PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Freepage List

Calendar

Favorite Blog

瞑想・気功・ヨガ・T… 瞑想・気功・ヨガTatsuさん

Comments

ネーコンジュママ @ とてもためになります。 今、子供たちと聖書の勉強をしていますが…
e-アフィリ@ blog拝見させていただきました HP楽しく拝見させていただきました。 …
つなすぱ @ はじめまして。 新着記事から寄らせてもらいました。また…
2006年07月21日
XML
カテゴリ: 神道
この宇宙や自然はすべてにおいて一貫性があり、法則で成り立っています。

だから、私たちはそうした一貫性や法則性から、真理を見出すことが出来るのです。
つまり、この宇宙や自然を見ることで、私たちは心の持ち方や人生のあり方、人としての生き方といったものまで、知ることが出来るというのです。

たとえばイエスは荒野での40日間の断食瞑想を通して、この世は「愛」であることを悟り、釈迦も同様にしてこの世は「慈悲」であり「空」であると人々に伝えてきました。このようにして自然から真理を見出す姿勢のことを、日本語では「神ながらの道」(惟神の道・かんながらのみち)といいます。
これは神の摂理にしたがって生きるという意味ですが、この時の神とは大自然そのものを指します。そして、これが神道の精神なのです。だから、神道には教義も教典も教祖も存在しません。なぜなら自然こそが教義であり教典であり、教祖だからです。

しかし、このような神ながらの精神は日本の神道だけではなく、北海道のアイヌ、オーストラリアのアボリジニ、アメリカのネイティブ・アメリカン、ハワイのカフナなど、さまざまな民族の中に元来ありました。それが今日の世界的な広がりを持った宗教の伝播と共に次第に力を失い、人々も自然から直接に真理を得るというよりも、所属する宗教団体の教義をそのまま受け入れるようになっていきました。

このようにしてみたときに、イエスも釈迦も神社の神主ではないけれども、一宗教の教祖・開祖である以前に、自然に求め、自然から真理を見出すという神ながらの精神を持った、一人の神道家だったといえるでしょう。
また私自身、イエスや釈迦の言葉をよく引用するのも、彼らの言葉が特定の宗教の教えなどではなく、神ながら精神に基づく万人に通用する、普遍性を持った言葉だからです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006年07月21日 17時52分57秒
[神道] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: