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一ツ瀬川に架かる、日本一の木造車道橋。木造で単純桁橋と3つのキングポストトラス橋を組み合わせた構造となっている。橋長140m、支間長は14.3m、48.2m、48.2m、23.2m、幅員7.0m。車道は2車線となっており、大型車両も通れるようになっている。木造車道橋としては、日本一の長さを誇る。キングポストトラスとなっている3つの大きな三角形の形状が特徴的で、これは米良三山(市房山、石堂山、天包山)をイメージしたもの。橋の名前にもなっている「かりこぼうず」というのは、米良地方に古くから伝わっている守り神だそうで、西米良村のマスコットキャラクターとしても知られている。橋は宮崎県産スギ材の需要拡大を目的に、ふるさと林道緊急整備事業として架橋が開始。約6000本の樹齢50年以上のスギ丸太を、集成材にして加工して建設され、2000年(平成12年)から2002年(平成14年)にかけて造られた。橋のすぐ近くには川の駅「百菜屋」があり、西米良村の特産品やお土産の販売の他に食事処もある。また、国道219号線側から橋を渡り1km進んだ先には温泉施設「西米良温泉 カリコボーズの湯 ゆた~と」がある。日本一の木造車道橋 かりこぼうず大橋の看板。川の駅 百菜屋近くの展望台から見たかりこぼうず大橋。だいぶ近くで見れるようになっていて橋もかなり大きく、ここからじゃ写真1枚に収まりきれない。かりこぼうず大橋トラス下弦材の実物大見本。高さは183cm。キングポストトラスとなっている3つの大きな三角形。米良三山こと市房山、石堂山、天包山をイメージしたもので、まさしく西米良村を象徴するデザインとなっている。2、3枚目のトラスは同じ高さで24.1m、1枚目の最も小さなトラスは11.6m。山の高さからして、国道219号線側から見て奥から市房山、石堂山、天包山といったところだろうか。欄干に描かれているかりこぼうず。「カリコボーズ」と記されることもある。前述の通り米良地方に伝わる守り神で、西米良村のマスコットキャラクターともなっており村のホームページや観光名所の各地でしばしば目にする。どうやら着ぐるみまで作られているそう。なお、かりこぼうずという名前の由来は、山で猟をするときに動物を追い出したり射手のいるところに追い込む役目をする「狩子」からきているそう。車道。2車線で大型車両も通れる。完全な車道橋となっていて歩道はない。川の駅 百菜屋の近くに川の方へと下りる階段が伸びており、そこから橋の下に行けるようになっている。橋のすぐ下にはマイクロ水力発電装置が設けられていて、発電した電気は百菜屋の照明や時計などに使われている。下から見たかりこぼうず大橋。横からだとコンクリートの支柱や金属板が目立つので木造だと分かりにくいが、こうして見ると木材で支えられていることがはっきりと分かる。橋の下を流れる一ツ瀬川。宮崎県中部を流れる川で、西米良村の流域は透明度が非常に高く、エメラルドグリーンに輝いて見える。訪れた時は雨の影響で少し増水していた。また、川は渓流釣りの名所で、ヤマメやアユが釣れる。ここに来るまでの道中でも、雨でありながら川に入って釣りをする人が結構いた。開通記念碑。橋を渡った先にある東屋と橋の概要が記された看板。看板はかりこぼうず大橋と同じ宮崎県産のスギが用いられていて、造りも橋の一部と同じになっており、各部に橋の構造についての説明が書かれている。少し川を下った場所から見たかりこぼうず大橋。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2025.07.31
