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母の鞄の話を書いていて、ふと、子供の頃、往診に来て下さったお医者さんの鞄のことを思い出しました。当時、お医者さんの往診といえば、白衣に大きな茶色の鞄が定番でした。鞄は堅牢な革製でマチ幅があり底はかっちりとした四角、上部はよく覚えていませんががばっと開くタイプの蓋を立派な金具でカシャッと開閉していたと思います。しっかりしたハンドルがついていて、一度お手伝いで鞄を持とうとしたらとても重くて、子供には運べませんでした。先生は往診に来て下さると、おもむろに鞄を開け、慣れた手つきでピカピカの聴診器と額帯鏡、黒い金属ケースに入った血圧計等を取り出すのですが、子供はつい目を奪われ鞄の中までのぞき込んでしまっていました。鞄の内側は大きなスペースと区切りがあって意外とがらんとしていたように思います。今はあんな重たい鞄を使っている方は少ないのでしょうね。今時のお医者さんはナイロンバッグなのかな、中からはタブレットとかが出てくるんでしょうね、と思っていたら一番下に載せていますが救急隊用?バッグが出てきました。確かにタブレットが似合う軽量多機能バッグだと思います。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.06.19
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用事があって大きな繁華街を通り抜けた時、バス停に座って、大きな革のショルダーバッグをごそごそ整理していたご婦人になんだか懐かしいような珍しいような思いがしました。パステルカラーの花柄の洋服に白髪の髪は一目でお年寄りという感じがして大きな荷物が脇に置いてあったので一瞬、何か手を貸すことはあるのかな、と思いましたが、バス停に座っていらっしゃるので大丈夫だなと通り過ぎました。場所柄、若者か会社員がほとんどなのと、緊急事態宣言中街中に高齢者が出なくなったので珍しく感じたのかな、と最初は思いました。でも考えてみると、バスをよく利用した母の面影を見たのかもしれません。母は平日は仕事、休日は用事で忙しかったので、いつも大きな革のバッグを持っていました。自立して何でも自分でしていた人なのでバッグにはいろんな物が入っていてよく、ごそごそ整理をしていました。この方も、お年を召していらっしゃって一見、か弱い感じがするけど、自分がしたいことを問題なくされている感じでしっかりした、強いものや安心を感じました。母がそうだったので懐かしいような気がしたのかもですね。母はしっかりと生きてきたんだな、幸せだったんだな、そう思ってずっと悲しいままだけど、母がいなくてつらいけど、生きていてほしかったと思うけど、どうにかやっていこうと思います。今日は帰り道、久々に百貨店に寄りました。いつも母の服を買っていた年配向けの階にも立ち寄り、ぐるっとお店を廻りました。これ母に似合うかな、買いたかったなと佇んで見た物もいくつかありましたが数年前ほどではなく、さっと見ることができました。
2021.06.17
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しばらく前、誕生日でした。誕生日ってプライベートなものなのでお祝いしてくれる人はしてくれるから自分から今日が、来週が、誕生日だと言うのは控えているのですが(言ったら、優しい人に気を遣わせちゃいますからね)毎年、誰かしら数人からはお花等をいただいたり食事に誘ってもらったりしていたのに今回はなぜかカード1枚すら来ません。毎年、SNS経由でお祝いの言葉を送ってくる遠方の友人達だけからのみでした。こんな誕生日は初めてです。新型コロナの影響で他人の誕生日なんか考えていられない、買い物にいく余裕もない、という事もあるのかもしれないけど電話さえ誰もかけてこないなんて、去年の友人達のお誕生日にはいつも通りにお祝いして喜んでもらっていたのにと不思議な反面、がっかりしました。それから少ししてすごく大変な事が突然あって毎日一人で疲労困憊しながら黙々と用事をこなしていました。するとどこからか♪ハッピーバースデーツーユー♪という開くと曲が流れるカードの電子音が聞こえてきました。音の方向を探すと、それは母が7年位前にデイサービスでもらった母の写真付きのカードで、閉じてあるのにスイッチがおかしくなっているのかハッピーバースデーツーユーと曲がずっと流れ続けているんです。そのカードが一人で鳴りだした事など今まで一度もありません。何度かカードを開閉したり押したりしましたが何かが壊れているのか、曲は止まりません。カードについている電池は小さなボタン電池のはずなので、このままだと数日で切れるだろう、母のカードだから電池切れにしたくはなかったけど止められないのでそのまま鳴らせながら夜遅くまで作業を続けていました。翌日もその翌日もカードは一日中♪ハッピーバースデーツーユー♪と鳴り続け、夜遅く一人で作業している時に寂しさが少し薄れました。メロディカードの電子音ってちょっと滑稽な音ですし、ハッピーバースデーが延々と流れるのも笑っちゃうような状況なのでその時の深刻な状況をリラックスさせるように鳴っていました。なんだか私を励ましているみたいだな、もしかして誕生日に誰もお祝いしてくれなくてがっかりして落ち込んでいたからいつも誕生日のカード送ってくれていた母が繰り返しお祝いしてくれているのかな、なんて、ちょっとこじつけみたいだけどと考えていました。そこまでだったらただの偶然とこじつけだと思うんですが、このカードの音はその後も2週間鳴り続け毎日作業している私を励まし続けてくれたんです。そしていったん止まってちょっと寂しいなと思った数日後にまた突然鳴り、数日鳴り続け、周囲が友達や家族と楽しく過ごしている祝日続きの期間中独りで作業していた私を励ましてくれました。一旦、電池切れになったカードが祝日なのに寂しいだろうからとがんばって鳴ってくれた、そんな感じがしました。カードのボタン電池ってそんなに持つものなんでしょうか?400時間位、鳴り続けていたはずです。カードはデイサービスが利用者向けにまとめて購入しているもので、大手カードメーカー製のものなら小さく印字があるのですが、それはなく、たぶん100円ショップのようなところの海外製なので、電池もメーカー品ではないと思われます。たまたま性能の良い電池だったのでしょうか。考えてみると、ボタン電池のライトをつけっぱなしにしたら2週間位持ちそうですよね。400時間鳴りっぱなしは可能かもしれません。今度実験してみるかもしれません。7年以上たって鳴り続けた、閉じたままなのに突然鳴りだし止まらない、誕生日祝いのメロディだった、母のカードだった、大変な時になり続けた、これらはすべて偶然でしょうが、私を励ましてくれるためのように思えるのでそうかもしれないと思うことにします。お母さん、お誕生日のお祝いありがとう。嬉しかった。これからもお祝いしてね。宜しくね。母は、まったくもう、って顔をするでしょうか、でもきっと、にっこり笑って「ああいいよ。」って言うでしょうね。追記:考えてみると、これも電気系統の不思議な事です。電気系統の不思議な事って起こりやすいと言いますがその一つなのかもしれないし、単に電気系統は不具合が起きやすいだけかもですが(と書いたところで、テーブルの端に立てかけていた母の写真が傾きました。額に入れていない、1枚の写真を書類立てに立てかけていただけなので動きやすい状態ですが、一月ほど前に立てかけていて、初めて傾きました。)もしかしたら、母が偶然じゃないと言ったのかもですね。母がいてくれたら嬉しいです。ライトが光り曲が流れるカード。以前これに似たものを叔父に送ったら喜ばれました。友人、お子さんだけでなく高齢のご親戚にも。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.05.27
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先日菓子折りを配った親戚から思いがけずにお礼の小包が届きました。開けると地元で人気のお店の焼き菓子で最初に思ったのは、わざわざ送っていただいてかえってご迷惑になっちゃったと申し訳ない気持ちでした。すぐお礼の電話をすると、「いつもいろいろしてくれるからたまにはこちらからも送らせて。気にしないで~。」と言ってくれてそのお店はご近所で知り合いなので「姪っ子に送るの」と言って買ってきたと楽しそうに話してくれました。「娘さんにも送ってる?」と聞くと「娘のお姑さんにはよく送るけど、娘にはあんまり送ってない」と言うので「〇ちゃんにも食べさせてあげて~。おばちゃんも自分にも買ってね~。」と言うと、「私はお店から切れ端をよくもらうから大丈夫。娘には送るね。」と笑っていました。この叔母は父の弟の奥さんでまだ70代で元気です。いつも明るいけど、20代の息子さんを不治の病で亡くされています。前向きで立派な、可愛らしい息子さんで将来がない病気だとわかっていましたが当時まだ珍しいPC関連の学校に車椅子で通い就職もしました。冗談も好きで、高校の時には両親に、もし自分が歩けたのなら、バイクで職員室の周辺を走り回り親は連日呼び出しされて、今日は父母のどっちが行くか毎日喧嘩になってたよ、と笑っていたそうです。勿論そんなことはきっとなかった、真面目な子でした。まだ病気になっていない子供時代からの長年の友達も多く同じ病気の子供達と交流もして車椅子で沢山旅行したのだそうです。自分が出来ることはすべて楽しんだそう思うのが一番彼にとって幸せかもしれません。それから、こうやって思い出すことも彼にとって嬉しい事かもしれません。おしゃべりの中で私が3歳の時に亡くなった父方の祖母の話が出てきました。可愛がってもらったのは知っているものの記憶が少ししかないので知っている人に聞いておこうと思ったのです。叔母が嫁いできて半年で亡くなっているので叔母もそんなに知らないそうですが、優しくてにこにこしていて皆に何かをあげるのが好きで、良い人だったそうでそれを聞いてほっとしました。なぜかというと、その祖母は小さな町のちょっと大きな家の生まれで外の人からは年をとっても〇〇姫と呼ばれていて時代劇とかで聞くけど、まさかの身近な実話?というでも大したことではない話がいろいろとあります。それで、気位が高いわがままな人だったのかなとちょっと心配してました。叔母から頂いた焼き菓子は母にもお供えして冷蔵保存しながら楽しくいただこうと思います。お返しのお返しに考え中の野菜と豆がたっぷり入ったレトルトスープ。お豆は柔らかく煮込むのに時間がかかるのでレトルトの買い置きがあると何かと便利。右と左はメーカーが違います。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.05.10
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歩いていたら、少し先のコンビニ前に母がしていたのと同じような体勢で佇む背中が少し曲がった高齢のご婦人がいらっしゃいました。片手で杖を持っているのですが反対側の手を少し曲げた膝の上に置いて膝も支え代わりにしていてちょっとふらっとしたら倒れてしまいそうな感じです。立っているのはコンビニの入り口と歩道の間のちょっと傾斜になった部分でコンビニに出入りするため人が頻繁に横を通っていますが、ご婦人は何をするというわけでもなくコンビニの中をガラス戸越しに見たりしながらその場にずっといます。大丈夫かな。何か手助けがいるかなとすれ違いながら確認すると、紺色のカーディガンジャケットとセミタイトスカートに斜めがけの革のショルダーバッグをかけたセンスの良い服装の方でバッグのふたを開けて何か確認されているので身の回りの事がちゃんとできる方かな、とそのまま通りすぎました。でもちょっと気になって少し離れたところで振り返ると、コンビニから紺のスーツ姿の40代位の男性が出てきてご婦人がさっとその方の腕につかまり、二人並んでゆっくりと、歩きだしたのでほっとして、暖かい気持ちになりました。母にも私が買い物をする間待っていてもらったことがよくあったのを思い出しました。母がまだ一人で歩けるときはこのご婦人のように自分でここにいるからと言って立ったまま外で待っている事も多かった。「大丈夫だった?待った?」と聞くと「ううん。」「良い物あった?」と優しい母でした。何気ない日常でしたし当時は仕事で疲れていて日々の事で手一杯だったけどとても幸せだったなと思います。母に心配かけないように元気でやっていかなくちゃと思います。綺麗な柄だけど悪目立ちしない上品な杖。折り畳みできて、素敵なポーチもついてきて持ち運びにも収納にも便利。旅行の時、折りたたんで収納できて重宝しました。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.05.05
