ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン& オペラとクラシックコンサート通いのblog

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2008年01月04日
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カテゴリ: クラシック
 MUZA川崎シンフォニーホール  15:00~
 3階中央

 今頃になって気付いたのだけど、月末月初のマリインスキー劇場、行けそうにないぢゃん......<出張予定
 最悪......

 実のところ、年末年始は出掛けられない可能性が少なくなかったので、埋め合わせのつもりで3日はダブルで入れていたのでした。実は出掛けてしまったので、若干疲れ気味もあって強行軍になってしまいました。時差ボケも無いではないし。

 ヴォーン・ウィリアムズ:「富める人とラザロ」の5つのヴァリアント
 J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第5番
 サン=サーンス:ファンタジー
 ドヴォルザーク:弦楽セレナード

 エルガー:(すんません、曲名忘れました....)

 東京交響楽団弦楽合奏団
 ヴァイオリン・MC:高木和弘
 フルート:甲藤さち
 チェンバロ:曽根麻矢子
 ハープ:山崎祐介

 新年早々考えさせられたと言うか........

 MC(会場整備の為の場繋ぎとは言えちょっと喋り過ぎ?)の高木和弘、この人は東京交響楽団のコンサートマスターでもあるのだけど、最後のドヴォルザークの「弦楽セレナード」の前に表れてMCを。ま、話の内容はともかくとして、年越しになんで「千の風になんちゃら」を聞かなあかんねん、という、それはまぁ至極ごもっともなお話というか愚痴なのですが、「こちらはスラブの野を渡る爽やかな風」とかなんとか言うのでちょっとびっくり。
 そういう音楽だっけ?爽やかな風?スラブ?

 で、演奏を聞いて、何となく納得。いや、確かに爽やかっていやぁ爽やかなんですが........
 ドヴォルザークの弦楽セレナードは、割と好きな曲で、古くはマリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズとかで聞いていたし、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2007でもオーヴェルニュ室内管とかで聞かせて頂きましたが、決して第一印象は「爽やか」じゃないと思うんですよね。何故かと言うと、二つ理由があります。

 そしてもう一つは、特にマリナーなどの録音で顕著なのですが、非常に粘っこいフレーズなのです。スコアを持ってないのではっきりとは言えないのですが、この部分、レガートで繋いで行きながら、音が最後まで持続したまま受け継がれて行くのです。弾きっぱなしではなく、息が長いのですね。だから、濃密な音楽が展開されて行く。
 ついでに言うと、セレナードは、夜曲であります。モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のナハトムジークと本来的には同義。あれだって「セレナーデ」と題されているのだし。確かにドヴォルザークの穏やかな出だしは夜曲に相応しいが、爽やかではないだろう。

 でも、この日の演奏は、確かにまぁ仰る通り、「爽やか」でした。
 つまり、低弦は響いて来ないし、フレーズの息が最後まで持続せず、最後の所で抜けるから、ぶつ切りではないけれど、粘っこい感じではない。低声部の軽めの伴奏に乗ってヴァイオリンが旋律を奏でて行く感じ。
 普段だと、この時点で「ちょっとねぇ」と言ってしまうんですが、考えてしまったのは、最初っから演奏する側が「爽やかな曲」って言ってしまっているところ。つまり、「そういう曲」として当たり前に捉えて演奏してるってことですよね。


 で、聞く方もそういうものだと思っているんじゃないかと思うのですね。それが心地いいと思うから、それを求める。特に「繋いで行け!」という風には思わないし求めない。だから、演奏者の方も、そうしようとは強く思わない。

 これは、低弦が弱いというのにも通じるのでして、つまり、元々低弦が響いてこないのが当たり前だから、響かなくても気にならない。で、聞く方もそういうものだと思っている。同じ循環があるのだと思います。

 そんな風にして聞かれる音楽というのが、比較的軽い方向に向いて行くのは道理だと思います。

 結局、音楽の良し悪しとかは、あくまで主観の問題になってしまいますので、それがいい、と思う人が多ければ、それがいいことになってしまうんですよね。よく「クラシック音楽は流行に左右されない」なんてことを仰る方がおられますが、思うにそれはあくまで幻想で、現実には思いっきり流行に左右されるものだろうと思います。アニバーサール・イヤーなんていうのは明らかに人為的に流行を起こしている訳ですし。地域性というのも、流行の一つの要素ですし。流行というのにあくまで抵抗があるのならば、聴衆の趣味の傾向、と言い換えてもいいでしょう。それが決して一定ではなく、むしろ比較的揺らぎ易いものだ、と。

 私個人は、こういうあっさりした演奏が必ずしもいいとは思っていない訳で - 特にこのドヴォルザークの弦楽セレナードは - 、その意味では不満ではあるのですが、そもそも「そういうもの」と認識して演奏してよしとしている以上、言ってみても仕方ない訳でして。だって、これは「自他共に認めるいい演奏」なんだもの。外野が色々言ってみてもねぇ...... といって、納得しているわけではないんですけどね、決して。とはいえ、「そういうもの」として聞く分には、確かに好感の持てる演奏であったのは事実であります。

 その他では、元々この日のお目当てだったブランデンブルク協奏曲が聞き物。チェンバロが曽根麻矢子で、第5番ですから。面白く聞かせて貰いました。ただ、やはりMUZAはコンサートホールとしては大き過ぎます。音が響くようには作られているけれど、チェンバロのように元々響かない楽器だと、バランスは悪くなる一方だし、直接音は届きにくいし、というわけで、ちょっと厳しかったですね。まぁ、そのへんは言っても詮無いこと、のレベルでしょうか。
 東京交響楽団を母体にしたこの合奏団、全部で20人ほどの編成ですが、全体的にドヴォルザークで感じたようなスタイルです。それ故、現代楽器使用ながら、バッハではナチュラルに古楽器的アプローチになっていて、それはそれでバッハでは都合がよいのやも。

 全体としてはそう悪くない、というところでしょうか。







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最終更新日  2008年01月04日 21時34分40秒
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