かなり衝撃的な数字だ。福島市や郡山市の多くの地点では、移住の目安よりも1桁上になっている。そして、会津地方もこの数字で見ると、安全な場所は少ないことが分かる。もっと衝撃的なのは、空間線量データの公表も少ない宮城県内の汚染がかなり深刻であること。そして、予想されたことではあるが、北関東の汚染も深刻である。日光市などの場合には、測定地点が面積に比べて少なすぎるので、これだけでは安心できないことも、付け加えておく。これを元にチェルノブイリ規準で、事故後4年後のセシウム汚染量を推計して移住するとすれば、宮城県から北関東まで、強制移住ポイントが広がってしまうことになる。また、この調査では計測されていない岩手県や東京都、神奈川県についても調査して移住の是非を検討する必要が出てくる。それを回避するために、国は年20ミリシーベルトという空間線量だけを規準にしているのだろう。今はもう、そこに生活している人が自主的判断で移住するかどうか、決めるしかない。移住避難者を受け入れる態勢は、国や都道府県の制度こそ減ってしまったが、自治体の移住促進事業や、市民団体の受け入れ補助は続いている。市民団体の組織としては、例えば「311受け入れ全国協議会」がある。福島県だけに限らず、広い範囲からの避難や移住、保養を受け入れる組織が北は北海道から南は福岡までの地域市民団体と、全国組織までを含めての緩やかな連合体になっている。HPは http://www.311ukeire.net/相談窓口メールはsoudan@311ukeire.net気になる人は、一度相談だけでもどうぞ。
2012.12.30
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先日、福島市からベラルーシに行ってきた視察団の様子を記録した番組が福島県内で放送されたと聞く。 私は未見なのだが、視察団は、ベラルーシでの検査の様子を見てきたはずだ。それは、WHO報告書に見合うものだったろうか? ベラルーシ政府や、公式視察団に対応した現地当局者は言ったかもしれない。「小児甲状腺がんが増えただけです」と。それ自体、WHO報告書からは逸脱しているのだ。WHOは因果関係を公式には認めていないのだから。それだけでも現地とWHO報告書は食い違うのだ。 視察団は見てきただろう。ベラルーシでどれだけ警戒がなされ、どれだけの食品検査がなされ、どれだけの健康へのケアが実施されているのかを。それらは全て、不要なはずなのだ。WHO報告書は、リグビタートル以外には誰も死んでいないと言っているのだから。 視察団は聞かされただろう。ベラルーシで、どれだけの予算を使って、原発事故からの影響への対策が行われているのかを。検査機材、検査の為の建物、検査組織、医療施設、医療スタッフがどれだけいるのかを。 視察団は、図面も見ただろう。ベラルーシで、どれだけ詳細な汚染地図を作ったかを。原発事故による放射性ヨウ素は、もうベラルーシにはないはずだ。あるのは主に放射性セシウムだけだ。しかしWHO報告書は、放射性ヨウ素による甲状腺ガン増加の可能性しか認めない。 放射性ヨウ素による健康影響だけが可能性があるのなら、それはもう存在しないのだから、検査など必要ないではないか?セシウムの汚染地図など、全く不要ではないか?ストロンチウムやプルトニウムではなく、セシウムの地図を、なぜ作り続けるのか? 繰り返す。WHO報告書が事実なら、ベラルーシやウクライナは、国家として全く不要のコストをかけ続けている。 国土の一部を使えなくしたり、食べてはいけない作物を決めたりする必要はない。そんなことが必要なリスクはは、存在しないはずなのだから。 考えてほしい。WHO報告書の記載と、ウクライナやベラルーシの政策は、全く一致しない。どちらかが適切ならば、他方は不適切なのだ。では、どちらが不適切なのか?考えてほしい。特にベラルーシは、原発事故対策の為に国家財政が傾いているのだ。 さて、話を日本に戻そう。日本国内では、チェルノブイリ原発事故後、輸入食品の検査をずっと続けてきた。東電福島事故前の輸入規準は、食品1キロ当たりセシウム370ベクレルだった。福島の事故まで、ずっとこの規準を続け、ヨーロッパからの輸入拒否品目が出続けていた。 WHO報告書が事実なら、そんな輸入規準は不必要だった。報告書に関わっていたWHOの関係者は、不適切な輸入規準の撤廃を呼びかけるべきだった。しかし、そんな話を医療関係者が国内でまともに論じたとは、聞いた記憶がない。 さて、昨年起きた東京電力福島原発事故についても、考えてみよう。 WHO報告書が事実ならば、もう、放射性ヨウ素の放出は起きていないのだから、線量を計測しての帰還など不必要だ。