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母を亡くしてとてもつらい中偶然にしては不思議な事がいろいろあります。その半数以上は、唯の偶然かもしれませんが中には考えれば考えるほど不思議としか言えない事がいくつかあります。そういう事って、他の人にもあるようで、時計が止まる話は割とよくあるようです。それから有名な方達も不思議な話を書かれていて、黒柳徹子さんも著書の中で、戦争中お父様が南方にいて連絡が取れなかった時お母様の夢に現れ、足を怪我しているが大丈夫だと伝えるので日付をメモしておくと実際その日に骨折していたという体験を書かれています。また、徹子さんは学生時代、街かどの占い師に「あなたは全国津々浦々まで知られるようになる」と言われたそうです。NHK朝ドラ『カーネーション』のデザイナーの小篠綾子さんも、お父様が旅行先で亡くなる前に、近所の知り合いのお店に現れ会話をされていったとの事でした。私たちの知識で説明できないことがあるのだから母もどこかで幸せにいてくれるのかもしれないそう思ってどうにかやっていっています。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.04.18
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テレビ朝日の『グッド!モーニング』で見た話です。宮城県塩釜市の漁港で、釣りをしていた男性2人が港内を泳いでいる狸を発見したそうです。狸は一見悠々と泳いでいるように見えましたが、岸壁に囲まれて陸に上がれる場所がないので持っていた丸い輪の網(タモと言うそうです。タモはアイヌ語で網という意味だそうです。)で掬って助けようとしました。ところが網が小さくてなかなか掬えません。試行錯誤して狸の前から網をかぶせようとしたら輪っかの針金を狸がしっかり咥えたんです。そのまま持ち上げて、上手く引き上げた、と思ったとたんまた海に落ちてしまい、慌ててもう一度網を近づけると狸のほうもよくわかっていて最初は輪っかを掴もうとするのですが掴めず、すぐに思い出したのか再度咥えてくれ今度は落ちない位置まで引っ張りあげる事ができました。野生動物はむやみに近づいたり触ったりしてはいけませんがこのお二人(若い方のようでした)はちゃんと距離を取りつつ助けていました。最初少しぐったりし、ふらふらしているようだった狸ですが、身震いして水気を落として走り去ろうとした瞬間、立ち止まって振り返り、助けてくれた二人を一瞬見つめてからすぐに奥の草むらに消えていきました。以前、柵に挟まったり凍った湖で立ち往生している鹿を助けるニュース映像を見たことがありますが野生動物は一目散に林の中に走り去って行きます。助けてくれた人を振り返って見るって狸は感情が豊かなのか、頭がいいのかもしれませんね。頭がいいから、昔話に何度も登場しているのかもしれません。狸でも善意がわかって、感謝するんだと嬉しくなりました。助けてあげた人に狸の恩返しがあるといいですね。そして助かった狸が幸せに暮らしますように。ふくろう(不苦労)とかえる(帰る)を連れたてんこ盛りのたぬき。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.04.08
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ヤフーニュースで見たのですが、タイの貧しい漁師さんが夢で長い白い髭の老人に浜辺に行きなさい、そうすれば贈り物を受け取れると言われたそうです。数日後、浜で仕事中に網にかかったブイを飾るために家に持ち帰ったところブイについていたメロメロという牡蠣の中にとても希少な大粒のメロ真珠が入っていたそうです。元記事はニューヨークポストでも取り上げられたようなので多分本当の話だと思います。こういう話、おとぎ話にもよくありますが、現代でも時々聞くから、不思議な事って本当にあるんでしょうね。そうなら、母だってどこかにいるかもしれないし私が体験した不思議な事も気のせいとか偶然じゃなくて、母がいるよって言ってくれてる可能性があるので心が落ち着けます。追記:ここまでだったらめでたしめでたしだったのに一月もしないうちにとんでもない展開になっているようで、何とこの漁師さん、警察が捜査に入って家のあちこちに大量の大麻を発見したのだとか。漁師さんは自分のものではないと言っているそうですが…。可能性としては1.漁師さんは大麻を常習していたのでお告げの夢は大麻の影響だった。または、お告げの夢の実体はなく漁師さんの妄想だった。2.漁師さんは貧しかったので大麻ビジネスの末端に関わっていた。お告げの夢自体は本当にあった。3.高価な真珠を手にした漁師さんを妬んだ何者かまたは真珠を狙う何者かがタイ警察とグルになって貧しく無力な漁師さんを陥れた。どれにしても困った話になってしまいましたが3でないことを祈ります。これは白蝶真珠ですがメロパールはオレンジ色で一粒3500万円で購入希望者がいるそうです。でも天然でとても希少なのでもっと価値があると思う人が出てくるかも。画像は本物でもお手軽価格のサイズが多少変わっても痛くなくつけやすいレビューの良い指輪。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.02.07
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たまたまつけたテレビで親を亡くした子供のためのグリーフケアのドキュメンタリー番組を観ました。デンマークの2020年制作番組ですが、アメリカでのグリーフケアのドキュメンタリーのようでした。グリーフケアってすごく難しいもので専門の経験や知識を持たない素人が気軽にそういう場を作ってしまうと誰かを傷つけてしまうような軽はずみな言動が起こりかねず取り返しのつかない事になってしまいます。アメリカ等はこういった分野が進んでいるようで番組を観る限り、肩に力が入らずにしかし膨大な経験と専門知識を基にしたであろう優しいサポートがされていました。アメリカにはいろんな文化や風習があるので弔いの方法もそれぞれのようですが、日本で言うならお通夜とか初七日のような時に、故人と親しかった人達が残された子供達に思いやりの言葉故人を偲び称える言葉励ましの言葉をノートに書き残すのが紹介されていてそれがとても良いなと思いました。そのノートをもらった子供達も悲しい時に読むととても慰められると言っていました。故人を偲ぶ優しい言葉、子供達を思いやる暖かい言葉、日本でそれを口に出したり書ける人は意外と少ないように思います。経験した人は多いようですが、大切な人を亡くした時に素っ気ない対応をとられたり感謝の言葉もお悔やみの言葉もなかったり、故人のことを誉めるどころかとんでもない言動に出る情けない人も少なからずいるのが現状です。心からの優しい言動が表せ受けた側は感謝の意を表せるようになるのが社会の課題ではないでしょうか。私は母を亡くしてとてもつらい気持ちが続いているのですが、とても小さな5~8歳位の子供達が父母を亡くしているのを見て私は大人なんだからしっかりできるはずだししっかりしなくてはと思いました。でも妙にその子供達の気持ちがわかるような気がして考えてみたら、私はその子たちよりもっと小さい時に父を亡くしているんですね。そうか、私、小さい時にもつらかったんだ、それを母が自分の事は構わずに大事に育ててくれその母を亡くしたから猶更つらいんだな、簡単な話じゃないから少しづつ進めばいいんだなって思いました。番組でも、子供達には優しい眼差しの親族がいました。父母を亡くした小さな男の子はまだ若い叔父が面倒を見ていました。たぶん、グリーフケアに通える状況の子供は少なくともサポートに恵まれた環境にいるのだと思うので、世の中にはサポートもない子供達のほうが多いのかもしれません。それを忘れないで何か自分にできることがあったらしようと思いました。考えてみれば新品のおもちゃを団体が受け付けている時に持って行ったりとかはしているので、別の事も機会がある時には行動しようと思います。検索してみたらこんな商品がありました。私はお酒は飲まないけどこういうのが理解できる友人知人への手土産とかにいいかなと思いました。このお店はちゃんとしたところですが、こういった商品はたまに詐欺の事もあるので関連HPや口コミで内容確認してからの購入や寄付をお勧めします。1本売れるごとに100円を寄付! コツコツ積み立て、子供たちへ還元しています!! 奄美大島酒造 TSUBASU(つばす)黒糖焼酎 500ml価格:1152円(税込、送料別) (2021/2/3時点)楽天で購入画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.02.03
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先日、大手ドラッグストアの2階から戻る時、マスクとかごで足元が見えなくて階段を一段ふみはずし足首をひねって床に倒れてしまいました。すぐ立ち上がろうとしたのですが、足首が変なねじれ方をしていてすぐ動かせず、体を少しづつ起こしながら1~2分、床に倒れこんでいました。階段を踏み外して床にぶつかった時、私の目の前にはお客さんが2人ほどいて私が倒れた時にこちらを見たのにすぐに目線をそらして30歳位の女性は、私の1m先で顔を上げて同じ商品をずっと見つめたまま無視、やはり30歳位の男性は倒れている私の脇をすり抜けて階段を上っていきました。起き上がろうとしている中、1~2分も経って店員さんがごそごそ相談して「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。「足をねじったみたいで痛いのと、すぐ立ち上がるのがちょっと怖くて。」と言うと「椅子を持ってきましょうか」と言ってくれたので「ありがたいです。すみません。」と、椅子につかまって立ち上がり少し座って足が動くか確認しました。ありがたいことに少し足をくじいた位で歩けたので、買い物かごの中の物を買い、お礼をいってお店を後にしました。マスクで足元が見えないってあるんですね。段差には気を付けないとって思いました。それにしても、目の前で人が転んで起き上がろうともがいている時に、店員さんもすぐ飛んでこないし、万が一でも階段に異常があるかという確認もないし、(お店の階段のせいで転んだというクレームでなく、例えば私が転んだ衝撃で、階段の滑り止めを壊したとか飲料水をこぼして次のお客さんが来た時に滑りやすくなっているとかそういう危険もあるから、お客さんが転んだら目視での安全確認は基本だと思うんです。)椅子を持ってきてくれた店員さんは親切でしたが、その上司みたいな女性は一言も声をかけてきません。そして、お客さんも、1m以内の距離なのに無視しているのには驚きました。私は通りがかりでもすぐに、様子を確認して必要な手当てやサポートをしているので目の前で一旦こちらを見ながら無視してでも興味はあるんでしょうね、商品を見るふりして一点を見つめたままその場に居続けるとか転んだ人を無視して横を通って行くという人の感覚がわかりません。いろんな人、変な人がいるんだな、と思いました。下手に関わって損したくない、っていう人も世の中には結構いるみたいなのでそういう人達だったのでしょうね。こんな人達とは関わりたくない厄落とし、って思いました。変な人の話だけだと気分が悪いので親切な方の話も書いておきます。その前日、普段通らない横断歩道で信号が青になるのを待っていると、年配の女性が「押しボタン押しました?」と聞くので「いいえ」と言うと「押さないと青にならないんですよ」と言って押してくれました。すると信号がすぐ青になり、私はその女性にお礼を言いながら、どうぞお先にと先に渡ってもらおうとすると、なんとその女性、ただの通りすがりで、信号を渡る予定ではなかったんです。それなのに青になるまでちょっと待っててくれました。お礼を言いつつ、優しさで暖かい気持ちで家路につきました。追記です。その二日後、歩いていたら、気づかないうちにマフラーがほどけて路上に落ちたみたいで、すれ違った男性が、声をかけてくれました。ご親切をありがとうございます。親切な方、沢山いらっしゃいます。追記:マスクで見えにくいせいか階段をふみはずす事故は多いようで、私が聞いただけでも他に2人います。一人は救急搬送で打ち身だけですみましたが、一人は複雑骨折されました。どうぞ皆さんお気をつけて。雪や雨で滑りにくいセラミック加工で、蒸れずに水分は通さないゴアテックを使った知る人ぞ知る靴メーカー。ブーツからカジュアルシューズ、ビジネスシューズ、男女用といろいろあります。私も母用に履きやすい大き目サイズを買ってこれがあれば雪でも安心とほっとしました。画像をクリックすると詳細が見られます。
