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分は基本凡庸な作り手の優れたクリマよりも秀逸な作り手の下位のクリマの方が楽しめる。凡庸な演奏家の大曲よりも優れた弾き手の小品の方が深遠かつ心踊らされる楽しさを感じられるからだ。でもまあこう言うワインを飲むとやはりブルゴーニュのクリマは作品なのだと再認識してしまう。Gramontもこのドメーヌもそれほど優秀ではないのだが両ドメーヌともにこのクリマだけはやっぱり別次元のエレガントさを感じる。決して大輪の花ではないが華奢中にも知性、品性を感じスタイリッシュにまとまっている。フィニッシュも良い。中盤で少しintermezzoのようにトーンダウンするがその後香り果実が沸々と湧き上がり最後まで昇り調子だった。このドメーヌはBouchard時代のLa Romaneeも作っているが多分そっちは結構抽出が強くこちらの方がバランス良いのではと思う。ただこう言う大作を飲んでしまうと自分はやはり圧倒され何と無く場違い感に囚われる。ま、出自がそれほど良くない自分は垢抜けないクリマがほっこり感じてちょうど良いような気がする。美人のヨメを持つと落ち着かない感じかな。ヨメにはMoreyが良いかな。それかやっぱりVolnay辺りが良いかな。適度に可愛くちょっと田舎っぽくて。ただ熟成にはあまり向かないかも。ん、何の話だ。
2023/10/30
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今まで何杯のグラスを重ねたことだろう。一杯のグラスからワインが味われ咀嚼されそれが思い出に変わる。そして空になったグラスにまたワインが注がれその繰り返しだ。今のグラスを飲みながらその前にあったワインの記憶は朧げに昇華していく。それはあたかもサンサラのようだ。グラスといういう肉体にワインという心が注がれ時には高揚し、時には落胆し、怒り、諦め、色々な感情を生みながらサンサラは続いていく。サンサラ、それは輪廻というよりむしろ遊戯なのだろう。優雅で甘美な遊戯。一度、二度、いや何千回、何万回も繰り返された遊戯。これからも繰り返して行くのか。是という自分がいる。そして否という自分もいる。とりあえず遊戯を演じ続けよう。夕闇が来るか、自分の中で何かが壊れるまでは。ところでこのワインめっちゃ美味しかったんだけどね。
2023/10/28
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ブルゴーニュの懐深いのはradar screenに映らない優れた作り手が存在する事だ。この作り手も日本に入っておらずその存在を知る人は日本でも非常に少ない。Moreyを名乗るドメーヌは色々有ってそれぞれの複数の息子や娘が別ドメーヌを建てているので非常にややこしいがここはMarc Moreyの息子と伝説となるFernand Coffinetの娘が結婚してできたドメーヌ。90年代から元詰を開始しているが急速に有名になったのは実質息子が継いだ2010頃からだった記憶が有る。抜栓直後から淡い白果実。少し硫黄臭を感じるのはSO2だろう。口に含むと凝縮したフレッシュな果実が広がるが半端ないミネラルで中盤から締まりフィニッシュは長く完全に縦切れ。膨らみは微塵もない。樽は自然。樽熟は12ヶ月に留め、新樽40%だが大樽の狙い通りにワインが仕上がっている。長期熟成を眼中に還元的に作られていて非常に堅い。5年経っているがキャラファージュが必要だ。或いは前日抜栓だろう。ちょっとスレンダーなところが有りブラインドではCocheやBoisson-VadotのMeursaultに間違えそうな気もする。だが数年経てばゆっくりと堅さが解れ果実が溢れ出してくるだろう。9ヘクタールと比較的中規模であまり知られてなかったせいもあり適度に買えていたのだがここ2-3年でかなりブレーク。量も少ない事もあってか2021は完全な争奪戦。出来れば日本に入って欲しいが入ってきても少量、瞬殺だろう。とりあえずまだ市場にある19、20を追加しよう。まあ既に有るのだが。また増えるのはしょうがない。
2023/10/23
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人もワインも永遠の命がない」という事を実感する時はやはり還暦を過ぎた頃だろう。20代から40代は未熟さを若さの力で補い少し仕事も覚え、家庭を持ち順風満帆で自信を覚え、社会的にも中核になり責任も重くなり達成感を覚えた50代と怒涛のように進んで来る。その傍にはワインがいつも有る。セラーにあるワインは自分を困難な時には自分を鼓舞しその困難な局面を乗り越えた時に大切な人と分かち合う美酒になる。人生はこの繰り返し、それが永遠に続くと思っていた。その繰り返しはある時唐突に終わる。家族は巣立ち、社会的にも段々とmarginalizeされ、気力、体力、そしてアルコール分解能は落ち、かつての飲み仲間は一人また一人と悟りの道へ消え、あるいは傷病退職。そして昔買ったセラーのワインは持ち主同様既にピークを過ぎて下り坂。そしていつか自分の番が来る。このワインも多分そういうプロセスを辿っているように感じる。熟成が進みノワゼットが前面に出る。くたびれたワインだが10年ほど前は力も漲りクリマ的にもはち切れんばかりの素晴らしさだったのだろう。ただ最後3分の1を過ぎた頃から一瞬果実の煌めきを感じる。白色矮星の新星爆発のようだ。そしてゆっくりと心肺停止へ。冒頭の言葉だが「ワインも人も命あるうちに楽しむべし」と読みかえるべきなのだろう。そしてエピローグとも言えるこれからの人生はその都度ごと大切に思える人と自分が大切にしてきたワインを開けて行くのが最高の大団円なのでだろう。星は最期の瞬間を迎える直前に銀河全体にも匹敵する煌めきを見せるという。超新星爆発だ。自分も爆発するかな。と言ってもテロじゃないけどね。
2023/10/19
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いやはや30年余飲んできて何度か現地踏査しSancerreのfirst tierは両CotatとVatanで終わりだと確信していた。ダグノーのシェヴィニョルも飲んだけどあれはmicro oxidizationをかけて膨らましたところにあざとさを感じ、感心はしたが感動は受けなかった。が、ここでまさか新しい作り手が入ってくるとは思わなかった。久々に感動したSancerre。完熟、低収量から来る物凄い凝縮。青臭さは感じられない。それでいて綺麗な酸が有り柔らかさも感じられる。酒躯は中庸で安Sancerreに有りがちなシャバシャバ感はない。複雑味厚みの有る果実は18ヶ月樽熟から来るのだろう。樽はFoudreで酸化や樽香をつけないように考慮している事が窺われる。スタイル的には線が細いCotatよりも洗練さを感じ、力強いVatanよりもスタイリッシュ。3(4)ドメーヌどれもスタイルが違って面白くなってきた。所有畑は13ヘクタール余と中規模だがだがキュベは赤1、ロゼ1、白は区画、樹齢を考え作りを変えた7つとこの規模のドメーヌにしてはかなり細かい。Cadastre(土地台帳)の区画番号入りMonopercelle(単独畑)は2つ、いずれもこのドメーヌのフラッグシップ。残念ながら日本にはほぼ未入。米でもまだブレークしていないが早晩のブレークはほぼ間違いないだろう。とりあえず少し抑えた。かなりの感動に久しぶりにSancerreに行ってこのドメーヌを訪問したくなった。今ならまだ会えるだろう。行くかな。
2023/10/09
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ウイスキー道ではブレンデッドウイスキーとシングルモルトとが峻別されそれぞれの魅力が追求されている。ブレンデッドでは優れた原酒をブレンディングやバッティングという人為的な方法で複雑だがメローな味に仕立て上げる一方、シングルモルトの方は荒削りだが現れる蒸留所の個性を楽しむ、とまあ別物だ。シャンパーニュの場合もNMはこのブレンデッド、RMはシングルモルトと同様に別ものとして捉えるべきだと思える。NMの上級キュベは複雑でまろやかで万人受けする一方、単体での満足感を重視するためドザが強く、全体的にくどく単体で飲みそこで完結するのに適しているように思える。一方RMは正直玉石混淆でどちらかというと石の方が多いように思うが優れた作り手のものは粗削り個性溢れ、また実質単一村や畑、単一VTでそれぞれの違いを愛でる愉しみも有ったりする。自分的にはこのRMの個性に惹かれる。決して完成されず欠点も有るのだがそれも含めて個性となり魅力となっているように思える。特に志高い作り手の畑やVT、セパージュのアッサンブラージュというシャンパーニュのアドバンテージを放棄して作られた(これはある意味究極のコストカットではあるが)優れたRMの中にはブルゴーニュに劣るクリマのポテンシャルにも拘らずブルゴーニュに比する位はっとする位素晴らしい出来の物も有り、この劣ったとされるシャンパーニュのポテンシャルを補って余り有る作り手の才能に感嘆せざるを得ないものも有り、ワイン会の前座的に乾杯の一杯で飲み干してしまうのは勿体無いを通り越して犯罪のレベルで有る。まあそんな事はどうでも良いのだがこの作り手はやっぱり素晴らしいと思う。シャンパーニュでも大した事のないとされる村でPM、単一VT。それからこれだけのワインを作り上げてしまう。全く着飾ったところがないが媚びる所は皆無。野にして粗だが卑ではない。ノンドゼだが。20年近く経ち全く酸化したところも無くむしろ強ささえ感じ、PMのポテンシャルを遺憾無く発揮している。並みのブルゴーニュ白を遥かに凌駕する力。ブレンデッドウイスキーのNMにはない感動を与えてくれる。これは混ぜないでじっくり味わいたいと思う。この後にはブルゴーニュ白は必要ない。別段NMを貶める積りは無いが乾杯の一杯はNMの上級キュベで十分だと思う。どうせ大して違いはないし30分以内に後に続くブルゴーニュ白に全ての記憶が上書きされて残らないのだから。
2023/08/01
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こう言うワインを飲むとブルゴーニュというのは種々のクリマが基本クラシックの種々の曲、作り手は演奏家なのだなとつくづく思う。もう少し追加すると村は作曲家、そして飲み手の我々は聴衆、ワインを飲むのは演奏会、ワインを飲むというのは演奏家が作曲家が作った作品を弾くのを聞くようなものだ。GevreyやVosneという作曲家は色々なクリマという曲々を生み出す。曲々に名曲、や駄曲、小曲、大曲、簡単な曲や難曲があるようにクリマも難しかったり易しかったり、こじんまりとしたもの、偉大なもの、まあこうやってひとくくりにすれば単純だがそれぞれに色々な性質があり個性が有る。そしてその曲を弾くのがクリマからワインを作るのがvigneronだ。素晴らしいvigneronは素晴らしいクリマからもそれなりのクリマからもきちんと作ってくる。閑話休題、このクリマ、Musignyの直下にあって歴史的にもCdVの修道院時代からそれなりにの評価を受けていた。名曲と言っても良いだろう。しかもMonopole、他の演奏家が弾くことはできない。ところがこの出来はどうだろう、抽出が強く果実は黒く平板、あまり楽しさは感じられず力任せに弾いているピアニストのようなものだ。別のVTはそこまででもなかった記憶があるので、難しいVT、更にはMusigny同様難しいクリマと言うことでそれがこの生産者の限界なのかもしれない。もうちょっと簡単なボーモンだとまずまずの美味しさは感じられるのだが。
2023/07/03
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長年ワインを飲んでいて一番嬉しいのはやはり自分と長年飲んできた後進のワイン愛好家から自分の良く知らなかった作り手を教えてもらった時だろう。別段教え子などいう烏滸がましい考えは持ってないのだが、自分のとっておきのワインを色々開けたりしてある程度の薫陶は授けたように思っている。その「教え子」から教わる。この楽しみに勝るものはなく、自分の次の愛好家世代のレベルを見極めて安心して下山に励めるような気がする。 素晴らしい作り手だと思う。白は相方であるPYCMと同じ味筋で確かに美味しいなと思った記憶がある。同じcuverieで作ってるのでほぼ間違いなく同じlevureだろう。ところが、この赤。相方の方は少し重心が低いように感じあまり感心はしなかったのだが、この赤は素晴らしい。この村特有の野暮ったく重く粗野な感じは全くなくチャーミングで軽快、あどけない少女のような表情を見せてくれる。PorcheretやCoche DuryのMonthelie に近い軽快感はあるがそれらよりも確実に緻密で少し華やかも有る。Ramonetの赤が素晴らしい男性とすればこれは可憐な女性。これで村名格とはちょっと信じられない。この作り手の赤が良いと勧めてくれたその後進には大いに感謝だ。まあそれでもこの後進のレベルに達するのはやはり一握りで、元からの才能が有ったのは間違いない。大抵のブルゴーニュ愛好家は歴が長くなっても未だにエチケットやレア物の呪縛に陥り、酒屋のメルマガや世間の評判を頼りに自分の価値感で飲む域には達してはいない。価格が高ければ高い程、それを持ち寄り飲む自分の価値が高いと錯覚しているブランド品信仰者と同じだろう。この呪縛を解くのは中々に難しい。 尤も自分よりも年長の愛好家にもその手の課金厨的behaviorを続け、永遠にエチケットの呪縛に囚われる人も多いのだが。
