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後鳥羽上皇は諸国の名刀工を招いて鍛えさせ、親しく焼刃をしたと伝える。則宗は御番鍛冶を務めた事から、後鳥羽上皇が定めた皇位の紋である16弁の菊紋を銘に入れることを許された。一文字派は銘を「一」とだけ彫り、この刀はそれに加えて菊の紋を彫ったので菊一文字と称するようになった。
ただしあくまで称したのであって、「菊一文字」と言う銘の刀は存在しない。それに現存する則宗の刀の中に菊の銘を切ったものは確認されていない。おそらく後世の人々が御番鍛冶の筆頭を務めていた則宗だから菊文を切ったに違いないと考えた為に則宗の刀が菊一文字と呼ばれるようになったのではないかと思われる。
由緒正しい名刀なわけですが、逸話のはっきりとした号のついた刀はないようです。




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