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○しいたけ南蛮定食しいたけ南蛮(チキン南蛮付き)、小鉢、ご飯、味噌汁、あぶらみそ、漬物しいたけ南蛮。西米良産の大きなしいたけをチキン南蛮のように揚げてタルタルソースをかけたもの。とってもヘルシー。チキン南蛮も付いている。オクラににんじん、しいたけも入った味噌汁。これまた絶品ともいえる味わい。かりこぼうず大橋の近くにある食事処。正式名称は「川の駅 百菜屋」。名物のしいたけ南蛮や、ジビエを用いた料理、だご汁、うどん・そばがいただける。一部の席は囲炉裏となっている。お土産屋も併設しており、西米良村の特産品の販売もされている。今回いただいたのは宮崎県の隠れた名物で、店の看板メニューとなっているしいたけ南蛮。西米良村で採れたしいたけをチキン南蛮風に仕上げた逸品。しいたけは大きく、肉厚で歯ごたえがありとてもジューシー。タルタルソースとの相性が抜群。こんなに美味しいしいたけは初めて食べたかもしれない。一緒にあるチキン南蛮と食べ比べてみても、さほど違いを感じないほどの食感だった。野菜がたっぷり入った味噌汁がまた絶品で、都市部などでは絶対に味わえない、手作り感をしっかりと感じ取れる一品だった。宮崎県の山奥にある自然豊かな村で静かなひと時を過ごしながら、美味で贅沢なメニューをいただけた。百菜屋の看板。店の外観。瓦葺の木造建築。天井の木組みが立派だった。しいたけがあまりに美味しかったので、併設するお土産屋で西米良村の乾燥しいたけを買った。近くに架かるかりこぼうず大橋。日本一の木造車道橋。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2025.07.27
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7月19日、20日は1泊2日で宮崎旅行に行ってました。1日目は宮崎中部の山奥にある自然豊かな村、西米良村へ。まずはかりこぼうず大橋という日本一の木造車道橋を見に行った。近くに百菜屋という食事処があり、昼食にそこでいただいたチキン南蛮ならぬ、しいたけ南蛮が絶品だった。あまりに美味しかったので、併設する土産屋で西米良村の乾燥しいたけを買った。それから民話街道をひたすら走り、最果てにある虹の滝と布水の滝を見た。細い1本道を走り切った先にあった滝は、どこか格別に映った。当初旅行を予定していたのはこの3ヶ所だったが、だいぶ時間が余ったので西都市を観光。市の隠れた名所を見て回った。この日は高鍋町に泊まり、夕食は高鍋の名物である餃子をいただいた。2日目は神社・パワースポット巡りへ。宮崎神宮で神武天皇とその父神・母神へ参拝。神宮は宮崎市の街中にあるが、自然に囲まれ静かな雰囲気だった。護国神社が隣にあり、御英霊にもご挨拶させていただいた。それから伊邪那岐命(イザナギノミコト)が黄泉の国から帰った後に禊をしたと伝えられる御池(みそぎ池)へ。近くに伊邪那岐命、伊邪那美命が祀られている江田神社があると知りそちらへ参拝した後、木々に囲まれた市民の森を歩いて御池へ。池自体は普通な感じで、蓮が浮かんでいて白く黄色みを帯びた花を咲かせていた。ここで伊邪那岐命が禊をし、天照大御神、月読神、須佐之男命が御生まれになったという伝えがあるんだとか。皇祖神の誕生の地、皇室の原点とも言える場所で、神聖な雰囲気を感じ取れた。それから都農町に上り、道の駅でお土産を買った後、最後に都農神社を参拝。都農神社には境内外末社があり、そこには滝もあるとのことなので参拝後に行ってみたが、思いの外滝が立派なものですっかり見入ってしまった。それら全て参拝が終わった頃はもう6時すぎで、それから3時間半ほど車を走らせ、0時すぎに帰りついた。宮崎県は2日とも雨時々曇りといった天気で、車を走らせている時は何度も豪雨に襲われたが、行く先ではどういう訳か次々に晴空となった。神話の国とも言われる宮崎県、高千穂には天照大御神の天岩戸にまつわる伝説もある。旅行中はまるで、天照大御神が旅の御加護をしてくれたかのような…↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2025.07.22