セシウムの「除染」など不必要だ。すぐに住民を帰らせれせば良い。 日本は、国家財政のピンチだという。一方「除染」には何兆円もの予算が必要だという。WHO報告が事実なら、そんな経費は必要ない。一刻も早く住民を帰らせれば、東電が支払う賠償金も大幅に減らせる。政府が東電に注入する資金も大幅に減額できる。 勿論、東電福島原発事故は収束していないのだから、万が一悪化した場合を考えて、あまり近くには住民を戻さないほうが良いかもしれない。 が、原発から30キロ以上離れた場所の住民は、即刻全員帰れるはずだ。WHO報告書が、本当に事実ならば。 もう、結論を出しても良いだろう。WHO報告書はでたらめだ。 チェルノブイリ事故の収束作業者は、少なく見積もっても数万人単位で、放射線の影響で死んでいる。放射性ヨウ素がなくなった今も、甲状腺ガンは、大人も含めて多発している。 WHO報告書は認めないが、白血病、そのほかのガン、白血病、白内障など、様々な健康被害は出ている。 だからこそ、ウクライナもベラルーシも、多額の国家予算を使って、住民の健康管理をし、土地の放射線量調査をし、居住制限をしている。必要なコストだからだ。 そして、非常に残念ながら、事実ではないWHO報告書を作成するために、日本の医師、研究者、財団が深く関与した。その代表的存在が、今、福島県にいる。山下俊一氏だ。彼は時折口にする。「WHOがこう言っているのです」と。 違う。言ったのは国際機関ではない。山下俊一氏自身だ。 再再度、確認する。 WHO報告書と、ウクライナやベラルーシの事故対策は、どちらも正しいということはありえない。 WHO報告書が正しければ、20年以上も両国政府は不要な財政投下をし続けていることになる。過大なコストを掛けているのだ。 もし、ウクライナやベラルーシ政府が行っている事故対策が過大でないのなら、WHO報告書が間違っているのだ。 健康被害は、出るのだ。それも、放射性ヨウ素によってではなく、放射性セシウムによって、だ。
2012.12.30
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東京電力福島原子力発電所の事故から満2年が近づいている。福島で、果たして事故由来の健康被害が起き得るのかどうか、いまだ圧倒的多数が納得する結論は出ていない。ここではあえて、筆者の日ごろの主張を脇において考え直してみることにしたい。 東電福島原発事故の先例となりえるのは、旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故だ、という事は、圧倒的多数が同意するだろう。放射性物質の放出規模や拡散範囲や、放出された核種や、事故収束までの時間等、大きな差はあるが、参考にはできるはずだ。 では、チェルノブイリ原発事故では、どれくらいの健康被害が起き、どれだけの死者が出ているのだろうか? 国連の下部組織であるUNSCESAR(国連放射線影響科学委員会)の報告に基づくWHOの検証結果が「権威の高さ」で考えるなら、一番高いことになるだろう。 世界保健機関(WHO)チェルノブイリ事故の健康影響(2006年 4 月) を見てみよう。「134 人の事故処理作業員が急性放射線障害(ARS)と診断。このうち、28 人は 1986 年にARS で死亡。それ以降も他の作業員が死亡したが、必ずしも被ばくによるものではない。」と書かれている。つまり、事故処理作業者のうち放射線の影響で死んだのは28人だけだった。 その後の放射線の影響については、要約するとこんな感じだ。 「事故処理作業員や避難した住民、住み続けた住民あわせて62万6千人について考えると、最大4000人が放射線の影響のガンで死ぬ可能性があるが、この集団のガンによる死者はもともと12万人以上だ」 「もっと広範囲の住民500万人について考えると、事故の影響によるガンの死亡者は最大5000人で、この数字は全体のガン死の中の0.6%に過ぎない。実際には計算に使ったよりも実際の被曝量はもっと低いので、統計上分かる数字までは死者が増えることはない」 つまり、この文書を使って、「チェルノブイリ原発事故の放射線の影響で死んだ人間は28人だけだ」という、日本で使われることがある表現は、UNSCEARやWHOの計算からすると、正確ではないことになる。 が、これら組織が過小評価を嗜めた記憶は、私にはない。むしろ、「チェルノブイリ事故の死者は28人よりも多い」という意見に対して、WHO関係者(例えば山下俊一氏)が異論を唱える場面は見たことはあるが、「28人だ」という言葉に積極的に異を唱えるのを見たことがない。 