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昨日の夜、帰国して土曜日はノンビリしていた。朝は少し買い物に行ったりして、hicafさんの喫茶店を覗くと、彼がいたので挨拶をしたりして、家でテレビを見ていると、携帯の電話が鳴る。ある仕入先の人であった。本当に私が戻ってくるのを待っていたかのようだった。この人は今はその会社の生産管理部長なのだが、10年以上前私が埼玉にいる時に当社の営業担当をしていたのだ。その後、品質管理部門へ移動となる。去年は委託先の工場がある東ガンに4ヶ月ほど滞在。私もたまたま広東省への出張があったので、その時に久しぶりに会った。今週の火曜日から上海に来ていて委託先の工場にいたようだ。そして日曜日に帰国するというので、じゃ食事に行こうという事になった。委託先の人(この人も知り合い)や他の社員もいれると総勢5人になった。日本料理を食べに行く。上海は日本料理店が多く、またリーズナブルな価格で食べられるので、本当に嬉しい。最近の業界の話やら、上海の状況などの話をして盛り上がった。その後、お決まりのクラブ活動。私も時々行く店なのだが、委託先の人もよく行く店。いつもはかなり混んでいるのだが、さすがに土曜日だけあってお客さんは少ない。しかし小姐も少ないな。そうこうしていたら、別の知り合いがやってきた。私は2つの席を行ったり来たりうろついていた。終わったのは1時。家へ帰ったら1時半。さすがに今日は眠い。飲みすぎ。
2004.01.31
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この楽天日記でリンクしているなっちビーチさんに会った。以前から「お茶しましょう。」と言う事になっていたのだが、結局私が上海に戻る日になってしまった。昼食をいっしょに食べようと言う事になり、難波のスイスホテルのロビーで待ち合わせ。私は彼女のホームページで顔を知っていたが、彼女は私の顔を知らないので、服装や特徴は話していた。待っていたら、若い女性が歩いてきたので顔を見たら、彼女だった。一目見てすぐにわかった。彼女は小柄で可愛らしいお嬢さんである。なんばCITYでいっしょに食事をして、その後、スイスホテルの喫茶室でお茶を飲む。彼女はまだ学生なのだが、話しているといろんな事を知っているなあと思う。この楽天日記の事。上海の事。旅行の事。その他にもいろんな話をしてあっという間に時間が経ってしまった。「私、shinさんを関西空港まで送っていきます。」と言われたのだが、遠まわりになって大変だと思ったので、結局難波で別れた。チョコレートまで頂いてしまい、なっちさん、ありがとうございました。また帰国した時はよろしくお願いします。午後6時30分発の全日空153便で関西空港を出発。上海時間7時55分に上海浦東国際空港に到着。久しぶりに中国語(普通語)や上海語がまわりから聞こえてきた。タクシーに乗って行き先を言う。「古北新区」。また上海での生活が始まるのだ。
2004.01.30
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昨日会社からのメールを見ていたら、先輩の社員がガンで亡くなったとのメールが入っていた。以前からガンで入院しているという話は別の先輩からメールで連絡があったので、知っていたのだが、まさか亡くなるとは思ってもみなかった。この先輩は私が若かった頃、初めて東京へ行って2年ぐらい経って、別の部署に配属された時の上司であった。その後、一昨年私が東京にいた時は、私が上司で先輩が部下という関係になっていたのだが、なぜか気が合った。それだけに非常に残念である。先輩は真面目なのだが、仕事に対してそんなに積極的では無かった。自分からお客様の懐へ飛び込んでいくタイプではなかった。だから会社からの評価もそれほど高いものではなかった。しかし性格は温厚でまたユーモアもかなりあって、人間的に非常におもしろかった。私とは気が合って、お互い遊び好きという事もあり、よく何人かでいっしょに夜の街へ繰り出したものだ。渋谷、新宿、六本木、上野はもちろん、会社の近くでもよく飲みに行った。いわゆる遊び仲間であった。カラオケに行けば、2人で加山雄三の「旅人よ」をよく歌った。加山雄三とグループサウンズが好きだった。ちょっとスケベでいつもお店の女の子のお尻を触っていた。だが先輩が触っても女の子はあまりいやな顔をしていなかったなあ。人徳やなあなんて思ったものだ。お葬式には行かない。上海に帰る予定の次の日で、場所が横浜という事もあるが、行ったら、涙もろい私は多分涙があふれすぎて、とてもまともな顔ではいられないだろうから。まだ、56才。早すぎる死である。先輩よ、安らかに。
2004.01.29
