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シンセンから仕入先の人が来社された。彼の話によるとやはりシンセンやトンガンは治安が悪いそうである。夜は歩けないそうである。当社もシンセンに事務所があり、もう1年あまり前に香港から日本人が1人行ったのだが、彼の話だと、出張で来ている時は感じなかったが、実際に住んでみるとやはり治安は悪いと言っていた。私は2年ほど前に、シンセン、トンガンを訪問。その時は噂ほど治安が悪いとは感じなかったのだが、やはり住むと違うのだろう。これからは華南方面へも出張する機会が出てくる。当然シンセン、トンガンにも行く事になる。気をつけねば。この人の話では、香港からシンセンに入る時は必ずネクタイをはずすそうだ。ネクタイしていたら日本人と思われて狙われるそうだ。狙われるのは日本人や香港人、台湾人だけではない。地元の工場で働いている田舎から出て来たであろう女の子でも狙われるらしい。物騒な事だ。それを考えたら何と上海は治安がいいのだろう。ありがたい事である。
2005.01.29
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大学の先輩が2人やってきた。1人は以前にも書いたが仕入先の社長で、青島の小租と付き合っている。今回も日本から青島へ行き、その後上海へやってきた。初めて彼女と会ったのは1年ほど前だったが、その時に比べると格段に日本語がうまくなっている。もう1人の先輩は、同業者の社長。去年奥様を亡くされた。どう言葉をかけようかと思っていたが、ありきたりの言葉しか言えなかった。見た感じは以前と変わらないが、内面は寂しいだろうと思う。日本料理店で食事をして、その後クラブへ行った。盛り上げ役は当然一番後輩の私だ。盛り上げ方と言うのが結構難しい。若者といっしょだとノリノリなのだが、このようなケースでは、雰囲気を楽しんでもらうのがいい。そこでダンスを踊りやすい曲を歌う。まずは石原裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」そして、橋幸夫の「雨の中の二人」これでOK。早速先輩たちは小姐と踊りだした。いい雰囲気だった。盛り上げ方もTPOを考える必要があるな。
2005.01.28
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先日お客様が来られた。1人は日本の会社の人で、もう1人は日中合弁企業の会社の中国人。合弁企業の人は日本語が話せないので、通訳の女性がいっしょに来たのだが、この女性がえらく背が高い。私より高い感じだ。180cmを超えているのではないか。中国人は北の人は背が高い人が多く、南の人は背が低い人が多い。上海人はどちらもいると言う感じ。チップ制のクラブへ行くと、背が高い女性を選ぶ傾向が強いのだが、だいたい北の小姐。大連とかハルピンとか。たまには上海の小姐もいるが。この通訳の女性は上海語も話していたので上海人だ。私より高い女性は今まで見た事がなかったので、さすがにビックリした。
2005.01.27
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ユーザーの人が知り合いの方を連れて来社された。近い将来当社のユーザーになってくれるであろう会社の人。現在、この会社は青浦に工場を立ち上げ中である。工場には2人の日本人がいるのだが、対外的な仕事は来社された方が1人でやっておられる。出張ベースで上海に来られており、月1~2回ペースで出張されているとの事。会社は京都にあるので、関空から京都まで帰るそうだ。近いとは言え、毎月とは大変だ。この方が言うには、京都というのは保守的な所で、みんな外へ出たがらないんですよ。との事。上海ではすごい大変な生活をしなければならないと思っているらしい。この方がそんな事はないんだよと言っているのだが、どうも信じられていないそうだ。つい最近も1人赴任させるつもりでいた若い社員が、直前になってドタキャンしたとの事。どうやら行くと決まってからも、まわりの人から、中国は大変だとか、まともな生活は出来ないよとか言われたそうだ。よく考えたら、私も初めて上海に来る前は、まだ中国では人民服を着ているのかと思っていたぐらいだから、レベル的にはもっとひどかったかもしれないな。
