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【入院記録 4日目】夜中から、グズる。食事もほとんど食べず。熱が37度6分。痛いのか。熱っぽいのか。違和感があるのか。病院自体が怖くてストレスなのか。空腹で機嫌が悪いのか。一時も離れない。手術時から私の不在宅を手伝ってくれていた義母が、夕方帰宅。急遽、出張が延期になり休みになった夫と三人で個室で過ごす。食べないながらも機嫌は改善してくる。食べたくない、というよりは食べ方が分からない、といった様子。明日から、もう少し柔らかく、トロミをつけてもらえるよう再び要請することにしよう。
2004.10.31
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【入院記録 3日目】長い、本当に長い一日だった。日付が変わる午前0時からグズりはじめた。血痰が絡む。熱がだるい。傷が痛むのか、不快なのか。娘の悲鳴で目を覚まし、時間と状況を把握。処置可能なものは処置し、手に負えなければナースコール。または、モニターの異常を詰所で認めた看護士が来室し、その処置を見守るか、手伝えるものに手を貸す。この1サイクルを終えて眠りにつき、また、娘の悲鳴か看護士が慌ただしく来室する音で目が覚め時間を確認すると、前サイクル開始時間から30分も経っていない。こんなことが明け方まで続いた。少しまとめて眠った後は、食事との格闘だ。空腹のため、勢いよく朝食を頬張ったまでは良かったが、口の中の手術だったため、違和感からか痛みからか飲み込めない。口の中に散々ためた後、覚悟を決めたように飲み込もうとし、喉を通る際、小さな両肩を、ひょいっとすぼめる。全て一口づつ試して、本人が嫌になって止めた。昼食、おやつ、夕食とも状況は変わらず、その間、空腹と、熱と、点滴と、外に出られないストレスで発狂したようになったり浅い眠りを繰り返したりしていた。医師に相談すると、このような状況になる子供は多く、本人が新しい口や喉の環境に慣れて、勇気をだすして飲み込むしか、事態の打開にならないそう。抜糸までの2、3日はこのまま様子を見ることになった。一日の摂取量。持参した納豆1パック、豆腐2口、豆腐プリン2個。病院の軟飯少し、ゼリー半分。のみ。明日はもう少し食べれるといいのだが。グズり、叫び、暴れる娘をどうなだめていいか試行錯誤し、睡眠不足で体が熱く、抱っこ続きで腰も痛い。彼女を授かってからこっち、何度も経験したことで、初めてではない。が、ここまで心穏やかで、むしろ安寧とさえ感じながら過ごしたことがあっただろうか。出口が見えない、地図もない道での苦しみと違い、今、経験しているものは、獣道ながらも皆が通り、踏みしめていった足跡がいくつも残った温かで確に続いている道なのだ。出口はある。そのことが何よりも今の私を支えてくれている。道を作った先人の苦労を思うと胸が詰まる思いがする。この感謝を心に刻み、自分も後人のために何か少しでもしてあげたい、という決意をまた強くした。
2004.10.30
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【入院記録 2日目】6時。フワフワとした感じで朝を迎える。昨日がまた明るくなった状態で続いている感覚。6時30分。眠くてグズる娘を無理に起こすために病棟内を散歩。7時。朝食。術前のためムースや果物。食べないので持参したマフィンと牛乳を少し。7時30分。絶食タイムリミット。看護師が告げにくる。まだ欲しいのが私には素振で分かるだけに止めることができない。この一口で手術が出来なくなったとしても、それでいい、と一瞬本気で思う。震災下で子育てをする母親達を、せん越ながらしばし想いやる。10時。空腹を訴えながら昼寝。10時15分。医師が来室。点滴をするために血管が浮きでるかどうか、試したい、という。今、やらなければならないことならともかく、ただ試すだけに起こしたくないので、と丁重に断る。11時30分。水分も含め完全絶食。12時。昼食を取れない娘を病棟専属保育士が訪問。14時。手術室へ。子供の自主性を重んじる病院の方針で、自分の足で手術室へ向かう。17時。手術終了。術後説明。これについては、またの機会に。手術自体は成功。17時30分。部屋に戻り酸素テントへ。その後、一時期、サチュレーション79になり慌てるも、すぐに持ち直し、今に至る。意識が少し戻るも酸素テントの中で寝ている状態。サチュレーションも90後半を常に維持し、安定した。今、とにかく眠い。こうしていても意識がとぶ。まだまだ予断は許さないと、分かってはいるが、疲れが手足まで重くさせる。これは今までの2年分の疲れだ。疲れと安心だ。一枚、上着を脱いだ状態で、娘が目を覚ます、わずかの間、横になることにして、書き足りない山ほどのエピソードは後日に回すことにしよう。