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月曜日から水曜日まで和歌山県にある白浜温泉に両親と行ってきた。父は足が弱っていてあまり歩くことが出来ないので、車で行った。近畿自動車道と阪和自動車道を使って家から2時間半で行けた。本当に便利になったものである。道路公団うんぬんで、有料道路の見直しがなされているが、こういう時はやはり便利なのだ。しかし車は少ない。確かに採算は取れないだろうと思う。とにかく温泉に入りまくる。朝、昼、晩1回ずつ。外は寒かったが露天風呂にも入った。ホテルの前は白砂のビーチ。夏はすごい人になるそうである。太平洋の水平線が広がり、夕日が沈む。なんとも言えない素晴らしい光景である。ホテルの近くに3つ見所がある。円月島ー真ん中が空洞になっている島。左右対称で素晴らしい形をした島。千畳敷ー海岸が海の侵食でなんとも言えない海岸ぶり。三段壁ーここも一見の価値がある海岸なのだが、洞窟がある。その昔、熊野水軍が船を隠した場所だとの事。この洞窟が一番見ごたえがあった。食事では定評のあるホテルだけあって、盛り付けも素晴らしい。目で見て楽しめる。味のほうも抜群。とにかく食べて飲んだ。そして昔話や私の上海生活の話で盛り上がる。今回は初めての親孝行のようなものだった。両親は結構いい年になっており、いつまでいっしょに連れて行けるかわからないが、最低でも1年に1回はどこかへいっしょに旅行しようと思う。
2004.01.28
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春節の時期に日本へ帰ってくる事の目的の一つが、確定申告をする事。今年はいつもより早いのだが、昨日確定申告の用紙が税務署から来たので早速今日計算をして記入する。株の配当があるので、控除を受けるための申告もあるのだが、配当控除だけだと簡単。しかし収入がある場合の確定申告は本当に面倒くさい。時々、税率や税額が変わったりするし、計算式自体も非常に複雑。毎年やっていても、もっと簡単に出来んのかなあと言う感じだ。親の分は年金もあるので、それを含めて計算。ようやく終了する。計算をする事が嫌いな私としては、たいした作業ではないのだろうが疲れた。いよいよ休みも後半に入る。月曜日から水曜日までは白浜温泉へ両親を連れて行く。久しぶりの長距離運転なので、気をつけて行こう。でもほとんど高速道路なので問題ないと思うが。木曜日は夜、ユーザーの人2人と会食。と言っても仕事では無く、プライベート。みんな同じ年で気が合うので。金曜日は、上海へ戻る。
2004.01.24
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普段は上海に住んでいるのに、春節になるといろんな用事があって日本へ帰ってくる。だから、上海で春節の雰囲気を味わった事がない。そこで今年は神戸のチャイナタウンへ行って、せめて気分だけでもその気にさせようと思い出掛けた。神戸は学生時代によく訪れたところ。本当は北野の異人館あたりも散歩したかったのだが、(学生時代よくデートで散歩した)また起きるのが遅くて、とても行けそうにないので、チャイナタウンがある南京町へ直行。さすがに爆竹は鳴らしていないが、イベントはやっていて、ちょうど獅子舞が舞っているところだった。それにしてもすごい人だかりである。獅子舞はその後、イベント広場を出て街中へ進んでいった。その後、天津出身の女性歌手の歌。日本でもレコードを発売しているらしい。日本の歌が多かったが、天津とモンゴルの歌も披露していた。最後は台湾から来た雑技団。これはなかなかおもしろかった。イベント終了後、少し神戸の街を歩く。大震災から9年。今は当時を思い出させるような事はまったく無い。日々復興したのだろう。当時本社勤務だった私は、当社の西宮営業所の所員達の状況が大変だったので、バイクを持っている社員達に、コンビニで買ってきた弁当やらインスタント食品、飲料、生活用品などを運ばせた事がある。家を失った社員も何人かいたが、幸い犠牲者が出なくてほっとしたものだ。震災1ヵ月後に神戸の街へ入ったが、まるで爆撃の後のようであり、電車もまだ動かず、バス停で4時間待って大阪まで帰ったのを思い出す。夜は、本社勤務時代に知り合った会計士の人と当社の社員1人と食事に行った。昔話に花を咲かせ、また私の上海での生活も話して盛り上がった。最後はクラブ活動(ルーマニアとウクライナ小祖がいる)もしっかりしてきた。
2004.01.23
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今日は以前から予約していた人間ドックへ行く。去年もある病気で要注意だったのだが、上海にいて食事療養もせず、運動もせずで1年を過ごしてしまった。今日の結果は、×。「○○病です。」とはっきり言われてしまった。う~ん。ショック。前から予備軍ではあったが。いよいよ節制した生活をしないといけないようだ。散歩でいいのだが、もっと動かないといけないらしい。上海に来て1年半。車での移動の生活に慣れてしまったからなあ。これがよくないのだろう。もろ、運動不足。検査が終わって、少し道頓堀から御堂筋方面を歩く。散歩即実行。でも3日坊主確実。歩いていると、中国人らしき旅行者が本当に多い。台湾人、香港人かもしれないのだが、かっこうとか見るとすぐ中国人とわかる人達がカメラを写したりして歩いている。本当に中国人旅行者が多くなったものだ。それにしても今日は寒い。(天気予報では最高気温は1℃との事)
