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ぼやーっと考え事に没頭してしまう時間がある。こういうときは、あまり具体的な心配事が何故か浮かばない。人にとって宗教とは。人が生きる意味。自分の存在意義。などなど、すぐに血にも肉にもならないことを、ああでもない、こうでもない、と考えている。台所で食器を洗っているとき。これはまだ良い、娘はビデオに釘つけにしてある。入浴中。娘を先に洗い、浴槽にお湯を少し張り、その中にいっぱいの玩具と一緒に先に入れておき、自分が洗っているとき。夏場に一度。なんとなく聞いたことのない音がしたな、と我に返ってみたら、たった10センチしか水を張っていない浴槽の中で、仰向きの娘が上手に、かっと目を見開いて、まるで標本かなにかのように、静かにゆらゆらと底で大の字になっていた。慌てて引き上げたが、また何事もなかったように遊びはじめた。もしかしたら、私が考え事に没頭している間に、こうやって、ちょくちょく遊んでいるのかもしれない、と、ちょっと思ってしまったほど、気がつくと、この時間はよく考え事をしてしまっている。あと、恐いのがベビーカーを押しているとき。娘はまだ歩くといっても、まだ宇宙遊泳レベルなので、移動はもっぱらベビーカーを使う。ベビーカーに乗せてベルトをしてしまえば娘は動けないし、よく眠ってしまうので、つい考え事をしてしまうらしい。段差に気づかず、ベビーカーを脱輪させてしまうこともある。この日は『石橋を叩いて渡る』について、気がつけば考えていた。夫は典型的な『石橋を叩いて渡る』タイプだ。私は『石橋があると知っていても、その強度を確かめもせず、土手を降りて川岸に出て、そのままジャブジャブと川を渡って渡りきってしまう』タイプだ。実妹は全く逆で、『石橋を叩いて叩いて叩いて叩いて叩き壊してしまって、自分で壊したにも関わらず、やっぱり壊れた、危なかったゼ、と胸をなでおろす』タイプだ。よく二人で、実妹が石橋をガンガン叩いている後ろから私がやってきて、振り向きもせず川を渡っていく場面を想像して笑ったものだった。他にも、知人をあれこれ想像して、ほくそ笑んで過ごしていた。娘は…どうなんだろう。何度想像しても、今の娘しか想像できない。石橋を石橋とも分からず、きゃっきゃと私を振り切ってどんどん渡ってしまって、でも、スレ違う人の何かしらのきっかけで突然恐くなって、泣きながら走り戻ってくる、そんな場面しか。一体、どんなタイプになるのかな。それとも、もう決まっているのだろうか。それが分かるまでに、どんなタイプでも、そんなあなたが一番だよ、と、言えるように私が成長出来るだろうか。しかし、だ。それよりも今は、少しは私も石橋を叩いて渡るタイプに近づけるように成長して、安全に気をつけなければならないか。
2004.09.29
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障害児を授かった方なら一度は言われたことがあるであろう言葉。「この子は、あなたを選んで生まれてきたのよ。あなたなら育ててくれると思ったから生まれてきたのよ。」この言葉で幾度となく救われてきた。過剰な期待だ、と、泣けてしまう日も多かったけれど、救われたことの方が多かった。でも、いつからだろう、この言葉を耳にする度に素直になれなくなってきた。言われた途端、胸に去来するようになった、ある思い。『だったら、私は自分で両親を選んで生まれてきたんだ。あの人たちなら自分を育ててくれる、と思って。』なんとも救われがたい、悲しい話だ。もう、やめよう。
2004.09.28
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掲示板に書き込んでくださった方に、お礼のお返事を書いていたら、今までなんとなく頭の中に散っていたことが、まとまった気がした。今日はそれを書きとめておきたいと思う。人は皆、悩み袋のようなものを持っているのではないか、と以前からぼんやりと思っていた。その大きさは人それぞれで、そこに悩みをどれだけ詰め込むのかも、人それぞれなのではないか、と。例えば私。その袋の大きさは分からないが、今はその中に、娘の障害についての悩みがぎっしり詰まっている。が、もし。障害がなかったとしても、その袋にぎっしりになるほどの悩みごとを探して詰め込み、やっぱり今のように深刻ぶっていたのではないか、と。どんな辛い状況でも大きな袋をはじめから持ち、そこに悩みごとをぎっしりに詰め込むタイプでなければ、ことのほか、気分を楽に暮らしていけるのかもしれない。