では、問題にされることが多い「甲状腺ガン」について、WHOはどう言っているだろうか。 報告書では、ロシア・ウクライナ・ベラルーシで、事故当時18歳以下だった人から5000人近くに甲状腺ガンが見つかった、という事は一応認めている。 しかし、WHO報告書では原発事故と子どもの甲状腺ガン増加に因果関係があったとは認めていない。 該当地域でモニタリングを強化した(丁寧に検査を実施した)から増加したように見えた部分もあると強調している。 さらにわざわざ「進行性腫瘍の子どもでも治療はきわめて有効であり、若い患者の予後は全般的に良好である」と記述し、生命の危機に関係するものではないことを強調している。一応、「予後の研究は必要」とか「今後も甲状腺ガン発生率の増加は続く」とは書いてあるが。 WHO報告書では、この項目は「甲状腺がん 」と題されているが、大人の甲状腺ガンについての記載は全くない。書かれていないのだ。大人については甲状腺ガンが「増えた」とも「増えていない」とも記載がない。 「白血病および非甲状腺固形がん」についても、項目が立てられている。 放射線の影響でこれらの疾病が増えることはわかっているからだ。 しかし、WHO報告書では、「WHO の専門家グループによるレビューでは、甲状腺がん以外に、がんリスクの増加が明らかに放射線によるものと示すことのできるエビデンスはなかった。」と書かれている。 これは「事故処理作業者」も含めての話として、書かれている。 さらに続く項目では、白内障と心疾患について書かれている。これらの疾病も放射線被曝の影響として現れることが医学的に分かっているからだ。しかし、白内障に関しては250ミリシーベルトを閾値として述べ、心疾患は高レベル被曝の影響の可能性だけを書いてある。 つまり、WHO報告書によれば、チェルノブイリ事故による健康被害は、事故処理作業者が28人死んだことだけが確定で、他の部分については、そもそも疾病が増加したことに原発事故が影響したかどうかさえ科学的には認められない、という結論なのだ。 また、「生殖毒性や遺伝影響、子どもの健康」に関する影響については、「影響は証明されなかった。」と明言してある。つまり、原発事故の放射性物質放出による影響は、「証明できなかった」というのがWHO報告書の見解なのだ。 しかしWHO報告書が、原発事故との因果関係を認めた疾病が、他に1グループだけある。「精神衛生および心理的影響」だ。その内容は、次の通りだ。 「健康について過剰に心配したり、酒やタバコの過剰摂取あるいは高レベルの放射性セシウムがまだ存在する指定地域で採取したキノコ、ベリー類、獲物を食べるなどの行動がみられた」 セシウムを摂取しても、この範囲なら影響はない、という見解だったのに、なぜキノコやベリー類を食べることが問題なのだろうか?疑問だ? 以上が、WHO公式報告書の見解だ。「チェルノブイリ事故の健康影響および特別ヘルスケア・プログラム」(Health Effects of the Chernobyl Accident and Special Health Care Programmes)という文書にまとめられている。と書かれている。 http://www.who.int/ionizing_radiation/chernobyl/who_chernobyl_report_2006.pdf ここ(P159)にはこういう名も見える。Shibata,Y. Yamashita,S. 前者は長崎大学大学院所属として、後者はWHO所属として記載される。 Shibataとは柴田義貞氏のことだろう。http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/info/twg/dai2/siryou1.pdf のような資料も出てくる、低線量被曝ワーキンググループでも発表をしたようだ。 もう1人は言うまでもなく、山下俊一氏だ。彼はWHO所属としてチェルノブイリに調査に入ったことを、昨年3月18日に福島県の放射線リスク管理アドバイザーになったときにも強調していた。つまりWHO報告書は、山下氏の作品でもあるわけだ。 さて、チェルノブイリ事故に関するWHO報告書について、改めて振り返ってみた。放射線による死者として考えられるのは、事故処理作業者の28名だけ。後は、因果関係不明。ガン死のリスクは増大する可能性があるが、統計上分かるほどは増えない。 発ガンリスクの増大が考えられるのは、小児甲状腺ガンだけ。しかし、小児甲状腺ガンも原発事故との因果関係は確認できず、丁寧に検査したから見つかっただけかも知れない。また、発ガン後も手術すれば予後は良好だ。 では、このWHO報告書が正しいと考えてみよう。