2004.01.22
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さすがに、3日読書三昧したので体が鈍ってきた。これではいかんと思いとにかくどこかへ出掛けようと家を出る。すぐに思いついたのが、私が卒業した大学。プロフィールではKG大学なんて書いているが、兵庫県の西宮にある関西学院大学である。卒業後、一度だけ行ったことがある。ただその時は人事部のヘルプで半分以上仕事と言う感じだった。まず阪急十三まで出る。そこで乗り換えて西宮北口へ。この駅もだいぶ変わったな。また乗り換えて甲東園で降りる。学生がかなり降りた。ここから学院まで歩く。学生達といっしょに歩いていると、まるで自分が学生時代に戻ったような錯覚におちる。あの頃もこの道よく歩いたなあ。坂がきつくて疲れた~。正門に到着。この大学は本当にフリーに入れる。一応守衛さんに挨拶。卒業証明カードを見せて「卒業生なのですが、ちょっと入って写真撮っていいですか?」「どうぞ。どうぞ。」正面にはシンボルの図書館。かなり新しい学舎も増えている。この大学の建物はスペイン風の建物が多い。歩いていると約30年前にタイムスリップする。青春時代の真っ只中。恋もした。(フラレてばかりだったが)勉強も少しした(笑)。合コンもよくした。(神戸女学院始め女子大が多かったなあ。)学園祭で屋台を出した場所を通る。懐かしい。学食の建物は健在だが、業食はもう無いなあ。真ん中に大きな芝生がある。これは通称上ヶ原牧場と言っていた。今は寒いので寝ている学生はいない。歩いているとなぜか女子大生が目につくなあ。女子の比率が増えているのか?それも結構洗練されているではないか。私の時代とだいぶ違うなあ。友人達と飲みに行って帰るのがしんどくなって、地方から来ていた友人の下宿によく泊めてもらったものだ。そのあたりも歩く。おお!まだあの下宿残っているではないか。学生達の顔を見ていると、本当に屈託の無い笑顔である。学生時代は社会の荒波に向かっていく前の甘美なひとときなのだ。大学時代の友人が今日、目の手術をする。そんなに難しい手術では無いらしいが、かなり視力が衰えてきているのでするらしい。この年になると体もどこかへたってくる。離婚した友人もいる。消息不明の奴も。卒業して早や27年。光陰矢のごとし。本当に月日が経つのは早いものである。
2004.01.21
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今日も朝、目が覚めたら10時だった。既に妻は仕事に出掛けていない。長女も仕事。長男は高校。次女だけがまだ寝ていた。今、大学の試験なのだが、この次女も昼頃大学へ出かけた。結局日本へ帰ってきても平日は1人になってしまうのだ。仕事のメールを自分の私用のメールアドレスに転送しているので、それをチェック。上海事務所も旧正月前と言う事で電話も少なく、仕事もあまり無いようだ。今度新しく赴任してくる日本からの社員の赴任日が3月10日ごろになったようだ。日本の会社からのメールも転送しているのだが、たいしたメールも無い。そんなこんなで、うだうだしていると昼頃になってしまう。どこか出掛けよう思うのだが、昼からだと出かける気にもならないので、だらだらする。本は3冊目の野中広務氏の「老兵は死なず」。去年の任期を最後に引退した自民党の実力者。いわゆる抵抗勢力と言われた1人である。反小泉勢力の意見を読むのもなかなかおもしろい。ちょうどこの人が政策の中枢にいた頃は「失われた10年」にあたる。橋本、小渕、森とドンドン首相が変わっていく過程がリアルに描かれていておもしろい。今、家から外を見た。本当に今日はいい天気だ。ここは住宅街なので静かである。万博公園やエキスポランドが見える。今日もだらだら過ごす事になりそう。
2004.01.20
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今日は神戸あたりを散歩しようかと思ったのだが、インターネットで調べると1月22日から神戸の中華街で春節の催しがあるらしい。せっかく行くならその時のほういいと思い今日は出かけるのを止める。ただ近所の「ユニクロ」へ行ってショルダーバッグを買ってきた。散歩するのにちょうどいいバッグがこちらの家には無かったので。帰りにうどん屋へ入り、きつねうどん五目飯付きを注文。久しぶりのおうどん。おいしいなあ。その後家に戻った。確定申告の用紙がまだ来ていないので、とりあえず、昨日買ってきた本を読もう。まずは田原総一郎と岡本行夫の対談形式になっている「生きのびよ日本」小題目は「イラク戦争とイスラム世界」「新アメリカ帝国の時代」「目覚める獅子中国の底力」「どうする北朝鮮危機」「戦略なき国家・日本」「自衛隊は出すのか 憲法は変えるのか」中国の事に関しての対談があったので読む。岡本氏は親米派の外交評論家であり内閣総理大臣補佐官であるが、日本がアメリカの次に重要な国は中国であると言っていた。真にその通りなのだが、内容は省くがこの人は冷静に中国を見ているなと言う印象だった。たまにはこうやって読書三昧もいい。
