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今日は午前中に代官山のこじんまりとしたギャラリーに行ってきた。友達がやってるPOSSIっていう学生団体が明日までカンボジアの写真展をやっている。http://www.mrfriendly.co.jp/gallery/05_schedule.html■ギャラリーの写真を眺めていて、被写体の少年や少女の無邪気さや眼の輝きにはっとさせられた。世界中の子供達がもつ眼の無邪気さや輝き。その光を今の自分はもっているだろうか、と自分に問いかけてしまった。世界のことや世の中の仕組みなんてまったく知らなかったけど、毎日がわくわくして、楽しかった気がする。今はあの頃の眼の輝きはないかもなー、なんて思ってしまう。人生どう生きるべきか、なんて悩んでるからっていうのもあるだろうけど。もちろん今は子供の頃とは状況は違う。■就職活動の時期。人生を自分で選択して生きていかないといけない。いつまでも楽しいことばっかりやっていては生きていけないのかもしれない。ただ、その中でももっと楽しく、もっとわくわくしながら毎日を生きてゆくことはできる気がする。選択肢が増えて少し人生は複雑になったけど、子供の頃に感じていた人生の原則とか自分が感じる感情っていうのは子供の頃とあまり変わらない気がする。しかもカンボジアの少年や少女は、恵まれている環境とは言いがたい環境の中にいるのである。■カンボジアは教育がすごく遅れている国らしい。ポルポトによる知識人や教育を受けた人の大虐殺によって、教師となれるような人が今でも少ないみたいだ。教育は産業の基礎である。農業にしても過去からの技術の積み重ねが必要である。ましてや商業や工業となるとなおさらである。国としての産業を考えた時、国際的な経済や政治の網の目や共通のルールを知らずして存在を主張し自らの利益を勝ち取ることはできない。そのためカンボジアは経済的にもまだまだ未発達。少年でも物乞いが仕事だったり、ゴミ拾いで生計を立てていたりするのだ。でもその眼は輝いている。そういう生き方ってどうすればできるんだろうか。経済的な豊かさだけがその鍵ではないことは確かだ。■眼の死んだおっさんにはなりたくないなー。人生も仕事も主体的に自分から掴み取っていける人になろう。そのためにも自己分析&ビジョンを磨くべし。人生をどう生きる、を考えるつらさから眼をそらすのではなく前向きに乗り越えてゆくべき壁としよう。ギャラリー明日までだけど、よかったら行ってみて。最近眼が輝いてないかも、と思った人はぜひ(笑)
2004年12月19日
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かなり久しぶりの更新。今はひたすら就活モード。自己分析苦戦中。こんなに自分や自分の人生を考えている時期はないと思う。ただ、なかなか自分がわからない。夢を見つける手伝いをしてくれる塾にしばらく行ってたんだけども・・俺はまだ表層的な部分しか出せていなかったのかも、なんて感じている。自己分析には深さと自分の感覚に素直になることが大切みたい。俺は気持ちよりも頭で考えてしまう傾向が強いからな・・過去を掘り下げていると、「お、俺にはこんな面があったんだ」みたいな瞬間は結構うれしい。一瞬自分が分かったような気になるが、どうやら人はそんなに単純ではないみたいだ。■例えば、俺は危機感を持つと頑張れるタイプの人だ。夏休みの最終日に溜まった宿題をすさまじい集中力で仕上げていたタイプの人だ。最初からその力を出せばいいのにって親によく言われた。確かに。出せるものなら出したい気はまんまんなんだけど・・思い返せば大学受験も浪人時代に頑張りまくった。結局立教だったけど。でも現役の時に30点だったセンターの日本史は、世界史に変えて1年で94点。古漢文はどうせ忘れるから意味がないとして捨てたけど、小論文と現代文を頑張り、センターで現代文は96点。英語も結構できて、明治法はセンターで受かった。危機感を持った時の集中力はだいぶあるみたいだ。自分への劣等観というか、ぐうたら意識は少し薄れていった。■もともとぐうたらな性格。中学はゲーセンと漫画と睡眠ですごした。ただ惰性で日々をすごしてゆくことがいやで、ギターを始めた。たまたまぐうたら生活を共にしてた友達の間で音楽、ギターブームが到来したのもいいきっかけだった。エネルギーは余っていたが、何に使っていいか分からない。そんな自分に嫌気が差しつつ、何か自分も成し遂げられることを証明したかったのかもしれない。ギターにのめりこんだ。毎日何時間も練習した。ぐうたら友達の何人かも同様にギターにはまり、お互いの技を磨いていった。高校で気がついたら学年で一番うまくなっていた。必死に走り続けてきた結果だった。危機感を持つことで自分が成長できる、ものごとを成し遂げられることに気がつき、むしろ自らを追い込んでくれる環境におくことにした。そうじゃないと惰性で怠けてしまう自分がなんともいやになるからだ。■ゼミは経済学部で有名な厳しいゼミに入った。アメリカに留学したのも常に英語が必要とされる環境がほしかったから。厳しい環境にどっぷりつかって、その環境に順応してゆくなかで自分の力をつけてゆく。気がついたらその環境である程度のパフォーマンスをあげられるようになっている。■そんな風にして自分を成長させてゆくことが自分は好きだと思っていた。でも実際はそうでもないのかも、と思うことがあった。去年の夏に沢山の環境に自分をおきすぎて、オーバーワークで体を壊した。そのとき少しほっとした自分がいたのを覚えている。やっと解放される、という感じだった。成長せずに惰性で生きる嫌いな自分の面を見ないために前に進み続けようとしているのかもしれないと思った。もちろんそれだけではなく、成長してゆく感覚が好きだし、向上して認められることにも喜びを感じる。ただ、嫌いな自分を見ないように頑張っている一面があると気がついた時は正直戸惑った。日常的に自分が無意識のうちに打っていた麻酔が解けたような感覚だった。思えばこんなことって沢山あるのかもしれないと思った。自分の知らない自分。■多面的で矛盾を抱えた自分を眼をそらさずに把握するのはなかなか骨が折れる。こういう小さな発見の積み重ねが、いい人生観や価値観を作ってゆくのだろう。ちょっとかったるいけど、頑張っていこうー。今の努力が将来の自分を形作ってゆくはず。揺るがない自分の価値観がほしい。明日は友達のギャラリーに顔を出してから、本田健のセミナーだ。ラッキーなことにただで当たった!ユダヤ人大富豪の本が結構好きなだけに期待大。楽しんでこよう。
2004年12月18日
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