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エアデールテリヤ (Airedale Terrier) 私と一緒の写真に写っている犬は、雄のエアデールテリヤの「アラン」です。 神奈川県の大磯でオギャーと生まれてから、17歳の記録的長生きをして福岡県豊前市で亡くなるまで、私と生活を共にしてきた忘れ難き犬でした。 私への盲目的忠誠、私でなければならなかった犬で、我々は相思相愛でした。 私は自分が来年の干支の戌年生まれの所為か、生まれたばかりから犬と一緒の写真が多く、犬大好き人間です。 私の両親をはじめ家族全員が動物好きの家族でした。 今まで雑種を含み色々な犬を飼いました。 大きいのはセントバーナード、小さいのでヨークシャテリヤ、それにシェパード、ドーベルマン、アメリカンコッカスパニエルなどとの楽しい生活でした。 然し、約20年前にエアデールを飼い始めてから、その魅力の虜になりエアデールに専念してきました。 エアデールは英国のヨークシャーで川獺狩りなどの目的で繁殖された犬種で泳ぎの名手です。 その穏やかな性格、辛抱強さ、人間の命令を忠実に守ることから、シェパードより先に軍用犬として採用された優秀な使役犬です。 日本には三菱財閥の岩崎氏が数多くエアデールを入れ、今はあまり知られていませんが第一次世界大戦の頃はとてもポピュラーな犬種でした。 戦後は警察犬、災害犬、盲導犬、セラピー犬などとして、シェパードに負けない活躍をしています。 私がアメリカのカンサスに移り住むことを決めた頃、アランの両親や兄妹などの7匹のエアデールと大磯に住んでいました。 勿論彼等と別れることは出来ませんので、一緒にアメリカに行く事にしました。 航空会社が一つの便で犬は3匹しか乗せられないと言うので、3+2+2匹と3便の別々の飛行機に乗せました。 カンサスで家を買うまで、人間はホテル、犬はケンネルに預けて別居生活でした。 一日に一回は犬たちに会いに行きました。 家も決まり全員新居に移ったとき、日本とは比べものにならない広い敷地で、犬達は全力疾走して、野うさぎやリスを追いかけました。 チーターと対抗できる唯一の犬と言われているエアデールが物凄いスピードで走る姿は素晴らしい光景でした。 カンサスに住み始めてから一ヶ月ぐらいした頃のある日、チャイムが鳴るので出てみましたら、一人の若いお巡りさんがゲートの外に立っていました。 自動開閉ゲートには、日本から持ってきた日本語と英語で書かれた「日本警察犬協会」看板を泥棒除けも兼ね掛けていました。 エアデールは実技競技やドッグショーに参加したり、繁殖させるには日本警察犬協会の試験にパスしなければなりません。 私の犬達も全員生後6ヶ月の頃から、約6ヶ月間警察犬協会で訓練を受けました。 そのお巡りさんが、”お宅にはポリスドッグが居るのですか?”と聞くので、中に入れて犬たちを見せることにしました。 彼は、シャパードかドーベルマンが居ると思ったらしく、縫いぐるみみたいな可愛い顔をしたエアデールが出てきたので目を丸くしてびっくりしていました。 ”この犬が警察犬ですか? アンビリーバブル”なんて言われたので、大いに自尊心を傷つけられた犬達のパパ(私のことです)は、そのお巡りさんに実技を見せました。 我が愛するエアデールは完璧にやってくれたので、パパは”どうだ、参ったか!”と威張りました。 それから1週間過ぎに、またそのポリスが、今度は3人の人達を連れてやってきました。 その中の一人は近くの小学校の校長先生でした。 ”お宅の警察犬は優秀だそうですね。今日は貴方にお願いがあって参りました。 子供たちの情操教育になるので、学校で子供たちに犬たちを見せてやってデモンストレイションして頂けませんか?”と頼まれましたのでOKしました。 約束の日に犬達を連れて学校に行きました。 ところが、学校の講堂みたいな広い所に300人以上の児童、先生、親御さんたちなど待ちかまえていて、大拍手で我々を歓迎してくれました。 それどころか、地元の新聞記者がインタビューに来ていたり、テレビ局のカメラもありました。 私の犬達は冷静そのものでしたが、彼等のパパは大観衆を前にして、失敗したらどうしようなどと考えて、いささか上がり気味でした。 最初は基礎の「待て」、「座れ」などをやらせましたが、100%完璧な演技でした。 その後、「物品選別」といって同じ匂いのあるハンカチを選んで持ってきたり、「探せ」の命令で隠してあった私のキーチェインを捜して持ってきたり、とにかく全部間違いなくやってくれ、乗りに乗ったパパは[攻撃」までやらせてデモりました。 全部終わって、子供たちに挨拶しましたら、”クール”、”ワンダフル”と全員立ち上がって、口笛を鳴らしながらスタンデイング・オベイションでした。 まるで、アメリカ大統領の年次教書の演説の時のような雰囲気でした。 それからは、最後に子供たちと記念撮影をしたり、子供と犬との直接対話をしました。 犬達は大勢の男の子や女の子からビッグハグを貰いました。 一番興奮したのは、勿論パパでした。 その日の夕方のローカルテレビニュースは私の犬達が主役でした。 翌朝の新聞には一面に出ていました。 ところが、後日数人のアメリカ人が私に紹介されると、”ああ、あの時のエアデールの日本人?”と言われました。
Nov 30, 2005
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今月のある月刊誌の特集に「消える日本語」があり、副題として「言葉とともに失われる日本人の魂」がありました。 そう言えば最近聞かなくなったという言葉、我々戦中派・昭和一桁の世代にとって懐かしい言葉、例えば 「立身出世」、「愛社精神」、「義理人情」、「武士のなさけ」その他があります。 色々な分野の方々が同じテーマの消えた日本語について書いていました。 その中に、「ひもじい」と言う言葉がありますが、飽食の時代でグルメ花盛りの日本から消えていった日本語です。 今の若い世代には、どんな意味の言葉か答えられないのではないかと思われます。 その意味は、「お腹が空いた」、「食べたいよー」といった食べるものへの願望を表す言葉です。 戦時中や戦後の食糧難の時代、芋のつるまで食べさせられた我々の食に関する苦い経験の象徴的言葉です。 先日、あるテレビのクイズ番組で私と同年輩のタレントが、「貴方は駅弁を買ったら何処から食べますか」と言う質問に、「弁当の蓋の裏についている御飯です」と答えました。 私がそのクイズ番組に出ていたら全く同じ答えをすると思って苦笑してしまいました。 最近これも使われなくなった、「もったいない」で育った年代だからです。 九州のあるレストランでランチを食べに入った時、そのメニューの中に戦後頻繁に食べた「スイトン」がありましたので珍しくて注文しました。 懐かしい味でしたが、戦後食べたスイトンと違うのは野菜がふんだんに入っており、肉まで加えられていたことです。 本当に日本は豊かで、平和な国になったものです。 「ひもじい」と言う言葉で思いだすのは、戦後中国から引き揚げてきた後の小学校6年生の時の夏休みでの出来事です。 私の叔父から東京に遊びに来なさいと誘われ、福岡から上京し2週間叔父の一家と楽しい日々を過ごしました。 日曜日に、叔父さんが私を上野動物園へ連れて行ってくれました。 昼食時間になりましたが、その頃は食券がないと食堂で食べられなく、レストランもあまり見かけなかった時代です。 そこで、叔父と一緒に上野の公園の近くのベンチに腰掛けて、叔母さんが握ってくれた「お握りと沢庵」を広げて食べようとしました。 その後、すぐ2-3人の浮浪児(この言葉もとっくに消えてしまいましたね)が、泥に汚れて、真っ黒な爪の手を差し出し、私達のおにぎりを必死な目をしてねだりました。 北支にいた日本人の子供は恵まれていて、食べる物が豊富にあり空腹になることはありませんでした。 思わず私のお握りをその子供たちに上げました。 叔父からは、「ひもじくなったら知らないよ」と褒められました。 叔父のお握りもその子達に提供されたので、二人は魔法瓶のお茶だけの昼食でした。 きっと、その可哀想な浮浪児たちは、とても「ひもじい」かったのでしょう。 あの子達は今どうしているのかな?