2023/06/23
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Côte d’Orの村で一番グランクリュの数が多い村は実はVosneでもMoreyでもなくこの村で、この結果は有る意味1930年代後半のブルゴーニュアペラシオン策定に当たっての一番の失敗であるように思う。 勿論グランクリュの策定にあたっては歴史的な意味に加え、所謂porte drapeauと呼ばれる過去にその畑から作られたワインが近隣の著名なクリマの名を付けて出荷され消費者に認められていたかと言う言わばcote d’or独特の慣習も考慮され、このある意味優良誤認的な慣習に一番影響を受けたのがこの村だ。端的に言うと村内のかなりのワインがChambertinで売られアペラシオン策定の時にどこまでChambertinとしてのグランクリュを認めるかで苦慮したのだろうと容易に想像できる。 VosneやMoreyのようにdistinctな性格を持ちかつ秀逸なグランクリュが複数(しかも多数)存在するのとは違いこの村のグランクリュはほぼ全てがchambertinを頂点とし他は同じ性格だがChambertinの劣化コピーの集合体だからだ。歴史的に特別の価値を持つChambertinとClos de Beze以外のクリマをグランクリュに認めないとなると、村の大半を敵に回す事になるので結果、この村に於いてはClos de BezeとChambertinだけは真の特級、他はそれより下の格のなんちゃってChambertinとして決着を付けた。その違いは今も収量規定の違いに残っている。この畑もそのなんちゃってChambertinの一つ。Chambertinに隣接するものの畑は平らで谷の直下にあるため(等高線を見れば一目瞭然)冷涼な年は難しいとされLavalleでは2級格。このワインも決して悪くはなく作り手もまあそれなりに秀逸なのだがやはり軽さ、薄さは否めず、普通にちょっと美味しいワインの範疇に留まっている。この畑を含めて幾つかのクリマがChambertinは晴れてグランクリュの栄誉を受けたがこの村のもう一つの優れたクリマ、Clos St. Jacqueは歴史的に優れたクリマとしての評価にもかかわらずグランクリュに選ばれなかった。これもアペラシオン策定の大きなミスだと誰もが認めるだろう。その理由として、この畑のワインは歴史的にChambertinとして売られず、更に1930年代後半のアペラシオン策定時にこの畑を所有していたのがComte de Moucheron単独で(現在の所有者はここから1954年に買っている) 何らかの理由で言い含められゴネなかったか或いは政治的力がなかったからのではないだろうか。まあ、あくまでも推測だがアペラシオン策定の過程を考えると中々面白い。 余談になるがこのなんちゃってChambertin方式、妥協案で有るが、結構当事者間に軋轢を起こさずうまくいったのでMontrachetでも採用され、BatardやChevalier等のなんちゃってMontrachetが誕生した。それから90年、今やなんちゃってMontrachetやなんちゃってChambertinが立派なグランクリュとして通用しているのを見ると何となく複雑な心境だ。
2023/06/16
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色々と飲んできて、最近はあまり手放しで褒める事はないのだがこのワインは掛け値なしに素晴らしかった。タイトなMeursaultも勿論素晴らしいのだがこれは一才無駄な要素が無く鋭利な刃物のよう、それでいてフィニッシュに少し柔らかな微かな果実味を残して消えていく。寡黙だが、いや寡黙であるからこそ却って凄みを感じる。強さに勝るGrande Coteとはまた少し違う。昔から素晴らしかったのだがここまで素晴らしいワインが何故まだ相対的に埋もれているか自分には理解不能だ。勿論サンセールの一番の問題は余りにも広い地域にクリマの格付けもなく大量生産の作り手が多数存在しそその中に真面目な作り手が(多くはクリマに恵まれないが)埋没し、結局玉石混淆状態になり、所謂「悪貨は良貨を駆逐する」状態になっている事だ。面積的にはChablisの半分くらいはあり、実際Sancerreのアペラシオンの中に15村含まれるという事を知ってる人は少ない。まあ、Champagneのような村の格付けは無理だったかもしれないがせめてChablisのようにSancerreの中に特級、一級位の緩いclassementを作っていても良かったように思う。Sancerreの今後に期待したいところだが、実際今の売値ならまともに手をかけてワインを作って収支トントンに持っていくのは至難の技だろう。シャンパーニュのメゾンのように高級キュベを作ろうとする大手作り手もいるがどうもやはり商業的な作為が主でワインの質は今ひとつだと思う。自分も何度かそういう生産者を訪れ、定期的にフォローしていたがほぼ全てが一口飲んだ瞬間に落胆する。ニ番手として挙げられるのはせいぜい3つ、それも一番手より遥か下だ。結局30年前から今にいまに至るまで自分が良いなと思うのはこの従兄弟と最近超有名になったもう一人の3作り手しかいない。この作り手も一部のマニアしか知らないし、大抵のブルゴーニュファンは値段もリーズナブルなのであまり見向きもしない。まあ、それでも徐々に値が上がって来てるのでコツコツと拾っていく価値は有るとは思うが。上に3作り手と書いたが実は今もう一人気になっている生産者がいて今度試してみようと思う。その際にはまたここで報告する。
2023/06/04
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ブルゴーニュでは珍しく長期の瓶熟を経てから売り出すドメーヌ。ブルゴーニュで自分の知る限りでは他はGounoux、Lejeuneがそうだ。尤もLejeuneは樽から試飲できたがこことGounouxは樽から飲ませない事で知られている(一般愛好家だけではなくジャーナリストも)。そのGounouxは代が変わり、Lejeuneは居抜き的に売却されそういう前近代的というか超伝統的な偏屈さもなくなり、今はこの2ドメーヌまあ、他のドメーヌと同じようにリリースするようになった。ここだが2004にRobertが亡くなられMichelが継いだがこの偏屈なシステムはなくなるどころかますます徹底しているように思える。実際最近ドメーヌを訪ねた人によると、今売ってるVTは1993-1996、間違いではなく、お父さんの生前のVTだ。つまり彼が継いでからのVTは一つも無い。実際Wine-Searcherで探しても直近VTは2002、多分代替わりして暫くしてリリースしたのだろう。まあ勿論、生計が有るので数樽だけ残して後はネゴスに売ってる可能性は大なのだが(推測です)。閑話休題、このワイン、多分リリースは2010年以降、それまでセラーでしっかりと眠りについていただけ有って全く健全。シェリーや嫌なトースト香は皆無。花梨、アップルパイ、胡桃等が混じり合い重い酒躯に溶け込んでいる。MeursaultはもとよりChardonnayを超えた密度、パワー。グリセリン由来の残糖感もある。ある意味HuetのCBに近い感覚さえする。後これに似たようなワインはボングランか。確かにこのワインにMeursaultを期待すると面食らいそれが故に毀誉褒貶も激しいのだろう。ただ虚心坦懐的に飲むとこれはsuis generisなワインで有る事がわかる。Meursaultである前に彼のワインなのだ。Michelがいつ自分のワインをリリースするのか楽しみになってきた。その折にはぜひ父子のワインを並べて飲んでみたいと思う。
2023/05/23
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英語でname dropping という言葉が有る。「重要な人と知り合いで有る事をひけらかし自分が重要で有る事を匂わす」事だ。勿論良い意味ではない。更にname dropping businessというとあまり中身がない商品を売りつける商売法として否定的な意味になる。翻って昨今のブルゴーニュではこのname dropping businessが盛んであるように思える。端的には「超有名ドメーヌで修行した」というフレーズだ。確かに超有名ドメーヌで修行した中でも個性を持った素晴らしいワインが作られるところもある。例えばDujacだ(エチケットのデザインまで同じだ)。最初の数年はまあつかみとしてこういうname dropping は重要だが、優れた作り手だとすぐにそういう商売から卒業していく。問題は何年もこのname droppingを続けているドメーヌでここもその一つ。某DRCで栽培醸造をやっていたという売り出しが何年も続いている。果たしてワインは全く平板で普通。薄いが薄うまではない。口の中で急速にばらけていく。クリマ的に少し薄くなるのは仕方がないが前の所有者Pernin Rossinは薄いなりにも果実の芯があって隣のCros Parantouxに繋がる要素を少し感じることができた。このままだとDRCで修行したのにこれか、と全くの逆効果であるように思う。ジャイエの弟子、セロスの弟子とかも有ったな。まあ、こういうname droppingしている作り手には近寄らない方が良いと思う(個人の意見です)。
2023/04/08
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ワインが単なる飲み物を超越する理由はその味わいや値段にも拠るがやはり最終的にはワインは熟成による進化を遂げる謂わば生き物であり、時にはその進化により人智を超えた高みに到達する可能性があると言うことだろう。更に言うとリリースで買って20年、30年寝かせて自分と共に成長して来たワインは想いで有り、自分の分身だ。そのワインを自分の節目が来た時にその想いが判る人と開ける。 このワイン、30年を超え、コルクも切れボロボロになり、殆どソーテルヌと思わせる位の深い黄金色が付いていて、シェリーが出ている事は確実で果たして一口目を含むと微かなシェリーの要素が口から鼻へ抜ける。だが口に含むといがいがした要素はなく、花梨のような丸い果実。酒質は粘性が高く滑らか。口に含むと酸があまり感じられずピークを少し過ぎた頃と思った。ところが15分を過ぎた頃からそのシェリー香やトーストが消え、先に述べた花梨を思わせる透明だが複雑な果実が広がり艶かしさまで感じられ、落ちるどころか最後は若さまで感じさせてくれた。逝っていた時に備えて魂召喚用のノンドザのシャンパーニュを用意していたが、全く必要が無かった。Montrachetは難しい畑で結構駄作は多いがやはりここのMontrachetは別格だと言われる理由を再認識した。 作られてから飲むまでの間の時間が長いのもワインの特徴で有る。ワインが作られてからから開けられるまでそれぞれの人の人生が有り、それぞれの人が楽しい事や辛い事を経験し、そしてワインを開けるこの時、この場所でワインと人が一点に交わる。そしてワインを見ながら人はその間の自分の人生を振り返る。 「お前は歳を取ったが中々のものじゃないか、そう言うわしも歳をとったけど満更捨てた者じゃ無いだろう」とワインに語りかける或るブルゴーニュの作り手の言葉が浮かんできた。
2023/03/30
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今日は少しIntermezzo的なワイン。 名手(私は苦手だが)が作るちょっと遊び的な1本。銘に有る三角形はそれぞれのセパージュに対応した地域、ボルドー(セミヨン)、ローヌ(ヴィオニエ)、ブルゴーニュ(シャルドネ)をそれぞれ3分の1ずつブレンドした物。 ワインはまあ単純でどうしてもヴィオニエが勝ってしまってるがセミヨンでボディーを出し、シャルドネで酸味を出すことでそこそこには仕上がっている。ちょっとした遊び的アッサンブラージュだが一応理に適っている。 このワインを見れば判るようには高名なVigneron自身がこういうアッサンブラージュ遊びをしている訳で、実際他の作り手や高名ソムリエもこういう遊び心を持っている人がいるし、我々飲み手もそれに倣って即席アッサンブラージュ遊びをしても一向におかしくないということだ。しかし残念ながらエチケットに囚われた中級程度の飲み手にこういうアッサンブラージュに対して嫌悪感を持つ人が多いことを感じている。ワインを飲む事=芸術品を鑑賞することと捉えるのは別段問題は無いが世のワインの多くが(例えブルゴーニュで有っても)芸術品にまで達しない家内製手工業レベルで有り、VTや、クリマ、醸造及び保管の瑕疵で完全では無い時、適当なワインとアッサンブラージュする事により劇的に質が良くなることはままある。こういう理解を持たない中級者には自分のワイン=自分の人格と捉える人も多く、アッサンブラージュする事により自分の人格を貶められたという曲解に至る人もいて、そうなるとお互い理解は不能だ。 さてそういう私も会食の際、隣席でビビンバやカレーを混ぜられると生理的に嫌な気持ちであり(多分に視覚的なものもあるが)、こういうアッサンブラージュに関しても同様であることは推測できる。 まあ、こうなるとワインもある種の宗教で異なった同一宗教内での派の違いみたいなものだ。ブルゴーニュ教内で美味しければアッサンブラージュを認めるエピキュリアン派、原理原則に拘りアッサンブラージュを許容しないオーソドックス派、みたいな感じで、歴史(及び現在進行形の紛争)が示すように、異なった宗教同士は比較的寛容だが、同一宗教の派閥争いは激しい対立を生む。ま、近親憎悪だな。 自分もいつかはオーソドックス派のテロの対象となるような気もする(笑)。
