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昨年から、私はいろいろな新聞や雑誌などの取材を受けまし。そのために、昨年暮れから今年にかけては大変忙しかったです。 取材を受ける中で記者やディレクターの人たちが、いろいろな感想を私に寄せてくれました。ある方は、「加藤さんが取材を引き受けたことは、とても勇気の要ることだと思いました。また、子どもたちの中にも、経済的に厳しい生活をしている子は多いから、そのような子に少しでもためになればという姿勢で教師をしていると言う言葉には、深い感銘を受け、さすが先生だなと思いました。」と言う手紙をくれました。さらに、私の記事を読んだ方からは、「非常勤臨時教員という仕事があり、その待遇は憲法で保障する最低生活すらできないような賃金であることへのショックを私は隠し切れません。でも、加藤さんの『生活保護を受け、教師として生きる』と言う記事は、多くの生活保護受給者をどれだけ励まし、生きることへの新たなエネルギーを与えてくれたことでしょう。運動とは、こうした決意の真摯な言動から多くの人々に共感を与え、手を結び合って要求実現の力になるのではないでしょうか。」と言うお手紙をもらいました。 私は、次から次へと取材が相次ぐ中で自分のことを語り、映像にすべてをさらけ出すことに多少ストレスを感じ続けていました。しかし、一方では先ほど述べたように、マスコミの人たちやメディアを通してたくさんの人々に支えられたことも事実です。 「こんなひどい実態を許せませんね。子どもたちを大切にしていないというとですね。教育の現場が、ここまでひどくなっているとは思いませんでした。」などと私と同じように憤りを感じてくれました。そして、私や私たちの運動に対して連帯のメッセージもありました。「こんなひどい暮らしぶりを告発していくために、また、国の責任を追及していくために、今後も力を発揮していただければと思います。」「私も微力ではありますが、国民に伝えるという仕事の末端でがんばっていきたいと思います。」「私もこれからも勉強しますので、見守ってください。」などと多くの支持する言葉がありました。 取材を受けはじめのでは、「声を上げることに何も私がやらなくても、そこまで自分をさらけ出さなくてもいいのではないか。」という思いもありましたが、今は、自分の生活や私はこう生きたいという思いを多くの人たちに伝えることで、人間らしく生きていきたいというたくさんの人が存在すること、そんな人たちとつながって生きていくという思いは、いつも一人ぼっちという思いをぬぐり去れなかった私を大きく変えていってくれそうな予感を感じています。
January 23, 2007
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私にとって会議の後の楽しみは、いつもの飲み会です。会議の後、夕方の6時くらいから2,3時間ほどいつものメンバーでお酒を交わしながらいろいろな話をします。 その話と言うのは、同じ立場の非常勤臨時教員として、「学級の子どもたちにどのように関わっていったら良いか!」、「職場の正規教員とどう付き合っていったら良いのか!」、「臨時教員としてどう生きて行くのか!」、「人生、何を大切に生きていくのか!」などということを多く語り合います。 そもそも、私たちは、「教師として子どもたちに何を伝えたいと思っているか!」、「教師とは?、人間とは?」と、それを模索し答えを見つけようとしているのです。このようなことを考える中で、一方、臨時教職員の待遇改善運動に関わることも私たちにとってとても大切なことだと思っています。 そのメンバーの一人であるAさんは、「あなたは、何を大切にして子どもたちの前に立っているの?また、何を子どもたちに伝えたいと思っているの?」と問い詰めてきます。そして、Aさんは、「誰でもこれだけは言いたいというものを心の中に持っているものよ!あなたにとって、それは何?」質問するのです。さらに、「あなたがやっている活動は、そのすべてが、あなたのためになっていなくては意味ないのよね。電話1つかけることだって、そのことがあなたの人としての成長や教師としての糧になっていなくてはならないと、私は思うのよね。」と言います。 また、メンバーのBさんは、「家族がいたって、結局、人間は一人なのだから自分はどう生きたら良いかは、足を地につけた生き方を求めて行くことが大切なんではないかと私は思う。」と言います。そして、「その生き方を求める中で大切なのは、いろいろな経験で、特に失敗から学ぶべきことが沢山あると思う。人間は、苦労=失敗を買ってでもしろって言うのよ。」とも言います。 別のメンバーCさんは、「火傷」の大切さを指摘します。「ある外国の寒い地方では、母親は、水ぶくれなどにならない程度ですが、幼い子どもにわざと熱いストーブに手を触れさせるのよ。」と言います。「熱くて火傷をするという経験をさせ、室内にあるストーブの危険を分からせる。」と言うのです。つまり、「人間は、苦い思い、痛い思い、大変な思いをして、その次にどうしたらいいのかを学ぶのだ。」と言うのです。Cさんが、いつも私に言っている言葉、それは「失敗から何を学ぶか!」と言うことです。 いろいろな人に貴重なアドバイスをしてもらいながら、教師として、人間として、大切なことを学んでいますが、仲間と話す中でこんなことを思いました。 「教師というのは、結局、『全体の奉仕者』なのだからすべての子どもたちのためになることを考えながらやっていくことが大切なのである。」と思いました。しかし、一方では、「そのことを全うしようと努力しながら、働くものとして、当然に自分の生活の安定が得られなければならない。」ということも考えました。 また、メンバーのAさんが言うように、「私たちは、教育労働者であるということを自覚し、子どもたちや親の願いに寄り添い努力しつつ、自分の老後のことも考えて生活の安定を求め、自分たちの権利を知り、獲得しようとする労働者としての側面を忘れてはならない。」と私自身も、つくづく考えさせられました。