すると、どうしても腑に落ちない点が残るのだ。住民の被曝は心配するほど高くない。「リグビタートル」と呼ばれる処理作業者でさえ、28人しか死んでいないことになる。小児甲状腺ガンしか増えていない。 ならばなぜ、今もウクライナやベラルーシは被曝対策に、国家予算の数割を使い続けているのだろうか?事故の影響なのかどうかわからない小児甲状腺ガンの対策のためだけに、国家予算の数割も使う必要がどこにあるのか? 事故後、頻繁に耳目に入ってきた言葉の一つに「リスクとベネフィット(便益)」がある。 事故発生後26年経過した今も尚、国家予算の数割も投入するというコストを必要とするリスクがあるようには、WHO報告書からは、どうしても読み取れない。 WHO報告書のリスクが事実なら、わざわざ原発から半径30キロを即時避難区域にし、その後1990年にさらに見つかったホットスポットから住民を避難させるようなコストを、国がかける必要など存在しないのではないか? 1990年といえば、まだ被災地はソビエト連邦の支配下にあった。居住移転の自由などなかったのだ。これだけしか健康リスクがないのなら、避難させる必要など存在しないではないか? 分裂して生まれたベラルーシやウクライナは、もっと他に予算をかければ良かった筈だ。 まして、このWHO報告書が事実ならば、現地では顕著な健康被害は生まれていないし、住民の心配も事故後20年で収まってしかるべきではないのか? 避難した土地の住民も、0.3μSv/h程度なら年間被曝は5ミリを切るのだから、もう全員帰郷できるはずだ。 しかし、ウクライナは勿論、ベラルーシでさえ住民を全面的には帰していない。 様々な視察団が両国を訪れたが、食品のセシウム検査、体のWBC検査は、今も実施されている。 事故後20年経ってから生まれた子どもにも、検査をするのだ。小児甲状腺ガン以外は増加しないのなら、福島県民健康管理調査で実施しているような甲状腺検査を、福島県よりも検査頻度を増やせば良いだけだ。丁寧にするなら、甲状腺機能に関する血液検査も実施すればよい。それだけで済むはずだ。
2012.12.30
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注目点1 放射線量が高いための廃校ですが、福島県の話ではありません。注目点2 中高一貫の私立高校、つまり富裕層の為の学校です。那須の中高一貫校「無念」 在校生卒業後 廃校へ東京電力福島第一原発事故の影響で、東京都多摩市に全校避難している全寮制の中高一貫男子校「那須高原海城中学・高校」(栃木県那須町)が今後、生徒を募集しないことを決めた。校舎の周辺は放射線量が比較的高く、生徒を集めるのが難しいという。在校生の卒業を見届けて廃校になる。 (石井紀代美) 校舎は、国が汚染状況の重点調査地域に指定する那須町の農村地帯にある。福島第一からは百キロ弱。正門から校舎を見ると、柱や壁に亀裂が入るなど、東日本大震災の爪痕はいまだに生々しい。 先月下旬、正門前の公道でNPOに放射線量を計測してもらったところ、地上一メートルで重点調査の基準値の毎時〇・二三マイクロシーベルトを上回る〇・五マイクロシーベルト台。地表の芝生上では〇・七~〇・八マイクロシーベルトになった。 震災があった昨年三月十一日、生徒らは那須で一夜を過ごした。翌日からバスで兄弟校の海城中学・高校(東京都新宿区)に移動し、保護者に引き渡された。原発事故が深刻化し、校舎に戻る望みが薄れる中、海城中学・高校で五月から授業を再開した。 首都圏の生徒は自宅から通学。遠方の生徒は、学校が借りた私立大学の寮から通った。今年四月には生徒全員が大学の寮に入り、全寮制を復活。東京都多摩市の廃校になった市立中学校の校舎で授業を受けている。 震災後は学校生活が安定していなかったため、今春入学の新入生募集を見送った。本年度も線量低下のめどが立たず、除染をしようにも「近くに(除染が難しい)森があり、どこまですればいいのか分からないという問題があった」と、塩田顕二郎教頭は説明する。 運営法人の海城学園は先月七日の理事会で「この先、入学者を集めて運営を継続するのは困難」と永続的な募集見送りを決めた。 塩田教頭は「生徒は自然豊かな那須に愛着があり、『第二のふるさと』と言っていた。教員を含め、全員が今でも戻りたいと思っている」と、残念がる生徒らの様子を説明。「校舎が壊れただけなら、直せば済むのに…」と自身も残念そうに話す。中学二年生が卒業する二〇一七年三月にも廃校になるという。現在、東電への損害賠償請求の手続きに入っている。 <那須高原海城中学・高校> 学校法人の海城学園が1991年に100周年を迎えたのを機に、東京都新宿区の海城中学・高校の兄弟校として96年に開校した。豊かな自然に囲まれた環境の中で「新しい紳士」の育成を目指している。震災前は首都圏を中心に、東海地方や九州地方からも生徒が入学。在校生は現在、中学2年から高校3年までの98人。