2021.01.15
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黒柳徹子さんが、学生の頃たまたま見てもらった占い師さんがとても当たっていたという話をされていました。私は今まで5~6回、占い師さんに見てもらったことがあります。行列に並んで見てもらった有名な方もいたしイベントの出し物で見てもらった方もいます。私の悩みはいつも仕事の事だったと思いますがおかしな事に皆さん口を揃えて仕事の事も他の事も上手くいくので心配しなくていいと言います。でも、実際は上手くいかない事が多くて今も大変な状況にあります。大抵は具体的な事を言われずに上手くいくから心配しなくていいと言われるだけでしたが、一人だけ、聞いてもいない具体的な事を言う人がいました。会社の同僚と日帰り旅行をした時、占いイベントをやっていて、同僚が興味を示し私もついでに占ってもらった時の事です。そのイベントには自称占い師みたいな人が沢山ブースを設けていて中には子供が仮装で着けるようなワイヤーに薄地を張った羽をつけている人もちらちらいて全体的になんだかなあって感じの雰囲気でした。同僚はぐるっと見渡してごく普通の人に見える女性占い師を選びました。なぜその人を選んだのか、後で聞くと特に理由はなかった、との事でした。どの人に見てもらったところで大した違いはないだろうと思った私は同僚の後に、その占い師に見てもらう事にしました。タロット占いだったと思います。同僚が一緒に聞いてほしいと言うので占い師の話を聞いていると、1.同僚は指輪をもらうだろう。2.でもその人は同僚の運命の人ではない。3.恋愛について悩みが出てくる。等と話し始めました。同僚は全部当たっている!あなた(私)のはどうたった?と興奮していましたが私は全然当たってないし当たる可能性もないとその時は思っていました。私に関しては1.半年以内に姉妹に近い人や親族が何人も訪ねてくる。2.近々地元に戻る事になるだろう。と言われました。当時私は遠方に住んでいて定期的に帰省していたのでわざわざ来る人はいなかったし、地元に戻るつもりは全くなかったのですがその後、従妹と友人2人が立て続けに遊びに来ることになり、それから1年位で、地元近くに転職する事になりました。あの占い師はすごかったわけなんですが、当たったからどうなった、と言うわけでもないのでどうということのない占いだと思っていました。でも今考えると、従妹や友人達と楽しく過ごせたし地元近くに戻った事で母と過ごすことができたので幸せな占い結果だったのかもしれません。仕事の事はすべてうまくいくから心配しなくていいという占い結果も当たるといいんですけどね。そうそう、もう一つ面白い話があります。詳細は省きますが、親しい友人の手相に急に現れた線が大金が入る線で実際その人は仕事で大成功してお金持ちになりました。その線、私にもここ数年入ってるんですけど今の所特にどうということはありません。タロットカード 78枚 ライダー版 タロット占い 【 ユニバーサル ウェイト タロット Universal Waite Tarot Deck】日本語解説書付き [正規品] 送料無料価格:2980円(税込、送料無料) (2020/11/29時点)楽天で購入画像をクリックすると詳細が見られます。
2020.11.30
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歩いていたらすぐ前に犬を連れている人がいました。飼い主は携帯で話をしながら雑な感じでリードを引いて自分のペースで歩いています。ワンちゃんは可愛らしい小型犬で飼い主のペースに合わせてちょこちょこと隣をついて歩き時々飼い主の顔を見上げます。飼い主は電話に夢中で、犬には見向きもしないのに、ちょこちょこ歩いては見上げ、また歩いては見上げしてとってもけなげです。ワンちゃんにとっては唯一無二のご主人なんでしょうね。小さな子供がお母さんを見上げる感じに似ていました。私も小さい時、父母や祖父母を見上げてたのを思い出しました。子供は3歳までに一生分の孝行をしてるから心配しなくていいんだよ、って以前聞いた事があります。う~ん、ちょっと位はできたんでしょうね。もっともっとできたら良かったけど。でも、自分を責めだすときりがないのであんまり考えないようにします。
2020.10.28
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ふと絵描き歌の『かわいいコックさん』を思い出しウィキペディアで調べて見たらオリジナル歌詞について書かれていました。棒が一本あったとさはっぱかなはっぱじゃないよ かえるだよかえるじゃないよ あひるだよ六月六日に 雨 ざあざあふってきて(オリジナルは 六月六日のさんかんび)三角じょうぎに ひびいってあんぱんふたつ 豆三つコッペぱんふたつ くださいなあっというまに かわいいコックさん民族音楽学者で東京芸術大学の教員だった小泉文夫氏が楽理科の学生らとともに採集した東京のわらべ歌楽曲の一つで作詞・作曲者は不詳。もともとは「六月六日のさんかんび」だったそうですが「さんかんび」の意味が子供にはわかりにくいという事で「六月六日に 雨 ざあざあふってきて」にNHKの番組が変えたそうです。私はこの歌を習った当初「六月六日のさんかんび」と歌っていたのですが、「六月六日に 雨 ざあざあふってきて」と絵を描きながら歌ったのも覚えています。歌いながら絵を描いていたら母が「さんかんびじゃない?」と聞いてきたことがあります。それで、コックさんの手になる6の部分の後に3本の縦線を描きながら「ここが雨ざあざあになるの」と説明しました。でも母は解せないようで、祖母に「ここはさんかんびだったはずだけど」と聞いていました。もしかすると祖母も母も私ももともとわらべ歌として「六月六日のさんかんび」に親しんでおり、幼児番組等を見ていた私だけが「六月六日に 雨 ざあざあふってきて」を覚えたのかもしれません。この違いを考えてみたらさんかんびって何だろうって気になりました。さんかんびと言ったら普通は参観日、参観日と言ったら、授業参観日、でもなぜ6月6日なのでしょう。もしかして、さんかんびは別の意味がある?参観日だとしても、授業参観日ではなくて他に何か参観するものがあるとか?そう思って検索してみましたが、簡単な検索程度ではさんかんび=授業参観日以外は探せませんでした。そして6月6日に授業参観を行う学校がいくつかある事がわかり、やはり参観日とは授業参観日を意味するようです。思い出してみると当時は授業参観日って、確かに年1回で新学期が始まってしばらくした頃父の日のあたりにあって、普段授業を見る機会がないお父さん達が見学しに来ていました。その頃は運動会など季節の行事は体育の日等に前もって決まっていたので授業参観日もわかりやすい父の日のあたりに決めていたのかもしれませんね。ちなみに、絵描き歌の「六月六日のさんかんび」は「6月・6日」で両手の部分を描き「さん・かん・び」で三本の縦線を引いて胴を描きます。「さんかんび」のさんが三本線を表しているわけです。「あめざあざあ降ってきて」の場合は「あめ・ざあ・ざあ」で三本線を引きますが、「さんかんび」の方が3と言い6月6日と3が数字でリンクして言葉遊びになっています。検索している時に、「六月六日のさんかんびなんて歌詞はない」「聞いた事もない」「絵描き歌でさんかんびとは描けないからさんかんびのわけはない」なんていう意見がちらちら出てきました。どれも強気で堂々と言いきっているのでそうなのかなってつい信じそうになります。改めて、ネットの意見って気をつけなくちゃいけないな自分で調べて(今回のように単に検索するだけじゃなくて)考えなくちゃいけないなって思いました。私は機会があった時に、当時の授業参観が6月6日と関係があったかどうか確認してみたいと思っています。そして、確認できるまでは「さんかんび」が授業参観日でない可能性も残しておきたいと思います。画像をクリックすると詳細が見られます。
2020.09.30
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ふと、絵描き歌の『かわいいコックさん』を思い出したので書いておきます。棒が一本あったとさはっぱかなはっぱじゃないよ かえるだよかえるじゃないよ あひるだよ六月六日に 雨 ざあざあふってきて(オリジナルは 六月六日のさんかんび)三角じょうぎに ひびいってあんぱんふたつ 豆三つコッペぱんふたつ くださいなあっというまに かわいいコックさんウィキペディアによると民族音楽学者で東京芸術大学の教員だった小泉文夫氏が楽理科の学生らとともに採集した東京のわらべ歌楽曲の一つで作詞・作曲者は不詳。1964年から1965年にかけてNHKの『うたのえほん』で歌われたことにより広く全国に知られるようになったそうです。オリジナルは、「六月六日のさんかんび」だったそうですが「さんかんび」の意味が子供にはわかりにくいという事で「六月六日に 雨 ざあざあふってきて」にNHKの番組が変えたそうです。この「さんかんび」についてさんかんびって?と思ったのでそれについては別に書きます。私が小さい頃、子供番組や幼児向け雑誌等で盛んに紹介され、とても流行っていました。それまで絵描き歌はありましたが、可愛い絵柄だということとコッペパンとかあんぱんとか子供が楽しくなる絵描き歌ということで広がったのだと思います。明るい廊下で絵を描きながら歌っていたら、祖母が、自分の小さい時にもあったと、多分、『つるさんはまるまるむし』を描いてくれました。久しぶりで描いたから忘れてるとか言いながら2~3回、懐かしそうに描いていました。私は『へのへのもへじ』は知っていたものの、『つるさんはまるまるむし』というのは初めて見てなじみがありませんでした。それに『つるさんはまるまるむし』は絵柄がちょっと複雑で幼児にはあまり魅力的に見えず、『へのへのもへじ』のほうを描いたと思いますが確か、祖母は『つるさんはまるまるむし』のほうが『へのへのもへじ』より丁寧だから好き、みたいな話をしたと思います。当時は意味が全くわかりませんでしたが、今考えてみると『へのへのもへじ』は雑な感じで『つるさんはまるまるむし』は凝った大人しい絵です。でも子供の私にはお年寄りの顔の『つるさんはまるまるむし』はいいと思えず、1~2回描いたけど「かわいいコックさんのほうがいい」って言ったような気がします。あの時、懐かしそうに描いていたお祖母ちゃんにもっと寄り添えた会話ができたらなあって今思うけど、幼児だったからそこはしかたがありません。でも、普段は無駄な事を一切しない生真面目な祖母が一緒に絵描き歌を描いてくれて、忙しいのにいつも相手をしてくれてたなありがたいな、幸せだったなって思います。そして思い出の中で、おばあちゃんとしか知らない祖母の楽しい少女時代が時々顔を出すので嬉しいです。【楽天スーパーSALE 30%OFF】【最大P31倍】和柄 クールドライ 冷感 Tシャツ「#へのへのもへじ」文字絵 新法狂字図句画 落書き 半袖 tシャツ 送料無料 メンズ レディース 大きいサイズ 手染 京都 最大5L楽天で購入画像をクリックすると詳細が見られます。
