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読みは「かみしきみくまのざじんじゃ」。高森町の四大熊野座神社の一つで月形山の麓に鎮座し、地元からは「権現さん」と呼ばれ親しまれ、近年に入って参道の神秘的な雰囲気が話題となった神社。御祭神は伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、石君大将軍。農耕、金運の神として霊験あらたかで、縁結び、商売繁盛の御利益もある。石君大将軍は阿蘇大明神こと健磐龍命(タケイワタツノミコト)の荒魂。石君大将軍の兜の中に2柱の神が現れ、その2柱の神は熊野大明神とされ、紀州国の熊野より伊邪那岐命と伊邪那美命を移して奉斎したのが始まりだと言われている。阿蘇南郷地区の総鎮守として社殿が建立されるが、天正年間に兵火により焼失。1722年(享保7年)に現在の社殿が建立される。1897年(明治30年)に鳥居が建立され、1979年(昭和54年)に社殿が改修され現在に至る。一の鳥居から社殿までの参道には220段余りの石段が続いており、その両脇には約100基もの石灯籠が連なっている。木々に囲まれた参道、苔生した石段と石灯籠は非常に神秘的な雰囲気で、まるで別世界のような景色であることからSNSを中心に大きな反響を呼び、雑誌やテレビでも紹介され話題となる。「夏目友人帳」の原作者として知られる緑川ゆき氏のアニメ映画「蛍火の杜へ」の舞台のモデルとなったことでも知られ、国内のみならず海外からも連日多くの観光客が訪れる人気スポットとなっている。一の鳥居。一の鳥居の両脇にある、年季の入った変わった姿の狛犬。まるで異世界の入り口であることを示唆しているようだ…参道入り口の狛犬。参道入り口の賽銭箱。社殿まで行けそうにない場合はここでの参拝も可。参道の途中にある手水鉢。参道。社殿までは220段にも及ぶ石段が続き、両脇には苔生した約100基の石灯籠が連なっている。神秘的な雰囲気に包まれ、参道を進むごとにまるで異世界に迷い込んだかのような錯覚にとらわれる。晴れた日は参道に木漏れ日が差し込み、早朝や雨の日に霧が森を包み込むと更に神秘的な景色となる。ちなみに、石灯籠は1864年(元治元年)と1867(慶応3年)に1対1基が奉納され、1968年(昭和43年)以降に地元企業の後藤食品が毎年寄進したものだという。後述の穿戸磐を鬼八法師が蹴破った際に飛んだとされる岩。参道の途中の左手にある。二の鳥居。当社で最も有名なフォトスポットで、アニメ映画「蛍火の杜」の一枚絵のモデルとなった景観。参道の終点間近になる場所で、最も神秘的な雰囲気が漂う。前述の通り天候や訪れる時間によって見える景色は変わるが、共通して緑色の苔が生している夏の時期が最も綺麗に見える。また冬の雪化粧も美しい。二の鳥居をくぐれば社殿まであと少し。拝殿。月形山の麓に鎮座する欅造の社殿。1722年(享保7年)に建立され、1979年(昭和54年)に改修されたもの。参道とは対照的に日が当たる場所に建てられており、日光が差し込むと輝いて見えた。拝殿の額。本殿。拝殿のすぐ裏側にある。拝殿前の狛犬。後藤戢頌徳碑。当社とゆかりのある食品会社、後藤食品の創業者である後藤戢氏の頌徳碑。社殿の左手に、穿戸磐まで続く道が伸びている。穿戸磐。健磐龍命の従者である鬼八法師が自らの行いで健磐龍命を激怒させてしまい猛追され、逃げようとするもこの岩壁に阻まれ、その際に鬼八法師が蹴破ってできたと言われる巨大な風穴。大きさは縦横どちらも10m以上。伝えの内容から、困難な目標でも必ず達成できる象徴として、合格・必勝の御利益があると言われている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.08.31