2012.12.08
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国連人権理事会 特別報告者のプレス・ステートメントプレスリリース12-058-J 2012年11月26日アナンド・グローバー氏訪日期間:2012 年11 月15 日~26 日プレス・ステートメント2012 年11 月26 日東京報道関係者の皆様、日本政府は、避難者の方々に対して、一時避難施設あるいは補助金支給住宅施設を用意しています。これはよいのですが、 住民の方々によれば、緊急避難センターは、障がい者向けにバリアフリー環境が整っておらず、また、女性や小さな子どもが利用することに配慮したものでもありませんでした。悲しいことに、原発事故発生後に住民の方々が避難した際、家族が別々にならなければならず、夫と母子、およびお年寄りが離れ離れになってしまう事態につながりました。これが、互いの不調和、不和を招き、離婚に至るケースすらありました。苦しみや、精神面での不安につながったのです。日本政府は、これらの重要な課題を早急に解決しなければなりません。食品の放射線汚染は、長期的な問題です。日本政府が食品安全基準値を1kgあたり500 Bq から100 Bq に引き下げたことは称賛に値します。しかし、各5県ではこれよりも低い水準値を設定しています。さらに、住民はこの基準の導入について不安を募らせています。日本政府は、早急に食品安全の施行を強化すべきです。また、日本政府は、土壌汚染への対応を進めています。長期的目標として汚染レベルが年間20 mSv 未満の地域の放射線レベルは1mSv まで引き下げる、また、年間20~50 mSv の地域については、2013 年末までに年間20 mSv 未満に引き下げる、という具体的政策目標を掲げています。ただ、ここでも残念なのは、現在の放射線レベルが年間20 mSv 未満の地域で年間1mSv まで引き下げるという目標について、具体的なスケジュールが決まっていないという点です。更に、他の地域については、汚染除去レベル目標は、年間1 mSv を大きく上回る数値に設定されています。住民は、安全で健康的な環境で暮らす権利があります。従って、日本政府に対して、他の地域について放射線レベルを年間1mSv に引き下げる、明確なスケジュール、指標、ベンチマークを定めた汚染除去活動計画を導入することを要請いたします。汚染除去の実施に際しては、専用の作業員を雇用し、作業員の手で実施される予定であることを知り、結構なことであると思いました。しかし、一部の汚染除去作業が、住人自身の手で、しかも適切な設備や放射線被ばくに伴う悪影響に関する情報も無く行われているのは残念なことです。また、日本政府は、全ての避難者に対して、経済的支援や補助金を継続または復活させ、避難するのか、それとも自宅に戻るのか、どちらを希望するか、避難者が自分の意志で判断できるようにするべきです。これは、日本政府の計画に対する避難者の信頼構築にもつながります。訪問中、多くの人々が、東京電力は、原発事故の責任に対する説明義務を果たしていないことへの懸念を示しました。日本政府が東京電力株式の大多数を所有していること、これは突き詰めれば、納税者がつけを払わされる可能性があるということでもあります。健康を享受する権利の枠組みにおいては、訴訟にもつながる誤った行為に関わる責任者の説明責任を定めています。従って、日本政府は、東京電力も説明責任があることを明確にし、納税者が最終的な責任を負わされることのないようにしなければなりません。訪問中、被害にあわれた住民の方々、特に、障がい者、若い母親、妊婦、子ども、お年寄りなどの方々から、自分たちに影響がおよぶ決定に対して発言権がない、という言葉を耳にしました。健康を享受する権利の枠組みにおいては、地域に影響がおよぶ決定に際して、そうした影響がおよぶすべての地域が決定プロセスに参加するよう、国に求めています。つまり、今回被害にあわれた人々は、意思決定プロセス、さらには実行、モニタリング、説明責任プロセスにも参加する必要があるということです。こうした参加を通じて、決定事項が全体に伝わるだけではなく、被害にあった地域の政府に対する信頼強化にもつながるのです。これは、効率的に災害からの復興を成し遂げるためにも必要であると思われます。