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池尻集落の小高い丘の上に立つ、アカマツの巨樹。県指定天然記念物に指定されている。樹高約8m、幹囲約3.4m、枝張りは東西約24m、南北約20m、推定樹齢は350年以上。樹冠(木の上部、枝や葉が集まる部分)が傘を広げたように見事な広がりを見せており、それが名前の由来になっている。人の手は入っておらず、地質、日光、水環境などの好条件が重なり、自然にこの造形を作り上げたという。かつては50m程離れた位置にクロマツがあり、それと共に「夫婦松」と呼ばれていた。付近に駐車場があるが、そこまでの道がかなり狭いので注意。竜宮滝がある場所から案内板があるので、それに従って進んでいくと田畑の広がる集落へたどり着き、小高い丘の上に1本の大きな松が見える。これが唐傘松。丘の上に1本の松が立つその姿は、まるで天然の盆栽といったところ。駐車場までは行けそうになかったので、邪魔にならない場所に車を停めて近くまで。近くで見た唐傘松。地元住民の方々によって大切に管理されているといい、木の周辺には柵が設けられている。樹冠の部分。地面を雨で濡らすまいと、傘を広げる様にして大きく枝が広がっており、葉も沢山付けている。雄姿と共に、和傘のような優美さも感じられる。長く伸びた枝はなだらかな斜面に平行するように伸びており、絶妙なバランスを保っている。人が造形したものでなく、自然とこうした形になっているのは見事としか言いようがない。枝に沢山付いた松ぼっくり。幹。大きな枝張りを持つ唐傘松を長年にわたって支え続けており、上部は無数の太い枝が絡み合うようになっている。松のそばにある歌碑。唐傘松の周辺にもいくつかの松の木がある。兄弟の木なのだろうか?↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2025.07.16
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唐津湾の中部に浮かぶ島(有人島)。面積は0.62㎢、周囲は3km、人口は約300人。真上から見るとクラゲの頭のような丸っこい形をしていて、面積の大半を山が占めている。周囲が3kmしかない小さな島で、歩いて島を1周できるようになっている。宝当桟橋から定期船で約10分で行けるようになっている。1日6便。参拝すれば宝くじが当たると言われる宝当神社があり、その御利益を求めて毎日沢山の観光客が訪れている。注目されるようになったきっかけは1990年代にある住民が宝当神社の名前にあやかって宝くじの当選を祈願したところ、見事高額当選し、それが全国的に広まったことからだと言われている。もちろん宝くじの売り場も島内にあり、信じられないほどの高額当選が出ている。売店では宝くじを入れておくと御利益があるとされる宝当袋をはじめとする、様々な開運グッズが販売されている。他にも島内には海鮮料理が食べられる食事処、カフェ、小さな海水浴場がある。宝当桟橋。唐津城すぐそばの東城内駐車場から城内橋を渡り、渡った先のすぐ左手にある。乗船券はその場で購入するようになっている。定期船「ドリームラインたかしま」に乗って高島へ。所要時間は約10分。高島に到着。宝当お休み処。港に面した高島の食事処。高島は漁業が盛んな島としても知られ、ここではイクラ丼、ウニ丼、イカ丼などの種類豊富な海鮮丼や、刺身、サザエのつぼ焼きなど、地元で獲れた新鮮な魚貝類を用いた料理がいただける。魚の壁画。漁港公園。島の南東に位置し、浜があって小さな海水浴場となっており、夏は海水浴が楽しめる。更衣室やシャワーも完備。高島小学校。島内ただ一つの学校。山の周りには遊歩道が整備されいる。青い海と空を見ながら、島の周りをぐるりと一周できるようになっている。福岡県西方沖地震の影響で一部落石があるので注意。黒瀬岩。島の北東にある黒い岩。不動明王が祀られている。赤瀬岩。黒瀬岩のすぐ近くにある。夫婦岩のようになっていて、しめ縄と思わしきものも掛けられている。島の中央にそびえる山。塩屋神社。