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○だいこんや定食煮しめ、ミニだんご汁、野菜の天ぷら、高菜ご飯、サラダ、小鉢、漬物、ぜんざいサクッと揚がった自家製野菜の天ぷら。看板メニューの一つ、だんご汁。たっぷり野菜の煮しめ。セルフサービスとなっている手作りの漬物。こだわりの自家製野菜を用いた農家料理が食べられる食事処。改築した築140年以上の古民家でゆったりと食事が楽しめる。メニューは小麦粉や米粉を使っただんご汁やそば・うどんを中心に、熊本県のブランド牛、赤牛の石焼ステーキもあり。今回いただいただいこんや定食は、店長自らが自家農園で栽培した野菜をふんだんに使った料理を中心とした定食。米や茶葉まで自家製で、農家直営の減農薬野菜を贅沢に使っている。阿蘇五岳の近く、ゆったりとした雰囲気の中、素朴な味付けの郷土料理を楽しめた。古民家を改築した店内。当時の柱や梁はそのままで、昔ながらの雰囲気がそのまま残っている。古い農工機なども、店のオブジェとして飾られている。お土産コーナー。醤油、味噌、ケチャップなどの加工品に加えて、店長自らが育てた野菜の直売がされていることもある。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.08.30
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清水寺の境内にある湧水地。日本名水百選に選定されている。湧出量は1日700tで、年間を通して水量は安定している。水温は17℃、pHは7.8。1249年(建長元年)に常陸国(現茨城県)の僧である日用比丘という僧がこの地に立ち寄り、木々の中に清らかな水が湧き出ているのを発見したのが始まりと言われている。以来地域の人々から霊水として崇められ、現在では飲料水や生活用水、灌漑用水としても用いられている。清水寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、本尊は釈迦牟尼沸。前述の日用比丘が清水湧水を発見した後この地に滞留することを決意し、村人と交流し僧の徳に感じた村人は物資や労力を喜捨し寺院を建立。清水寺と呼んだのが起源となっている。天正年間の兵火によって一時は衰退したものの、1668年(寛文8年)に久留米藩によって復興され、梅林寺二世澤雲和尚が高弟の休岳和尚を入山させ再興を図った。最近では境内にある地蔵の頭に生した苔がまるでリーゼントの髪型のように見え、リーゼント地蔵と呼ばれ話題になったことがある。山門の前にある湧水の小滝。清水寺の山門。年季の入った木造の門。周辺はモミジの木があり、秋は紅葉が美しい。日本名水百選清水湧水の碑。湧水池を見守る不動明王像。水汲み場。水汲みそのものは無料だが、整備料として100円の寄付がお願いされている。湧水池。木陰がかかり、池の水深は一定して浅い。澄みわたる湧水。清らかな湧水の中を、魚が泳いでいた。清水寺。境内は木々に包まれており、静寂な雰囲気が漂う。石垣や石畳は苔が生し、伽藍は年季を感じさせ、寺院の長い歴史を伝えている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.08.19
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大分県津久見市 『保戸島①』の続き。景行天皇腰掛石。景行天皇がこの島に立ち寄られ、腰掛けられた岩と伝えられる。この周辺は埋立地で以前はここまで潮が来ており、この石も元々は巨大な岩だったという。法照寺。浄土真宗西本願寺派の寺院。1597年(慶長2年)に僧の宗蓮が建立した(諸説あり)。1854年(安政元年)に再建。太平洋戦争にてグラマン機の機銃掃射を受け、柱に弾の跡が残っている。海徳寺。浄土宗知恩院の末寺。1605年(慶長10年)に佐伯藩初代藩主の毛利高政の命により建立。保戸島空襲の時の遺骨で作られた骨地蔵が祀られている。御大師様井戸。海徳寺の境内にある井戸。岩清水が湧き出ており、水質も良いことから水道が普及するまでは島民の飲料水としても使われていた。