2004.01.19
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今日は朝、ゆっくり起きた。10時からテレビで「サンデー・プロジェクト」を見ていたが、あまりおもしろく無いので、パソコンしながら見る。その後、散髪をしに行った。日本で散髪するのは久しぶりである。上海の散髪屋はなぜかマッサージの時間が長くて、どうなっているのと言う感じだが、久しぶりの日本の散髪屋。日本だと髪の毛が多いと切ってくれて、頭が軽くなる。上海だと髪の毛の先だけしか切らないので、短くはあるのだが髪の毛は重いまま。顔を剃ってくれるのもいい。上海だと剃ってくれないよなあ。その後、最寄り駅へ歩いていく。去年まで何にも無い田舎駅だったが、去年の末に駅ビルが出来て、スーパーやら本屋やら、「ユニクロ」「スポーツオーソリティー」まで入っている。まずタバコを買う。日本にいる時は「フィリップモリス・ワン」を吸っていたのだが、上海には売っていない。上海では「ケント」や「マイルドセブンライト」を吸ったり。でもやはり「フィリップモリス・ワン」が一番香りがいいな。そして本を買い込む。すぐ目に付いたのが西村京太郎の「上海特急殺人事件」とうとうトラベルミステリーも中国まで来たか。今、読み始めたばかりだ。他に「生きのびよ。日本」(田原総一郎)。「国が死ぬ。救国の鉄槌」(落合信彦)。「老兵は死なず」(野中広務)。こんなに買って読めるのか。経済の本が一つも無いな。まあ、いいか。とりあえず、「上海特急殺人事件」の続きを読むとしよう。
2004.01.18
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今日の朝、古北新区の家からタクシーに乗って、浦東国際空港へ向かう。途中、リニアモーターカーが走っているのを2回見た。本当に速い。5両ぐらいだった。浦東空港から大阪まで所要時間はたったの1時間半である。本当に上海ー大阪は近い。飛行機に乗って、早速、液晶画面とリモコンを操作して映画を見ようとしたが、あまりおもしろいのはない。そこで音楽を聴いていた。女子十二楽坊(名前合っているかな?)の音楽があったので聴く。少しすると食事が出てくる。いつも全日空なので同じような感じのメニュー。食事が終わり、外を見るともう既に陸地が見えている。ナビゲーションを見ると四国の坂出あたりだ。ちょうど雲が切れていて坂出に町がはっきりと見えた。アナウンスがあり「当地の天気はみぞれ。気温は3度」お~。寒そう。まもなく、関西空港に到着。関西空港は今は滑走路が一本だが、既に二本目を造っている。もう既に埋め立ては終わっているようである。まったく気付かなかった。私の家は大阪でも北の方なので、電車を乗り継いで家まで帰った。最近家に帰ると家の物が新しくなったりしている。11月に帰った時は久しぶりに帰ったので、冷蔵庫、電子レンジ、トースターが変わっていた。今日はテレビは変わっていないのだが、なんと地上波デジタルが見れるようになっている。アダプターが取り付けられていた。まず画像がすごくきれい。いつも上海で衛星放送を見ていて、画像は乱れまくっているが全然違う。番組表を見ることが出来る。これはすごい!双方向放送もあるらしい。今回は上海で買ったDVDをいくつか持って帰ってきた。あの「ラスト・サムライ」ももちろん持ってきた。息子がそれを見て「いったいどうなってんねん。中国。」以前日本にいた時によく見ていた「ブロードキャスター」でおもしろい特集をやっていた。カメラつき携帯電話の新しい使い方なるもの。最近日本ではほとんどの人がカメラ付きの携帯電話を持っているという。某女子大(国文科)では、自分が興味がある物事を俳句にして、かつカメラ付き携帯で撮影して教授にメールで送るという。またアリバイ写真なるソフトもあり、奥さんから「どこにいるの?写真送れ。」のメールに対して、携帯の画像を編集して、実際と違う場所にいるようにして画像を送ったり出来るようだ。まあ、ちょっと日本にいない間にドンドンいろんな事が変わってしまう。(我が家も)
2004.01.17