2005.01.26
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日経ビジネスを読んでいたら、50肩の事がでていた。なぜ痛くなるのか原因はもう一つハッキリしていないそうである。どちらにしても老化現象の一種だそうだ。何もしないでほっておいても、平均1~2年で直るそうだが、リハビリの体操をしたほうがいいらしい。少しましにはなったが、まだまだ痛い。そして中医マッサージへ週2回行っている。「後、3ヶ月ぐらいでよくなりますよ。」と言うのだが、本当によくなるのだろうか。去年マレーシアでゴルフをした時も、結構肩に痛みがあった。これではゴルフも出来ないな。
2005.01.25
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4月からの担当変更に向けて、今日から業務を日本人社員に引き継ぐ。今日は蘇州の日系企業へ行く。まあ、まだ時間はたっぷりあるので急ぐ必要はない。基本的には日系企業のユーザーは全て引継ぎをしていく。そして数は少ないが日系企業以外のユーザー(特に台湾系企業)はそのまま私が担当しておこうと思っている。4月以降私が海外に出張し始めても、中国人スタッフで充分に対応できるようにしておくため。今週は台湾系企業も2社ほど訪問する予定。新規のビジネスがあるか探してみる。
2005.01.24
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今週は来客や当社の社員が来たので、3日チップ制のクラブへ行った。先週は本社時代の知り合いが日本から来たので、連れて行ったのが今年初だったが、もうどこへ行っても同じ。さすがに飽きてしまった。以前は自分から行こうと言っていたが、最近はまったく言わない。来客や知り合いが来た時と単身赴任仲間で食事に行く時に、付き合いで行っているくらいだ。もっと違う事をやりたい。4月から中国語が通じない国へも行く事になるので、何10年ぶりに英会話の勉強をしようと思っている。こちらのほうがよほど身につくよな。ただ、最近はクラブへ行くと中国語の歌を勉強中。今練習しているのは「新不了情」と「味道」。どちらもいい曲だ。
2005.01.22
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日本から情報処理関係の部署の社員が2人来た。当社では現在、新コンピューターシステムの導入に向けての取り組みをしているのだが、次期ソフトはグローバル対応と言う事で、その説明にやってきた。1人は2回目の上海。もう1人は初めての上海である。今日は忘年会で社員全員で中華料理なので、昨日は焼肉を食べに行った。食べ放題の店だったがなかなかうまかった。2人とも若いのでたくさん食べてもらった。昨日は外高橋保税区の倉庫での説明。今日は事務所での説明。実務をやっていない私は説明を聞いてもどうせわからないので、今日は電話当番である。
2005.01.21
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引っ越した「花園」だが、朝、敷地内を大きな犬を連れて散歩している人が多い。なぜみんな大きな犬を飼っているのだろう。小さな犬にはとんとお目にかからない。でかい犬が好きなのか。話によるとここは中国人も住んでいるが、台湾人が多いそうだ。他の外国人も多い。朝は韓国人学校のバスが子供を待っている。日本人らしき人も見かけた。白人も。英語で「Good Morning」と声をかけ合っていた。住人は多彩のようである。
2005.01.20
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上海は寒い。そして寒いとなかなか起きれない。昨日は本当に起きれなかった。そして家を出て通りに出るが、タクシーは全部人が乗っている。まったくつかまらない。古北新区でも、遅く家を出るとタクシーがつかまりにくかったが、ここよりはましだった。そして、待つ事なんと40分。やっと空のタクシーが来た。そして延安高架路へ行くが大渋滞。まったく動かない。普段なら20~30分で会社に着くのだが、なんと1時間もかかってしまった。上海に来て初めての遅刻。