Nov 29, 2005
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この数日、一般庶民を騙した設計士、設計事務所,検査機関、建築会社、不動産販売会社の報道で満ち溢れています。 最近こんな話ばかりでうんざりですね。 でも見方を変えれば、震度5以上の地震が来て多くの住民の犠牲者が出る前にバレてしまってよかったと思います。 今日は弁護士名義貸しと、それによる利益を自分の懐に入れて逮捕された、民主党の西村衆議院議員の話がハイライトのニュースでした。 同代議士の発言記事を毎月のようにある月刊誌で読んででいました。 野党の一員ですが、北朝鮮の拉致問題に積極的に関与し、小泉首相の靖国参拝について理解を示し賛同し、中国・韓国の理不尽な日本批判に対しては断固として拒否している強硬派で、気骨のある代議士だと思っていました。 然し、苦労して司法試験の難関をパスして弁護士になった人が、その資格を無知な素人にやらせて、報酬を折半するなんて常識では考えられません。 世間では魔が差したと言うのですか? でも、あまりにも非常識な事で、立派な(???)代議士先生の犯したこととは思えません。 こんなことが発見されて自分の栄誉あるステイタスを捨てるなんて、西村先生はアホかいなと言ってやりたいものです。 汗水たらして、安い給料で働いている「普通の人」の方が、このようなくだらない代議士よりずっと立派です。
Nov 28, 2005
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朝青龍明徳殿 昨日の日記を発信した後、1時間後に横綱の画期的、新記録ずくめの優勝が決まりました。 とにかくモンゴル横綱立派でした。 おめでとう! 彼が土俵上で初めて流した涙について、「女々しい」とか「横綱のくせに」とか批判している人がいましたが、私はそうは思いません。 若い頃から貧しい家族と苦労してきて、やっかみの批評や中傷に耐えて,今回の新記録のための大きなプレッシャーを乗り越え、外国での、外国の国技で歴史に残る記録の優勝を果たした諸々の思いがいっぺんに込み上げて来た、「美しい嬉し涙」だと思います。 これからも頑張って、新しい記録に挑戦し、記録を塗り替えて、益々大きな横綱になってください。 ところで、朝青龍力士の名前を初めて知りました。 明徳(あきのり)さんと呼ぶのですね。 これからも、人の気持ちを明るくする、人徳のある横綱になって行ってください。
Nov 27, 2005
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大相撲 相撲は日本の国技ですよね. 然し,唯一の横綱はモンゴルの出身ですし、3人いる日本人の大関は交代に角番で苦労していますし、東ヨーロッパの琴欧州はもうすぐ大関の仲間入りです。 白鳳その他威勢の良いのは全部と言ってよいほど外国の方です。 だから双葉山、栃錦、若乃花時代の昔ほど相撲への関心がなくなり、あまりテレビも見なくなりました。 今日、ある月刊誌に載っていた横綱「朝青龍」の記事を読みました。 彼は子供の頃両親が共働きで、洗濯を自分で手洗いし、妹の面倒を見る為に一年遅れて学校に入学したほど貧しい生活でした。 朝青龍の説明によりますと、”そのような厳しい生活で、贅沢な食事も食べられなかった時でも、親の愛情さえあれば家族の関係は深くなります。 「あ、愛してくれているんだ」と言う事が子供にも自然に伝わるのです。 だから私達は自分が頑張っていい生活をしたいし、両親や家族にもいい暮らしをさせたいと言う思いが強いのです。 モンゴルから来た力士は親に恩返しをするために必死で頑張っているのです。 我々は、子供の頃に養ってきたもの、親の教えが相撲をとる基本になっているのです。” このようなハングリー精神がモンゴル出身の力士を強くしているのだと思います。 日本では、金属バット事件以来、親が子供を愛し、子供が親を尊敬すると言う当たり前のことが失われてきて、親子の間の戦い、相互不信が蔓延っています。 ひいては、親が子供を殺し、子供が親を傷つけると言う悲惨な社会が生まれています。 私は、韓国の子供、フィリピンの子供、ほとんどのアメリカの子供が親に刃向かったりしているのを見たことがありません。 目上の人を尊敬する精神が養っており、口答え一つしません。 親の言うことは絶対服従です。 親も子供の為にと思って言うので、いい加減なことは言いません。 モンゴルの力士と同じように、東南アジアから来て日本の夜の世界で歌ったり、踊ったりしている女性たちは親のため、家族のために遠い日本に来て一生懸命働き、一生懸命貯金をして、家族を守るために必死になって働いているのです。 彼らを褒める必要はありませんが、「ジャバユキさん」などと軽蔑して呼ぶことだけは避けてほしいものです。 先日、日本の若い運動家の活躍を喜び、称えましたが、あの人達も日頃の苦しい練習やプレッシャーに打ち勝つ精神を養った結果の賜物で、決して僥倖や運が良かったからではありません。 我々周りの者が分からない努力があったからこそ達成されたリワードだと思います。
Nov 26, 2005
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回教徒 今日もまた、イラクで自爆テロがあり30人以上の人が亡くなったという悲惨なニュースが入ってきました。 本当に毎日と言っていいほど、イラクでは自爆テロが起こり誰かが死んでいきます。 テロ実行者は必ず死ぬから自爆テロですが, アラーの神を盲信し、神のための聖なる戦争ジハードに参加することに無上の幸せを感じ、自分の命も惜しくないと言う狂信的心理は何処から来るのでしょうか? 以前、私のサウジアラビアの友人が私にコーランを読むことを強く勧めました。 ”賭けても良い、君は必ず感動して涙を出すよ”と言うのです。 日本に帰ってから、日本語で書かれたコーランを探しましたが、これは至難の業でした。 10 軒ぐらいの本屋さんを訪ねて,やっと世界の歴史全集の一環として書かれたコーランを日本橋の丸善で見つけて買い、読みました。 涙なんか一滴も出なかったけど、回教徒の人が何故4人の 妻が持てるかの理由が分かりました。 かなり長編ですが、終わりまで読みました。 結構面白い内容でした。 フィリピンはスペインの影響で9割の国民がカソリック信者です。 どんな町にも教会とプラザ(広場)が有ります。 スペインの神父さん達の影響力は大変なものです。 然し、ミンダナオには多くの回教徒がいてキリスト教に反抗しています。 スペインの約2世紀半の統治、アメリカの半世紀にわたる支配、そして戦時中の日本、そのいずれの国もフィリピンのトラブルメーカーである回教徒を治めたり,配下にすることに失敗しました。 今でも嘘のような本当の話ですが、モスレムの連中はキリスト教徒と戦い、敵の首を切って自分たちの陣地に持ち帰り誇るそうです。 もっとも、日本の戦国時代も同じでしたが... 最近は、ほとんどイラク人がモスレムに殺されていますが、分からないのは世界一を誇るアメリカ部隊の武器をもってしてもテロリストを駆除出来ないのでしょうか? テロリストたちも食事をし寝起きしているのですから、その動向がどうして現地のことを一番良く知っているイラク人によって知られず、潜伏先が見つからないのでしょうか? かなりの量の火器を隠しているはずですが、見つけられないのでしょうか? ますます悪化しているイラクのテロ事件を案じ、イラクで活躍している自衛隊の無事を祈りたい気持ちです。 そして、日本の安全も心配です。 我々の常識外の、気が狂っているとしか思えない連中ですから、十分注意をしなければと思います。 幼い生命を襲い、殺すなどと「人でなし」の連中が増えていますが、これもイラクの自爆テロと同じ悪質なテロ行為です。 撲滅しなければなりません。 ある外国人が約40年前に私に言ったのは、夜遅く若い女性が暗い道を歩いている、自転車や冷蔵庫が家の外に置かれているのに誰も盗まない日本国を何て安全で平和な国なのだと褒めそやしてました。 そのような日本に戻そうではありませんか!