もちろん、障害という突発的なイベントによって、無理やり袋をいっぱいにされてしまう、ということはあるのだが。とまれ。人から見たら大したことないよ、というようなことでも、その人が自分の袋いっぱいいっぱいに悩みごとを詰め込んでいたら、それは、その悩みの種類がどうであれ、同じだけ苦しく辛い状態なのだと思う。それを傍から見て、自分の知識や袋経験から判断し、大したことないよ。気にするな。焦るな。頑張れ。と言われても、全く持って無意味なのではないか、と。そう考え当たったとき、障害の種類や、その有る無しに関わらず、誰かと気持ちや価値観を一緒に出来るのではないか。辛く苦しい思いをしている人と出会ったとき、まず、その悩みの種類や大きさを測るのではなく、自分が悩み袋をいっぱいいっぱいにしていた頃を思いだし、まず寄り添ってあげられるのではないか、と。そう思った。
2004.09.27
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タイトルの言葉は娘が食事を要求するときに使う言葉である。ここ数日で使いはじめた。「ぁぁん」普段の食事のことを「ごはん」と称し、パンのときは「パン」と称し、食事に対して共通の言葉、よくあるところで「まんま」、などを、彼女に使ってこなかったため、このような体たらくになったのだろう。「ごはん」の母音と「パン」の母音との共通点をつなげて、「ぁぁん」。納得である。何故、「まんま」を使ってこなかったか。それは、簡単。彼女に「まんま」をあげてこなかったからだ。「まんま」のイメージ。それは、可愛いお皿に、食べやすく、興味をひきやすくした状態のものを盛り付けて出す。それをむせながら丸飲みしたり。手づかみで食べたり。皿をはじき飛ばしたり。小食の子供はちょっと食べただけで席を立とうとしたり。それが「まんま」のイメージだ。あの人はどうだったか。可愛く盛ろうと、何をしようと、食に対して怯えた目しか向けない。常に逃げる。スタミナ切れになると、半開きの目でぼけーっと指をなめる。チューブの頃はチューブをなめる。気色悪い娘の姿に私が半狂乱になって、作ったものを全て手でぐちゃぐちゃにしたこともあった。壁に投げつけたこともあった。それが、うちの食事時間であった。「ぁぁん」彼女がやってくる。時には、台を使って手に届いたお菓子などを持って、開けてくれと言わんばかりに持参して言うこともある。「ぁぁん」まだ、前回の食事から2時間もたっていないのに、やってくることもある。「もう…、だからもっと、ご飯食べなさいって言ったでしょ」「すごいお腹だね、もっと入るの?」その時の気分によって、そんなことをつぶやきながら、私は適当なものを彼女に提示する。彼女はその中から欲しいものをチョイスし食べる。「ぁぁん」その言葉を聞く度に胸が痛む。あの地獄の日々。確かに彼女は私の言葉を聞いていた。「まんま」と言わず、行き当たりばったりで適当な表現を使いながら、とにかく食べさせなきゃ、という鼻息だけで彼女に接していた私を彼女はきちんと観察していた。ということは、あの時、彼女を罵倒した言葉の数々も、彼女の耳に届いて心に突き刺さっているに違いないのだ…。「ぁぁん」なんて幸せな日々。食欲のある人に食事を摂らせる。じゃがいもの好きな彼女のために北海道の真狩村から美味しいじゃがいもを取り寄せた。シチュー。じゃがいももち。ふかしてバター。味噌汁。カレー。ポテトサラダ。どんどん作る意欲がわいてくる。食べても食べなくてもいい。少なくても食べようという意欲を見せて、一口は口に入れてくれるから。今日は、カニかまぼことクリームチーズを入れてサラダにしてみた。きゅうりも擦って入れる。前回のサラダ、きゅうりが食べづらかったらしく、噛み砕いたものを口から出したから。カニかまぼこの赤い色が気になるのか手を出してきた。口に入れると喜んで食べた。やっぱり、きゅうりの食べづらさだったんだ。味ではなかったんだ。「ぁぁん」これが「まんま」の日々。当たり前の日々。栄養士や管理栄養士がひたすら説明していた「まんま」の日々。ごめん。「まんま」って言葉を教えてあげられなくて。ごめん。「まんま」の楽しさ、幸せさをもっと早くから教えてあげられなくて。「ぁぁん」ごめん、汚い言葉やヒドイ言葉をいっぱい投げかけちゃって。ごめん、恐い思いをいっぱいさせて。「ぁぁん」ごめん、ごめんね…。
2004.09.26