2023/03/29
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Chablisで一流とされる作り手は何人も居るが結局の所Raveneauを除いてDauvissat、Piuze、Louis Michelなど全てがChablisの範疇を越えられないと思っていた。どれもが一口飲んでChablis独特の締まりの有る淡く透明感の果実が支配的で禁欲的な感じを受け、優れたCdBのような濃い時にはふくよか、厚みも有る楽しさを感じさせながらもエレガントなワインとは違うと思っていた。まあ、CdBより北で葡萄の完熟しにくいクリマだから当たり前と言えば当たり前なのだが。 このワイン。まだ日本ではそれ程知られていないが米ではじわじわブレークしつつある。ビオ(Chablisではまだ少ない)、ステンレスから樽という発酵熟成過程はまあ、今時のChablisでもまずまず有るがこ特記すべきは極度に抑えた収量と驚異的なまでの樽熟(一級で34ヶ月)に有るだろう。この為にワインはChablisとは思えない位の厚み、複雑さを備えている。まず口に含む良質のCdBに共通する柔らかく品の良い果実が感じられる。そして中盤からChabilis特有の綺麗なミネラルが感じられ、フィニッシュへの縦切れ。畑的には一級畑とは言え左岸のForetより落ちるクリマからここまで完熟させるにはかなりの遅摘みだと思われる(実際彼はVandange tardiveのキュベも有る)。個人的にはDauvissatよりも遥か上、Raveneauと並んでSuper Chablisのカテゴリーに属する素晴らしい作り手だと思う。一級は日本には殆ど入ってないだろうが値段も(今の所は)まあ許容できる範囲なのでもし可能なら試されることをお勧めする。 先日白はもうこれで良いと書いたのだがこのワインもまずまず飲みたいと思って少し発注してしまった。これじゃ減らないわけだ。
2023/02/25
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最後の晩餐に何を食べるかというお決まりの質問に対して大抵の人は鮭のおにぎりのようなシンプルな物か、母の味のようなノスタルジックな物を選ぶ傾向があるが、いずれにせよ、豪勢な料理を選ぶ人はあまりいない。まあ、実際問題最後の晩餐に至る局面の人生では味覚機能、どころか消化機能、果ては咀嚼機能の低下に加えて痴呆も進んでいたりして流動食になったりする可能性もあるが、それでも日本人が選ぶ最後の晩餐には豪華な料理では無くそういう情緒に溢れたものやシンプルな物が多いということに何やら諦観染みたものを感じる。 私も段々と最後の晩餐に相応しいワインは何かという事を考えるようになってきた。下山を標榜する盟友ロマネ氏は絢爛豪華なGCや特別なPCの豪華さを瑣末と喝破し、日常を感じさせるワインの中に真の美を見出すべきだという新たな局面に入っているが、私も間も無くそこに到着するだろう。まさしくあれほど素晴らしいブルゴーニュワインを飲んだCamille Rodierが後年シンプルなワインを好み、魯山人が後年魚の塩焼きのような料理を好んだのと同じだ。歴史的に例えると狩野派に代表される豪華だが物質的な安土時代から無常感、詫び寂びを大切にする桃山時代への移行、これが個人の中で起きているのだろう。 前置きが随分長くなってしまったが、今日はこのワイン。特段変わったところはないのだが非凡の凡の極致のように感じる。抜栓直後は還元的で禁欲で堅い殻の中に閉じこもっていて寡黙。ミネラルが支配的だが、軽くスワーリングするとワインはようやく一言二言、口を開き始める。果実は淡く上品、フィネスを感じる。横への膨らみはなったくなく球体。フィニッシュは長いが縦に切れ何も残さずフェードアウト。素晴らしい日本酒を彷彿とさせる。熟成させたCoche DuryのBourgogne Blanc (Meursault)に近い、というかCoche Dury以上にCoche Dury。 自分的にはこの白が最後の晩餐の1本なのではと思っている。
2023/02/02
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あまり知られていないと思うがClos du Vougeot (CdV)は今でこそPN100%だが、歴史的には白もかなり植えられていてDanguy et Aubertin(1891)では大凡6割がPN,4割は白と記されている。特記すべきは白のCepageがAligoteやPinot Beurotではなく18世紀当初当時は比較的珍しいChardonnayでその出来はMeursaultに比されるところだ。そのCdVの白だが今で全て赤に変わっているが、いくつかの文献から推測するにフィロキセラ禍後の改植が機だったように思える 実際先の文献では修道院が所有していたのはCdVだけではなく現在1級、村名格のVougeot村の畑の殆どを所有しており、現在のClos de Perrier、Le Cras、Petit Vougeot、Vignes Blanchesという一級畑や他の村名格畑を現在のクリマ区分以上に現在は消滅してしまったClos Blancs de Vougeot, Clos Noir、Le Plante等細かく管理していたことが伺われる。 前置きが長くなってしまったがこのワイン。以前Heritier de Guyotが作っていたが所有が変わり今日はこの新しい所有者。 Clos du Perriersに有りながら畑の表記は歴史を鑑みてClos Blanc de Vougeotとしているが、実は最初のCABの格付け(1860)では両名併記のスタイルで有った。歴史的にも畑は評価が高く、その格付けではCdVと並ぶ1級(現在の特級)。 さて肝心のワインだが、資本的にはブルゴーニュ最大のネゴス下に入った今も基本的には前の所有者のスタイルだ。前の作り手から引き継いだ隠し味的に入っているPG (Pinot Beurot)とPBが効いていて横の広がりはなくスレンダーで知的なボディ。CdNらしく膨らみは全くなく淡く端正なワインだが、他の凡庸なマチエール不足のCdNの白とは違い気品、エレガントさが有る。RP氏はCdN最良の白と書いているが個人的にもMusigny Blancを思い起こさせるスタイル。そして20年余が経っているが全く落ちている要素が無いのが素晴らしい。個人的にはMusigny Blancにかなり近いCdN白の双璧だと思う。 因みにVougeotの白は、後Bertagnaが作る一級格のLe Cras, 村名があるが全くつっけんどんな凡庸のCdNだと思う。因みにLe CrasはCABの格付けではClos Blanc de Vougeotよりも二級落ちる三級格(現在の村名)。まあ、出自は大切だ。
2022/12/27
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この一見何の衒いも無いレジョナルワインだが個人的にこのワインにはドラマが有ると思っている。作り手も才能溢れる醸造家だがその父も言わずとしれた天才、二代続けての天才だ。だが天才に良く有り勝ちで経営の才能が無いのだろう。父はドメーヌ買収の時に追放(その日に奇しくも急逝した事は当ブログに書いた)。子は自分の名を付けたネゴスをNSGの大ネゴスに出資してもらい、その大ネゴスのサブブランド的な位置付けでワインを作っていたのだが、実際には彼はオーナーではなくgerand的な位置であり、2007年に解任追放(これは多分に彼が天才であるために自分のドメーヌを創設したりボジョレとかにも手を出していてこのブランドに集中してなかったのが一因であるように思う)。まあ、いろいろ書いたが要はこの人は天才だということだ。 閑話休題、このワイン、薄うま系だがRegionalにしては十分過ぎるくらい詰まっている。酸、果実のバランスがよくタンニンもしっかりしている。マスキュランなのはPommardの出自だろう。終盤にかけてしっかりと果実が残るところから熟成のポテンシャルもある。勿論大輪のワインではないがこのクラスとしてはかなりの出来。 この畑はこの作り手の父、Gerardが自分のPousse d`Orでの全盛期、1970年代後半に買った畑だ。Pousse d`Orでは彼はオーナーではなくgerandで有った。その彼がいつか自分からドメーヌを興したいと思っていただろうことは容易に想像できる。その畑を基に父同様gerandを解任された子が自分のドメーヌを興した。そう、父が成し遂げれなかった夢を子供が叶えたのだ。 これがこのワインのドラマだ。
2022/12/14
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何度も書いているがブルゴーニュの奥深い所は全くノーマークだったドメーヌが突如爆騰する事だ。それはあたかも海底火山の噴火に比べられるだろう。今は伝説になってしまったTruchot、反骨的なPorcheret、既に名を作りつつあるBoisson-Vadot(最近はちょっと低調だが)、シンデレラボーイ的なDecelle-Villaなどなど、拙ブログでも色々と書いているが、今回のこのドメーヌも全くノーマークで有った。というか、そもそも知らなかった。 ネット情報で恐縮だが、Cote d`Orではなく、Haute-Coteの村Nantouxに位置し、持っている畑も色々と種類が有るものの、1級がモンテリー、ボーヌしかなくMeursault、Volnayと人気の村は全て村名格、日本はおろか、米にも入っておらず、生産量の7割はフランス本国、3割はヨーロッパとなると中々評論家や好事家の目にも留まらなかったのも分かる。 さてこのワインだがもう一口目から素晴らしいに尽きる。ほんのりとした梨中心の白果実の凛とした香り、味わいは白果実に少々の蜂蜜。適度な還元も感じ熟成のポテンシャルも十分あるだろう。フィニッシュにかけての綺麗な縦切れが飲み疲れを感じない。テクニカル的には14ヶ月樽熟、20%新樽だそうだがバニラやヘーゼルナッツ等の香りは隠し味的であまり感じず、過熟感も無い。全体的に決して大柄ではないが品が良く、下手な作り手の1級を遥かに凌駕する。表土が薄い少し高目に位置し、南東に面した良いexposureの畑のポテンシャルを十分にexploitしている。 私自身これが最初のボトルになりこれ以降検証してないのでこれが「奇跡の1本」である可能性は否定できないが、これを飲む限りでは名手の範疇に入るように思う。 ちょっと追ってみようかと思っている。
2022/11/21
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この作り手の事は前にも書いたが所謂裾物のこのワインを飲んでやはり素晴らしさを再認識した。単なるブルゴーニュACだが味わいはぐっと詰まったマチエール溢れる少し重心の低い赤果実、それでいて伸びやかさが有る。複雑な構造すら有り、並の作り手の村名を遥かに超え、1級に匹敵する素晴らしさだ。有名ドメーヌにありがちな裾のシャバシャバさとは全く質が違う。これよりも薄っぺらでつまらないGCも多いだろう。 ブルゴーニュ表記だが畑はVRの国道の反対側、ここは粘土質で確かにのっぺりした詰まらない赤が多いがこのVRにNSGの高地の畑をアッサンブラージュ。このアッサンブラージュが絶妙なのだろう。ワインに複雑さを与えている。100%除梗(彼はRougetでStageしている)、このクラスでも25%新樽、18ヶ月樽熟と上位のキュベとほぼ同じ作り。個人的にはCathiardの確固とした構造、Rougetの妖艶さ、両方持つ素晴らしさがあるように思える。 下から上まで全て優れた作りが出来る数少ないドメーヌ。恐るべきなのはこの作り手が若干33歳という事だ。ドメーヌは先代の元でかなりをJadotとDrouhinに売却していたのだが2010年に彼が20歳で戻り、元詰めを開始。既に2013辺りから素晴らしいワインを作り出している。恐るべき早熟の天才としか言いようがない。伝説のCharles Noellatを伯父に持ち、Jayerとも血縁にあるサラブレッド。世代が変わり作りが雑になるドメーヌは結構多いがこのような逆はなかなか見受けられないが故に個人的には一押し(の一つ)。 もうすぐCathiardのように買えなくなってしまうのは致し方ないだろう。その前に少し買っておくか(自爆)。
2022/11/13