Nov 25, 2005
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マンション事件 今週は、震度5の地震に耐えられない設計をしたマンションの事がばれて、設計士、設計事務所、建設会社、それに国などの責任問題が連日報道されています。 昔の、真面目で礼儀正しい日本人は何処に行ってしまったのでしょう? 企業も、産業も、政治家も、明らかな不正行為をして人の道に外れた行為が発覚し、直接的被害者の我々国民に迷惑、失望、不信感などを植え付け過ぎます。 その解決策を見つけて二度と起こらない様にする事は勿論大事ですが、その前に我々日本人の一人一人が襟を正して、正しい社会、美しい社会、誠実な社会を作るための努力が必要です。 非難したり、愚痴をこぼすだけでは一向に良くなりません。
Nov 24, 2005
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朝晩は本当に寒くなりました。 風邪を引かないようにしなければと思いながら、時々くしゃみが出て慌ててセーターをはおったりしています。 昨日の自民党大会で、83人の新人衆議員議員の中の一番若い人が皆の前で宣言をしました。 棚ぼた式に選ばれたといろいろの批判がありましたが、一生懸命に勉強し、一生懸命に行動している姿には感心させられます。 スポーツ選手の場合も同じですが、若い人がベストを尽くして頑張る姿は美しいです。 ただ年上の政治家からとやかく言われ遠慮しているようにも見えます。 意見は真面目に聞くとして、決して去勢されないよう願っています。 そうして次の選挙では国民の支持を受け立派に再当選してもらいたいものです。
Nov 23, 2005
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最近日本では、学童に車が突っ込んだとか、商店にギアを入れ間違えて突入したとか、車による事故が多すぎますね。 そこで、今日はフィリピンで経験した車にまつわる話です。 私は約45年前商社の駐在員としてマニラに赴任しました。 最近では常時日本人が3万人以上フィリピンに滞在しているそうですが、私が初代駐在員として居た頃は家族の人も入れて300人ぐらいしか居ませんでした。 ちょうどマルコス政権が生まれたばかりでした。 フィリピンでは、戦後アメリカ兵が残した沢山の軍用ジープを改造した「ジプにー」と言う一種の乗り合バスが生まれました。 然し治安が悪いと脅かされていましたし、赴任したばかりで乗り方も分からずジプニーを使うことを躊躇していました。 だからと言って、マニラ市内には日本のように便利な地下鉄や国鉄も無く困っていたので、東京の本社に車購入のお願いをしました。 その許可がなかなか来なかったので、私の不便さを同情して或るフィリピンの人が車を貸してくれました。 ところが、その車は大変ユニークな車で、走らせるとものすごい騒音と煙を撒き散らし、何と車のギアを入れて前に走らせようとすると後ろに向かって走るのです。 かなり高度な運転技術が必要でした。 本社の許可がやっと下りて、新車を手に入れて車を返した時は、お礼の気持ちとホットした気持ちの両方でした。 ある日、車を自分で運転していた週末に、交差点で赤信号になりそうだったので停車しました。 その後一分ぐらいして、後ろから満員の乗客を乗せたジプニーが私の車の後部バンパーにどすんとぶつかって来ました。 この野郎と頭にきた私は急いで車を降りて文句を言いました。 その運転手は正直な人で、”ソリー、ボス、申し訳ない、実は僕の車のブレーキが今朝から故障して利かないのですよ”と頭をかきながら謝るのです。 乗客も私に同情して一緒に謝るので、それ以上何も言えませんでした。 日本ではその都度10万円近く出費させられ何時も不満に思いますが、フィリピンでは車検制度を導入すべきですね。 これも交差点での出来事です。 同じく赤信号で車を止めていた時、私の車の前に工事用らしきトラックが止まっていました。 何気なく窓から外を見ていましたら、急に2-3人の子供たちが忍者のようにサッと車の荷台に駆け上がり、数秒のうちに荷台にあったスコップやバケツを盗んで逃げ去りました。 混んだ交差点で車を置いてドロボーを追いかけるわけにもいかないですから、盗まれたものを取り返すのは不可能でした。 私も一度コソ泥の被害にあいました。 最初の借りた車は冷房がなく、車の窓をいっぱい開けて運転していました。 フィリピンもアメリカと同じで左ハンドルです。 私のシャツの左ポケットにさしておいたパーカーの万年筆を窓の外にいた誰かの手が抜き去り逃げてしまいました。 怒るより、彼らの敏捷な動きに感心させられました。 ある日ゴルフに行き、クラブハウスのまん前に自分の車を駐車しました。 ゴルフを楽しみ、シヤワーを浴びて、冷たいサンミゲールビール(世界でNo.1のビールです)とアボカドサンドイッチ(鳥と豚肉の煮込み、美味しいです!)を楽しみ、鼻歌混じりに帰路につこうとしましたが、自分の車が見つかりません。 やっと探しあてたのですが、四つのタイヤのホイールキャップが全部外されていました。 キャップなしの車は別の車のように見えますよ! そこで、クラブハウスに戻り、支配人に盗難を報告しクラブが責任を取るべきだと主張しました。 その支配人はこう答えました。 ”ミスター辻、それはお気の毒でした。 でも,貴方はまだ幸せですよ、車が残っていたのですから!” 帰路、道路脇に車のパーツを売っている屋台があり、ホイールキャップも数多く飾ってあります、思わず車のスピードをゆるめて私の車のキャップがないか見回しました。 最後に、これもマニラの交差点での事件です。 