January 14, 2007
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正月3日に私は、友人と一緒に有楽町の東京国際フォーラムで二胡の演奏を聞きました。私は初めて聞いた楽器ですが、二胡とは中国の楽器のことです。その楽器をジャー・パンファンという中国の人が演奏し、日本のジャズのバンドと競演していました。演奏会では、中国の曲だけではなく、映画音楽やクラシックやタンゴなども演奏しました。私は楽器についてはよく知りませんが、バイオリンに音色が似ているようですが、もっと幅があっていろんな音が出せる楽器だと感じました。 私は、大晦日から元日にかけては友人の家で過ごさせてもらい、その友人に誘われてコンサートに出かけたのでした。演奏会では、いろいろな感想を持ちました。それは、「二胡という楽器は中国の楽器ですが、ジャー・パンファンという人がジャンルに拘らずいろんな音楽に挑戦していることや、広く音楽を捉えようとしていることについて、その精神はすごいし立派だなあ」と思いました。また、それに共感するミュージシャンがいることは音楽の持つすばらしさだとも思いました。音楽の素晴らしさ、音楽を愛する心は、世界を超えて繋がれると思いました。そのコンサートでは、お互いの演奏を尊重しあっている様子が感じられて満員の観客も大満足という感じでした。 実を言うと、私をコンサートに誘ってくれたのは、20年近く付き合っている友人です。お互い家族ぐるみで付き合いもしていたし、なんでも知っていて、何でも話をしていました。私も彼女も互いに苦しかった時いつも、支えあって生きてきたように思います。そこには、お互い苦しくっても自分で乗り越えていこうという共通の思いがあつたのかもしれません。だから、そんな彼女に、私が生活保護を受けてからは「もっと自分が努力することがあるのでは・・・」と言われていました。そんな言葉が辛く感じるようになり私も反発しました。また、彼女には「もう、友人として、一緒にやっていけないかもしれない」と言われたこともありました。 年末年始はいつも彼女の家に泊まり今までの疲れをとり、新しい新年を迎えていました。今回は、彼女の家に行ってまた私の生活保護をめぐり意見が
January 10, 2007
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私の職種は、A市の臨時職員です。勤務時間は、8時30分~2時15分まで1日5時間です。私たちは、教員免許状も取得しておりクラスによっては主で授業を教えたり、研究授業も一年に何回も何年も続けてやっている人もいるのに臨時教員ではなく臨時職員としての扱いです。教員には守秘義務がありますが、私たちは臨時職員ですから、職員会議や研修などには参加できないことになっていますし、勤務時間との関係で、学校によっては運動会などの学校行事にも参加できません。A市では、30人学級を希望する多くの市民や父母の声に押され、その代わりとして私たちが配置されたのでした。 しかし、市民が納得する教育効果をあげるためには、配置された私たちの立場がこんなに中途半端でよいのでしょうか?市民の願いをきちんと実現させるためには、私たちの勤務形態や待遇の改善は不可欠です。私たちは、実際は教員の仕事をやっているわけですから5時間という時間では連日サービス残業せざるをえません。もともと、教育委員会が4年前に「少人数サポート教員制度」を始めたときは、7時間の勤務時間でした。7時間勤務形態を取った理由として、担任の先生たちと私たちの打ち合わせや私たちの教材研究のためであったと言っていました。しかし、2年前から私たちに勤務時間は5時間に減らされましたが、勤務時間を減らしても教育委員会の担当者は7時間のときと同じように出来ると言っています。 だが、勤務時間をずっとオーバーする状況ですし、勤務時間後の6時間目に授業があるという人も中にはいると聞いています。 一方、私たちの生活実態としては大変に厳しく、時給が1210円なので正規の先生と同じようにやっていても収入は3分の1以下で、年収が80万円にも満たないのです。教育委員会の担当者は、その収入でやれる人にやってもらえばいいと言っていますが、ずっと、教育の仕事にこだわりその仕事に誇りをもち、その仕事で自立してやっていこうと思っている人はどうすればよいのでしょうか?収入のよい仕事には、年齢が高くて就くことができないのが現実として一方にはあるにもかかわらずです。 私自身は、生活保護を昨年の8月から受けていますが、受けたくて受けているのではなく好きな教師の仕事を続けようとすると収入があまりにも少ないためにやむなく保護を受けざるを得ないのです。取材をした記者の方は、私たちの話を共感して聞いてくれましたが、こんな感想も寄せてくれました。「東京のある学校の校長先生が『うちの学校は、就学援助をもらっている子どもが大変多くとても恥ずかしいと思っている』と言ったそうです。」それに対して、その記者の方は、「就学援助をもらうことが、恥ずかしいのではなく、そうしなければならない日本の現実の方がもっと恥ずかしい」と言っていました。 それを聞いて、私も生活保護で生活を支えていることが恥ずかしいのではなく、そのような現実にならざるをえないことが今の日本の教育現場にあるということが恥ずべきことなのではないかと思いました。
January 4, 2007
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