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【意義】 物事が他との関連において持つ価値・重要さ。 例文:参加することに意義がある人はどのような思いで子供を育てているのか、と思う。万人に一日が24時間しかないように、我々個人個人にも、やれることは限られている。その限りある時間、資源、能力を、どこに配分していくか。子供を授かった親は、それをどのように配分しているのだろう。娘を授かったのは、自分の明確な意思によってのものだった。ここまで好きなことをしてきたから、次は、彼の優秀な遺伝子を次世代へ残す使命に燃えていた。そこで出会ったのが障碍のある娘だった。優秀な遺伝子とは何か。その議論は、ここでは置いておきたい。少なくとも私にとって、娘は優秀な遺伝子ではなかった。そう、生まれたとき思った。私の貴重な時間、資源、能力をつぎこんで次世代に残したい、という想いが霧散してしまったのだと思う。そうなったとき、娘を育てる意義が分からなくなってしまった。もちろん、障碍がないからといって、自分が望むような子供に育つとは限らない。それは頭では分かっている。だからといって、はじめから答えの分かっているテストを受けることに、なんの意味があるというのか。結果でなく、その過程に意義がある。絶対ではなく、相対として娘は存在し、そこに彼女の生きる意味がある。その価値観をまずは私が受容し、いずれ彼女と共感していけるようになることが、彼女を育てる意義の究極の目標、なのだろうか。まだまだ、私には出来そうにない。
2004.09.25
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さくら(仮名)教室のメンバーで、この地方で最も大きい動物園に行ってきた。ここは療育手帳を持っていると無料なので、皆よく来ているらしい。遊具のありかを教えてくれる人がいたり、お弁当を食べる穴場まで知っている人がいた。入門ゲートで、定期券を提示するように療育手帳を提示しながらベビーカーを押した連中が続々と中へ。「この間、水族館に私と、この子と、上の子と行ったとき、療育手帳を出したら、あからさまに、ジロジロ見られちゃった。」「あ、分かる分かる。どっちが?どっちの子が、そう(障碍児)??って目でしょう。」「そ~そ~」笑い声は9月の空のように、からっと澄んでいて明るい。2月だったか、ここで集まったときは、ここは初めて、という人が一人を除いて全てであった。どこかの育児サークルの軍団とすれ違ったときも、向こうは挨拶したり、会釈したりしていたのに、こちらはそそくさと傍らを通りぬけた。「どこのサークルですか~?」と、聞かれた、メンバーのうちの一人が、もごっと声にならない声で、答えともならない答えをしていた。あれから、半年。みんな強くなったな、と思う。小動物と触れ合える場所があるが、そこはベビーカーの持ち込みが禁止だった。身障手帳があれば車イスとみなされて持ち込めるのだが、療育手帳では入れない。身障手帳と合わせ持っている人もいるが、持っていなくても、体が上手に動かなかったり、指示が通じず周囲を気にせず走りまわる子供もいる。以前だったら、誰かれともなく、その場を離れていただろう、と思う。が、今回は違った。療育手帳を提示し、自分の子供にとって、どれだけベビーカーが必要か、また、ベビーカーがある方が、どれだけ周囲にも迷惑をかけずに済むか、こんこんと説明をした人がいた。おかげで、私たちの全てはベビーカーがオッケーになったので、あった方が良い人はベビーカーで入場することが出来た。おかげで、娘はノビノビと動物とたわむれた。やぎに頭突きをされるまで近づき、触り、ポニーを見て、「ぉんま、ぉんま」とはしゃいだ。無理をして外へ出ていくことはない、と思う。療育所という、温かな場所で、身も心も、親子共々休めておく時間は、本当に大切な時間である。そういった落ち着いた場所で、子供の成長にあった課題でしか学べないことも多いであろう。ただ、こうやって、外へ出て、時には涙を流しながら経験したことも、その時は分からなくても、少しは身になっているのかもしれないな、と感じた。子供、というより、親が…かもしれないが。
2004.09.23
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子供の頃。家族、というものがとにかくも負担で仕方なかった。私を苦しめるものの多くは家族だった。それ以外は人間関係か。一番の敵も、信じられない人も、理不尽な人も、暴力的な人も、無知な人も。全て家族の中にいた。家族さえなくなれば、苦しみから、恐怖から解放されるのに、と祈っていた。中学生頃になると、知恵が回って、彼らはスポンサーだから利用しなければ…という気持ちになった。高校生頃になると、ただ庇護するだけの対象だった実妹が小学生の高学年になり、語り合える同士になった。家族とは何か。家族の存在意義は。スポンサーと親の違いは。