明けましておめでとうございます!
平成最後の年となる31年、己亥の年が始まりました。
5月には改元、時代の節目である今年は、明治、大正、昭和、平成と続いて来た近代日本の歩みを再度検証しつつ、人口減少、国際関係の悪化、第4次産業革命、様々な変化を乗り越え、力強く新たな時代を切り拓いていけるスタートの年にしなければなりません。
【二つの決断】
昨年は、私にとって大きな二つの決断をした年でした。
一つは、「完全無所属」の立場で政治に携わることを決断したこと。
二つ目は、春に行われる統一地方選挙を目指して活動を始めること。
学生時代から20年近く政治に関わって来て、ある意味では初心に帰る、またある意味では、全くゼロから新しい道を切り拓くという決意で、再出発することとなりました。
【無所属での再スタート】
平成に入ってから、常に政治のテーマであった二大政党制。
良識ある政党同士の切磋琢磨が国と地方の政治を活性化させる、その国民の願いの帰結が平成21年夏の政権交代でした。
旧来のイデオロギーに捉われない若手の論客を多く抱え、現実的な外交安全保障政策を始め、先駆的な政策を数々打ち出し、政治主導や地方分権など、新たな国の枠組みを作る意欲に溢れ、行財政改革にも積極的だった民主党に出会った学生時代、「二大政党制が実現し、困難さを増す日本の政治が動く新しい局面に入るかもしれない。その一人として政治改革に取り組みたい。」
との思いを抱いたことが、政治に身を投じる際に民主党に参画することになるきっかけでした。
以来2度の県議選、3度の国政選挙とこれまでの選挙は全て政党に属して戦って来ました。
しかし、特に国政を目指して活動を始めた頃から、憲法や外交・安全保障、エネルギー問題といった国家の根幹を為す政策について、考え方の隔たりが党内に目立ち始め、難しさも感じるようになっていたことも事実です。
合わせて、人口減少、少子高齢化、潜在成長率の低下、安全保障環境の悪化、構造的な問題を抱えた我が国にとって、与党だろうが野党だろうが、取り組むべき課題は同じ、目先の選挙対策で相手との違いを際立たせることよりも、より良い政策を提案し、政権を担う可能性に対する責任感を持って各政党が切磋琢磨する、私なりの理想の二大政党制とは違った政治の流れがこの数年で急速に進みました。
その一つの象徴が、野党共闘です。
基本政策で余りにも隔たりのある政党同士が協力し合う。
確かに、小選挙区制が続く限り、政党同士の連携は選挙対策としては必要かもしれません。
しかし、その先政権交代が起こったとして、果たして責任ある政権運営が出来るのか。
政権運営がうまく出来なかった時、ダメージを受けるのは、政党ではなく、国であり、国民ではないか。
その思いで、「大石は共闘の候補者にならないから、差し替えたらどうか」などの議論をされる苦しい状況になっても、なお野党共闘からは距離を置き、地を這い活動して来ましたが、昨年の衆院選の結果、野党は更なる共闘の深化に舵を切ることになりました。
そのような中、人生を賭して取り組んで来た政治の道を、今後どのように歩むべきか、悩みに悩んだ結果、3度も落選したのだから、一旦死んだ思いで、裸一貫、自分の政策を自分の責任で思い切って訴えて出直そう、という結論に達しました。
政党に属する中で多くの経験を積み、様々なことを学ばせて頂いたことには、心からの感謝を抱きつつ、自分自身を見つめ直し、鍛え、新たな道を切り拓いていく決意です。
【ふるさと高知の発展に全力投球】
もう一つの決断は、春の統一地方選挙、高知県政の発展を志して、再出発するということです。
市町村合併や北海道夕張市の破綻など、地方の大きな変化を目の当たりにして、居ても立っても居られず勤めていた神戸製鋼所を退職して高知に帰り、政治の道に本格的に踏み出してから14年。
市町村合併や夕張市の問題は、国の財政再建と連動して起こった問題でしたが、その後平成19年の参院選以後、国も積極財政に転換、その流れが続くこの10年は、「地方の改革」ということが緊急性を持って語られなくなりました。
しかし、ふるさと高知県を始めとする地方には、待った無しの構造的課題が山積しています。
特に高知県の最も大きな課題は人口減少です。
私が県議初当選の平成19年に79万576人だった人口が最新の推計では70万4990人。
僅か11年で11%もの人口が高知県から失われた計算です。
しかもその内人口集中圏である高知市近郊の人口の減少率は4%程度ですから、特に郡部の人口減少が激しく進んでいるという特徴があります。
私も衆議院選挙を目指して活動する中で、北は嶺北から東は東洋町までの高知県の約半数である17市町村を駆け巡り、地方の急速に進む人口減少を肌身で感じて来ました。