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Vosne Romanee村にLa Croix Rameauという畑が有るが何故この畑がRomanee St. Vivantに含まれないか疑問に思っているちょっとしたブルゴーニュ通も多いだろう。実際私もLa Croix Rameauの畑はRSVに隣接していて間に大きな道もなく標高も同程度なので何故RSVに入らないのか不思議であった。今回Jean Francois Bazin(JFB)氏のLa Romanee Contiを読んでその辺の歴史的意味が分かったので軽く纏めておく。 端的に言うとフランス革命まではLa Croix RameauはRSVの一部で有り、実際にLavalle (1855)にはこの畑の名は現れてはない。しかしその数年後のボーヌ農業委員会の最初のアペラシオン策定(1860)、Camille Rodierの私的な格付け(これは後の1937-39のアペラシオン改訂の基礎となったものだが)には2級(現在の1級)としてRSVより峻別されている。この背景だが、JFB氏の書にはMarey MongeがRSVの畑の下部を劣った区画、La Planteとしてそれ以外とは区別して醸造していて、更に現在La Croix Rameauとされている畑(少なくとも一部)がLa Planteの一部で有ったことが記されている。そしてこのLa Croix RameauはMarey Mongeから別の人に売られている。1860の最初の制定の際にこの事が鑑みられたのはまず確かだろう。 その後1931年に土地台帳上でLa Croix Rameauのごく一部がRSVに編入され(Charle Noellat、今のLeroyの一部)、残りは一段落ちるLa Croix Rameauとして残る事になり、後のアペラシオン再設定の際にこれが固定された。 これは私も知らなかった事だがこの畑の3人の所有者の二人、今のCoudray-BizotとLamarcheの両氏が1984年に特級申請をして、Vosneでは1票差で申請が通ったものの(11票中6票)、その上のブルゴーニュ総会で1931年のINAOの判断を元に却下されている。 さて、前置きが長くなってしまったが、このワイン。決して悪くはないが全てに中庸。特に伸びやかさや深みもある訳でない。決して黒くはなく、村名を超えた軽やかさは有るが、優れたRSVの持つ繊細でデリケートさにはほど遠いような気がする。まあ、普通に良く出来たVR1級という感じか。中庸な作り手、中庸なクリマの結論だろう。 そう言えば、先の特級申請に何故か3人の所有者のうちの最後、この作り手が参加していなかったとJFBに書かれていた。更に「多分Jacque Cacheuxは(申請に)興味なかったのだろう」とも。ひょっとしてこの作り手、実はすごく実直なのかもしれない。 最後に余談になるが、何故DRCがRSVの約4分の1を自分で詰めずにネゴスに売るのかと言うことが自分の長年の謎だったのがこれが解けた気がする。端的に言って先に述べたMarey-MongeがLa Planteと名付けた劣った区画の葡萄を売っているのだろうと想像できる。Marey-Mongeから畑を買収したにも関わらず彼の考察を歴史的に尊重し敢えてアッサンブラージュをせずに自社で瓶詰めをせずネゴスに売ると考えると辻褄が合う。 まあ、どうでも良いけど1本のワインにも結構歴史が詰っていてあれこれ空想に浸れるのがブルゴーニュワインの所以だ。
2022/11/08
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久しぶりのアップ。 Bourgogne、Cote d`Orの村で一番知られてない村と言えば大抵LadoixかSt. Romainを挙げるだろうが、実はBrochonでは無いかと思っている。FixinとGevreyの間に位置しDangue et Aubertin (1891)では名醸村として紹介しているにも関わらずこの村の名を知らない人は多いだろう。一部はGevreyを名乗り(これはアペラシオン策定の時にporte-drapeauとして例外的に認められた制度)、残りは敗者復活としてComblachien村と同様Cote de Nuits Villageとしてのアペラシオンが付与されている。.私の記憶では90年代にINAOがBrochonというアペラシオンを創設する事が打診されたが村全体の意思としてこのアペラシオンは要らないという結論になった。結果この村を名乗るアペラシオンはなく、これがこの村の知名度が低い事に繋がっているのだろう。 閑話休題、この米ではかなりの人気なのだが日本ではさっぱりの作り手、前にBourgogne ACの素晴らしさを書いたがこのワインもかなり良い。フラッグシップのCharmes(100年を超える超VVだ)は元よりCorbeaux(これも超VV)も日本には僅少しか入らないが、これはまだ日本に入ってくる。Cote de Nuits Villageというとどうしてもちょっと泥っぽいComblachienのイメージが強いがこの人は全てBrochon、しかもGevreyに隣接する畑から。樹齢は70年越え、完全除梗、18ヶ月樽熟と上のキュベと同一スペックで作られるところだろう。 果たしてワインの質だがこれはmediocreな作り手のGevrey1級を遥かに凌駕する。香りは黒すぐりが支配的で味わいも適度なコンポート。深み、厚みも十分あり、伸びやか。優れたGevreyに共通するテノールのような妖艶なmasculinの要素、フィネスすら感じる。Marsannayの軽薄さ、NuitsやMoreyのような土の要素はなく、Fixinのような粗雑さもない。勿論今流行りの酢酸のナチュールは微塵もない。Bourgogne ACも素晴らしかったかが、これを飲んでしまうとやはり平地のワインらしく単純で(それはそれで良いのだが)このワインの素性の素晴らしさは特筆に値するのではと思ってしまう。下山にはちょっと良すぎるワインだ。 生産量は約6000本、米では「気楽に飲める数少ないブルゴーニュ」として既に争奪戦、値段も70ドルと上がってきている。日本ではこのアペラシオンと作り手の知名度の低さで6000円ちょっとと現在のレートで半値近い。米のファンから見るとこの宝の山が放置されているのは信じられない。 ちょっと古いけど買うなら「今でしょ」。
2022/11/03
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前に書いたが今のブルゴーニュ、特にCdN、VRには大別して三つのグループに分かれるように思う。一つはJayerやRougetのような赤果実中心で高いトーン、官能美に訴える所謂妖艶系、二つ目はCathiard、往年のLeroy、DRCのような重厚で緻密なゴシック様式のような構造を感じさせる系統、荘厳系とでも言うべきか。そして第三の系統、Bizotに代表されるような酢酸を感じさせる軽やかなナチュール、軽快系。そして私的にはこの三つの系統は三原色のように混じり合って大抵のドメーヌのスタイルを説明できるように思える。例えばLamarcheは妖艶系と荘厳系が50/50、George Mugneretは妖艶系と荘厳系が10/90とかだ。 問題なのはこの第三の系統で酢酸のニュアンスが入るとどうしてもそれが支配的になってしまい、クリマの特徴は勿論、酷い時にはセパージュも分からない事も多い。全房発酵、SO2添加極小化により酢酸菌等混入がコントロール出来ない事による可能性も高い。残念ながら(とはっきり書いてしまうが)この路線で大ブレークしたArnaud Lachautに続けとばかり幾つかの作り手が個々のドメーヌの伝統的なスタイルから離れてこの系統にスタイルを変えている。 さて前置きが長くなってしまったが今日のこの作り手。昔から中庸で燻銀的な地味な作りだが時折きらりと光りで、上に書いた比率で言うと40/40(基本的に薄いので合計が100%にはならない)という感じだった。久しぶりにこの作り手を飲んだのだが、なんと完全的に第三の酢酸系に変節してしまっていた。クリマも不明、セパージュも不明、と素性不明だが酢酸だけは解る。個人的には1杯でダウン。細かいコメントもする気も起きない。 このPrecolumbiereとは三つの畑、Pre de la Folie、Commune、Columbiereの頭文字を取ったとの事だがPre-Columbianに掛けていることは明白だ。ナチュールを作る人は往々にしてこういう言葉遊びをするが個人的にはこう言う歴史あるドメーヌは言葉遊びの前に伝統的な作りを保ってもう少し良いワインを作って欲しいと思う。 注: あくまでも個人の意見です。
2022/09/06
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久しぶりの投稿。コロナ治癒後別段体調不良というわけでもないのだがちょっと更新が滞っていた。歳を取ると感動、感心の閾が高くなりあまり執筆意欲が湧かないのが問題だ。 さて、ちょっと出遅れた感も有るが最近話題になったこの作り手の19について。 05辺りだっただろうか、先代から引き継ぎ、キレもあり中々良いと思っていて実際拙ブログでもBenoit Ente、Bachelet-Monotと並んで新御三家かと推していのだが、その後少し疑問に思えて少し距離を置いていた。残念なところは2つ、一つはVTによるバラつき、二つ目は良くも悪くも没個性的な感じで特にこの作り手の味というものは感じなかったのだが(これはBachelet-Monotにも通じる)、この19を飲んでちょっとびっくりした。単なる村名格なのだが、まず包み込むような柔らかく心地よい酸を感じる。膨らんだ要素はないがSauzetのように繊細さも無く、良い意味で中庸。新樽割合も低いため樽からのエピスは殆ど感じずワインはあくまでもピュア。フィニッシュにかけてもだれることが無く縦切れで淡く消えていく。この19を飲む限りではこれは今までのどちらかというとつっけんどんな彼のワインには全く感じなかったスタイルだ。Coche、RamonetやLafon. Leflaiveのような超一流の作り手と張り合えるだけの質を持った彼独特のスタイルを獲得したように思える。さて20がどうなるか楽しみだ。 とはいえども、あくまでも私的な感想だが、この作り手の三つ目の残念なところとして上位のクリマや密植キュベに(値段の割には)それほど感動する要素が見られないという事だ。これを飲んで少し高いキュベ、クリマも試してこの作り手の力量の極地を見極めたいという気になった。 があまりに高いので下山の身には分不相応かなとも思う。さてどうするか。
2022/08/17
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ブルゴーニュが他の地域と違うのはそのワインに関する長い歴史と何代にも亘る家族制手工業に携わる人々のドラマを感じられるところだろう。特にブルゴーニュ古酒は歴史を鑑みて飲むのとそうで無いとは全く感じるものが違うように思える。それは恰も文化遺産に対する接し方と共通するような気がする。 今回のワインだが、もう伝説になってしまった作り手。GCでも1級でもない単なる村名だがこのワインは2つの畑から出来ていてそのうちの一つが現在Clos Euginieと呼ばれるLa Tache直下の畑だ。そして古地図を見ていくとここが登記上は単なるVillageの名だがClos Frantinと呼ばれていてDomaine Griveletに所有されていたことが窺える。その後Domaine GriveletがRichebourg等の畑を売却した際に何故かこの畑はRene Engelに行ったがClos Frantinの名前は商標としてBichotに移ったためRene Engelはもう一つの畑 (Vigneux)と混ぜて単なる村名として出したのだろう。この村名の生産量は5,300本、と言う事はこのドメーヌのVR生産量の3分の1なので残りはネゴスに売っていたと推測できる。 そしてPhilippe Engelが2005に亡くなりLatourのオーナーが買収した時にこの畑がClos Eugenieに変わり、ドメーヌの名前にもなり、この畑が別キュベとして出されているのだが、この畑がこの名前で出ている文献にはまだ出会っていない。まあ、どうでも良い事なのだが、裏には色々とドラマが有った事が感じられ、こういうドラマに価値を見出すのが真のブルゴーニュマニアなのだろう。 閑話休題、肝心のワインだが30年経ったものの辛うじて果実は残り、マディラも出ていない。これから数年の間徐々にフェードしていくのだろう。これが詰められた時、自分は20代後半、社会に出て仕事をし始めこれからの人生に希望、夢を見出した時。それから30年経ち、幾つかの夢は叶ったが幾つかの失望、失敗もあり、人生は下降体制に入りつつある。ワインを開けながらお互いに歳を重ねたなと声をかけてたく気持ちが生まれる。小学校時代の初恋の相手に30年ぶりに出会った感じだろうか。人もワインも同じ、永遠の命はない。今を楽しみ、命のあるうちに楽しむべきなのだろう。そう、下山が肝要。
2022/04/27
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多分ブルゴーニュ古酒を飲みつけている人なら解ると思うが、60−70年代のブルゴーニュに幽玄さ、浮遊感、緩さ、出汁という古酒独特のキャラクターに魅入られる人は多い。翻って今のワインを見てみると、それらが熟成して行った時に果たして優れた60−70年代のワインの高みに到達できるかどうかは不明だ。 主観なので間違っているかもしれないが、個人的にはしっかりと凝縮感を出し、果実を全面に出し、フィルターやコラージュをかけず、酸化防止剤を抑え早のみが出来る様にフレッシュでmodernな作りになった事も一因だと思う。端的に言うとフィルターをかけず浮遊物が有るワインは時間が経つとどうも味に濁りを生じ出汁感が出ず、SO2が少ないと比較的早く酸化が進み果実がフェードし、マデラになってしまう。実際今90年代半ばのワインを飲んでみると枯れていたり酸化してマディラになっている物も多くこの考えはあながち間違っていないように思える。特に最近流行りの酢酸系ブルゴーニュワインは殆ど熟成せず色褪せて行くのではと思っている。結局のところ短期的な飲み易さと熟成のポテンシャルという二律背反(でもないのだが)の命題のoptimal mixを狙わず前者に注力した、謂わばイングリッシュガーデンを狙わず、フラワーアレンジメントなのだろう。 閑話休題、さて今日のお題のワインだがこれは今は亡きPommardのパーカー4つ星。アペラシオンは単なるレジョナルなのだがこれはかなり素晴らしかった。45年経過しているが澱はあまり無く、フィルターを掛けていると思われる。そのせいか味わいは薄いが澄んでいる。熟成したレジョナルに良く感じられるようなちょっとひねたマディラのような香り、癒しを感じさせる緩さもなく、気高ささえ感じさせる。粗で有り野で有るが卑ではないというのが優れたレジョナルの定義だがこれは決して粗野ではない。寧ろその対極の浮遊感を持った至高の1本。こういうのを飲むとGCというのが如何にmonolithicでmonotoneな作りかという事が判る。 まあ、その域に達するには有る程度GCを飲む事が肝要なのだが。