その疑問さえよく分からなく生きてきた中、ようやくこれらの疑問に思い当たった。それは、ただただ夫と娘のおかげである。それぞれが男であり、女であり。家庭を作る、ということに懸命ではなかった父と、勘違いして作ってきたつもりの実母と、彼らの実娘として、彼らの功罪について、あまり考えてこなかった。幼少時はただ運が悪いと目をつむり、成長してからは、今の自分を作るための布石であり必然だった、と考えるようになった。いずれにしても、彼らを責めることは無かったと思う。それは、彼らの教育のたまものか、諦めか、は分からない。正しいのかもしれない。が、娘を授かり分かってきたことが色々あり、最近も一つ、彼らの功罪が分かってきた。心の拠り所がない、ということだ。例えば、育児に対して。実の子供の育児というのは学校で教えてもらえない。本能と、親からやってもらったこと。この二つでやっていくしかない。そのうちの後者がないので、あっても、それは避けたいというものばかりなので、拠り所がないのである。しかも、障碍児。育児書さえ、全く役にたたない。もちろん、実家に子供を預けたり、出産の助けをしてもらったり、と、実質的に助けてもらえない、ということももちろん大きくあるが、それもこれも、やはり、心の拠り所だと思う。将来、娘に何をしてやれるかは分からない。今は、何かをしてあげられる自信なんてない、逃げないで続けることだけで精一杯で。でも、彼女がいつか。困ったとき。帰って泣ける場所であり続けてあげたいな、と、思う。
2004.09.22
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察しの良い人は、もうお分かりになっていることと思うが、私は精神科に通っている。知人の精神科医、なんて便利な代物はそうはいない。全部、彼との対話で聞いたことである。そこは児童相談所の中にある診療所で、おそらく、子供用のものだと思われる。それゆえ、部屋はフラットで玩具にあふれていて、子供連れでも行けるし、飽きることなくいることができる。療育所の、少し信頼をおけそうな方に相談したところ、そこの先生に事情を話してくださって、紹介してもらったところだ。予約時間は1時間単位。カウンセリング重視のことろである。初老の彼は養護学校の子供とその親のカウンセリングを長くしていたそうで、この手のスペシャリストといったところか。診断名はない。薬を出すために、こういった診断名をつけるが、という前置きがあったが、それは忘れた。絶望感。不安、焦燥感。息苦しさ。敗北感。私が訴えていることは鬱病に症状らしいが、そうでもないらしい。月に1度のペースで、このHPを再開した頃から通っているのだが、今月は彼と私のスケジュールが合わず、予約が入らなかった。また、最近、気持ちも安定してきて、薬も必要としない日が続いていたし、私も先生もお互い、そろそろお別れだろうな、という雰囲気な会話をしていた。時期尚早だったのだろうか。来客が帰った午後から、起き上がれなかった。息苦しさと焦燥感。昨日、彼女を正面から見つめず、受け入れず、逃げてしまった罰なのだろうか。この症状になると、彼女への背徳への自責の念が、何故か彼女へ向いてしまう。イライラ、口汚くののしってしまったりする。また、精神科に予約を入れようか。薬を飲むだけで、いや、それがあるだけで、精神が安定する。それだけではない。来る日も来る日も、子供と一緒。会う大人はママ友達で、踏み込んだ会話ができない。夫は多忙で、たまにゆっくり会話しても、日常のさしせまった会話ばかり。そんな中。精神科医と話をする時間は、自分の過去を見直し、現実を客観的に考える、良い時間となる。また、彼と大江健三郎の話をするのも懐かしさを呼び覚まされ、自分が自分であった時を思いだす。娘の成長もゆっくりなのだから、私の回復もゆっくりで、ちょうどいいのかもしれない。
2004.09.21
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これは、姑の口癖である。何かにつけて、これを口にする。娘(彼女の孫)に甘くなりそうなとき、呪文のようにこれを唱え、娘に注意をしたり、しつけしたりする。しかし、これはどうなのかな、と、思う。もちろん、私が何かの理由で娘の前から去って、彼女が替わりに娘を育てるのであれば、それはそうだ。が、私がいる以上は適切ではないのか、と、思う。だって、これは母親代わり意気込みだ。祖母には祖母しか出来ない、役割があろう。例えば、障碍を持った子供を授かった母親は、様々な場面で子供の能力が他と違う場面に出くわし、苦しみ、子供の可能性、などということ忘れがちである。