墓地と町並み。県道612号線。とても車が通れそうにない狭い道だが、れっきとした県道。道の端にはちゃんと県道612号の表示もある。車は通らない代わりに、リヤカーや自転車が走っている。保戸島郵便局。島内でただ一つの郵便局。御虎御前様。曽我物語の登場人物として知られる虎御前が、諸国慰霊の最中に遺体となって島に漂着し、保戸島の某氏が丁重に弔ったという。虎御前伝説は各地で伝えられているが、保戸島においては厄病除けの祭神とされている。保戸島小学校・中学校。戦没学徒慰霊碑。1945年(昭和20年)の太平洋戦争終戦間際に、アメリカ軍のグラマン機が島に爆弾を投下し、保戸島国民学校(現保戸島小学校)に直撃。児童125名、教員2名の命が奪われ多数の重軽傷者を出した。その当時の悲劇を忘れないようにと建立された慰霊碑で、犠牲となった児童と教員の名が刻まれている。島の南端の港とカモンバイ(岩礁)。夏になると港で泳いで遊ぶ人もいるそう。カモンバイにはマツバキクの群落がある。島の南端にある観音堂。亀の甲に立っている中ノ島観音様が安置されている。島の南端からは四浦半島がすぐ目前に見える。保戸島漁村センター。マグロ漁港の拠点となる場所。漁業通信速報が貼り出されており、各船の活動が一目で分かるようになっている。乗船時間ギリギリだったが、フェリーに乗って帰路についた。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.08.18
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四浦半島沖の豊後水道に浮かぶ島(有人島)。保戸島集落は未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選に選定されている。面積は0.86㎢で、周囲は4km。人口は約600人。島は平地が少なく大部分が山で構成されており、最高標高は179m(遠見山)。津久見港からフェリーで約25分で行けるようになっている。マグロ漁業の島として古くから知られており、1890年(明治23年)頃にマグロ漁が始まり、それから大正・昭和と大いに賑わい、一時は漁船167隻、漁業従事者1000人以上を抱えていた。当時と比べ漁業の規模は縮小したが、現在もマグロ遠洋漁業の基地となっている。かつては保戸島村として独立した自治体だった。前述の通り平地が少なく、海岸沿いの斜面にコンクリート造りの家が建ち並んでおり、その風景が地中海の街並みを連想させることから「日本のナポリ」と呼ばれることもある。また、島内には多くの野良猫が生息しており、猫島に分類されることもある。島の名前の由来はこの島を訪れた景行天皇が海底の美しい海藻に気付き「最勝海藻(ほつめ)を取れ」と言われ、その"ほつめ"という呼びが転訛し"ほと"となり、それが保戸島の名前に残ったと伝えられる。島内には景行天皇が腰掛けられたという石が残っている。フェリーに乗って保戸島へ。島の至る所に置かれているリヤカー。島には車が走れる道路が少なく、代わりに自転車やリヤカーが活躍する。どちらも軽車両に含まれるので車と言えば車だが。埋立地の住宅群。アパートのような3階建ての住宅が建っているが、色の違う家は全て別の家。石鎚神社。御祭神は石土毘古神(イワツチヒコノオオカミ)で、波切不動明王も祀る。海上安全を祈願して勧請され建立された。島の北端にある石鎚山の頂上に鎮座する。石鎚山の頂上から見た景色。北側の港が見える。島で生活する野良猫たち。あまり人に慣れていないのか、近づくと逃げてしまう猫が多い。島民の迷惑になるので無断で餌やりをしてはいけない。高台から見た海沿いの住宅群。加茂神社。御祭神は別雷命(ワケイカズチノミコト)。小高い山の上に鎮座する。1553年(天文4年)の創建で、島の鎮守神として京都府の上加茂神社より別雷命を勧請し祀ったのが始まり。毎年3月、7月、12月に祭事が行われ、7月の祭りが大祭となっている。