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帰りの電車で聞きました。少しめまいがするような話。息切れがして、心が揺れて。家に着いて。誕生日プレゼントとしてもらったばかりの音叉をチンチキ鳴らしながらグラグラ揺れる場所にいました。そうして少し冷静になって、気づきました。僕は、彼を守っているつもりだったけれど本当は彼に守られていたんだ。助けてきたと思ったけど、本当は助けられていたんだ。彼からサポートをもらったとき、僕は無意識に対価が必要だと思ってしまったんだ。それは彼が、僕を必要とする理由があるからだって思っていたからだ。僕は必要とされたかったんだ。だからそう思い込もうとしていた。それは少し傲慢だったのかな。パートナーは言っていました。私は彼を信頼しているって。だから大丈夫なんだって。僕は信頼していなかった。彼は僕がいなきゃダメだって信じたかったんだ。同時にそれを怖がったんだ。なぜなら、本当に依存していたのは僕だったからだ。彼は僕を助けてくれていたんだ。僕はちょっと傲慢だった。旅立ちの時はもうすぐだ。僕が自分の足で立った時、始めて気がつくんだろう。自分では立てないひとだと僕が決めつけていた彼が、ひとりですっくと立っている姿に。僕の一歩を彼は喜ぶだろう。そして二人は歩きだすんだ。それぞれの人生に。僕は今できること、これからできることを考えてみた。いまは感謝を伝えよう。ありがとう、長い間、ずっとありがとう。そう伝えるんだ。
2009年08月23日
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友人が言っていました。人はどうして本当に聞きたいことを聞かないのだろうと。私はそれを聞いた時、「そうそう、そうなんだよね~」って思っていました。自分はやってないって思っていたのでした。でも私もやっていました。今日、よくわからない質問を延々としてしまったのでした。「一回成功したのに、どうしてもう一度同じことをやろうとしなかったの?」とかなんとか質問ばかりしていました。話している時は、「自分なんとなく変だな~」って感じ。帰り道では「何でかわからないけれど自分あのシーンが気になっているみたいだ」家に着いて初めて気付きました。「私は訳も分からず、反射的に自動的に話していただけだったのか」とびっくり。もう120パーセント、やってるやん自分。がっくり。自分がなにを喋っているのか、本当は全然分かっていなかったのです。反省。自分は、自分が思っているよりもずっと、自動的・無意識的なことイッパイやっているんだと意識してみようと思います。本当の言葉をあるがままに話せたらステキなことだと思うのです。
2009年08月22日
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私は話がクドイのです(笑)何度も何度もおんなじ話をします。パートナーや友人は大変でしょうね。そんなとき私はどんなことを感じているかというと、わかってほしい、大切なことを、ちゃんと伝えたい。だから何度も話を繰り返してしまうのです。自分でも気づいていなかった心の奥のほうでは私はこんな風に決めていたみたいです。伝わらないんだ。分かってもらえないんだ。それでも伝えたいから、何度も何度も繰り返すのでしょうね。それでもわかってほしいから・・・。人は世界を見たいようにみると聞いたことがあります。私にとっての世界の真実は、それということ。わたしが決めていたら、いつまでたってもそのような体験しかできないのでしょうね。だから私はわたしに優しく話をしようと思います。まずは自分に・・・。わかりあえる気がするのです。
2009年08月17日
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私にとってのゴミ捨ては、ほんの少しだけ違った意味があるのかなって思ったのでした。最近は、ゆっくりと息を吐いて、新鮮な空気をもらう準備をするように未来にやってくる豊かさを信じて手放したりしてみたりしていました。じゃあ、数年前はどうだったかっていうと、なかなか物を手放せなかったのです。それから少しずつ少しずつ、ありがたく受け取って、ありがとうって言いながらゴミを捨てるようになりました。地中深く閉じ込められる夢のことを以前ブログに書きましたが、それと関係あるのかナイのかわかりませんが、昔は(今もかな?)息を吐ききることが怖かったのでした。吐き切った後のまだ見ぬ未来に、ちゃんと息を吸えるなんてどこかで信じられなかったのでしょうかね。自分のできる範囲で感情を開放してみて、思い込みを手放していって使わなくなったものを捨てていき、吸うばかりだった息を、思い切って吐ききってみました。