が、祖母、祖父、特に別居の彼らには、そのような場面はない。ただ、ひたすら、孫を賢い、可愛い、障碍児なんかではない、と、頭をなでる。私はそれでいい、と、思う。その無条件の愛が、子供を救うこともある、と考える。それを母親がすることは難しいことだ。母親の仕事は別にある。それは子供の障碍を受け止めてあげることかもしれない。何があっても、どんな障碍があっても。病院に通って、入院して、手術しても。療育所に通って、養護学校に通っても。どんなあなたでも大好きだ、と、示してあげられる存在、それが母親の役目ではないか、と。それを、母親の私にも子供の可能性を信じろ、とか、母親が信じないでどうする、とか。強要するから話がおかしくなるのであるし。逆に、母親の私がいるのに、同じかそれ以上に、厳しく毅然と接するから、子供が萎縮する。母親には母親。祖母や祖父には祖母や祖父にしか出来ない役割っていうのが、ある、と私は思う。夫の役割は…人によって望むものが違うと思う。が、私は、私と同じ、母親の気持ちでいてほしい、と思う。今日、障碍児だけど可愛いよね、と笑っていてくれたら、明日だけは生きていこう、という精力にかわる。また。あれだけ、昼のカリスマ司会者の番組に傾倒し、黒豆ココアだ、焼きバナナだ、と、健康マニアになっているのに、母親替わりなんて無理だ。だって、娘の食事にマヨネーズを使用したら、マヨネーズはコレステロールが高い。大豆料理を作りながら、大豆には何やら言う栄養素があって、と、番組の受け売りを語る。これでは、孫は年に似合わず健康マニアのようになってしまう。これこそ、年寄りに育てる子供は三文安い、ではないのか。
2004.09.16
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近くの保育園で、『子育てについて』の講演があると聞いたので行ってきた。正確に書くと、少し違う。講演中、子供を預かってくれる、と聞いて行く気になった、というところか。『子育てについて』の講演。そこから、娘に当てはまるものだけをチョイスして都合良く聞く。その作業が疲れる。しかし、最近、娘が「待って」を覚えた。ゴミを捨てに行くとき。ベランダで洗濯物を干すとき。スーパーで、夫とのペアで待っていてもらうとき。事情を説明して、手話と合わせて「待って」といえば、「ぁってぇ」と言ってバイバイする。戻ってくると、「ぁってぇ」「ぁってぇ」と繰り返し、手話をしながら駆け寄ってくる。そして、頑張ったよ、と言わんばかりに抱っこをせがむ。この一連の動作が、託児でも出来るかどうか。試してみたくて仕方なかったである。託児の場所で、説明しはじめると、周囲の泣き声もあってか、ぎゅっと抱きついてきた。これは失敗かな、と、思ったのだが、そこにあったぬいぐるみに興味を示して取りに行ったので、「くまさんと一緒に待っててね」と言ったら、「待って」をした。手話だけで声がなかったのが、彼女の不安を表していたのだろう。講演の方はといえば、やはり障碍児向けではなかった。この障碍児向け、というのは、障碍児用の子育てノウハウがなかった、という次元ではない。一般の保育園の、それも障碍児枠のない保育園の講演で、障碍児を授かったら…という育児話が聞けるとは思っていない。語り手の魂に障碍児に向けたものがなかった、と、私が感じた、ということだ。例えば、自身が勤めている大学での出来事らしいのだが、講師室に授業でもらい損ねたプリントをもらいにきた生徒がいたらしい。その生徒は目も合わせず、紙、などの単語を連ねてもらっていったそうだ。有名な大学の成績優秀な子供だが、人間性を保育園などで培ってこなかったから、こうなっている、と断言した。そこに障碍児eyeが少しでもあれば、少なくてもこの話をここで例に出すことはなかったのではないか。また。普通の子供に、皆と同じように、と、周囲と比べたりして子供を育てるが、世の中に普通の子供なんてものはいない。皆、A子ちゃんであり、B男くんという一人一人だ。子育てに普通という概念はありません。と、言った。その後。私の息子は昔、発達に難があって、その頃、せめて普通にさえなってくれたら、って思ってましたけど、ね。普通なんてものはないんですよね~。彼女は最後に、私が言ったことに質問とか、それは違うとか、意見がありますか、と聞いた。療育手帳、というものが世の中にはありますが、それの有る無し、など、世の中には、普通、を測る物差しであふれていると思いますが、それでも普通はない、というのは、綺麗事ではないですか。発達の遅れのあった息子さん、今ではどうされているんですか。そこにあえて、「昔」と表現した先生の心の中に、明確な普通の概念が備わっているのではないでしょうか。と、聞きたいことは山ほどあったのだが、止めた。障碍児eyeのない人とどこまで話しても平行線であるし、素養の悪い人に付き合うほどの時間がない。第一、そこまで労力をはたいて改善しておかなければならないほどの付き合いに今後、発展することはない。私は配られたレジュメを、鞄の中でゴミを一時的に入れておくポケットにねじこむと、後ろから順に外へ出ていく群れを追い越した。部屋を出て、右へ。そこには、一度も泣かず、お利口に頑張っている娘が「ぁってぇ~」と待っているのだ。