大祭では神楽が奉納され、獅子や神輿が島内を巡幸し、神輿は最終的に海へと入っていく。出店や花火もあり、島外からも多くの見物客が訪れ大いに賑わう。海沿いの住宅群。島内には平地が少ないため、海沿いの傾斜に3・4階建てのコンクリート造りの住宅がひしめくようにして建っている。その風景は地中海の街並みを彷彿させ、イタリアのナポリと似た景色であることから「日本のナポリ」と呼ばれるようになった。路地。島の生活道で、人が2人並んで歩ける程度の狭い道が敷き詰められた住宅の隙間にできている。路地に入って少し歩けば分岐があり、さらに歩くとまた分岐…どちらに進めば目的地にたどり着けるか?まるで迷路を歩いているかのよう。大分県津久見市 『保戸島②』へ続く↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.08.17
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○ひゅうが丼ひゅうが丼、吸い物、漬物たっぷりマグロが載ったひゅうが丼。津久見のマグロ料理が食べられる海鮮料理店。名物のまぐろステーキをはじめ、保戸島の名物であるひゅうが丼や海鮮丼、新鮮な魚の刺身などが食べられる。今回いただいたひゅうが丼は、おおいたグルメグランプリで2年連続で金賞を受賞した津久見の名物料理。明治時代からマグロ漁が行われている保戸島の漁師が、漁の合間に手早く栄養のあるものを食べられるようにと考案したもの。マグロの赤身を醤油や砂糖や卵黄などを入れた特製のゴマだれに漬け、それを温かいご飯の上に載せた料理。言うならば海鮮スタミナ丼といったところ。地域によっては「りゅうきゅう丼」「あつめし」と呼ばれることもある。タレが赤身の本来の味を邪魔しない程度に絶妙に染み込んでいて、ご飯との相性が抜群。スタミナもたっぷりで、午後の旅の糧になった。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.08.14
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明日から3泊4日で、長野県へ旅行へ行く。同県に渡るのは5年振り。初日は安曇野へ行き、2・3日目は天候によって上高地もしくは奈良井宿へ行く。上高地は人生で何度でも行きたい場所の一つで、久しぶりにあの梓川と穂高連峰の美しい景色が見れるとなると楽しみでたまらない。ただ、少し天候が悪そうなのが気がかりだが…当日晴れることを祈るしかない。最終日は名古屋まで下り、初めて愛知県を観光しようと考えている。旅の記録に一つ新しい都道府県が増えそう。お盆の時期は新幹線が全席指定席になったが、予約は難なく取れた。宿は3日とも違う宿を取り、いずれも大浴場付き。3日目は浅間温泉の温泉ホテルに泊まる。今年の夏は良い旅行になりそうだ。最近は九州・関東で地震が立て続けに起こり、南海トラフ地震の発生もほのめかされているが…大丈夫だろう。多分…例によって旅先の写真はXに投稿します。X(旧Twitter)→金田政宗Xそういや報告し忘れていたが、デジタルカメラを買い替えた。Canon PowerShot SX70 HS。長らく使っていた中古で買ったPowerShotをアップグレード。ズーム性能に優れ、高画質で光学65倍、プログレッシブファインズームで130倍のズームが可能。様々な撮影モードがあり、4K動画も撮れる優れモノ。これからの新しい旅の友。よろしく。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.08.10