交差点を左折しようとしていましたら、私の右側を走っていた超ロングのトラックが同じく左折していました。 ところが、うまく曲がりきれず私の車の右側に接触しました。 車の外で言い合いをしていましたら、笛を吹きながら背の低い、ボクサーのような顔をしたお巡りさんがやってきて双方の言い分や説明を聞いていました。 20-30分後、そのポリスが私のところに来て、”貴方のミスは何もなく、あの運転手の全面的な責任です。 然し、あの運転手は奥さんや子供が6人もいて家族を養うのが大変なのです。 ですから貴方に私からもお願いします、どうか彼のミスを許してやってください。 あの運転手には貴方の車の修理費を出す余裕は全然ないので、お金持ちの(??)貴方の慈悲をお願いしたいのです”と言いました。 そこで、お金持ちの私は自分の車の修理は自分でやらなければなりませんでした。 その事をフィリピンの友人たちに話したら、彼らは異口同音に、”きっとそのポリスは君には言いにくかったので、その相手の運転手からチップをもらったんだよ”と言いました。 交通巡査は違反者からお詫び金を貰って食っていると言うのです。 トラフィックポリスと言えば,ある日私が会社の若い現地のボーイさんを助手席に乗せて運転していたときの話です。 一方通行の道路を反対側から少し入っていたときに、パトカーがサイレンを鳴らして私の車を止めました。 そしたら、そのボーイが、”ミスター辻、免許証、免許証”と早口で言い、私の運転免許書を取りあげて、その中に5ペソ札を一枚入れました。 お巡りさんが、免許証を要求し中身を見ていた時、私は罪の意識で震える思いでした。 日本ではやってはいけないことですから。 その後、お巡りさんは私の運転免許証を返し、深々と敬礼し、”タガログ語を勉強しなさい、そうしたら交通標識が読めるようになりますから”と英語で言いました。 ほとんどのフィリピンの人は英語が話せます。 東南アジアでは珍しい国です。 私は、私の免許証の中の5ペソのことを何も言わなかったお巡りさんのことを考えて、「これはフィリピン独特の富の分配方法」だと思いました。 フィリピンでの7年の駐在員生活はとても楽しかった。
Nov 22, 2005
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昨日は日本人にとって何と素晴らしい一日だったのでしょう。 スポーツの快挙が次々と挙がった一日だったからです。 今朝のスポーツ新聞は、書くことがありすぎてページ数を倍増しにしてもまだ足りなかったのではないですか? 私が思い出したことは、戦後まだ敗戦の荒廃から日本人が抜け切れなかった時代、自由形水泳で古橋選手が次々と世界記録を更新していったことです。 アメリカの報道では、そんな記録を作れるはずが無いと揶揄していました。 ところが、ロスで水泳大会があり、古橋選手がそのような信じられない記録を出して証明したので、アメリカ人が唖然として驚いたそうです。 終戦で自信をなくしていた日本人に、夢と希望を与えてくれ、日本人としての自信と誇りをよみがえらせてくれた出来事でした。 多分日本人の全てが同じ感動を持ったと思いますが、まず朝のニュースで15歳の浅田さんがフィギュアースケートで金メダルを取り、同じ15歳の女の子がテニスでチャンピオンになり、更にスピードスケートで20歳の加藤選手が一位になったばかりか世界記録を樹立したとの報道がありました。 若い日本人は大きな大会でも気後れすることなく、プレッシャーに負けず。日頃以上の新しい記録を作ってゆき感心させられます。 これは、戦後の自由な世界や教育がもたらした 良い面が出た結果ではないでしょうか? 休む暇も無く、東京国際マラソンがテレビで放映されました。 高橋、キューちゃんの優勝には正直に言って驚きました。 日本中が拍手して彼女の栄誉を称えました。 試合前の昨日の朝のテレビで、ある人が「足を怪我したというので大丈夫ですかね! ふくらはぎをやられたら痛くて走れませんよ。 きっと負けたときのエクスキューズではないですかね ?」と 発言していました。 事実彼女の足が平常でなかったことは、足のサポーターを見ても大きく腫れている事が分かります。 しかしキューちゃんはやりました。 二年間もブランクがあり、足も正常ではなく、周りの批判やプレッシャーもあるのに、よく頑張れましたね! 自分を信じて夢を持ち、凄い精神力があったからこそ勝てたのだと思います。 試合後のインタビューにも感動しました。 驕らず、自分を誇らず謙譲美徳の精神での語り口、そして自分が勝ったことを例に、若い人も高齢者も夢を持ち続けて生きてほしいと言いました。 逆境に苦しんでいる人、そして夢の無い世界にいる人への励ましとして力強い言葉でした。 日本人は自信を失い、自虐趣味だと批判されている昨今、若いスポーツ人やキューちゃんの勝利は日本人にやる気を起こさせました。 マラソンの興奮が覚めやらぬうちに、今度はゴルフが始まり、20歳の宮里藍ちゃんのぶっ千切り優勝、その笑顔はとても清清しく美しかった。 男子のほうは、日本人の勝利を願いつつも、あのタイガーウッズの精神力、技術、諦めない気力には頭が下がります。 藍ちゃんもタイガーも勝つ人は何時も勝ちますね。 まるで、勝つために生まれてきたみたいです。 矢張り、お二人のゴルファーからも夢をもらいました。 もうひとつエンジョイしたのは、キューちゃんも藍ちゃんも演説が上手いことです。 原稿なしに我々を納得させる長い話をとうとうと言えるのは素晴らしいですね。 お役人が作った原稿をだらだら読む政治家は彼女たちから学ぶべきですね。 今朝の新聞もテレビも昨日のスポーツの興奮が覚めやらない状態でした。 私もそうでした。 本当に有難う!!!