2020.09.10
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「日本人のおなまえっ」という番組で杉・松・樫のつく苗字について解説していました。杉山さん とか 松本さん って沢山の方が持っている苗字ですよね。その理由は、杉や松や山が沢山あるから住んでいる場所から自然にそう名付けられたんだと単純に思っていましたが、とてもとても深い意味があるのだとわかりました。たとえば杉の木は真っ直ぐ生えるので真っ直ぐ割って歪みのない木材がとれ、水漏れのしない桶等を作る事ができたそうです。それによって今まで使っていた重たい水瓶が軽い杉の木で作った桶で運びやすくなり社会の発展に貢献したのだそうです。松は切り口からでる油を多く含んだ松脂が長く明るく燃えるので、灯りとして重宝され松もまた、日本の社会の発展を支えた木だという事です。軽くて真っ直ぐに割りやすい杉とは全く反対の性質を持っているのが樫で、非常に堅牢なその性質を利用して丈夫な農耕具の持ち手が作られたために日本の農業が発展したという話でした。一見同じように見える木と一言で言ってもそれぞれ個性があって軽いからいい、固いからいいそういう単純な話ではなくて、特徴を生かすことで大きな進歩につながるんだなと気づかされました。それって他の物も、人も、同じですよね。ぼやっと見てるだけじゃ、ただの木。でも、ちゃんと個性を見て、それに合った生かし方をすればいいけど、結局見る側にその器量がなければぼやっと見てるだけ、軽いからダメ、固いからダメ、で文句だけ、になるわけなんですね。あれもダメ、これもダメって安直に思わずに生かすという事を考えてみようと自分の事もふくめて、思いました。右はアルファベットの読み付なので海外の方へのお土産にも苗字をデザインした封筒。左は鈴木さん、右は高橋さん左は吉田さん、右は渡辺さん他にもいろいろありますが、漢字の意味が反映されているデザインとそうでないものがあり自分の好みと合うかは見てのお楽しみ。画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2020.02.10
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金スマスペシャルで長渕剛さんが若年性認知症になられたお母様の事を話されていました。末期がんの大手術が成功されたお母様ですが強い抗がん剤を使用した事によって50代で若年性認知症になられ進行するにつれ何もわからなくなったという事でした。でも、長渕さんを見ると「お前は幸せになって良かったね」と口癖のようにおっしゃられ、いつも微笑んでいたそうです。そして、意識不明の重体になった時、遠方から長渕さんが到着されて「もう頑張らなくていい」と伝えてすぐ亡くなられたそうです。重度の認知症の方も、意識不明の方も何もわからないのではなくて、そう見えているだけで理解していても表に出せないだけという事は多いのかもしれないと思いました。長渕さんのお母様は、ご長男を赤ちゃんの時に亡くされたそうで神様が剛さんを生まれ変わりとしてよこしてくださったと信じていらっしゃると剛さんへの手紙に書かれていました。息子さんを亡くした悲しみは何十年たっても続き、そのお子さんの分まで剛さんが幸せになっている事をとても嬉しくありがたく思っていらっしゃったのでしょう。剛さんはご両親の事や仕事の事、健康の事、家庭の事、色々な事の真っただ中にいるから一言で「お前は幸せになれて良かったね」と言われてもものすごく大変で苦しんでいるのに、という事ばかり先にたって、ピンとこないのかもしれないけれど「お前は幸せになれて良かったね」という一言に親の究極の幸せと願いが現れているように思いました。お母様は何もわからなかったわけではなかったのだと思います。いつも微笑んでいられたというのも心が穏やかで幸せだったのでしょうし、微笑みを長渕さんに与えてくれていたんだと思います。お母様の引き出しに剛さんとやり取りした手紙を写したノートが沢山入っていたそうです。認知症になられた後で、もしかしたら忘れないようにという努力だったのかもしれないし、何とも持って行ようののない気持ちを手紙を写す事で落ち着かせていられたのかもしれませんが、手紙をノートに写すという几帳面な努力をされていた一人の女性がそこにいらっしゃったんだなと思いました。認知症になった方というのではなく、長い闘病の末亡くなったかたというのではなく、お子さんを思い、幸せを願い、一生懸命生きていた几帳面で心優しい真面目な女性を番組を通して知りました。番組の終わりの方で、長渕さんが震災に遭われた子供達に「幸せは自分で掴むんだ。幸せは転がってはいない。幸せを分けてくれる人なんていない。自分で掴め。」と言って、子供達が理解していたようだったのが心に残りました。画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2020.01.25
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アナザスカイにヒロシさんが出ていました。「ヒロシです…ヒロシです…」の自虐ネタが有名な芸人さんですが、最近は一人キャンパーとしてとても人気でソロ・キャンプブームのカリスマなんだそうです。番組の中でヒロシさんが「今までは過去の事ばっかり言ってたけどキャンプを始めてから未来の事しか話さなくなった」「もうすぐ50歳になるけど、ワクワクが一杯ある」と言っていたのが心に残りました。「未来の事しか話さなくなった」って前向きで良い言葉ですね。私は未来の事が全然考えられなくなって何もしたいと思わなくなり未来どころか、今日する事も考えたくなくなりどうしていいかわからない気持ちでいるので未来の事をもっと話すようにしよう未来の事を楽しく考えようって思いました。私自身はソロキャンプはしないのですがご興味あるかたはいろんな本が出てるようです。(火の始末と山林森林への無断立ち入りとゴミの始末には重々気を付けて誰にも迷惑をかけないようにしましょう。)あっという間にヒロシさんが火が起こしていた火おこし器。右はサバイバルキットになったもの。画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2019.12.28
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たまたまつけたテレビでさんまさんが師匠の笑福亭松之介さんに弟子入りした頃の話をやっていました。松之介さんは、「人間服1枚着てたらもうそれで勝ち」「おむつを1回でもつけたら人生は勝ち」とおっしゃっていたそうです。おむつを1回でもつけたら人生は勝ちというのは介護やおむつをつける状況に嫌悪感しか持てない人も沢山いる中、とても前向きな考え方だと思います。松之介さんが亡くなった時、さんまさんは仕事で大阪にいらっしゃっていた時でお通夜も葬儀も参列する事ができたそうで、さんまさんは「師匠ががんばってくれたからかもしれないし、神様が時期を合わせてくれたかもしれない」とおっしゃっていました。いつもすぐに笑いに結び付けるさんまさんが神様が、とおっしゃるので、師匠を想う気持ちをとても感じました。安置された松之介さんはとても素晴らしい着物をお召しになっていて、さんまさんは「おむつどころかこんな素敵な着物で、師匠、人生大勝利ですね」と語りかけたそうです。松之介さんはとても有名な方だと思いますが私は存じ上げていなかったので動画で落語を拝見したり本があったら読んでみようと思っています。芸事も人としても素晴らしい方だったようです。さんまさんの話を見ていて母の事を考えました。苦労も沢山あったし、娘はだめ娘だし一人で何でもがんばってやってきたけど母も勝ちの人生だったのかなって思う事ができました。お母さん、大勝利の人生だねって声をかけてあげたら母はにこにこして喜ぶでしょうね。そう思う事も供養かなと思います。まずこの本を注文しました。松之介さんの沢山のお話が書かれている読みやすいし読み応えのある本です。さんまさんとの逸話も沢山書かれていますが、程よい距離を持ったさらっとした書き方で松之介さんのお人柄を感じました。画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2019.12.02
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あるイベント会場での話です。来場記念として、はずれなしのくじが引けました。はずれがないのは最初から案内に出ていて末等も素敵な景品から選べる、お楽しみくじです。私は末等で、楽しく景品を選んでいると、突然横でカランカランと大当たりのベルが鳴りました。「わあすごい!」と横を見ると年配の女性が、「私いつも当たるのよねぇ」と困ったような顔をしながらも嬉しそうです。私も嬉しくなって、ベルを鳴らした人に「すごいですね!」と言うと、ないしょ、みたいなそぶりをしてベルを振っただけです、みたいなジェスチャーをしました。あ、なるほど、って思いました。こういう抽選会って、時々、末等が当たってもサービスでベルを鳴らしてくれることがあります。鳴るとお客さんも嬉しいし、その場の活気も上がります。ベルを鳴らした人も、ご年配のお客様を盛り上げるつもりで、鳴らしたんだと思います。ベルが鳴ったお客様は担当の店員さんに案内され私が末等の景品を選んでいた場所に来てお好きな物を選んでくださいと言われています。年配のお客様を母に重ねて、母だったらにこにこして喜ぶだろうなあと思い、このご年配の方も楽しく選んでもらえて、良かった、と思ったその時、そのお客様がまた、「私ってこういうのいつも当たるのよぉ」と困ったような言い方でこっそりと自慢のように言い始めたのであらあら、と思いました。店員さんは「そうですか~。すごいですね~。」と淡々と景品を渡しているので、心の中では「あ~あ」と思っているのだと思います。それを見ていろいろと複雑な気持ちになりました。ご年配のせいか、はずれくじなし、という事も自分が末等を引いたという事も気がつかないお客様。店員さんのサービスのベルを信じ込み的外れの、自慢話を始めてしまう。嬉しい、ありがとう!と喜べたら皆にっこりで終わるのに、困ったような顔で、こっそり大事な話のように愚痴りながら自慢するから周りの人に苦笑されてしまう。店員さんがもとはサービスでやっていても、お客さんが何もわからずに信じると結局バカにされた事になっちゃう、そんな事をいろいろ感じました。誰もが歳をとるので細かいことがわからなくなる事はあるので気をつけなくちゃいけないですし、私ってすごいのよね、なんて変な自慢はせず良い事があったら素直にシンプルにありがとうという心がけが大事だと思いました。画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2019.10.12