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○洞門パティオのビュッフェビュッフェで選んだおかず、カレーライス、味噌汁ビュッフェで選んだおかず。空芯菜の炒め物、そばサラダ、特製からあげ、ゴボウのかき揚げ、野菜サラダ、こんにゃくの煮物、ペペロンチーノ、冷やしトマト、金時豆の煮豆。追加で取ったおかず。ちぢみ、酢鶏、大分県産天草で作ったところてん、そうめん。地元で採れた食材を使った野菜料理中心の、種類豊富なビュッフェ。手作りのデザートもあり。食後のデザートのプリン。耶馬渓橋のすぐ近くにあるビュッフェレストラン。耶馬渓で作られた新鮮野菜を使った、体にやさしい惣菜料理を中心とした数十種類の日替わりメニューを安価でいただける。別料金でドリンクバーもあり、その中のオリジナル野菜ジュースも評判。店は木造の建物で広々としていて、温かい雰囲気の中、美味しい手作りの料理をお腹いっぱいになるまでいただいた。物産館も併設している。地元で採れた新鮮な野菜だけでなく、手作りの梅干し、こんにゃく、蜂蜜などの加工品や、耶馬渓からししいたけ、柚子胡椒ドレッシングなどの特産品もあり。すぐ近くにある耶馬渓橋。これまで数多の水害に見舞われながらも、橋は崩れることなく原型を保っているが、以前の豪雨災害で欄干を半分近く失っており、訪れたときは全面通行止めになっていた。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.08.08
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山国川の支流である津民川に懸かる滝。落差は7m。落差は高くないが水量豊富で、岩壁に囲まれた大きな滝壺を持つ。滝壺までは整備された道がなく、川沿いに転がった石を渡っていく必要がある。上流に津民川河川プールがあるが、2024年(令和6年)現在は閉鎖されている。落合の滝への下り口。ここから滝の下流にある淵まで降りられる。滝の下流の淵。流れは緩やかで水も綺麗。ここなら夏は水遊びができそう。淵の方から上流の方に目線を向けると、落合の滝が落ちているのが見える。滝壺まで行くには川沿いに転がっている石を渡る必要がある。くれぐれも足元には注意したい。増水している場合は危険なので行かない方がいい。なんとか滝壺まで到着。滝の全景。落差はそこまでないが、広い滝壺に向かって勢いよく水が流れ落ちている。滝には日光が当たり、滝壺は岩に囲まれ木陰が包み込み、演出感を感じさせるものとなっている。水が流れ落ちていく様子。滝壺。滝水が力強く滝壺を叩き続けてているため、水面には常に波が立っている。滝壺から流れ落ちる、ゆるい傾斜を持った小滝。滝の上流にある津民川河川プール。2024年(令和6年)現在は閉鎖されている。川中に津民川の清流を利用したプールが設けれているが、2023年(令和5年)の豪雨災害で崩壊しており、修復工事が進められている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.08.06
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福岡県福岡市 『筥崎宮①』の続き。絵馬殿。写真には写っていないが周辺にはハトが沢山おり、餌やりができるようになっている。中には手に乗ってくる個体もいる。亀山上皇尊像奉安殿。第九十代天皇に即位された亀山上皇(亀山天皇)の木彫ご尊像を安置する。博多区の東公園にある亀山上皇の銅像の原型となったもので、博多出身の彫刻家である山崎朝雲によって造られ、1902年(明治35年)に完成した。総高は612.4cmで、明治時代の木彫像としては最大級の大きさを誇る。筥松。当宮の御神木。応神天皇が筑紫国宇美の里(現粕屋郡宇美町)にてお生まれになられた際、御胞衣(へその緒や胎盤)を筥に納めて白砂青松の浄地に埋め、標となる松を植えたことから筥松と名付けられた。筥松のある崎ということで「筥崎」の名が起こったと言われている。楼門。国指定重要文化財に指定されている。1594年(文禄3年)に筑前領主の小早川隆景が建立したもの。三間一戸の入母屋造。「敵國降伏」の扁額が掲げられていることから伏敵門とも呼ばれている。