温故知新

入園までの時系列








娘が保育園に入園する(2005年4月)までの出来事を、
時系列にして並べてみました。(2004年11月から)
私自身の記録のため、が、主な目的ですが、
分かりづらい保育園入園までの過程を記すことで、
少しでも誰かのお役に立てるのであれば、幸せに思います。










11月上旬 2回目の手術から退院。
娘の生誕以来、ずっと心の負担だった、この予定されていた手術を終えて、ほっとしたのも束の間。
保育園目指し組は、とうに動き始めていることを知り、焦る。
11月中旬 どうしていいか分からないまま、役所でもらえる保育所一覧表や、ネット、口コミなどの限られた情報から、通園可能範囲の 保育園を調べる

この時期、知的障害児通園施設、肢体不自由児通園施設を含めた幼稚園、保育園などの
入園条件や金額などの勉強会が、役人が出席して開かれ、
それぞれ、住居地域によって、あてがわれた施設の見学も行われる。

その見学で、 娘の通う予定の知的障害児通園施設に疑問を感じ 、 保育園への想いが強まる。
11月下旬 見学開始。
訳も分からぬまま、とりあえず周囲の見よう見真似で、興味深い順に片っ端から電話をかけ、
アポをとり、見学へ行く。
それらの保育園からの情報で、
ここが待機児童激戦自治体で、2歳児は中でも待機児童が多いことを知って落ち込む。
12月上旬 次第に 見学のコツが身につき 、 自分が求める保育園像も明確になっていく。
ハードな見学ライフを敢行し、以下の5保育園に絞る。

A保育園→一番、家から近い。夏から園の主催する『未就園児のための会』に参加し、
       2週間に1回、通っていて、顔見知りであるし、娘も慣れている。
       和食中心の自然食。
       外遊び中心、手作り中心の野生児のような保育内容。
B保育園→A保育園と同じ、共同保育所上がりの保育園で、保育内容も似ている。
       園長先生の孫が娘と同じ障碍もあって亡くなっており、娘に対しても前向きな姿勢。
       A保育園よりも広い。
C保育園→国立大学敷地内の保育園。
       A、B保育園と保育内容は変わらない。敷地も広く環境も良し。
       0歳から年長まで、定員を全く増やさないエントツ型保育体制で、
       空きが出なければ入所不可。
D保育園→シュタイナー教育の保育園。
       家から近く、障害児も受け入れていて、比較的入所しやすいと言われている。
E保育園→区外だが、障害児受け入れに定評のある保育園。
       A、B、C保育園と保育内容は変わらない。
       障害児受け入れの歴史は一番長く、親の会も充実している。が、遠い。

ある事件があり 、精神的に不安定になる。
12月中旬 来る日も来る日も、『保育所入所申し込み書』にある『保育に欠ける要件』を眺め、
どうやったら入園できるか、そればかり考えて過ごす。
この時期、家事も手につかず、食事、睡眠も適当で、ちょっとヤバかった気がする。

追い詰められて、役所の児童係に乗り込む。
窮状を説明し、実状を訴え、このような現状では、保育園に入所は出来ないのか、とたずねる。
すると、相手の答えは意外なもので、娘は有利に入所出来る可能性があるのでは、と言い、
一緒に対策を考えてくれた。
その時、11月中旬の療育所で行われた学習会の情報が誤っていたことも分かり、
情報収集の大切さ を痛感する。
12月下旬 悪戦苦闘して 『保育所入所申込書』を書く
相談にのっていただいた役所の児童係の方のアドバイスを全面に取り入れて仕上げる。
『保育に欠ける要件』も助言された通りに。
希望の保育園の決定は、
「入りやすさ」よりも「どこに行きたいか」を考えた方がいい、
送り迎えを考えたら、なるべく近い方がいい、
障害児の場合、受け入れるか否かの決定権は保育園にある、
という、役人の助言から考慮し、A保育園を第1希望に決定。
園長先生の手ごたえと、娘の反応も良かったB保育園を第2希望に。
スタッフも環境も抜群だったC保育園を第3希望に。