想像していた未来とは違う未来がやってきました。当たり前だけれど、空気はいつもそこにあって私の心配なんか、バカバカしくなるほどあっさりと肺を気持ちよく満たしてくれました。物を手放した空きスペースには、また新たな豊かさがやってきました。この世界は私が思っていたのとは、どうやら違うようなのでした。ゴミ捨てに話を戻してみます。捨てる、というよりは、この世界の循環に再び戻してみるといったほうが近い感覚です。ありがとう、そしてまたおいでねって言ってみたりして(笑)そんなふうにしているうちに、私自身もたくさんの変化を経験するようになりました。最近、急にゴミ捨てが億劫になりました。ただただ面倒くさい。でも私の中の感覚がなにかをチクチク言ってきました。最近、私は自分をちょっと挑戦させてみていることがあるのです。それによって思っていたよりも怖さと不安にドップリつかってしまったのでした。今日、すこし峠を越して、冷静になることができて、ゴミ捨てでもしようかと思って気づきました。私のなかの新しい法則(おおげさ? (笑)それは不安があると、ゴミ捨てをしたくなくなるというものでした。そっか、って気づいてそんなときこそ、ゴミ捨てしてスッキリしたいよねって自分に話しかけるのでした。
2009年08月17日
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思い出したのはわたしが二十代前半のころのことです。とてもとても大きな会社で開発エンジニアをしていました。収入もとても安定していて、家族、友人、親戚から「すごいね、よかったね」と言われて私もよかったなぁと思っていました。将来は、約束されたようなものでした。しかし、ある日抱いた感覚が、私を退社へと決断させたのでした。後悔はしていませんでした。でも、白紙に戻してしまった人生を眺めて、その広大さに、わたしは圧倒されてしまいました。生きていかなくちゃいけない。生きていかなくちゃいけない。とても怖かったです。自分でもよくわかりません。不思議なことに、わたしはあるお寺に通うようになりました。毎朝六時に家を出て、一時間弱ほど歩いたところにそのお寺はありました。そのお寺は小さな山の上にありました。小さな山の上にありますが、とても立派なお寺なのです。毎日、毎日、通いました。階段を上り、山門をくぐり、すべての仏様に手を合わせました。そして最後は・・・お寺って周囲をぐるりと廊下が一周しているじゃないですか。(名前はわかりません)その廊下の目立たなそうなところで大の字になって寝てました(笑)たまに人がきて、私に気づいてびっくりされてました(笑)そのお寺には、弁天様、弘法大師、大日如来、風の神様、不動明王・・・などなどたくさんの仏様がいらっしゃいました。人生のあまりの広大さに、自分を見失っていたあの頃の私。すべての仏様の水を新しくしてから、わたしは好きだった不動明王に語りかけていました。「わたしはあなたのようになりたいです。 あなたのように強くなりたいです。 いまはこんなんですが、がんばりますから。 どうか見守っててください」がんばります・・・がんばります。そんなふうに、今思えばガッチガチにチカラが入りまくりの(笑)一方的な会話(笑)最後は風の神様の前で、利根川から吹いてくる風と、それにそよぐ木々を感じてから木漏れ日の中で大の字で寝てました。そんな思い出です。この前、友達たちと東京でバーベキューをしたときに、友人の在り方が不動明王みたいだなぁって思って、今回のこの過去を思い出したのでした。
2009年08月10日
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こんにちはおひさしぶりです。冷え切った水は すぐにお湯にならないように止まったものを動かすには多大な力が必要なようにものを書くということも、同じように容易ではないように感じました。想いは日々生まれますが、書くには至っていませんでした。最近は、表現することの責任と、怖さを感じていました。本当は書いてはいましたが、すぐ消してしまうことを繰り返していました。つまり、完璧主義なんですね。この世に完璧なんてありませんから、そんな主義を持ってしまったら、私の場合は何も生まれなくなるわけですね。久しぶりのこのブログ、すでに誰も見てないようです。だったら丁度いいな。冷え切ったマグカップを、そっと両手で温めていくようにちょっとずつ、ちょっとずつ思いを描いていけたらと思いました。
2009年08月09日
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