両翼から拝殿と本殿を囲むようにして回廊が伸びている。本殿と拝殿も同様に国指定重要文化財に指定されている。921年(延喜21年)に藤原真材が神殿を造営し、何度か焼失と再建を繰り返した後、現存するものは1546年(天文15年)に大内義隆が建立した。本殿は46坪、九間社流造の檜皮葺で漆塗。拝殿は切妻造の檜皮葺。本殿と拝殿はどちらも神前結婚や祈願の時以外は入れず、また写真撮影は禁止されている。敵國降伏の扁額。亀山上皇が奉納した醍醐天皇の御宸筆とされており、それを楼門が建立された際に謹写拡大したもの。敵國降伏という字だけ見ると、武力で敵を殲滅させるといった物騒・挑発的な意味で捉えられるが、実際の意味はそうでなく、徳の力をもって導き、敵が自ら靡き、降伏するという我が国のあり方を説いている(所謂"王道")。西参道の鳥居。東末社。商売繁昌の神・田畑の守り神を祀る稲荷社、海上交通の守り神を祀る住𠮷殿、子育ての神を祀る乙子宮、不老長寿・健康の神を祀る武内社、手足の守り神を祀る池島殿の5社。西末社。火除の守り神を祀る民潤社、旅行安全の神を祀る厳島殿、八幡様の親神・家族の守り神を祀る仲哀殿、芸能文化の守り神を祀る若宮殿、海と空の守り神を祀る龍王社の5社。東末社と同じくどの神様が祀られているのかははっきりとしていない。あじさいの花手水。筥崎宮あじさい苑。平成の御大典を記念して造られた神苑。1700坪の敷地に、社殿を借景にブルーダイヤモンド、ピンクダイヤモンド、墨田の花火、ロイヤルブルーなどの約100品種、3500株のアジサイの花が咲く。6月のみ開苑されており、入苑料は300円。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.08.02
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読みは「はこざきぐう」。必勝祈願の神社として知られ、大分の宇佐神宮、京都の石清水八幡宮と共に日本三大八幡宮の一つに数えられている。別称は「筥崎八幡宮」。「箱崎宮」と記されることもある。本殿、拝殿、楼門、一之鳥居が国指定重要文化財に指定されている。主祭神は応神天皇で、配祀神に神功皇后、玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)を祀る。勝運の神、厄除の神として崇敬されている。創建については諸説あるが、社伝によれば921年(延喜21年)に建立されたと伝えられている。921年(延喜21年)に八幡大神より御神託があり、玄界灘に面して神殿が建立され、醍醐天皇の神勅により「敵国降伏」の宸筆を下賜されたとされる。923年(延長元年)に現在の地に遷座した。創建後は祈りの場として広く崇敬され、また海外との交流の門戸としての役割も果たした。元寇の折には神風が吹き、元軍に大損害を与え奇跡的な勝利を収めたことから勝運、厄除の神として崇敬されるようになり、足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉などの武将が参詣し、御神徳を仰いだことから繁盛していく。江戸時代には黒田藩(福岡藩)の歴代藩主からも篤く崇敬された。現在では全国より崇敬を集め、必勝祈願の神社として栄えている。境内には「筥崎宮あじさい苑」があり、6月になるとあじさいまつりが開催され、苑内に咲く約100品種、3500株のアジサイを観賞できる。また、表参道には「筥崎宮神苑花庭園」があり、こちらは春は桜やシャクヤク、6月はアジサイとユリの花々が咲く本格的な回遊式日本庭園となっている。毎月の1日と15日(1月1日、9月15日除く)に月次祭が行われ、春季と秋季に社日祭(お潮井取り)が行われている。1月に玉取祭(玉せせり)、5月にさつき大祭、7月に七夕祭と夏越祭、9月に放生会、12月に御降誕祭となまこ餅つきなど、年間を通して多くの神事・祭事が行われている。