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何となくつけたテレビで見た生尾将輝君という専門学生がとっても素晴らしかったので書いておきます。所ジョージさんの番組で、長距離通学をしている人について行く、そんな始まりだったと思います。最初それを見た時、「あ~長距離通学ね、たまにいるよね。名門校に通うために新幹線通学とかね。」とあまり興味は持ちませんでした。私の親戚にもそういう子がいて、なんというのかなあ、長距離通学しているお家って親子ともども優秀で余裕があって真面目で仲が良くって、もうそれで完結していて素晴らしいね!って言う以外は何もないんです。だからそういう番組展開なんだろうなあって思い先の展開は大体わかるのでチャンネル変えようかなあって思いながらキリのいいところまで=長距離を帰宅すると、立派なお家から優しく明るいお母さんが出迎える展開のあたりまで見ようかと思いました。でも見ていると、生尾君は新幹線を素通りしてず~っとローカル線を乗り継ぎ続けています。そして家に帰る途中、スーパーで夕飯の買い物をはじめ、入念に刺身を柵で選んでいます。家に帰ると休むことなく夕飯の支度をし始めました。長距離帰宅して、夕飯の支度?大変じゃない?と見ていると生尾君はお父さんと兄弟と3人暮らしで、仕事が遅いお父さんのために早く帰宅できる日は夕食の支度をしている事がわかりました。学校に近い所に越すと、家の事ができなくなるので遠くても家族と一緒に住んで長距離通学をしているのだそうです。そして交通費を節約するためにローカル線を利用しているそうです。通っているのは寿司職人を育てる専門学校で、その理由も、お寿司が好きなお父さんに好きなだけお寿司を食べてもらいたいからなんだそうです。男3人の普段の夕食の場面は、派手な所はないけど家族愛と真面目な生活が伝わってきました。長距離通学も家事も大変だと思うけど仲がいい家族と、若さと、希望があって今も将来もきっと幸せなんだと思います。自分でできる事をコツコツ努力できる生尾君を見て素晴らしいな、こういう事が大事だなと思ったし、なんというのかな、今の私の沈み込んじゃって希望が見えない状況にポッと小さな暖かい灯りがともるような私も頑張ろうと思えるようなそんな気持ちになりました。とてもよい人を知る事ができた番組でした。生尾君が通う専門学校で出している本。画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2019.09.27
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『プロフェッショナル仕事の流儀』で認知症ケアのプロたちについての番組を見ました。施設に勤める大谷るみこさんという方が高橋保子さんという94歳の認知症の方を寄り添うように介護されていました。高橋さんは今は毎日眠っていらっしゃることが多いようですが、大谷さんが話しかけると嬉しそうに返事します。12年前の大谷さんと高橋さんも映像に残っているのですが、その頃は高橋さんは、しきりに家に帰りたがっていたようでした。大谷さんは一緒に外に出ながら、高橋さんに話しかけて高橋さんの気持ちを引き出します。高橋さんは、息子さん二人を亡くしご主人も亡くしてつらい気持ちでいる方でした。大谷さんは、ご主人がどんな方だったのか話を聞き、素晴らしい方だったと同意し、高橋さんがとてもがんばったと褒めて高橋さんにも同意してもらう方向に話をしていきました。そのころには高橋さんも笑顔で施設に戻る気持ちになってきて嬉しそうにただいまと施設に入っていきました。そして大谷さんの事を、いい人、優しくしてくれたと嬉しそうに褒めていました。そんな生活を12年以上も続けての今の穏やかな表情の高橋さんなのです。そんな高橋さんは、50代の頃年輪と言う題で、随筆を投稿して新聞に載った事があるそうです。年齢というよりも、努力の年輪を重ねてしっかり生きて行きたい、という内容の随筆です。今の高橋さんを見ただけだとお年を召したおばあちゃま、だけの印象ですが、新聞にしっかりした文を投稿されている向上心ある真面目で知的な方なのです。そして息子さん二人を育て旦那様と親子4人で仲良く暮らしていたのだと思います。高橋さんは息子さん達の事を話すとき、長男を死なせ、次男を死なせた、と繰り返し言っていました。息子2人が亡くなった、ではないんです。高橋さんにとって、長男は長男、次男は次男、二人ともそれぞれ大事で、ひとくくりにできないし、何とか助けられなかったか、自分は何も出来なかったその思いが強くてそんな話し方になったのでしょう。とてもつらい思いをされたのだと思います。高齢でも、認知症になられても、高橋保子さんという方の唯一無二の暮らし。この番組では、その人の人生や尊厳を大事にする介護を取り上げていました。最近は、高齢者が長生きする事を無駄扱いする考え方が当然のように語られることが多いのですがそうではない、その人その人の人生はその人のもの、その人が幸せであるべきで、周囲が決めるものではないという当たり前のことをちゃんと伝える番組だったのでほっとしました。評価が良い本を載せておきます。私の母は認知症ではなかったのですが老人性の脳萎縮があり、その後脳梗塞で失語症になりました。しかし、以前こういった本を読んでいたので母が不安にならない、安心できる話し方・対応が出来たと思います。おかげで、いつも母と笑いあって幸せに介護する事が出来ました。画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2019.09.10
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子供の頃、ドラマとか漫画に主人公が誰もいない海岸で「お母さ~ん」と叫ぶというシーンがよくありました。本当にそんな事してる人なんて見た事ないし、いくら悲しくても海に向かって叫ぶ理由がよくわからないと子供の私は思っていました。高校生くらいになって皆で海に行った時にふざけて「お母さ~ん」と叫んだ男の子がいて皆で笑って、周囲の子も口々に叫んだのですが、一人、何度も呼び続けた男の子がいました。高校も違う私は知らない子だったのですがお母さんを亡くされていたのかもしれません。私も他の子も、母親がいて当り前でしかも些細な事でよく反発しているそんな年頃だったせいか、その子にどう声をかけていいかわからないでだまって少し離れたところで待っていました。子供だったんですね。その子もしばらく叫んだあと、何もなかったように、皆でわいわい笑いながら海岸を後にしました。海に向かってお母さんを呼んでいる人を見たのはその時だけだったのですが、母を亡くして、電車が通り過ぎる時や車の往来が激しい道では、周りに人がいないと「お母さん!」とはっきり声に出したくなり、これが、海岸でお母さんを呼ぶ心境なんだなってわかりました。波音で声が消えるし、目の前一帯誰もいないから海岸で叫ぶんですね。大きい声で呼ぶことで、心に閉じ込めていたつらさを解放できるからかもしれません。大きな声で母に気持ちを届けたい、母を探したい、呼びたい、そんな気持なんです。人が聞いていたら変な人ですが、人目ばかり気にして、全部自分の心に閉じ込めるのは良くないので、誰にも聞こえないところで大きな声を出すのは大事なんだなって思います。そういえば、大きな声で叫んでも周囲に聞こえないという壷の形のストレス解消用品?の広告を見た事があります。???いったい何のために、と思った当時の私はとっても幸せだったんでしょうね。今探してみたら大手ドラッグストアでも扱っているので驚きました。評価は五段階評価で3.5~4位みたいです。こちらは歌の練習用らしいです。画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2019.09.05
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15年以上この地域を担当している顔なじみの宅配配送のMさんと宅配を受け取りがてらちょっとお話しました。多分年齢は私と同年代なのではと思います。15年前は、宅配のお兄さんという感じでまだ配達業務に慣れていない感じでした。不況真っ只中であちこちでリストラが行われていた時代で、Mさんもリストラに遭い宅配会社に中途採用で勤め始めたばかりとの事でした。ある時しばらくMさんを見かけなくなり半年以上たってまた配達に来た時には急激に痩せてしまっていました。激務のあまり骨折してしばらく休んでいたとのことでした。その日はとても暑い日だったので、思わず、家にあった冷えた缶ジュースを渡すととても喜ばれたので、それから時々、ジュースや少し珍しい個包装のお菓子等がある時気持ち程度におすそ分けしたりたまに十秒程度の世間話をするようになりました。私は仕事の帰りが遅いので平日の宅配は母に受け取ってもらう事も多かったのでMさんは母とも顔見知りでしたが、急に介護おむつや介護食が大きな箱で大量に届くようになったので母が重い介護状態になっていたのはわかっていたと思います。介護おむつとかおしりふきってすごくかさばって、大きな箱での配達になるのですごく目立つんですね。仕事をしながらの介護だったので日用品も食品も買物に行く時間がとれず生鮮食品以外はほとんどすべて宅配で日曜の日時指定にしてまとめてうけとっていたので毎週のように台車で配達がありました。指定日時には必ず受け取っていたのに母の葬儀で急に長期留守になり連絡がつかず、配送業者さん達は、どうしたんだろう、と他社さんでも地域の担当同志顔見知りなんでしょうね、心配してくださったようでした。後日お詫びしながら事情を話すとすぐに理解してくださったようでした。母が宅配を受け取っていたのは亡くなる5年位前までだったので、母の事など覚えてないのかもしれないと思っていたのですが、留守の事情をすぐに理解されたようだったので「母の事覚えていらっしゃいますか?」と聞いてみました。Mさんはすぐに「覚えていますよ。よく受け取りしてもらいました。」と母がいたことを覚えてくれていたのでちょっと救われた気持ちがしました。すると、「実はね、私も母が去年亡くなったんです。病院でずっと母に付き添っていたんだけど。」と、つらい気持ちをおっしゃって、お互い言葉は少ないけれど、大変でしたね、という気持ちがわかりました。母が亡くなって、大量に購入していたいろいろな生活用品の宅配がなくなり、Mさんとも月に1回位しか会わなくなりましたが、近所でたまに宅配中のMさんに会うと短い挨拶をして通り過ぎます。相変わらず忙しそうで日に焼けていつも駆け足です。そういえば母もいつも駆け足でした。私も母の介護中はいつも走り回っていました。今は、用事で外に出たりたまの仕事で外に出ると翌日はぐったりして家でどうしたらいいのかわからずにぼんやり座っている事も多いです。Mさんは不況の時代を乗り越えて宅配の仕事をずっと続けておられます。私も仕事していかないと。がんばらないとと思います。季節の寄せ植え 【一部地域のみ送料無料】【北海道、四国、中国、九州は別途324円】価格:2700円(税込、送料無料) (2019/7/29時点)楽天で購入
2019.07.29