2022/03/24
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新進のミクロネゴスと言うことで試してみたのだが、端的に言って(自分にとって)ハズレだった。 まあこれで終わってしまうと身も蓋もないので少し書く事にする。ワインは今流行の典型的なナチュール。クリーンなのだが、味わい、香り共に酢酸香は支配的。元々マチエールが少なかったのだろう、果実の深みやタンニンは余り感じず、全体的に平板な印象を受ける。冷涼感はあるが、Conventionalなブルゴーニュで感じられる冷涼感とは違い、ビニルのようなつるっとした感覚。個人的には出来の悪いArnoux-Lachaut、出来のよい北海道PN(敢えて名は記さない)。物理的なスペックからアペラシオンが取れたのだろうが、このワインからMorey一級というクリマ、いやPNの特徴は全く感じられない。それでいて値付けはかなり高めなのでちょっと引いてしまう。 翻って考えてみるとこの作り手の出身がオーストラリアである事を考えるとなんとなく納得がいく。言ってみると彼はブルゴーニュの場を借りてオーストラリアワインを作っているのだ。歴史を鑑み、クリマに敬意を評して、先祖代々が作ったワインの味を受け継ぎ、そこに自分の信念を足してワインを作るのではなく、白紙の状態で最新の科学と技術を駆使して自分の思った味筋を作り出して行く。れはある意味で伝統的ブルゴーニュワインに対する挑戦だろう。これは従来のブルゴーニュとは全く異なるもので、自分には違和感がある。 訴求対象も従来のブルゴーニュワインを味わい尽くした老練ではなく、まだブルゴーニュワインに対して自分の軸が作れてない(そしてセールストークや物語性、レア感に弱い)新参者が対象だろうか。そまあ、自分には全く判らない酢酸系統の日本ワインが高く売れる昨今では商業的にはまあ有りなのかなと思ってしまう。まあ、信者商売と言ってしまえばそれまでなのだが。このワインを飲んでからオーストラリア出身が作るブルゴーニュワインは遠慮しようと思う。 そう言えば先日書いたArnoux Lachautが滅茶苦茶ブレークして滅法高くなっている。リリースで買って即座に奥で売る人が続出している。日本だけではなく、米も同じだ。私と同じ事を考えている人が多い事に驚く。 個人の意見です(苦笑)。
2022/02/17
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ブルゴーニュの奥深いところはあれ程くまなく探索され全ての秀逸な作り手は網羅されている筈であるにも拘らず、時折その探索の網の目から逃れていた素晴らしい作り手が発掘(!)されるところだ。勿論Boisson-Vadotのように作り手の代替わりで突然素晴らしいワインを作る事も有るが、時には全くノーマークだった作り手が突如発現する事も有る。古くは翁が有名で有るが、今日の作り手もその一人。 Decelle-Villa、この作り手を知っている人はまだ殆どいないだろう。ネット情報によると元々北ローヌのワインの作り手のPierre-Jean Villa (Cote Rotie),と冷凍食品で有名なPicardのCEOだったOlivier Decelle(Maury中心に作る大ワイナリーMas Amiel)が共同で立ち上げた。Pierre-Jeanは過去にClos de TartやYves Cuillonで働き30年近くの経歴があるベテラン。その二人に依って作られたドメーヌ。既に7ヘクタールと中規模でGevrey、ChambolleのみならずSavigny、Meursault、Beaune、後Brouillyと比較的広範囲に跨る村々に畑を持ってるのはOlivierの資金力と推測される(Francois Feuilletに似ているか?)。トップラインアップがBeaune Clos du Roiのだめほぼノーマーク、勿論日本には極少量(個人輸入だけか?)で米の錚々たるインポーターもノーマーク、輸入しているのは日本の○まやのような全国規模の大衆酒販店だけ。読者諸兄はもう知っているだろうが、この作り手が突然の脚光を浴びたのはVogueのFrancois Millet氏を継ぐ醸造責任者としてこのドメーヌの現在の醸造責任者のJean Lupatelli氏が指名され2021年からVogueのワインを任されたという事による。正にシンデレラボーイだ。 前置きが長くなってしまったがこのワイン。端的に言うとかなり素晴らしいの一言。ややもすると濃すぎて強くなりのっぺりとなってしまうこのクリマでニュアンスがあり、groseilleを思わせる綺麗な酸を残し、フェミナンな果実味を感じさせることにまず驚く。適度な樽で果実以外の要素は余り感じずピュア。Beauneでここまで感銘を受けたのは故Benoit Germaine氏以来だ。Vogueに関してはFrancois Millet氏が作り始めの頃は抽出が強く骨格を感じさせ、村名や盆丸等はDetailが潰れ暗黒面の感じを受け、結構飲み疲れたものだが、今度のVogueは一転して明るく愉しいワインになる予感がする。 Vogueのワインの値段は一層高騰する一方でこの作り手はPoor men`s Vogueになるだろう。ただ7haなので(年産40000本ちょっとか)争奪戦になる可能性も高い。その前に少し抑えて置くことにする。 また在庫が増えるな。
2022/02/02
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Meursaltは今でこそ白が主流だが、昔の文献を見ると赤が多かった事が窺える。尤も現在でもSantenotのように優れた赤も有るのだがアペラシオン上はVolnayを名乗っているのでそう感じないだけなのだろう。この村は丁度PulignyとVolnayの間に有って文献を見ると大まかに言うと歴史的にはPuligny側は白、Volnay側は赤が多かった事が窺える。Danguy et Auberin(1891)に依れば地層は大きく3つに分かれPuligny側のPerrieres、Genevriere、Charmesなどは石灰分を多く含む魚卵岩(Oolithe)層、Monthelie,Auxeyに近いCharrons (Grands, Petits)、Rougeot、Chevalieresなどは粘板岩(oxfordienne)層、村中部のGouttes d`Or、Poruzot、BoucheresからVolnayにかけてのCras、Santenotは粘土分が多いバトニアン(Bathonian層)との事だ。この事を鑑みるとやはりPerrieres、Genevriere、Charmesは別格でそれ以外の一級白は膨らみが多くポテンシャルが劣り、(作り手に依るが)事が理解出来る。 さて、今日のワインだがMeursaultの赤。歴史的には多かったのだが今やVolnayを名乗れる一級を除けば生産量が少なくなってしまっている。が、それでも両Coche、Matrot、Mikluskiなど名の通った所がまだ作っている。こういう作り手が(Chassagne、St. AubinやPulignyのように)白に改植すれば高値で売れるにも拘らず赤をまだ作り続ける理由は歴史的な拘り、土質の適合性、や樹齢の高さからヴィニュロンの矜恃で敢えて改植しないのだろうと推測している。結果値段の割に質が良いワインが多いように感じる。勿論Coche-DuryのMeursalt赤はその希少性も有って500ドルを超える値段が付いている(昔は20ドルだった)がMatrotやもう一方のCoche等10分の1位でVolnayに匹敵するものもある。特に下山のお供には良いかもしれない。 閑話休題、個人的には余り好みでないこの人の白だが、赤はまずまず。勿論深みや奥行きが有るグランヴァンではないがシンプルでフェミナン、チャーミングな果実は心地よさを感じさせてくれる。ある意味で軽快、爽快、そして少し洗練したGamayのよう。深く考えずさらっと飲むのには最適の1本だろう。値段もさほど感銘を受けない白の半分以下と嬉しい。そう言えばイケてない白※を作るMikluskiのMeursault赤も中々良かった記憶がある。今度飲んでみよう。 ※個人の意見です。
2022/01/17
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ちょっとバタバタしていたが2021も終わり、2022が始まってしまった。別段今年の抱負と言う訳では無いのだが今年こそは買うワインを減らして行こうと思っている。まあ毎年飽きもせず思いつく抱負と言えばそれまでだ。だが今年はちょっと違う。結局のところ人にもワインにも永遠の命は無いし、結局のところ人もワインも健康寿命というものが有る。ワインに関して言えば酸化が進みシェリーやマデラになる1歩手前、人に関して言えばテースティング能力というよりは肝臓や膵臓が働いてアルコールを分解する能力が喪わられる1歩手前というところか。結局のところ、「いつ迄も飲めると思うなそのワイン」という言葉に尽きるのだろう。 30、40代の頃はセラーに積み上がっていく超弩級ワインを見て欣喜雀躍するのだが、50代を終え還暦を超えるとそのセラーが段々と重荷になってくる。やはりワインは買うよりも開ける時が難しいからだろう。超弩級のワインを買うのは匹夫の勇が有れば出来るが超弩級のワインを開けるのは真の勇者だけだ。実際SNSで超弩級のワインを上げ位打ちを知らず知らずのうちに食らってるのは大抵ワイン会古事記だ。真の勇者はそんなとこで自分の勇気をひけらかさないからだ。 さて、そのワインを買わないのが勿論一番なのだが他に(お金のかかる)趣味も無くまだ好奇心だけは旺盛と合っては結局のところ東に素晴らしい作り手が新たに発掘されたと聞けば大人買いし、西に廃業しそうなドメーヌが出ればまた大人買いし、南に代替わりして素晴らしい作りになったと聞けば取り敢えずテースティングし(これは酢酸系なので買わなかった)、北に(以下省略)と結局カ・イタイイタイ病が寛解にも至らない。ま、取り敢えず今年は自分が開けれるようなワインだけを買って行こうと思う。 閑話休題、今日はそんな中で自分のセラーに合った1本を開ける。何ていう事も無い単なるレジョナルなのだが当時のデイリーの残りで何年、いや何十年もセラーに有り、自分の生活と共に有った1本。ダメかもしれないと思っていたが案外、黒果実だけではなく赤果実も残っている。そして若かった頃に感じたレジョナル独特の雑味やフォーカスの緩みが全て輪郭のぼやけたセパージュに溶け込んでいてそれが包み込むような暖かさを感じさせて逆に良い感じだ。このワインは人生だ。若い時は喜怒哀楽の感情が渾然雑然と混じっているが30年以上が経ちそういう感情が澱になり沈殿し、上澄は澄み切り、緩やかな好好爺を思わせる液体となり、健康寿命の最後の瞬間を迎えようとしている。 ま、今年はセラーに中のこういうワインを飲んで行こうと思う。人もワインも寿命が尽きる前に。でもやっぱり買っちゃうかな。
2022/01/05
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今日は軽く。 この作り手、年産40000本(大体6−7ヘクタール位か?)と比較的小規模で余り知られていないが個人的には丁寧な仕事をすると感じている。別段トップドメーヌとは思えないが、独特の味わいが有り、決して没個性ではない。 前にここのdemoiselleから感銘を受けた旨を書いたが、このワインも中々。このエチケットのクリマはちょっと読みにくいがSt. Aubin Charmois。Chassagne側に連なる畑で元々は赤だったのだろう、花梨のような凝縮した果実で酒躯は若干重めで同じ村でもEn Remillyのような白畑で作られるスレンダーな白とは若干違いも有るように思える。だが伸びやかで横に拡がる感じは受けない。フィニッシュにかけてここ独特の綺麗な香りが鼻に抜け優しく終わる。 特別なワインではないがまあ、下山飲みにはこの辺で十分、いや十二分であるように思う。
2021/12/21