2005.01.18
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日本へ帰国していた時に、阪神大震災10年と言う事で各テレビ局が特番を組んで放送していた。中には実話に基づいたドラマを放送している局もあった。10年前の1月17日。私は大阪の本社勤務だった。。地震があった少し前に目が覚めていた。そして地震発生。しかしそんなにすごく揺れたという意識はなかった。その日は福岡へ新幹線で出張する予定だった。もう少し地震が来るのが遅かったら、新幹線もかなりの被害を受けていただろうし、私も巻き込まれていたかもしれない。とにかく最寄の駅まで行こうと家を出た。マンションの入口の壁が一部落ちていた。「うん、なぜ?」という感じだった。駅に着いたら電車は動いていなかった。家に戻る。テレビを見ていたが、最初はそんなにすごい状況になっている感じではなかった。それがだんだん実態が明らかになってくる。当社では西宮や姫路に事務所があるが、西宮の事務所の社員とはほとんど連絡がつかなかった。また他の事務所に勤務している神戸や西宮、芦屋に住んでいる社員達も。その日の夜は、家のそばを幹線道路が通っている事もあり、夜中も大阪や京都から救援にいく救急車や消防車のサイレンが聞こえていた。翌日、本社へ出社。ようやく神戸や西宮、芦屋方面に住んでいる社員と連絡が取れだした。まだ、全員ではないがとにかく無事との事。ただ、家が倒壊したり全焼してしまった人もいた。本社としても何かしなければと言う事で、バイクを持っている社員を集めた。車ではとても被災地へ行けそうになかった。女性社員にはスーパーで買出しをしてもらい、食料、飲料その他を揃えた。そしてバイク部隊に持たせて見送った。後で聞いたところでは、道路が隆起したり陥没したりしており、走るのが怖かったらしい。私の母校は西宮にあるが、やはり被災。数多くの前途ある若者が亡くなった。本当に悲しい事だった。1ヵ月後、地震当日行く予定だった福岡へ飛行機で行き、その後新幹線で姫路まで来た。姫路から大阪へ帰るのに、神戸の三宮まで出た。神戸の街はまるで空襲の後のようだった。三宮からはバスでしか大阪へ行けなかった。みんなバス停に並んでいる、すごい列。バスはなかなか来ない。4時間後ようやくバスに乗れた。もうすっかり夜になっていたが、走るバスから見る神戸の街に明かりはなくゴーストタウンのようだった。今、インド洋大津波で最悪の被害が出ている。私にできる事は何もないのだが、日本へ帰国した時にわずかだが寄付をさせてもらった。
2005.01.17
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今日は上海へ戻る日。2泊3日の超短期出張だ。2月の旧正月も後半に会議があるので、出張を兼ねて帰国する。この時は10日ぐらい日本にいる事になる。その後、恐怖の3週連続日本出張が待ち構えている。帰国した日に、子供たちに遅まきながらお年玉を渡した。今年は奮発して例年の倍額。3人の子供はビックリしていた。普段何もしてあげられないからなあ。土曜日は会議。来期から4現地法人と日本国内2部署を統括する事になるのだが、その正式発表が会議中にあった。そして私は新組織の方針をパワーポイントで発表。こんなプレゼンをするのは久しぶりだ。だがアガる事もなくスムーズに終了した。今日は両親の家に。母は退院したのだがあまり体調はよくないようだ。父はもうボケてきている。同居している妹夫婦には本当に大変だ。「もう蒸発したいよ~。」なんて言っていた。気持ちはわかる。本当に妹には申し訳ない限りである。
2005.01.16
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急遽、南京へ行く。ノルウエーと中国の合弁企業の会社を訪問。先方から取引依頼が来ていたのだが、どんな会社かわからないので見に行ったのだ。結果から言うととても通常取引は出来そうにない。そこで、かなりきつい条件を提示した。まあ、注文は来ないだろう。上海ー南京の高速道路は今も拡張工事をしている。一部だけ工事が終わっているのだが、片側4車線である。てっきり3車線と思っていたが、4車線だった。さすがに4車線だと走りやすい。明日日本へ短期出張。