2004.10.29
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【入院レポート 初日】この方法で更新できるか定かではないが、こうやってメールにするだけで何かしらの記録にはなると思うので、可能な限り心がけてみたいて思う。入院受付時間は10時。ギリギリまで悩んだ末、有料個室にした。理由はいくつかある。まず、共同の冷蔵庫が遠く病棟にはないことが判明したことである。何を贅沢なと思われるかもしれないが、摂食に難がある娘にとって、特定の銘柄の納豆や豆腐は必需品になろう、からである。郊外の病院に缶詰になる予定であるし、やはり冷蔵庫は欲しい。結果、栄養相談の末だされた昼食は、だし汁をかけただけの薄味の離乳食後期食に普通の白飯という代物で、早速、役にたった。ただ、抗議後の対応は早く、夕食はレシピを教わりたい程、素晴らしい出来で、ほぼ完食だった。今後も期待である。また、前回の手術で知恵熱が出たのも気になった。手術の一週間前入院が効を奏したが、今回は前日なので中止になる。先日の見学会でも大部屋病室を見ただけで一人大泣きだった。個室では看護師の出入りも娘の分だけで少ないし、泣き声も聞こえないので、すぐに慣れ、現在、熱はない。トイレ付きなので娘を連れて安心して用をたせること。応接セットがあるので、食堂へ行くことなく、行儀作法を教えていない娘に、好きなように食べさせることができること。などなど、尽きないが、一番の魅力は、夫も泊まれる、ということだった。夫は今月末から一ヶ月、出張である。その前わずかな間しか会えず、ようやく取れた、今日明日の連休である。その時間を有意義に過ごせるなら、三人で旅行をしたと思えば安いものだ、と思ったのだ。事実、娘は次第に大はしゃぎになり、普段以上に楽しい時間を過ごせたと思う。二人、添寝してるベッドの横に簡易ベッドを借りて寝そべって、こうして周囲を気にせずメールをしてると、本当に決断してよかったな~と、つくづく思う。明日の手術予定は14時。娘の食事制限が7時30分と早いので、早めに起こして少しでもたくさん食べさせてあげたい。そのためにも今日はこの辺りで、明日に備えることにしよう。
2004.10.28
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いよいよ明日から入院になります。予定されていた手術のために予定通りに入院出来るので、前回とは異なり、少し安心した気持ちでいます。入院するまでに書きたいことが山ほどあったのですが、残念です。また、書き込んでくださった方へのお返事も出来そうにありません。不義理なことで、申し訳ありません。お気持ちは有難く有難く頂戴させていただきました。入院中も携帯から更新したいな、と、思っていたのですが、それを設定して試す時間さえなかったので、恐らく出来ないと思います。もし、出来ましたら、レポート程度になるとは思いますが何か残していけたらとは思っています。が、あまり期待も出来ないので、とりあえずここで一旦、休止宣言をしたいと思います。退院しても、いつ、復活できるか分かりませんが、その日を迎えることができたら、これまで通りよろしくお願いいたします。それでは。行ってまいります。ここで正直に過ごした私の頭にも神が宿ることを祈って…pms
2004.10.27
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日本ポーテージ協会から教材が届いた。購入したかったのだが、現在改訂中とかで、とりあえずお試しも兼ねて貸していただいた。療育所には全国的に決まった何か教育法があるわけではない。私の住んでいるこの市では、その教員でさえも、規定は『保育士、児童指導員』にとどまっている。児童指導員とは何か。保育士や幼稚園教諭などの有資格者やそれに準じる者、だそうだ。それに準じる者、ということで、児童福祉センター勤務に異動になった者を何人か当てている。なんの特別な教育も受けていない、ただの公務員である。以前、そのことについて言及したところ、相手はいきなり早口になってまくしたて、経験ですよ、経験があります。と、言った。公務員が異動もなく、ずっとここで、この仕事に打ち込んで経験を積むことができる、とは、寡聞にして知らなかった。全国的に画一的な療育が受けられないことを、私は言及しているのではない。本来、教育とはそういうものである。親の価値観や宗教、経済面に作用されて当たり前だ、と私は思っている。療育所の問題点は、それを選べない、ということであろう。私の市も希望すれば他地域の療育所へ行けないこともないが、優先順位としては後になってしまう。そもそも、その療育所はどのような方法で療育を施すのか、情報が開示されていない。