蓼科高原日記

蓼科高原日記

2016.09.16
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テーマ: 写真日記(2173)
カテゴリ: カテゴリ未分類


2016/09/16 金曜日 

前回の記事の補足をします:


自分の人生に明確な目標や使命や確固たる意味を見いだせたひとは幸運です。

その僥倖(ぎょうこう)をどうか大切になさって下さい。

しかし他の(たぶん)大多数のひとは

人生の意味を求めて

苦しい日々を送っているのだと思います。


その苦痛の原因は

「人生に意味を見いだせないでいるのは自分だけなのではないか」

という誤謬(ごびゅう)です。


そうじゃないんだ、

それがふつうなんだよ、

みんなそうなんだよ、

きっと。


人生に意味なんか無くてもいいじゃないか。

いま

あなたは

ここに存在して、

確かに生きているのだから。


あなたがここにあるというだけで、

どれほど多くのひとが

あなたに想いをはせていることか、

あなたはきっと気づいていない。


「必要のない人間」なんていないのだ。


それでも

あなたは

絶望にうちひしがれ

自らいのちを断とうとするかも知れない。


僕らにそれを止めることはできない、

それはあなただけに許された選択だから。

あなたの人生はやはりあなた自身のものだから。


でも知っておいて欲しい、

ひとは原初より『意味』を携えて生まれてくるわけではない。

人生の意味は自ら見いだすべきものである。

そして

もし『意味』を見いだせなかったとしても、

それはあなた自身にとってのことであって、

この世界や周囲の人々にとっては

あなたは充分以上に意味のある存在なのだ

かけがえのない存在なのだ

ということを。



人生なんて森を吹き抜ける風のようなものだ。

どんなに幸福でも

どんなに苦しくても

それは

永遠に続くものではない。


そして「死」は突然やってくる。


あなたの「この世界」は

そのようにして

終末を迎える。


それは「終わり」かもしれないし

「始まり」かもしれない。

だれにもわからない。


しかし

あなたを思うひとのこころのなかで

あなたは永遠に生き続ける。


生きることの意味は

永遠の謎に終わるかもしれない

しかし

あなたが生きたことの価値は

誰にも書き換えることの出来ない事実として

この世界にはっきりと記憶されるのだ。



堀辰雄にならって

ポール・ヴァレリーの詩からから引用して終わろう。

「風立ちぬ、いざ生きめやも」

"Le vent se lève, il faut tenter de vivre."

(風が起きた、生きてみなければならない)



---

ものすごく長くてゴメンね。

今日の写真:"夜明け/dawn"

160901-DSC03786-9d

SONY α7R, Leica Elmarit R35mm F2.8


蓼科高原ペンション・サンセット






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Last updated  2016.09.17 18:28:15
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