御祭神は大山祇神(オオヤマツミノカミ)、須佐舘男尊(スサノオノミコト)、菅原道真。島の氏神様。かつて島を治めた野崎隠岐守綱吉が島民と共に、先祖である藤原鎌足、子の不比等、不比等の孫である魚名を祀り、産土神として大山祇神を祀る山王宮を建立したのが始まりと言われている。10月19日に秋季大祭(高島くんち)が行われている。高島小学校創立百周年記念碑。塩屋神社の境内にある。稲荷社。塩屋神社のすぐそばにある。この近くに登山道があり、山頂には展望台もあるそうだが、山道は整備されておらず荒れている。登山しようと思ったが結局断念した。宝当神社。御祭神は野崎隠岐守綱吉命。今から450年以上前に、高島で作られる塩を目当てに襲撃をかけてきた海賊を退治し、島を守った野崎隠岐守綱吉の功績を称え、野崎隠岐守綱吉を島の大権現様として祀ったのが始まり。当初は「寶當神社」と記した。旧暦8月23日、綱吉命の命日にあたる日に例祭が行われている。その縁起の良い社名から宝くじが当たる、または金運を招く神社として大いに注目を集め、1990年代にある住民がこの神社に参拝し宝くじを高額当選させたことをきっかけに、参拝者が後を絶たなくなったという。ちなみに裏参道の先、社殿下には祠が祀られており、その真下の地中深くに野崎隠岐守綱吉命の御遺体が安置されていると伝えられている。社殿の参拝に加えてこちらにも参拝し、更なる金運をいただいてみてはいかがだろうか?宝当乃館。宝当神社のすぐ近くにある売店。宝くじ売り場もあり、そこには信じられない数の当選報告が貼られている。様々な開運グッズが販売されており、宝くじを入れておくと御利益があるとされる宝当袋、勝負時に巻くと気持ちが一進するというかちまき、佐賀県産ご当地サイダーの当たりサイダーなどいろいろ。宝当海の駅。こちらでも開運グッズが販売されている。訪れた時は閉店していた。宝当大黒屋野崎酒店。宝当海の駅の隣にある。福を招くと言われる看板猫の福ちゃん、かねちゃんとそのファミリーがおり、運が良いと会えるかもしれない。幸運を呼ぶ福猫たち。福ちゃん、かねちゃんファミリー以外にもいっぱいいる。宝くじが当たりますようにとお祈りのポーズをとってくれる。可愛い。なお、福猫たちから御利益をいただいた人の中には、33億円もの高額当選を果たした人までいるんだとか。福猫に会えたら是非とも御利益をいただいておこう。沢山の福をいただき、最終便の船に乗り島を離れた。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2025.07.15
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日本で唯一、伊勢神宮から分霊の勧請がされ「九州のお伊勢さん」と呼ばれ親しまれている神社。御祭神は天照大神(アマテラスオオミカミ)。日本全国で唯一、伊勢皇大神宮の分霊が正式に勧請されており、子孫繁栄、商売繁昌、五穀豊穣の神として信仰されている。戦国時代に肥前国神埼(現神埼市)に杉野隼人という人物がおり、当時庶民の憧れだったお伊勢参りを53回も行ったことで伊勢神宮の神職たちに感激され、伊勢神宮の御分霊を特別に分けることが許される。1542年(天文11年)、神埼に伊勢神宮の御分霊が勧請され祀ったことが始まりと言われている。1565年(永禄8年)に鍋島町蛎久へ遷座され、1591年(天正19年)に佐賀藩藩祖となる鍋島直茂によって現在の地に遷された。鍋島直茂夫妻がこの伊勢神社に祈願し、それが成就し後に佐賀藩初代藩主となる鍋島勝茂を授かったという伝えが残っている。古くから「九州のお伊勢さん」と呼ばれ親しまれており、県内のみならず県外からも参拝者が訪れている。毎年2月11日に伊勢神社大祭があり、大神1名、指定小神4名、小神22名による玉替えの行事が盛大に行われている。他に4月に春季祭、6月に夏越大祓、7月に夏季祭、10月に例祭、11月に秋季祭、12月30日に年越し大祓が行われている。石造肥前鳥居。市指定重要文化財に指定されている。1607年(慶長12年)の造立銘がある。