区役所も保健所も、その内容までは把握していない。療育方法がまちまちなのに、その内容が開示されておらず、しかも選択も出来ない、というのは、あまりにも障害児を軽くみたものはないのだろうか。ポーテージ乳幼児教育プログラムは、そんな療育所でも用いられている「発達遅滞乳幼児のための早期教育プログラム」だ。子供の具体的な発達を6つの発達領域、562項目の行動目標に分類。例えば、「認知」という発達領域の中では「まねをして円を描く」とか「物が重いか軽いかを言う」など、詳細に目標が設定され、カードの形になっている。それぞれに、どうやったらそれを出来るようになるか、というスモールステップや、習得方法も書かれており、出来るようになったら、チェックリストに日付やらを書きこめるようになっているので、達成感もあるし、次はどれなら出来るか、ということを視覚から客観的に把握することもできる。ポーテージプログラムには、それを指導してくれる場所も各地にあるし、その指導者用の指導技法もある。このプログラムだけではどうなるものでもないのだが、たまたま手にとった何枚かのカードのうち、気になったものを娘にやってみた。それは、『積み木を4つ積める』というようなものだったと思う。やってみたが、出来ない。壊す専門である。その方法に、『親がまず高く積み木を積み上げ、子供の前に積み木をいくつか置き、これを積めたら、こっちを壊していいよ、と誘う』とあった。半信半疑でやってみたのだが、なんと一発で出来るようになった。それからは、壊すものがなくても、自分で積み上げて遊ぶようになってしまった。驚きだ。たったちょっとのことなのに。その指導技法も読んで、自分がその教官のつもりで、子供と距離をとって少しでも指導できたら、娘の発達を手助けしてあげられるかもしれない。教えてくれる場所に通うのは、お金もからむので、その予約日までに色々つめこまなくては、と思ってしまうだろうし、当日、機嫌が悪かったり、朝食を食べなかったりしただけで、有益な時間が過ごせない、と思ってイライラしそうなので、家庭でやれる範囲が私には合っている気がする。早く改訂版が出ないかな、と思う。
2004.10.14
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今回のオペも、執刀医師が所属する病院と実際に入院する病院が違う。本来なら執刀医師の所属する病院でオペをするのだが、娘の状態があまり芳しくないため、万全を期し、小児外科のある子供専門病院に入院し、そちらの場所を借りてオペを行う。今日は、その実際に入院する病院の検査を受けてきた。ここで計測しても体重は10kgだった。それも、ちょうど10000g。まだ、検査結果が出たわけではないが、この検査で娘の手術にゴーサインが出たことになる。丸一日かけて、血液検査、尿検査、レントゲン、心電図など。やれやれ。少し、肩の荷が下りた感じだ。あとは当日まで、風邪などで体調を崩させないように管理していけばいい。今回の手術では耳鼻科の手術も一緒に行うことになりそうだ。全身麻酔を利用して徹底的に耳を掃除し、動かない状態で娘の耳をじっくり観察する。そこで、耳に水がたまっているようなら、やれる限りの処置をする、というものである。実はこれ。当初は全く予定していなかった。病院という場所は面白い。同じ病院内のつながりよりも、出身大学の医局を中心としたラインのつながりの方がよっぽど濃い。つまり、同じ病院内の耳鼻科と小児科よりも、他病院の耳鼻科同士の方がよっぽどお互いに精通していたりするのである。娘、という患者がいる。同じ病院内の小児科と耳鼻科と歯科口腔外科に通っている。今度、歯科口腔外科で手術をすることになった。その事実は、同じ医局から派遣されている各病院の歯科口腔外科には何故か話が行き渡っているのに、同じ病院内の小児科はともかく、耳鼻科などは全く知らない状況なのだ。今回。せっかくの全身麻酔を生かして、耳鼻科にもやれることはないか打診してみよう、と、機転を利かせてくれたのは、この子供専門病院の歯科口腔外科の医師である。この病院に入院するのに、執刀医師軍団が外から来て、彼が執刀しない事実からも分かる通り、彼はこの業界では権威というわけではない。予約はいつもガラガラ。だからこそ、ゆっくり30分以上も様々な話が出来、その流れから、この病院の耳鼻科にも娘が通っている話が出て、この子供専門病院の耳鼻科医は難聴の権威なので予約は3ヶ月待ちなのだが、内線一本で手術の打診をし、当日診察の予約も入れてくれて、こういった運びになったのである。同じ病院内なのに、何故かカルテを持ってウロウロしたり。同じような検査を何度も短期間内でしなければいけないこともあったり。この体質はなかなかややこしい。