2005.01.13
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以前上海に住んでいて、その後アメリカに行った知り合いが突然やってきた。彼はもともとアメリカに住んでいたのだが、仕事の都合で上海に。ペルー人の彼女と別れ別れになり、寂しくてアメリカに戻ったのだが、結局別れてしまった。その後もフロリダに住んでいるのだが、今ニューヨークの日系企業に応募していて、受かったらロスへ行くことになるそうだ。もともとロスに10年住んでいたので、やはりロスがいいらしい。今回は旅行で上海に来たとの事。久々にいっしょに食事をして。クラブへも行った。クラブで遊ぶということがアメリカではないので、かなり満足したようであった。彼は今日ロスへ戻る。
2005.01.12
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引越しがようやく完了した。今度の家はメゾネットなので、荷物を1階と2階に分けて引越し業者に指示。2階は寝室だが、ベッドルームと書斎になっている。それとトイレ&バスルーム。DVD、本など2階へ運ぶ荷物のほうが圧倒的に多い。衛星放送を入れてもらったのだが、日本のテレビはNHKのみ。但し世界中のテレビ局を見ることが出来る。スター・チャンネルやHBO、ディズニー・チャンネルまである。またフィリピン語かタイ語のような言葉のチャンネルも映る。今までと勝手が違う事も多い。洗濯機の使い方わからず。もっと簡単な洗濯機を買おう。暖房エアコンあまり効かない。まあ、これは今までと大して変わらず。ただ部屋が広いのでまずまず効かない。別に暖房器具買うか。ホットカーペットはベッドルームに。ここでテレビを見ることに。湯沸し器の使い方複雑すぎ。これでは使えない。もっと簡単な湯沸し器に換えてもらうよう交渉しよう。まあ、引越しすればいろいろとあるものだ。しかしここは日本人が少なく、中国人が圧倒的に多い。敷地内に幼稚園あり。テニスコートもある。白人も住んでいるようだ。
2005.01.11
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去年末から受注が始まったビッグビジネス。2月は900万円。3月は2200万円まで受注が見えた。4月はまだわからないが3000万円ぐらいいって欲しい。そして、また去年から話が出ている別のビジネス。ユーザーは台湾企業。試作分の問い合わせを受けて、仕入先メーカーと打ち合わせる。まだ海の物とも山の物ともわからぬ話だが、大きく化ける可能性がある。ユーザーがその製品をラスベガスとハノーバーのショーに出品。反響が良ければ量産される。期待大。今年の目標の一つに、日系企業以外の企業への販売を掲げている。狙うは欧米企業、台湾企業、韓国企業。中国企業はちょっと回収面が心配なため対象外。台湾企業に関してはもう1社話が来ている。これも話としては大きい。今まではバントヒットばかりだったが、ここで弾みをつけてイッキにホームランを量産したい。そしてうまく行った時の自分へのご褒美はもちろん趣味の海外旅行。こちらもでっかくフランスのパリへ行きたい。学生時代以来行っていないので30年ぶり。当時泊まったソルボンヌ大学の隣にあった安宿が今もあるのか見て来たいし、毎朝散歩したルクセンブルグ公園へも行ってみたい。でもホームランを量産出来なくてもパリへは行くつもり。
2005.01.08
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久しぶりに風邪をひいてしまった。熱も38.8度まで上がる。以前医者でもらった薬がまだ残っていたので、それを飲んで寝ていたら、なんとか1日で熱は下がったが、まだ体調は良くない。今夜は予定が入っているのだがキャンセルさせてもらおう。引越し寸前なので体調を整えておきたい。
2005.01.07