Nov 21, 2005
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中国人との逸話、 先日の上海旅行の際、友人で取引先の人(若い美人、但し夫持ち)に誘われて、上海市街から車で約1時間ぐらいのある工場を訪ねました。 ところが、我々を乗せた車の運転手さんは友人の義理の弟さんで、とにかく私が知っている最も乱暴な運転手でした。 ハイウエイで他の車を追い越すのに前方をよく見ずニアミスの連続です。 高速を降りた道路は砂利道 でしたが、制限速度の3倍ぐらいの速さで猛進するので気が気ではありませんでした。 帰路心配が現実になり、タイヤがパンクしました。 私も降りてタイヤの交換を手伝おうとしましたら、スペアは無いというではありませんか! 周りは何も無い農村風景で少し薄暗くなってきましたし、友人の家族の人たちと夕食のパーテイーがレストランで開かれる予定もありましたので美人の友達も私も途方にくれました。 近くにあった2-3軒の家をノックして、事情を話して何とかならないだろうかと聞きました。 ある中年の夫人が、”自分の夫ならタイヤを修理できると思うけど、今結婚式に招かれていない、でも私が行って話をしてみるのでここでしばらく待っていなさい”と言って、全力疾走で何処かに走り去りました。 15分ほど待ったでしょうか、今度は中年の御主人が奥さんと二人で、これまた全力疾走で私達の車のところに帰ってきてくれました。 御主人は、パンクした車のタイヤを手早く外し、そのタイヤを転がしながらどこかに行ってしまいました。 そして約45分ぐらいして、待望の御主人と空気がいっぱい詰まったタイヤが戻ってきました。 そして素早く我々の車に装着してくれました。 待っている間、奥さんはお茶まで持ってきてくれました。 私たちは感謝感激で、何回もお礼を言い何がしかのお礼金を渡そうとしましたが、その御lん夫妻が言うには”困っているときに助け合うのは当然なことで、御礼をしてもらうつもりでしたのではない”と言い、どうしても受け取ってくれませんでした。 車の窓から、手を振っているお二人を見て清清しい気持ちで,心が洗われました。 たまたま、昨日のテレビ番組で高倉健さんが2ヶ月中国の田舎で中国の有名な監督による映画を撮った話を放映していました。 撮影が終わった後、中国の地方の一般庶民の優しさ、思いやりに中国人の人達と高倉さんが抱き合って友情を分かち合い、両者とも感動で涙を流している風景はとても美しいシーンでした。 このテレビを見て、とっさに思い出したのは、あの二人の夫婦の優しさと微笑みでした。 国と国との間には問題が山積しています。 でも、国は違っても人と人との思いやり、相手を理解する気持、そして人間同士の純粋で素朴な友情や人間の絆は万国共通であることを信じています。
Nov 20, 2005
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お友達の皆さんお元気ですか? 2泊3日の急ぎの上海への旅をしていました。 その間私の日記も休業でした。 中国の沿岸部の都市は行くたびに新しいビルや高速道路を発見し、その経済発展はかなりのものだと思います。 しかし、20年前に山峡下りをして、港、港の小さな町が上海並みに良くなっているでしょうか? また、もう一度中国の地方を見に行きたいと願っています。 20年前の中国と言えば女性のスカートは見かけませんでしたし、ホテルのお湯が出なかったり、北京でも表通りから裏側に行くと貧富の差がはっきり分かりました。 ブッシュ大統領が言っているように、中国が本格的に豊かになるには、共産党一党の政治体制を脱却し、国全体の民主化と自由化を計る必要があるようです。 どこに行っても、人、人、人、です。 発展途上でいろいろ問題はありますが、何せ日本の人口の10倍ですし、都会の豊かさを求めて蜂のように沿岸都市に集まってきていますから上海の混雑は物凄いです。 銀座の歩行者天国の比ではありません。 日本の自衛隊の数の10倍以上の兵隊がいるそうですので、一人の自衛隊員が10人の中国兵ともし戦うなんて考えたら、しんどいですね。 全部の中国の人口が経済力をつけたら、途方もない消費大国になります。 もしそんな時代がきたら、日本の産業界は潤うことでしょう。
Nov 19, 2005
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最近中国の故胡耀邦党総書記長の生誕90周年に関する報道が度々出て来ます。 胡氏は、日本贔屓で、日中関係を良くする為に力のあった方です。 中国の民主化を 進め、リベラルな考え方の人でした。 1980年代の後半にその当時の人達と上手く行 かず失脚させられました。 胡氏の死去を契機に、学生たちが抗議を始め、天安門事件が起きたというのが定説で す。 生誕90周年を記念して、革命的知識人たちが同氏の回顧録や評伝を出版する計画をし ていましたが、「ブルジョア」、「自由化」に反対する現代の支配者たちは、胡氏の 政治業績を礼賛する事は自分達の路線を揺るがしかねないので、出版を断念しろと圧 力をかけ、発禁処分にしました。 私は、1984年9月の末に北京で胡書記長とお会いする機会がありました。 私が末席 を汚していたある団体が中国政府から国慶節に招かれ、その一員として行きました。 非常に魅力のある方で、目を見据えて、ソフトスポークンな話し方をされる人です。 私が中国生まれである事を知らされ親しく話をしてくださいました。 真面目で優しい話を頂き感動を覚えました。 その時に写して頂いた胡氏との写真は 家宝にして何時でも壁に飾っています。 最近の中国の要人たちは、現主席がチベットで大量殺人をした責任者として知られて いますし、外務大臣は日本国の長である我が国の小泉首相に対して、国際マナー欠如 の”小泉はヒットラーに敬意を表し、哀悼の意を示した”などと常識外の発言をして いて真に残念に思います。 胡耀邦氏の様な中国の政治家が居れば、率直な話し合いも出来たでしょうし、日中関 係ももっと緊密な関係に成っていたと思います。
Nov 16, 2005
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「医」に関するニュースを読みました。 「HIVの英男性、1年後に治癒、免疫力で自力克服か?」 続いて、その記事は次の様に説明しています。 ”2002年にロンドンの病院で受けた3回の検査でエイズウイルス(HIV)陽性 と された英国人男性(25)に約1年後、陰性との検査結果が出たことを国家医療制度 (NHS)運営のロンドンの医療機関が確認した。 検査が必要としている。エイズの根本的な治療方法は確立されておらず、治療への貴 重な情報を提供できる可能性もあるとして専門家らの注目が集まっている。 英メディアによると、男性はアンドルー・スティンプソンさん。 男性パートナー (44)から感染したという。 陽性と診断された後、複数の栄養補助食品の摂取を始めたが、投薬治療などは受けて おらず、医療関係者はスティンプソンさんが自身の免疫でウイルスを消滅させた可能 性に注目している。 陽性判定から1年以上が経過した03年10月以降3回の検査ではいずれも陰性だっ た。” 本当に昔から言われている”病は気から”という言葉は正しいと思います。 