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12月に一度帰国したが、いつも帰国は仕事がらみ。だからゆっくり日本で自分がしたい事も出来ない。今度は春節にひっかけてのプライベートな帰国なのだ。1年のうち日本でノンビリ出来るのはこの季節だけである。今回は単身赴任者が1年に1回とれる特別休暇もプラスした。だから約2週間の休みとなる。1週目は、人間ドックに行ったり、確定申告をしたりする。本社勤務だった時に知り合った会計士の人と久しぶりに食事に行く事も決まった。後は、本屋で本を買ってきて読みたいし、大阪、京都、神戸の街も散策したい。でもこんなにいっぱい出来ないな。2週目は、両親と白浜温泉でゆっくり休養。やはり日本の温泉に行きたかったから。私は大学卒業後、ほとんど両親とは離れて暮らして来たので、多分初めての親孝行。白浜温泉でも1,2を競うホテルを予約した。ちょっと贅沢だが上げ膳据え膳でゆっくりと。温泉から戻ってきたら、ある仕入先の人と食事になるだろう。最近当社の社員が、私が今度いつ帰ってくるのか聞いておいてくれと言われたらしい。今連絡中である。帰国前日には当社のユーザーの人であるが、非常に仲がいい2人と食事。私も含めて3人同じ年なのだ。久しぶりの再会である。その内の一人は去年の3月まで無錫で勤務していた。今回は事情があって大学時代の友人とは会えなくなってしまった。残念であるが、2月にもまた帰国するので、その時に会うか。
2004.01.16
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一昨日、私の知り合いが電話してきて、「今週、私の友達が上海に行くので食事に連れていってやって下さい。」と言われた。この知り合いは、以前私が東京勤務だった時に、あるユーザーの協力会で、私が会長で、その人が事務局をしていた。私が上海に来てからも、2回ほど上海に遊びにきて食事もご馳走になっている。むげに断ることも出来ない。夜、その人(知り合いの友達)から電話があり、「久しぶりです。」と言われた。「あれ!俺の知っている人なのか。」と思ったが、まったく記憶に無い。とにかく泊まっているホテル(浦東の日航ホテル)を聞いて、そのホテルのロビーで待ち合わせ。今日は雨でなかなかタクシーがつかまらないのだが、たまたま運良くつかまって、なんとか日航ホテルまで行けた。ロビーから部屋に電話して「今着きましたから。」と言う。少し待っていたら1階に降りてきた。その人は「ご無沙汰しています。」と言うので、私も「ご無沙汰です。」と言ったのだが、顔を見てもまったく覚えていない。さて、どこで会ったのだろう。その人の知り合いも来ていて、3人で食事。その後クラブ活動もしたのだが、結局、どこでいつ会ったのかまったく思い出せなかった。謎は深まるばかりである。明日、以前東京時代にもらった名刺の束をひっくり返してみようと思っている。
2004.01.15
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今週は突然知り合いがやってくる事が、月曜日、火曜日と重なった。月曜日は、大阪府の職員の人で、去年まで上海に住んでおられたので、よく情報交換をしたりしていた。今は日本へ戻って観光誘致の関係の仕事をしているのだが、先日ある日本の大手観光会社の展示会に出席する為、上海に来ていたのである。月曜日に突然当社に来られた。私も来週ぐらいに電話しようと思っていたので、ビックリ。夜、いっしょに食事に行く事になった。彼が言うには、日本で働いていてもおもしろくない。上海に戻ってきたい。とのこと。こういう人結構多いんだようなあ。会社からの転勤命令が出て、その場で辞めたり、日本へ帰ってから辞めたりする人。昨日(火曜日)は、大学の先輩で当社の仕入先の社長でもある方が突然電話してきた。ただ、この会社の工場の責任者からは、今ごろ上海に来ると言う話は聞いていたのだ。ただ最近のごたごたですっかり忘れてしまっていた。「今日の夜、空いている?食事にでも行こうよ。」いつもこの調子なんだから、わが先輩は。そして夜は居酒屋で食事。社長業は本当に大変なようで、海外に来るのは息抜きのようなものだ。と言っていた。日本にいるとストレスがすごく溜まるらしい。来月は東南アジアをまわるとの事。毎月、海外に出かけているらしい。もちろん2日とも食事の後はクラブ活動。2日連続寝たのは翌日。疲れた~。
2004.01.14
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今日は、どうしても浦東国際空港の近くにある物流会社の倉庫へ行かねばならなくなった。そこでたった一人残っている日本語が話せない女子社員も連れて行く事になった。香港から来た商品が破損している可能性があったからだ。結果から言うと破損はしていなかったので。事なきを得たのだが。近くに新規のユーザーもあったので、ついでと言ってはなんだがこのユーザーも訪問。彼女といっしょに珍道中である。倉庫の場所もユーザーの場所もはじめていくのでよくわからない。彼女が電話で倉庫の人やユーザーの人と電話で話して、ようやく到着。話し相手は倉庫では中国語でちょっときつかったが、ユーザーでは日本人なので、楽だった。移動中は2人で私のつたない中国語でいろんな話をしていた。昨日、また一人女性を面接して、結局この子に決めた。先週も一人いい子がいたのだが、条件面で当社と合わなかったので、丁重にお断りし、昨日の子に決定。遼寧省の出身。生まれた所はワインで有名らしいが名前を聞いてもわからなかった。春節後からの出社。これでとにかく中は一安心である。今度は営業をじっくり面接していく。