人口減少は、経済の縮小だけではなく、道路から学校、医療や交通まで様々な社会インフラの維持にも大きな影響を与えます。
今後10年が、連綿と祖先から受け継いで来たふるさとを守っていけるかどうか、大きな分岐点です。
落選はしたけれども、この数年地を這って、ふるさとを守ろうと奮闘する多くの皆さんに出会い、現場を学ばせてもらった経験は私の人生にとって大きな財産になりました。
この財産を活かし、前へ進むにあたって、最も良い道を考え抜いて出したのが、春の統一地方選挙を目指すという結論でした。
【魅力的な高知県を作る】
そのような中で、様々な政策に取り組む必要がありますが、私が特に力を入れたいのは以下の三つです。
そして、何より、こうした政策を通じて「魅力的なふるさと」を作っていくことが、人口減少対策としても、当たり前のようで最も重要なことだと考えています。
一つ目に、県経済の底上げ、県際収支の改善です。
尾﨑正直知事が誕生して10年、高知県の指標は様々な分野で目覚ましい改善をしています。
その中の産業振興計画とも政策的方向性を同じくしていますが、県経済の底上げには、県際収支の改善、つまり高知県の貿易赤字を解消することが重要です。
県際収支とは、高知県から外に売っている(輸出)モノやサービスと外から買っている(輸入)しているものの差を表すもので、高知県は長らく赤字体質が続いています。
尾﨑知事の政策で、地産地消・地産外商という言葉が定着し、着実に底上げされていますが、引き続きこの動きを強化していかねばなりません。
外貨を稼ぎ、同時に外から買っているモノでも高知で出来ることを増やしていく。
具体的には、1次産業の六次産業化、インバウンドも含めた観光産業の底上げ、 IT コンテンツ産業等の誘致・県内企業の底上げなど、取り組むべき課題は多くあります。
二つ目に、県民生活の豊かさ向上です。
地方に留まろう、住もうという気持ちになるには、やはり生活満足度の向上が必要です。
現在高知県の魅力として語られる、豊かな自然、人情などは素晴らしい材料である一方、地方ならではの医療や交通、災害の問題にも直面しています。
地方ならでは、高知ならではの、まちづくりや教育を通じて高知の魅力を更に育んでいくと同時に、高知に住みづらくなる材料、課題を乗り越えていく政策も強化していかねばなりません。
防災対策、地域医療、公共交通など、 AI や IOT といった新しい技術の導入も検討しつつ、生活リスクを低減する政策に取り組むことが重要です。
三つ目に、次世代のための政治に力を入れて取り組むことです。
冒頭書いたように、今後急速に変化する社会において、次世代をどう育てるか、そして次世代にツケ回ししない政治を行うことが重要です。
私も6歳と3歳の子供がいますが、変化の時代において、子供達に残せるのは、教育しかありません。
高知にいながらにして、国際社会と繋がることの出来る環境、そして最新の技術に触れることの出来る環境、そして何よりふるさとの自然や歴史に触れることの出来る環境を提供するための政策が必要です。
合わせて、家庭の環境に関わらず教育の機会平等を図ることも重要です。
個人的に取り組んでいる、高知県とミクロネシア連邦、台湾、パプアニューギニア、韓国等との国際交流、高知県の歴史保存事業などにも更に教育的要素も取り入れた活動を強化していかねばなりません。
そして、次世代にツケ回ししない。
県政の情報公開を進め、危機感を県民の皆さんと共有し、1円1円をより責任感を持って有効に使う、未来に恥ずかしくない予算作りを県庁の皆さんと共に果たしていく責任が、これからの県議会にはあります。
合わせて国が積極財政を続けている間は表面化しませんが、今後どこかのタイミングで緊縮の方向に向かった時、問われるのは政治の力量です。
行財政改革を引き続き全力で進め、未来に恥じることのない政治にも取り組んで参ります。
【大局観と現場主義が重要】
今年は、様々な意味で転機の年です。
そのような中、引き続き政治に取り組むにあたって、尊敬する幕末岡山で財政の天才と言われた山田方谷の言葉で、私が大事にしたい考え方を最後に紹介させて頂き、筆を置きたいと思います。
それ善く天下の事を制する者は、事の外に立ちて、事の外に屈せず。
(良く天下の仕事を為す事が出来る者は、物事の外に悠然と立って物事を考察し、物事の渦中に取り込まれる事は無い。という意味)
大局観を忘れず、これまで以上に現場に足を運び、時勢を良く見極めて、今年も頑張って参ります。
これまで以上のご指導何卒宜しくお願い致します!
平成31年 己亥 元旦 大石宗