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テレビから風車の歌が流れてきて祖母に買ってもらった風車の事を思い出しました。母が働いていたので祖母が家事と子育てをしてくれていて私はおばあちゃんっ子でした。まだ幼稚園の頃歯医者さんに行くためにバスに乗る時に祖母が風車を買ってくれました。プラスチックの風車が筒状の持ち手についていて鈴や小さな三角の旗などもついていて子供っぽいピンク色を主体に黄色や水色、黄緑等も組み合わせてある賑やかな風車でした。こんな、いかにも子供だましの玩具みたいなものは祖母はあまり買い与えなかったように思いますが、その日はもしかしたら抜歯をする日か何かで私の機嫌を良くしようとしたのかもしれません。お店の人がその風車を祖母に見せた時に「今はこんな素材でできているのね。昔は風車は紙でできているものだったのに。これなら丈夫で長持ちするから子供にはいいかもしれない。」みたいな会話をしていたのを思い出します。祖母が小さい時に風車を作ってもらったというようなことを言っていたような気がします。それで懐かしくて孫に買ったのでしょうか。私は嬉しくてバスの窓から風車をつき出して風にくるくる回らせていました。窓から出すと落っことすよと祖母から言われてすぐだったと思いますが風が強く当たって、風車を落っことしてしてあ~っと声を出したんだと思います。昔のバスはのんびりしていたのでしょうね、それに気がついた運転手さんがすぐ止まってくれて待っているからとりにいくよう祖母に促しました。確か、祖母が「構わないので行ってください」と言うと運転手さんが「丁度バス停だから大丈夫ですよ」と待っていてくれたと思います。とても親切な方でした。祖母が恐縮しながら引き返したのですが落としたばかりの風車はなぜか見つかりませんでした。100メートルほど歩いて戻ってくる祖母の姿を窓から見つめていましたがグレーっぽい着物に道行姿だったと思います。祖母は外出は着物姿が多かったように思います。お年寄りは着物を着る事が多かったそういう時代だったんですね。祖母の着る色も地味な色ばかりでした。考えてみると、すっかり時代は変わりましたね。変わってあたりまえですけれど。風車を落としたことについて私が悪かったので叱られると思ったのに全く叱られなかったのが子供心に意外でした。叱られなかったので風車は祖母がすぐまた買ってくれると思ったのに買ってくれずに半年か1年以上たってから欲しいと頼んで買ってもらったような気がします。その時は最初に買ってくれたようなカラフルな色遣いや小さな鈴等がついている綺麗なものはなくて、もっとシンプルなデザインになっていて前の方が良かった、落とさなければ良かったと子供心に後悔しました。風車を落としたのはわざとではないのでしょげている私を祖母はあえて叱らなかったのでしょうが、すぐ買ってくれなかったのはちゃんと教育しようと思ったんでしょうね。ありがたいですね。当時祖母は50代後半でしたが私にはおばあちゃんという年に見えました。堅実で真面目で働き者の祖母でしたが自分の為に贅沢して楽な思いもしてほしかったとかもっと孝行したかったとかいろいろ思いますけどきっと祖母は祖母で幸せな人生をしっかりとした意思をもって歩んだのだと思います。祖母に関しては不思議な体験というのは全くなかったと思いますがすごく真面目な人で、いい加減な事をとても嫌ったのであえて不思議な事はしなかったのかもしれないですね。私、母が亡くなってからずっと毎日つらい気持ちのままでいろいろ進められないでいるのですがいつまでも不思議な話のようなことばかり書いていないで進まないといけないと思うのでこれからできるだけ明るい話題を書いていきたいと思っています。お気楽な話が多くなるかもしれませんがたぶん心の中は悲しいままがしばらく続くと思います。庭の飾りやインテリアになるものがいろいろ出ています。画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2019.06.07
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偶然見たテレビ番組で、70代位の女性がお母様らしい人を車椅子で介助しながら、介護費用が嵩むので、切り詰めて生活しているとお話されていました。でもその女性、凝ったデザインの真赤なコート姿でお年を召した髪も赤く染めていて自分にお金も時間もかけているように見えます。そんな服装で疲れている表情や年齢がさらに強調されてしまいなんだか異様な違和感がありました。しばらく見ていると、その方が演歌で大ヒットした有名な歌手だとわかり派手目のおしゃれの理由がわかりました。久々に舞台に立った姿は、街中では異様だった赤い髪がキラキラのドレスに映えてとてもお似合いでした。大きなスパンコールが全身についたロングドレスなんて60~70代で着こなせる人はなかなかいないと思いますが、とても素敵でショービジネスに生きる人なんだなと思いました。その方、番組では介護で大変だと説明していましたが、実はお酒におぼれてしまって歌の仕事を失っていたそうです。お酒におぼれた理由のひとつに介護もあったかもしれないし、人にはわからないいろいろな事情があったかもしれませんが、不健康な暮らしをしているとどうしても表にそれが見えて、本来は似合っているはずの赤い服や髪が妙に浮いて見えていたのかもしれません。あんなに舞台で映える人なんだからそれはもったいない事だと思うしきっとご本人も舞台に立つのが幸せなんだと思います。大人になると夢も希望もどこかに忘れてきてしまったという事があります。自分がどんな素晴らしいものを持っているかなんて考える事もなくなってだめな自分、の方向ばかり見てしまいがちです。それに自分が輝ける事、場所、ものって、自分では意外と気づかない事があります。私自身は、改めて考えても自分が輝けるものって、何だろう?だめな所はすぐ沢山見つかるけど…って思っちゃいます。人から褒められることがあっても社交辞令でしょうとだけ思うのですが否定ばかりしてないで、それを生かすことを少し考えてみなくちゃいつまでたっても同じ所にいるだけです。そして、その歌手の女性のお酒のように自分の大切な事を生かすには、だめだと分かっている事をどうせ、と思わないで直さないといけないんだと思いました。左 トップアスリートも作っているというもの右 本田圭佑さんが子供の頃から書いているノート左 40代以降の方に右 夢ノートを世の中に広めた方のベストセラーご年配の方向け画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2019.04.17
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先日のブログ、ヨーロッパのチョコレート屋さん 欧米のプレゼントhttps://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/update/public/?d_date=20190202&d_seq=0に続く話です。欧米では綺麗な箱に詰められた宝石のようなチョコレートは昔から訪問する際の手土産の定番のようですが、バレンタインデーが近くなると大きなハート形の箱に入ったチョコレートがお菓子屋さんのウィンドウにフリルやリボンと一緒に、あるいは都会的な高級感一杯に、ディスプレーされます。このチョコレートを購入するのは一般的には男性で、恋人や妻に薔薇の花束などと一緒に手渡しますが、感謝の気持ちをこめて、母や祖母に贈る人もいます。甘い恋人同士の日に、女性が好む甘いチョコレートを恋人宅を訪問する時や女性をデートに迎えに行く時に手土産に持って行ったり、妻にお土産として渡す事がぴったり合ったのだと思います。よく知られている事ですが、女性が男性に贈るというのは、日本のチョコレート業界が何度も広告を打って広めたもので、欧米にはその慣習はありません。なぜ女性が男性にチョコレートを贈ることになったのでしょう。それはたぶん、100年近く前に、ロシアから日本に移住し、チョコレート屋さんを始めたフョードル・モロゾフさん(現在のモロゾフではありません。詳細は後記。)が出した、「あなたのバレンタイン(恋人)にモロゾフのチョコレートを贈りましょう」と英字新聞にだした英語の広告から始まるのではないかと思います。当時すでに、恋人の事を『私のバレンタイン』と呼ぶのもバレンタインデーに箱入りのチョコレートを贈るのも欧米では慣習になっていたので、モロゾフさんは日本でも英語圏の方に向けて広告を出したのでした。以上についてはモロゾフさんの回想録に記されています。バレンタインデーにチョコレートを贈りましょうと広告を出していた、当時のモロゾフはとても人気があったようですがしかし日本ではこの慣習が広まらなかったそうです。思うに、日本では男性がチョコレート買ったり、女性にお菓子を贈ったりする習慣がなかったので広まらなかったんではないでしょうか。バレンタインデーにチョコレートを恋人に贈るという慣習は日本人男性には広まらなかったのですが、人気店であるモロゾフさんのお店で素敵な箱入りチョコレートをバレンタインデーの贈物として販売しているのを知った日本のチョコレート業界が、『女性から男性に愛を告白するためにチョコを贈る』と変えて、大々的に何年もかけて広告したのでそれが徐々に浸透していったようです。私の推察ですが、女性が好みそうな綺麗な箱のチョコレートや何やらロマンチックな広告と、物が豊かになって買物を楽しむ時代が丁度重なって、女性に人気の慣習になっていったのではないかと思います。チョコレートをもらっても、甘いものが好きでない男性も多いので男性側としてはそんなに嬉しいものではないのかもしれません。でも、チョコレートをもらう事=好意を示される事、沢山もらう事=人気がある事という変な構図が出来てしまいました。男性側としては貰うとまんざらではない、貰わないと格好がつかない、女性側としては男性の友人や同僚にも心くばりしないといけないのではないか、という変な思惑がどんどんからんできて今の、義理チョコだの、お返しが面倒だの、チョコ禁止令だの混沌とした慣習になっていってしまっているように思います。本当は、喜んでもらいたい相手に、手土産として贈るもの、ただそれだけのものなんですね。ちなみにフョードル・モロゾフさんは家族でモロゾフというチョコレート店を経営していたのですが、共同経営を始めた人達に、よくわからないままに会社の経営権を取られてしまい、モロゾフという会社名が使えなくなってしまったそうです。それでコスモポリタン製菓という新しい会社を興しモロゾフ一家はコスモポリタンとして神戸でチョコレート店とカフェを経営されていました。フョードル・モロゾフさんの息子さんは、英語読みでヴァレンタイン(ヴァレンティン)さんと言います。そのヴァレンタインさんや、神戸のコスモポリタンの話はまた次回書きたいと思います。バレンタインデー限定缶入り人気イタリアチョコ。蓋がつながっていて使いやすい缶なのでコレクターも多く、ヘーゼルナッツ系で味も良く、お買い得価格なので毎年すぐ売り切れます、お早目にどうぞ。ヴァレンティンさんが自費出版された回想録をベースに書かれた最新の本。画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2019.02.03
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先天性や事故で体の一部が欠損されている方のために見た目がとても自然で使い心地もいい人工ボディを作る人工ボディ技師、福島有佳子さんのドキュメンタリー「仕事の流儀」を途中から見ました。福島有佳子さんの事は以前別の番組で拝見してその技術力と向上心、そして使う人の気持ちへの理解に素晴らしい仕事をされている方だなあと感服したのですが、今回の番組で心に残ったのはサンダルを履いて歩きたいという女性とそのお母様の事です。その方は片足の先が先天的にないため、人工ボディを使用し、普通の靴を履いて生活されていました。しかしヒールのあるサンダルは足先に体重がかかるために人工ボディではささえられずに履くことができなかったそうです。高校生の頃、自分はサンダルは履けないんだなと悲しくなった、と話す女性の目から涙が流れ止まりませんでした。おしゃれをしたい女の子が、サンダルが履けない、というのはつらい事だと思います。特に他の子は問題なく楽しんで履いているのに、自分は履けないのはとても悲しいと思います。だけど私は、サンダルが履けないからという涙があるんだ、と思ってしまいました。思いながら、悲しさは比べるものじゃないしどちらがつらいとは言えないものだから、こんなふうに感じたら良くないと理解はしていました。この人にとってはとてもつらい事なんだろうなとも分かっていました。でも良かったことは、通常だったら不可能だったサンダルを履くことが人工ボディ技師、福島有佳子さんの知識と技術と努力で可能になったことです。サンダルを履いて外を歩くその姿は、とても自然で軽やかでした。外をスカートとサンダルで歩けるって素敵な事だなって気がつかされました。サンダルを履きたい、その部分だけ考えると、靴がはけるんだからいいでしょう、サンダルなんていいでしょう、と思えてしまいますが、そうではないプラスアルファの部分が、サンダルを履いて歩けるという事ひとつにも沢山含まれているんだなって思いました。紫がかったボルドー色のサンダルを買った女性は「どんな服を買おうかなってわくわくしてます。」と笑顔でした。そして、その女性の隣にいつもひかえめに一歩離れて寄り添っていた小柄なお母様が、「おしゃれして、ね。」と一言つぶやいたのが心に残りました。おしゃれを楽しむ娘さんを見て、お母様どんなに嬉しい事でしょう。お母様に守られて、自分のおしゃれの事を考えることができるのは幸せな事だなって思いました。母もこのお母様のように控えめに一歩離れて黙って私のそばにいてくれ無償の愛を注いでくれたなあって思い出しました。母に親孝行しているつもりで、一緒に出掛けたりしていた時も、母を介護しているつもりの時も、実は母は私の事を考えてくれていてひかえめに、寄り添ってくれていたんだなって思いました。