最近では、様々な科が手を結んで、ある病気や、ある障害に向かっていこう、という動きもあるようだが、実態はまだまだのようだ。途切れ途切れになっている病院の体質を憂いている間に娘は成長してしまう。この、点在した存在をつなぐのは私の役目だ。あちらの科こちらの科で話をし、専門的な知識で武装して食い下がり、また、セカンドオピニオンも恐れず聞きにいく。そもそも、この子供専門病院の権威を今の耳鼻科の主治医に紹介してもらうまでも、平坦な道のりではなかったのだ。うるさい親は疲れる。でも、私が一番、娘のためにしてあげられることで胸を張れることは、この分野なのではないか、と思う。美味しい食事や、綺麗な寝床、優しいお母さんを用意してあげられない分を、こういったことで返しても、それは自己満足でしかないのだろう。が、今は自己が満足することさえも出来ていない状況だから、せめて自己満足のためにも、うるさい親であり続けようかと思う。
2004.10.13
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手術をいよいよ月末にひかえ、今日は手術内容や手術関係の説明が『主治医』によって行われた。この『主治医』こそ、彼女の『本当の主治医』である。普段、定期検診を担当し、毎回、様々な話をする人を便宜上主治医と呼んでいるが、彼は、この『本当の主治医』である教授から伸びた、多くのタコ足の一本に過ぎない。彼の診察は3ヶ月前から予約しないとならない。そして、これでもか、というほど混む。今日も時間通りに行ったにも関わらず、二時間弱待たされた。長椅子が何本も並んでいる待合室で、呼び出しのアナウンスが鳴る度に泣き顔になる娘をなだめたり。走り回る娘を探しに行ったり。この時間は、娘と同じ障害の人ばかり集められているので子供が多く、その場で知り合った人と少し話をしたり。はたまた、脱走する娘を小脇に抱えて戻ったり。いざ、診察の頃には、おかげさまですっかり緊張も解け、怒りがフツフツと湧いてきた。一通り、診察や話が済み、手術関係の質問も終わった後、最後に病院のシステムについての要望を言っていいか、と、申し出てみた。彼の地位が高く、偉い人だからこそ、言いたかったのである。許可が出たので私は訴えた。待つのは仕方がない。先生も忙しいし、こうやってじっくり私のお話を聞いてもらえるメリットは、待つデメリットと表裏一体である。しかし、長椅子しかない場所で、2時間も待つのは限界がある。この障害で通院する人は子供が多く、また、時間も分けられて専門外来を設け集中しているのだから、この時間だけ臨時に、子供が靴を脱いで遊べるような場所を設置するわけにはいかないのだろうか。と。彼はこう言った。「婦長。聞きましたか。こういった要求が患者サイドから出ている。検討すべきことがらなのではないの。」私のすぐ後ろに立っていた婦長は、こう返した。「聞こえませんでした。」吐き捨てるように言うと、きびすを返して、その場から去ろうとした。それを呼び止めたが、振り切って行こうとする。周囲に控えてきた彼のタコ足の一本が立ち上がり、年配の彼女を連れ戻した。そして、教授の口から、私が言った内容を彼女に伝えた。すると、彼女は聞こえるとも聞こえないとも思える声で、だって、どこに作るの。今でもいっぱいなのに。誰が作るのよ。いつ、作ればいいのよ。彼女より年若い教授は聞き逃さず、「来期の予算編成がそろそろだから、その時、申請してみればいいでしょう。」と、表情を変えずに言い、私を見て、「総合受付の横に、意見箱があるので、そこに色々な要求があれば出してくださいね。」と、言った。私は彼の真摯な姿勢に少し同情しながらも、付け加えた。「もう出してあるのですが…」一瞬、彼の表情が険しくなった。そして、「この件に関して、事務局から私のところへ話が上がってこないのはおかしい。そういったシステムになっているのに。」と、二回繰り返し、私に、「出来るか出来ないかは別として、必ず議題に乗せますから」と、言った。「その言葉だけで、今日の溜飲は下がりました。」と、私は言い、帰途についた。大学病院の機能がマヒしている、といえば、上層部が腐っていることが原因だと思っていたが、どうもそれだけではなく、現場も楽な方へ面倒のない方へと、水がごとく低きに流れることもあるらしい。もちろん、今日の教授の発言や態度が演技じゃなければ、の話だが。とまれ。今日の診察の結果。娘の手術は、このまま何事もなければ行われることに決定した。病院で計測された彼女の体重は、10005g。全身麻酔のため、確実に安全とされる体重が10kg10kg以下でも行われるが、生まれた当初から、これを目安にやってきた。途中。彼女の体重が増えないなら、それが彼女なのだから焦る必要はない、通説にある手術に適切な時期よりも、彼女にとっての手術吉日を待とう、という気持ちになってはきたが、それでも心のどこかで、物心がつかないうちに終わらせてあげたい、という気持ちが消えなかった。その私の執念を物語るかのような、10005g。事実は小説より奇なり、だな。
