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2004年07月06日
選挙に行かなくてもなにも悪くない。 (裁判員制度について)
テーマ:
政治について(21477)
カテゴリ:
カテゴリ未分類
裁判員制度が導入されることになった。
まぁ、陪審員制度ですよね。
これは、どういう意味があるかというと「司法の民主化」です。
国家権力の、三権というのが「立法」「行政」「司法」ですね。
「立法」というのは、国会のことですから、国会議員は代議制ですが、
国会議員を選択する部分において「民主化」はなされているわけです。
そして、
このたび、「司法」つまりは、裁判所の「民主化」です。
今までは、最高裁判所の裁判官を十年に一回、信任・非信任で投票できましたが、
民主主義に懐疑的な私は、陪審員制度に呼ばれたら、堪らないと思います。
裁判所に通うことぐらいは、我慢すればまだ我慢できます。
裁判官並みに法律の勉強をするのが嫌なんですよ。
陪審員になるということは、他者の罪を判断し、その結果、
他者の人生を大きく左右する役割になるわけです。
他人の人生を大きく左右する。
当然、被害者のことを考えれば、無罪にすればいいというものでもないし、
なんとも考えられないほど嫌であり、重大な任務である。
そんな重大な任務に、法律もわからず参加して良いはずがない。
「司法の民主化」というのは、どういうものであるのか?
裁判官は、法律と判例だけをひたすら勉強した専門分野に非常に優秀な人間である。
それ故に、「世間の感覚」を入れるため、「司法」を「民主化」する。
まぁ、その大きな一つが陪審員制度、となるわけです。
つまりこれはどういうことかというと、時代に逆行してるんですね。
現在、日本国家は法治国家、ということになっている。法治国家ですよ。
人が人を支配する、金正日が国民を支配するのではなく、
法治国家こそ、近代国家が目指す、政治体系といえるでしょう。
それが、
法律ではなく、「世間の感覚」で人を裁くとなると、これはもう「魔女狩り」ですよ。
イラク人質事件の際、人質家族は、その言動により世間から大いに批判され、大バッシングを受けました。
それが「世間の感覚」です。
で、私は「世間の感覚」は大切で、バッシングも適正な行動であると判断しています。
例えば、かく地域で行われているであろうオウム真理教バッシングも、理解できます。
しかし、それは飽くまでも、世間で行われる行為に限ります。
松本智津夫の三女が、その周辺住民に嫌がらせを受けるというのは、
嫌がらせをする側が、ある一面では可哀想だと感じられる正常の感情を持っていれば、
嫌がらせをする側の感情も理解できるし、適正な行動であると判断できます。
しかし、自治体が、三女の就学手続きを拒否した。
これは明らかに不正であり、大問題ですよ。
これに対して、裁判所は、就学を認めるように指示したわけですが、当然です。
義務教育であるならば、なおさら当然でしょう。
法治国家というのは、そういうものなのです。
しかし、
同級生になるかもしれない親達の「世間の感覚」ならば、絶対に反対するでしょう。
反対はすればいい。法治国家がまともに機能しているならば。
しかし、「民主化」され「世間の感覚」が取り入れられた裁判所で、
「世間の感覚」が取り入れられた判決が出たときには、それは「魔女狩り」です。
本人が、犯罪を犯したわけでもないのに、親の行為により未就学児童になる。
これは、近代国家では起こり得ない出来事です。
つまり、世間は、世間の感覚で、世間を守る権利がある。
しかし、国家は、法律によって「人権」を守る義務があるのです。
よって、世間の感覚を持ち込むと「人権」侵害が発生する。
ならば、それでも陪審員制度を実行するにはどうしたらいいか?
魔女狩りにならぬように、そして、他人の人生を大きく左右するのであるからには、
全ての国民が、裁判官と同等の知識を持ち、世間の感覚ではなく、法律と判例によって、
被疑者の罪状の有無を判断しなくてはならない。
法治国家たるためには、須く国民は法律知識を身につけなくてはならない。
いやだよ。
でも、恐ろしいことに拒否権はない。
つまり、「死刑」であれ「無罪」であれ、殺人に加担することを強制されているわけだ。
人の生き死にを左右するのに、不勉強であって良いはずがない。
だから、「司法」の知識を身に付けなくてはいけないのならば、
ならば、ならば、ならば、
人間一人の生き死にの左右どころか、国や自治体の運命を左右しかねない選挙は、
当然ながら「立法」の知識を身に付けなくてはいけない。
選挙に逝くのも良いでしょう。
でも、
国や自治体の運命を左右するのに、人間一人の人生を左右するほどの意識もないでしょう。
国民にとって選挙は娯楽に過ぎません。
そして、
被選挙民にとっては、選挙は自らの正当性を受ける儀式にしか過ぎないのです。
古代、シャーマンが神に憑依されることで正当性を得たような儀式と同じです。
人間一人の人生を左右するほどの意識も覚悟もないまま娯楽で選挙に逝った人間が、
横山ノック知事を生み出したりしながら、選挙に逝かないものを高圧的に批判する。
選挙なんか、選挙民にとって大した意味も力もないんですよ。自己満足以外は。
影響力も、消しカスほどもないかわりに、リスクもない。
憲法の無記名投票の項に、投票結果によって「責任は問われない」と書いてあります。
つまり、選挙に逝く人間は、微弱な権利を行使しても、無責任である、ということ。
選挙に逝く人間って、無責任で選挙に逝ってるんですよ。
無責任で選挙に逝っている無力の人間が、選挙に逝かない人間に、何を偉そうに。
ということで、選挙に逝く人間なんて、何にも偉くないんですよ。
選挙に逝かないことも、当たり前ながら、何にも悪くない。
時間と労力を使って無意味な行動しないという点では、逆に自信を持って良い。
選挙なんか、全然逝かなくていいんですよ。
しかし、
「立法」と「司法」が民主化されても、
「行政」=官僚だけは、民主化されないんでしょうね。
してもらったら困るし。
国防の民主化=国民皆兵=義務兵役=徴兵とかもね。
これだけ民主化が叫ばれていながら不徹底な。
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最終更新日 2004年07月09日 04時29分28秒
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