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Feb 6, 2009
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カテゴリ: 戦国雑記。

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上杉謙信という武将

 困った事に、最近、とんと創作意欲が湧かない。

 今日も上杉謙信という武将を考えてみたい。

 天文五年(一五三六年)に、謙信は春日山城下の林泉寺に入り、名僧として

名高い天室光育(てんしつこういく)禅師から厳しい禅の修行と文武の道を

学んだ。父の為景はこの年の八月に謙信の兄晴景に守護代長尾家をの家督

を譲り、十二月に病死する。この時期は国内に内乱が起こっており、謙信は

七才で、初めて甲冑をつけて父の棺を送った。

 天文十二年、晴景に代わり越後の三条に移り、半国の支配に任じられてか

ら、四十九歳で病没するまで、三十五年間に合戦すること数百回、陣頭にたち

敵城の攻略に臨むこと七十余度といわれている。

 常に敗戦を知らず、摩利支天か不動明王の生まれ変わりと評された。

 以後五年間、謙信の働きにより越後をほぼ平定したが、謙信の声望が高まる

につれ、兄の晴景は謙信を忌み嫌い骨肉の争いとなった。

「兄上とは合戦なんぞ出来ぬ、おれは自害すると」

 そう云う謙信を宇佐見定行、本庄慶秀等が諌め、謙信は晴景と戦い大勝し

た。晴景と謙信の不和を心配した守護、上杉定実(さだざね)の調停で謙信は

兄の養子となり、春日城に入って長尾家を継いだ。謙信十九歳の時であった。

 その後、謙信は国内から国境を越え、数々の合戦に臨むことになる。

 越後の南の越中、能登、加賀には一向一揆が頻繁に起こっている。

 眼を東に転ずれば、越後国境十里に北信濃がある。そこの北信濃五郡を

領する、豪族村上義清を狙って甲斐の武田信玄が虎視眈々としている。

 一方、関東管領の上杉憲政は北条氏康に河越城を占拠され、さらに上野の

平井城まで守れなくなり、春日山城に居候の身となっていた。

 こうした状況下で謙信は、各地に兵を率いて合戦につぐ合戦に明け暮れて

いた。しかし、不思議なことにそれだけ合戦して勝利をあげても、少しも己の

領土が増えないのだ。

 これは謙信が正義を好み、義戦を主眼として領土的野心がなかった所為で

あろう。一生、女性を遠ざけ酒のみを楽しみに生きた武将の謙信は、他の武将

から、もっとも恐れられた戦国武将であった。

 武田信玄、北条氏康、織田信長等も上杉謙信を恐れたが、戦国乱世にあっ

てもっとも、頼りとされた武将は上杉謙信をおいて他にはない。

 川中島で激戦を演じた、武田信玄は没する前に勝頼に、こう言い残している。

「あのような勇猛な武将と事を構えてはならぬ。謙信は頼むとさえ言えば必ず

助けてくれる。断るようなことは決してしない武将じゃ。この信玄は大人げもなく

謙信に依託しなかったばかりに、一生、謙信と戦うことになったが、甲斐の国を

保つには、謙信の力にすがるほかあるまい」

 謙信の好敵手であった、相模の北条氏康もこのように述べている。

「信玄、信長に表裏つねなく、頼むに足らぬ。ひとり、謙信だけは請負ったら、

骨になるまで義理を通す武将である。だから彼の肌着を分けて、若い大将の

守り袋にさせたいと思う。この氏康が明日にでも死ねば、後事を託す人物は

謙信をおいて他におるまえ」

 長年、合戦を交えた敵将から、このように信頼された武将は謙信しか居ない。

 このように爽やかさを感ずる謙信の心情は、彼の辞世の句でも読み取れる。

「一期(いちご)の栄 一盃の酒 四十九年 一酔の間 生を知らずまた死を

知らず 歳月ただこれ夢中の如し」

 謙信は幼名、虎千代から影虎、輝虎、謙信と何度も名前を変えているが、

 ここでは謙信として通した。






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Last updated  Feb 6, 2009 03:42:41 PM
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