肥前鳥居とは佐賀県で見られる独特な形式の鳥居。笠木、島木、貫、柱が2、3本の石材を継いで形成しており、笠木と島木は一体化している。笠木と島木を支える部分は台輪が付けられており楔は使われていない。柱は下に行くほど太くなり地面に食い込んだようになっている。神門。社号碑。小さな神社であるが正式に伊勢神宮の分霊が勧請されており、大神宮の社号を賜っている。手水舎。拝殿前の狛犬。建国祭制定記念碑、紀元二千六百年改築の碑。拝殿。銅板葺の三間社流造。本殿。銅板葺で伊勢神宮内宮を模して造られた唯一の神明造となっている。石像肥前狛犬。市指定重要文化財に指定されている。1667年(寛文7年)の造立銘があり、市内で最も古い狛犬と言われている。非常にユニークな見た目が特徴的で、一般的な狛犬と違って丸っこく、浮彫だけで脚の部分も彫り抜かないなど簡素な造りとなっている。これを一目見て狛犬と思う人はまずいないだろう…英彦山神社。高住神社の御分霊を祀る(御祭神は不明)。伊勢屋町にいた大島氏が、夢枕で英彦山大権現からお告げを受け、伊勢神社境内に御神体とお社を奉納した。現在も大島家の家人に祭典が引き継がれており、1月、5月、9月に行われている。伊勢恵比須神社。石造の恵比寿様を御神体としている。伊勢屋町(現伊勢町、伊勢神社の鎮座する町)が商売で賑わい、氏子一同がこれを御神徳と仰ぎ、1748年(寛保3年)に石造恵比須様を御神体として崇敬したのが始まり。市の恵比寿様の中では最も古いと言われている。伊勢神社大祭が行われる2月11日に祭礼が行われている。本殿裏のクスノキの巨樹。推定樹齢は500年。石灯籠、石碑群。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2025.07.04
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佐賀市の街中にある、佐賀藩鍋島氏の居城だった城(平城)。別名は「沈み城」または「亀甲城」。日本100名城に選定されており、鯱の門と続櫓は国の重要文化財に指定されている。かつて肥前国を治めた龍造寺氏の村中城を、鍋島氏が拡張・整備し、1611年(慶長16年)に完成した。周囲を堀と土手で囲み、本丸、二の丸、三の丸、西の丸の他、天守も建てられている。堀は幅が50m以上あり、石垣ではなく土塁で築かれている。土塁には松やクスノキが植えられ、城の内部が見えないように工夫されていた。敵の攻撃を受けた時は多布施川から大量の水を入れ込んで本丸以外を水没させ、敵の侵攻を防いでいたことから「沈み城」とも呼ばれた。本丸の北西に天守台があり、その上に四重五階の構造の天守閣が築かれていた。築城後は2度にわたる大火災によって建造物のほとんどを失い、その後復興がされてきたが、1874年(明治7年)に江藤新平らが起こした佐賀の乱によって鯱の門、続門、本丸御殿以外の全ての建造物を焼失した。近代に入って以降は城跡に県庁、測候所、学校などが次々に建設された。2004年(平成16年)に本丸御殿が復元され、それに伴い、移築されていた鍋島直正の居室だった御座間も元の位置に戻された。現在は城跡の一帯が佐賀城公園として整備されている。春は桜の名所で、夏になると南濠に蓮の花が咲く。復元された本丸御殿は佐賀城本丸歴史館となっており、佐賀城の歴史、鍋島氏、幕末期の佐賀について学べるようになっている。三の丸があった場所には佐賀県立美術館、佐賀県立博物館がある。鍋島直正銅像。佐賀藩10代藩主である鍋島直正の銅像。最初の銅像は直正公生誕100年を記念して1913年(大正2年)に建立されたものの、太平洋戦争での金属不足による供出令によって消滅。戦後は有志による銅像再建の県民運動が起こったが、再建には至らなかった。直正公生誕200年を迎える2015年(平成26年)に鍋島直正公銅像再建委員会によって募金運動が行われ、県内外から多くの支援が集まり、それから3年の年月をかけて今の銅像が再建された。鯱の門、続門。