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引越しする家の契約のため不動産屋へ行く。そして家主さんも来たのだが、まだ40才ぐらいで若い。今度新しく一戸建ての家を買ったので、今の家を貸すことにしたそうだ。こりゃ、金持ちだ。内装がずば抜けてよかったのもわかるというもの。日本人が借りてくれると言う事で、安心したそうである。「私は日本人の知り合いがいっぱいいますよ。」と言っていた。そして彼の身分証明書を見せてもらったら、香港の身分証明書だった。ただ、上海語も話していたので、上海で生まれ育ち、その後香港籍を取得したのかもしれない。自分で会社をやっているようで、2台の携帯電話を持っていて、時々電話がかかってくる。ビジネスの話をしているようだ。全て確認が終わり、契約書にサインを済ませた。そして外へ出て握手をしたら、彼はさっそうと運転手つきのレクサスに乗って、風のように去って行った。残った私と中国人スタッフはタクシーをつかまえるため、大通りまでテクテクと歩いたのだった。
2005.01.04
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と言ってまだ引越しまで1週間ある。全てを荷造りしたわけではない。一人暮しとはいえ6年間の単身生活。東京から上海に来る時にかなりの物を捨てたり売ったり知り合いにあげたのに、なぜこんなに物があるのだろうか。多いのは本とビデオだったが、上海に来てからは海賊板のDVDをたくさん買ったので、このDVDが山のようにある。今度の家にはそれを充分に収納出来るほどの大きな本棚があるのがうれしい。衣服もかなり捨てた。もう着ないのがいっぱい。これは東京から引っ越す時にあまり捨てなかったので。でも仕事着と言えるスーツがあまりない。スーツ買わないといけないな。旧正月に日本へ帰国した時には時間があるので買うかな。
2005.01.03
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今住んでいるマンションは、NHKを始めとして民放の全てのBS放送を見ることが出来るのだが、まあ、おもしろいテレビ番組をやっていない。また新年を感じさせる番組もやっていない。引越し準備に疲れて、何気なくチャンネルを変えていたら,ちょうど中国の風景が映っている日本の番組をやっていた。それがドラマ「流転の王妃 最後の皇弟」だった。清朝のラストエンペラーであり満州国の皇帝だった溥儀の弟、溥傑とその妻で日本人の浩の物語だった。日本軍の思惑を秘めて結婚した2人。政略結婚ではあったが、本当に愛し合った2人。そして日中戦争。満州国設立。第二次世界大戦。終戦へと物語は進む。数奇な運命をたどる2人。終戦により引き裂かれる2人。溥傑はソ連軍に捕らえられ、その後中国で刑務所に入る。浩は中国内を転々とした後、上海から日本へ帰国。そして16年後、当時の周恩来首相の計らいで、2人は広州で再会。そして2人は北京で暮らすことになった。ここですごいのは、当時の共産党の指導者が、溥儀や溥傑を殺さなかった事である。普通なら日本軍(関東軍)と手を組んでいた2人を殺害しても当然と言えるのに。そして周恩来が溥傑と浩を日中国交がまだない時代に会わせた事である。そこに懐の広さ、深さを見ることが出来る。ちなみに私が中国の政治家で尊敬する人は、周恩来とトウ小平である。
2005.01.02
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紅白歌合戦も見終わった。松平健の「マツケン・サンバ」。噂には聞いていたが初めて聞いた。バカバカしい感じのノリがいい。こういうノリって今の日本には必要なのかもしれない。日本は平和だ。個人的には久しぶりに見たドリカムが良かった。吉田美和の美声は相変わらずだ。本当に歌がうまい。去年から少し書いていた来期からの仕事。05年の4月より海外関係の部署を統括する事になる。当社の海外関係と言うと、まず海外現地法人。上海、香港、シンセン、シンガポール、タイ。この5ヵ所の海外事務所を統括。住む場所は引き続き上海だが、中国の華南地区や東南アジア各国への出張が4月以降増える事になる。それと大阪と東京にも海外関係の部署があり、こちらもみる事に。基本的には会議で日本へ(大阪)帰国した時に、東京へも行くことになりそう。もちろん日本のユーザーで海外法人と関係があるユーザーへの訪問も出てくるだろう。今年は中国、東南アジア、日本を中心とした活動になりそうだ。
2005.01.01
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