「1月末までに役所の窓口に提出」「第一希望の保育園にて、指定日に提出」
の二択から、後者の方がよりアピール出来る気がして、
早めの期限だが、A保育園にて予約して指定日に提出。

提出後、希望保育園名を療育所のスタッフに聞かれ、答えると、
AもBもCも、障害児の中では有名な、障害児に優しい人気保育園と判明。
年少、年中、年長の障害児が今年も鈴なりで申し込んでいる、らしい。
障害児の場合、年齢が高い方が入園しやすく、
学年で何人、ではなく、全体で障害児を何人とるか、という判断をするから難しいかもね、
と、大笑いされ、悲しくもあったが、
自分の目で確かめたことが正しかったことが嬉しいような気持ちにもなる。

とにかく、やれるだけのことはやった、と、 晴れやかな提出 となる。
1月上旬 「悔いはない」という日記を書いておきながら、区の関係者と会って、
「希望は(欄の通りの3希望までではなく)いくつ書いても構わない」
「障害児の場合、希望保育園を外れた場合の(空いている保育園への)調整は行わない」
と聞き、通園範囲を広げて検討しているうちに、再燃してしまう。
1月中旬 さくら(仮名)教室 の頃の療育スタッフに、カフェで偶然再会し、話をしているうちに、
そのスタッフの知人で保育所関係の事情通の現役公務員の方が、偶然カフェに入ってきて、
紹介してもらって 情報を教えてもらう
そこで、『措置外(自由契約)』の存在を知る。

また、D保育園に入園した障害児は、結局は母子通園させられ、
それも、自分の子供どころか、もう一人の保育士のように酷使される、と聞き、希望から外す。
1月下旬 その方のアドバイス通り、あちらこちらの保育園に「措置外」の話を申し出てみる。
(いきなりA、B、C保育園に仕掛けるのは、怖かった…ので)
すると、驚いたような反応をしながらも、
全ての保育園が(私立)、措置外での入園の場合の月謝を教えてくれる。

自信がついて、第1希望のA保育園に、
「措置外でも入りたいんです!!」
と、アドバイス通り、泣きを入れる。
本当に本当に、どうしても入れたくて涙が出てきた。

前述の事情通の役人さんの情報で、
保育園の本当の定員は役所が把握しているから、聞いて、今年の採用をしない保育園は希望から外すべし、
との助言を受け入れて、役所に出向き、
C保育園が募集しないことをしり、訂正して、E保育園を替わりに書き入れる。

これで、申し込みは、本当に締め切られる。
2月上旬 第1希望のA保育園から、子供連れで来るように、との呼び出しを受ける。
後で、これは 面接だった 、と分かる。

面接後も帰りたがらず、保育園に馴染んで遊んでいる娘の姿を見た保育園の主事から、
「うちの保育園を気に入ってくれている、こういう子供に是非来てほしい」
「○○(娘の名前)ちゃんのことは前向きに考えているから」
と、言われる。

他の区の他の保育園の入園を希望している、年少さんのお友達から、
面接時に、「これは入園を前提とした面接です」と言われた、と聞く。
自分もそうだったらいいのに、
でも、そこまで言われていないし、
と、不安定な気持ちになる。
2月下旬 措置から外れ、入園出来ない場合、役所から電話がかかってくるハズなのだが、かかってこず。
期待は膨らむが、正式な通知はいつ来るのだろう、と、思い、
療育所のスタッフ、 大川さん(仮名) に聞くと、
「知らない。電話したら教えてくれるんじゃない?」と、親身になってくれず。

その場で当てつけて携帯電話で役所に電話すると、大体の日付を教えてくれた。
大川さんが、その日付を聞きたがるので、(自分で調べろよ)と思いながらも教える。
後日、他の人経由で、その大体の日付を聞いたので、
「誰に聞いた」と聞くと、大川さん、だという。
自分の手柄のようにしゃべりまくっているそうで、
彼女の異動を役所に投書してみようかな、と、本気で思った。
3月上旬 保育所入所決定通知が来る












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