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アペラシオンの策定に当たっては関係者間の確執や政治的な介入が有ったと書いているが、中でも村と村との闘争は特記に値するだろう。修道院という歴史的な要素から比較的すんなりと決まったCdN(それでもChambertinはかなり揉めた事が窺えるが)に対して修道院が関わってなく商業的慣習を基にした格付けにしたCdN、端的に言うと全ての特級、Corton、Corton-Charlemagne、Montrachet、Chevalier、Batardで該当する村々で論争、闘争が起きている。最終的には全ての関係者が受け入れられる妥協点を探る訳で今日のこのワインもそういう妥協によりGCになれなかったクリマだ。 Vide Bourse、空っぽの財布という意味だが、由来は不明。ブルゴーニュの畑の原意を体系的に網羅したLandrieu-Lussignyにも記載なし。この畑のワインの出来が良く高値が付くので買い手の財布が空になるのだろうか?それとも3角形の畑が平らでそう見えるのだろうか。 色々と想像が拡がる。この畑は登記簿にはBatardに属する細区画(subdivision)とされていて1937−38のBatardのアペラシオン策定の時にBatardに包括されるかが検討されている。実際に1860年のCAB格付ではBatardの下部より上の評価であった。検討された結果この畑はBatardから漏れる事になったが同時に検討されていたPuligny、Chassagneに跨るEnseignierより格上の一級となった。Batardの策定に当たってはPuligny、Chassagne村の闘争が有った事は前にも書いたがこの結果は闘争の影響を受けたと容易に想像される。現在この畑は4人によって耕作されていが、これはその一人。Marc Colinの次男という事だが、かなり素晴らしいと思う。厚みのある濃い南方系を思わせる果実がグラス一杯に拡がる。味わいも濃縮しているが品も有り、素性の良さを感じる。没個性なのが少し気にかかるが父親もそうだったのでまあ、しょうがないだろう。全体的に少し淡いBatardという印象で十分過ぎる出来だろう。 Batardという名前を取って倍以上払うか、それとも実を取るか、の選択だが私的には自明である。
2021/12/19
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ブルゴーニュワイン通なら判ると思うが廃業ドメーヌには独特のPathosが有る。廃業前にブレークした翁のようなところならまだしも良いが廃業後にブレークしたRene EngelやGriveletもまだ救いがあるが、廃業してそのままブレークせずフェードアウトして歴史の闇に消えていく幾つかのドメーヌのワインを見る度に喜びと悲しみ、諦観、焦燥等が混じり合った感情が押し寄せてくる。特にそのドメーヌが秀逸であるにも拘らず知られていなかった場合、特にその感情は強い。所謂滅びの美学を感じるからだろう。 この作り手も秀逸なのだが最終的には知られず廃業していった。Montrachet直下のBatard最上部に畑を持ちだれることない優れたBatardを作っていたのだが殆どがLouis Latourに売られていたため余りブレークはせず、米はともかく日本ではインポーターが付かなかったためスポット輸入しかなく極一部の人にしか知られずひっそりと廃業。2008年の頃だろうか。(因みにBatardは上部と下部で歴史的評価が違い、1860年のCABの格付けでは上部は一級だが下部は二級格。下部は土が重く赤中心だったらしい。) さて、このワインだがどうしてもパトスを感じてしまい、あまり客観的にワインを評価出来ない。が、04という白の好VTに合って横に膨らむことは無く、スレンダーで果実の奥行きも有り中々素晴らしいワインだと思う。大輪の花ではなく、神経質なニュアンスもなく語りかけてくるようなバランスの取れた白果実だ。何よりも品が良い。 1本が終わる頃にはそのPathosも終わる。このワインが無くなり、そのワインを作ったドメーヌも無くなり、このドメーヌの痕跡はゆっくりと世界から消えていく。そしてこのワインを友と開けた思い出になって昇華する。それがワインの楽しさの真髄なのであろう。 さてこのドメーヌのBatard、最後の1本いつ開けようか。難しい問題だ。
2021/12/07
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このところ酢酸ワインばかり書いているので少しまともなワインについて。 このところブルゴーニュワインの高騰が続いていて2019は更に一段と値上がった感じだ。有名どころ、秀逸なクリマのCdNやCdBは200ドルはおろか、300越えも珍しくなく、課金ゲームが一層激化したようだ。今まで課金ゲームに巻き込まれていなかったCdBもVolnayを中心に段々とその影響を受け、d‘AngervilleやLafarge等ここ2年程で5割から倍になっている。 個人的にはVolnayは結構クリマの力が強く無名の作り手でも大輪の花ではないがフェミナンな果実が可憐に出るワインが多く重宝している。今日のこのワインもあまり知られていないがそういう可憐な小花的素晴らしいワインを作っている。勿論古参のブルゴーニュ通にはお馴染みだが、日本ではインポーターのポリシーでネット販売禁止、米にも殆ど入っていないし、Beauneの一級以外地味な村名(Volnay, Savigny)とレジョナルしかない作り手なのであまり知られていない事が幸いしてまだ手頃な値段で手に入る(それでも高くなってしまったが)。 これはその作り手の最上のLieu-dit付きのVolnay。菫を思わせるフローラルな香り、木苺を思わせる可憐な果実、決して大柄ではないが、かといって変な重みはなくあくまでもフェミナン。洗練さすら感じる。そして何よりも酢酸の欠片も無いのが安心して飲める(笑)。並のChambolleより軽快で深い。 勿論クリマからSavignyよりも洗練度が高いように思うが、正直言ってSavignyでも十分な気がする。値段もほぼ半値。格好の下山ワイン。
2021/11/27
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「人の行く裏に道あり花の山」 証券の言葉で有るが、何度もここで書いているようにワイン、特にブルゴーニュワインにも当てはまるように思う。皆が羨む有名ドメーヌのワインをひけらかす楽しみも判るが、やはり古参と自負されるならば敢えて有名ドメーヌを避けてまだ知られてない新しい作り手や代替わりした作り手をじっくりと探していく一段上の楽しみを求めて次に続く人に啓蒙して欲しい気もする。まあ、そういう私も時には有名ドメーヌをひけらかしたりするのでまあ、ブーメランでは有るのだが。 閑話休題、A.F. Grosと言えば一連のGros Familyの中でも余りイケてないという評価が定着して古参のブルゴーニュ通なら全く見向きもしなかったのだが、ここも2015年に代替わりしてかなり良くなったように感じる。以前は薄く焦点の無い作りでテロワールがよく判らない感じが有ったのだが抽出が少し強くなり(これはVTのせいも有るかもしれないが)焦点がきちんと定まり深み、凛々しさも感じられるワインになっている。惜しむらくは先日書いたGeorges Noellatと比べて凝縮感が若干足りないところでは有るが、まあ、その辺は長い目で見てあげても良いのではと思う。 このワインも中々良い。村名格だがポテンシャルの有るクリマ。先に書いたように少し薄さを感じるがが伸びやかでピュア。完全徐梗だけあって果実味が綺麗に出ていて私の苦手な(苦笑)酢酸は皆無。安心して飲める。まあ、逆に言えばArnoux-LachauxやJY Bizotのような酢酸由来と思われる成分は無くオーソドックスな作りなので余り騒がれないのかもしれない。 自分の名(Mattias-Parent)を冠したワイン(ネゴス物?)も中々良いがちょっと高めなのでこのAF Grosの方がお買い得かもしれない。 個人的には父方のParentも余りイケてないのでこちらの方も担当して頂けると廉価で高品質のCdBのワインが飲めるようになって嬉しいのだが。
2021/10/25
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ここ10年の間にVosne Romaneeの著名ドメーヌの多くで世代交代が起きているが、驚くのは殆どどのドメーヌに有っても先代よりも質が上がっている事だ。まあ具体的な名前は列挙しないが、90年代に代替わりしたドメーヌの多くが大抵、質が落ちたのと好対照のように思える。 その世代交代したドメーヌを幾つか飲んでみると、何と無くスタイルが2通りあるように思える。先述したArnoux-Lachauxのような酢酸が少し入った柔らかいBio系のBizotのようなスタイルと、Cathiardのような緻密で尊厳の有るVRの正統派とも言うべきスタイルだ。好みは分かれるだろうが、個人的には後者の方に惹かれる。まあ、あくまでも個人の好みだが。 この作り手はその後者。90年代はどちらかと言うと薄旨系であまり注目されなかったが代替わりして抽出が(良い意味で)ちょっと強くなり酒躯が少し重くなってはいるが、きちんと赤果実のエレガントさに加えて、肌理細やかでヴェルヴェットのような舌触りが妖艶さを感じさせ、ちょっと単純一辺倒だった昔よりも俄然良くなったように感じる。 平たく言ってしまえばCathiardのような雄大さに加えてRougetのような官能美が有り、中々素晴らしいワインだと思う。 勿論、その分値段も昔と比べて高くなっているのだが、まだそれほどブレークはしていないのでちょっと探せば手に入るだろう。と言っても先は判らないが。
2021/10/23
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代替わりして絶賛大ブレーク中のこのドメーヌ。米ではLeroyやBizotの再来かと言われて評判になり18は瞬間蒸発、時間差で日本では瞬間的にはavailableだったが現在はほぼ買えないのではないだろうか。このドメーヌ、95に当時の後当主が急逝され娘婿が継いでから余り感心しなくなって遠ざかっていていたのだが半信半疑ながら少し興味を持ち、都合3本試す機会があった。 結論からすると半信半疑だったのが3本飲んだ後も半信半疑のままで有った。端的にいうと最初の2本、ブルゴーニュACが棄却。作りが前よりはがらっと変わってざらっとしたクラシックな作りでは無くつるっとしたナチュール系。そして酢酸。刺激的な香りのみならず、最初のアタックからもう体が反応している。まあ、昨今の流行りだから受ける人がいるのは判るが個人的には全体を貫く酢酸に耐えきれず二杯でダウン。先に出たBizotは兎も角、深遠さを感じさせるLeroyとは全く違うものだ。まあ、蓼食う虫も好き好きと言う事で世の中良くできている。 この2本を飲んでこのドメーヌは無いなと思ったのだがその後NSGを飲んで酢酸が適度で冷涼感もあり、確かにBizotっぽいところも有るなと感じてしまった。という訳でまだ半信半疑のままだ。ファイナルアンサーは最後の1本、Chambolle Musignyを飲んで決めようと思っている。ま、何と無く結論は判っているが(苦笑)。 今日のことわざ: 君子危うきに近寄らず(笑)
2021/09/23
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Meursault Perrieres、疑いなくMeursaultで一番の畑で歴史的にも非常に評価が高く19世紀後半には特級に格付けされていた。だが今ここで作られるワインは必ずしもMeursault最上のものとは限らない。ブルゴーニュの素晴らしいクリマの幾つかはクラシックの曲と同じように誰が弾いても(作っても)素晴らしい演奏(ワイン)が得られる半面、幾つかのクリマは難曲でmediocreな作り手が作るとどうもmediocreになるきらいが有ると思う。赤のそういう難曲的なクリマは幾つか過去に書いたがMeursault Perrieresは白の難曲と言えるだろう。個人的にはCoche-DuryとLafon(毀誉褒貶は有るが)が双璧でNegoceのLeroyが続き、この3つは確かに難曲を弾きこなし緊張感有る素晴らしい作品に仕上がっている事が多いが、他のドメーヌはどれも十把一絡げ的でこのクリマのポテンシャルを出し切っているとは思えない。それでいて結構値段は高い。異論は認める。 さて、この作り手のMeursault Perrieres。前にこの作り手の下の畑(En la Barre)を試して琴線に触れなかったと書いたが、ワンチャンス有るかもと、フラグシップのこのクリマを試してみた。結論から書いてしまうとやはり琴線には触れず個人的にはこの作り手は棄却しようと思う。作り的に十分緻密であり、アタックは非常に求心的で良いのだが中盤からだれてしまい、フィニッシュにまとまりが無くあまり杯が進まない。この村の新進気鋭の作り手として結構プロモートされてはいるが、個人的にはTop TierどころかUpper Second Tierにも入らず、せいぜいMikluski並のMiddle Tier位に入ってくる感じか。それでいて値段はUpper Second Tier並だからちょっと恐れ入ってしまう。 このクリマなら個人的には少し緩いが同じくらい素晴らしいGeneveriereの方が難易度が低く、どの作り手もそれなりに纏まり、間違いが少ないような気がしている。 個人の感想です。
2021/09/21
