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2008年11月02日
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カテゴリ: クラシック
 ミューザ川崎シンフォニーホール  14:00~
 3階右横

 シューベルト:交響曲第3番 D.200
 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番
 <独奏アンコール>
 D.スカルラッティ:ソナタ ト長調

 シューベルト:交響曲第2番 D.125

 ピアノ:アンドレア・ルケシーニ
 指揮:ユベール・スダーン


 ルケシーニ。昔々、吉田秀和が連載で録音を褒めた後、実演を聞いて、わざわざ「全然違っていた」と読者に謝った=ダメ出ししたピアニスト。もう20年は前のことだと思います。その後日本ではあまり見掛けなかったのが、90年代に入ってからぼつぼつと名前が出始めて、最近ではそこそこの評判のようです。
 何年か前に何かで聞いて、気になっていたので、今回名前を見て急遽聞きに行くことに。

 会場を見て少々びっくり。3階・4階の中央がガラガラなのです。一方ピット席や、2階のステージ横はそこそこ入っている。当日はP席は無い、と言いながら、実際には1階・2階の中央同様に幾らか空いてました。
 全体では6割入って居たかどうか。連休の中日でもあるし、確かに集客は苦しい所かも知れませんが.........東響は人気もあって評判も高いそうですが、本当?この客の入りを見る限り、そうは思えない。サントリーではそこそこ入っているのだとは思いますが。

 お目当てのルケシーニは、楽しめたという意味では期待通りでした。
 まず、随分落ち着きのある演奏だな、という印象が強く残りました。御存知の通り、ベートーヴェンの4番の協奏曲は、5番の「皇帝」に対して「王妃」などという裏ニックネームも頂戴するくらいで、どちらかといえばしっとりした静的な音楽。その曲想によく合う、落ち着いた演奏です。地味ではないけれど、派手でもない。芯のあるしっかりした音で、技術的にも危なっかしい感じは皆無。この曲、3楽章は結構ピアノは音が跳び回って大変ですが、優雅というか安定しているというのか、最後まで揺るぎないいい音楽を聞かせてくれました。技術に音楽が追い付いて来た、といったところでしょうか。アンコールのスカルラッティのソナタも、ほう、こんなもの弾くのか、と思わされるいい演奏でした。
 この人、これから何処へ行くのでしょう。なかなか楽しみなピアニストです。
 この協奏曲に関しては、東響も同様にいい出来映え。抑制された演奏で、リリカルなルケシーニの演奏によく合ったものでした。

 まぁ、つまり、言い換えると、他はちょっと今一つなんですが......

 問題は、シューベルトの演奏。非常に評判のいいスダーンの今年のプロジェクトである、シューベルトの交響曲ですが、正直、スダーンの音楽作りはかなり疑問の残るもの。
 5月に、この組み合わせで、1番と4番をサントリーホールで聞いています。その時思ったのは、実はシューベルトの音楽は結構下世話な音楽なんじゃないか、ということと、スダーンがデュナミークの落差を盛んに要求していたこと。


 最近、「証言:フルトヴェングラーかカラヤンか」という本が出ました。実は、題名に半ば偽りありで、本当の主題と呼ぶべきは「ベルリン・フィル往年のメンバー達は語る」という内容で、これ、実に面白いのですが、その中で思わずなるほどと思ってしまうのが、ある元団員の曰く「(一般にオーケストラというものは、という文脈で)ピアニッシモを好んで弾く団員は、一人もいないと思って間違いない」。なるほど。
 東響は、例によって日本のオーケストラです。要するに、ピアニッシモがない。ピアノくらいはある。でも、ピアニッシモがない。スダーンの演奏は、言ってしまえば、ピアニッシモを要求しない音楽になってしまっているのです。それはそれで一つの解決策ではあるけれど、結果、デュナミークは「ピアノからフォルティッシッシモまで」となる。ベートーヴェンで、独奏ピアノとのバランスで、まだしも抑制した演奏を試みていたのが、シューベルトでは爆演になってしまう。
 今回聞いていたのは、風呂場というより五右衛門風呂みたいな会場で、しかも舞台横ではあったので、一概には言えませんが、感想としては「鳴らし過ぎ」の一語に尽きます。ここは、なんとしても、デュナミークのレベルをピアニッシモからに落とすべきだった。

 オーケストラの編成も、課題が残ります。前半の第3番では弦五部を10-8-7-6-4で、後半の第2番では12-10-8-6-4で組む。変えるのは構いません。問題は、絶対数が、響き過ぎのホールに対しては、やや多過ぎること。はっきり言って、シューベルトの初期交響曲は、必ずしも音の厚みを必要条件として求める音楽ではありません。この場合、ある程度の大きさのオケで演奏するメリットは、それによりオケに余裕を持たせる、という点にあると思います。ところが、このオーケストラで、スダーンは、大きな音を要求する。それが、結果、全体としてはデュナミークの感じられない音になってしまう。しかも、常にフォルテ気味で推移するので、音楽に余裕が無い。常に軽く緊張した音楽になってしまう。

 シューベルトの交響曲は、結構下世話な音楽でもある、ということが、ここではマイナスに響いて来ます。

 要するに、スダーンと東響は出しゃばり過ぎなのです。今日の演奏で一番良かったのは、ベートーヴェンの協奏曲。ここで求められた抑制された古典的表現こそが、シューベルトでも求められる所です。それでこそシューベルトの諧謔も活きてくる。演奏家が余計なことをすれば、諧謔はただの乱痴気騒ぎと堕す。そういうものです。乱痴気騒ぎは「活き活きとした演奏」とは別物です。

 それを、非常に活き活きとした表現豊かな演奏、シューベルトの新しい面を見せる演奏、と強弁するのは簡単ですが、これではシューベルトが終生拘り続けたオーソドックスな形式というものを勝手に矯めてしまっているに等しい。シューベルトは古典派の作曲家です。ベートーヴェンよりよほど古典派。でありながら、彼の本来の資質で最良の部分、旋律の才能は、全然古典派ではなかった。そこに矛盾があり、気の毒ではあるけれど面白さに繋がっている。

 今回のような演奏というか乱痴気騒ぎは、ある意味「分かりやすい」ので、ウケは取れると思いますが、正直、弾く方も聞く方も安直。それなりにいいレベルだけに、この安直さは罪です。こういう音楽をやってしまうスダーンという人の、音楽的な品性を疑ってしまいます。スダーンがこれがいいと思っているのか、はたまた所詮ここまでしか出来ないだろう、と思ったのか、もし後者なら、せめてデュナミークに関しては決して妥協してはいけなかった。ピアニッシモでひっくり返る代わりに爆演にしてしまえ、というのは、そりゃおかしいだろう。相応にいい指揮者だと思っていたのですが、かなりがっくりですね。無論東響の、特に弦五部のパフォーマンスの低さは論を俟たず。厳し過ぎる?いやいや、シューベルトに謝れ、といったところでしょう。せめてあのベートーヴェンと同じようにやればいいのに。5月の1番・4番はなんだったんだろう。まぐれか?私の誤解なのか?あれはあれでよかったのかな?

 ルケシーニの協奏曲が良かったから金返せとは言わないんだけどさ。






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最終更新日  2008年11月02日 23時28分29秒
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