2018.11.27
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TVで「ぼけますから、宜しくお願いします」の紹介番組を見ました。映画監督の信友直子さんのお母様が80代で認知症と診断され90代のお父様が見守り、介護する姿をドキュメンタリー映画にしそのありのままの姿が大きな反響を呼んでいます。もともと観に行こうかな、と思った映画だったのですが紹介番組を見ただけで、涙がでてきてしばらく無理かなと思います。ただ、介護中の方、今から介護される方にはいろいろ気づくことも多いのでお薦めします。紹介番組で心に残ったことが二つありました。一つは、認知症のお母様が自分で「おかしい」と意識され「ぼけますから、よろしくお願いします」とおっしゃっている。そして物事が上手くいかない事に、苦しさを感じご自分の中でつらい気持ちになっておられた事です。認知症になっても、頭の中や心に以前の感覚はあり、認知症になった事、そのつらさ、不安、迷惑をかけたくない気持ちがあってご本人はつらいんですね。だから、ぼけたの、わからないだのだと、上から目線で対せずに人として丁寧に対応することが大事だと思いました。家族が認知症になると、翻弄される家族は大変ですが翻弄されている、というところだけに固執して考えてしまうと何の解決にもならずに苦しいだけではないかと思います。認知症になっても、自分と言うものがちゃんとあり一番苦しいのは本人なんだと理解することで、相手も敬えるし、翻弄されにくくなるように思います。私の母は老人性の脳萎縮があって、上手く話ができなかったり時々意味不明の行動をとったり怒り出したりしたので、私もイライラしたり、カッとなったりしました。でも母が迷子になってしまうようになってから私が守らなくてはいけないんだと思ってイライラしたり怒ったりする気持ちはなくなりました。ある時、トイレ介護中母が大声で怒りながら嫌がりだしたのですが、とっさに「ごめんね、大丈夫?私が悪かった?ごめんね。」と言うと「ううん。そうじゃない。」と言っていつものように静かな母に戻りそれ以来急に大声で怒るような嫌がるような事はなくなりました。私が謝るのを聞いて、あ、そうじゃない、と冷静になってくれ協力しようと思ってくれたのだと思います。人それぞれ違うと思いますが、介護者が強く来ると反発があり、謝って寄り添うと、協力しようと思ってくれるということはあるのではないかと思います。もう一つ印象に残っているのは、監督の信友さんが、以前お元気だった頃のご両親が歩く姿と現在のお姿を重ねて写されているところです。お元気だった頃のご両親は、お二人ともすでにご高齢と言われるお年だったとは思いますが背がすらっと高く、おしゃれをされて颯爽と歩いていらっしゃいます。お二人を映す娘さんと対面されているからなのでしょう、お二人とも見守るような、誇らしいような、遠慮するような、優しい笑顔をされています。子供を見るお父さんとお母さんの笑顔です。子供の方から見ると、まだ頼もしさ、安心感を感じる笑顔です。現在のご両親は腰が曲がられて、小さくなっておられ颯爽とされていた頃とは一見別人のようです。介護が必要になると、以前の両親はもういないように感じるし他人ならなおさら、年を取って変わってしまった、もうだめだ、みたいなことを思ったり言ったりすることがあると思います。でも、お年を召しても、介護が必要でも、心は同じなんです。信友さんの98歳になられたお父様も、この映画を観たいと言われ沢山集まった観客に、お礼と娘を宜しくお願いしますと伝えられたそうです。認知症のお母様も、口には出せないけれど同じように思われていると思います。私の母も、脳梗塞で失語症になっていたので、あまり考えることはできないのかなと思っていたのですが亡くなるひと月ほど前、私を気遣う言葉をかけてくれ、以前と同じように私の事を心配しているんだ、母は心の中、頭の中は以前と何も変わっていないとわかりました。それについては、母、脳梗塞、リハビリのカテゴリーに、小室哲哉さんによるKEIKOさんの様子から 脳梗塞による高次脳機能障害、失語症でも実は理解できていた母https://plaza.rakuten.co.jp/silverplatter/diary/201801250000/というタイトルで書いています。年をとると手厚いサポートが必要だということ、介護は相手を敬い、守る事が必要、そんな事が実感できる映画だと思いました。私はまだ母の事がつらい毎日で、今日も楽しみにしていた遠出の予定をキャンセルして一日家で何も建設的なことをせずにいたので何かひとつでもやることをやろうと思っています。
2018.11.22
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外出からの帰りがけに寄ったデパ地下で生の和栗がセールになっていて、大叔母を思い出して買ってきました。大叔母は、祖母の弟の奥さんだった人です。祖母の弟は急な病気で若くして亡くなったので未亡人となった大叔母と幼い一人娘を祖母はとても大事にし、戦争前、砂糖などが少なくなっていた時期にお菓子をいただくと自分の子供達に食べさせずに、姪にばかりあげていたと母が笑って言っていました。その一人娘も終戦の年に10代で亡くなりとても辛い思いをしていた大叔母ですがその後奥様を亡くしたとても良い方と再婚し幸せに暮らしました。その後再婚相手の方も含め家族ぐるみで親しい親族付き合いが続き私も可愛がってもらいました。毎年秋には遠方の産地から栗を取り寄せ、「これは勝栗と言います。風邪に勝つ、病気に勝つ、運動会で勝つ、勉強で勝つ、つらいことに勝つ、人生に勝つ縁起のいい栗です。これを食べて元気で頑張りませうね。」というような内容の、子供には少々真面目すぎる旧仮名遣いの手紙を添えて送ってくれました。今考えると、娘さんの事をおもいながら送ってくれたのかもしれません。栗は仕事をしていた母が、今度休みの時に作るから、と言いながら1週間くらい後に栗ごはんにしてくれ、お弁当にも入れてくれました。栗を剥くのが大変だったでしょうに、私はそんな事も気づかずにいました。買ってきた栗は保存がきく渋皮煮にすることにしたのですが、翌日冷静になって栗を眺めると、剥いてあく抜きするのは大変なことだと今頃母に申し訳なく思いました。いつもそんな気持ちになってばかりいます。渋皮煮の話に戻ります。あく抜きの方法をネットで確認すると水を替えながら重層で3度煮て、重層を抜くためにさらにもう一度煮るとあり、とても面倒な気持ちになりでもやらないと、と思いながら読んでいるうちに強力な眠気がやってきてぐったりしてしまいました。最近続いている、突然強い眠気に襲われて何もできなくなるのが調理方法を読むことでも起こったので、やっぱりこれは、やらなければいけないと思う事による心理的ストレス障害なんだろうなと思い少し冷静に眠気について考えることができ、少し経つと眠気も飛んで行きました。横にならないで眠気を克服できたのは初めてかもしれません。眠くなった原因が栗の調理という、あまり難しくない単純なことだったから眠気がとれたのかもしれません。栗の量もそんなに多くなかったので、これなら剥くのもそんなに大変じゃないかもしれないと思えたのも良かったと思います。私のオリジナルを加えた作り方を書いておきます。1.栗をお湯につけておき、冷めたら鬼皮を剥きます。2.重層で栗を煮ます。水を替えながら3回繰り返します。3.重層をぬくために、2回煮ます。4.黒糖を入れて煮たった後、さらにきび砂糖を加えます。5.しばらく煮立たせて、仕上げにブランデーを加えます。私はお砂糖は控えめに入れていますが、黒糖を使うのでコクが出てとても深みのあるシロップになります。重層で煮ると、最初は黒に近いマロン色の煮汁が出ますが繰り返すうちに、どんどん赤味が強くなり3回目は赤紫がかったマロン色で、それぞれ色が楽しめます。この煮汁で染色したらきれいかもしれませんが、染色にはまるとまた大変なことになりそうなのでそれはまたいつかにします。完成した渋皮煮は二つに切って、父と母にお供えしました。作ったの?美味しい!と嬉しそうに母は笑うでしょう。大きな和栗を見るたび、これは勝栗なのかな?と思っていたのですが、調べて見ると、勝栗という品種があるわけではないそうです。勝栗とは、殻のまま干した栗を臼でついてから皮をむいたもので、つくことを搗ちというので勝栗になった、とか戦いに持って行ったから勝栗となっと、と言われており縁起物なのだそうです。勝栗は鬼皮も渋皮も剥いてあるものなので渋皮煮は勝栗とは言わないようです。でも、栗にはビタミンC、B1、カリウム、そして渋皮には抗酸化作用のあるタンニンが豊富に含まれているので、「栄養をとって元気で頑張って困難にも勝ちませうね。」と大叔母が言ってくれているような気がしました。母の事でずっと悲しんでいる私を見て夫や娘を亡くしてつらい気持ちがわかる大叔母が元気になるように栗をすすめてくれたのかもしれません。皮剥きが楽になる専用はさみ。なんと、勝栗を使ったお菓子がありました。選挙の陣中見舞用の大容量箱入りもありますがこれは贈り物にも自宅用にもいいですね。干した勝栗。おせちやお菓子の素材に重宝。詳細は画像をクリックしてください。取扱店の商品ページに移ります。
2018.11.20
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たまたま見た『ポツンと一軒家』という番組で素晴らしい方を拝見しました。衛星写真で山の中等にポツンとある一軒家を捜しどんな人がどんな暮らしをしているのか訪ねるという番組です。人里離れた一軒家にお住いの方を全国放送で紹介してしまうと防犯上どうなのかという疑問があり本来はここでお名前を出すのもためらうのですが番組の中でその方が名を残したいという話をされていたので敬意を表して書いておきます。山口県にお住まいの佐々木喜文さんと言う方です。佐々木さんがこの番組に出ることになったのは偶然に偶然が重なってのことでした。番組スタッフはすでに衛星写真で一軒家をリサーチしその家の場所を聞くために偶然見かけたお墓参り中の男性に声をかけました。お父様の命日でたまたまお墓まいりしていたそうです。番組スタッフが探している家は偶然その男性の同級生の家で今は空家になっているのを知っていて、代わりに別の同級生の家を紹介してくれ閑だからと、スタッフの道案内をすることになりました。しかしその場所がよくがわからず、付近の住民に聞くとその家も空家だということが判明。そこで他に一軒家がないかと聞くと別の家を紹介してくれました。その家の主が佐々木さんでした。スタッフが調べてきた家が空家そこで偶然出会った人に紹介された家も空家その人が偶然声をかけた人に紹介されたのが佐々木さん。つまり3度目の正直で偶然に紹介された家の主でした。その家は小高い木々に囲まれた山の中にある一軒家で、周辺には小さな木が点々と生える水も稲もない田圃が広がっていました。家に住まわれているのは奥様が60代で亡くなった一人暮らしの高齢男性でした。減反政策でお米を作ることができなくなり田圃に国が奨励する植林を一人でしたのだそうです。奥様を亡くし寂しくされていらっしゃるのだろう、お米を作るのも高齢になると大変だろうけれど減反政策で田圃をやめるのはつらかったのだろうとありきたりの心配をしたのですが、実は佐々木さんはそんな次元のところにとどまっていない素晴らしい方だったのでした。もともと20代から山林の仕事をされていた佐々木さんは家の田圃の周辺に50年かけて檜を育てていました。