ちょっとバタバタしていたが 2021 も終わり、 2022 が始まってしまった。別段今年の抱負と言う訳では無いのだが今年こそは買うワインを減らして行こうと思っている。まあ毎年飽きもせず思いつく抱負と言えばそれまでだ。だが今年はちょっと違う。結局のところ人にもワインにも永遠の命は無いし、結局のところ人もワインも健康寿命というものが有る。ワインに関して言えば酸化が進みシェリーやマデラになる1歩手前、人に関して言えばテースティング能力というよりは肝臓や膵臓が働いてアルコールを分解する能力が喪わられる1歩手前というところか。結局のところ、「いつ迄も飲めると思うなそのワイン」という言葉に尽きるのだろう。
30、40代の頃はセラーに積み上がっていく超弩級ワインを見て欣喜雀躍するのだが、50代を終え還暦を超えるとそのセラーが段々と重荷になってくる。やはりワインは買うよりも開ける時が難しいからだろう。超弩級のワインを買うのは匹夫の勇が有れば出来るが超弩級のワインを開けるのは真の勇者だけだ。実際 SNS で超弩級のワインを上げ位打ちを知らず知らずのうちに食らってるのは大抵ワイン会古事記だ。真の勇者はそんなとこで自分の勇気をひけらかさないからだ。
さて、そのワインを買わないのが勿論一番なのだが他に(お金のかかる)趣味も無くまだ好奇心だけは旺盛と合っては結局のところ東に素晴らしい作り手が新たに発掘されたと聞けば大人買いし、西に廃業しそうなドメーヌが出ればまた大人買いし、南に代替わりして素晴らしい作りになったと聞けば取り敢えずテースティングし(これは酢酸系なので買わなかった)、北に(以下省略)と結局カ・イタイイタイ病が寛解にも至らない。ま、取り敢えず今年は自分が開けれるようなワインだけを買って行こうと思う。
閑話休題、今日はそんな中で自分のセラーに合った1本を開ける。何ていう事も無い単なるレジョナルなのだが当時のデイリーの残りで何年、いや何十年もセラーに有り、自分の生活と共に有った1本。ダメかもしれないと思っていたが案外、黒果実だけではなく赤果実も残っている。そして若かった頃に感じたレジョナル独特の雑味やフォーカスの緩みが全て輪郭のぼやけたセパージュに溶け込んでいてそれが包み込むような暖かさを感じさせて逆に良い感じだ。このワインは人生だ。若い時は喜怒哀楽の感情が渾然雑然と混じっているが 30 年以上が経ちそういう感情が澱になり沈殿し、上澄は澄み切り、緩やかな好好爺を思わせる液体となり、健康寿命の最後の瞬間を迎えようとしている。
ま、今年はセラーに中のこういうワインを飲んで行こうと思う。人もワインも寿命が尽きる前に。
でもやっぱり買っちゃうかな。
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