2004.09.15
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障碍児は人の内面を映し出す鏡のような存在である。娘を授かってからこちら。何も良いことがなく、息も絶え絶えでようやく日々を暮らしていた私が、はじめて、障碍児を授かって良かったな、と、思ったことがこれだった。このことを知ってから、少しづつではあるが、娘に対する見方も変わってきたように思う。このことは以前、日記にも書いたことで、今よりももっと沸点高く書いていることと思う。読み返すのは恥ずかしい。が、振り返って冷静に見ている今より、そこには真実がぎっしり詰まっていることだと思う。ゆえに、それに関して今、書くべきことは何もないのだが、そのことを思いだすような出来事が今日あった。すず(仮名)ちゃんと連れ立って遊びに行った。そこは、普段の遊び場ではなく、地域の保育園が持ちまわりで公民館を借りて、そこに子供の遊び場を作った簡易な遊び場だった。下は畳だし、玩具も保育園が持ち出しで運びこめる程度の物しかなく、元来、登ったり、降りたり、滑ったり、と、肉体系遊びにしか興味を示さない娘はすぐに飽きてしまった。一方、順調な発達をしている、すずちゃんは、パズルやおままごとで遊んでいた。娘がようやく、大きなコルクの積み木には少し興味を持ったらしく、積んでは壊して遊びはじめたのだが、そこへ、すずちゃんがやってきた。すずちゃんママは、すずちゃんと娘を伴って、コルクでおままごとを始めた。すずちゃんは楽しんでいたのだが、そこを、娘が横から、タァー、と言って壊してしまった。今度は、コルクを積んで、お城を作りはじめた。すずちゃんも手伝っていたのだが、そこをまた娘が横から、タァー、と言いながら壊してしまった。私は、すずちゃん、せっかく作ってたのに、ごめんね~と言いながら、この光景をどうしていいものやらと、呆然としていた。もし、障碍がなければ。いや、語弊があるかもしれない。もし、障碍が判明していなければ。私は彼女のその一連の行動を、個性、と捉えて眺めていたことと思う。が、障碍がつきまとっている以上、どうしてもそれを、発達の遅れ、としか捉えることができない。事実、そうなのだろう、と、思う。が、だからといって、この場をどうしたらいいのだろう。叱るのはおかしい。褒めることもできない。他の遊びに誘えばいいのだが、それも、一緒に遊びに来ている以上、喧嘩をしているわけでもないのに、適切な気がしない。気が強いすずちゃんが、いっそ怒ってくれないものだろうか、と、思っていたとき、今度は、すずちゃんママは積み木を積み重ねはじめた。細長い積み木を縦に立てた上に、すずちゃんが同じ細長い積み木を縦に積んだ。不安定な小さな面に試行錯誤しながら、そっと積み木を乗せた。「△△(娘の名前)ちゃんもやってごらん」と、すずちゃんママに誘われて、娘が同じ積み木を手にした。結果は、×真剣な顔でなんとか乗せようとはするが、面と面が半分も接地しないで、倒れてしまった。私は悲しくなってしまった。すずちゃんと発達を比べて悲しくなってしまったのではない。だとしたら、一緒に遊びになんて、とてもとても来れないだろう。そうではない。この場をただ見ていることしか出来ない自分に悲しくなったのだ。恥ずかしい、とまで思っている自分が、なんとも情けなく思えてきたのだ。その時、すずちゃんママが言った。「△△(仮名)ちゃん、じゃあ、これに積んでごらん。こっちなら大きいからどこに積んでも大丈夫だよ」娘はちらっと差し出された丸い、大きなコルクを見て、そこに積み木を縦に積んだ。さっきと同じような真剣な顔で、慎重にそっと積み木を乗せた。乗せ終わった途端、自信満々な笑みを浮かべ、誇らしげに私を振り返った。私は、はっとした。すずちゃんママは、娘が楽しく遊べるように、積み木で色々な遊びをして見せたのだろう。おままごと、お城。それにも興味を示さなかったので、単純に積んでみせて。彼女が出来るようなやり方を見つけて。もし、彼女に差別感があるのだとしたら、このように娘の出来ることを探して、娘がちょうど楽しいようなレベルで遊んであげることなど出来ないだろう。