中でも9月の放生会は博多三大祭りの一つに数えられ、万物の生命をいつくしみ、殺生を戒め、秋の実りを感謝する祭りで1000年以上にわたり行われており、祭りの期間中は参道に多くの露店が立ち並び大いに賑わう。2年に一度、福岡市無形民俗文化財に指定されている御神幸が行われている。お潮井浜(箱崎浜)。春季と秋季に社日祭が行われている場所。社日祭とは五穀豊穣・除災招福・家内安全を祈る祭事で、お潮井汲みと称してお潮井浜の砂を頂いて自宅に持ち帰る。福岡県神社庁の敷地内にあり、社日祭の日以外は立ち入り禁止となっている。高燈籠。表参道の入り口にある、高さ6mの石造りの燈籠。元々は箱崎浦の漁師たちの帰船の目印として造られたもので、最初の燈籠は1817年(文化14年)に完成。1882年(明治15年)に現地に移され、上部が石造りになった。現在の燈籠は1968年(昭和43年)に改築されたもの。かつてはこの隣に大鳥居があったが、2018年(平成30年)に撤去されている。石碑群。安武仙涙の歌碑。筥松川柳会の創立者で、1972年(昭和47年)に福岡市文学賞を受賞した安武仙涙氏の喜寿を記念して建立された。明石元二郎顕彰碑。明治期の軍人、男爵で日露戦争時に単身で欧州に赴いて活躍し、その後は第7代台湾総督として経済発展の礎を築くも病没した、明石元二郎大将の顕彰碑。筥崎宮神苑花庭園。豊臣秀吉が当宮にて大茶会を開いて400年、さらに地下鉄箱崎宮前駅の開通を記念して1987年(昭和62年)に開園した。回遊式日本庭園となっており、春は桜やシャクヤク、6月はアジサイとユリ、冬には牡丹の花が咲く。入園料は季節により異なる。二之鳥居。参集殿。当宮での結婚式の案内受付がされている。一之鳥居。国指定重要文化財に指定されている。1609年(慶長14年)に福岡藩初代藩主の黒田長政が建立したもの。柱は3段に積み上げて1本の柱としており、笠木と島木両方の先端が反り、貫と笠木が同じ長さであるなど変わった特徴をもつことから、筥崎鳥居とも呼ばれる。社号碑。手水舎。銭洗御神水。金銭を御神水で清めて福寿開運を念じる。持ち帰った金銭を使うことで世の中を巡り福を授かると言われている。お潮井砂。先述のお潮井浜で汲まれ、厄除開運の祈願がされた真砂。この真砂をてぼ(籠)に入れて玄関に備え、外出の時に身に振りかけて災厄から逃れることを祈る。湧出石。古事によればこれに触れると運が湧き出ると言われており、1672年(寛文12年)の筥崎宮縁起絵巻にもその存在が描かれている。また、国に一大事がある時に地上に姿を現すとの言い伝えがある(今姿を現しているということは国が一大事だということなのだろうか…?)。社務所、授与所、ご祈願受付所。御札、御守り、縁起物などの授与品があり、御朱印や御祈願の受付もここで行われる。唐船塔。当宮に仕えた唐人の祖慶官人と日本人妻、その子供たちの家族の悲劇を描いた謡曲「唐船」にちなんだ供養塔。手前にある一対の石は祖慶官人と妻が別れるときに腰かけて名残を惜しんだといわれるもので、夫婦石と呼ばれている。大楠。幹回11.4m、樹高15m、樹齢800年のクスノキの巨樹。幹には大きな空洞ができている。さざれ石。国歌「君が代」にも詠まれているさざれ石。元寇歌曲碑。蒙古軍船碇石。県指定重要文化財に指定されている。蒙古軍(元軍)の船の碇として使われていたと伝えられる、長さ2m、推定重量250kgの石。1940年(昭和15年)に博多港中央波止場近くの海中から引揚げられた6本の碇石の中の一本で、石質は凝灰岩。筥崎宮清明殿。当宮での結婚披露宴の会場となる建物。挙式会場となる本殿、儀式殿から徒歩1分の距離にある。儀式殿。昭和初期に建立され、正面に御神座を設け筥崎宮の大神様を祀り、婚礼を執り行っている。福岡県福岡市 『筥崎宮②』へ続く↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.08.01
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