2004.01.13
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今日からNHKの大河ドラマ「新撰組」が始まった。大河ドラマは結構好きで毎年のように見ているのだが、上海に来てまで見れるとは思わなかった。一昨年の5月に上海に来たのだが、この時放映していた大河ドラマは「利家とまつ」。松島菜々子がまつ役。内助の功を発揮するのがおもしろいドラマだった。去年は「武蔵」。宮本武蔵をドラマ化したのだが、なんか話が小さくて途中で見るのをやめてしまった。大河ドラマはやはりスケールが大きくないとおもしろくない。今年は「新撰組」。香取信吾が主役の近藤勇を演ずる。今日見た感じは出演者が若い人ばかりで重みに欠ける。ベテランは石坂浩二ぐらいだ。まあ、まだこれからどうなるのかわからないので、もう少し見てみよう。頑張れよ!NHK。おもしろく無いとまた今年も日曜日の夜はDVDを見ないといけない。
2004.01.11
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以前蘇州で買った「ラスト・サムライ」が見れず、その後上海でも買ったがこれまた見れず。今日家の近くのDVD屋に行ったら、またまた「ラスト・サムライ」を売っていたので、性懲りも無く3枚目を買う。今までで一番高い10元であったが、今度は見る事が出来た。音声は英語で字幕は中国語を選んだのだが、やはり半分ぐらいしか理解出来ない。話の方はまあまあかな。そんなにめちゃくちゃおもしろいという感じでは無かったな。ラストシーンが近づいてきたら、急に画面が止まった。おいおい、何でやねん。最後やと言うのに。それから止まったと思えば動き、動いたと思えば止まる。結局イライラして見るのをやめてしまった。最後がわからんやないか。やはり、「どうなってんねん。ラスト・サムライ」である。(12月28日の日記参照)
2004.01.10
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昨日は2人と面接。夜の6時半に来た子が非常に真面目そうなので、今日の朝、人材紹介会社に連絡する。この子が今勤めている会社は、もちろん日系企業なのだが、私の家庭教師の女子大生が今アルバイトで行っている会社でもある。日本の長崎に留学経験があるだけあって、日本語の言い回しもうまい。まだ入社の意思があるかどうかわからないし、昨日聞いた入社予定日がかなり遅いので、その日程の問題も残っているが、なんとか採用したいものだ。++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++人材紹介会社から連絡があったのだが、条件面で当方と先方で開きがある。こちらも検討してみるが、ちょっと埋められないかもしれないな。
2004.01.09
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今日と明日、日本人社員(彼は中国語が話せる)が日本へ出張に行っているので、私と残った女性社員(日本語は話せない)の2人で仕事をする事になった。朝、日本人からの電話は全て私が対応し、中国人からの電話は全て彼女が対応するという事を決めた。そして問題があればお互いに話して確認を取り合うこととした。早速いくつかの事で話し合う事になった。簡単な事は理解出来るのだが、専門用語が出てくると何を言っているのかさっぱりわからないようになる。そして筆談になるのだがそれでもわからない。これはまいったなあと思っていたら、彼女がパソコンに向い、何かしている。そして覗いたら翻訳できるホームページに中国語で打ち込んでいる。そして日本語に変換して見せてくれた。おお!わかった。なるほど、この手があったのだ。早速私も日本語ー中国語の翻訳が出来るHPを開いて、何かある時はこれで対話するよう用意した。今までは、日本語が出来る中国人スタッフに言葉の面で頼っていたのだが、こうなったら中国語を話すしかない。でもこうして苦労しながら仕事をしていると、今までよりも本当の意味で仕事をしているようで、なんかすごくいい感じだ。++++++++++++++++++++++++++++++昨日はこの女性社員が帰った後、電話が鳴り、私がとった。お客さんの購買の中国人(彼は日本語は話せない。英語は話せる)。私もよく知っている人で中国語と英語のちゃんぽんで話をした。簡単な内容の話なので問題なく意思疎通が出来た。これまたいいねえ。