ちょっとでも、うちの娘より遅れてるな、と、思った時点で、楽しいね~ぐらいの言葉だけかけて、笑顔でやり過ごすだろう。また、それは彼女が自分の子供に対して、条件付の愛、で、接していないことの証明にも思える。何が出来たら、いいこ。何が出来たら、大好き。何が出来ないから、だめ。そうではなく、ただ目の前にいる子供の全てを認めてあげる。だから、その子が出来る範囲のことこそを最善として接することができるのであろう。障碍児は相手の内面を映し出す鏡。対象は他人だけではなかった。その母親である私自身の内面をも映し出す鏡だった。ありのままの子供を無条件で受け入れ、差別感なく人付き合いができる彼女の内面。障碍のある娘、と、枠でくくり、恥ずかしい、とまで思って、何もすることが出来なかった私の内面。両者がありありと見えてしまって、忸怩たる思いでいっぱいになった。
2004.09.14
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少しづつ、少しづつ、少しづつ、口から食べられるようになってきた娘。食への無関心。食への恐怖心。これらを克服するのに、どれだけ自分の羽を織り込んで、24時間、機織り機を踏んできたことか、と思う。家庭での食事時間だけではない。検査結果に表れず、理論的に証明しようのない娘の摂食障害の状態に対して、主観的に関係者に訴えていくことは、苦痛以外のなにものでもなかった。検査結果が出ない=構造的に悪い部分はない=母親が未熟で子供にミルク(食事)を与えることも出来ないという方式をありありと表情や言葉端に浮かべてくる専門家に対して。苦しそう。ミルク(食事)を喜びと感じていなさそう。むしろ、恐怖を伴うものだと警戒しているように見える。と、子供を主観で判断し、だから構造以外の可能性を教えてくれ、全国的な症例や研究者を教えてくれ、と、訴えても、未熟な母親のくせに分かったように、と、鼻であしらわれてしまう。栄養士の中には、離乳食とは初期と中期と後期があってね…と子供に対するように噛んで含めて説明した人もいた。孤軍奮闘。やっと、ここまできた。娘が食べられるようになった物を、100均で購入した平面なマグネットの印字可能部分に、カラー印刷をして、手作りマグネットを作ってみた。ここから毎日、枠組みを書き入れたホワイトボードに貼っていき、メニュー選択の手助けにする。娘のメニューを考えるのが面倒になってきたから思いついただけだったのだが、ハサミを入れながら、ゆったりと湯船につかってでもいるかのような気分になり、一つ、ゆっくりと両腕を高々と上げて伸びをした。ここにこうやって並んでいる一つ一つは娘の勲章であり、私へのご褒美だ。これからも一つ、また一つと増えていく。いつか、彼女が台を押してやってくる。その上によじ登って精一杯背伸びをし、ホワイトボードに手をかける。そして、嫌いな物をよけて、どの日もどの日も、自分が食べたい物でいっぱいにしてしまう。そんな日も来るかもしれない。
2004.09.12
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正直、最近、疲れてきた。もう、このままでいいや…と投げやりになるときがある。療育所でのクラス分け。あれも、もう、何も言わなかった。毎回、提出するノートにも、少人数で療育を受けられることは、娘にとって有益だと思います、2グループになって、スタッフの皆様は大変だと思いますが、何卒、今後もよろしく、とだけ書いた。今日、地下鉄で3駅離れた場所にある共同保育所のイベントに行ってきた。そこでは、離乳食指導があり、実際に保育所で出している食事を試食しながら栄養相談をしていた。娘の食べ方は明らかにおかしく、私も自己紹介を兼ねた食事への悩みを述べる機会で軽く話しておいたので、栄養士が一人、つきっきりになって指導してくれた。とても良心的であったし、その指導も適切で、過剰ではなかったし、私の代わりに娘に食事を与えてくれ、その労を体感し、ねぎらってくれた。共同保育所は無認可の簡易な保育所であるが、認可を受けた保育園以上に手厚い保育が受けられるところもある。ここもそうで、保育士の数はむしろ規定より多く、食事もおやつも手作りで、個人個人にあったものを出してくれる。その代わり、父母の拘束が多く、保育料もかなり高いが、仕事をしていなくても預けることが出来、娘のことも、預かってくれる、という。レトロながら娘はそこを気に入ったらしく、すぐに慣れ、そこに通っている子供たちと一緒に、玉のような汗を浮かべて走りまわっていた。