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「ぶすかわ」と言う言葉が有る。美人ではないのだがそれなりに纏まっていて親近感を覚える顔立ちということだが、何よりも「自分でも何とかなるじゃないか」という手の届く感を覚えさせてくれるような顔立ちなのだろう。クラスで1、2番ではなく、6、7番目(筆者の頃は50人学級に近かったが)、何とか坂グループだと下位半分くらいか。 ブルゴーニュも結局のところ人気商売でこれほど価格が暴騰してくるとクラスで1、2番を買い漁る事はもう無理ゲーで地に足がついたワインライフを楽しむならこの6、7番目の「ぶすかわ」路線で探すのが必要だと思う。VosneやChambolle、Gevrey等主だった村は網羅されてしまい、都落ち的な村名が狙い目だ。 閑話休題、このドメーヌ、余り知られていない。8ヘクタールと中規模でその都落ちともいえるマイナーなMarsannayとFixin(しかも村名)しか持たない為かほぼ全くのノーマーク、というか元詰めを始めたのは97年とかなり最近。超美人しか眼中にない生半可で高慢なワイン通では全く相手にされないであろう。 ところがこれは滅法良かった。トーン低めの落ち着いたチェリーの香りは品の良さを感じる。口に含むとフランボワーズを思わせる綺麗な酸、酒躯は中庸だが果実は密。フィニッシュに細かいタンニンがベルベットを想像させる心地よい肌触り。決して高貴なグランヴァンではなく緩いワインだが、心地よく癒しを感じさせる。数年寝かせば更に良くなるだろう。値段もお手頃でDRCやRoumierどころかDujacやRousseauなども既に高嶺の花になってしまった昨今でもまだ手の届くぶすかわワインである。そしてこのワイン、ちょっと翁に通じるところもある。そういえば翁も最初の頃は安くどこでも売れ残っていて、ちょっと自信あるワイン通は殆ど見向きもしなかったブスかわワインだった。お世辞にも洗練されたというスタイルではないのでグランメゾンでのワイン会には相応しくないと感じたからだろう。それは私も否定しないが、その自信あるワイン通が古参になり翁のワインを追っかけ、グランメゾンで誇らしげに開けているのを見ると少し複雑、ある意味無情を覚える。このワインも十数年後その可能性はあるような気もしている。ま、十数年後には自分自身ワインを飲む健康でいられる自信はないのだが。
2021/09/08
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2年程前にこの作り手のワインについて書いた事が有り、その時に「結果的に私にとって至高の1本になってしまった」と結んだのだが、この作り手に関してはネット黎明期以前に廃業してしまったため、殆ど情報が無く、どちらかというとキワモノに近い為か、その後全く見かける事は無く、もう二度と飲めないだろうと思っていた。ところがひょんな事からVTは違うがこのワインをもう一度飲める事になり、更に別の線からこの作り手について知る事が出来た。まずはこの作り手の情報から。 1823年に創設されたLaboure-Gontardを基にこのエチケットに書かれている御当主が1983年に改称、産するワインはNuit、Haute Cote de Nuit, CdVに加えてCrement。メタヤージュと推測していたがcuverieも持っていたようだ。樽の写真から新樽は使ってないように思える。唯一記述のあるClive Coates著の中に記載されているところだと完全徐梗、長期macerationとの事。CdVの畑の位置は中程から下部(R. Parkerによる)CdVの畑は約0.6haだから大凡4000本位作られていたのだろう。とま、大体これ位に要約される。 さて肝心のワインだが、前回飲んだ94より一回り古く40年近く経っていて香りに少しカディラが出ていてワインは下降曲面に入っている事が窺える。口に含むと赤果実を感じる事は出来ないが綺麗な酸が適度に残っていて果実の潰れた暗黒さは全くない。そして何よりも澄みを感じさせる。これは新樽を使わず完全徐梗で果実の甘みがストレートに残っている為であろう。可愛らしさが残った老婆とでも形容できるだろうか。ふと後当主の面影を感じたような気がした。 このドメーヌ、Madameの死去で94年を最後に売却。コートドールの畑とCrementの畑(Rocheport)は分離され、このドメーヌは消滅、CdVの地主としてブルゴーニュの歴史本にも記載されている由緒有るLaboure-Gontardの名は今はCrement専門のメゾンとして残る。これは商標として価値が有ると見られたからであろう。 感傷的になる訳ではないが、このワインを飲みながら栄枯盛衰の無情を少し感じていた。このドメーヌにはこれで思い残す事は無い。
2021/08/30
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少し歴が長くなったブルゴーニュ愛好家ならシャサーニュ村の東部を貫通する国道6号線の東側(Puligny側)の幾つかの畑に興味を持っているのではないだろうか。GCのCriot Batardは別にしてBlanchot, Dent de Chien, BlanchotとMontrachet、Batard Montrachetに隣接していて如何にもGCになりそうなクリマで有る。実際この辺りの生産量は凄く少なく市場で見かける事も中々無いので想像を益々かき立てられる。 当たり前だがブルゴーニュのアペラシオンの策定に当たっては勿論歴史的な経緯やそこから作られるワインの質が主に鑑みられているが、最終的な線引きに当たっては当該の個人や村々の意向により政治的判断が働いている。修道院が深く関わったCdNでは線引きは比較的穏やかに決着しているが(それでもCharmes Chambertin等のquasi-Chambertinのクリマは若干揉めた)、そういう修道院が余り関わっていないCdBではかなり揉めている。Cortonを巡るLadoix-Aloxe-Pernand三村の確執や特級格付けを直訴したPommardの一揆的騒擾については前にも書いたが、Batard, Chevalier, MontrachetのCdBの至宝とも言える白のGCの策定に当たってはPuligny、Chassagne両村のかなりの確執が有った。 去年鬼籍に入られたブルゴーニュの歴史家Jean Francois Bazin氏のLe Montrachet(1988)にその辺の経緯が詳しく述べられている。今日はこのワインに因むBatardの策定の経緯をその中から少し紹介しておく。 Batardのアペラシオン策定が揉めたそもそものきっかけは1840年の土地登記の際にBatardのDivisionの下にSubdivision(大字と字の関係に喩えられるだろう)として Batard以外にLes Criots、Blanchot Dessous、Vide Bource、Les Encegnieres(以上Chassagne)、 Bienvenue (Puligny)の5区画が含まれていた事だ。1860年のCAB(ボーヌ農業委員会)の最初の格付けではこれらの5区画に関してBatardと名乗る事は認めてはいない。1937年から始まったFerre Commissionのアペラシオン策定作業ではこの1840年の土地登記に立ち返って公聴会で意見を聞くと、Pulignyの生産者は何とBatardをCailleret, Pucelles, Folatieres等のクリマもBatardに含める様要求、対するChassagneはBatardを(Puligny側に)拡張するのならばChassagne産の全ての白ワインを全てBatardで出荷すると呼応、更にBatardとBienvenueの地主連合のBatardと呼ぶのはBatardとBienvenueに限るという提案はChassagne, Pulignyの両村から強硬な反対意見が出され、八方塞がりの状態となった。 ここからが面白いところであるが、Ferre Commissionは産するワインの質に目を付けたのである。1860年のCABの格付けでは特級格はBatardの上半分だけで下は一格落ちるとされていた(写真参照)。これは下半分が粘土質で当時赤が主体で有ったためだ。妥協案として出たのはBatardの下半分も含めてGCとする一方(これでBatardの土地所有者の反対意見を封じる)、所謂Chambertin方式(なんとかChambertin)でこれらのSubdivisionの畑のうち、(質の良い)Bienvenue、Criot、Blanchotに関して、それぞれBienvenue-Batard-Montrachet、Criot-Batard-Montrachet、Blanchot-Batard-Monrachetを新たに策定するとの答申の草稿を纏める。だが最終稿ではBlanchot-Batard-Monrachetは除外。本中には理由は書いていないがPuligny側に新たなGCを一つ作るのに対し、Chassagne側に2つGCを新設することに対するPulignyのObjectionであったろうことは想像に難く無い。さて少し長くなってしまったが、このワインが「幻のGC」で有ったことが少しお分かりいただけだろうか。 肝心のワインだがこれは素晴らしく良かった。余り日本では知られて無いが、名手。膨らみは全く感じさせず、スレンダーで気品高い。明らかに国道の西側の畑のワインとは素性が違う。20年以上経ち、ワインは少し落ち始めているが酸化の苦さは全くなく、 透明で球体を感じさせ、フィニッシュも長い。どちらかというと厚ぼったいBatardではなく、さらっとしたMontrachet古酒に近いように思う。個人的にはCriotをGCとするのならばこちらをGCにして欲しかったように思った。
2021/07/19
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ワインを本格的に始めた30年ちょっと前、ワインの作り方にも少し興味を覚えてUC Davisのワイン醸造学の教科書を図書館で借りて(私の学校もUCだった為、置いてあった)ざっと目を通して見た事が有った。細かいところは忘れてしまったが、その一節で「アルコール発酵を始める前にSO2を入れ、野生酵母や雑菌を滅却し、その後純粋培養酵母を入れる」というのを読んで結構乱暴だなと言う印象を持った事を覚えている。その後ブルゴーニュに何度も行き殆どのヴィニュロンが自然酵母を使ってワインを作っている(例外はある)事を目の当たりにし、この印象が確信に変わった。 それから何年もし、近年所謂ナチュール系や日本のワインを飲む機会が有り(このブログにも何度か書いている)、実はUC Davisのあの教えは実は正しいのではないかと思う。端的に言うとナチュール系や日本のワインの多くは酢酸や乳酸を感じさせる。乳酸はまだしも耐えれるが酢酸を感じるワインは飲む事が出来ない。香りにつんとする刺激臭、味わいも酢酸の酸は尖っていて丸みを帯びた心地よい酸を全て打ち消してしまう。更に雑菌やブレット由来と思われる雑味(雑巾の絞り汁の匂い)の風味も加わるものも有り(日本ワインに多い)、殆ど発酵事故を感じさせる。 閑話休題、このワインだが、残念ながら強い酢酸が感じられ一口でギブアップ。他にDomaineの背景やこの作り手の前職とか書ける事は有るが、このワインについては取り敢えずこれ以上書かない。 ただこのワインを飲んでみて、ナチュール系や日本ワインにこの「発酵事故系」が多いのか、自分なりの仮説が少し浮かんできた。ブルゴーニュの代々のドメーヌは畑付き、蔵付き酵母が多く存在し、葡萄を潰し発酵が始まると最初からそういう酵母が支配的で他の菌を寄せ付けず、クリーンなワインが出来るのだろう。ところが日本ワイン、新興ナチュール生産者の多くは畑も醸造所も新しく、畑付き、蔵付き酵母が殆どいないのではないだろうか。そのような環境下で自然酵母に頼ると良質な酵母も少ないし、SO2も少ないので雑菌叢が混入し、所謂糖を巡ってバトルロイヤル状態になり、結果乳酸、酢酸、雑味が混じった味になるのだろう。発酵が始まり少量のアルコールが出来た瞬間に酢酸菌は更にパワーアップして支配するのだろう。しかもこの作り手は全房なので好気性である酢酸菌にとってより都合が良いように思える。比べてみると、ロワールのある程度歴史を持つナチュール系の作り手のワインがこういう発酵事故系のワインが少ないのも(新興作り手にはまま有る)何となく説明がつく。 先に述べたUC Davis系のワインは確かに面白味がないかもしれないが、クリーンでは有る。クリーンで有るけど面白味の無いワイン、濁った味わいだけど面白味溢れるワイン、どちらを選ぶかは個人の好みなのでまあ、どっちでも良いのだろう。 とはいえ、濁った味わいで面白味が有るワインなんて無いんだけどね
2021/07/13
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あくまでも個人的な意見だがChampagneには一般に畑毎のテロワールは余り重要では無く、村単位と思っている。それは歴史的に見ても明らかだし(格付けは村毎)、実際長い間飲んで来てテロワールよりもドザージュやセパージュやクリマのアッサンブラージュ、熟成期間等人為的な要素の方がテロワールよりも重要で有るように思う。最近Lieut dixs毎に単一年、単一セパージュで作る若手やRMも見かけるようになったが、多くはマーケティングなのだろうと穿った見方をしている。勿論、いくつかの例外は有るが、大抵はそんなものだ。 そんなシャンパーニュに有ってLe Mesnilだけは別格の村だと最近まで思っていた。勿論SalonやDelamotte(両方ともドザを感じるので好みでは無い)、Krugという謂わばChampagneの双璧と言える作り手の本拠地として著名であるし、実際に現地を見て何となくそのポテンシャルを感じていたのだが、この2つ以外の作り手は余りにもmediocre過ぎるように感じる。多分地層的にLe MesnilはBdBでミネラリーで非常に繊細なワインが出来るのだと思うが、大抵の蔵は線が細く、その為にドザを強く感じ、ドザを余りかけてない蔵は逆にその線の細さが強調され脆弱なワインになっているように思う。クリマのポテンシャルは有るが、中々そのポテンシャルを出すのが難しい、謂わば難曲なのだろう。 さて、ちょっと話が逸れたが、Cote des Blancsの幾つかの村で個人的に何となくCramantがバランスが良いのではと思い始めている。Mesnilよりも太く、Avizeほど力は無いが、Oiryよりも凝縮感が有り、優しいワインを作る蔵が多いように感じる。歴史的にもガス圧が低いCremantが作られていた(Cramant de Cremant)ことからもそれが伺える。そのCramantに有るこの作り手は2009年に代が変わり作りを変え、中々素晴らしいワインを作っている。このキュベはBdB、単一畑、単一年、ほぼノンドゼ(1g/l)という野心的な作りだが、綺麗で軽快、繊細すぎない酸、淡いがふくよかな果実、余韻の長さと、BdBではかなり上位に食い込むように思う。生産量2000ケース以下と超小規模でブレークすると手に入らなくなるだろうから、その前に少し追ってみたいと思う。