減反政策でお米が作れなくなり、植林が推奨されたので国の保証が出る木だけでなく、自費で1000本の様々な木々を75歳の時に一人で田圃に植林したそうです。家の前に広がるかつての田圃にはこれから数十年かけて春には様々な花が咲き秋には紅葉や実が楽しめるようになるのでしょう。一人暮らしの家と土地はお孫さんと養子縁組されたのでその男の子に託すことになっているそうです。財産を託す、といっても目先の金品ではありません。檜の山林を300年かけて育て、国が国宝の修繕に必要とする時使うように伝えてあるのだそうです。この方は、300年後に国に役立つ事を自分の力で実行し自分の子孫達にもその喜びを残しているのです。それだけではなくて、花や実という10年、20年先の楽しみもやはり自力で作りだしています。近い将来の自分の楽しみだけではなく、可愛い孫子達の為だけではなく、その先の子孫や未来の日本のためになる事を自分ができる範囲で一人で実行しているのです。こうやって書くと、なんだか簡単そうですが奥様を亡くし、国からは丹精こめた田圃に植林しろと言われやるせない気持ちでいっぱいだったと思います。母を亡くしてつらくてなかなか前に進めない私は努力しようと思っても、前向きになろうと思っても同じところをぐるぐる回って何もできず時間を無駄遣いしているようでつらい気持ちで一杯でどうしても自分の事だけ、足元のことだけしか見えないので未来の事まで国のことまで考え実行に移すことがどれだけ大変なのかよくわかります。佐々木さんも、いろいろな気持ちを乗り越えながらやってきたのだと思います。それは、様々な木々が植林された田圃の端に佐々木喜文75歳と彫られた小さな石碑を置いている事から想像できます。この木々を植えた自分の名前を残したいとの気持ちでこの石碑を置いたのだそうです。もしこれが若い時だったら名前を刻んだ石碑を残そうなどとは思わなかったでしょう。国から減反政策を言い渡されて丹精込めた田圃をつぶし植樹しなければならなかった気持ち一生懸命やってきたことが感情ぬきにさっとつぶされなかったものになってしまう気持ちを前向きに昇華したのがこの石碑ではないかと思います。75歳で植樹した木々が大樹となり見事な枝ぶりに花が咲き実が実る時石碑に刻んだ自分の名前で四季折々の姿を見とどけようと思われたのではないかと思います。その佐々木さんの事を一人でも多くの方に知ってもらいたくてここにお名前を書いておきます。この番組がこの方にたどりついたのは本当の偶然でしたが私もその番組を偶然見たからこの方を知ることができました。また、佐々木さんが偶然紹介されたのは、もとはと言えば道案内をされた方がたまたまお父様の命日にお墓参りをされていたからでした。この方が同行したからこそ、番組スタッフにはわからなかった家の周囲の檜林に気がついて300年かけて檜を育てる話が聞けたのです。偶然が沢山重なって、いろんな人の助けが重なって、佐々木さんの気持ちが紹介され道案内をされたかたもテレビ出演することになりましたが、私もその偶然のおかげで自分を見直して前に進むこと、元気になることを手助けしてもらえたような気がします。
2018.09.30
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楽天を利用して15年位になります。当時はネット通販になじみがない時代で楽天の名前は聞いていたものの、どうなんだろう、と思っていました。ディノス等のカタログ通販は利用していましたが楽天の知らない店舗から直接見ないで注文することには抵抗があり、利用しようと思っていませんでした。ある時、実家にプレゼントしたディノスのリビング家具シリーズを追加購入しようとしたのですが、丁度その商品の取り扱いをやめてしまったとのことでした。輸入家具だったので、他の大型店舗で取り扱いがあるかもしれないそう思ってネットで探しました。当時はネットに掲載している店舗が少なかったせいもあって検索がしやすく、同型商品がすぐに見つかりました。しかも価格はディノスより3割ほど安かったように思います。初めてのお店ですし、家具なので値段もします。ネット注文は躊躇したのですが、他で入手できない物なので配送の件などメールで質問をしたところとても丁寧な返事が来ましたのでほっとしたのを覚えています。多少不安は残るものの、思い切って注文したところ何の問題もなく良い商品が届き、いい店舗に出会えた思いました。その時はまだ、そこが楽天のお店だとは知らずにいました。注文して間もなくメルマガが届きHPを見たところ、プレゼント企画をしていました。素敵なショールを抽選で1名様に、とありました。1名じゃ無理よね、と思いながら応募してみるとクリスマスイブの日に当選のお知らせが届いてびっくりしました。こういうのって当たるんだなあ、って驚きました。その後、お礼の電話をした際にお店の方から当選は楽天の方が決めているので、誰にあたるのかはわからなくお店の方も、あの家具を注文した人だ、とお礼の電話で初めてわかったあなたに当たって良かった、と聞きました。その時初めて、楽天店舗だったんだ楽天の注文って簡単なんだって思いました。まだ楽天を利用している人が少ない時代です。このプレゼント企画、今はあまりやっていないように思います。店舗も増えたし、手がまわらないのかもしれません。楽天店舗で他によくやっていたプレゼント企画に購入プレゼントがあります。HP上で明記されている場合もあるし、注文品の中にプレゼントですと入っていることもあります。小物のお店など、ヘアアクセサリー等素敵なものが入っていることが当時は多かったような気がします。HPに明記されていたものでは、着物のお店で反物を注文したとき時計をいただいた事があります。4年前ですが、今も電池交換をして問題なく動いています。お薦めしようとそのお店のHPを見たのですが今はやっていないようなので、別のお店をご紹介しておきます。絹地の専門店です。スカーフや男性物ポケットチーフ、下着、絹地から絹の基礎化粧品まで取り扱っています。プレゼントの種類が多く、毎回どれを選ぼうか迷います。自然食品や天然の生活用品を幅広く扱うお店です。2000円以上の購入で5~6種類の中から好きなものが選べます。真珠専門店ですが、パーツやケア用品も充実。画像のジュエリーポーチは軽くて優れものです。数千円台からある真珠製品を購入の場合、1商品で1点、真珠を使った小物等、プレゼントの種類が豊富です。詳細は商品画像をクリックしてお店のHPをご覧ください。
2018.07.19
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ヴァーチャルCGの高校生SAYAのニュースを見ました。ヴァーチャルCGというのは、実際には何もないスペースに人そっくりにコンピューターを使って描いた絵を3Dで投影しまるで人がいるように見せる事です。今のところはまだ試作段階で高校生の女の子で試作されています。幼いティーンエージャーで試作されているのがいかにも日本の好みですが、若い子のほうが皺がないし表情に深みもないので絵にしやすいしどうせなら女子のほうが可愛くて万人受けしやすいということはあると思います。実用化されるとしたら、空間デザインとかショーウィンドウ、ショールーム、ブティックとかで商業的に使われるかもしれません。でも、個人向けとして一番需要があるのは、亡くなった人の再現とか一人暮らしの人の相棒なのかなと思いました。というのは、母が亡くなった時、母が座っていた椅子にむかって何度も話しかけをし、ここにCGでも母に座っていてもらいたいと思ったからです。母のいない椅子は、1年たった今でも時々見て母の面影を探しますし語り掛けもします。こういう人ってよくいるみたいで、奥様を亡くされたある役者さんも、椅子の話をされていたそうです。CGの母がいたら、いつまでたってもふっきれないのかもしれません。本物そっくりでも、結局は実体のない事実ではないものなのでとてもむなしいのかもしれません。実態のない物でうわべだけごまかしたら良くないかもしれません。それでも母にいてほしいという気持ちも強いです。そういう気持ちの人は沢山いるんじゃないかと思います。実用化されれば、写真を10枚位読み込ませると簡単に再現できるようになるでしょう。声が出るようにもなると思います。考えてみると、亡くなった父の事で小学1年生の頃、同じ事を考えたことがありました。父が生きている夢を見て、とても嬉しくて等身大人形を作ったら生きているようで嬉しいんじゃないかと父のことをとても悲しんでいる母に伝えました。すると母はすごく悲しそうな顔をして亡くなった人は帰ってこないんだから前を向いて生きなければいけないと強い口調で諭してきました。そうでした。お母さん、ヴァーチャルCGのお母さんを椅子に座らせたりするのは好きじゃないかもしれないね。前を向いて自分の事をしっかりしなさい!って叱るかもね。たしかにそうです。前を向いて、自分の事しっかりやっていこうと思いました。追記この椅子に、まるで母がきてくれたのかと思えるような不思議な事があったのでブログに書いておきました。椅子にとまった蝶
2018.04.25
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ピョンヤンオリンピックのフィギュアスケートを見ていてソチの女子メダリストが誰なのか思い出せませんでした。アデリナ・ソトニコワが金メダルだったとの事ですがソトニコワという名前自体、聞き覚えがありません。ネットで見てみると、赤い衣装の画像が出ていたのですが見た覚えがありません。報道写真で見たのか浅田選手の青い衣装だけはかろうじて見覚えがありました。ウィキペディアに出ていた、女子の順位にも驚きました。浅田真央6位を見て、これは間違いでは?と思ったくらいです。いつもは女子フィギュアスケートは必ず見るのにどうして見ていないのか、自分でもよくわかりませんでした。ソチオリンピックをテレビで見たのは覚えています。パッチワークのような可愛い花柄のような紫ピンクのような色合いの伝統柄のデザインを覚えています。見たのを覚えているのはそれだけです。男子フィギュアを見たのも覚えていません。ただ、オリンピックかどうかは覚えていませんが、羽生結弦が優勝したとニュースで大々的に取り上げていたのを母に食事をとってもらいながら見て、他の選手と全く違うと思ったのは覚えています。世界選手権結果のニュースだと思っていましたが当時のオリンピックと世界選手権の動画を見比べるとどうやら私が見たのはオリンピックのニュースだったようです。なぜオリンピックを見たのを覚えてないのだろう。不思議です。しばらく考えて思い当りました。ソチオリンピックがあったのは、母の体調や様子のことで無我夢中の時だったのです。フルタイムの仕事と見守り介護をしていたのでいつも駆け回って、母の心配ばかりし自分の時間はほとんどありませんでした。たぶんオリンピック競技を見る暇もなくニュースで見ただけだったのだと思います。今思えば、介護とはオリンピック番組さえも見る暇がない過酷なものなのかもしれません。しかし私は介護している時とても幸せでした。いつも疲れて眠く、腰痛になったり、骨折したり、体中が痛かったり、母の体調をいつも心配して心も体も頭も、休まる暇はありませんでしたが、母の介護ができることがありがたく、幸せでした。私は母が元気な時、何かというと母と意見が合わずしょっちゅう喧嘩していましたので気が合う母娘でも、できた娘でもありませんでした。そんな私でさえも、母を大事に大事に介護できたので考え方や介護方法を工夫し自分が諦めず、より良い方向を見ていくことがとても大事なのだと思います。私はたまたま、それができ、疲れていても、体が痛くても毎日母と笑って楽しく過ごせたことを本当に感謝しています。この介護の本は、突然、身内の入院介護が目の前に来て何をどうしたらわからないという方にいろいろな方面から介護を説明してくれます。とてもよくまとめられている良い本です。介護初心者の強い味方になる本です。
2018.03.13
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