2004.01.08
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中国の会社は12月が決算期と言う事で、この12月が締めくくりの月なのだが、昨年の12月も業績は過去最高を更新した。いくつかあるビッグビジネスの受注が順調に推移したのである。私の計算では、12月単月の推定経常利益は、日本円で換算すると800万円ぐらいに達したと思われる。6月頃までは毎月のように大きな赤字を出していたのだが、それがウソのようだ。ただ、12月はユーザーが旧正月対策として通常より多めに発注していると思われ手放しで喜んでもいられない。その上日本産の商品はこの円高で仕入れ価格のアップが1月から実行されるため、今年からはこんなに利益は出ない。そして次の新規商談が少ないのでなんとか新しいネタを発掘しないといけないのだが、ちょっと見通しが暗い。まだ現地調達を迷っているユーザーの背中でも押してみようかなあ。去年1年間の推定経常利益は多分赤字だろうが、今年は間違い無く黒字になると思われるので、今まで日本の本社から借りていた多額の借金を出来るだけ返済したいものだ。なんたって「借りた金は必ず返す」のが、当たり前なのだから。今日は内勤として残ってはいるが解雇する2人の社員が休む。なんと今日は私ともう一人の日本人社員と中国人社員(この女性社員は日本語も英語も話せない)の3人で仕事。オフィスは結構広いのに3人で仕事とは寂しいものだ。早く新しい社員を入れたいのだが、なかなかいい人材がいない。困ったものである。
2004.01.06
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今日内勤の候補の女性を2人面接したが、もう一つピンとこなかった。人材派遣会社には、もっと紹介するよう依頼。それと今日付けで営業をしていた2名が退社。もう次に行く会社は決まっているようである。さすがに上海人。行動はすばやい。これでついに現地スタッフの営業は誰もいなくなった。当面開店休業である。ユーザーへ行く時は、これからは私が一人で行く事になるのだ。最近少し中国語もわかるようになってきたので、まあ、なんとかなるだろう。私はお気楽おやじである。とりあえず物流は動いているし。ユーザーの工場のラインに支障をきたさないように、ここは細心の注意を払っておく必要がある。私も長い間会社勤めをしているが、本当にこういうのは初めてである。今回は本当にいい勉強になった。これからやり方を変える必要があると思っている。
2004.01.05
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夜、bs朝日で田原総一郎と中曽根康弘元首相の新春対談をやっていた。おもしろそうなので見る。中曽根元首相は佐藤栄作元首相の次に総理大臣経験年数が長く、5年やっていた。「風見鶏」のニックネームをもらったりしていたが、今では戦後の大物政治家としては唯一生きている証人と言ってもいいのかもしれない。番組ではもちろん自分の功績を淡々と述べていた。「戦後政治の総決算」「ロンヤス関係」「不沈空母」「パーフォーマンス首相」などいろいろと話題が多かったが、この人の時代にやった最大の功績は国鉄、電電公社、専売公社の民営化に代表される構造改革だろう。今の小泉首相を見ても構造改革にはすごい抵抗がある。その辺の裏話も出た。話は内政、外交、経済、教育問題、大物首相への評価など多岐にわたり、なかなか見ごたえがある番組だった。中国の話はあまりなかったが、これからの中国との関係については、善隣友好関係を築き、日本と中国が手を取り合ってアジアの繁栄に努力していかなければならないと言っていた。胡耀邦元書記とは家族ぐるみの付き合いだったと言っていた。どちらかと言うとアメリカ一辺倒のような気がしていたが。私ももちろん中国との関係についてはそう思う。ましてこれだけ人の往来も活発になっているし。中国語を勉強していると日本と中国は本当に似ている所が多い。昔から活発な交流があった事が言葉を勉強していても感じるのである。お互いを理解尊重し合って共に歩んでいく事が大切なのだろう。
2004.01.04