病気だ と思ったら、気分が優れず、クリニックに行くと何種類もの薬をくれて、放っておく と大変になるなどと驚かされて、精神的病魔に襲われます。 逆に、無理をせず、栄養をとり、自然回復を信じ、自分は健康なのだと言い聞かせて いれば早くもとに戻れます。 日本では、皆保険制度ですので薬を飲まさせすぎます。 病院は支払の心配をする必 要がないし、患者も自分の懐が大きく減るわけでもないので薬に頼りすぎます。 先日私は指に裂傷があり、少し腫れてきたので近くの診療所に診て貰いに行きまし た。 何と、抗生物質、傷み止め、その他5種類の薬が処方され渡されました。 その薬を私はほとんど捨ててしまいました。 私は、これもアメリカでの話ですが、親しい医者から人間の免疫力を信じることを勧 められました。 その例として、アメリカ副大統領が心臓の手術をうけ、短期間で退 院し、執務に復帰した事をあげていました。 ですから、私は基本的に「薬」不信論者です。 薬を飲まないわけではありません が、自分の体調の回復を薬に100%依存する事はありません。 例えば、風邪を引い たら病院でくれる薬を飲まず、美味い物を食べて、外出を避け、家の中で読書や音楽 を聴いてジットしています。 いったん風邪を引いたら、注射や薬が助けてくれるな どと盲信しません。 私の指の後日談です。 約1年後また指を怪我しました。 プラモデルをやっている ときに時々不注意からナイフで自分の指を傷つけます。 その時は私に良く効く軟膏 を塗って、黴菌に犯されないように、バンドエイドと包帯をしました。 1週間後に は傷跡がほとんど消えていました。 人間の免疫力をもう少し信じましょう。
Nov 15, 2005
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日中関係がギクシャクする昨今、今日は楽しいオンラインニュースを読みました。 最近中国では日本文学が人気を呼び、出版界では「日本ブーム」が起きているそうで す。 これは日本との多様な文化交流が深まり、知識人を中心に日本に対する関心が 深まっているからです。 その中でも人気の筆頭は「村上春樹氏」の作品で、同氏の「ノルウエーの森」や「海 浜のカフカ」をはじめ31作品が翻訳され、既に約350万部が出版されているとのこと ですから驚きです。 それから、アメリカの文化人類学者の、ルース・べネデイクト氏の日本文化論である 「菊と刀」は昨年の中国紙の学術図書ランキングで30週以上トップテン入りをしてい るそうです。 中国人が日本人の国民性を知るために読まれており、日中関係への関 心がとても高い事の証拠ではないかと思われます。 その他、夏目漱石の「我輩は猫である」や谷崎潤一郎氏の著作もよく読まれており、 渡辺淳一作品全集が若者によく読まれているそうです。 このような中国での日本文学好きが、日本大好きに発展する事を希望します。
Nov 14, 2005
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先日あるテレビドラマで、戦時中日本人、特に日本の子供たちが空爆や食糧不足で苦 労した 事が語られていました。 現代の日本は飽食の時代で世界中の食べ物が賞味されてい ますが、栄養失調や飢餓の為に死んだ子供がいたとの話に胸が痛みました。 アメリカでも日本人の同胞が強制的に収容所に隔離されて、財産を失ったりして悲哀 を味わいさせられました。 同じ外国でも、北支に育った私を含めた日本人の子供は 食べるものに不自由なく、治安も戦後すぐまで大日本帝国陸軍戦車隊に守られ支配者 の立場でした。 爆弾一つ落ちて来ず、アメリカや中国の軍隊を見たのは戦後の事で した。 本当に恵まれていたと言うか、幸せな戦時でした。 本日のテレビ討論で、ある人が”戦争は人命の消耗”だと言っていました。 最近は イラク 戦争で2千人以上のアメリカ兵が殺されたと大きく報道されていますが、戦時中のロ シア兵の死亡者数は数百万人、フィリピンの戦争だけで50万人死亡、ベトナム戦争で 死んだ アメリカ兵が5万人、日本国内でも空爆や原爆で数多くの人が殺されています。 中国は日本に戦時中の残虐行為を謝れ、謝れ、歴史を学べと同じことを繰り返してい ますが、この国は自国の人間を最大級殺した国です。 文化革命で、チベットで、天 安門事件で何百万人もの中国人が殺されています。 昔、中国国家主席とフランス大統領の間で核の悲惨さを話した時に、中国の主席は” 核爆弾で中国が襲われて多くの死者がでても、我が国は人口が多すぎて困っているの で構わない”と嘘のような本当の話が出たそうです。 自分さえよければ良い、エゴ の塊のような、最低の人権も守られないのがあの国です。 中国の軍事費拡大、思 想、政治形態などの危険性は隣国だけに、甘い取り組みは失敗します。 エイズの問題を話し合った時に、ある日本の医者が私に言ったのは、”昔は結核が不 治の病だった、それが完治できる様になったら、次の疫病が生まれる、エイズの広が りも、世界の人口が増えないように神が(?)調整する為に生んだ病気だ”と、私は 開いた口がふさがりませんでした。 戦争や病気が如何に人間の生命を危ふくしているか歴史が証明してくれます。 世界の平和を望むと同時に、我が国が他国から侵されないような、精神的に強い国に なることを切望しています。
Nov 13, 2005
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今日も悲惨なニュースに心を痛めました。 高校生の男の子が、同じ年ごろの女の子を殺した事件です。 50箇所の切り傷をつけられていたと言う事ですが、そんなに憎かったのでしょうか? 殺された女の子立場で、”痛かっただろう! 助けも得られず怖くて絶望しただろ う”と思うとやりきれなくなります。 学校では、普通の真面目な子だとのことですが、このような豹変はどうして起ったの でしょうか? 平和で心身共に健康な子供たちの世界にするにはどうしたらよいか皆さんと考えてみ ませんか?
Nov 12, 2005
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Debate について! 私はカンサスに住んでいた頃、カンサス大学で「Debate (討論)」に関する事を専 門に講義している女性教授と親しくさせて頂き、アメリカの大統領選挙で候補者同士 がテレビ討論をする事等について話を聞きました。 大統領候補にとって、選挙の成否に重要な結果をもたらす、このテレビ討論が如何に 大切であるかを強調していました。 その為の服装、表情、話し方などの研究が進ん でいるようです。 日本でも、党首間の直接討論が国会で取り上げられるようになりました。 その他、色々なテレビ局で政治、世界情勢、その他の討論会が多々見られます。 日本の討論で一つだけ警告したい事があります。 それは、討論の相手の話をろくろ く聞かないうちにそれを遮るような発言が目立つ事です。 喧喧囂囂、討論で相手を 打ち負かす為でしょうが、聞く耳持たずと言った態度は見苦しいだけです。 特に野 党の人たちの発言、中には司会者が自分で質問した事に対して相手が答えている最中 に相手の話を中絶させている無礼さが気になります。 その様な討論を聞いていますと、非常に耳障りです。 皆さんはそう思いませんか?