日本政府に対して、被害に合われた人々、特に社会的弱者を、すべての意思決定プロセスに十分に参加してもらうよう要請いたします。こうしたプロセスには、健康管理調査の策定、避難所の設計、汚染除去の実施等に関する参加などが挙げられるでしょう。この点について、「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」が2012 年6 月に制定されたことを歓迎します。この法律は、原子力事故により影響を受けた人々の支援およびケアに関する枠組みを定めたものです。同法はまだ施行されておらず、私は日本政府に対して、同法を早急に施行する方策を講じることを要請いたします。これは日本政府にとって、社会低弱者を含む、被害を受けた地域が十分に参加する形で基本方針や関連規制の枠組みを定める、よい機会になるでしょう。ご清聴ありがとうございました。
2012.11.26
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アナンド・グローバー氏2012 年11 月26 日ご臨席の皆様今回の私のミッションは、対話と協力の精神を胸に、日本がいかに健康を享受する権利を実行しようと努めているか把握し、それを首尾よく実現させるための方策並びに立ちはだかる障害について理解することです。より具体的には、地震、津波、原発事故という三重の災害への対応に伴う課題と方策、そこから得た教訓やグットプラクティスに焦点を当てることなどを通じて、東日本大震災を経た現在の状況における、健康を享受する権利の実現に取り組んできました。ここで本題に入る前に、まず大切なご家族を亡くされた方々に対して、心からお悔やみ申し上げます、そして地震、津波、原発事故の被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。2011 年3 月11 日、東北地方を地震、津波、そして人災による原発事故が次々と襲い、日本は未曾有の原発事故に見舞われました。死者約1 万8000 人、負傷者は数千人に達した この非常事態に対して、積極的にリーダーシップを発揮した日本政府に敬意を表したいと思います。また、政府による東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会および国会による東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(NAIIC)がまとめた報告書などの様々な報告書にも留意しています。この件について活発な議論を歓迎します。原子力発電所で事故が発生した場合の災害管理計画について近隣住民が把握していなかったのは残念なことです。実際、福島県双葉町の住民の方々は、1991 年に締結された安全協定により、東京電力の原子力発電所は安全であり、原発事故が発生するはずなどないと信じてきたのです。独立した立場からの原子力発電所の調査、モニタリングの実施を目指し、原子力規制委員会を設立した日本政府は賞賛に値します。これにより、従来の規制枠組みに見られた「断層」、すなわち、原子力発電所の独立性と効果的なモニタリング体制の欠如ならびに、規制当局の透明性と説明責任の欠如への対応を図ることが可能になります。こうしたプロセスは強く望まれるものであり、国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の報告でも提言されています。従って、原子力規制委員会の委員長や委員は、独立性を保つだけでなく、独立性を保っていると見られることも重要です。この点については、現委員の利害の対立を開示するという方策が定着しています。日本政府に対して、こうした手順を出来るだけ早急に導入することを要請いたします。それにより、精査プロセスの独立性に関する信頼性を構築しやすくなるでしょう。
2012.11.26
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アナンド・グローバー氏のプレス・ステートメント2012 年11 月26 日その1記者の皆様、ご臨席の皆様最初に、日本にお招きいただき、興味深く充実した会合や各地の訪問調査プログラムを円滑に進められるよう手配いただきました日本政府の皆様に、心より感謝申し上げます。今回の訪問中、政府関係者の方々、東京電力株式会社の役員の方々、医療・法律専門家の方々、そして地域や市民社会の代表者の方々にお会いしました。福島県および宮城県で地震、津波および原発事故の被害に見舞われた地域も訪問しましたが、訪問する先々で常に温かく丁重に迎えていただきました。また、政府高官の方々とも率直な意見を交換いたしました。