国の重要文化財に指定されている。現存する佐賀城の数少ない建造物の一つ。1835年(天保6年)に二の丸が大火災に見舞われた後、本丸御殿の再建に伴い、本丸の門として建設され1838年(天保9年)に完成。門の構造は二重二階の櫓門に一重二階の続門を組み合わせたもの。瓦葺きの入母屋造で、大棟には名前の通り鯱が置かれている。1874年(明治7年)に起きた佐賀の乱の時の弾痕が今も残っており、当時の戦闘の激しさを今に伝えている。24ポンドカノン砲。鍋島直正は1850年(嘉永3年)に築地に反射炉を築き、鉄製大砲の鋳造に成功。この大砲は旧鍋島邸に置かれていたものを原型とする複製品。アームストロング砲。イギリスのウィリアム・アームストロングが開発したライフル砲で、幕末には幕府や各藩が輸入していた。展示されているものは模型。モルチール砲。左が冠軍銘、右がオランダ製。モルチール砲とは大きな射角で打ち上げる砲身の短い大砲のこと。形や大きさはどちらもほぼ同じで、現存する実物と考えられており、貴重なものとなっている。佐賀城本丸歴史館。1838年(天保9年)に鍋島直正が再建した城の中枢であった本丸御殿を一部復元し、現在は歴史博物館として使用されている。主に佐賀城の歴史、鍋島氏、幕末期の佐賀の紹介や資料の展示がされており、鍋島直正と写真撮影できるスポットもある。入館料は無料。佐賀城本丸御殿跡。佐賀城本丸歴史館はかつての本丸御殿の約3分の1を忠実に復元しており、残る部分は敷石で平面表示している。白色の部分は建物の壁、黒色の部分は柱の位置を示している。御座間。市の重要文化財に指定されている。鍋島直正の居室だった建物で、1958年(昭和33年)に水ヶ江大木公園に移築されていたが、2004年(平成16年)に本丸御殿が復元されたことに伴い、元の位置へ移された。南西隅櫓台と記石。本丸御殿と共に復元されたもの。記石というのは櫓台の下にある石のことで、1738年(元文3年)に幕府から許可が下り、それから3年の年月をかけて工事が行われたことが記されている。南濠。石製樋管と赤石積水路。石製水路の本丸側の開口部で、本丸内部に向かって赤石の水路が延びている。本丸内に水を引き込むものだったと思われている。西側の石垣。西側土塁石垣と門。外面が石垣で、内側が土塁となっている。石垣間の幅はかつて2mほどで、小さな門があったとされる。発掘調査では門の跡は見つからなかったという。天守台。高さ9m、距離は南北31m、東西27m。1609年(慶長14年)に4層5階の天守閣が築かれたが、1726年(享保11年)に本丸、二の丸、三の丸と共に焼失。その後天守閣が再建されることはなかったが、2012年(平成24年)に発掘調査や文献調査が行われ、天守閣の特徴が概ね判明している。かつては佐賀測候所や協和館が設置されていたが、天守の建物と間違われることが多かったため解体され、現在は更地となっている。空濠。現在は芝生となっている。佐賀県立美術館・佐賀県立博物館。かつて三の丸があった場所に建てられている。東濠。さがレトロ館。1887年(明治20年)に警察部庁舎として建てられた洋館をリニューアルしたもの。館内にはカフェレストランや土産屋があるそうだが、訪れた時は休館中だった。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2025.07.03
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川上峡の近くにある、巨石をテーマとした公園。山の標高200~350mの地帯に、高さ10m以上の巨石が17基点在する。登山道入口から約20分程度で巨石が見られる地点に到着し、烏帽子石、天の岩門、蛙石、屏風石などの名前が付いた様々な特徴を持つ巨石を見て回れるようになっている。登山道を歩く険しい道となっているため、健脚向け。春は桜の名所としても知られている。釣り堀もあり。これら巨石群は肥前風土記にも記されており、「此の川上に石神あり、名を世田姫といふ。」