Nov 11, 2005
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先日のインドネシア・バリ島での継続的自爆テロ、そして今度はヨルダンの3箇所の ホテル自爆テロ、それぞれ何十人もの無実の人たちが亡くなっています。 回教徒の過激派の起した惨事だとの事ですが、インドネシアもヨルダンも回教徒が主 流の国です。 フィリピンの南部のミンダナオの回教徒もスペイン、アメリカそして日本(戦時中の 数年だけですが)の統治時代から誰も彼等の行動を阻止できませんでした。 スペインや豪州(未遂でしたが)にも攻撃の手を広げ、何処でテロの自爆行為が実施 されるのか予想がつきません。 まだ日本では行動を起していませんが、油断は出来ません。 回教徒の自爆行為を、 日本の戦時中の神風特攻隊から学んだと言う馬鹿な日本人がいますが、特攻隊は国の 為、家族を救う為と言う崇高な精神の犠牲的行為で、回教徒は同じ宗教の人まで巻き 添えにする無差別の気違いの行為です。 同じ回教徒の国での同じ宗教の人を犠牲にするぐらいですから、アメリカの9.11、ス ペインなどの次にイラクにアメリカと一緒に行っている自衛隊の国の日本を狙ってく るのは考えられ、充分な警戒が必要です。 それから、フランスの騒ぎは何ですかね? フランスのオリジナルの社会と移民社会 との間の軋轢だとの事ですが、言葉も不十分、同じ知的環境にない移民の人達の生活 向上が難しいのはある程度想像できますが、その移民社会の回教徒や黒人の不満があ のような形で他人の車を燃やしたりする完全な犯罪行為を懲りずに、無制限にやる行 動はフランス人にとってやりきれないでしょうね。 日本は法律面、言葉の面、そして社会習慣や生活スタイルが独特ですから、移民の数 も極端に少ないし移民社会が出来にくい環境です。 その代わり、不法入国の外人が 過激な犯罪を起しているのは困ったもので日本警察の能力に期待します。 しかし、少子化の傾向が早まり、ケアを必要とする高齢者が毎年増えている現状で は、高齢者対策のためにも外国の人たちに助けてもらわなければならない時代が来る と思います。 そのためには、外国の人たちが日本の事情に理解をして順応性を持つことは勿論必要 ですが、一方我々は外人呼ばわりをせず、特別の扱いをせず、日本人と同じ気持ちで 彼らに接し相互に理解を深める必要があると思います。 国際化が急速に伸びている時代に、航空機事故で日本人が乗っていたとか乗っていな かったとかを最大課題にせず、事故の本質を知リ、再発防止を考える努力が必要だと 思います。 そうしなければ、日本人がグローバル時代の世界のリーダーになれません。 生意気な事を書きました、ご免なさい。
Nov 10, 2005
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今日の午後のあるテレビ番組で小野田少尉とのインタビューが放映されていました。 御存知かと思いますが、戦後30年経ってフィリピンのルバング島から出てきて帰国 した数奇な運命の持主です。 私はその頃マニラに住んでいまして小野田さん救出作戦のお手伝いをしました。 現 地の人に言わせますと、蛇がジャングルの中の穴に入っている状態なので自分から出 て来ない限り助け出せないだろうとの事でした。 やっと出てきた日、マラカニアン宮殿でマルコス大統領に自分の銃剣を捧げて降伏し た毅然たる小野田さんの態度に、側にいたフィリピンの人や軍人が思わずスタンデイ ング・オベイションで猛烈な拍手をして尊敬の念を表した光景がいまだに私の目に焼 きつかれて忘れられません。 同じ日本人として、とても誇りに思ったものです。 帰国後、先ず戦友のお墓参りをして、田中首相から貰った100万円を靖国神社に奉 納した風景が映し出されていました。 その後ブラジルに移住し牧場経営をしてから も、雨が降る音の中で戦友に”雨の無い所、屋根のある所に住みたいね”と語りかけ ている寝言を言っていたそうです。 金属バット事件の事を聞いて、現在は日本の子供達の為に”自然を学ぶ会”を創 り、”絶対に諦めない精神”を教えているそうです。 靖国神社や、それによる中国韓国との外交問題についての質問には、”相手にはっき り言ってやるべきです、それで中国がミサイルを日本に飛ばす事はないでしょう、 もっとも一発ぐらいミサイルで襲撃された方が今後の日本のためにプラスになるかも しれません、日本人が目を覚ますでしょうから”と言っていました。 私の実の叔父が、鹿児島県の知覧基地から「神風特攻隊振部隊」の隊長として発っ て、亡くなり、靖国神社に祭られています。 叔父の遺書を読むたびに涙する私は、 靖国神社について小野田少尉、小泉首相と共通の思いを抱いています。
Nov 9, 2005
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昨日のアメリカの新聞はほとんど全部が、中西部のインデアナやケンタッキーにトル ネード(竜巻)が発生し23人が死に、200人以上が怪我をしたと大きく報じておりま した。 約20年前カンサスに移住する事を決めて、友人知人にその事を知らせました。 と ころが、友人の在日アメリカ大使館の商務官から電話があり、”テッド、どうしてカ ンサスみたいに天気の悪い所に行くのだ?”と言われました。 カンサスに移った後 分かったのは、竜巻に代表される凄い天候でした。 先ず、驚いたのは毎週月曜日の正午に必ずサイレンが20秒ぐらい鳴り響く事です。 何のサイレンかと聞いたら、”トルネードが来た時に知らせるサイレンで、鳴るかど うかテストしているのだ”と言われました。 最初は毎日家探しをしました。 20軒ぐらい案内されて見ましたが、何処の家にも 広い地下室があるのです。 日本の家とは違うので、案内してくれた不動産屋さんに 何故かと質問しましたら、”カンサスは竜巻の名所なので、襲来したら地下室に逃げ ないと東京まで吹っ飛ばされるよ”と返事されました。 それから、日本では見かけなかった”ウエザー・レイデイオ”という特殊ラジオが売 られています。 普通はうんともすんとも言わないラジオですが、電源を入れておき ますと、トルネードが近ずいて来た時などに物凄い音のベルが鳴ります、そして急に アナウンサーが出てきて忠告を発します。 ”竜巻が、現在XX地方にいてトピカの北 部に向かっています、大至急地下室に非難してください”などと警告します。 地震は突然来るので予告できないと思いますが、移動する竜巻や台風などには重宝な ラジオです。 天災地変の多い日本でもこのような「天候ラジオシステム」があれば 良いのでしょうが。 カンサスが何故トルネードで有名になったかと言いますと、昔の映画で「オズの魔法 使い」があります。 カンサスに住んでいたドロシーちゃんと言う少女が竜巻に吹き 飛ばされ、その後幻想の世界を旅する物語で、主題歌と共に良く知られている映画で す。 ドロシーにはジュデイーガーランドがなり、映画の中で”カンサスに帰りたい よ”と言う台詞があるので、カンサスが竜巻の名所とされたのです。 カンサスを筆 頭に中西部の各州がが竜巻の通り道に位置しているようです。 カンサスで私が経験した最高の温度は105度F、最低はマイナス27度Fでした。 その他、ゴルフボール大の雹も降ってきた事があります。 サイレンが鳴って犬達を母屋に誘導し、地下室で何時間も震えて避難したことは何回 かあります。 幸い、私達は直接竜巻の被害に会いませんでしたが、ある日我が家の 500メートルぐらい先に大きな竜巻が来ました。 翌朝犬達と興味本位で現場を見 に行きましたが、本当に驚きと恐怖の事実を知りました。 地上にあるものは、ト ラックであろうと牛の群れであろうと全部根こそぎ空中に吹き飛ばすのですね。 地 下室の必要性が実感として分かりました。 To: ??????@carrot.ocn.ne.jp> Sent: Tuesday, November 08, 2005 10:58 AM Subject: 8日の日記
Nov 8, 2005
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先日書店で石原慎太郎の「太陽の季節」の新書版を見かけ懐かしくて購入し、改めて 読み直しました。 40年以上も前になりますが、文芸春秋に芥川賞を取得したこの小 説が出て読んだのが最初でした。 慎太郎や裕次郎は私と同じ世代です。 細身のマンボズボンを着て粋がったり、学校 のグループとガールハント(失礼!)等をしていました。 今の若い青年達が知った ら、多分”あほらしい”と言うでしょう。 裕次郎は亡くなり、慎太郎は長老の政治家になりました。 本当に昔の、昔の話に なってしまいました。 でも、新書版を読んで昔の事を懐かしく思い出しました。 To: ??????@carrot.ocn.ne.jp> Sent: Monday, November 07, 2005 11:18 AM Subject: 7日の日記
Nov 7, 2005
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昨日、”女心と秋の空”と書いたら、その逆ですよというコメントを3人の方から頂 きました。 本当に女性の方が浮気なのですか? 私は真面目(???)すぎて、女性を泣かし たことが無いので男性が女性を泣かすなんて考えられません。 今付き合っている ガールフレンドが気を変えるのではないかと、気がかりで食欲の秋だというのに、あ まり食べられませんでした。 真面目すぎて、嫌われて浮気されるぐらいなら、適当に悪を見せかけますかね。 でも、女性を騙すなんて私には出来そうにありません。 マジな話で! To: ??????@carrot.ocn.ne.jp> Sent: Sunday, November 06, 2005 10:38 AM Subject: 6日の日記
Nov 6, 2005
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今日は本当の秋晴れでした。人間なんて、か弱い、そして単純な動物ですね。 天気が良くて晴れ上がった朝だと、何か一日幸せに過ごせると思いますし、逆に雨や嵐ですと、一日憂鬱な気持ちになります。このまま暫く秋の快晴が続くと良いのですが、女心と何とかの空と言いますから。何時頃からそのような失礼な事を言うようになったのですかね。逆に、”男心と秋の空”とは言いませんから、平均寿命と同じく女性の方が男性より数段優れていて、強いのでしょうね!
