
2016/09/15 木曜日
「思い煩うことはない、人生は無意味なのだ。」
サマセット・モームのこの言葉とはどこで出会ったんだっけ。
Twitter で再会したこの言葉。
ずいぶん昔に出会ったということだけは確かだ。
当時20歳の若者だったわたしにはとうてい理解できるものではなかった。
60歳になった自分の姿なんて百万光年の彼方の出来事だった。
自分が歳を取るなんてありえないと本気で信じかねない年齢だった。
混乱は「人生の意味」と「人生の価値」を混同することから生じる。
悲嘆は「生きる意味」と「生きる価値」を混同することから生じる。
「人生の意味」を問うことは徒労に終わる。
そもそも、問いのたて方が間違っているのだから。
あなたの人生に意味を与える第三者は存在しない。
もしあなたに信仰があってもそのことを神に問うことは筋違いだ。
サマセット・モームのいうとおり
思い煩うことはない、人生は無意味なのだ。
我々が本当に問いたいのは「人生の意味」「生きる意味」ではなく
私たちにとって自分の人生、自分のいのちは生きる価値があるのか
自分にとってあるいは周囲の人々にとって
最終的にはこの世界のために存在する価値があるのか?
そういうことなのではないのか。
問うべきは「価値」であって、「意味」ではない。
自分にとっての自分の「人生の価値」を問うのだ。
自分にとっての自分の「生きる価値」を問うのだ。
どのような答えを出そうとそのようなあなたを神は愛している。
わたし流にいうならば
どのようなあなたであってもこの世界はあなたを必要としている。
大切なのはあなたがあなたであることだ。
「生きる目的」はあなたがあなたになることだ。
※表題の言葉はモームの自伝的作品「人間の絆/Of Human Bondage(1915)」に登場する言葉です。
今日の写真:"夜明け/dawn"
160908-DSC03855-C1 4d
SONY α7R, Leica Elmarit R35mm F2.8
PR
Calendar
Keyword Search
New!
岡田@隊長さん