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この楽天日記でリンクしている、のむてつさんと久しぶりに会った。今日は居酒屋Sで飲もうと約束していたのだ。新年会である。彼の中国語会話教室のある建物の1階で5時半に待ち合わせ。私の家からは歩いて5分なので楽ちんだ。そして居酒屋Sへ行く。相変わらずサービス精神旺盛な店だ。いろいろと注文したが、寒いのでおでんも注文。メニューを見ていたら,なんとお雑煮もあったので、「のむてつさんお雑煮食べましょう。」と言うと「いいですねえ。」2人で上海でお雑煮が食べられる幸せをかみしめた。去年のお正月は、日本から来た当社の女性社員をこの店に連れてきて、ここで餅つきをしたので、たまたま通りかかった店長に「今年も餅つきあるの?」と聞いたら「ありますよ。ぜひ、お餅つきしていって下さいね。」7時半過ぎから餅つきが始まった。去年はお店の外での餅つきだったが今年は店内での餅つき。私達は一番目ぐらいに呼んでもらう。「のむてつさんデジカメ持っていますか?」「今日は持ってきていないんですよ。」「私持ってきていますので写しますよ。」餅つきは私は3回ぐらいでやめてしまったが、彼は10回ぐらいお餅をついていた。最後に海苔茶漬けで〆て、お勘定をしている間、「カラオケクラブでも行きますか?」と言ったが、「そういう所は苦手で。」彼は真面目だ。さすがに元教師です。私は「まあ、まあ、たまには行きましょう。」と言って半ば強引に古北新区の行きつけのクラブへ連れて行った。少し小姐と話をして、カラオケ歌おうという事になった。のむてつさんが最初に歌ったのはミスターチルドレンの「星になれたら」。彼の楽天日記のHPの最初に書いている「動き出した僕の夢 高い山越えて 星になれたらいいな」ってこの歌の歌詞だったんだ。知らなかった。「shinさん。私が教師を辞める時に生徒達がこの歌を歌ってくれたのですよ。私泣いちゃいました。」本当に好青年なんですね。「動き出した僕の夢」か。今ののむてつさんだな。本当に若いって素晴らしいと感じた瞬間でした。
2004.01.03
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昨日は元旦であったが、上海では特に大きな催しも無く、これでは何もすることが無いので散歩に出掛けた。淮海路×馬当路までタクシーで行く。ここに、かの「ユニクロ」の3号店(多分)がある。ここをデジカメで写す。なぜかと言うと、今、当社の社内ホームページに私の中国散策日記を掲載していて、既に上海の観光地や蘇州の観光地などは掲載しているのだが、今度は上海にある日本企業のお店をアップしようと企画しているので。後、「吉野家」や「ぼてじゅう」(大阪のお好み焼き店)「マンガ喫茶ゆくり」「生活良品」(日本の100円ショップ)以下何店か勝手に掲載する予定。日本にいる社員達をビックリさせてやるぞ。その後、新天地へ行く。昨日年越しコンサートをしていたであろう場所へ行ったら、ちょうどステージを解体している所であった。新天地はまだ早いからか人は少なく特になんのイベントもやっていない。その後、淮海路へ戻ってぶらぶら歩いていたのだが、早くも疲れてしまった。やはり年か。今年の誕生日が来たら50才。寄る年波には勝てないな。(単なる運動不足かもしれないが)マクドナルドがあったので入ってスプライトを注文して飲む。マクドナルドは一応ニューイヤーという感じの飾り付けをしているな。そして復興公園へ行った。ここへは初めて来たのだが入口を入っていったら後ろから何やら叫んでいる人がいる。よく聞いてみるとどうやら入場料を払わないといけないらしい。知らなかったわ。入場料2元(約30円)を支払う。公園はそんなに大きくはないが老人達が集まっていてノンビリ座っていたり、何人か集まってトランプをしている。中国人は本当にトランプが好きだ。きっと賭けているだろうな。そして出口を出てタクシーをひろう。復興路をタクシーは走って行く。外の景色を眺めていたが、租界時代の住居らしき建築物が結構残っている。このあたりも多分昔はフランス租界だったのだろうな。これは新しい発見だ。今度時間がある時にゆっくり散歩しよう。最後にサウナへ行った。さすがに今日は中国も休みだからだと思うが、すごい人だかりであった。昨日は珍しく白人も何人かいたなあ。元旦に大きなお風呂に入る。これは最高の贅沢だな。
2004.01.02
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昨日の夜、上海で2回目の「紅白歌合戦」を見る。結果から言うと白組の圧勝であった。昨日はほとんど他のチャンネルに変える事も無く見たが、歌うことを中心にした本来の歌合戦であり、なかなか良かったと思う。その後、「行く年来る年」を見る。各地の模様が映し出されるが、やはりお寺が多い。深々とした雪が積もる東北のお寺を見ると、本当に新しい年がやってきたと思うのである。その後チャンネルを変えると、上海の新天地で年越しのコンサートをやっている。すごい人が集まっている。香港や台湾の歌手も参加しているようだった。日本から1時間遅れでの新年。私が住んでいる古北新区では、年越し前に花火が上がった。その後新年に入ってもう一度花火が上がる。去年は私にとっては比較的いい年だったと思っているのだが、今年もいい年でありますように。それと世の中も悪いことより、いい事が多い年でありますように。
2004.01.01
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