Nov 5, 2005
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韓国向け輸出品で、消費の20%を占める中国産キムチに寄生虫が入っていたとの報道で、韓国では中国産キムチのボイコット運動が起きているとの事でしたが、昨日韓国の当局より日本向け韓国のキムチの一部にも回虫の卵を発見したとありました。 日本人はヨン様ブームもありキムチが好きですね。 スーパーなどには特別のキムチコーナーがあり、10種類以上売られています。 韓国産が多いようです。 然し、気になったのは韓国の発表で、人体には影響ないと言われていることです。 卵は放っておけばすぐ成長し成虫になります。 いずれにしても、日本人の誰が生きる死ぬの問題ではないからと安心して韓国や中国からのキムチを食べますか? 先ず汚い食べ物ですよ。 それから今日のニュースでもう一つ気になる話がありました。 わが国の保険関係のお役所が鶏インフルエンザの検査を徹底して行わず、獣医などに任せ切りにしていたと報道されていました。l アメリカ政府が71億ドルの特別資金を用意して、鶏インフルエンザの防御を行うというニュース、と日本国の対応は大違いですね。 国民の為の危機管理の重要性を感じているのでしょうか? 次から次へと、食の安全問題が発生し、問題に対する行政の対処が信じられなければ、何を食べたら安全か不安になります。 鶏インフルエンザも寄生虫汚染のキムチも、アメリカ牛肉並みに真剣に取り組んでもらいたいものです。
Nov 4, 2005
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今日は、文化の日、またお休みの日がきましたね。 昔は、確か、明治天皇の誕生日かその他の記念日だったとおもいますが、この日の天候が必ず快晴になると言うジンクスがありました。 今日の予想は晴れのち曇りですが、雨は降っていません。 朝晩はかなり冷えてきました。 私のブログをアクセスして下さった皆様が風邪を引かないよう祈っています。 チャオ ----- Original Message ----- From: > To: ??????@carrot.ocn.ne.jp> Sent: Thursday, November 03, 2005 11:04 AM Subject: 3日の日記
Nov 3, 2005
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最近の主なニュースの一つに「食の安全」の話題がありますので考えてみました。 アメリカ牛肉の輸入解禁がほぼ決まったようです。 然しこの件で討議してきた安全委員会が2年以上もかけて決めた後の発言には疑問を感じます。 要は、アメリカの牛肉が安全で輸入してよいか、日本人が食べても危険がないかを(ニューヨークの吉野家でアメリカの牛肉を使った牛丼を食べている日本人の安全はどうでもいいのですかね?)、専門家として日本国民にその是非を伝える事にあると思います。 その委員会のメンバーが出した結論は、”後は消費者が決める事ですから”とか、”検査はアメリカの責任なので”とかの無責任なステイツメントには驚きです。 何の為に、消費者や関連業者をこんなに長く待たせたのでしょう、そして食べてよいかどうかの判断は日本の消費者かアメリカの検査体制次第とは? 嗚呼! 食の安全の必要性は勿論非常に大切な事です。 然し、アメリカ牛肉以外にも最近アジア諸国や欧州で大問題になり、それが原因で既に多くの人が亡くなっている鳥インフルエンザへの日本の安全対策は大丈夫なのでしょうか? アメリカのブッシュ大統領が鳥インフルエンザの防御対策の為に71億ドルの巨額の資金を特別に支出する事を決めたと、今日のアメリカのオンライン・ニュースの大半で大きく報道されていました。 日本でもこの事実だけ報道はされてはいますが、日本政府も食品安全委員会も真剣に対策を考えているのでしょうか? 牛の危険は輸入しなければ安全でしょうが、鳥は防ぎようもなく渡り鳥などを通じて遠慮なく入ってきます。 日本における、この驚異的鳥インフルエンザの脅威に対してどのような危機管理がなされているのか、政府もメデイアも報告すべきではないでしょうか? 次に、キムチの本場の韓国で全消費量の20%にも上る中国から輸入のキムチに色々な寄生虫が混入されていて大騒ぎしていると報じられていました。 日本には安い中国産キムチがはいっていないでしょうね。 私は生まれ故郷が中国ですから中国のニュースを否定的に見たくないのですが、個人的に私は中国の衛生管理に対する不信感を持っていて、中国産の食料品を買いません。 その理由は: 1) かなり以前中国に行った時の話ですので現在は改良されているとは思いますが、訪問した中国の病院や薬の工場の非衛生的設備 2) マニラ、ジャカルタその他の国にある中国人街の汚さ、唾や鼻水を平気で道路上に吐き散らしている光景 3) 山峡くだりの船の中にあるトイレの異常な汚さ 4) 日本では許可されていない肥料や農薬を増産の為にこっそり使っている事 5) 子供の頃、私の母が街頭で売っているお菓子や飴類を決して買ってくれなかったこと。 中国人のお手伝いさんにも強く指示していた事。 ”外で売っているお菓子を食べたら病気になるわよ”と言われて来た事が私達子供の頭にインプットされていました。 最後に、日本の食品販売業者が正直に正しい原産地表示をすることと、その検査体制をしっかりやってくれる事を祈ります。
Nov 2, 2005
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先週末少し風邪気味だったので、風邪退治の鉄則、「ゆっくり休み美味しいものを食べる」に徹して過ごしました。 そこで、我が家の愛猫マルガリータをゆっくり観察しました。 そして、ペットの自衛手段と言うか生活の知恵を知る事が出来ました。 我が家に誰か尋ねてくると、内弁慶のマルガリータは他人を危険だと思うのか、サッと隠れて何処に居るのか分かりません。 地震があると(最近多いですね)、部屋の何処にいても、一目散私の所にやってきて庇護を求めます。 最近、特に早朝はかなり冷え込みます。 真夏の頃は、自分の籠型ベッドの中で四つの足を広げてお腹を見せ大の字になって寝ています。 少し涼しくなってくると、体を丸くして(上から見ると円状です)寒そうに寝ています。 次に寒くなると、朝は私の布団の上に発見します。 かなり寒くなった今朝は、私の布団の中に潜り込んでいました。 とにかく自由奔放で、他人のことなどかまわない妙な猫です。
Nov 1, 2005
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