2021/05/27
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前にも書いたがSaint Aubin、Santenayの両村は現在、評論家、ワイン通から過小評価されているように思う。ただ歴史的に見ると両者の立ち位置は微妙に違う。前者は歴史的にはあまり評価されず、19世紀後半のLavalle、Danguy等の名著にも殆ど記されてないのに対し、後者は歴史的に銘醸地として認識されており、特にChassagneに接するSantenay Basの評価は高い。ブルゴーニュワインの最初の歴史的名著であるMorelot(1931)では優れたクリマとしてGravieres、Tavannes、Noyer-Barreを特記しているし、LavalleはTavannesをRSV、Echezeaux、CSJ(Gevrey)などと並ぶTete de Cuvee #2に列している。実際1860年のCAB(ボーヌ農業委員会)最初の格付けではGraviere、Tavannesを一級(現在の特級格)に位置付けている。因みにSaint AubinはCABでは全て四級(現在のレジョナル)。 今のところChassagneやSaint Aubinで行われたような赤から白への改植が起こらず、現在も生産量の8割が赤という事もありSantenayはあまり注目されていないが、近年徐々に改植が行われていて、10年−20年のスパンで見ればこの村がSaint Aubinの現在の立ち位置に来る可能性は十分有る。 さてこの今日のワインだが、そのSantenay Basの良クリマ。一部が2011年の改植後の若樹とあってアタックは淡く少しマチエール不足なのは否めない。ただその淡い中にもシンプルだが綺麗な果実やこの作り手特有のスタイルで有る品の良い酸を十分感じることが出来る。ワイン会の主役にはなれないだろうが、脇役としては十分過ぎる。そして後5、6年もすれば樹もmatureになりワインに深み、重みが出て十分Chassangeの白に通じる力も出てくるだろう。同一生産者の人気クリマの半値以下で買えるのでお買い得感も高い。 熟成のポテンシャルも有るので今からちょっと買い足したい気もするが、ま、もう十分あるので買わなくても良いような気もする。でも結局買っちゃうのかな。
2021/05/09
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あまり普段は気にしていないがブルゴーニュやシャンパーニュの12.5度から13.5度というアルコール度数は最適の度数であるように感じる。12.5度を下回るワインは大抵シャバシャバで水っぽく感じ(勿論マチエール不足のワインも多い)、13.5度を超えてくると大柄でアタックにアルコールを来てマリアージュさせるには大柄過ぎバランスが悪く感じる。ちょっと逸れるが日本酒もアルコール度が高いのだが食中酒としてマリアージュと言うより一口食事を頂いて食べ終わった後、一口お酒を頂いて味蕾を洗い、リセットし、次の一口を味わう(和食コースの場合少量多種で有ることが多い)感じなのだろうか。閑話休題、このシャルドネだがエチケットに書いてるアルコール度は14度超。香りは淡いというか、弱い。果たして口に含むと酸がなく最初にアルコールがガツンと来て、その後に淡い果実が来る。良く出来たCdBの白とは真逆だ。果実の膨らみもない。ただ切れは良く全般的にクリーンで、Peter Michaelのようなカリシャルに近い感じもある。いや、果実の甘みや酸があまり無いので日本酒、しかも新潟のような辛口の日本酒の方が近いだろう。その点でこのワインも食事に合わせるには日本酒的に飲んだ方が良いように思う。和食にも十分合うように思う。 でもそれならいっそ日本酒を飲んだ方が良い気もする。
2021/04/23
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今日は軽く。前に書いたDuroche同様にこのワインも米ではコアなファンが多い反面、日本では余りブレークしてないようだ。従って日本の方が安い(笑)。上から下まできちんと作られ伸びの有るしなやかなテクスチャー、綺麗で品の有る赤果実、米好みには珍しく抽出も程々。もう少し知られても良いように思う。特級はシャルムだけで僅少な生産量のためちょっと値は張ってしまう村名や一級もそこそこするので個人的にはこの裾物でもかなり良いのではと思っている。クリマはジュブレ村名畑に接するpressonirとGrand Champsの二区画、作りは新樽こそ公式には使ってないものの完全除梗、18ヶ月樽熟と上のキュベと同一スペック。生産量は凡そ300ケースと少ないが値段は村名の半分ほど。勿論スケール感はないがピュアで可憐な果実は上級キュベに通じるものが有り、最上の家飲みワインの1本で有るように思える。
2021/02/26
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15年程前に日本にも入って欲しいとこのドメーヌの事を書いたが、その後、首尾よく日本でも広く流通するようになり、固定ファンも付いたようだ。まずはめでたし。 コロナで一人飲みと言う事で久しぶりにこの作り手を飲んだのだが、その良さを再認識した。決してグランヴァンではない。寧ろVRのPCやGCとは対極的だ。そして翁のような緩い癒し系のワインでもない。端的に言うと単純、素朴、そして儚く可愛い。まるで年老いた爺が孫娘に持つ感情のようだ (段々とそういう感情が判る年代になって来た)。それは果実のトーンが高くピュアで瑞々しいからだからだろう。 この村にはBize、Chandon、Ecardという名手と言われる作り手もいるが、彼らのワインは得手して真面目すぎる位にきっちり作られていて概ね重心が低く(これは熟成を前提に作っているのだろうか?)結構飲み疲れするのだが (BizeはともかくEcardはVolnayやせめてPommardに畑があればもっと評価が高かったように思う)、このSavignyは真逆で軽快で自然に飲める。SavignyがMozartの小品とすれば、これらの名手のワインはマエストロとでも呼ばれる大家が緻密に計算し、コンサートホールで多数の聴衆の中で真剣に聴くのに対しこの作り手はちょっと上手い小学生が無心に弾くMozartの差だろう。前者のワインがワイン会で並いる猛者の中で開けられ吟味されるuptimeの状況に相応しいのに対して、このワインは一人仕事を纏めた後のdowntimeに楽しむワインだろう。同じSavignyでも全く違う。コロナ禍で一人飲みするシチュエーションが増えるこの頃、こういうワインは重宝するように思う。 15年前には確か樽を買うお金もなくステンレス直詰だった記憶が有るが、このワインを飲んで少し新樽の成分を感じた。成功したのだろう、これもめでたい。
2021/02/10
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自然派ワインという言葉が出来、流れが大きくなり始めたのは大体20年程前から始まったが(注:Pacaletがワインを作り始めたのが1999年なのでこの年が便宜上自然派元年とでもしておく、勿論その前にもNicolas Joly等が作っていたがキーワードはビオディナミで自然派という言葉では括られてはいなかったように思う。)。ここ数年、この自然派ワインが拡がり、日本ワインブームと融合したり(赤、白、ロゼに続く)第4色のワインとも言えるオレンジワインも取り込んで大きなムーヴメントになっている事は誰もが認めるところだろう。 このムーヴメントがブルゴーニュやボルドーに代表される既成のエスタブリッシュメントというテーゼに対するアンチテーゼとして捉える人もいるが私としてはどうもこの一連の流れがダダイズムと同様であるように感じる。それは規制の秩序(ワインで言えばアペラシオンの規定だろう)や常識(これは先人が試行錯誤で確立させたワイン作り)に対する否定という主義主張を基に、それを実践してワインを作っていることである。更に言えばダダイズムの芸術家と同様、多くの作り手が専門性を持たず、下積みの経験もせず、更には優れたエスタブリッシュメントのワインにexposeされた経験を持たずに自意識過剰的に、作品で有るワインを作り、その作品の質は玉石混淆、そして多くは石である、であると言う点だ。そしてダダイズムと同様、その作品はもう一つのエスタブリッシュメントである商業ネットワークに乗り、ごく一部の人だけに受け入れられていくという感じだろうか。それが近年のSNSで称賛する同調者だけ集まり更にその称賛がごく一部の間で更に強化される。個人的にはダダイズムと同様、歴史のフィルターを越え人を感動させるには至らず、最終的には雲集霧散していくように思える。今の自然派の作り手のうちで次世代につなげていけるのはほんの一握りであろう。まあ、あまり纏まってはいないが個人の感想と言う事で(笑)。 このワイン、香りは漬物汁。酸が尖っていてちょっと飲むのもきつい。アルコール度も低く間違いなく乳酸菌、酢酸菌が混じった雑菌発酵だろう(意外だが雑味は少ないので他の菌は余り無いのではと思う)。果実は薄い。京漬物にすぐきというものがあるが、アタックからフィニッシュまでそのすぐき汁の酸が貫き、白果実は全く感じられない。勿論アペラシオンが取れない。2口でギブアップ。個人的にはこれがワインと名乗れるのか疑問である。それはまさにMarcel DechampのFoutainが芸術作品であるかの疑問と同じだろう。ワイン名はcadeauをかけているが、全くとんだ「贈り物」になってしまった。 このブログではワイン評として余り悪い事は書きたくないが、このワインについては敢えて書いた。それは彼にいつかアヴァンギャルドを止めきちんとしたconventionalなワインを作って欲しいからだ。それだけの力のある彼なら中々のワインが作れると思う。 まあ、あくまでも個人の感想という事で。まだ1本セラーに有る(苦笑)。Y
2021/01/27
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一応、税制上の関係からBBVと同じだと言われているこのエチケットだが、どうもセカンド(サード?)ブランドの感が拭えない。このワインも抜栓後は少し硫黄から来ているだろう不快な香りがdominantだ。この不快な香りにワインの香りがマスキングされ、全く楽しめない。という訳で強引にdouble decantageしてみる。decantageは大抵は赤だが、還元的なブル白には結構有効である。一度デキャンタに移して更に瓶に戻す。この二度のdecantageで大抵の還元的なブル白は叩き起こされる。(因みにこのdouble decantageはSalonのような線の細いBdBにも有効である。)ブルゴーニュではデカンタから飲む事はしないので美意識的にもconvenientである。 さて、double decantageすると予定通り還元香は飛び、ワインそのものの白果実の香りを感じる。口に含むとBBV特有の淡い品のよい白果実を感じる。ただか弱く厚みが感じられない。新樽の割合も少ないのだろう、エピスも全体的に感じられず単純。抜栓後の硫黄臭はやはり果実の凝縮度が弱めだった為にマスキングされたのかもしれない。このワインと比べるとBBVのレジョナルの方が凝縮、フィネス、熟成ポテンシャル、全てに上だろう。作りなのか、クリマのポテンシャルなのかは良くわからないが、このエチケットはやはりセカンドブランドであるように思った。そう言えばAligoteもダメだったな。
2021/01/25
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今日は軽く。 言わずと知れた赤の名手だが、この白も素晴らしい。これが最初のVTだそうだが、単なる村名格、しかもそれ程ポテンシャルが高くない畑だが、淡いが繊細さを感じさせるアロマ、深みを感じさせる果実、ミネラルの感じる切れの良い酒躯、ほんのりとした品の良い樽のエピス。少なくとも格の高いLieux-dits、或いは一級、しかもSecond Tierの作り手のレベル。フィニッシュにきちんと縦切れもするので飲み疲れもしない。彼の赤と同様elegantで冷涼感を感じる。ただ今全開でこれがどれだけ熟成するかは未知数だし、決して偉大なワインではないが、素晴らしい1本。10樽(3000本)とそれなりのレア物で日本では中々入らないかも知れないが、見かけたら是非試して欲しい。既に争奪戦になっている感もあるが。
2021/01/21
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