という記述から世田姫が与止日女神社の御祭神と考えられている。古くは巨石を神様として信仰し、御神体はこれらの巨石であったと考えられている。入園料は無料だが、軽自動車・普通自動車は1台300円、大型自動車は820円の駐車料金が必要。巨石パーク入り口。巨石をテーマにしているだけあって、パーク名が巨石に刻まれている。多目的広場、管理棟。駐車料金はここで支払う。釣り堀の受付もここで行われている。釣り堀の料金は釣り具・餌のセットで100円。登山道入口駐車場。多目的広場から更に上った場所にある。登山道入口。ここから山を登りながら巨石巡りへ。所要時間は約2時間。ちなみに入口の看板には巨石パヮークという謎の誤字がある。緑あふれる自然豊かな遊歩道。静かな雰囲気だが、最初はしばらく登り続けるので結構キツい。10~20分ほど歩くと所々に巨石が点在する地点に入り、更に歩くとそれら巨石の中でも一際大きい神頭石が目に入る。神頭石。登山道入口駐車場の登り口から入って最初に目にする巨石。周辺には様々な大きさの巨石があるが、その中でも一際存在感を放っている。形が神様の頭に似ていることからこう名付けられたそうで、長く眺めているとご先祖様の顔が見えてくるんだとか…?道祖神石。高さ約6.97m、幅約7.57m。ここに来た人たちの交通安全を守る守護神と言われている。下部には空洞があり、人がくぐれるようになっている。御舟石。大昔に大海原を石神様が航海に使った船と言われている。兜石。その名の通り、兜に似た形状を持つ巨石。立物・鍬形は見られないが。龍の石。まるで龍が天に昇る様に見えることからそう名付けられた。大願成就の神様とも言われている。造化大明神。世田姫が祀られており、与止日女神社の上宮として明治時代中期まで毎年11月20日に祭典が行われていたという。下部が洞窟となっていて、内部に賽銭箱がある。イナリ石。五穀豊穣の神である倉稲魂を祀る巨石。おにぎりの形をしているためイナリ石と言われてるんだとか。そこはオニギリ石じゃないのか?誕生石。この石から全ての動物が生まれたんだとか…?子孫繁栄、夫婦和合の神様と言われているそう。石の向こうには、佐賀の自然豊かな街並みが見える。屏風石。高さ約9.69m、幅約10m。斜めに立つ平たく大きな石で、まるで屏風のような形をしていることから名付けられた。烏帽子石。高さ約7.57m。巨石パークの中でも有名な石で、形が平安時代の貴族が被った烏帽子に似ていることからこう名付けられた。下部は洞窟になっているらしい。御座石。長さ約10m、幅約3.33m。神様が山頂から佐賀平野を眺められた時にお座りになった石だそう。上面は平面になっていて人が何人か立てるようになっている。自然とこの形状になったのか、それとも後から削ったのか…天神石。学問の神様の名前を取った石。何故そう名付けられたのかは謎。雄神石。強気をくじき弱気を助け、仁義を重んじるように指導した神様だそう。こちらもまた命名の由来が謎。天の岩門へ向かう途中で見つけた、空洞に祠が祀られている巨石。石がまるで神社の社殿のように組み合わさっている。天の岩門。高千穂の天の岩門(正しくは天岩戸)に似ていることから名付けられたと言われている。神籠石。「こうごいし」と読み、本来は石垣で区画した列石遺跡を指す言葉だが、ここでは神を守る石という意味で使われている。蛙石。形がカエルに似ていることから名付けられた。頭上には弘法大師を勧請しているが、80年ほど前までは誰も知らなかったらしい。村内の有名な大師信者であった坂口又七という人物が、夢枕で大師のお告げを聞き発見したらしく、それからは参拝する人が絶たなくなったそう。石神の滝。落差は4m(推定)。巨石…というより岩壁を静かに流れ落ちる滝。水量は少なめ。マイナスイオンたっぷりで近づくと涼しい。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2025.07.02
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