2004.10.12
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ここをはじめて、1年が経ちました。皆様のおかげで、本当に皆様のおかげで、私も、私なりにですが、少しづつ、自分が生きやすいような自分に変わってきました。そんな自分の岐路となるような結論が、おぼろげながら導きだせたような気がします。もちろん、現段階での結論なので、まだまだ未熟ですし、恒久的なものではありませんが、少なくとも、今を生きる自分にとってのバイブルのような存在になりうるものだと思っています。…いや、そう期待するものであります。そんな、つらつらと考えた軌跡をページにしてみました。よろしかったら、のぞいていただけたらうれしいです。そして、このような考えをもった私でも許していただけるなら、これからもよろしくお願いいたします。秋空の下、心も少しだけ晴れて…pms
2004.10.11
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なかなか中耳炎が治らず、ここ2週間ぐらいで、4回も耳鼻科に通っている。娘は何よりもどこよりも耳鼻科が苦手なので、連れていく方も何よりもどこよりも疲れてしまう。ただ、良いこともある。医者はもちろん、彼女を動かないように押えつける看護師たちも、私たちのことを覚えてくれた。覚えてくれると、挨拶を交わしてくれたり、娘に話しかけてくれたり、押さえながら娘や私にかけてくれる言葉が多かったりする。だからといって、施される内容が変わるわけではないのだろうが、なんとなく和み、安心感が生まれるから不思議である。その空気が娘にも伝わり、彼女の恐怖が少しでも減ってくれないかな、いつか、耳鼻科に慣れてくれないかな、と期待している。この日は、娘の髪についての話になった。彼女は髪が多く、肩まで伸びている。七五三を意識して伸ばしているものであった。義母は男兄弟しか育てたことがなかったから、と、初孫のこの子の七五三を楽しみにしていて、着物も手作りで二つも手縫いで仕立てて待っているんですよ。と、言うと、きゃあ~いいわね~、よかったね~と声があがった。この話に嘘はない。しかし、話しているそばから、コロコロカラカラと、何かが壊れて斜面を転がっていくような感覚がしていた。なんだろう。恥ずかしいような、無理をしてしゃべったような、そんな感覚。忘れようと思っても、忙しくても、楽しくても、嬉しくても、ふと現れる、私の1%。あの人を授かってから今まで、消えることがない。
2004.10.05
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大学病院の言語聴覚士のレッスンに行ってきた。最近、言語について聞いてみたいことがあったので、ついでにそれを聞いてみた。娘が言語を習得するにあたっては、大まかな段階があって、それを飛び越していきなりペラペラしゃべらないことは認識している。ただ、それも千差万別で、人によって発達が全く同じとは限らないだろう。特に、娘のような子供は食や運動などの発達に伴って、発達段階がしっちゃかめっちゃかになりやすいだろうと思う。そんな娘の手助けになってあげられるような、彼女が容易に越えられる程度のスモールステップを用意してあげたい、と、最近、ようやく思える余裕が出てきたのだが、どうやってそれを見極めたり、情報を得たりしたら良いのだろう、と。すると、彼女はこう言った。その答えは全て、子供の中にある。子供を観察することで、今までと少し違う部分が見えてくる。例えば、玩具。同じ玩具でも、ある時、違う遊び方をはじめたりする。それが、彼女のスモールステップだ。でも、日々の生活でそれを見極めるのは難しいのよね~、と、彼女は笑った。そうなんですよ~と、私も笑った。思えば、この人はいつもこうだった。彼女には、『親身』という言葉がない。全て、知識で片付けてしまう。この話だって、そうだ。答えているようで答えていない。私は言語習得の話をしている。それに対して一般論を聞きたいのであれば言語聴覚士という専門家には聞かない。私は具体的な話を、それも、娘の発達過程について聞きたかったのだ。第一、そのスモールステップを、そちらから用意してくれるのが、言語聴覚士の仕事の一つではないのだろうか。横柄ながらも莞然と微笑む姿に、その場ではついつい飲まれてしまい、後から、…ん?あまり解決になっていない気が…と、思うことが多い。彼女と私では、役者がまだまだ違うのだろう。
2004.10.04
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