骨張った相貌に宿る獣のような瞳。ときおり零れる、懐かしそうな笑顔。
俳優緒形拳は、そんな両極端な雰囲気を醸し出すことのできる非常に稀有な役者だ。狂気を演じられる役者と言い換えてもよい。まるで役に取り憑かれたように、映画の中で緒形拳は存在していた。
大方の人は、緒形拳の代表作を問われれば、『復讐するは、我にあり』や『鬼畜』と答えるだろう。もちろん、カンヌでグランプリを獲った『楢山節考』を挙げる人もいるはずだ。
だが、あえて異論をはさみたい。「演技」という観点から緒形拳を見た場合、その極致は勝新太郎が撮った『座頭市』に表れていると思うからだ。まさかと訝る人も多いと思うが、未見の人は、是非、観ていただきたい。
『座頭市』については、いまさら多くを語らないが、勝新太郎が監督を努めた『座頭市』には、いわゆる職人監督の撮った映画には無い不思議な魅力が溢れている。
大胆というより、大雑把と呼んだ方が相応しい省略。きめ細やかという表現からは程遠い粗雑な構成。欠点をあげればキリがないのだが、不思議と「絵」が繋がっているのである。何故、そんなことが可能なのか?それは勝新太郎が役者の演技、いや、生理を熟知しているからだろう。真に秀でた役者は、自身の演技だけで、その場面に説得力を与えることが出来るものなのだ。
水を獲た魚のように緒形拳は、自由な空間を泳ぎ切る。
死に場所を求めて、現世を漂流する浪人。孤独な魂の奥底に何が沈殿しているのか?一切の説明は省かれている。緒形拳演じる浪人と座頭市が、紅葉の下を歩く。恍惚とした表情を浮かべた緒形拳がふと洩らす。
「いろいろな色があるなあ・・・」
「赤ありますか?」
「ある、ある」
「どんな色ですか?」
哀感を滲ませた短いセリフにふたりの人生が影絵のように映し出される。
座頭市の凄まじい居合いを目撃してしまった緒形拳は、宿場を牛耳るヤクザの元を訪れ、自分の「腕」を売り込む。
旅籠で再会した座頭市の純粋な魂に胸を衝かれ、溢れ出て来た涙を手のひらで押さえる緒形拳。このシーンを観るだけでも、この映画を一見する価値はある。
座頭市の竹筒に「落ち葉は風を恨まない」と筆書きした緒形拳演じる浪人が、落ち葉のような最期を迎えるのは云うまでもない。
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