特別報告者としてのミッションが円滑に進むよう、手配いただいた政府・関係省庁の方々のご尽力に感謝しております。この場をお借りいたしまして、貴重なお時間をいただき経験を伝えて下さった皆様全員に感謝申し上げます。達成可能な最高水準の心身の健康を享受する権利(「健康を享受する権利」)に関する国連人権理事会特別報告者としてのミッションを説明した簡単な資料を、この会場に用意しております。端的に申しますと、私は健康を享受する権利の実現に関して国連人権理事会および国連総会に報告・勧告する独立専門家です。国連人権理事会から任命を受けましたが、国連に雇われているわけではなく、名誉職という立場で今回の任務を遂行しています。独立専門家として、私なりの結論と提言をまとめるべく、専門的判断を下します。本日の発表は、予備的考察の一部に限らせていただきます。詳細につきましては、2013 年6 月に国連人権理事会に提示する最終報告で発表いたします。
2012.11.26
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川俣・山木屋住民、条件付き含め65%「帰還」意向 川俣町は25日、計画的避難区域に指定されている山木屋地区住民の意向調査の最終報告を行った。報告では、9月に行った中間報告と同様に、放射線量低下などの条件付きを含めると約65%の住民が「帰還する」との意向を示した。 同日、町内で開いた山木屋地区住民との懇談会で報告。しかし、このうち約半数(全体の31.8%)が「年間1ミリシーベルト以下なら帰還」と除染に対して厳しい条件を付けた。27.3%の住民は「帰還するつもりはない」と回答した。 調査は町と山木屋地区自治会が8月9日から9月7日にかけ、15歳以上の全町民1114人を対象に行い、856人(76.8%)が回答した。(2012年11月26日 福島民友ニュース)さて、この記事をどう思いますか?数字をもてあそび、住民の気持ちを加工して伝えているとしか、私には読めません。現在も継続中の原発事故が発生してから、2回目の冬が来ました。福島市内の除染作業などを通じて、人の力で年間追加被曝1ミリシーベルトを達成するのが困難なことは認めざるをえない状況になってきました。特に、今後3年程度でその数字が達成できるのは、人の生活圏全体を対象にすれば会津地方の一部だけであることが分かってきました。(会津地方でも、山林を調査すればそれなりの線量が計測されることは分かってきました)再度、記事中のポイントになる部分を引用します。放射線量低下などの条件付きを含めると約65%の住民が「帰還する」との意向を示した。 同日、町内で開いた山木屋地区住民との懇談会で報告。しかし、このうち約半数(全体の31.8%)が「年間1ミリシーベルト以下なら帰還」と除染に対して厳しい条件を付けた。27.3%の住民は「帰還するつもりはない」と回答した。つまり、回答者の中の計59.1%、全住民の45.4%が年1ミリシーベルトまで下がらなければ帰還しない、と意思表示したのです。これは、きわめて深刻なことを意味します。今回、地域として避難指定された中で川俣町山木屋地区は、非常に特殊です。中通りで避難指定された地域は田村市都路地区(旧都路村)と川俣町山木屋地区だけです。川俣町は福島県の行政区分で言うと、福島市と同じ県北地区です。東側で全町避難が続く浪江町と西側では一箇所も避難指定されていない福島市と直接隣り合ってもいます田村市都路地区は、避難地域の中では比較的汚染度が低く「避難解除準備区域」に再編されました。しかし、川俣町山木屋地区は汚染が厳しい場所です。そして、有名になった飯舘村と同様に酪農が盛んで、豊かな自然を産業資源としても観光資源としても活用していた地区です。その山木屋地区で、住民の半数以上が帰らない意思を鮮明にしたのです。福島市の隣町に、住民が帰れない地域が残ってしまうのです。この地区できちんと線量が下がり、住民が元の暮らしに戻ることができなければ原発にさらに近い場所では、元の暮らしに戻ることなど無理です。しかし、地元マスコミは上記の記事のように、「住民は帰りたいと願っている」という報道しかできません。福島県当局の機嫌を損ねる「不安をあおる」記事としてメディア上層部が県上層部から「ご指摘を受け」てしまうからです。県の「協力」や広告出稿が無ければ、メディアの財政はたちまち悪化してしまいます。しがらみに縛られているのは、住民だけではありません。メディアもまた、しがらみに縛られています。
2012.11.26
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