そのような状況であったのに、私にはあまり感動がなかった。発見した、という、感覚はあったが、感動とは無縁であった。こうやって、あちこち回ることは嫌いではない。おそらく、障碍のない子供を授かったとしても、こうやって、あちらの保育園、こちらの幼稚園と回っていただろう。しかし、やはり障害児を連れ歩くことは疲れる。特別扱いされることに、ほとほと疲れてくる。今日も知らない子供の母親から挨拶され、話しかけられた。私の方は、てんで記憶にない。あまりにも忘れているのは失礼だろう、と、知らないことを前提にしながらも、少しは思いだしたフリをするが、全くもって思いだせない。向こうは覚えやすいだろう、障害児だから。そう思うと、苛立ちが増してくる。当たり前が欲しい。安寧が欲しい。静けさが欲しい。平凡が欲しい。
2004.09.05
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いつかテレビで見たような事件が、私にも起きた。まだ、心臓がバクバクと激しく波うち、手も震えている。天候が不順でなかなか洗濯が出来ず、悩んだ末、やっぱり洗濯することにした。どうしても洗濯したいものを幾つかチョイス。雨に濡れず、風通しの良い場所に干せる分を回した。最近、娘は「待って」を覚えた。手話と合わせて、たどたどしく「ぁってぇ~」と言う。洗濯カゴを持ち、洗濯物を干してくるから「待っててね」と説明し、ベランダに出た。洗濯が終わって落ち着いてから、おやつにするつもりだった。娘はいつものように台を持ってくると、すりガラスではない上の方の窓から顔を出し、話しかけてきた。私はそれに答えながら、洗濯物を干した。少量のそれは、あっという間に終わり、さぁ、帰ろうと窓に手をかけたが、開かない。まさか…と思って見てみると、カギがかかっているではないか。この可能性を全く予見していないわけではなかった。だから、普段は気をつけて、予防手段を色々講じてからベランダに出ていたのだ。が、今日はイレギュラーの洗濯であり、少量だし、早く終わらせておやつにしよう、と思っていたからそれを怠ったのだ。ベランダへ通じる窓のカギは、レバーを下げるとカギがかかる。が、開けるには逆にレバーを上げなければならない。大人の私でも、一呼吸の力がかかるのに、娘にそれが出来るのだろうか。私は娘に窓越しに話しかけてみた。が、補聴器をしていないことに気がついた。大声をあげれば近所に何事かと思われてしまうが、ここで開かなければ、どうせのこと何事かになってしまうのだ。私は意を決して、娘に指示をしてみた。「△△(娘の名前)ちゃん。そのレバー、うんしょって出来るかな」身振り手振りをつける。「うんしょって。そう。うんしょ、うんしょ。」レバーを手にかけるが、やはり上げるのは難しいらしく、真ん中まで上げてやめてしまう。「もう1回。もう1回、見たいなぁ~」レバーを教えるために窓を人指し指でこづいていたら、娘がそれを真似しはじめてしまった。褒めてもらおう、と、とびっきりの笑顔で真似をする。私はすでに限界に焦っていた。このトロい生物に、そんなことをにわかに教える自信もないし、経験上不可能なことが全てだったからだ。娘を動揺させないよう作っていた笑顔が歪み、口元が震えてきた。とうとう、娘が指をしゃぶりだしてしまった。お腹が空いた合図だ。こんなことなら先におやつをあげておけばよかった。指をしゃぶりながらでは、ますます力が入らない。そのうち、あきてしまうだろう。お腹が空き過ぎて、力なく眠ってしまうパターンになる。どうしようか。夫は出張で明日まで戻らない。戻っても、チェーンで入れない。お隣にベランダ越しで行っても、結局カギ屋を呼んでブチ壊すしかないのだから、だったら、窓を突き破る方が騒ぎが少なそうだ。私は横目でベランダを見渡して、何か武器を探していた。その時…娘が少しレバーを高く上げた気がした。私は瞬間、窓を開けた。娘が驚いたように手を引っ込め、台から落ちそうになるのを抱きとめた。咄嗟に手が出てしまい、娘は怯えたように泣いた。きっと、鬼のような形相をしていたのだろう。聞いていないの知りながら、どうせ分からないことを了承していながら、私はカギを触ってはいけないことを、娘に懇々と諭し続けた。でも、その間も震える手で娘を抱き続けていた。今になって、カギをかけることが出来た娘、それを指示通り開けられた娘を、もっと褒めてあげればよかった、と思う。きっと、娘も褒めてほしくて頑張ったのだろう。笑えるようで笑えない事件。また、どこかの家で起きるかもしれない。
2004.09.04
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